2017年10月17日

内田洋子「12章のイタリア」

台湾に出発する時は夏服だったのに、帰るとまるで冬。衣替えをしたけど、この雨。。
紅葉も始まって、ちょっと浦島太郎気分です。

内田洋子の新作エッセイ。
彼女のイタリアに関するエッセイはイタリア事情がよくわかるものだが、どれもエッセイの域を超えて、短編小説のように人間模様が描かれている。
在イタリア40年以上の間に出会ったさまざまな人たちの、その土地に住む幸福も不幸も鮮やかに切り取りとるその文章は過剰な思い入れがなく淡々としている。
自身の体験でありながら黒子のように自分を前に押し出さない書き方はどこか日本的ですらある。

けれどこの新刊には、彼女自身のことがかなり書かれている。
高校生の将来の進路が決まらない頃、テレビで放映された映画「ブラザーサン・シスタームーン」を観た。
見知らぬ外国の景色を目の前にして唐突に「海の向こうに行ってみよう」と思ったという。
その映画は聖フランチェスコの青年時代を描くもので、舞台はイタリア中部のウンブリアだったと後に知る。
東京外語大学のイタリア語科に入学するが、当時イタリア語はまだマイナー言語。完全な伊和辞典すらなかった。
イタリアに接したいと思ってもチャンスは多くない。デパートで催される「イタリア展」に出かけてイタリアの食べものや工芸品からイタリアの匂いを嗅いだ。

大学生の時にナポリ大学に1年間の留学。
しかし前年にナポリは大地震に見舞われていて、街は混乱。大学の授業もなかった。
日本に戻り大学を卒業。やっとちゃんとした伊和辞典が出て一心不乱に勉強するが、イタリア語での仕事はほとんどなし。
そんな彼女を救ったのが、またまた映画だった。
今度の映画はタヴィアーニ兄弟監督の「カオス・シチリア物語」。
100年前のしちりを舞台にした暗く重いテーマのオムニバス映画。彼女は俳優が話すイタリア語が全然わからなかったそうだ。
(私はこの映画が大好きで映画館で3回か4回観た)。
この映画の最後の編に、それまでとは打ってかわって、青い空と海、白い砂浜がきらきら太陽に輝くシーンがあるのだが、それを観て彼女は「海が待っている。海の向こうに行かなくては」と思ったのだ。

映画の力ってスゴイですね。
もともと「洋子」という名前は彼女のお祖父さんが、大海原に出て行く人間になるようにと名付けてくれた名前。
日本を出る運命を持つ人だった。

イタリアに行っても仕事はない。でも彼女はへこたれなかった。仕事がないなら自分で仕事をつくればいい。
そうしてミラノで通信社を立ち上げて、イタリアのニュースを日本に伝えるようになった。
・・そしてエッセイストとして活躍をするようになった。

それにしても、いろんなところに住む人だ。
ミラノはもちろん、リグーリアの船を買って船上生活をしたこともあるし、同じリグーリアの寒村にも住んでみた。フランスとの国境の丘の上にも住んだ。
そして今、ヴェネツィアの離島に家を借りて住んでいるらしい。
そのヴェネツィアの街の古本屋のショーウィンドーにある朝、ウンベルト・エコーの等身大の写真がかけてあるのを見つける。
近くのバールに入ると、そこでエコーが亡くなったことを知った。
エコーとはかつて知人から招かれて食事を共にしたこともある。物静かで博識の大学教授だった彼はしばらくして「薔薇の名前」の作者として世界に名を知られる作家となった。
小説を読まないイタリア人でさえ、イタリアの誇りと、エコーを敬っているそうだ。

このエッセイ集には「本」に関する記述がたくさんある。。
古書店、古書市、作家や評論家たちのこと・・
読書をしないという印象のあるイタリア人だけど、どこの国にも本好きはいるんですね。
そういえば、街や村で時々い「本市」が開催されて、地元の人たちがたくさん集まって見ているのを思い出した。
子どもから老人までずいぶん熱心に見ていた。古本や古い地図などの掘り出しものもあるのかもしれない。
もしイタリアに行くことがあれば覗いてみよう。

この内田洋子もとても素敵な一冊でした。

posted by 北杜の星 at 08:06| 山梨 ☔| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。