2017年04月27日

色川武大「離婚」

9冊目の点字本です。
次の本を何にするかは、私の点字読みのレベルに合うものを探す必要があり苦心するのだが、今回は「是非、これ」とすんなり決まった。
というのは、友人夫婦の奥さんのほうと話していて、何かの話しの続きで「色川武大って、私の理想の男なの」と意気投合したからだ。
彼女の夫は外資系証券会社の為替ディーラーをしていた人で、彼女も元同僚。
現在51歳なのだが、すでに仕事をリタイア。悠々自適とはこのことかというほど、気ままに優雅に暮らしている夫婦なのである。
もう一生働かなくてもいいだけ、これまで働いてきたのだろう。
一緒に高級レストランに行っても、夫はテーブルで眠ってしまい「本当に、私、どうしていいかわからなかったわ」と彼女は今では笑うけど、そんなに大変に仕事をしてきた人だ。
その彼女は「私、博打をしない男は嫌いなの」と。
まぁ、為替ディーラーというのも一種の博打打ちのようなものか。

じつは私も彼女と同じ意見。
博打をする男って、どこか色気を感じてしまう。
だからといって私は小心者なので、博打打ちを夫にする勇気はない。傍から見て「あぁ、いい男だな」と他人事のように思うのが関の山。
そういう意味で、色川武大は私にとっては理想の男像に近いのだ。
もちろん単なるおバカなギャンブル狂いではないのは当然のことです。

「離婚」はもう40年も前の直木賞受賞作品。
私小説と思われるように、主人公は40代後半のフリーライター。
妻と離婚したが、つきあいは続いてい。どころか結婚していたときよりも「元女房」に対する想いが強く、元女房も夫に経済的にも精神的にも依存している。
つまりは「腐れ縁」なのだが、男と女の深淵がそこにはあって、「あなたたち、もう別れるなんてできないのよ」とその関係に悲しさとともにどこか安堵感を持ってしまう。

生活態度はだらしない、経済観念はゼロ。ワガママ自分勝手・・
まぁ、女としては魅力的かもしれないが、女房としては失格。
でもそんな元女房を前に主人公は自分も同類ではないかの自嘲がある。
彼女がそんな女だったのは「私を妾にしてよ」の最初の言葉でもわかっていたはず。彼女も彼女なりに彼を見捨てられない何かを感じていたのかもしれない。

Pity is aking to love,
夏目漱石は「三四郎」のなかで、「かわいそうだたぁ、惚れたってことよ」と訳したが、そういうことなんだろうな。
つまりはこれも「愛」なのだとしか思えない。
だからこそ、悲しみも面白みもあるのだ。軽妙なタッチで書かれているからこそ、それがより伝わってくる、
他に「四人」「妻の嫁入り」「少女jたち」が併載されている。

「少女たち」の冒頭で主人公が牛込納戸町の豆腐屋に豆腐を買いに行く場面がある。
この豆腐屋は私が以前住んでいた市ヶ谷砂土原の家のすぐ近くにあって、私もよく買いに行ったものだ。
小さい店だが、美味しい豆腐を売っていた。
色川武大の実家もその豆腐屋から近い牛込矢来町(新潮社があるあたり)だったので、あの周辺の店を知っていたのだろう。
もうずいぶん前にその豆腐屋はなくなったけれど。

それにしても作家の家族にはなりたくないものだ。
何を書かれるかわかったものではない。
じっさいに色川の奥さんの孝子さんはこれを読んで、自殺も考えたそうである。
「あることないこと」を書くのが作家とはいえ、つらいですよね。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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