2017年07月18日

江口恵子「普段使いの器は5つでじゅうぶん。」

著者はフード・インテリアスタイリスト。
仕事でたくさんの器と接してきた。
けれどある日ふと気がついた。毎日使う器は案外、いつも決まっている。。
お気に入りの小ぶりな皿は、朝はパン皿、昼はケーキ皿、夜は銘々皿として使いまわしている。
それならば思い切って、器を減らしてみたら?

そう、その通りです。
私を悩ませているのもそのこと。
他のいろんなモノは処分できつつあるのに、好きで集めた器は台所の棚にぎっしり。そのほとんどがけっこう高いお金を出して買った骨董なので、ケチな私はなかなか手放せない。
でもこの著者の言うとおりなのである。
普段使う皿はいつも決まっていて、お客様の時だけのご登場となるものが多い。
しかしそのお客様用だって、どうしても奥から出さなければならないというわけでもないのだ。

5つは無理としても、7つくらいにならないものか?と思うのだが、日本の家庭で食器が多くなるのには理由があって、日本では和食はもちろん、洋食や中華を自分の家で作る。
(こんなことは他の国ではありえないんですけどね)。
だから、多種多様の食器が必要となる。
丼だって、親子どんぶりの丼とラーメンどんぶりの丼は別となると、食器はいや増しに増す。
お椀にしても、普段のお味噌汁の椀と、お正月のお雑煮用の椀は違うしね。

なんとか食器を三分の一にしたい、せめて。。
と、この本を救世主のように手に取った。

たしかに、勉強になりました。
こういうふうに考えればいいのだと、その割り切りかたに感服。
でもどうしてもダメというか、イヤなこともあったかな。
それは、MUJIやIKEYAの食器がどんなにシンプルで使いまわしがきいても、あれらは使いたくないなぁということ。
骨董の肌触りに慣れてしまった私たち夫婦にとって、あれらはあまりに質感も情緒も無さ過ぎるような気がする。
お椀だってちゃんとした塗りのものを使いたい。

あの高峰秀子は歳をとっての台所仕事がラクになるようにと、食洗機に入れられない食器を手放したそうだ。
あんなに骨董が好きで自ら「ピッコロ・モンド」という骨董店を持っていたほどの目利きの人だというのに、さすがだなと思う。
その彼女のきっぱりさが、私にはないんですよね。

飯椀、汁椀、丼、大皿、スープ兼用のパスタ皿、中・小取り皿、小鉢、湯呑、グラス(これだって水、ワイン、ビール、シャンパンと種類があるのだけど)、あとはお客様時の大鉢と特大皿。
これくらいで収まるようにできればいい。
皿はみんなが同じお揃いでなくても、普段自分たちが楽しめるように別々のものでも構わない。

よーし、頑張ってみよう!
ある断捨離の本に「モノは7割を減らさないと、目に見えて減った感じはしない」とあったが、7割は最終目的として、まず半分。
問題はその処分する食器を、売るのか、だれかに差し上げるのか、それとも捨てるのか?
うーん、捨てるのは悲しい。。売るのは面倒。もらってくれる友人を探してみましょう。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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