2017年12月29日

宮田昇「小尾俊人の戦後」

本が好きなので、本を作る出版社も大好きだ。
とくに好みの作家を扱う出版社には感謝をしつつ、敬意を払っている。
というのは私の好みの作家はどちらかというと純文学系なので、売れるとは考えにくいからからだ。
出版界の現状を考えると心細くなるが、それでも頑張る若き出版人たちはいる。
例えば吉祥寺にある「夏葉社」などは、そのちょっとレトロで静かな本のラインナップを見ると、応援せずにはいられなくなる。
売れ筋とはほど遠い本を、「とにかく好きだから」と出している印象があって、うれしくもありヒヤヒヤもしている。
(最初「夏葉社」と聞いたときは、今はもうなくなった「冬樹社」のパロディかと思った。「冬樹社」は坂口安吾や山川方夫全集(現在は他の出版社に引き継がれている)などで有名だった、)。

出版人にはどういうわけか信州出身者が多い。
教育県と言われた長野だからだろうか。
三省堂、三笠書房、理論社、光文社などもそうだが、代表的なのは岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、そしてみすず書房の小尾俊人。
筑摩とかみすずというのはいかにも信濃の国らしいネーミングだが(みすずは信濃の国の枕詞)、みすず書房の名は違う出所らしい。
私はずっとみすず書房の創業者である小尾俊人のことを知りたいと思ってきた。
彼の森?外に関する書物は以前に読んだことがあるのだが、ほとんど覚えていないのが情けない。
小尾は自らも書いた詩、編にも携わった。

みすず書房は私の「先生」なのだ。
みすず書房によって私は「人文科学」とは何かを教えてもらった。
歴史、西洋思想、文芸、社会史など、もしみすず書房が存在しなかったら、私はこれほどの本好きにはなっていなかったと思う。
系統だって本を読む喜びをみすず書房は私に与えてくれた。
もっともみすず書房の本は出版数が少なく値段が高いので、若かった私にはなかなか買えなかった。でもだからこそ購入したら何度も何度も繰り返し読んだ。

小尾俊人は1945年(昭和20年)、敗戦復員のその年に出版社を立ち上げた。
資金も人脈もなにもなかった。そもそも日本には食べるものすらなかったのだ。
苦労は並大抵ではなかったはずだが、人々は食べものだけではなく、知識にも飢えていた。
けれどみすず書房は大衆路線は歩まなかった。かといってアカデミックで高邁すぎる道も選ばなかった。
学術的ではあるけれど裾野を拡げるための本を出版し続けている。
文芸本にしても小島信夫の初期作品とか、庄野潤三の初期作品とか、どう考えてもベストセラーになるとは思えない作家選びをしている。
みすず書房の名を高めたのはなんといっても、アウシュビッツ体験を書いたフランクルの「夜と霧」だろう。
おそらくみすず書房の歴史のなかでこれがもっとも売れたと思う。
私にとってはメイ・サートンの「独り居の日記」も忘れられない一冊だ。

この本の著者は翻訳をする人で、長く小尾俊人とともに仕事をしてきたという。
昨年みすず書房から発刊されたこの本、全400ページ余りを読むには私の目は限界で、三分の一をやっと拾い読みしたような状態なのは、著者には本当に失礼で申し訳ないのだけれど、手に取れて本当によかったと心から思っている。
ご高齢にもかかわらずこのような労作を成し遂げられたことに敬意を払います。
小尾俊人の墓は茅野市にあるそう。
茅野のどこなのか?
私は蓼科に通っていたので茅野の町には詳しい。墓前にまでは行かなくとも、寺の前で手くらいは合わせたいものだ。
それほど小尾俊人、みすず書房は私にとって人生の指標となってきた。
作家と出会う幸福と同じように、出版社と出会う幸福もある・・そのどちらも持てた私の読書人生、悪くないなぁと自賛しています。

posted by 北杜の星 at 07:50| 山梨 ☀| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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