2017年06月21日

吉村昭「東京の下町」

昭和2年生まれの吉村昭。
東京、日暮里に生まれ育った彼が幼いころを過ごした町の思い出を綴るエッセイ集。

ここには丸々の昭和がある。
子どもの遊びが懐かしい。吉村昭はほぽ私の父親の世代だが、当時と私の小さな頃の子どもの遊びって、そうは違わなかったみたいだ。
それが変わったのはいつ頃からなのだろうか?
昭和40年代か50年代くらいなのだろうか?

私も夫も東京の下町には縁がなくて、山手線でいえば上野から池袋間はほとんど知らない。
あれは根岸かな?洋食の「香味屋」が好きで、そこに食事に行くくらいしか用がなかった。
とげ抜き地蔵にもまだ行く必要はなかったし。

神社の夏祭りも盛んだった。
上野公園だって人気だった。
ハレとケがはっきりしていた下町の生活。
そのなかで吉村昭は映画が大好きだった。昭和10年代からの映画を実によく観ている。
そのせいか彼の将来の希望は映画監督だったとか。
しかし結核で大手術をしてくれた執刀医は彼に、映画監督は無理、どこか田舎で鶏や豚を飼って静かに暮らしなさいいと言ったという。

吉村昭のエッセイや私小説を読んでいるとたくさんの兄たちが登場する。
長男、次兄、三兄、四兄・・いったい何人のお兄さんがいるのといつも不思議だったのだが、ナント、9男1女で育った人なんですね。
ただ一人の娘が彼のすぐ上の姉、そして末息子の間に彼がいた。
一人娘だから母からは溺愛されていた。弟は末っ子で、とても愛くるしい顔をしていたのでこれも母から愛されていた。
彼ら二人にサンドイッチになっていた昭は自分が味噌っかすだということを、よく知っていた。

ある日、彼の家から少火が出た。
兄たちは消火にあたり、姉も弟もすぐに家から逃れた。でも昭はなぜだか悲して寂しくて、喧騒の中いつまでも家の中にとどまっていた。
父の会社の番頭さんがあわてて彼を抱きかかえて外に出たというが、これが次の日に母が兄たちから糾弾されることとなった。
母は「子どもにかわいい、かわいくないが、あるものか」と言っていたが、昭はそのそばでずっと黙っていたそうだ。

家のなかの孤独。
子どもって案外、そういうことに敏感なもの。
でもそうした気持ちはずっと大人になっても消えないのも事実。
私は8歳まで一人っ子で蝶よ花よと育てられていたのが、弟が生まれ、みんなが赤ん坊の弟に気をとられるよになって寂しかった記憶がある。
学校から帰って母親にいろんなことを聞いてもらいたいのに、「あとでね」と言われ、その「後」は来なくて。。
それまでとのギャップがありすぎで、でも本が好きで、本さえ読んでいればなんでもやり過ごせた。

これは吉村昭の個人的な回想エッセイではなく、昭和史としても興味深い一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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