2017年05月30日

ドナルど・B・クレイビル「アーミッシュの謎」

アーミッとうシュの人たちを映像で見たことのある人は多いだろう。
地面に届く長いスカートを着て白いボンネットを被った女性が馬車に乗り、まるで西部劇に出てくる19世紀そのまま。
男性は黒い質素な服で鍬を担ぎながら、舗装されていない土の道を通っている。
彼らはキリスト教の一派である「アーミッシュ」の信者たちで、ドイツからアメリカやカナダに移ってきた当時からの生活様式を守って生活している人たちだ。
そのアーミッシュには様々な「謎」があるそうで、この本では彼らの「宗教・社会・生活」が紹介されている。

私はアーミッシュのコミュニティでは自動車も電気もまったくないのかと思っていたが、この本を読むと、どうもそうではないようだ。
自動車は所有をしてはいけないが運転はOKらしい。
トラクターはいいが、納屋周辺での使用に限り、農耕には馬を使わなければならない。
また電気はアーミッシュの工場内での溶接機や絞った牛乳をタンクで攪拌するときなのどには使用が認められている。
けれどその電源はオフグリッドで発電したものをバッテリーで蓄電している。
しかし家庭内ではほとんどの場合は、照明や電化製品は認められていない。

これらの境界線はどこにあるのか?
おそらく新しい道具や製品が世の中に現れるごとに、みんなで協議して決めるのではないか?
そこには彼らなりの価値観の上での妥協もあれば、拒絶もあるのだと思う。

キリスト教の一派として敬虔な信仰を持つアーミッシュだが、布教活動はいっさいしない。
また教会や祭壇や聖歌隊、司祭や牧師なども持たない。
そうしたシンボリックなものはどもすると特権に陥りやすいため、避けている。
それに関してはすがすがしい気持ちが持てますね。
イタリア中部のアッシジという小さな町は、聖フランチェスコの聖地として有名だが、そこには巨大な聖堂が建立されている。
そこにはジョットの壁画などがあって見どころは多いし、美しい場所なのだが、清貧に生きた聖フランチェスコの真意とはどこか違うような気がして、私は少々落ち着かないのだ。
だからアーミッシュの人たちのこうした信仰のありかたに納得してしまう。

彼らはどうやって生計をたてているのか?
ほとんどが自給自足だが、購入しなければならないものもある。
キルトなどの工芸品を売ったり、はちみつなどの食品を売ったりしているようだし、工場で製造した農耕具なども人気があるという。

コミューンとして相互扶助の精神のもとで暮らしているが、16歳になったらコミューンから出ることが義務付けられている。
他の世界を知り、そこでなんでも自由に選択し暮らし、一定期間を終えて成人したときに、アーミッシュの世界に戻るか、そのまま他の場で生きるかを自分で決定する。
だから自由を奪われるわけではないのだ。
ただいったんアーミッシュの信仰を手放した者は、家族とは縁が切れる。

矛盾を感じて否定的な人はアメリカにもいるみたいだが、何を選択して生きるかは各人の自由だと思う。
危険なカルト集団ではないので害はない。
むしろ現代社会に疑問を呈する人間が多いのか、アーミッシュの信者は毎年増加しているという。
たしかにそのコミュニティでは時間に追われることもなく、日の出とともに起き、日の入りと共に仕事を終え家族で過ごし、祈りを捧げる日々は、心静かなみたされるものがあるのだろう。
一カ月くらいなら私だって暮らしてみたい気がする。

アーミッシュと同じような暮らしをしていたキリスト教一派にシェーカー教徒がいる。
彼らはイギリスからアメリカに渡った人たちで、シンプルに美しい生活をしていた。
シェーカー家具はその美しさで今も愛好する人がいるし、作っている木工芸家も多い。
しかしシェーカー教徒は今はほとんど絶滅種化しているようである。
ただその生活のシンプルさはミニマリストたちにとってはなんらかの指針となっていると聞く。

アーミッシュ人口が増え、シェーカーが消えつつあるその理由は何なのか?
ちょっと観点がことなるのだが、この本を読んだら、そっちの方も気になりました。
posted by 北杜の星 at 08:02| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/450352593
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック