2017年10月03日

大山ちこ「エンディングノート」

第25回やまな文学賞受賞作品。

やまなし文学賞といってもご存知ない方が多いかもしれないが、小説と評論の2部門に分かれていて、私は評論の方は一度も読んだことはないのだが、受賞小説は毎年、山梨日日新聞社から発刊され、地元だからここ北杜市のライブラリーの所蔵書物となっている。
忘れてしまうこともあるが、できるだけ読むようにしている。
三浦哲郎も津島佑子も亡くなって、現在の選者は坂上弘、佐伯一麦、そして新しく加わった長野まゆみの3名。
選者の顔ぶれを見てわかるように、純文学系の作品が多いようだ。
「やまなし文学賞」と銘打っているが受賞者は山梨県人とは限らず、全国からの応募がある。

正直を言うと、この「エンディングノート」、最初はどうも気が乗らなかった。
テーマにどうも腰が引けたからだ。
二人の兄弟は両親の離婚を経験し、後に父の突然の孤独死にも遭う。
家族がいなくなっても自分が存在する。しかしその存在は無意味ではないのか?
自分が何の約にも立たないと気付き、もっと楽しく生きられるなら別だが、そうでなければと、弟は25歳に自ら死ぬことを決意していた。
それを知らされていた兄は、弟の25歳の誕生日に弟と母の住む町に帰省する。

兄はなぜ弟の自死を止めようとしないのか?
どこかで本気にしていないのか?いや、そうではないのだと思う。彼は知っていた。弟が死を決行するであろうことを。
生きることを見守るのと同じ気持ちで、兄は弟の死を見守ろうとしたのか?
「これから僕の明日はどんな明日になるのだろうか」。残された兄は何を抱えて生きるのか。。

淡々とした文体。熱さのない兄と弟の会話がイマドキといえばイマドキだ。
でも虚無ではない。ここにあるのはやはり絶望感なのだろうか。
それにしては重く塞ぐ気分ではなく、うまく言えないのだけど、ホッとする感じも私にはあった。
家族に対する無力感しか、弟にはなかったのだろう。それに対し為す術のない兄はただ弟を見ているしかなかった。
(弟をラクにしてやるのは、この方法しかないと傍観したのだろうか)。

主人くである兄の大学時代の友人のエピソードは、巧い挿入部だと思う。
その友人は、あいさつをするのが嫌いだと言う。なぜなら「あれって、次の会話に繋ぐクッションみたいなものだろ?あいさつをしちゃうと、その瞬間に俺は自動的に相手を受け入れてしまうんだ」。
それが会話の苦手な友人にとってはすごいストレスになるのだと言う。
けれど弟と最後に別れた兄は、何年かぶりに友人の携帯に電話をかける。
そして彼が今は結婚し子どももいることを知らされる。いまだにあいさつは嫌いのようだが、「このくらい踏ん張らないと」と自分に言い聞かせていると聞いて、電話を切ったあと、兄は「声を殺して泣いた」のだった。

踏ん張って生き延びられる人間もいる。
踏ん張ることをはなから拒絶した人間もいる。
読了後、深い想いに沈む一冊だったが、作者の文章の見事さもあって、満足度はとても高かったです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☔| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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