2017年06月08日

吉本ばなな「キッチン」

点字で読んだ本。
印字ではもう30年以上になるかな?
村上春樹とは違う意味で「新しいものを書く若い人が出てきた」と思った。

その後でイタリアに行くたびに、「Banana」「Banana」La cuccina」とかイタリア人から言われることが多く、最初はいったい何のことを言っているのかと訝しかったものの、「あー、あの本のことね」と少々驚いた。
イタリアで彼女の本がいちはやく翻訳されて人気になっていたのだった。

吉本ばななは好きな作家だ。
彼女の書くこと、これは伝えたいと思って書くことに共感ができるから。
それに彼女の本の読後感はとても読者を幸せにしてくれるものがある。
浅い、薄っぺらと悪口を言う向きもあるけれど、でも、そもそも彼女は重厚なものを書こうとしてなんかいない。

だけど彼女の文体文章はどうも私と相性が悪い。
はっきり言って、下手な文章だと思う。
目でなく指で点字を追っていると、これまで以上にそう感じてしまう。
ぐだぐだしているんですよね。
私の好みは、余分なものを削ぎ落した簡潔な文章なので、ちょっと読むのがつらかった。
(簡潔で鳴く饒舌であっても、町田康のように大好きな作家はいるのだけど。饒舌さが個性となっているような作家のものはイヤじゃないんです)。

それでも、やはり吉本ばななの感性に誘われて読む。
両親を亡くしたあと祖母と暮らしていたのが、その祖母も亡くして、祖母のちょっとした知り合いだった雄一とその母(実は父)の家で一緒に暮らすことになったみかげ。
孤独なみかげと同じようにどこか孤独な母と息子。
彼らと暮らすことでみかげは喪失感を癒すことができるのか。
喪失と再生が緩やかに美しく描かれている。
陽の光、風のそよぎ、公園の緑はみかげの日常にある。それを感じながら生きるみかげ。

たぶん街でみかげに出会ったとしても、彼女がそんな悲しみを抱えた若い女性だとはおもわないだろう。
でも街行く一人一人の人たちはみんな、なにがしかの悲しみと共に歩いているのかもしれない。
確かにあ今持っているものが、明日には消えて行くかもしれない不安も持ちながら。
みかげが特別な存在ではなく、すぐそこにいる人として思えてくる。
「キッチン」は連作短編集なので、これからまだまだたくさんのことが起きるのだが・・

作家のデビュー作品には作家のすべてが押し込まれているとは、よく言われること。
「キッチン」を再読してみて、それが本当だと私も思う。というか、全然彼女、変わっていない。
そのことに安堵。
(でもどうしても文章はダメですが、、)
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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