2017年03月16日

津村節子「紅梅」

7冊目の点字本。少し前に吉村昭を読んだので今回は奥さんの津村節子のもの。
これまであまり彼女の本は読んだことがないのだが、吉村昭の死に関する小説は興味があって読んでいる。
(彼女年代やそれ以前のいわゆる「女流作家」がちょっと苦手なんです)。

吉村昭の舌癌が見つかって、その治療をしている時の検査で、膵臓癌も発見されてからの闘病記録。
同じ作家として多忙を極める妻の気持ちが細やかに描かれている。
一応、小説のかたちをとっているけれど、完全なる私小説だ。

津村節子を読んでこなかったように、吉村昭の本も読んではいない。
とくに資料を綿密に調べた巨大軍艦や地震に関してのものには手が出なかった。
でも彼の短編は大好きで、若い頃に結核療養し絶えず死と向き合って生きた彼ならではの人生観に基づく小説は素晴らしいと思う。
それと、私には彼のことを「人生の達人」ととらえているところがあって、そういう意味でも興味があったのだ。
吉祥寺の街で数回ほどお見かけしたこともある。

井の頭公園に隣接した自宅には、夫と妻の書斎があり、夫は自分の書斎を気にいっていた。
庭には紅梅が見えた。
手術で膵臓摘出、十二指腸と胃の部分的切除・・
舌癌は根治したものの、抗がん剤の副作用で体は酷いダメージを受け、免疫療法にまで手を出すが、結局は最期を自宅でということになった。
担当医であった国立大学付属病院の教授が往診にやって来たが、それは往診というよりも、家族に引導を渡すためであった。
敏感な夫はそれを察知し、「もう、死ぬ」と言って、弱った体のどこにそんな力が残っていたのか、カテーテルや点滴の管を自分で引っこ抜き、妻がマッサージしていた体を回転させて、まるで妻の手から逃れるように死んでいった。。

すごい覚悟である。
そうしたいと考えていたとしても、なかなかそんなふうにできるものではない。
最後のその場面を読むと、どんな言葉をなくしてしまう。

それにしても、癌治療の凄まじさ。
外科医はあっさり手術をしましょうと言うけれど、抗がん剤を使いましょうと言うけれど、余命の貴重な時間のQOLをどうしてくれるのか?!と、腹立たしくなってくる。
そんな医師たちを信頼している患者と家族が哀れで悲しい気がする。

死期を前に経済的なことに細かくなった夫は、遺される妻のために、相続税や所得税や二人のお手伝いの給与などの心配をしている。
家族と近しい友人への遺書もまた、悲しい。

作家である夫と妻は毎年頭に、担当編集者たちを集めて自宅で新年会を開いていたそうだ。
料理をするのも運ぶのも妻。
その席で、夫が「育子、育子(小説内の妻の名)」と呼んでいたよら、妻の編集者が「えらそうに、呼ばないでください」と憤然と言ったとか。
自分の担当作家がそんなふうに呼ばれるのが、いたたまれなかったのだろう。
ある作家は彼らのように夫婦で作家の家庭を「地獄だ」と言ったというが、吉村昭と津村節子にとってはそうではなかったのだ。

しかし妻は、夫が妻に絶望して死んだのだと罪悪感に苛まされる。。

これ、印字本でも読んだのだけど、点字で読んで、最後の場面に涙してしまいました。
印字では泣かなかったのにね。不思議です。
posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック