2017年06月13日

吉田晃子・星山海麻「小さな天才の育て方、育ち方」

ユニークな育ち方をした女性と彼女を育てた親についての本。
副頽には「小・中・高に通わなくても大学に行った話」とある。
学校というものについてだけでなく、生きる上での価値観を問う本でもある。
でもこのタイトルはちょっと違うと思う。なにも親は「天才」を育てようとしたわけではないし、子だって「天才」ではない。

中学生のいじめ自殺が後を絶たない。とてもとても痛ましいことだ。
生命力に溢れるあの年代の子どもが、なぜ自ら命を絶たなければならないのか?
さぞ学校に行きたくなかったことだろう。
でも「行きたくない」とは言いだせなかったのだ。学校へは行くものと周りも自分も考えていて、学校に行けない自分を責めていたと思う。
そもそも親に自分がいじめを受けていると伝えていたのだろうか?
もしも親が「イヤなら学校になんか行かなくてもいいんだよ」と思いながら子どもを育てていれば、子どもたちは逃げ場所を見つけることができたかもしれない。
本来なら自分を絶対的に守ってくれるはずの親に、本当の気持ちを言えない子の寄る辺なさを思うと切なくなる。

海琳さんは6歳で小学校入学、その3日後には登校をしなくなった。
学校には自分にとってわけのわからない理不尽なイヤなことが多かったからだ。
彼女が幸運だったのは、そんな彼女を理解してくれる母親がいたことだ。
「人間はハッピーになるために生れてきた」と信じる母は、子どもを導こうとしたり、教えようとしたりは絶対にしたくなかったし、子どもがイヤなことを押しつけようとはしたくなかった。
たとえそれが小・中学校の義務教育であっても。
(義務教育だからこそ、行かなくても卒業証書はくれるんだよね。)

けれど海琳さんはまったく学校に通わなかったわけではない。
デモクラティックスクール(サドベリースクール)に通っていた。
スクールと呼ばれてはいるが、そこには何もない。坐る場所も自由。したいことは自分で決めて好きなように過ごす。誰も教えないし結果を求められることもない。
だから海琳さんは17歳で「大学に行こう」と決心するまで、99もbe動詞も知らなかったという。
その彼女は数カ月の受験勉強で大学入学した!

学校で教わらなかったといっても、彼女が何も学ばなかったわけではない。
第7章の「娘が携帯を持ったのは6歳のとき」の項にあるように、海琳さんの学びは日常のなかにあったし、その方法がなんとも素晴らしい。
6歳なのでひらがなだけのメールを母親とやり取りしていたのだが、ある日学校の16歳の友達から漢字交じりのメールが届いた。
「なんて書いてあるんだろう」、当然彼女には読めない。
ここからがスゴイんです!
「でも『なんて読むの?教えて』と言われていないので、娘の次の言葉を待ちました」。
すると海琳さんは漢和辞典を出して来て母親に辞書の引き方を教えてと言って、一文字一文字の漢字を自分で調べ始めた。
そして返信メールを書くにあたって今度は、国語辞典を引き始め漢字で書き送ったのだった。

親がスゴイ、子もスゴイ。子もスゴイが親もスゴイ。
世の中の母親の口癖の一つに「早くしなさい」というのがある。短気な私なんか子どもがいたら毎日何度も言っていたと思う。
だけkど海琳さんのお母さんは、待てるんですね。
教えたり、自分でしちゃう方がよほど手っ取り早いのに、彼女はじっと待てる。待って見守れる。
これはできないことだと思う。
「親」という字は、「立木のそばで見ている」と書くのだけど、これこそが親なのだ。
もっとも海琳さんの母は世間一般の概念とは違うんだけれど、というかそもそも固定概念など持ち合わせていない人だ。

まだまだ高学歴を良しとする社会に、こうした子育てがあると知ることは、選択肢が増えることではないだろうか?
「みんなが行くから」「みんながするから」と「みんな一緒」はある意味ラクだもしれない。
子どもがそれで満足していればいいがイヤがった時に「本当にそうだろうか?ハッピーなのだろうかの疑念を一度は持ってもいいと思う。
「学校に行かないと学力が不足するのでは」とか「好きなことだけしているとワガママな人間になるのでは」と不安に思う親が多いだろうが、まずその考えをちょっと振り返ってみること。

私のちょっとした知人の娘一家はアメリカのアイダホに住んでいるが、子どもたち3人は誰も学校に行っていない。
道で見つけた植物は植物図鑑で調べるし、カエルの解剖も本やネットを見ながら自分たちでする。
一人一畝をもらって野菜を作っていて、自分で収穫し自分で料理をして食べる。
また、これはアイダホならではなのだろうが、一人一頭の馬を育てて乗り回している。
まぁ日本の教育現場からするとまったく別世界だが、でも彼女たちはこういう子どもの育て方をしたいという気持ちが強かったからこうしているのだと思う。
これも押しつけと言えば言えるかもしれないが、固定観念にがんじがらめになった育て方よりはいいんじゃなないかな?


日本にはデモクラティックスクールだけではなく、シュタイナー学校などもある。
選べることは案外、あるんです。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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