いまでこそ、地方にちょっとした美術館はたくさん出来ているが、「信濃デッサン館」はそのはしり。
著者の窪島誠一郎はそこのオーナーである。
というよりも、今や、観光バスが連なり止る、戦没画家たちの絵を展示する「無言館」の主、というほうがわかりいいかもしれない。
窪島が亡き作家、水上勉氏の息子、というのは周知の事実だが、その彼が幼き日々から青春期を、靴職人の養父母と過ごしたのが「明大前」
名前のごとく、明治大学の教養学部があるところ。
昭和二十年代の戦争を引きずっていた時代、三、四十年代のエネルギーに満ちていた時代。
この本は、戦後昭和の東京の歴史そのものである。
あんなにも日本は貧しかったのだ。そしてそれはついこの前までのこと。
東京オリンピックのための道路拡張や区画整理など、町は変わった。
けれどそこには決して変わることのないものもある。
そこで少年時代を送った窪島には、思い出すことも、思い出したくないことも含めて、すべてがいとおしいに違いない。
彼は二十代始め、小さなスナック「塔」を開く。
明大前には俳優、編集者、文化人などが多く住んでいて、店は流行る。
深夜営業のレストランに変えたところ、それも当たった。
二十代後半で、成城に家を持つ。成功した「事業家」である。
しかし彼はどこか芸術的なものに憧憬を持っていて、「水商売」にあきたらず、レストランの二階に演劇や美術のための貸しギャラリー、貸しスタジオを作る。
そこから、絵を扱い、売買するようになった。
個人的には、夭折画家の作品を収集し始めた。
この本には、その間の仕事ぶり、奥さんとの出会い、養父母との確執、実父が水上勉であることを知り、35歳で会うまでのこと(これは彼の別の著書「父への手紙」に詳しい)、などが細かに綴られている。
著者とは、信濃デッサン館が出来てすぐの頃、お会いして言葉を交わしたことがある。
サンダルをつっかけた、大きな人だった。
まだ水上勉の息子とは思ってもいない頃、ある人から「あんたは若狭顔しとる」と言われたことがあるらしいが、確かに実父似だった。
でもなんだろう、こう言ってはなんだし、これを読んでも感じることだが、何かが臭う。
私のそういうことには敏感な鼻が、どうも「胡散臭さ」を嗅ぎ取ってしまうのだ。
第一、私は「無言館」のあの「料金システム」がどうも嫌いだ。
意識して作ったのだろうが、霊廟みたいな建物も嫌いだが・・。
見終わってから出口のところで、「いくらでも」「思し召し」のように、お金を支払う。
定まった料金というものがないのである。
ボランティアでやっているのならわかる。でも営利目的の経営なのだ。それはちょっとおかしいと思う。後味が悪かった。
頑張ってきた彼の人生はみとめなくはないけれど・・。
まっ、これは私の見解なので、正しいわけではないし、この本の「明大前」という興味が薄れるわけでもないことは、書いておこう。
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