「火照沁む夕日の潟」「夏の終わりのアイオーソ」「月曜日のバッハ」「いっちゃんの守護霊」「ブラ子の時間」「サトウキビ畑」
6つの短編集。
ヴァラエティに富むストーリーだが、共通しているのは、遠い思い出、喪失感、再生か。
失礼な言い方かもしれないが、こういう無名の作家の作品を読むのが好きだ。
とくに地方に住んで、仕事を持ちながら、ずっとものを書き続ける人の、書くことへの思いの強さに心惹かれる。
希望や挫折もあるだろうが、それら一切を乗り越えて書かずにはいられない・・それはとても尊いことだと思う。
そうした作品に偶然出会う歓び。
この「月曜日のバッハ」は、私にとって幸運な出会いだった。
「火照沁む夕日の潟」が好きだ。
有明海から少し外れた村落の母の実家は古い寺で、主人公の少女は6歳までをそこで過ごした。
祖父亡き後祖母と番僧一家が寺を守っていた。
寺には片付け仕事にトンヤンという男が時折来た。
トンヤンの嫁さんはライ(ハンセン病)を病んでいた。
少女が聞く初めてのライという言葉とその意味。
そして少女が経験する祖母の死、トンヤンの死・・
九州の田舎の風景が、少女にとっての原風景となるだろう過程が、瑞々しく描かれている。
「夏の終わりのアイオーソ」は、まさしく再生の物語だ。
結婚し娘を育てながら教師を続ける「わたし」は疲れ切っている。
外では共働きの大変さを理解しているように言う夫は、皿洗いひとつ手伝おうとはせずTVを見ている。
娘は反抗期だ。
次第に「わたし」はウツになり拒食となり、気がつけば手首を深く切って病院のベッドにいた。
夫や娘の見舞いもうっとうしい。
「わたし」を慰めるのは、キリスト者である医師の叔父と、病院のレストランで出会った青年だけだった。
誰にでも起こりうる「わたし」の苦しさが、こちらにリアルに伝わってきて、彼女の元気の取り戻しを願わずにはいられない。
それにしても家族が癒しではなく、諸悪の根源だなんて、痛ましい。
人間、あんまり頑張りすぎてはいけない。耐えてはいけない。壊れてしまう。
こういう小説がよかったら、なんだかすごくトクをした気持ちになる。
ただ筆名の「山科紫音」というのが、ちょっと恥ずかしい。
本名の「草葉直子」の方が良いと思うのだけれど、本名を使うというのが差しさわりがあるのだろうか・・


