2017年06月15日

水月昭道「お寺さん崩壊」

寺が潰れるという話は最近ときおり聞く。
不思議ではない。むしろ「そうだろうなぁ」と思う。
過疎化で檀家が少なくなった、自由な葬送が増えて寺で葬儀を執り行わなくなった、信仰心が薄れたなど理由はさまざま。
でも私が考えるに、寺に魅力がなくなったことが大きな原因ではないか。
それに魅力ある僧侶だっていない。
いろんなイベントを考えついたり、テレビに出たり、本を出版したりする僧侶はいて、いっときは話題になるがやがて消えてゆく人も多い。
だけど、そういうのと「尊敬できる」のは別の話だ。
つまりは、尊敬できる「お寺さん」がないということ。やはり聖職者には尊敬できる部分が見えないと信頼できない。
少なくとも、「あの寺に行って、あのお坊さんの法話を聴いてみたい」という気にさせる魅力がないということ。

この本にはいかに寺の内情が大変かが詳しく述べられている。
寺の経営基盤となる収入は、葬儀や法事などでぇの「お布施」。それと年会費だそうだ。
ちなみに著者が住職を務める寺は檀家約150軒。そこから上がる収入は、お布施が450万円、年会費が150万円の計600万円。
寺によっては他にエキストラで駐車場代とか副業兼業からの収入もあるらしいが。

600万円あれがまぁまぁじゃないか、プアではないじゃないかと思われるかもしれないが、著者に言わせるといろいろな経費を差し引くと、給料として得られる金額は年200万円にしかならないとか。
著者には「高学歴ワーキングプア」という著書があるのだが、これでは院卒の本人そのものの話としか言いようがない。

大変だなあごは思っても、心底から同情でけいない気持ちも私にはある。
こういう経済状態だと寺を継ぐ子がいないとも書かれているが、そもそもなぜ寺が世襲制なのかが納得できない。
九州にある寺が潰れる際に、土地は元住職の所有、本堂は宗教法人所有となっていて、その処遇があれこれあったと書かれていたが、なぜ寺の土地が住職個人の所有地なのかもわらかない。
宗教法人の税制は、宗教的部分の収入にだけ適用されると言うが、その収入となる「お布施」があまりにも不透明だと感じるのは、私だけではないだろう。
みんなが寺離れした原因はその不透明さにあるはずだ。

乱暴な言い方になるかもしれないが、どんなものであっても未来永劫変化ナシということはあり得ない。それこそ諸行無常なのである。
崩壊するものなら崩壊してみればいい。そこから新しい寺、または僧侶のありかたが見つかるかもしれない。
潰れるのには潰れる理由があるし、存続できるならそれはそれを必要とする人間がいるからだろう。

この本では最後の方に、仏教に関する話が出てくるが、それもなんだか「これまで経済的なことだけ言いたててきたので、ここらでちょっど仏教の話でもするか」というつけ足しのように感じてしまうのは、うがち過ぎだろうか。
私が寺に魅力を感じないのは、寺のケアする範囲がせいぜい檀家までということだ。
もっと大きな範囲でモノゴトが考えられないものか。ワーキングプア、子どもの貧困が今の日本にはあって、そういうことに対する社会的なアプローチがお寺さんには少ないのではないか?
そういう点はキリスト教の活動を見習ってみればいいと思う。
狭い地域社会、それも檀家だけに目が向いていては、今の世のなかで信頼はえられないと思うのだけど。。

でも少ない年収にもかかわらず、著者は仏教に身を投じ続けると断言していることには、心強さを覚えます。
こういう「お寺さん」にこそ期待したいものです。
いっときの人気取りではなく、「尊敬するお坊さん」と慕われるようになってほしい。それこそが寺を崩壊させない道だと思います。
posted by 北杜の星 at 08:09| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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