2017年05月29日

浅田次郎「帰郷」

戦争で大切な日常を奪われた人生を描く6編の短編集。

戦争を扱った小説や映画に接するときには、気をつけなければならない。
戦争の苦労をお涙頂戴でこれでもかと描くものには、とくに注意が必要だ。
それらはともすると戦争の悲惨さを前面に出しながら、じつは戦争を美化するものもあるからだ。(あのH氏の小説なんて、そうですよね)。
さいわい、私にはそういうものに対するちょっとした嗅覚があって、というか元々が疑い深いし批判精神も旺盛なので、「胡散臭いなぁ」と感じてしまうところがある。
まぁ、本能的なものかもしれない。

しかし浅田次郎の反戦小説はホンモノのような気がする。
根っこのところで信頼できる反戦小説を書く作家だ。
「でも、ハッチさんのこのブログで、浅田さんを取り上げたことって、ないじゃない?」と言われると、そう、その通りです。
嫌いなわけではない。まったく読んでこなかったわけでもない。
なんというか、私の好みからすると、ほんの少しエモーショナルなところが強すぎるんですね。
それに浅田次郎は大流行作家さん。私なんかが読まなくてもたくさんのファンを持っているから、そうした人が彼の小説について書けばいい。。そう思ってあえて書かずにいたところがある。

でも久しぶりに読んだ浅田次郎。
表題の「帰郷」は、終戦後の街娼と帰還兵の出会いのお話しだ。
どんな事情か新宿の闇市のそばで客を引く女。うずくまって煙草に火を点けているところに一人の男が声をかける。
客としてではなく、男は女に自分の話を聞いてくれと言う。
彼は信州のある場所の大地主の跡取り息子の庄一。
父親が手をまわして兵役を免れていたが、結局は戦線に送られ、玉砕の戦地から生きて日本に戻れた。
残してきた美しい妻と娘、出兵したとき妻のお腹にいたまだ見ぬ子どもに会うのだけを願って、故郷に帰ろうとするが、到着した駅で偶然会った義兄からとんでもないことを知らさせる。
故郷では庄一は死んだことになっていたのだ。
誰を恨むわけにも憎むわけにもいかない寄る辺なさ。
居場所を失った女と男の行く末は。。

といういのがあらすじ。
ええっとですね。悪くはないんです。悪くはないんだけど、どこかで読んだことがあるようなストーリー。
ゆっくり進んできた話が最後の2ページでトトトッとすごい速さでエンディングなってしまうので、余韻が残らなさ過ぎる。
他の短編も悪くはないんだけど、やはり知っているお話しのよう。。

でも戦争を描くのは大切なことだと思う。
戦後70年以上経過して、戦争体験のある人たちがめっきり少なくなり、戦争が風化しつつある現在、戦争について考えることは必要だ。
戦争はなぜ起きるのか?戦争はなぜいけないのか?
そしてこの「帰郷」に描かれる人たちの戦争によって失われるものの大きさを。
そういう意味でこの本、読んでよかったです。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

牛久保秀樹・村上剛志「日本の労働を世界に問う」

日本人は昔から働くことを美徳と考えてきた。
たしかに一生懸命働くことで経済が発展し、この国の人々の暮らしは楽になった。
でももう、そんなに働かなくてもいいじゃないか?
ましてや過労死するまで働くなんておかしい。
疲れたら休まなくっちゃ。

・8時間労働制
・労働の「結社」の自由
・週休制
・児童労働の禁止
・同一労働同一賃金
・・

上記してあるのは第一次世界大戦後につくられたILOの条文である。もう100年近く前のものだ。
ILOとは「国際労働機関」のことで、世界の労働者の生活水準の向上、労働条件の基本的人権の向上などをはかる国際組織である。
世界中を見わたせば、上記の項目がすべて実施されているのではにのは明らか。
この本のサブタイトルは「(日本が)ILO条約を活用する道」というもの。ということは100年たってもまだまだ日本でILO条約が守られていないということだ。

今年になって政府は経団連との協議で、残業時間の上限を決定した。
なんとそれが、一カ月100時間!
上限が決められただけ「進歩」と評価する向きもあるが、トンデモナイ。
これは政府が「過労死せよ」と言っているようなものだ。

労働時間だけではない。非正規雇用、賃金の不平、解雇の横行など不当労働行為がたくさん起きている。
労働組合は以前ほどさかんでないので、誰も守ってくれない。
自由に生きるために働くのが本来の目的のはずなのに、労働に自由はないし、長時間労働の果てにあるのが過労死、ウツの発症だとすれば、なんて悲しい人生なのだろう。

でもこれは経営側だけの問題だろうかと、私は日本人を見て疑問に思うことが多い。
有給休暇が権利として認められていたり、育児休暇があるのに、それを利用しない人がたくさんいるからだ。
それは「権利」ではない。これまで誰かがそれを得るために働きかけ闘って得た貴重なものなのだ。そう考えれば「権利」ではなく「義務」なのではないか?
ヨーロッパでは「休まなければならない」という義務なのである。

私は言いたい。
日本の労働者、とくに上に立つ役職者になればなるほど、休暇をとるべきだと。
そうでないと下の人は上司に遠慮して休めない。
残業をしたり、休日返上で働く勇気より、帰宅する勇気、休む勇気をみんなで持てばいい。

自営業の人でも、ヨーロッパでは長時間店を開けたり夏休みもとらずに働いていると、客や近所の人たちの顰蹙をかう。
抜け駆けのように働くことはけっして美徳ではなく、恥ずかしいことなのだ。
そういう意識を日本人が持てるようになれば過労死はなくなるのだろうけど。。

そういう意味で私の夫はちょとリッパだった。
若い頃10年近くイタリアで仕事をしていたので、働き方がイタリア風になっていて、残量はしない、きっちり休むを徹底させていた。
打ち合わせを午後1時からと設定されると「それではランチの時間がなくなると、1時半とか2時からにしてもらっていた。
NOと言える人。奴隷にならない人。追従しない人。それだけは褒めてあげたい。
そのため収入は自営であってもそれほどではなかったが、人生を大いに楽しめたし、なによりありがたいのは体に負担をかけていないので、70歳を過ぎてもとても元気。
高血圧、糖尿病、痛風、高脂血症などの成人病とも無縁。
人間の体と心は自分で守らなければ誰も守ってくれない。
社会を変えるには自分の意識を変えることも必要なのではないだろうか。
横暴な雇い主には全員で団結して「NO」と言えるようになればいいと思うのだけど。

私が毎月お世話になっている美容師さんは、あまりの忙しさにお昼ご飯を食べられないことが多いらしい。
食べても4時とか5時になるという。
お願いするときにいつも「もう、お昼食べた?」と訊ねるのだが、「食べました!」と言う時も、立って食べてるみたい。
昼休み1時間をちゃんと取れないないなんておかしいと言うのだけど、「こんなものなんですよ」と当たり前のようにあきらめている。
雇い主のなかにはヒドイのがいて、天気が悪く客の入りが悪いと予想される日には、アルバイトの人に「今日は来なくてもいいわよ」と電話をかける。
こんな不当労働行為をされたら、労働局に通達するべきだと思う。
雇う方も雇われる方も「労働とは何であるか」を考えなくてはいけない。

この本にはILOの理念と実践活動が述べられている。
でもまだまだ、児童労働は行われているし、先進国の日本の労働でさえこうなのだから、国際機関の役割の脆弱さを感じてしまう。
だけどモデルがあるのとないのでは、やっぱり違うから、ILO,頑張ってほしいです。
posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

内田輝和「おしりの筋肉がすべてを解決する」

いろんな健康本が出ていて、それぞれ鍛えるべきところを教えてくれる。
それらすべてを実行していたら、一日が終わってしまいそうなくらいだ。
今回は「おしりの筋肉」ときた。
おしりねぇ、、私のおしり、垂れてるなぁ。

自慢じゃないけど、若い頃の私のおしりはちょっとご自慢だった。
あのプレイボーイで鳴らした山城新伍さんと青山のスーパーで出会った時、「あなた、カッコイイおしりだね」と言われたことがある。もう40年以上も前のこと。
「あぁ、このひと、こういうふうにナンパするんだな」と笑ったけど、あの当時が私のおしりの絶頂期だった。
今は筋肉がないためなのか、細身のパンツを穿くのがはばかれる。
太いパンツはどんなにおしりが隠れても嫌いなので、お尻をカバーする長いカーディガンをはおるようにしている。
(太いパンツを穿くとより太って垂れるような気がするし、第一、身につけていて気持ちがシャンとしないので嫌い。太っ人ほどきちんとした服を着るほうが良いと私は思う)。

著者によると、おしりの筋肉がないために起きる疾病はじつに様々だとか。
腰痛、膝痛、首の痛み、骨粗鬆症、脊柱管狭窄症、尿もれ、頻尿、冷え症・・
現代はおしりの筋肉を使わない時代なのだそうだ。昔の日本人は下駄を掃いていたが、あの下駄で歩くというのがお尻の筋肉には良かったらしい。
そもそもこんなにおしりが発達したのは人間だけのようで、どれほど人間にとっておしりが大切かを、この本は説いている。

これを読んで大いに反省したことがあった。
それは「坐りかた」である。
最近の私の坐りかたは、仙骨ちかい後ろに重心を置いて坐ることが多い。
しかし坐るのは「坐骨」で坐らなければいけないそうだ。
坐骨というのだから、その骨は坐るためにあるのだ。坐骨はおしりの真ん中あたりのとがった骨。
確かにそこで坐ると、姿勢がぐんと良くなり背中が伸びる。
悪い姿勢は脊柱管狭窄症や坐骨神経痛の原因となる。
私の周囲でも、脊柱狭窄症で手術を繰り返す人や、坐骨神経痛のために足が痺れるという人が多くなっている。
幸いなことに私たち夫婦にはいまのところ、そういう症状はないのだが、今後おこらないとも限らない。
太らないこと、姿勢をよくすることが肝心。

おしりの筋肉アップはそう難しくはない。
うつ伏せに寝て、バタ足にするだけで、おしりの筋肉は鍛えられるという。
問題はそれを持続させること。
それができないんですよね。。
だけどご褒美が付いているのなら続けられるかも。
それは、筋トレをした後に甘いものを食べると筋肉がつきやすい!というのだ。
これは目からウロコで、読んだ後も「本当?」と疑ってしますが、たんぱく質と共に甘いものを摂るといいらしい。
牛乳とどら焼き(半分ですよ)とか。

括約筋を鍛えるのもいいですよね。おしりの穴をぎゅっとすぼめる。尿モレにもいいし、おしりの筋力アップにもなる。
これは苦労なくできるのでいつもしている。
だけどこれで私のおしりがかっこよくはなっていないのだけど。。
アンチ・エイジングが嫌いな私、年齢相応のおしりで充分です。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

五木寛之「医者に頼らず生きるために」

この本、どこからどかまでがタイトルなのかわからないのだけれど、書いてあることを全部書き出してみると「なるたけ医者に頼らないで生きるために 私が実践している100の習慣」というもの。
長いですね。
これを読もうと思ったのは、先日「足」に関する健康本を読んでいるときに、五木寛之を思い出したから。
というのは五木氏は以前より、風呂に入った時などに足に「今日もありがとう」と語りかけ、指や足裏を丁寧に洗ってマッサージすると聞いていたからだ。
足や手は末端。その末端の疲れを取り除き、ケアすることはとても重要なこと。
しかもそれをするときに、感謝の言葉を語りかけるというのが素晴らしい。

これはいわゆる養生の本なのだが、それにとどまらない。つまりは生きるため、老いるための思想哲学本でもあると私は受け止めた。
自分という人間はこの世に一人だけ。他の誰とも違う存在である。
その自分の健康を守るのは自分しかいない。現代の科学的医療だけに依存していて自分の体は守れない。
(現代の医療的健康管理というのは、検査結果の数値、病気になったら標準治療)、
五木氏はそもそも「病気は完治しない。症状が治まるだけ」と言う。
その治める方法を、医者ではなく自分が自分の「身体語」に耳を傾けようと言っている。

この本、20万部も売れたんですってね。いかにみんなが健康志向かということだろうが、一方で、現代医学に疑問を持っているからかもしれない。
100は多いなぁというのが、私の印象だったが、全然大丈夫。心配することはありません。
無理なことはしないでいい。例えば「ウォーキングが体にいい」と始めて続けられなかったら、「今は縁がないんだ」と考えればいいのだ。いつか本当に自分に必要だったらmその時は続けられるはず。気に病むことhない。

それと五木氏が書いていて、私もじつはここ数年同じことを思っていて、「やはり、こういう考えもあるんだ」と思ったのは、呼吸法に関しての記述だ。
ヨガや気功や太極拳など、世の中に呼吸法は多いし、呼吸法が大事とよく言われている。、
私も50歳から10年以上、呼吸法を習っていた。
でも、あれ、本当にすべての人にとって正しいのかというのが、このところの私の気持ち。
ヨガや太極拳など複雑で難しい姿勢をとったり、覚えるのが大変だったりすけれど、本来、呼吸というのは、意識不明であってもするもので、自律神経がつかさどっている。
だからもっと自然で簡単なものではないだろうか。逆立ちしなければできない呼吸なんて変だ。
五木氏が書くように、呼吸法と長生きは比例しないと思うし、ヨガを何十年もしていても、ちっとも精神に作用していない人も知っている。
つまりは、他人が「良い」と言うのではなく、自分の身体語が「良い」ということを、気楽にすればいいのだと思う。
どこかに行って習ったり学ぶものではなく、五木氏がしてきたように自分なりに考え市場錯誤で見つけるものなのではないか。
「自分のための自分だけの養生法」の確立を、彼はしたのだからスゴイ。そこには研究してきた仏教が大きく影響しているのだろう。

生きることは大変なこと。その大変さを納得し受け止めて、自然に老いていければそれで大成功じゃないか。
医者にかからない五木氏が、どこも悪くないことはないのだ。強い片頭痛、長く持病だった腰痛、さまざまな関節痛・・
これまで問題をたくさん抱えていたからこその「養生」なのだ。
ほんの少し昔まで「人生50年」だった。人間の体が数十年の間にそんなにかわるわけがないのに、今の人たちは、自分が老いない、死なないと思っているのではないか。
私は常日頃から、「アンチ・エイジングなどクソ喰らえ」と考えている。歳をとるのがなぜ悪い?歳をとるのが当たり前。
「生老病死」・・命あるものはすべて同じ。
この本はその覚悟をあらためて教えてくれる。

体に無理をさせないこと。
五木氏の言うように「気休め」「骨休め」「箸休め」を肝に銘じて暮らしたい。
私の鍼の先生が「体を大切にしない人の体になった体が、かわいそうだ」とおっしゃるが、本当だ。
体と心は別々にして、一緒に生きるもの。どちらにも「養生」をしてあげたい。
そして五木氏の言うように、「ナーム・アミータ」(サンスクリット語で「命よ光よ、ありがとう」と一日の始めと終わりに唱えるといい。
「ナーム・アミータ」。。なんて美しい言葉!
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

色川武大「離婚」

9冊目の点字本です。
次の本を何にするかは、私の点字読みのレベルに合うものを探す必要があり苦心するのだが、今回は「是非、これ」とすんなり決まった。
というのは、友人夫婦の奥さんのほうと話していて、何かの話しの続きで「色川武大って、私の理想の男なの」と意気投合したからだ。
彼女の夫は外資系証券会社の為替ディーラーをしていた人で、彼女も元同僚。
現在51歳なのだが、すでに仕事をリタイア。悠々自適とはこのことかというほど、気ままに優雅に暮らしている夫婦なのである。
もう一生働かなくてもいいだけ、これまで働いてきたのだろう。
一緒に高級レストランに行っても、夫はテーブルで眠ってしまい「本当に、私、どうしていいかわからなかったわ」と彼女は今では笑うけど、そんなに大変に仕事をしてきた人だ。
その彼女は「私、博打をしない男は嫌いなの」と。
まぁ、為替ディーラーというのも一種の博打打ちのようなものか。

じつは私も彼女と同じ意見。
博打をする男って、どこか色気を感じてしまう。
だからといって私は小心者なので、博打打ちを夫にする勇気はない。傍から見て「あぁ、いい男だな」と他人事のように思うのが関の山。
そういう意味で、色川武大は私にとっては理想の男像に近いのだ。
もちろん単なるおバカなギャンブル狂いではないのは当然のことです。

「離婚」はもう40年も前の直木賞受賞作品。
私小説と思われるように、主人公は40代後半のフリーライター。
妻と離婚したが、つきあいは続いてい。どころか結婚していたときよりも「元女房」に対する想いが強く、元女房も夫に経済的にも精神的にも依存している。
つまりは「腐れ縁」なのだが、男と女の深淵がそこにはあって、「あなたたち、もう別れるなんてできないのよ」とその関係に悲しさとともにどこか安堵感を持ってしまう。

生活態度はだらしない、経済観念はゼロ。ワガママ自分勝手・・
まぁ、女としては魅力的かもしれないが、女房としては失格。
でもそんな元女房を前に主人公は自分も同類ではないかの自嘲がある。
彼女がそんな女だったのは「私を妾にしてよ」の最初の言葉でもわかっていたはず。彼女も彼女なりに彼を見捨てられない何かを感じていたのかもしれない。

Pity is aking to love,
夏目漱石は「三四郎」のなかで、「かわいそうだたぁ、惚れたってことよ」と訳したが、そういうことなんだろうな。
つまりはこれも「愛」なのだとしか思えない。
だからこそ、悲しみも面白みもあるのだ。軽妙なタッチで書かれているからこそ、それがより伝わってくる、
他に「四人」「妻の嫁入り」「少女jたち」が併載されている。

「少女たち」の冒頭で主人公が牛込納戸町の豆腐屋に豆腐を買いに行く場面がある。
この豆腐屋は私が以前住んでいた市ヶ谷砂土原の家のすぐ近くにあって、私もよく買いに行ったものだ。
小さい店だが、美味しい豆腐を売っていた。
色川武大の実家もその豆腐屋から近い牛込矢来町(新潮社があるあたり)だったので、あの周辺の店を知っていたのだろう。
もうずいぶん前にその豆腐屋はなくなったけれど。

それにしても作家の家族にはなりたくないものだ。
何を書かれるかわかったものではない。
じっさいに色川の奥さんの孝子さんはこれを読んで、自殺も考えたそうである。
「あることないこと」を書くのが作家とはいえ、つらいですよね。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

岩崎啓子・石川みずえ「ちょっと具合のよくないときのごはん」

病院に行くまでもないけど、どうも胃の調子が悪い、なんだかオシッコの出が少ないし体がむくんでいる、飲み過ぎた・・なんてことが日常にはよくある。
少なくとも、私にはよくある。
病院へはよほどのことがない限りい行きたくない私なので、そういう時のためにどうすればいいか?は大切だ。

具合が悪いときには、「食べない」に限る。
風邪をひきそうだから体力をつけるためにたくさん食べようと考える人がいるが、あれは大間違いだ。
なぜなら、消化にはすごいエネルギーが必要で、体が弱っている時にたくさん食べると、そっちの方にエネルギーを使われてしまって、体の回復するエネルギーが少なくなるからだ。
若い頃ならそんな無茶もできるが、中高年になると、そんなことは止めた方がいい。

動物を見るとよくわかるが、彼らは具合の悪い時には「食べない」。食べずにひたすら体を休める。
人間もそれを見習う方がいいのではないだろうか?
ただでさえ中高年になっての美食や過食は、内臓だけでなく筋肉や関節にも悪影響を及ぼすという。
私は食べることにイヤシイ人間だが、一つだけ実行していることがある。
それは「食べない」こと、食べないでお白湯を飲むことの二つ。
これがとてもいんですよ。

けれど仕事をしていると、まったく食べないわけにもいかないだろう。長期になるとなおさらだ。
そんな時に、この本は何をどう食べればいいかを教えてくれる。
管理栄養士と医学博士の著者たちが、料理法を含めて紹介してくれている食品と料理には、昔ながらの知恵が詰まっている。
こういうものなら安心して体に取り入れらやすい。

症状別に書かれているのもわかりやすい。
目の疲労には人参。オシッコの出が悪い時には小豆、便秘にはおからやきのこ・・
ごく普通に手に入る食材なのが助かる。
食べものなので即効があるとは限らないが、食物繊維などは目に見えて効果がああるし、小豆も効果てきめん。
なによりも、薬と違って副作用がないのがいい。
「甘いものを食べても、本当の疲れはとれない」など、10のコラムには「なるほど」の説得力がある。

これから季節の変わり目。
自然の新陳代謝に体力が追いつかない日々になることもあるので、この時期は注意が必要です。
この時期に無理をすると、体だけでなく精神の不調も起きてしまいます。
お互い、気をつけましょう。
何度も繰りかえしますが、「食べない」ことも大切です。
間違っても「元気をつけるために、焼き肉、食べよう」なんて考えないこと!!
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

今村夏子「あひる」

今村夏子はいま私がもっとも気になる作家だ。
「こちらあみ子」のあの空気感がここにも漂っている。
この空気感をどう言葉で表現すればいいのか、「読んだらわかります」としか言いようがない。
ちょっと見には、ほのぼの、ふうわり。けれど底には残酷さ、恐ろしさ。
グサリと直接的ではなくて、じんわりといつの間にか深い傷となっている。

ほとんど引きこもりのように、医療関係の資格取得のための勉強をしている若い女性の「わたし」の家に、あひるがやって来た。
「のりたま」と名付けられたあひるは、通学路の小学生たちの人気の的となる。
あひるを見に来る子どもたちは、やがて「わたし」の両親の歓待を受けて、家に上がり込むようになる。
けれどあひるは衰弱しどこかへ運ばれ、戻って来たあひるは前とは違うあひるようなのだ。
それが繰り返されるが、両親は動物病院に連れて行くでもなく、ただ「祈る」のみ。そして新しいあひるについては誰もが口に出さない。

不気味である。恐ろしい。
「わたし」は両親から顧みられない無視された存在だ。
両親は弟の子、孫を待ち望んでいるが、その代替として小学生たちを異常なほど歓迎する。
それを傍観する「わたし」の感情は説明されていない。

しかし、3羽目のあひるが死んだとき、「わたし」はあひるの死骸を抱きかかえて、丁寧にお湯で洗ってやる。
その行為が哀切だ。
しかしここでも「わたし」の感情に対する説明はない。
この小説の中で「説明」があるのはただ一度、子どもの誕生日祝いに大量のご馳走を作ったのに、誰も来なかったその夜中に、一人の男の子がやって来てそのご馳走を食べて帰ったところにだけ、「わたし」の両親とあひるへの「気持ち」が書かれている。
(小説として、ここはある方がいいのか、ない方がいいのかは判じかねる)。
何気なく、すらすら簡単に読める作品だ。
横たわるものの深刻さに気付かないかもしれない。でもこれ、「こちらあみ子」よりある意味スゴイと思う。
芥川賞の候補となったが、確かに受賞には弱い部分があるかもしれないけれど、今回受賞の「シンセカイ」よりいい。
寡作かもしれないけれど、彼女は「書けるひと」だと思います。
次回の作品がどう出るか、とても楽しみ!
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

行本昌弘「老廃物を流す『官足法』で治る!」

健康本の多いこと。頭の先から足のつま先まで「ああしなさい」「こうしたらいい」と、すべてを実践していたら一日が終わってしまう。
どれも簡単にできそうなのだが、それが落とし穴で、簡単なほど取り組みやすいが、すぐに忘れてしなくなる。
私は医者嫌いなので、なるべく医者にかからなくてすむような自然療法的なものに手を出す傾向がある。
と言っても、こうした本は自分のお金ではなかなか買わない。さいわいなことにライブラリーにわんさと置いてあるので助かる。
新刊本をチェックする際に、おもしろそうな健康本があれば、借り出して読むようにしている。
だからこのブログで健康本の紹介が多くなる。

ホント、いろいろある健康維持法だが、足は大切。とくに足裏にはさまざまな体のツボがある。
30年前、その足をもむ、押すという「官足法」が日本に上陸してブームとなったが、その第一人者がこの本の著者。
「官足法」とは足反射区を刺激することで、悪いところを治すというものだ。
(反射区は体のあらゆる部分に散在いしていて、肩凝りのちきに肩を揉むだけではなく、肩の反射区を刺激すると治りがはやい。)

足の裏を押す「棒」があるんです。
手もいいのだけれど、あの棒を使って足裏を押すと、ものすごく痛い。だれかに押してもらっていると思わずその人を蹴っちゃうくらい痛い。
しかも体の悪い部分のツボほど痛いのだ。
でも、痛いほうが効くそう。

足の裏だけではなく、甲の部分を押すことも忘れてはいけない。
指と指の間の筋にそって、すーと押すと、これもかなり痛い。これはリンパの流れが良くなるそうだ。
また、足首、ふくらはぎ、膝など、とにかく膝の上あたりまでをケアしてやること。

私、これは信じている。というか、古来より正攻健康法だと思う。
足裏棒はああるけど、別にそれを使わなくても指でOK。お金がかからないし、坐っていても寝ていてもできる。
こういう健康法は即効性がないと思われがちだが、そんなことはないようで、風邪やインフルエンザ、しゃっくり、帯状疱疹の場合など、緊急時にも対応できるそうだ。
もちろん、慢性疾患の改善にもなりますよ。
官足法がもっとも得意とするのは、膝痛、腰痛などの関節痛だとか。経年疲労で私のまわりでも関節が痛いという人は多いから、教えてあげたい。

写真とイラストがたくさん載っているので、押すところがよくわかる。
私は足棒を買ったときに、足裏ツボ表も一緒に買ったのだが、それと同じだったので、この本を返却後は、その表を参考にしたい。
でもね、痛いのを覚悟!
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

伊佐知美「移住女子」

移住女子が増えている。
私の住むここ八ヶ岳でも最近は女性の移住者がいて、彼女たちは単独で、あるいはグループで農業をしたり、小さな焼き菓子の店を持ったり、バイトをしながら暮らしている。
みんな都会に住んでいた人たちだ。
この本にはそのような田舎に移住した女性たちを紹介している。
岩手、宮城、新潟、長野、鳥取、高知、福岡・・
場所はそれぞれだが、みんな移住した土地を心から愛し、地元の人たちからの支援を受け、またその恩返しをしながら、「消費するだけの暮らし」から「何かを生みだす暮らし」をしようとしている。

彼女たちを見ているとやはりあの3・11の東日本大震災の影響があるように思える。
東京に住んでいたあの時、スーパーやコンビニから食品が消えたことかショックだた人。
ほんの2週間のボランティアのつもりが、もう6年も住み続けることになった人。
何が起こるかわからない世の中だからこそ、せめて自分らしく生きたいと願う人。

もちろん、移住には不安がある。
これまでの生活を一変させるのだ。仕事は?住むところは?友達は?結婚は?
そんな女性たちにはこの本はなにかの参考になることだろう。
田舎はユートピアではない。だから田舎を単なる逃避先と考えると失敗する。
その土地を愛し(この本に出てくる女性たちに共通しているのが、「ここが好き!」という想いだ)、地元の人とコミュニケーションをとりながら土地に受け入れられている。

田舎は閉鎖的というイメージがあるが、それは一昔前のことだという。
人が出て行く一方で住民が年老いている集落にとって、若い働き手が来てくれるのは、とてもありがたく心強い。
自分がこれまでしてきた事を教え、それをリスペクトしてくれるとしたら、お年寄りにとっては新たな生きがいとなるかもしれない。

ただ農業、それも自然栽培法で米や野菜いを作りたいという人たちは、最初は大変だ。
日本では農作物は農協の指導のもと、種や苗を買う。そうして始めて農協が買い上げてくれるのだ。
しかし農協で売っている苗はすでに自然栽培とはいえないので買えない。ということはせっかく作っても販路がないということ。
自分で販路を開拓するには時間がかかる。
その「最初」をどう乗り越えるかだ。

でも大丈夫だと思う。現在は有機農法や自然栽培に関心を持つ消費者が多いのだから、それが安心で美味しければ必ず買い手はみつかる。
ここ八ヶ岳でそうやって米や野菜を作っている人たちだって、今はリッパな「農家」となっている。
都会への宅配だって需要があるだろう。

移住した地人の支援としては、有楽町の交通会館に「ふるさと回帰支援センター」があるし、各地方自治体のイベントに参加するのもよいだろう。
まず、その土地を木に居ることが大切。山の美しさや海の輝きを愛し、「ここに住みたい」と思うことからはじまるのだ。
そしてここに書いてあるが、とりあえず、100万円を貯めること。
移住の費用や生活が安定するまでの生活資金のためのお金として、まずこれだけというのがみんなの経験知のようだ。

だけどこれも安心していいと思う。
田舎って案外、仕事はあるものなのだ。
ここでも、夏場のレストランやペンションでのバイト、ゴマンとあるギャラリーの店とか、収穫機の果樹園の手伝いとか、宅配ドライバーも女性が増えている。
私の知り合いの女性は、夏場のホテルに犬連れで来る客のための「わんわん写真館」(犬の写真をプロのカメラマンが撮影するというもの)でバイトしている。
田舎に来て驚いたのは、地元の人でも、一人がいくつもの仕事を持っていることだった。ゴルフ場の整備の仕事を週4日し、他でも働き、自分で車おオイル交換ひゃタイヤ交換も請け合うとか。
勤めをしながら週末に農業というのは当たり前。
田舎に来ると仕事に対する固定観念がなくなると思いますよ。
それに、田舎は生活費がかからない。ましてや消費生活から抜け出るために移住うするとしたら、お金に対する意識も変わるに違いない。

あのラッシュの満員電車に乗らないだけでも、人生の浪費が減るんじゃないかな?
すくなくともそう考えられる人が、田舎暮らしに向いているのだと思う。
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

恩田陸「失われた地図」

「蜜蜂と遠雷」で恩田陸が直木賞を受賞したとの報には、うれしいというよりもホッとした。
もっともっと前に受賞していい書き手だったからだ。
遅きに過ぎると、多分誰もが思っていたこととだろう。
この「失われた地図」は彼女の受賞後第一作目の作品だそうだ。
「蜜蜂と遠雷」とはまったく違うストーリーだが、ジャンルを超えた小説を発表する彼女も、デビュー当時はファンタジーっぽいものをよく書いていた。
この本は、そういう括りになる小説だ。

ファンタジーというと、ふわふわピンク色のやわらかなイメージがあるかもしれないが、これはそうではない。
暗い闇の部分を描く物語である。
そしてこれは、読む人にとっては、なにか近未来への予言のような印象もある。

錦糸町、川崎、上野、大阪、呉、六本木・・
それらの土地では過去に闘いや戦争があった。旧日本軍関連の跡地であった場所もある。
人間の欲望や権力志向が渦巻いていたところ。
そんな忌まわしい過去を引きずる土地には、「裂け目」がある。
その裂け目から、亡霊のような「グンカ」がわらわらと出てくるのだ。
裂け目があるところには災厄が起こる。大事故や大火事や爆発。

それを避けるために、元夫婦の遼平と鮎観、俊平の甥の浩平は命を賭けて「グンカ」と闘う。
どうやら彼らはある一族の出で、これまでもずっと彼ら一族はそうした闇の勢力と闘ってきたようだ。
遼平たちには一人息子がいるが、なぜ彼らが離婚したかの真相は、最後の最後で明かされる。

「グンカ」は何かのメタファーなのか?
ここで恩田陸は何を表現したかったのか?
これは彼女の「反戦」のメッセージなのか?

いろんなふうに考えられる小説で、私は面白かったです。
この登場人物たちのキャラが際立っているので、これで終わりというのが少々残念。是非シリーズ化してほしい。
遼平と鮎観が交互に主人公となっての語りだが、必要最低限の言葉しか発しない浩平を、次回は主人公に置いてもらいたい。

直木賞受賞後としては、肩の力が抜けこういう作品、なかなかの選択だと思う。
「蜜蜂と遠雷」のようだとどうしても出来を比較してしまうもの。
軽いようでいて、内容はじつはシリアス・・これで良かったと思います。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

新井潤美「パブリック・スクール イギリス的紳士・淑女のつくられかた」

著者は幼いときから外国、とくにイギリスに長く住み、現在は上智大学で英文学・比較文学の教授をしている。

近頃は日本でも裕福層と貧困層の差が顕著になっているが、ヨーロッパ社会はどこもまだ「階級」というものが残っている。
差が激しくなったとはあいえ、私は日本はかなりの「平等社会」ではないかと思っている。
お金があれば若者でも高級なレストランで食事ができ、リッチなホテルに泊まることができる。
誰もそれに対して疑問をもたない。
ヨーロッパではちょっと違う。
上流階級だけが行ける場所があり、そこではどんなに成功したビジネスマンであっても歓迎されない。
そうした上流階級の子女が通う学校があり、そこではイギリス社会の中枢を担う人材の育成をしている。それがパブリック・スクールなのである。
パブリック・スクールといっても、いわゆるパブリック(公立)ではなく私立だ。
この本ではパブリック・スクールの成り立ちから現在までの推移を紹介している。

私が住んでいた1960年代終わりから70年代初めのイギリスは、まだまだ古いイギリスだった。
(なにしろお金の数え方からして20・12・6進法だったし、コインの裏側にはビクトリア女王の肖像があるものもあった!)
現在はパブリック・スクールには外国人の子どもも、ミドルクラスの子どもも入学できるが、当時はアッパー・ミドル・クラスまでの子どもしか入学を許可されていないところが多かった。
そんなパブリック・スクールに一度だけ見学に行ったことがある。
知人の息子があるパブリック・スクールに寄宿していて、「行ってみる?」と言われ、高級車ベントレーに乗せてもらって連れて行ってもらったのだ。
もうあまり覚えていないのだが、一つびっくりしたのは、そこには3ホールだがちゃんとしたゴルフ・コースがあったことだった。
ゴルフの上達が目的ではなく、「いかにフェア」にプレイできるかが目的だと聞いて「うーん、さすがイギリス」と感心してしまった。

しかしパブリック・スクールはそんな「オキレイゴト」だけではなかったようで、サー・ウィンストン・チャーチル氏の例がここに書かれているが、陰湿ないじめはあったし、教師のムチでの罰もあった。
閉鎖的な空間だけにその陰湿さはかなりのものがあったようだ。
ここにも書いてあるが、以前見た「アナザー・カントリー」という映画を思い出す。
男子だけのパブリック・スクールでは同性愛が少なからずあった。
同性愛はあの頃は絶対タブーとされていたので、それを強請りのタネにされることがあった。
そしてその強請りは「スパイ」を生むことにもなった。
「アナザー・カントリー」ではそうしてソ連のスパイになり、ソ連に亡命したイギリス老人の回想シーンから始まるのだが、彼がパブリック・スクールで受けた屈辱が、スパイという復讐となったのだろう。
そうした例はけっこうあって「ケンブリッジ・ファイブ」として5人のスパイが有名だ。

子息だけではない。女子のパブリック・スクールでの教育も特徴的だった。
自然科学や文学などは教えてもらえず、「たしなみ」が重んじられたそうだ。音楽や絵画、フランス語などができればそれでヨシとされたらしい。
しかもそれはつい最近まで続いていたという。
(そういえばあのダイアナ妃って、カレッジは出ていないんですよね。キャサリン妃は出ているけど)。

階級を絶対悪とするつもりはないけれど、旧態然とした教育現場から何が生まれるのかは疑問である。少しずつ改善されているならいいのだが。
せめて彼らが社会に対して「フェア」であってほしいし、「noblesse oblige」を持ってほしいと思う。

posted by 北杜の星 at 08:01| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月25日

絲山秋子「ばかもの」

印字の本だと172ページのこの本、点訳本だと2冊250ページ以上になる。しかも大判。
お腹に抱えながらゆっくりゆっくり(まだゆっくりとしか読めない)、左人差し指で文字をなぞる。
最近ちょっとだけ、上下に指を動かすのではなく、左から右に滑らせることができるようになったので、少しは読む速度があがって、これをちょうど1週間で読み切った。
一日30ページを自分に課しているのだけど、風邪だったので読めない日もあった。
だけどストーリーにぐいぐいと引き摺られて、後半はかなり読み進めた。

最初の30ページくらいは、参った、参った。
だってセックス描写がずっと続くんだもの。
しょうもない大学生のヒデと、バイト先で知り合った乱暴な言葉遣いの年上の額子の二人の性描写が濃厚なのだ。
眼で読む時よりも、点字って凸凹しているからなのか、変にリアルに感じられる。
「オッパイ」なんて胸のふくらみまで手に触るような。。

この二人、本当に「ばかもの」なんですね。
ヒデは無為に大学時代を過ごしたのはまだいいとして、次第にアルコール依存症になってゆく。
額子はヒデを酷い捨て方をして去って行く。

アルコール依存症の症状がこれでもかと重々しくて「もう、いいよ、これ以上読みたくないよ」という気分になる。
絲山秋子ファンの私だもの、当然これ、読んでいるのだけど、こんなんだったっけ?
映画や本って、覚えてないものなんですよね。こんなシーンあった?と思うことが多いし、こんな会話があったはずと確信しているのにどこにもなかったり・・

額子は優しい夫が運転するフォークリフトで左腕を失う怪我をしたために離婚。
ヒデは依存症から抜け出られたが、迷惑をかけすぎた友人から交友を切られてしまう。
失意の二人は、居酒屋をしている額子の母の仲立ちで再開することに。
額子が住んでいるのは群馬と栃木の境の「片品村」だった。

最後はすごーく感動的。
点字で読んでもその景色がズイズイと伝わって来る。
「海の仙人」に「ファンタジー」が出て来たように、ここでも「想像上の人物」が現れる。
「そんな解決法ってないだろ」という読者がいるかもしれないが、私が絲山秋子が好きな理由は、ここにあるのだと思う。
人智を超えた存在を信じるか信じないかは人それぞれだが、そうしたものが現れるかどうかは別として、そういうことを信じる作家の小説を私は読みたい。

額子は片腕だけ、美味しい料理を作る。おむすびだってできる。木にも登れる。
でも絶対にできないあことがある。
それは右腕を洗うこと。
額子がヒデに再会し、風呂で右腕を洗ってもらうところが、とてもせつない。

片品村って、5年前くらいに行ったな。
片品村へは日光から金精峠を超えて行くか、沼田の方から行くかのアクセスがあるが、私たちは友人と桐生で素敵なレストランでランチした後、黒保根あたりの山道を通って行った。
紅葉にはまだ早い季節で何もなかったけrけど、落ち着いたいいところだった。
イトヤマさんにとっては以前から「片品」は特別な場所のようで、ときおり行っているのではないだろうか。
同じ群馬県とはいえ、高崎在住の彼女にとっては決して近いところではないのだけれど。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月19日

岩波書房編集部「私の貧乏物語」

昔は「貧乏」だった。今は「貧困」だ。
貧乏と貧困はどう違うかと言われれば説明が難しいが、貧困は相対的な社会現象であるだけに、救いがないように感じられる。
この本は拡大する格差ーと貧困をこのまま見逃しておいてはいけないと、各界の人たちに彼らの経験してきた「貧乏」を書いてもらっているのだが、私にはこれは「昔の貧乏」だと思える。
つまり、誰もが貧乏だった時代の貧乏であって、あの頃にはまだ「頑張ればなんとかなる」という発展途上の希望があった。

蛭子能収「ピザって食べたことある?、安彦良和「私が貧乏だったころ」、武田砂鉄「まぁぼちぼちですね」、佐高信「慶応で格差を実感」、橋本治「伊達や酔狂で貧乏になる」、古賀誠「忘れられない白いご飯と生卵」、亀井静香「生かされて生きて来た」・・
彼らはその時代は貧乏でも、後にナニモノかになった人たちである。
貧乏だったあのころを笑い話にできる。
でも現代の「貧困」はそんなものではないのではないか?

森達也「窮乏のなかで芽生えた憎悪のゆくえ」、フレイディみやこ「貧乏を身にまとい、地べがから突き上げろ」、斎藤貴男「最後に奪われるものは何か」・・などの文章の方に現代の「貧困」の根源が表されていると思う。
日本やイギリスの社会構造のなかで、自分の努力だけではどうしようもない下層の人間は「ルサンチマン」を持つようになる。
そしてそのルサンチマンが過激なテロなどの温床となってゆく。

岩波書店編集部の意図はわかるとして、この本にある「貧乏物語」にはある種のノスタルジーがあり過ぎて、勘違いをしているのではないかと言いたくなる。
学校が休みになると給食がなくなって、家でご飯が食べられなくなる子どもたち・・それが現代の貧困なのです。
そんな子どもの友人たちの家庭では、ありああまる食べものを捨てているというのに。。
みんなが貧乏だったころの貧乏は耐えられても、自分だけが貧乏で食べものもない境遇は切な過ぎる。
悲惨なのはその貧困は連鎖するのである。

ここに並ぶ36人の「貧乏物語」をどう受け止めるか。
それは各人それぞれだろうが、せめてこの本が小さな灯に繋がればいいのだけれど。
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2016年12月26日

大島真寿美「ツタよ、ツタ」

初期の大島作品は小品ながらセンスがあって、私のお気に入りだった。
当時、彼女のような作家さんたちが数人いて、例えば、栗田有起とか安達千夏とか、「大作家「ベストセラー作家」にはならなだろうが、それなりのしっかりとしたファンがついて、ずっと書き続けていくのだろうと期待していたものだが、いつのまにか大島真寿美は頭二つも三つも抜きん出て大きくなっている。
その境はどこらあたりにあったのだろうか?

この「ツタよ、ツタ」だって、大長編小説ではないものの、かなり渾身の作だ。
明治末期、沖縄の士族の家系に生まれたツタという一人の女性の人生を描いている。
私は「女一代記」みたいな小説が苦手なのだが、これは淡々とした文章で書かれていて、重い思い入れが感じられないので、気楽に読めた。
小説家としての大島真寿美だからこそ、ツタの「書く」行為の意味を検証してみたかったのかもしれない。

琉球最後の王に仕えた祖父を持つツタ。首里の大きな屋敷で生れたが、士族の商売そのものの父によって家は没落。
女学校時代に文才を認められるが、上の学校には行けずに小学校の代用教員となる。
自分と同じように文学に興味ある(と思った)男性と見合い結婚し、台湾で暮らし始めるが、彼も父同様不運に見舞われ、優秀なのに仕事に恵まれない。
名古屋に移り住み、下宿屋を始めるが、夫と思い切って離婚。
そのさいツタは「作家として立つ」と決意し、下宿人だった7歳年下の青年と一緒に上京。後に彼らは夫婦となる、
ツタは久路千紗子というペンネームで沖縄についての小説を書き、それが編集者の目にとまり雑誌に連載されることになったのがだ、それを読んだ沖縄の人たちの大きな怒りをかうことになり、筆を折る。
ツタは医者になた7歳下の夫とも次第にうまくいかなくなる。
やがて沖縄が日本返還となると、40年も前のあのツタの小説が再評価されるようになり、久路千紗子は「幻の女流作家」と呼ばれるように。。

ツタの人生を考えると、彼女が能動的に生きたのか、受動的に生きたのかよくわからない。
自分で選択はしていえるものの、「詰めが甘い」ところがあって、イガイガしてくる。
「そこまでやったんなら、なんでもうひと踏ん張りしないのよっ」という気持ちになるし、「それじゃあ、逃げることでしょ」と言いたくなる。
この本の最後のほうにあるように、
「訪れなかった未来を噛みしめながら、ツタはそれを全部捨てた」のが、彼女の人生だったのだろう。

悲しいのか、それでよかったのか。結論の出ない小説の結論は、読者が最後をおさめるしかないようだ。
posted by 北杜の星 at 08:12| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」

「イッツ・オンリー・トーク」は絲山秋子のデビュー作。
10年以上前に読んているのに、ほとんど忘れていた。「えー、こんな場面あったっけ?」と驚く文章がやたら出てくるので、新鮮な気持ちで読んだ。

新鮮な気持ちになったのには他にも理由があって、じつは私は今回この本を点字図書館から借り出して読んだのだ。
7月から点字を習い始めて約半年。
50字清音濁音拗音などを学習し、数字とアルファベットを一通り終えた。
先生はいろんなドリル文章を持って来て下さるのだが、それは「サラリーマン川柳」とか「しりとり」とか、字を読む訓練には良いのだろうが、どうも面白くない。
やっぱり私は「小説」が読みたい。
清音だけの「ウラシマタロー」が読めた時には、ちょっと感激したのはしたのだが、どうも「絵本」の類は私の興味をそそらなかったのだ。
小説を読むなら、好きな作家のものをと考えて、かなり迷った。
大好きな須賀敦子にしようか、町田康にしようか、それとも堀江敏幸の「河岸忘日抄」にしようか?

町田康は文章がハチャメチャすぎて、意味がわかりづらいかもしれない。堀江さんは今の私には静かすぎるかもしれない。。
と決めたのが、イトヤマさんだった。
彼女なら現代的だし、文章は簡潔。主人公の適度なドライさが私向きだ。

そう思って借り出した。山梨県の所蔵なので、他に予約がない限り、いつまで借りていてもいいと言われた。(他所のものは20日以内に返却しなくてはならない)。
「いつまでも」とはいえ、まぁ、一カ月くらいなら大丈夫のはず。
・・だけど「ウラシマタロー」とは大違いだった。
思わぬ単語が出てきたり、点字が難しかったりと、1ページ読むのに30分かかったことも。(イトヤマさんは車好きで、主人公の車がランチャのイプシロンなんだけど、その「ランチャ」が読めなかったなぁ)。
文字を追うのに精いっぱいで、内容が全然わからないので、愉しむどころではない。
もちろんスピードも遅い。

それでも半分くらい読み進んだら、なんとか登場人物がこちらに入ってくるようになった。
ラストでは「イッツ・オンリー・トーク」がクリムゾンの曲から取ったものとわかったし、「あぁ、よかったな、これ。」と思えたし、まぁ理解できたのかな。
でももう一度読み返してみようとまた読んでみたら、読み飛ばしていた部分がかなりあったのか、始めて読むような行もたくさんあったのには驚いた。
でもスピードは確実に上がっているのが、うれしい。

この作品、かなりのセックス描写があるんですね。
なにしろチカンが出てくるのだから。
だけど、印字なら読むのに気が引ける文章でも、点字なら誰にもわからないので、おおっぴらに読める。
それとこれを読む数日前から、めまいがしていたのだけど、普段はめまいのする時には字を読むとクラクラして読めないのだが、点字なら目を使わずに指なので、長い時間でなければ平気だった。
点字のメリットってあるんですよ。停電になっても読めるしね。
デメリットもあって、それは本がとてつもなく大きいこと!重いこと!
ちょっとバッグに入れてなんて、無理。
どうすればいいんだろ?

本の話にならなくて、ごめんなさい。
デビュー作に作家のすべてが備わっているとよく言われるけれど、それは本当だと思う。
「イッツ・オンリー・トーク」には絲山秋子が詰まってました。

posted by 北杜の星 at 08:33| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月16日

阿川佐和子「強父論」

「お父ちゃんが忌み嫌っていたような『父を讃える本』にはけっしていたしません」。

父である作家が没すると家族、とくに娘に「家庭での父親がどうだったかを書いてくれ」という依頼が出版社からくることが多い。
過去にもたくさんの作家の娘たちが、父について書いてきた。
森茉莉、幸田文、室生朝子、萩原葉子はちょっと古いが、彼女たちの父親本はつとに有名。
他にも城山三郎、藤沢周平、井上光晴、吉本隆明などなど、父亡きあとに娘が書いた本は列挙にいとまがない。
そのほとんどが、父親礼賛のような。。

でもあの第三の新人であった阿川弘之は娘の阿川佐和子に厳命していたという。
けっしてけっして「父は偉大だった」とか「夫は素晴らしかった」などみっともない本は出してはならぬ、と。
それを肝に銘じた佐和子さんが書いたのが、この本。
これでもかと、横暴極まりなかった父親が出てくる。
これじゃぁ、礼賛しようにもできないやね、というくらいの理不尽さ。
よくこんな父親、殺されずに済んだものだと不思議になるくらい。

でも、なぜなんだろ?
「私の父親がこんなんじゃなくって、本当によかった!」とつくづく思って、阿川家の人たちに同情してしまうのだけれど、なんだかどこかに、ポッとするものがあるんですよね。
それは佐和子さんの筆にユーモアがあるだけじゃなく、阿川弘之という人間にそういう横暴さを許容させるだけのものがあったんだと思う。
だから四人の子どもたちがグレもせず優秀に育ち、妻だって離婚せずにきたのだろう。
我慢できなければ、我慢はしなかったはずだ。
それに多分、家族たちだからこそ、弘之は甘えがあっったのだ。
(第三の新人たち、例えば吉行などは弘之のことを「瞬間湯沸かし器」と呼んでいたので、まぁ、誰にでも怒ってはいたのだろうけれど)。

佐和子さんが幼稚園の頃、家に帰ってお母さんに「あのね、今日ね、○○子ちゃんがね、、」と話していたら、「うるさい!結論から言え、結論から」と怒鳴られた。
4歳くらいの子どもが「結論」と言われてもねぇという感じだが、気の短い私だって機嫌の悪い時には、そう言いたくなるかもと、笑ってしまう。
またある時、誕生日に中華料理を食べにレストランに行った時(阿川家は誕生日には中華のことが多かった)、食事が終わって外に出たら冷たい風が吹いていたので、佐和子さんが思わず「あ、寒い」と言ったら、弘之が烈火のごとく怒ったそうだ。
「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」と言わなかっったことが、気に入らなかったらしい。
車で帰宅する間ずっと怒鳴っていたのを、母が「そんなにおこらなくても」と弘之を諌めたら、それにも憤慨し、母をその場で車から降ろしたとか。


とにかくその怒りが理解不能な無茶苦茶さだった。
だけどそんな横暴さには、弘之年代の男の「家長」として気概が溢れていたのだろう。
それには責任も当然あったはずだ。作家という不確かな収入の職業で暮らしを支えるべく努力もあたろう。
そうしたことを暗黙のうちに家族に認めさせるための、弘之の言動だったのかもしれない。

弘之は収入にいつも関心が強かったと佐和子さんが書いている。
父の臨終にはタッチの差で間に合わなかったが、まだ温かい父に向かって「印税、30万円だよ」と叫んだらしい。
というのは、父の本が文庫本化され、それが再販となり、印税が入る知らせがあったばかりだったからだ。
父の耳元に「30万円だよ」と叫ぶ佐和子さんの後ろで、看護師さんがくすっと笑っていたそう。

凄まじい父の暴君ぶりが書かれているのに、この本、やっぱり娘の父を恋うる文章でいっぱいなんですよね。
このような本、娘じゃないと書いてはくれない。
阿川弘之、素敵な娘をもった。ということは、彼の子育て、成功したということなのか。
弱い父より強い父が家庭には必要なのかもしれない。
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

阿古真理「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」

いま日本人は大のパン好き。米よりパンの方が好きという人だっているくらい。
かくいう我が夫も「食べものの中でパンが一番好き」という人間だ。
さいわい、ここ八ヶ岳南麓の北杜市はパン屋さんの激戦区で、素晴らしいパン屋さんがとても多い。
今年も新たなパン屋さんが登場して、選択肢が広がった。
フランスパンはここ、カンパーニュはあそこ、食パンはあcっちの店と使い分けている。
はっきり言って、どこも値段はけっして安くはない。国産小麦と考え抜かれた天然酵母で作るのだから、それは仕方ないこと。
パン屋さんのなかには小麦から自家栽培しているところもある。
パンに関しては東京よりずっと恵まれていると思う。

これだけ進化したパンも、黎明期には職人さんたちの苦労があった。
米食に慣れた日本人にとってパンはパサパサ、ボソボソしたもので、喉の通りが悪かったことだろう。
洋食が広まるとともにパン食も少しずつ増えていった。
しかしパンが国民のなかに浸透したのは戦後のあの給食のコッペパンからではないだろうか。
脱脂粉乳と一緒に出されたあのパン、美味しいとは言えなかったけれど、あれでパンが日常的になったのだ。
一説にはあれは、アメリカが自国で余った小麦粉を消費させるために、日本と韓国でパン食を推奨したそうだが、その真偽のほどもこの本の中には述べられている。
(昭和30年代ごろには「米を食べると頭が悪くなる」とまで栄養士たちが言っていたけど、あれはアメリカと日本の国策だったのだろう)。

だけど日本人はアレンジが上手なんですね。
そっくりそのままアメリカやヨーロッパからのパンを食べて来たわけではない。
アンパン、クリームパンやジャムパン(最近あまり見かけなくなったけど)、カレーパンなど独自の日本のパンを作り出してきた。
パンのなかにアンコを入れるなんて、すごい発想だ。
(シチリアに行ったときに驚いたのは、ジェラートをパンに挟んで食べること。えーっと思ったけど、あれはアンパンの原理か。暑い夏のシチリアで、コーンのジェラートはすぐ融けてしまうからパンに挟むというのは正解かもしれないけど、ただでさえ量の多いイタリアのジェラート、パンに挟んだらこれはもう私にとっては食事になってしまう)。

どんなに菓子パンが美味しくても、食事パンはなかなか普及しなかった。
神戸のフロインドリーブはそういう意味で当時、画期的だったはず。とくにヨーロッパのパンを知って帰国した日本人にとっては救世主のような存在だった。
そんな日本で一人のフランス人が、カンパーニュを作り始めた。1980年代のことだ。
ピエール・ブッシュさんは日本の国産小麦を使って、それまでのドライのイースト菌に替え天然酵母でパンを焼いたひとで、ある意味、現在の日本のパンの原点ともいえる。
ブッシュさんの弟子たちがいま、日本中で活躍して美味しいパンを作っている。
ブッシュさんのパンがそれまでと大いに違うのはその理念だ。オーガニックで安全安心なパンがコンセプトで、それはたんにパンだけでなく、ライフスタイルへの提案ともなった。

私たちは富ヶ谷の「ルヴァン」が大好きで、80年代終わりからよく食べていた。
調布のルヴァンは宅配してくれるが富ヶ谷はしてくれなかたので、八王子の「木のひげ」にお願いしたこともある。
ルヴァンも木のひげもどちらもブッシュさんのお弟子さんだ。
原料の小麦を吟味し、大切に天然酵母を育て、ギリギリ限界ちかくまで焼く。
私は日本のパンの「焼き」はどうも甘過ぎると思う。ギリギリ焼くのは内側の柔らかさが難しいのだけど、焼きが甘いと、日本のような湿気の多い国ではすぐにカビが生えてしまう。
ヨーロッパのパンは古くなるとカチカチになって、それはそれでパン粉にしたりスープにしたりできるのだけど、日本ではちょっと日にちが経つとくちゃっとしてしまう、カビが生えたらもう使い物にならない。
その点、ルヴァンのパンは私にとって理想的な焼き具合なのだ。かわの部分が素晴らしい。、

確かにいま、日本のパンはとても美味しく、本家ヨーロッパを凌ぐほどだ。
でもこれが到達点ではなく、これからどう進化してゆくのか?
まだまだ世界には私たちの知らないパンがあるはず。アラブ諸国、アフリカなどのパンも食べてみたい。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

井上荒野「綴られる愛人」

小説って最初の出だしは面白くても、だんだんと退屈になるものがある。
その反対にどんどん面白っくなって、徹夜をしても読み終わりたくなる本もある。
この「綴られる愛人」は後者。
たんにストーリーの展開が面白いだけではなく、井上荒野の心理描写の巧さに引き摺られて読了した。

東京に住む35歳の柚は著名な小説家。
北陸に住む航太は大学生。
彼らは「綴り人の会」という組織を通じて文通してる。
今の時代にメールではなく手紙というのがアナクロだが、だからこの小説が成り立つのだと思う。
どういうシステムになっているのか「綴り人の会」では、文通相手から直に手紙が届くのではないようだ。
お互いの手紙はある一定期間を経たのちに、手元に届くようになっている。

文通では柚は専業主婦凛子。航太はエリートサラリーマンのクモオと身分を偽っている。
この期間が微妙な「間」で、次の手紙を待つ間に不安や猜疑心が増幅される。

嘘で固めた手紙のやりとり。
それでもそれらの手紙には次第に彼らの心の奥底が現れてくる。

文通やブログを書く場合に、柚や航太のように嘘八白を書き込む人は多いそうだ。
現実逃避なのか、それとも物語のなかの自分に酔いたいのか。
ちなみにこのブログ、私は本当のことを書いてます。だって友人知人が読んでくれているのだもの、嘘書いたらすぐにバレてしまうし、第一、現在の自分を偽らなければならない理由もさしてない。まぁ、しごく単純な生活と性格ということか。

柚と夫は「おしどり夫婦」ということになっている。
けれど夫のモラルハラスメントはかなりのもので、夫は柚を隷属させている。
航太は友人たちとうまくいっていないし、就職活動だって思うように進んでいない。
つまり彼らは二人とも日常に満足せず、「何か」を求めているのだ。

でもそれは決して不倫とかアバンチュールではないのだと思う。
凛子への想いを強めるクモオに対して、少なくとも凛子は違う。彼女は夫に「秘密」を持つことで「仕返し」をしたかったのではないだろうか。
お互いに求めるものが違いながらも、大きく膨らんでいく様子がこの小説の肝ではないか?
ちょっとサスペンスっぽい作風になっているので、結末は書かないけど、男と女、女のほうがやっぱりシタタカ。。ですね。

一つ疑問が。
それは柚のような物語をつくる「作家」が、文通でも物語をつくるものだろうか?
小説を書くという行為ではそういう部分で充足できないとしたら、なんか、つまんない作家かも。

posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

小倉崇「渋谷の農家」

タイトルに驚いた。渋谷に農地や農家があるの?!
練馬や世田谷や杉並ならいざしらず、あの渋谷に。

地べたの農地ではなかった。
ビルの屋上で野菜を作っているのだった。
「それじゃぁ、家庭菜園じゃない」と言う向きがあるかもしれないが、そうではない。
そうではないところにこの本の著者の矜持がある。

著者は出版社勤務を経て現在は、出版や広告に活躍していて、日本全国の有機野菜を取材する農業ライターでもある。
これまで取材してきた農家の人たちに触発され、かねてより関心の深かった農業を自分でも始めてみようと、渋谷の農家となったのだ。
日照などを考慮して移動できるように大きなプランターに(じっさいには重くてそうは移動できないが)に土をいれ、排水を考え、みんなで野菜を育てている。
都会の真ん中とは思えないほど、生育はよい。
けれどここでも獣害があるんですね。猿やイノシシはいないけど、カラスやネズミにごっそり作物をやられることがある。

しかしこの本のメインは著者の畑だけではなく、日本全国で頑張っている農家の人々が紹介されていることだ。
作るのは有機栽培での、米、野菜、オリーブ、麻、ニンニク、リモーネ(レモン)などなど。
面白いのは彼らの大多数が根っからの農業ではないこと。人生半ばから農業を始めた人たちなのである。
生れ育った地、移住した地・・選択はそれぞれだが、みんな有機栽培や自然農法に取り組んでいる。

でも大変だ。
成功している場合もあるが、農業だけで一家を成すのは困難なようで、なかには農業での収入は一カ月4〜5万円にしかならず、道路工事などのアルバイトや奥さんの仕事で助けられている場合もあるようだ。
それはそうだろう、と思う。
だって昔から東北などの農家の人たちは農業だけで食べていけないから、冬の間に都会に出稼ぎに行ったのだもの。

私にとって興味ある記述があった。
神奈川県の藤野という小さな町がある。、中央道に藤野ICがあるのでご存知の方もいるだろう。
西に向かって車を走らせていると、左の山にハートマークのついた封筒の看板が大きく見えてくる。
藤野はアーティストが多く住む町として有名なのだが、そもそも戦時中に、藤田嗣治や猪熊弦一郎らが疎開していて、シュタイナー学校などもあるような自由な雰囲気の町なのだ。
東日本大震災直後には、東京電力に頼らず、電気を自給自足しようという「藤野電力」を有志で立ち上げたことでも知られている。
私も当時その記事を見て、ネットで調べたことがある。ユニークな集落だなと羨ましかった。
著者の友人がここで農業を始めたのだそうだ。

最近は農業をしてみようという人たちが増えている。
私の住むここ八ヶ岳南麓にも3・11以降、若い家族が農業をするために移住してきている。
限界集落が多くて、耕されなくなった田んぼや畑を借りて、有機栽培に取り組んでいる。
私の家の下にも、今年の春から若い農業グループがそうした畑を借りて頑張っているようだ。
「どこかこの集落に、古家を貸してくれるところはありませんか?」と訊かれるが、ないんですよね。あってもなかなか地元の人は貸したがらない意。
そのグループの人たちはどこから畑をしに、やって来ているのだろう?

男性たちだけではない。最近では「農業女子」がずいぶんたくさんいて、私が毎日食べている無農薬玄米も、3人の女性が共同で作っているものだ。
彼女たちの生活が農業だけで成り立っていけるように、できるだけの応援をしてあげたいと、その玄米の美味しさを友人たちに宣伝しているが、みんな一度食べるとその美味しさに、リピーターになっている。

食べものを自分で作る人間は「強い」。
これほど強いことはないと思う。何が起こっても大丈夫の、根源の強さを持っている。
食料自給率が高い国こそが、本当の文化国家だと私は考えている。
「渋谷の農家」、いいですね!
posted by 北杜の星 at 08:02| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

[ 井上都「ごはんの時間」

副頽が「井上ひさしがいた風景」とある。著者の都さんは作家井上ひさしの長女。
20歳のときからひさしが座付き劇作家をしていた劇団「こまつ座」で、離婚した母に代わり父と共に仕事をしてきた。
けれどひさしの死の前、なにかの齟齬が生じたらしく、劇団を去り、父ひさしの臨終にも立ち会うことができなかった。
都さんは以後、パートをしながら高校生の一人息子を育てている。
これは毎日新聞夕刊に2年間にわたり連載されたエッセイをまとめたもので、かつてのひさし一家(母方の祖父母、ひさしと好子夫婦、娘三人)の「ごはん」のあれこれを懐かしみ書いている。

その当時の料理担当は祖母だった。そのためか派手なメニューはない。東京下町の普段の気取らない、それでいて「これならご飯がすすむだろうな」と思える料理が並んでいる。
ひさしと母好子が離婚し、ひさしは米原ユリさんと再婚して息子をもうけた。新しいひさし一家の食事は多分、旧ひさし家のものとは大きく違っていることだろう。
なぜならユリさんは幼い頃に東ヨーロッパで育ち、成人してからはイタリアに料理留学してイタリア料理研究家となった人だからだ。
スパゲッティひとつにしても本場の味がでてくるのだろう。
旧ひさし家でのひさしの夜食は、ベーコンとスパゲッティを炒めた塩辛いものだったという。でもそれをひさしは好んで食べていたらしい。
もう一度父にあのスパゲッティを食べさせてあげたいと書く都さんの胸中には、複雑な想いが詰まっているような気がする。

幼いころに食べた味が懐かしい思い出となるには、時間の経過が必要だ。
再現できない味だからこその郷愁がそこにはあるのだろう。
ひさしの故郷山形の味、祖母のつくってくれたごはん、忙しかった母がチャチャッと作ったおかず・・
料理がけっして得意ではない都さんの文章が連載の回を重ねるごとに巧くなってゆくのを読むのは、うれしく楽しいと同時に、なにかとても切なくなってくる。

結婚願望のまったくなかった都さんは息子を事実婚で産み、その父となる「彼」と暮らしていたが、「彼」は突然事故死。
それからの息子二人との暮らしは、経済的にもいまは大変そうだ。パートの仕事の再契約を断られたり、不登校になった息子と向き合ったり。。
でもこの息子さん、年頃相応にぶっきらぼうではあるけれど、とってもやさしい男の子だ。
料理が苦手な都さんに「簡単なものでいいよ」と言ったり、「今日は夜はテレビでサッカーを一緒に観よう」と言ってくれたり。
左の腎臓一つしかなく、その左も尿管狭窄水腎症で機能が衰えて手術が必要とされていて心配はつきない。

よろこび、挫折。いろいろあったこれまで50年の人生。
それでも父ひさしとの時間は忘れられないいとおしさで都さんの心に残っていて、希望を与えてくれる。
だから苦手であっても息子のために一生懸命に「ごはん」をつくるのだ。
きっと都さんの心に内には吐露したいさまざまなことがあるのかもしれないが、ここには恨みごとはないし憎しみもない。
ただ落とし前がつかない前に行ってしまった父への悔いがあるだけ。
素直な彼女の心情にただ、「頑張って」と言葉を掛けてあげたい。

ひさしが買ってお土産に買って帰ってくれた鯵の押し寿司、誰が作っても失敗のない茄子の味噌炒め、自分は嫌いだけど息子が鶏肉好きなのでつくるチキンのジュウジュウ、山形のラ・フランスやふうき豆、クリスマスに飲む甘い偽シャンペン、乗り合わせたバスの乗客とケンカして父が投げつけていたボウロ・・
他人からすると何の価値もないものかもしれないが、それらの記憶が都さんの足を未来に向けさせる。

小さな一冊。でも読んでよかった本。

posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする