2017年04月19日

門井慶喜「屋根をかける人」

1905年、一人のアメリカ人青年が滋賀県近江八幡の鉄道駅に降り立った。
商業高等学校の英語教師として赴任してきたのだ。
教師の仕事とともに彼にはキリスト教伝道師としてのミッションを強く持っていた。
彼の名は、ウィリアム・メレル・ヴォーリス。
この後、彼は日本に住み続け、日本に帰化し、日本に骨を埋めることになる。

英語教師はほんの2年でクビになってしまった。生徒たちからは慕われていたものの、仏教色の強い土地柄でのキリスト教伝道が学校側から嫌われたためだ。
しかしメレルには野心があった。
もともとが建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学も許可されていたのだが、故郷のコロラドから遠く、また体も弱かったため、建築家の夢を絶っていたのだ。
当時の日本はまだまだ西洋文化が根付いていなかった。メレルは日本に西洋建築で建物を建てたいと願った。
(彼の手がけた建築物は凄まじい数に及ぶ)。

メレルという人、敬虔なクリスチャンでありながら、「商売人」としての才能がとてもあったんですね。
近江という土地は江戸の時代から「近江商人」として名を馳せていたが、メレルにはその近江商人にも負けないほどの商才があったようだ。
彼の人懐こい人がらも幸いし、やがて注文がどんどんくるようになった。
顧客の紹介で、華族の娘と結婚したが、妻となった満喜子という女性はアメリカ在住9年の経験を持ち、子どもたちの新しい教育に意欲があって、メレルの良きパートナーとなった。

私は5年前くらいだろうか、この満喜子を主人公にした小説を読んでいる。
玉岡かおる著「負けんとき」という上・下巻の長い小説だったが、今回この本を読むことによって、メレル側と満喜子側からの視点で彼らの道程を知ることができて興味深かった。
華族がガイジンと結婚するには許可が必要だった時代に、価値観を同じくするメレルと結婚した彼女の勇気は、後のメレルの活動をも助けたようである。
ミッション学校を設立して、満喜子はその運営に心血を注いだ。

メンソレータムというハッカの匂いのする軟膏をご存知だろうか?
私の幼い頃は薬箱の中に、赤チンや正露丸などとともに、メンソレータムが必ず入っていた。ケガ、あかぎれ、肩コリ、頭痛などなんにでも効く万能薬だった。
そのメンソレータムの会社、近江兄弟社を設立したのも、メレルなのである。
ホント、商売が上手な人だった。
けれど彼も満喜子も建築やメンソレータムからの利益のほとんどすべてを、キリスト教伝道のために使ったのだ。私利私欲はまったくなかった。
そんな彼も第二次世界大戦中は近江八幡を離れることを余儀なくされて、軽井沢にひっそりと暮らさなくてはならなかった。
石炭も薪も手に入らない軽井沢の冬の寒さが彼の健康を害す原因になったようだ。

戦後、メレルが果たした役割はあまり知られていないが、マッカーサーに天皇制について進言した経緯はもっと知られてもいいように思う。
それに関して、メレルは天皇から京都御所に呼ばれ、直接謝意を表されているのである。
それから十数年後、当時の皇太子が正田美智子さんと知り合ったのが、メレルの設計した軽井沢テニスコートのクラブハウスだった。

近江は山陰、奈良とともに私の大好きなところだ。
現在でもあまり交通の便が良くないので、京都や奈良ほど観光地化していないのがいい。
見學すべきお寺が多いし、戦禍にあっていないため、メレル設計の建物もたくさん残っている。
白州正子の「かくれ里」をパラパラ見ながら歩いた大昔から、近江はあんまり変わっていないような気がする。
そうそう、この本でメレルがよく買っていた和菓子の種屋さん、いまも「たねや」として立派に美味しい和菓子をつくり続けています。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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