2017年09月07日

帚木蓬生「ネガティブ・ケイパビリティ」

帚木蓬生は精神科医であり作家でもある。この本は本職の精神科医として書いたもの。
頁を開いて、驚いたのなんのって!
ジョン・キーツのことが書かれていたのだ。
ジョン・キーツ!
私が10代の頃、私淑していた英会話の先生が19世紀イギリスロマン派の詩を教えてくれた。
テニソン、ワーズワース、バイロン、シェリーなどとともにジョン・キーツがいた。
当時でさえロマン派の詩は私にとっては古典的で退屈だったが、どういうわけかキーツだけには心惹かれるものがあった。
清らかな静けさのなかに強い情熱が垣間見れた。

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは「負の能力」。つまり「答えの出ない事態に耐える力」なのだそうだ。
そしてこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を最初につかったのが、誰あろうジョン・キーツだという。
能力というと、何かがどんどんできることと普通は考えられている。でも人間はいつもそのような元気な身体や精神で居続けるわけではない。
どうしようもなく落ち込むときも、体を壊して思うように動けない時もある。
そうした場合には、ポジティブ・ケイパビリティを脇に置いて、「負の能力」で生きると、ラクになるのではないか?
それは貧苦と病と思うようにいかない恋愛に悩んだジョン・キーツの生き方でもあったのだ。

これを読んで、私がなぜ10代の頃、ジョン・キーツが好きだったのかわかったような気がする。
若くて人生経験が少なく、うまく言語化できなかったが、私も幼い時から体が弱く、ジョン・キーツを教えてもらった当時、彼と同じ結核を患い落ち込んでいた。
同級生たちはあんなに健康で勉強や遊びに夢中になっているのに、なぜ自分だけが安静を強いられ、みんなと隔離されなくてはんらないのか?
孤独だったし、焦ってもいたし、理不尽さに耐えられなかった。
そんなときのキーツの詩は私にとって慰めだった。何が慰めかというとそれは彼の詩から感じられる「想像力」の力であったと思う。
どんな状況であって「想像」の翼を持つことはできる。その力をキーツから学んでいたと、今ならわかる。この本を読んでますますわかる。

1969年、私はローマに行った。そこで最初に訪れたのが、「ローマの休日」でオードリーがアイスクリームを食べていたあのスペイン広場。
広場が目的ではなくて、階段の脇にある「キーツ・シェリー博物感」に行くためだった。
キーツはその建物で結核の療養をしようとしたのだが、時は遅く、25歳の若さでローマでそこで客死。
彼の墓は同じくローマで死んだシェリーと共に、ローマ旧市街の入り口にある城壁のとこrのピラミッド側のプロテスタント墓地にある。
墓地の端っこに墓石が建っていて、墓碑銘はなく、
「Here lies one whose name writ in water」とだけ書かれている。
キーツらしい清楚な墓だった。

帚木蓬生もジョン・キーツの足跡を追うためにローマを訪れていて、キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」に想いを馳せている。
帚木蓬生は大好きな作家。その彼が大好きだった詩人とこう繋がったのかと、とても不思議なような、でも筋道を辿ればよく理解できるような、そんな一冊だった。
この本との出会いは「縁」です。
50年来の謎が解けた気がしています。

余談ですが、ジョン・キーツって、イケメンなんですよ。
若く死んだために若い頃の肖像しかないので、なおさらに。
10代の私ははミーハーで、そんなキーツだから惹かれたのかもしれませんね。
醜男だったら、あんなに好きになっていなかったかも。

でもこの「ネガティブ・ケイパビリティ」というのは以前から私の中に根強くあったのは確かで、私がもっとも「こうなりたい」と願っている人間像は、社会的に成功することでも、元気でイケイケ・ドンドンの暮らしでもなく、以下のようなもので、これは誰かのエッセイで読んだ実在した人のことなのです。
「寝たきりのおばあさん。彼女は口はきけるが手足を動かすことができない。毎日午後3時になると、お嫁さんがおばあさんの口に一粒のゴディバのチョコレートを口に含ませてくれる。おばあさんはそれが楽しみで楽しみで『なんて自分は幸せなんだろう』と思う。そして幸せを与えてくれるお嫁さんに感謝し、彼女のために何かをしたいと思うのだが、体の自由がきかにので何もできない。だからそのかわりにせめて「お嫁さんが毎日ハッピーで過ごせるように」と一生懸命に祈っている」
・・という、尊敬する人間像としてはあまりに消極的かもしれないが、私はこれは究極の幸福論だと受け止めている。

こんなおばあさんのような人間になりたい。
「なりたい」と言うことは、なれない自分がわかっているからなのだけど、これこそ「ネガティブ・ケイパビリティ」の典型だと思う。
若い人たちは閉塞感に苦しみ、高齢者は歳をとる重みに苦しんでいるが、そうしたなかで「負の能力」があれば、なんとか乗り越えられるのではないだろうか。
この本、本当に私にとっては「再会の書」でした。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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