2017年04月03日

高橋弘希「スイミング・スクール」

表題の中編と短編の「短冊流し」が併載されている。
「短冊流し」は「指の骨」や「朝顔の日」に続いて、第155回芥川賞候補となったもの。
「指の骨」は評価が高く、読もうとは思っていたのだが、当時はなぜか戦争ものを手に取りたくない気分が強くて、とうとう読まずに終わってしまった。
結核病棟を舞台に、病を得て療養する妻を描いた「朝顔の日」は、文体といい内容といい私好みで、「想像でこれだけのものが書けるとは」と若い作家の力量に驚いた。

「スイミング・スクール」はどことなく齟齬のあった母と娘のその娘に娘が生まれ、なおのこと以前の母との関係のあれこれを思い浮かべる話。
その娘がスイミング・スクールに行きたいいというので通わせることに生った。
愛犬の死、母の死と実家の後片付け、若いころ弁当屋でバイトしていたこと・・盛りだくさんの出来事が交叉する。
どこにでもあるサラリーマン家庭のお話しだが、母親との関係を引き摺って生きてきた女性の一抹の不安が描かれている。
今は幼い娘は、自分を頼り自分を慕っているけれど、いつか自分と同じようになるのではという懸念。
そうした折に、自分が母に頬を打たれたように、娘の頬を打ってしまう。。

でも私、これはわりと陳腐な内容だと思った。文体も好きじゃない。
キレもないなぁ。
カセットテープの謎も、引っ張り過ぎでなんということはなかったし。
明確に伝わるものがない。

「短冊流し」のほうが短編ならではの緊張感があって、私は好きだった。
父と幼稚園に通う娘の生活に、母がいないことは察せられる。
そのうちその理由がはっきりしてくる。父の不貞から離婚を申し出た妻は、赤ん坊の次女を連れて仙台の実家へ帰った。
彼は長女の綾音と暮らしていたのだ。
綾音はある夜、高熱を出しひきつけの発作をおこして、救急搬送される。
仙台から妻がかけつけるが、一向に意識をとりもどさない綾音。

どうやらこの作家は「死」と「死の気配」を書きたいようだ。
日常のなかに潜む「死」。
この短編にはいつも不穏な空気が流れている。
一週間のルーティンとなっている朝食の卵料理にすら、その不穏さが感じられて、なんだか不気味だ。
不安と恐怖が「死」の兆しとなっている。

「短冊流し」のタイトルの意味は最後に出てくるが、これもちょっと陳腐かな。
もっと違う終わらせ方があったような気がするのだけど。
芥川賞にはやはり、弱かったと思う。
ちなみにこの回の受賞は、村田沙耶香の「コンビニ人間」だった。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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