2017年12月28日

南木佳士「家族」

つい最近、若い友人と佐久総合病院の話しをした際に、ちょっと南木佳士の話題にも及んだ。
ちょうどその時にはこの本を読んでいたのだが、そのことを言いそびれてしまった。
彼女は佐久に習い事のために通っていて、佐久周辺の出来事を知る機会があり、南木佳士のことも耳にしたようだ。
彼が精神を病んだことも、そんな彼を支えて人たちのことも知っていた。

これは点字本で再読したもので、表題の「家族」を含む中編2つと短編2つが収められている。
群馬の寒村に生まれ、母を幼くして亡くした彼は祖母に育てられるが、こんな村で人生を埋もれさせたくないと、当時東京に継母と住んでいた父の社宅に中学2年から移り住み、1年浪人の末に秋田大学医学部に入学。医師となり、佐久総合病院の内科医として勤務。
しかし肺がんの専門医として多くの患者を看取った彼は心を病むようになる。

繰り返しその経緯を描いてきた南木佳士だが「家族」では、死にゆく老父を軸としてそれぞれの家族の立場から描く構成となっていて、lこれは南木作品としてはめずらしい。
父本人、継母、姉、そして自分自身。
徹底して父を軽蔑し、継母を嫌った彼なのだけれど、そこは作家。主観だけでなく客観的にも家族を見ていたのだなと感じる。
「あんたのようなサラリーマンだけにはなりたくない」と言い放ち、野心の塊となって医師の道を選んだ彼だが、その部分には偽悪的な表現もあるような気がする。

父は確かに小心者だったがもしれないが、それは戦争体験から自ら「弱者」として生きようと決めていたからだ。
「弱者」ではなく社会の「強者」になろうとした主人公にとっては、父は大いなる反面教師だったことだろう。
(しかし、主人公自身が息子の反面教師となるのだから皮肉なものだ。息子は医師というエリートであってもウツとなり、一人で居ることもできない父を見て、医師にはなりたくないと、生物学の道を歩むことになる)。

そんな父が老いた。老いて寝たきりになり群馬の村から長野県の自宅にやって来た。
そのようになってもどうしても優しい言葉もかけられないい。
介護する妻は体重が40キロを割り疲れ切る。
そしていよいよ最期の日が近づき、彼は父を村に連れ帰る。。

家族の確執の大きさって何だろう。
彼のかたくなさを思う時、いったい父の何が許せなかったのかと、許せなかった彼の人生のしんどさを思う。

他の中編「さとうきび畑」もなかなか良かった。出会った
精神を病んでいた時期の彼が中島義道、中島の師である大森荘蔵の哲学と出会い、ある意味で救われた話しが以前読んだときにも心に残った。
私は南木佳士を読んでから、大森哲学を読むようになったのだが、その時間軸に関する考察には共感するものが多かった。
「さとうきび畑」には面白いお婆さんが登場する。
80歳を超え、皮膚のしわの奥までまで日焼けした農婦だ。
彼女が彼の元に診察を受けに来て、彼の机の上に一冊の岩波文庫を置く。
見ると、ローマの5賢帝の一人、マルクス・アウレリウスの本だった。
「あんたの本は10冊ほど読んだけど、どれも過去ばかり向いていて良くない。これを読んでみろ」と老婦は言う。
彼女はその本を、農村婦人部の読書会で読んそうで、風呂を焚くときに開いていたせいか、ところどころ焼け焦げていた。
(このれアウレリウスの「自省録」で訳者は私の敬愛する神谷美恵子です)。

私はこれに強烈に驚いた記憶があって、今も忘れらないのだが、農村婦人部の読書会でアウレリウスを読むなんて!
さすが教育県で名高い長野県のことはある。
南木佳士もエッセイでたびたび群馬県人と比べて長野県人の理屈っぽさと書いているが、本当に恐れ入る。
インフォームド・コンセントにしても、きっちりロジカルに説明しなくては満足してもらいないそうだ。

南木佳士の小説を初めて読むという人にはお勧め。
そして彼のファンにとっても、複眼的に書かれているこの本、興味深いものがある。
再読して良かったです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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