2017年09月26日

温又柔 温又柔「真ん中の子どもたち」

第157回芥川賞候補作品。
選者である宮本輝のこの作品に対する選評が物議をかもしてていたので、興味を持ち、読んでみなくてはと借り出した。
宮本氏は「日本人の読み手にとっては対岸の火事で、同調しにくい。(略)他人事を延々と読まされて退屈」というのがその選評だ。

これはあんまりの良い方ではないかと思った。
小説うとはパーソナルなことを書くもの。それが日本人であっても他国の人であっても、それを「対岸の火事」とはどういうことか?
それならすべての文学は「対岸の火事」である。
いくぶん作者に同情しながら読み始めた。

台湾人の母と日本人の父のあいだに生れた主人公が、母語を何にするかを模索しながら、自分のアイデンティティを確立するというのがストーリー。
19歳から20歳までを上海に語学留学した彼女の友人たちとの交流を通してのあれこれが綴られ、やがて彼女が中国語教師となった時点で終わっている。
うーん、他人事とは思わないし、他人事であってもかまわないのだけれど、「同調しにくい」のも「退屈」ななのも、宮本輝の言うとおりではあった。
小説中にでる中国語と( )の中に訳された日本語があまりに多すぎてうっとうしいし、そのあたりに作者の独りよがりを感じてしまう。
それになりより、構成、文章、人物描写、すべてが稚拙。
母親も父親も描けていない。
宮本輝に100%賛成してはいないが、「対岸の火事」としか思えないのは、この作者の責任だと思う。

もしこれがもっときちんと書かれていると、もっと感情移入させられたと思う。
それをさせてくれないのはこの小説の大きな問題点ではないだろうか。
これを読んで、「この本、良かった」と思う一gあいるとは私は考えられない。
これを読まされた選者たちが気の毒になるくらいだ。
前段階でもっと、作品をふるいにかけるべき。

・・と、酷評となってしまって申し訳ありません。
私がこの作品の良さを読みとれなかっただけかもしれないので、どうぞご自分で読んでみてください。
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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