2017年10月31日

森下典子「こいしいたべもの」

誰にも懐かしい味がある。
昔、母が作ってくれた食べもの、いけないと言われながら友達と買い食いした祭りの屋台の味、我が家とは違う形態で驚いた一皿・・
あれは本当に美味しかったのか?今となってはわからない。
私の小さな頃はまだ戦後の混乱が残る時代、食料難からは脱していたもののまだまだ食卓は貧しかった。
そんな頃の食べものが美味しいはずはないと言われれば、そうかもしれない。
でもあれらの味は、幼い自分が絶対的に両親に守られ、何の苦悩も心配もなく、ノホホンと暮らした幸せの味だったように思う。
森下典子さんにもそのような味があった。それを過度な感情移入なしに静かな筆致で書いているのがこの本。
文章だけでなくイラストも彼女の作で、これがとっても素敵。
写真よりもイラストの方がより伝わるもものが多い場合があるが、この本はまさしくそうで、文章とイラストの合体が大成功。
森下さん、絵がお上手なんですね。雰囲気、すごくいいです。

「こいしい」「懐かしい」のは、それがもう戻ってこないから。
家族で食べたあの料理は、兄弟姉妹が結婚して家を出たり、親が亡くなったり、時代の変化などで、作られなくなってしまう。
典型的な中流家庭の森下家でも、その移り変わりは否めない。
(この「中流」という表現は難しいモノがあって、欧米の「中流」ではなく、あくまでも日本の「中流」です。)

ずいぶん料理好きなお母さんだったのだなと思う。
何かあるとお父さんは「うんまいものが食べたいな」と言ったという。うまいものではなく、うんまいもの。
そんなときお母さんはいそいそと台所に立ち、散らし寿司などを作ったそうだ。(散らし寿司がさっとできるなんてスゴイです。私なんて「さぁ、来週は散らし寿司を作るぞ」と大決心しないとつくれないけど)。

家族の食べものには歴史がある。
父の焼きビーフンには、海軍だった父が南方の戦場に行く途中、アメリカの魚雷攻撃を受け海に漂流後、助けられ九死に一生を得た経験に繋がっていた。
焼きビーフン、つい最近友人と焼きビーフンの話しをしたばかりだったので、ついこの文章を読みこんでしまった。
ビーフンがどのように作られるかもここで初めて知った。

どれほど心がこもり手の込んだお弁当であっても、前の席の男の子が毎日パン屋で買ってくる「コロッケパン」が羨ましい。
その男の子は彼女の色とりどりの手作りお弁当が羨ましいのだけど。。
だからお母さんが風邪でお弁当が作られない時に、お金を持たされて買った「コロッケパン」のなんて美味しかったこと!

「こいしい」は「せつない」のですね。これを読んでいるとなんだか涙ぐみそうになってくる。
失ったものへの愛惜。。
でもそれが確かにあったという幸福感はずっとずっと消えないはず。
心がほんわりの一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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