2017年04月25日

今村夏子「あひる」

今村夏子はいま私がもっとも気になる作家だ。
「こちらあみ子」のあの空気感がここにも漂っている。
この空気感をどう言葉で表現すればいいのか、「読んだらわかります」としか言いようがない。
ちょっと見には、ほのぼの、ふうわり。けれど底には残酷さ、恐ろしさ。
グサリと直接的ではなくて、じんわりといつの間にか深い傷となっている。

ほとんど引きこもりのように、医療関係の資格取得のための勉強をしている若い女性の「わたし」の家に、あひるがやって来た。
「のりたま」と名付けられたあひるは、通学路の小学生たちの人気の的となる。
あひるを見に来る子どもたちは、やがて「わたし」の両親の歓待を受けて、家に上がり込むようになる。
けれどあひるは衰弱しどこかへ運ばれ、戻って来たあひるは前とは違うあひるようなのだ。
それが繰り返されるが、両親は動物病院に連れて行くでもなく、ただ「祈る」のみ。そして新しいあひるについては誰もが口に出さない。

不気味である。恐ろしい。
「わたし」は両親から顧みられない無視された存在だ。
両親は弟の子、孫を待ち望んでいるが、その代替として小学生たちを異常なほど歓迎する。
それを傍観する「わたし」の感情は説明されていない。

しかし、3羽目のあひるが死んだとき、「わたし」はあひるの死骸を抱きかかえて、丁寧にお湯で洗ってやる。
その行為が哀切だ。
しかしここでも「わたし」の感情に対する説明はない。
この小説の中で「説明」があるのはただ一度、子どもの誕生日祝いに大量のご馳走を作ったのに、誰も来なかったその夜中に、一人の男の子がやって来てそのご馳走を食べて帰ったところにだけ、「わたし」の両親とあひるへの「気持ち」が書かれている。
(小説として、ここはある方がいいのか、ない方がいいのかは判じかねる)。
何気なく、すらすら簡単に読める作品だ。
横たわるものの深刻さに気付かないかもしれない。でもこれ、「こちらあみ子」よりある意味スゴイと思う。
芥川賞の候補となったが、確かに受賞には弱い部分があるかもしれないけれど、今回受賞の「シンセカイ」よりいい。
寡作かもしれないけれど、彼女は「書けるひと」だと思います。
次回の作品がどう出るか、とても楽しみ!
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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