2017年03月23日

恩田陸「失われた地図」

「蜜蜂と遠雷」で恩田陸が直木賞を受賞したとの報には、うれしいというよりもホッとした。
もっともっと前に受賞していい書き手だったからだ。
遅きに過ぎると、多分誰もが思っていたこととだろう。
この「失われた地図」は彼女の受賞後第一作目の作品だそうだ。
「蜜蜂と遠雷」とはまったく違うストーリーだが、ジャンルを超えた小説を発表する彼女も、デビュー当時はファンタジーっぽいものをよく書いていた。
この本は、そういう括りになる小説だ。

ファンタジーというと、ふわふわピンク色のやわらかなイメージがあるかもしれないが、これはそうではない。
暗い闇の部分を描く物語である。
そしてこれは、読む人にとっては、なにか近未来への予言のような印象もある。

錦糸町、川崎、上野、大阪、呉、六本木・・
それらの土地では過去に闘いや戦争があった。旧日本軍関連の跡地であった場所もある。
人間の欲望や権力志向が渦巻いていたところ。
そんな忌まわしい過去を引きずる土地には、「裂け目」がある。
その裂け目から、亡霊のような「グンカ」がわらわらと出てくるのだ。
裂け目があるところには災厄が起こる。大事故や大火事や爆発。

それを避けるために、元夫婦の遼平と鮎観、俊平の甥の浩平は命を賭けて「グンカ」と闘う。
どうやら彼らはある一族の出で、これまでもずっと彼ら一族はそうした闇の勢力と闘ってきたようだ。
遼平たちには一人息子がいるが、なぜ彼らが離婚したかの真相は、最後の最後で明かされる。

「グンカ」は何かのメタファーなのか?
ここで恩田陸は何を表現したかったのか?
これは彼女の「反戦」のメッセージなのか?

いろんなふうに考えられる小説で、私は面白かったです。
この登場人物たちのキャラが際立っているので、これで終わりというのが少々残念。是非シリーズ化してほしい。
遼平と鮎観が交互に主人公となっての語りだが、必要最低限の言葉しか発しない浩平を、次回は主人公に置いてもらいたい。

直木賞受賞後としては、肩の力が抜けこういう作品、なかなかの選択だと思う。
「蜜蜂と遠雷」のようだとどうしても出来を比較してしまうもの。
軽いようでいて、内容はじつはシリアス・・これで良かったと思います。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

新井潤美「パブリック・スクール イギリス的紳士・淑女のつくられかた」

著者は幼いときから外国、とくにイギリスに長く住み、現在は上智大学で英文学・比較文学の教授をしている。

近頃は日本でも裕福層と貧困層の差が顕著になっているが、ヨーロッパ社会はどこもまだ「階級」というものが残っている。
差が激しくなったとはあいえ、私は日本はかなりの「平等社会」ではないかと思っている。
お金があれば若者でも高級なレストランで食事ができ、リッチなホテルに泊まることができる。
誰もそれに対して疑問をもたない。
ヨーロッパではちょっと違う。
上流階級だけが行ける場所があり、そこではどんなに成功したビジネスマンであっても歓迎されない。
そうした上流階級の子女が通う学校があり、そこではイギリス社会の中枢を担う人材の育成をしている。それがパブリック・スクールなのである。
パブリック・スクールといっても、いわゆるパブリック(公立)ではなく私立だ。
この本ではパブリック・スクールの成り立ちから現在までの推移を紹介している。

私が住んでいた1960年代終わりから70年代初めのイギリスは、まだまだ古いイギリスだった。
(なにしろお金の数え方からして20・12・6進法だったし、コインの裏側にはビクトリア女王の肖像があるものもあった!)
現在はパブリック・スクールには外国人の子どもも、ミドルクラスの子どもも入学できるが、当時はアッパー・ミドル・クラスまでの子どもしか入学を許可されていないところが多かった。
そんなパブリック・スクールに一度だけ見学に行ったことがある。
知人の息子があるパブリック・スクールに寄宿していて、「行ってみる?」と言われ、高級車ベントレーに乗せてもらって連れて行ってもらったのだ。
もうあまり覚えていないのだが、一つびっくりしたのは、そこには3ホールだがちゃんとしたゴルフ・コースがあったことだった。
ゴルフの上達が目的ではなく、「いかにフェア」にプレイできるかが目的だと聞いて「うーん、さすがイギリス」と感心してしまった。

しかしパブリック・スクールはそんな「オキレイゴト」だけではなかったようで、サー・ウィンストン・チャーチル氏の例がここに書かれているが、陰湿ないじめはあったし、教師のムチでの罰もあった。
閉鎖的な空間だけにその陰湿さはかなりのものがあったようだ。
ここにも書いてあるが、以前見た「アナザー・カントリー」という映画を思い出す。
男子だけのパブリック・スクールでは同性愛が少なからずあった。
同性愛はあの頃は絶対タブーとされていたので、それを強請りのタネにされることがあった。
そしてその強請りは「スパイ」を生むことにもなった。
「アナザー・カントリー」ではそうしてソ連のスパイになり、ソ連に亡命したイギリス老人の回想シーンから始まるのだが、彼がパブリック・スクールで受けた屈辱が、スパイという復讐となったのだろう。
そうした例はけっこうあって「ケンブリッジ・ファイブ」として5人のスパイが有名だ。

子息だけではない。女子のパブリック・スクールでの教育も特徴的だった。
自然科学や文学などは教えてもらえず、「たしなみ」が重んじられたそうだ。音楽や絵画、フランス語などができればそれでヨシとされたらしい。
しかもそれはつい最近まで続いていたという。
(そういえばあのダイアナ妃って、カレッジは出ていないんですよね。キャサリン妃は出ているけど)。

階級を絶対悪とするつもりはないけれど、旧態然とした教育現場から何が生まれるのかは疑問である。少しずつ改善されているならいいのだが。
せめて彼らが社会に対して「フェア」であってほしいし、「noblesse oblige」を持ってほしいと思う。

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2017年01月25日

絲山秋子「ばかもの」

印字の本だと172ページのこの本、点訳本だと2冊250ページ以上になる。しかも大判。
お腹に抱えながらゆっくりゆっくり(まだゆっくりとしか読めない)、左人差し指で文字をなぞる。
最近ちょっとだけ、上下に指を動かすのではなく、左から右に滑らせることができるようになったので、少しは読む速度があがって、これをちょうど1週間で読み切った。
一日30ページを自分に課しているのだけど、風邪だったので読めない日もあった。
だけどストーリーにぐいぐいと引き摺られて、後半はかなり読み進めた。

最初の30ページくらいは、参った、参った。
だってセックス描写がずっと続くんだもの。
しょうもない大学生のヒデと、バイト先で知り合った乱暴な言葉遣いの年上の額子の二人の性描写が濃厚なのだ。
眼で読む時よりも、点字って凸凹しているからなのか、変にリアルに感じられる。
「オッパイ」なんて胸のふくらみまで手に触るような。。

この二人、本当に「ばかもの」なんですね。
ヒデは無為に大学時代を過ごしたのはまだいいとして、次第にアルコール依存症になってゆく。
額子はヒデを酷い捨て方をして去って行く。

アルコール依存症の症状がこれでもかと重々しくて「もう、いいよ、これ以上読みたくないよ」という気分になる。
絲山秋子ファンの私だもの、当然これ、読んでいるのだけど、こんなんだったっけ?
映画や本って、覚えてないものなんですよね。こんなシーンあった?と思うことが多いし、こんな会話があったはずと確信しているのにどこにもなかったり・・

額子は優しい夫が運転するフォークリフトで左腕を失う怪我をしたために離婚。
ヒデは依存症から抜け出られたが、迷惑をかけすぎた友人から交友を切られてしまう。
失意の二人は、居酒屋をしている額子の母の仲立ちで再開することに。
額子が住んでいるのは群馬と栃木の境の「片品村」だった。

最後はすごーく感動的。
点字で読んでもその景色がズイズイと伝わって来る。
「海の仙人」に「ファンタジー」が出て来たように、ここでも「想像上の人物」が現れる。
「そんな解決法ってないだろ」という読者がいるかもしれないが、私が絲山秋子が好きな理由は、ここにあるのだと思う。
人智を超えた存在を信じるか信じないかは人それぞれだが、そうしたものが現れるかどうかは別として、そういうことを信じる作家の小説を私は読みたい。

額子は片腕だけ、美味しい料理を作る。おむすびだってできる。木にも登れる。
でも絶対にできないあことがある。
それは右腕を洗うこと。
額子がヒデに再会し、風呂で右腕を洗ってもらうところが、とてもせつない。

片品村って、5年前くらいに行ったな。
片品村へは日光から金精峠を超えて行くか、沼田の方から行くかのアクセスがあるが、私たちは友人と桐生で素敵なレストランでランチした後、黒保根あたりの山道を通って行った。
紅葉にはまだ早い季節で何もなかったけrけど、落ち着いたいいところだった。
イトヤマさんにとっては以前から「片品」は特別な場所のようで、ときおり行っているのではないだろうか。
同じ群馬県とはいえ、高崎在住の彼女にとっては決して近いところではないのだけれど。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月19日

岩波書房編集部「私の貧乏物語」

昔は「貧乏」だった。今は「貧困」だ。
貧乏と貧困はどう違うかと言われれば説明が難しいが、貧困は相対的な社会現象であるだけに、救いがないように感じられる。
この本は拡大する格差ーと貧困をこのまま見逃しておいてはいけないと、各界の人たちに彼らの経験してきた「貧乏」を書いてもらっているのだが、私にはこれは「昔の貧乏」だと思える。
つまり、誰もが貧乏だった時代の貧乏であって、あの頃にはまだ「頑張ればなんとかなる」という発展途上の希望があった。

蛭子能収「ピザって食べたことある?、安彦良和「私が貧乏だったころ」、武田砂鉄「まぁぼちぼちですね」、佐高信「慶応で格差を実感」、橋本治「伊達や酔狂で貧乏になる」、古賀誠「忘れられない白いご飯と生卵」、亀井静香「生かされて生きて来た」・・
彼らはその時代は貧乏でも、後にナニモノかになった人たちである。
貧乏だったあのころを笑い話にできる。
でも現代の「貧困」はそんなものではないのではないか?

森達也「窮乏のなかで芽生えた憎悪のゆくえ」、フレイディみやこ「貧乏を身にまとい、地べがから突き上げろ」、斎藤貴男「最後に奪われるものは何か」・・などの文章の方に現代の「貧困」の根源が表されていると思う。
日本やイギリスの社会構造のなかで、自分の努力だけではどうしようもない下層の人間は「ルサンチマン」を持つようになる。
そしてそのルサンチマンが過激なテロなどの温床となってゆく。

岩波書店編集部の意図はわかるとして、この本にある「貧乏物語」にはある種のノスタルジーがあり過ぎて、勘違いをしているのではないかと言いたくなる。
学校が休みになると給食がなくなって、家でご飯が食べられなくなる子どもたち・・それが現代の貧困なのです。
そんな子どもの友人たちの家庭では、ありああまる食べものを捨てているというのに。。
みんなが貧乏だったころの貧乏は耐えられても、自分だけが貧乏で食べものもない境遇は切な過ぎる。
悲惨なのはその貧困は連鎖するのである。

ここに並ぶ36人の「貧乏物語」をどう受け止めるか。
それは各人それぞれだろうが、せめてこの本が小さな灯に繋がればいいのだけれど。
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2016年12月26日

大島真寿美「ツタよ、ツタ」

初期の大島作品は小品ながらセンスがあって、私のお気に入りだった。
当時、彼女のような作家さんたちが数人いて、例えば、栗田有起とか安達千夏とか、「大作家「ベストセラー作家」にはならなだろうが、それなりのしっかりとしたファンがついて、ずっと書き続けていくのだろうと期待していたものだが、いつのまにか大島真寿美は頭二つも三つも抜きん出て大きくなっている。
その境はどこらあたりにあったのだろうか?

この「ツタよ、ツタ」だって、大長編小説ではないものの、かなり渾身の作だ。
明治末期、沖縄の士族の家系に生まれたツタという一人の女性の人生を描いている。
私は「女一代記」みたいな小説が苦手なのだが、これは淡々とした文章で書かれていて、重い思い入れが感じられないので、気楽に読めた。
小説家としての大島真寿美だからこそ、ツタの「書く」行為の意味を検証してみたかったのかもしれない。

琉球最後の王に仕えた祖父を持つツタ。首里の大きな屋敷で生れたが、士族の商売そのものの父によって家は没落。
女学校時代に文才を認められるが、上の学校には行けずに小学校の代用教員となる。
自分と同じように文学に興味ある(と思った)男性と見合い結婚し、台湾で暮らし始めるが、彼も父同様不運に見舞われ、優秀なのに仕事に恵まれない。
名古屋に移り住み、下宿屋を始めるが、夫と思い切って離婚。
そのさいツタは「作家として立つ」と決意し、下宿人だった7歳年下の青年と一緒に上京。後に彼らは夫婦となる、
ツタは久路千紗子というペンネームで沖縄についての小説を書き、それが編集者の目にとまり雑誌に連載されることになったのがだ、それを読んだ沖縄の人たちの大きな怒りをかうことになり、筆を折る。
ツタは医者になた7歳下の夫とも次第にうまくいかなくなる。
やがて沖縄が日本返還となると、40年も前のあのツタの小説が再評価されるようになり、久路千紗子は「幻の女流作家」と呼ばれるように。。

ツタの人生を考えると、彼女が能動的に生きたのか、受動的に生きたのかよくわからない。
自分で選択はしていえるものの、「詰めが甘い」ところがあって、イガイガしてくる。
「そこまでやったんなら、なんでもうひと踏ん張りしないのよっ」という気持ちになるし、「それじゃあ、逃げることでしょ」と言いたくなる。
この本の最後のほうにあるように、
「訪れなかった未来を噛みしめながら、ツタはそれを全部捨てた」のが、彼女の人生だったのだろう。

悲しいのか、それでよかったのか。結論の出ない小説の結論は、読者が最後をおさめるしかないようだ。
posted by 北杜の星 at 08:12| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」

「イッツ・オンリー・トーク」は絲山秋子のデビュー作。
10年以上前に読んているのに、ほとんど忘れていた。「えー、こんな場面あったっけ?」と驚く文章がやたら出てくるので、新鮮な気持ちで読んだ。

新鮮な気持ちになったのには他にも理由があって、じつは私は今回この本を点字図書館から借り出して読んだのだ。
7月から点字を習い始めて約半年。
50字清音濁音拗音などを学習し、数字とアルファベットを一通り終えた。
先生はいろんなドリル文章を持って来て下さるのだが、それは「サラリーマン川柳」とか「しりとり」とか、字を読む訓練には良いのだろうが、どうも面白くない。
やっぱり私は「小説」が読みたい。
清音だけの「ウラシマタロー」が読めた時には、ちょっと感激したのはしたのだが、どうも「絵本」の類は私の興味をそそらなかったのだ。
小説を読むなら、好きな作家のものをと考えて、かなり迷った。
大好きな須賀敦子にしようか、町田康にしようか、それとも堀江敏幸の「河岸忘日抄」にしようか?

町田康は文章がハチャメチャすぎて、意味がわかりづらいかもしれない。堀江さんは今の私には静かすぎるかもしれない。。
と決めたのが、イトヤマさんだった。
彼女なら現代的だし、文章は簡潔。主人公の適度なドライさが私向きだ。

そう思って借り出した。山梨県の所蔵なので、他に予約がない限り、いつまで借りていてもいいと言われた。(他所のものは20日以内に返却しなくてはならない)。
「いつまでも」とはいえ、まぁ、一カ月くらいなら大丈夫のはず。
・・だけど「ウラシマタロー」とは大違いだった。
思わぬ単語が出てきたり、点字が難しかったりと、1ページ読むのに30分かかったことも。(イトヤマさんは車好きで、主人公の車がランチャのイプシロンなんだけど、その「ランチャ」が読めなかったなぁ)。
文字を追うのに精いっぱいで、内容が全然わからないので、愉しむどころではない。
もちろんスピードも遅い。

それでも半分くらい読み進んだら、なんとか登場人物がこちらに入ってくるようになった。
ラストでは「イッツ・オンリー・トーク」がクリムゾンの曲から取ったものとわかったし、「あぁ、よかったな、これ。」と思えたし、まぁ理解できたのかな。
でももう一度読み返してみようとまた読んでみたら、読み飛ばしていた部分がかなりあったのか、始めて読むような行もたくさんあったのには驚いた。
でもスピードは確実に上がっているのが、うれしい。

この作品、かなりのセックス描写があるんですね。
なにしろチカンが出てくるのだから。
だけど、印字なら読むのに気が引ける文章でも、点字なら誰にもわからないので、おおっぴらに読める。
それとこれを読む数日前から、めまいがしていたのだけど、普段はめまいのする時には字を読むとクラクラして読めないのだが、点字なら目を使わずに指なので、長い時間でなければ平気だった。
点字のメリットってあるんですよ。停電になっても読めるしね。
デメリットもあって、それは本がとてつもなく大きいこと!重いこと!
ちょっとバッグに入れてなんて、無理。
どうすればいいんだろ?

本の話にならなくて、ごめんなさい。
デビュー作に作家のすべてが備わっているとよく言われるけれど、それは本当だと思う。
「イッツ・オンリー・トーク」には絲山秋子が詰まってました。

posted by 北杜の星 at 08:33| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月16日

阿川佐和子「強父論」

「お父ちゃんが忌み嫌っていたような『父を讃える本』にはけっしていたしません」。

父である作家が没すると家族、とくに娘に「家庭での父親がどうだったかを書いてくれ」という依頼が出版社からくることが多い。
過去にもたくさんの作家の娘たちが、父について書いてきた。
森茉莉、幸田文、室生朝子、萩原葉子はちょっと古いが、彼女たちの父親本はつとに有名。
他にも城山三郎、藤沢周平、井上光晴、吉本隆明などなど、父亡きあとに娘が書いた本は列挙にいとまがない。
そのほとんどが、父親礼賛のような。。

でもあの第三の新人であった阿川弘之は娘の阿川佐和子に厳命していたという。
けっしてけっして「父は偉大だった」とか「夫は素晴らしかった」などみっともない本は出してはならぬ、と。
それを肝に銘じた佐和子さんが書いたのが、この本。
これでもかと、横暴極まりなかった父親が出てくる。
これじゃぁ、礼賛しようにもできないやね、というくらいの理不尽さ。
よくこんな父親、殺されずに済んだものだと不思議になるくらい。

でも、なぜなんだろ?
「私の父親がこんなんじゃなくって、本当によかった!」とつくづく思って、阿川家の人たちに同情してしまうのだけれど、なんだかどこかに、ポッとするものがあるんですよね。
それは佐和子さんの筆にユーモアがあるだけじゃなく、阿川弘之という人間にそういう横暴さを許容させるだけのものがあったんだと思う。
だから四人の子どもたちがグレもせず優秀に育ち、妻だって離婚せずにきたのだろう。
我慢できなければ、我慢はしなかったはずだ。
それに多分、家族たちだからこそ、弘之は甘えがあっったのだ。
(第三の新人たち、例えば吉行などは弘之のことを「瞬間湯沸かし器」と呼んでいたので、まぁ、誰にでも怒ってはいたのだろうけれど)。

佐和子さんが幼稚園の頃、家に帰ってお母さんに「あのね、今日ね、○○子ちゃんがね、、」と話していたら、「うるさい!結論から言え、結論から」と怒鳴られた。
4歳くらいの子どもが「結論」と言われてもねぇという感じだが、気の短い私だって機嫌の悪い時には、そう言いたくなるかもと、笑ってしまう。
またある時、誕生日に中華料理を食べにレストランに行った時(阿川家は誕生日には中華のことが多かった)、食事が終わって外に出たら冷たい風が吹いていたので、佐和子さんが思わず「あ、寒い」と言ったら、弘之が烈火のごとく怒ったそうだ。
「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」と言わなかっったことが、気に入らなかったらしい。
車で帰宅する間ずっと怒鳴っていたのを、母が「そんなにおこらなくても」と弘之を諌めたら、それにも憤慨し、母をその場で車から降ろしたとか。


とにかくその怒りが理解不能な無茶苦茶さだった。
だけどそんな横暴さには、弘之年代の男の「家長」として気概が溢れていたのだろう。
それには責任も当然あったはずだ。作家という不確かな収入の職業で暮らしを支えるべく努力もあたろう。
そうしたことを暗黙のうちに家族に認めさせるための、弘之の言動だったのかもしれない。

弘之は収入にいつも関心が強かったと佐和子さんが書いている。
父の臨終にはタッチの差で間に合わなかったが、まだ温かい父に向かって「印税、30万円だよ」と叫んだらしい。
というのは、父の本が文庫本化され、それが再販となり、印税が入る知らせがあったばかりだったからだ。
父の耳元に「30万円だよ」と叫ぶ佐和子さんの後ろで、看護師さんがくすっと笑っていたそう。

凄まじい父の暴君ぶりが書かれているのに、この本、やっぱり娘の父を恋うる文章でいっぱいなんですよね。
このような本、娘じゃないと書いてはくれない。
阿川弘之、素敵な娘をもった。ということは、彼の子育て、成功したということなのか。
弱い父より強い父が家庭には必要なのかもしれない。
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

阿古真理「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」

いま日本人は大のパン好き。米よりパンの方が好きという人だっているくらい。
かくいう我が夫も「食べものの中でパンが一番好き」という人間だ。
さいわい、ここ八ヶ岳南麓の北杜市はパン屋さんの激戦区で、素晴らしいパン屋さんがとても多い。
今年も新たなパン屋さんが登場して、選択肢が広がった。
フランスパンはここ、カンパーニュはあそこ、食パンはあcっちの店と使い分けている。
はっきり言って、どこも値段はけっして安くはない。国産小麦と考え抜かれた天然酵母で作るのだから、それは仕方ないこと。
パン屋さんのなかには小麦から自家栽培しているところもある。
パンに関しては東京よりずっと恵まれていると思う。

これだけ進化したパンも、黎明期には職人さんたちの苦労があった。
米食に慣れた日本人にとってパンはパサパサ、ボソボソしたもので、喉の通りが悪かったことだろう。
洋食が広まるとともにパン食も少しずつ増えていった。
しかしパンが国民のなかに浸透したのは戦後のあの給食のコッペパンからではないだろうか。
脱脂粉乳と一緒に出されたあのパン、美味しいとは言えなかったけれど、あれでパンが日常的になったのだ。
一説にはあれは、アメリカが自国で余った小麦粉を消費させるために、日本と韓国でパン食を推奨したそうだが、その真偽のほどもこの本の中には述べられている。
(昭和30年代ごろには「米を食べると頭が悪くなる」とまで栄養士たちが言っていたけど、あれはアメリカと日本の国策だったのだろう)。

だけど日本人はアレンジが上手なんですね。
そっくりそのままアメリカやヨーロッパからのパンを食べて来たわけではない。
アンパン、クリームパンやジャムパン(最近あまり見かけなくなったけど)、カレーパンなど独自の日本のパンを作り出してきた。
パンのなかにアンコを入れるなんて、すごい発想だ。
(シチリアに行ったときに驚いたのは、ジェラートをパンに挟んで食べること。えーっと思ったけど、あれはアンパンの原理か。暑い夏のシチリアで、コーンのジェラートはすぐ融けてしまうからパンに挟むというのは正解かもしれないけど、ただでさえ量の多いイタリアのジェラート、パンに挟んだらこれはもう私にとっては食事になってしまう)。

どんなに菓子パンが美味しくても、食事パンはなかなか普及しなかった。
神戸のフロインドリーブはそういう意味で当時、画期的だったはず。とくにヨーロッパのパンを知って帰国した日本人にとっては救世主のような存在だった。
そんな日本で一人のフランス人が、カンパーニュを作り始めた。1980年代のことだ。
ピエール・ブッシュさんは日本の国産小麦を使って、それまでのドライのイースト菌に替え天然酵母でパンを焼いたひとで、ある意味、現在の日本のパンの原点ともいえる。
ブッシュさんの弟子たちがいま、日本中で活躍して美味しいパンを作っている。
ブッシュさんのパンがそれまでと大いに違うのはその理念だ。オーガニックで安全安心なパンがコンセプトで、それはたんにパンだけでなく、ライフスタイルへの提案ともなった。

私たちは富ヶ谷の「ルヴァン」が大好きで、80年代終わりからよく食べていた。
調布のルヴァンは宅配してくれるが富ヶ谷はしてくれなかたので、八王子の「木のひげ」にお願いしたこともある。
ルヴァンも木のひげもどちらもブッシュさんのお弟子さんだ。
原料の小麦を吟味し、大切に天然酵母を育て、ギリギリ限界ちかくまで焼く。
私は日本のパンの「焼き」はどうも甘過ぎると思う。ギリギリ焼くのは内側の柔らかさが難しいのだけど、焼きが甘いと、日本のような湿気の多い国ではすぐにカビが生えてしまう。
ヨーロッパのパンは古くなるとカチカチになって、それはそれでパン粉にしたりスープにしたりできるのだけど、日本ではちょっと日にちが経つとくちゃっとしてしまう、カビが生えたらもう使い物にならない。
その点、ルヴァンのパンは私にとって理想的な焼き具合なのだ。かわの部分が素晴らしい。、

確かにいま、日本のパンはとても美味しく、本家ヨーロッパを凌ぐほどだ。
でもこれが到達点ではなく、これからどう進化してゆくのか?
まだまだ世界には私たちの知らないパンがあるはず。アラブ諸国、アフリカなどのパンも食べてみたい。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

井上荒野「綴られる愛人」

小説って最初の出だしは面白くても、だんだんと退屈になるものがある。
その反対にどんどん面白っくなって、徹夜をしても読み終わりたくなる本もある。
この「綴られる愛人」は後者。
たんにストーリーの展開が面白いだけではなく、井上荒野の心理描写の巧さに引き摺られて読了した。

東京に住む35歳の柚は著名な小説家。
北陸に住む航太は大学生。
彼らは「綴り人の会」という組織を通じて文通してる。
今の時代にメールではなく手紙というのがアナクロだが、だからこの小説が成り立つのだと思う。
どういうシステムになっているのか「綴り人の会」では、文通相手から直に手紙が届くのではないようだ。
お互いの手紙はある一定期間を経たのちに、手元に届くようになっている。

文通では柚は専業主婦凛子。航太はエリートサラリーマンのクモオと身分を偽っている。
この期間が微妙な「間」で、次の手紙を待つ間に不安や猜疑心が増幅される。

嘘で固めた手紙のやりとり。
それでもそれらの手紙には次第に彼らの心の奥底が現れてくる。

文通やブログを書く場合に、柚や航太のように嘘八白を書き込む人は多いそうだ。
現実逃避なのか、それとも物語のなかの自分に酔いたいのか。
ちなみにこのブログ、私は本当のことを書いてます。だって友人知人が読んでくれているのだもの、嘘書いたらすぐにバレてしまうし、第一、現在の自分を偽らなければならない理由もさしてない。まぁ、しごく単純な生活と性格ということか。

柚と夫は「おしどり夫婦」ということになっている。
けれど夫のモラルハラスメントはかなりのもので、夫は柚を隷属させている。
航太は友人たちとうまくいっていないし、就職活動だって思うように進んでいない。
つまり彼らは二人とも日常に満足せず、「何か」を求めているのだ。

でもそれは決して不倫とかアバンチュールではないのだと思う。
凛子への想いを強めるクモオに対して、少なくとも凛子は違う。彼女は夫に「秘密」を持つことで「仕返し」をしたかったのではないだろうか。
お互いに求めるものが違いながらも、大きく膨らんでいく様子がこの小説の肝ではないか?
ちょっとサスペンスっぽい作風になっているので、結末は書かないけど、男と女、女のほうがやっぱりシタタカ。。ですね。

一つ疑問が。
それは柚のような物語をつくる「作家」が、文通でも物語をつくるものだろうか?
小説を書くという行為ではそういう部分で充足できないとしたら、なんか、つまんない作家かも。

posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

小倉崇「渋谷の農家」

タイトルに驚いた。渋谷に農地や農家があるの?!
練馬や世田谷や杉並ならいざしらず、あの渋谷に。

地べたの農地ではなかった。
ビルの屋上で野菜を作っているのだった。
「それじゃぁ、家庭菜園じゃない」と言う向きがあるかもしれないが、そうではない。
そうではないところにこの本の著者の矜持がある。

著者は出版社勤務を経て現在は、出版や広告に活躍していて、日本全国の有機野菜を取材する農業ライターでもある。
これまで取材してきた農家の人たちに触発され、かねてより関心の深かった農業を自分でも始めてみようと、渋谷の農家となったのだ。
日照などを考慮して移動できるように大きなプランターに(じっさいには重くてそうは移動できないが)に土をいれ、排水を考え、みんなで野菜を育てている。
都会の真ん中とは思えないほど、生育はよい。
けれどここでも獣害があるんですね。猿やイノシシはいないけど、カラスやネズミにごっそり作物をやられることがある。

しかしこの本のメインは著者の畑だけではなく、日本全国で頑張っている農家の人々が紹介されていることだ。
作るのは有機栽培での、米、野菜、オリーブ、麻、ニンニク、リモーネ(レモン)などなど。
面白いのは彼らの大多数が根っからの農業ではないこと。人生半ばから農業を始めた人たちなのである。
生れ育った地、移住した地・・選択はそれぞれだが、みんな有機栽培や自然農法に取り組んでいる。

でも大変だ。
成功している場合もあるが、農業だけで一家を成すのは困難なようで、なかには農業での収入は一カ月4〜5万円にしかならず、道路工事などのアルバイトや奥さんの仕事で助けられている場合もあるようだ。
それはそうだろう、と思う。
だって昔から東北などの農家の人たちは農業だけで食べていけないから、冬の間に都会に出稼ぎに行ったのだもの。

私にとって興味ある記述があった。
神奈川県の藤野という小さな町がある。、中央道に藤野ICがあるのでご存知の方もいるだろう。
西に向かって車を走らせていると、左の山にハートマークのついた封筒の看板が大きく見えてくる。
藤野はアーティストが多く住む町として有名なのだが、そもそも戦時中に、藤田嗣治や猪熊弦一郎らが疎開していて、シュタイナー学校などもあるような自由な雰囲気の町なのだ。
東日本大震災直後には、東京電力に頼らず、電気を自給自足しようという「藤野電力」を有志で立ち上げたことでも知られている。
私も当時その記事を見て、ネットで調べたことがある。ユニークな集落だなと羨ましかった。
著者の友人がここで農業を始めたのだそうだ。

最近は農業をしてみようという人たちが増えている。
私の住むここ八ヶ岳南麓にも3・11以降、若い家族が農業をするために移住してきている。
限界集落が多くて、耕されなくなった田んぼや畑を借りて、有機栽培に取り組んでいる。
私の家の下にも、今年の春から若い農業グループがそうした畑を借りて頑張っているようだ。
「どこかこの集落に、古家を貸してくれるところはありませんか?」と訊かれるが、ないんですよね。あってもなかなか地元の人は貸したがらない意。
そのグループの人たちはどこから畑をしに、やって来ているのだろう?

男性たちだけではない。最近では「農業女子」がずいぶんたくさんいて、私が毎日食べている無農薬玄米も、3人の女性が共同で作っているものだ。
彼女たちの生活が農業だけで成り立っていけるように、できるだけの応援をしてあげたいと、その玄米の美味しさを友人たちに宣伝しているが、みんな一度食べるとその美味しさに、リピーターになっている。

食べものを自分で作る人間は「強い」。
これほど強いことはないと思う。何が起こっても大丈夫の、根源の強さを持っている。
食料自給率が高い国こそが、本当の文化国家だと私は考えている。
「渋谷の農家」、いいですね!
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2016年11月21日

[ 井上都「ごはんの時間」

副頽が「井上ひさしがいた風景」とある。著者の都さんは作家井上ひさしの長女。
20歳のときからひさしが座付き劇作家をしていた劇団「こまつ座」で、離婚した母に代わり父と共に仕事をしてきた。
けれどひさしの死の前、なにかの齟齬が生じたらしく、劇団を去り、父ひさしの臨終にも立ち会うことができなかった。
都さんは以後、パートをしながら高校生の一人息子を育てている。
これは毎日新聞夕刊に2年間にわたり連載されたエッセイをまとめたもので、かつてのひさし一家(母方の祖父母、ひさしと好子夫婦、娘三人)の「ごはん」のあれこれを懐かしみ書いている。

その当時の料理担当は祖母だった。そのためか派手なメニューはない。東京下町の普段の気取らない、それでいて「これならご飯がすすむだろうな」と思える料理が並んでいる。
ひさしと母好子が離婚し、ひさしは米原ユリさんと再婚して息子をもうけた。新しいひさし一家の食事は多分、旧ひさし家のものとは大きく違っていることだろう。
なぜならユリさんは幼い頃に東ヨーロッパで育ち、成人してからはイタリアに料理留学してイタリア料理研究家となった人だからだ。
スパゲッティひとつにしても本場の味がでてくるのだろう。
旧ひさし家でのひさしの夜食は、ベーコンとスパゲッティを炒めた塩辛いものだったという。でもそれをひさしは好んで食べていたらしい。
もう一度父にあのスパゲッティを食べさせてあげたいと書く都さんの胸中には、複雑な想いが詰まっているような気がする。

幼いころに食べた味が懐かしい思い出となるには、時間の経過が必要だ。
再現できない味だからこその郷愁がそこにはあるのだろう。
ひさしの故郷山形の味、祖母のつくってくれたごはん、忙しかった母がチャチャッと作ったおかず・・
料理がけっして得意ではない都さんの文章が連載の回を重ねるごとに巧くなってゆくのを読むのは、うれしく楽しいと同時に、なにかとても切なくなってくる。

結婚願望のまったくなかった都さんは息子を事実婚で産み、その父となる「彼」と暮らしていたが、「彼」は突然事故死。
それからの息子二人との暮らしは、経済的にもいまは大変そうだ。パートの仕事の再契約を断られたり、不登校になった息子と向き合ったり。。
でもこの息子さん、年頃相応にぶっきらぼうではあるけれど、とってもやさしい男の子だ。
料理が苦手な都さんに「簡単なものでいいよ」と言ったり、「今日は夜はテレビでサッカーを一緒に観よう」と言ってくれたり。
左の腎臓一つしかなく、その左も尿管狭窄水腎症で機能が衰えて手術が必要とされていて心配はつきない。

よろこび、挫折。いろいろあったこれまで50年の人生。
それでも父ひさしとの時間は忘れられないいとおしさで都さんの心に残っていて、希望を与えてくれる。
だから苦手であっても息子のために一生懸命に「ごはん」をつくるのだ。
きっと都さんの心に内には吐露したいさまざまなことがあるのかもしれないが、ここには恨みごとはないし憎しみもない。
ただ落とし前がつかない前に行ってしまった父への悔いがあるだけ。
素直な彼女の心情にただ、「頑張って」と言葉を掛けてあげたい。

ひさしが買ってお土産に買って帰ってくれた鯵の押し寿司、誰が作っても失敗のない茄子の味噌炒め、自分は嫌いだけど息子が鶏肉好きなのでつくるチキンのジュウジュウ、山形のラ・フランスやふうき豆、クリスマスに飲む甘い偽シャンペン、乗り合わせたバスの乗客とケンカして父が投げつけていたボウロ・・
他人からすると何の価値もないものかもしれないが、それらの記憶が都さんの足を未来に向けさせる。

小さな一冊。でも読んでよかった本。

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2016年11月09日

絲山秋子「海の仙人」

大好きな絲山秋子のなかでも、この初期作品が今もって一番好きだ。
これまで何度か読み返したが、そのたびにやはり「あぁ、これ、いい」と思う。
なぜいいのか?
話の展開としては荒唐無稽ではある。
まず、ファンタジーというあまり御利益がない神さま(というより神さんというニュアンスかな?)がのっけから出てくる。
主人公の河野は3億円の宝くじが当たっているし、人生に2度も雷に打たれる。
これだけでも、なんてリアリティのない小説なんだろうと思ってしまうかもしれない。

しかし、小説のリアリティというのは現実感ではないのだ。
もともと小説とはお話しである。作り話である。それが私小説であろうともつくり話であることに変わりはない。
その作り話をいかに読ませるか。あり得ない話にどれだけ読者を感情移入させることができるかどうかが、作家の力量なのだ。
しかも簡単に「感動」させられたら、なんだかいいように騙された感じでイヤになってしまう。
そんな「あざとい」小説、うさんくさくて私は嫌いだ。

絲山秋子を私は、「お話をつくるひと」と捉えている。そしてその話が極上なのだ。
それでも、それでも、彼女の小説は「お話し」が軸ではないのである。ストーリーを超えたとこに彼女の小説の真意があるのだと思う。
それがこの「海の仙人」を読めばわかるはずだ。

ファンタジーという情けない神さんは孤独な人間に寄りそう。
3億円の宝くじが当たって東京のデパートの仕事を辞めて敦賀でまるで海の仙人のように暮らす河野勝男。
その勝男をイタリア語の卑語であるカッツォと呼んでいる元同僚の片桐。彼女はずっと河野に片思いをしている。
片桐が敦賀を訪れ、河野とファンタジーと3人で金沢、新、潟に旅行をする。
やがて河野はかりんというキャリアウーマンと出会い、二人は遠隔地恋愛をすることになる・・

最初はコメディのよう。それが次第にシリアスになってゆく過程のなかに、人間の孤独があぶり出される。
もっとも孤独と縁遠いと思われる片桐の言葉が胸にしむ。
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか?外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。」

そう、結婚していても子どもや孫がいても、何かの宗教とか社会活動とかの組織団体に属していようとも、それで孤独が解消さされるわけではない。
それは人間の根源。まさに片桐のいう「心の輪郭」なのだ。
この小説のなかで片桐に作者絲山秋子が投影されている気がする。
以前設備メーカーに勤務し営業ん仕事をしていたイトヤマさんだから、かりんにもそのあたりは似ているが、性格は片桐だ。

読み終わって食卓の上に置いたこの本を見た夫が、「僕もまたこれ、もう一度読んでみようかな」と言った。
読んでよ、読んでよ。
けっしてハッピー・エンディングではない不吉な空模様が、小説が終わった後にどうなるのか?彼の感想を聴きたい。

絲山秋子作品に出てくる音楽や車が、ツボにはまっていてセンスいいのも、彼女の小説を読む楽しみの一つ。
この中にもアルファやピックアップやカローラバンの営業者など、使い方が絶妙。
願わくば、ファンタジーにもう一度会いたい。
イトヤマさん、新しい作品にファンタジーを再登場させてくれないかなぁ。

posted by 北杜の星 at 07:56| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月08日

池上正樹「ひきこもる女性たち」

これまでの公的調査によると、ひきこもりの7割が男性とされてきた。
それでは女性のひきこもりは3割なのかというと、どうやらそうではないようだ。
というのは女性のひきこもりは目につかない場合が多いから。
専業主婦や家事手伝いの女性たちは、家に居るのが当たりまえと考えられがちで、そのために女性のひきこもりが社会問題とならなかった。
けれどじつは女性のひきこもりの実数は多く、増えているという。

女性のひきこもりには外因があることが多い。これが男性と異なるところ。
会社への電車での痴漢がイヤ、上司のセクハラ、通勤通学路が怖い・・
性的な理由がかなり占めているが、横暴な父親やDV夫から逃れるためのひきこもりもある。
(離婚して実家に帰ると、親から「出戻りだからあまり外には出るな」と命じられたり、、)
男性のひきこもりと違うのは、リストカットなどの自傷行為や摂食障害をともなうことがあって、それはそれで危険だ。
ただ女性の場合、問題が解決すればひきこもりから脱出できるそうなので、これは救いがある。
だからそうした社会復帰したい女性たちを支援するところが必要となるのだ。

私の友人にも何人か、子どもや甥っ子がひきこもりの悩みを持っている。
以前のように、大学を出て就職したからもう安心、というわけにはいかない世の中。
つくづく親は大変だと、子どものいない私はため息をついてしまう。

でもふと、思った。
高齢者のひきこもりというのもあるんじゃないか?
体の自由がきかなくて、すべてが面倒になり、風呂に入らず着替えをせずという話はよく聞く。
とくに男性はまわりとコミュニケーションをとれない人が多い。
高齢者がひきこもると、不潔になりそうだなぁ。筋力が衰えてアタマもボケて。。
若い人なら回復能力があるが、歳とるとそんな力はないもの。

ひきこもりは個人の問題、それ以上に社会の問題。
一億総ひきこもりになったら、どうするんだろう?
日本だけでなく最近はイタリアでもひきこもりがあると言う。あのイタリア人がひきこもり?と思ってしまうのだけど、みんながパッパラパーに明るいからこそ相容れない苦しさってあるのだろう。
シンパシーを持ちたいけれど、ひきこもりは可視化しないから、むつかしい。


posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

五十嵐太郎「地方で建築を仕事にする」

数年前だったかこの本と同じ学芸出版社より「海外で建築を仕事にする」というのがあった。(私は読んでいないのだけど、何かの書評で記憶がある。)
「地方で建築を仕事にする」はその続編か。それともシリーズ2冊目なのか。
この2冊の本のタイトルを見ると、なんだかおかしくなる。
だって「海外」にしても「地方」にしてもどちらも、私の夫のことを言ってるみたいな感じなんだもの。

東京を離れて地方に移り住み、そこでこれまでしていた建築の仕事に携わるという人はけっこういると思う。
移住するにはそれぞれの理由があって、夫の赴任先に一緒に行くとか、Uターン、Iターンとか。
ここに紹介されている建築家たちはそうした理由から地方に移住し、建築のスキルを生かしながら、東京ではできない土地土地の特性を生かした建築を創ろうとしている。
なかには東京と富山との2拠点という、私の夫のような人もいる)。

建築家資格は1級建築士、2級建築士とあるが、どちらも国家資格であるからして、日本の北から南までどこででも仕事ができる。
ましてや今はネットで繋がる時代。小説家のような個人だけの仕事ではなく、クライアントととの打ち合わせがあるので、出かけなくてはならないこともあるものの、地方に住むのは誰でも可能だと思う。
現に私の夫は山梨へ移住したがいまだに千駄ヶ谷に事務所を持ち、東京の仕事とこちらの仕事を両方している。
東京では大手不動産会社や信託銀行や自治体などの都市計画企画、こちらでは個人住宅、それも山荘設計という、二つの別の筋肉を使っての仕事。
最近では、山荘の建物だけではなく、外構というか庭づくりの設計が多くなりつつあって、これは夫にとっては楽しい作業のようである。
(細かい設計図は必要ないし、施行者との打ち合わせもザックバランだもの、歳をとって面倒くさがり屋になった夫にはうれしい仕事だ)。

「世界で建築の仕事をする」では日本の閉塞する社会から逃れて、海外に目を向け自らの仕事と人生を切り拓こうとする若い建築家たちがいて、外に出たがらないと言われる若者にもこんな素敵な人たちがいたことに、こちらまで爽やかに勇気づけられたものだが、この本にはまた違う意味の建築家たちがいる。
日本は中央集権の国だ。なにもかもが東京中心に動いている。地方では難しい条件で仕事をしなくてはならない場合もある。
それでも日常に則しながら地方と共生し、新しいものを生み出そうとしている姿には、海外とはまた違う感動を受ける。
こういう人たちがつくる明日の地方はきっと活性化し、美しくなるだろうと期待できるのだ。

私の夫は1960年代の終わり、大学卒業後、8年間をイタリアで過ごした。まだ海外旅行に誰もが行くという時代ではなかった。海外に持ち出せるお金が500ドルから700ドルに増えたばかりだった。最初は多分、大学で学んだイタリア建築を自分の目で見てみようと旅立ったのかもしれない。
けれど縁あって設計事務所のボスを紹介してもらい、そこで8年も働くことになった。
ほぼ最初に仕事をしたのがイタリアだったためか、残業はしない、夏休みや冬休みはたっぷり、2年に一度は一カ月休んで旅行する・・なんて習慣がついてしまった。
もし他の勤勉な国だったらこうはならなかったのだろうが、なにせ、昼食後昼寝を2時間という国だった。働き蜂にはならなかったのが良かったのか悪かったのか。。
健康にはよかったかも。でも経済的にはその間仕事をしないんだもの、お金は入らない。
そして40代半ば、毎週末を長野県で過ごし、現在山から下りてきて完全に東京を離れて八ヶ岳南麓に住んで7年。
しごく楽しく充実しているようだ。男性って仕事を辞めるとお友達がいないもんなんですよね。
だけどこちらで夫はたくさんの友人たちに囲まれていて、結構おつきあいに忙しい。
その付き合いの中から「ちょっと、家を改築したいのだけど」とか「ゲストルームがほしいのだけど」とかの相談を受けることも多い。
図面を引くような案件なら設計費を頂くが、お金を頂くまでもないことだってかなりある。そういう時には「それでは奥さんも一緒に夕食でも」と招待されて、そこからまたおつきあいの輪が広がってゆく。
地方の人間関係の密度は東京にくらべると濃いし強いのだ。

夫の友人たちも続々東京を離れて、田舎暮らしを始めている。
地方に根を張りゆったり暮らすことは、本当の豊かさとは何かを問い直せる。
なによりも素晴らしいのは、自分が直に役立っていると実感できることではないだろうか。
もし故郷が地方にあるのなら、定年後はUターンして生れた土地に恩返しする、そんな老後があってもいいような気がする。
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

イヴ・ジネスト/ロゼット・マレスコッティ「『エマニチュード』という革命」

何カ月か前、夫の観ているテレビの画面にある老人施設が映っていた。
車椅子の高齢者の前に一人のフランス人男性が同じ目線にひざまずいて、静かに微笑みかけていた。
何なんだろう?と画面を観ていると、その高齢者の顔がだんだん穏やかになり、笑みさえ出るようになっていった。
番組で知ったのだが、これが「ユマニチュード」だった。

ユマニチュードは高齢者や障害者に「人間らしい」ケアをすることを目標にしている。
その基幹にあるのは「優しさ」だ。
優しさをもってケアすると、見違えるほどの効果が表れる。
看護師や介護士が想像もしない結果が生まれる。
暴力的な言動をしていた人や何もする意欲がなかった人や、鼻からチューブで栄養を摂っていた人が、穏やかになり笑い、自分の口から食べられるようになるのだ。
何も特別な医療行為を行うわけではない。

ユマニチュードには4つの柱がある。
「見る」・・水平の視線は相手に平等な関係を伝える。
「話す」・・穏やかに、ゆっくり、前向きな言葉を用いて、言葉を絶やさないように話しかける。
「触れる」・・最初から手や顔ではなく、広い範囲の体の部位(肩や背中)をまず、ゆっくり柔らかく触る。
「立つ」・・立つことで、軟骨や間接に栄養を行き渡らせ、呼吸器系や循環器系の機能が活発になる。立って歩くことは知性の根幹んであり、人間であることの尊厳を自覚させる。

ユマニチュードの根っこは優しさではあるが、それはプロフェッショナルの技術に裏打ちされたものである。
介護の半分の時間は「保清」に費やされるのだそうだが、その時間を大切なコミュニケーションの場としている。
まず、保清は立って行う。4つの柱にもあるように「立つ」ことをユマニチュードでは大切にしているからだ。(どんなに高齢になっても総計で一日20分間立っていられれば、死ぬまで立っていられるそうだ)。

この「保清」に関しては、数十年前まではフランスでもどこでも本当にひどかった。
病院や施設の患者は糞尿まみれで、拘束されて寝かせされていた。今のような優れた大人用のおむつがなかったせいもあるが、保清の知識もなかったか間違っていたのだろう。
日本の高齢者施設の善し悪しは、その建物に入った時の「匂い」でわかると言われる。
少しでも糞尿の匂いがしているところは、ケアが悪いと判断していいのだそうだ。

施設入居者への虐待が問題になることがあるが、イヴたちはそれは高齢者や認知症患者に関する知識がないのが大きな要因だと言う。
高齢者や認知症患者がどういうものか、その「現在」を知ることで、ケアの目的がはっきりし、方法もわかってくる。
まず、確かな知識を持つこと。
(以前イタリアの高齢者施設で虐待があり、大勢の職員が逮捕されたが、彼らのほとんどには専門知識がなかったそうだ)。

この本の中で私が勇気づけられたことがある。
私には目にジストロフィーがあり、日々視野と視力が欠損されている。
何でも自分でしたいし、してきた私には、誰かのサポートを受けないと生活できないことに忸怩たる思いがある。
自律(この本には自立ではなく自律という字が使われている)できない人間としての口惜しさは、不便さを大きく上回っていて、尊厳が失われる気持ちになってしまう。
しかしこの本には、「身体的な依存は自律を妨げるものではない」と書いてあった。

例えば寝たきりの入院患者が病室でテレビを観ようとしたとき、自分ではスウィッチをONにすることもチャンネルを変えることもできないが、看護師を呼んで依頼することができ、チャンネルを選ぶことができる。これは身体的ンはケアを受けるのであって、自律を損なうものではないというのだ。
つまり、自律とはあくまで知性的なものであって、身体的なものではない。

「委託された依存関係の中で、あなたの自律のために行動する。これがケアする人の役割」と、介護する側から書かれている。
ケアしているからといって、ケアする人間が決定したり選択してはならないのだ。
それをするのは、身体的ケアを必要としていても、自律している「本人」なのだから。。
この言葉に私は大いに気持ちがラクになった。
ケアされることで、私の尊厳が失われるものではない。ケアしてくれる人に感謝しつつ、卑屈になることなく堂々としていればいいのだ。

日本でもユマニチュードのケアを学ぶ人が増えている。
何年かするとイヴとロゼットの始めた介護が日本中の施設で実行される日がくるのかもしれない。
ベッドに括りつけになったり、車椅子に拘束されたりする必要のない高齢者や認知症の人が、ニコニコ笑顔で過ごせる日がくると良い。だって私だってあと15年くらいするとそういう立場になるんだもの。
それにしても政府は介護報酬をまた下げる方向のようだ。
優れたケアをするプロに対して、何故、正当な報酬が与えられないのか?
何か政治家に邪悪な目論見があるとしか考えられないですよね。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月02日

井上ユリ「姉・米原万理」

ロシア語通訳家米原真理が亡くなってもう10年になるという。
月日の流れる速さに驚くばかりだ。
彼女のようにはっきり自分の意見を言えるひとが最近は少なくなった。
意見を言って批判非難されると、舌の根も乾かないうちに言を翻し簡単に謝ってしまう。つまりは責任回避と迎合してるだけ。
つくづく米原真理が恋しい。

この本の著者は米原真理の妹で作家の井上ひさし夫人のユリさんだ。
副頽に「思い出は食欲と共に」とあるが、ユリさんはイタリアで修業した経験のあるイタリア料理研究家。
「食べる」ことに並々ならぬ興味を持つのは米原家全員だったようで、美味しい物をちょっとだけというのではなく、美味しい物はどっさり食べたいというグルメでグルマンが真理だった。

米原真理の食欲の旺盛さがあのエネルギーにつながっていたのだろう。
なにしろ7歳のとき、お正月うお雑煮の餅を9個も食べたそうだ!
すごいなぁ。。と驚くばかりだが、これは序の口。
家族や親族揃っての会食ではみんなの食べる速度に、お店の人はまだ料理がきてないと思い込み、同じ料理を二度出してくれたこともあったほど。
先に席に着いていた他のテーブルの客よりもずっと速く食事は終わるのが常。

米原家は姉妹が小学生の頃、チェコのプラハで数年を過ごした。父親が日本共産党の幹部だったので、当時世界各国からの共産主義者が集まっていたプラハで仕事をすることになったためである。
母親も次第に東ドイツに行って仕事をすることが多くなり、姉妹二人で食事をすることもあった。
日本共産党とソヴィエトとの折り合いが悪くなってから、彼らは帰国したのだが、日本に帰って懐かしかったのがあのライ麦パンだった。

あのころの日本ではまだちゃんとしたパンを売るパン屋はなかった。フランスパンでさえほとんどなかった時代だ。ましてや黒パンを手に入れるのは不可能だった。
神戸の友人が上京するときにフロインドリーブのドイツパンを持って来てくれたのには大感動だったとか。
それって、わかるような気がする。
亡命したロシア人がもっともノスタルジーを感じるのがやはりあの黒パンだという。
私は南ヨーロッパに行くことが多く北ヨーロッパのパンを知らないので、黒パンを食べる習慣がないのだが、ときどき食べると噛みしめるほどに美味しいと思う。
貧乏旅行で昔はよくアエロフロートを利用したが、機内で出る黒パンは唯一好きなものだった。
(今は富ヶ谷か上田市の「ルヴァン」のコンプレ100か、甲府の「バルト」のライ麦パンが好き)。
それと米原家がもう一つ懐かしかったのが、ソーセージだった。プラハではよく屋台で、黒パンにソーセージを挟んだのを買って食べていた。
そうだよね、当時の日本でソーセージというと、真っ赤なウィンナー・ソーセージだったもんね。
これは銀座の老舗のドイツ店のソーセージが満足できるものだったとか。

これまで未収録だった写真がたくさん載っている。
幼いころから石の強そうな顔をしていた人だ。きれいな一重まぶたはそのまま。
それにしても、幼いころの同じ思い出をもつ姉を失うのはどんなにつらいことだろう。
「あのとき」を話し合えない寂しさ。。
せめて食べもので思い出を辿るしかない。
そういう意味では、思い出がたくさんあってよかったですね、ユリさん。

私が死んだら夫は私の何の料理を思い出して懐かしがってくれるかと、いつか訊ねたことがある。
イタリア料理が好きな彼のことだから、そういうものかと思ったら、なんと意外にも意外、「きみの煮物」なんだそうだ。
ご飯のおかずにはならないくらい薄味なので、最初のころはあまり喜んでいなかったはずなのに、慣れちゃっていつのまにか好物になっていたのだろうか。
昆布とかつお節でひいた出汁の味噌汁が好物に加わるともっと嬉しいのだけど、味噌味が苦手なのでダメかな。

「思い出は食欲と共に」というのは、きっとよくあることなのでしょうね。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

池澤夏樹「沖縄への短い帰還」

池澤夏樹は1994年から2004年まで沖縄に住んだ。
最初は那覇、それから知念村に移住。二人の娘は沖縄で生れている。
この本は「沖縄に入れあげ」た彼が沖縄について沖縄から発信した文章(単行本のなかに収録sれていない)を集めたもの。
読んだ文章もところどころにあったがあらためてこれを読むと、池澤夏樹の沖縄への強い愛情が感じられる。
彼は自分のことを「帰りそびれた観光客」と呼び、半分は県民、半分は特派員として、沖縄を本土に紹介してきた。
沖縄の自然、言葉、音楽、人々、食べもの・・すべてが池澤夏樹を惹きつけていたようだ。

あの当時、沖縄に住むことはちょっとしたブームだったと思う。
いろんな有名人が沖縄に移住していた。(いまはどうなのだろう?本土に戻った人もいれば今も沖縄に住み続けている人もいるのだろうけれど)。
ただご存じのように沖縄には米軍基地がある。辺野古問題は揺れに揺れている。いいことばかりではない。
沖縄に住むということはこの問題を抜きにしては何も語らないのと同じこと。
池澤夏樹もこれに関してはいろいろ発言してきている。

これは私も東京を離れて山梨に住むようになり強く感じているのだが、日本って本当に中央集権なんですよね。
なにもかもが東京中心。日本の他の場所はすべてある意味東京の犠牲になっているところがある。(福島第一原発の事故がいい例)。
池澤夏樹も沖縄という「僻地」に住んでそのことを痛感している。
沖縄の歴史に深いシンパシーを持つとなおさらだ。

池澤夏樹の文章もだが、沖縄について書かれた書籍の彼の書評も興味深い。
彼は書評家としてもとてもすぐれているので読み応えがあるだけでなく、「この本、読んでみたい」と思わせる説得力がある。

もともと池澤夏樹は「旅するひと」だ。
若いころは南太平洋に通いつめたし、30歳からはギリシャに住んだ。(テオ・アンゲロプロス監督の映画は池澤の訳だ)。
作家という職業はどこでもできる。ましてや現在のようにネットの繋がりがあれば、世界のどこであっても仕事はたやすい。
そうして「旅するひと」は「入れあげ」た沖縄に住むことにしたのだ。
それは東京での暮らし、レストランの世界中からの贅沢な食材を使った料理や、浮かれた喧騒に飽き飽きしたからでもある。
知念村にはそういうレストランはないが、日常的に普段やお客様のときに料理をする彼には地元の野菜も魚も豚肉も素晴らしいものだったようだ。
ちなみにタコライスを本土に周知させたのは彼の貢献が大きかったよう。

その池澤夏樹が沖縄を離れ、フランスに移住。5年間をパリ郊外のフォンテーヌブローで過ごすこととなったのはやはり彼が「旅するひと」だからかもしれない。
沖縄での特派員としての役目は終わったと感じたこともあるだろうが、二人の娘の教育を日本で受けさせたくはなかったという理由もあるという。
幼稚園の頃はまだしも小学校での教育は上意下達、みんな右に倣え・・そういうふうに画一的な人間に育てたくなかったのだろう。
彼の現在の奥さんはパリに長く住んでいたのでフランス語ができることも強みだったはず。(もっとも池澤夏樹は語学の習得が素晴らしく速いひとなのだけど)。

「沖縄への短い帰還」
沖縄の人たちはきっと池澤夏樹に戻ってきて、また自分たちと泡盛を飲みながら一緒に語りあいたいと願っている。
沖縄とは真反対の北海道住まいなのかな?いまは。。
「旅をするひと」はいろんな場所に「還るひと」でもありえる。それはうらやましいことだ。
posted by 北杜の星 at 07:01| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

桶野興夫「がん哲学外来へようこそ」

日本人の二人に一人がかかるといわれる癌。
それほど多い病気になっているにもかかわらず、癌を告知されると他の病気とは大いに違う反応をしてしまう。
患者本人だけでなく患者の家族も周囲の人たちも、平静ではいられない。
癌になったからこその苦しみや悩みがある。

どんなに先進医療が受けられても、「正しい選択をしているのか?」という疑問を持つ患者がいる。
セコンド・オピニオンを受けるだけではどこか不安で納得できない。そんな悩み。
会社だけでなく家族との人間関係の変化に苦しむ患者もいる。
お互い気を遣いすぎて疲れてしまったり、無理解な夫やお節介過ぎてうるさい妻などへの不満。
残り少ない時間をどう生きればよいのかという焦り。

誰にも言えないことを「がん哲学外来」でお茶を飲みながら話し、話をじっくり聴いてもらう。
来た時の暗い顔が明るくなって帰って行く。
そんな「外来」があればどんなにいいことか・・という癌患者や家族の希望をかなえたのが桶野先生の「がん哲学外来」だ。
30分から1時間、じっくり向き合う。
しかも無料なのだ。
たくさんの人たちが押し寄せるのもわかろうというもの。

桶野先生は現在、順天堂大学の病理の教授だ。
元は(現在は有明に移ったが、以前大塚にあった癌研の病理の先生だった。
桶野先生は医学部卒業後一度は臨床医を目指したが、対人関係が苦手で病理に移ったという。
(癌研の病理は日本一優秀で、今はどうか知らないが国立がんセンターで判断付けかねる組織を癌研の病理へ持って行っていたときいたことがある。)
そんな話し下手の先生がなぜ?というのはこの本でよんでもらうとして、つくづく、癌患者の悩みは人それぞれなのだと痛感する。
それはまさしく癌という病気そのものの性格のようだ。

癌は外部からのウィルスや菌ではない。自分の正常細胞がなんらかの原因で遺伝子を傷つけられて変異したもので、増殖を止めない、アポトーシスしない、とてもやっかいな細胞が癌なのである。
だから癌という病気は個性豊か。同じ胃がんであってもまったく違う経緯をたどることが多いという。
だからこそ、苦しみや悩みも人それぞれなのだろう。

桶野先生はこうした「がん哲学外来」では、なにも医師でなくてもかまわないと思うと書いているが、医師だから患者さんは安心できるのだ。
普通の服を着て、お茶を飲みながらリラックスして前に坐って話を聞いてくれるのが、癌を知りつくした医師だからこそ、何でも話す気持ちになれるのではないだろうか。
ここで桶野先生は南原繁、新渡戸稲造、内村鑑三など先人たちの言葉を伝えることもあるという。
南原繁のことは予備校生のときに予備校の先生から教えられ、またその先生自身から「将来、自分が専門とする分野以外の本を、寝る前に三十分読む習慣をみにつけなさい」と云われたのことも頭に残っているそうだ。
そうした積み重ねが「がん哲学外来」の誕生の基本となっているのだろうか。
といっても、桶野先生は全然、上から目線ではありません!

東京のみならず日本全国から「がん哲学外来」にやって来ます。
興味のある方は「がん哲学外来メディカル・カフェ」で検索してみてください。
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2016年08月12日

安西巧「広島はすごい」

日本経済新聞広島支局長となった著者が、着任後一年で書いたこの本、広島大好き人間の私にはとてもうれしいのだが、「コソバユサ」がないでもない。
だって過大評価じゃない?と思われる個所が多々あるからだ。住んで一念で時期尚早では?と心配してしまう。
安西さんはきっと、前世かご先祖さまが広島だったのだろう。

最後に広島を訪れたのが2年前。
原爆ドームと厳島神社という二つのユネスコ世界遺産があるのが理由なのか、ものすごい外国人観光客だった。
私が泊ったホテルにはポーランドからのツアー団体が泊っていた。
そのときに感じたのは、「広島は明るくなった」ということ。
中心部は相変わらず緑は多くはないものの、美しく整備され清潔感いっぱいだった。
そして広島の人々の親切で優しい印象はなによりもうれしかった。
このやさしさはつまりは、余裕ということかもしれない。
(私の東京の友人が広島観光で宇品へ行こうと、電車の行き先を停留所で訊ねたら、その中年女性は「宇品なんか行っても何にもないよ、かわりに市美術館に行きんさい」と教えてくれたそうだ。その「おせっかいさ」こそが広島女。まるでラテンの国の人みたいに黙っていられない)。

地方再生が云われて久しいが、成功しているところがそう多くない。街の中心部がシャッター通りという地方都市も多い。私の住む山梨県甲府市もそうで、これが県庁所在地なの?というくらい悲しい光景なのだ。
けれど広島には活気がある。
その理由としては、広島の街に中心性があることだと思う。悪く云えば街に広がりがないということでもあるのだが、東京のように大きなターミナル駅ごとに繁華街があるのではなく(渋谷、新宿、池袋、東京駅に近い日本橋や銀座など)、賑わう場所が一つというのがいいのだと思う。
そう、街のサイズがちょうどいいのだ。旧市内の東から西まで徒歩で歩けるサイズ。

この本に書いてあるように、広島の人口は日本で10番目。
中四国地方でもっとも大きな街だが「都会」というイメージはなく、あくまで「地方都市」。
それがまた心地よい。

著者は広島人の特徴を「群れない、媚びない、靡かない」と書いている。
うーん、そうかな。そうかも。。
反骨心はけっこうあるようだし、成功してもどこまでも「イケイケ」になるのではなく、欲がないというのも、そう感じる。

この本で面白いことに気づかされた。
それは倒幕が長州人によって為されたのは事実だが、しかしそれら長州人は広島の毛利が関ヶ原後に山口に移藩されたのであって、彼らのメンタリティは広島人だったのだということ。
そう言われればそうだよね。
広島の人たちは今でも、浅野のお殿様よりも毛利の方が好きみたいだ。

これは知らない人が多いのだが、パンの「アンデルセン」は広島の企業。
かっぱエビセンのカルビーもそう。
それと家電量販店の「EDEON」も本店は広島だそう。
「アンデルセン」は私が幼いころは「高木のパン屋さん」だった。現在のようにトレイにトングでセルフサービスでパンを買うシステムを日本で最初に考えたのが「アンデルセン」だ。
パンん冷凍技術の特許を持ちながらも、ライバルの同業他社に惜しげもなく解放したのは、パンの市場を広げるためだったそう。
広島に行くことがあったら是非、本通り商店街にある「アンデルセン」に行ってみてほしい。
爆心地から400メートルくらいなのに、旧帝国銀行だった石造りの建物は残ったのだ。それを買い取りバンケットホールやイートインが併設されたショップとなっているものだが、被災地ヒロシマにとってはとても大切な建物なのである。

もちろん広島でもっとも大きな企業は、マツダだ。
マツダの景気が悪いと広島全体の士気が上がらない。その意味で最近のマツダは好調で、広島が明るいのはそのいい影響なのだろう。
それと今年の広島カープ!
いつもは5月の鯉幟りの季節が終わるとポシャるのに、今年はスゴイですねぇ。ぶっちぎりの首位ですよ!
なんとかこのまま走りきってほしいものです。

「広島はすごい」。
都会の亜流にならないように、いつまでも地方都市の良さを持ち続けてほしいです。
posted by 北杜の星 at 07:09| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月29日

伊井直行「尻尾と心臓」

伊井直行の本を読むのはいつぶりだろうか。
初期の「草のかんむり」はいまでも私の好きな小説ベスト50位くらいに入っている小説だ。
ストーリーとしてはファンタジーでカエルが出てくるのだが、心の奥底まで響く素敵な一冊だった。
しかし最近の彼はかなりリアルな「会社員小説」にシフトしているみたいで、この「尻尾と心臓」もその類。
これを面白いと思う人が半分、思わない人が半分くらいじゃないだろうか。年齢の高いひとにはIT関係のアレコレには興味がもてないかもしれない。
私は大きな会社で働いたことがないので、会社員の世界は理解できないのだが、つくづく大変だなぁとため息が出る。
でも人間は、本当にイヤなことはしないものだから、大変ななかにも歓びを見つけながら、みんな頑張っているのだろうと思う。

九州に本社を持つ関東の子会社に出向となった乾は、もともとが関東出身で親会社ではめずらしい存在。九州に妻と二人の子どもを残して単身赴任。といっても実家で暮らしている。
元経営コンサルタントの笹島は関連会社に転職して会社員となった。
乾と笹島はあるプロジェクトのために共に働くこととなった。
乾は子会社から、定年過ぎの男性社員とコミュニケーション障害のある女性のスタッフをあてがわれ、物置のようなスペースを片付けたような場所を提供され、疎外感を感じている。
笹島は同じスペースの離れた「島」に二人の男性スタッフを率いている。
このプロジェクトは営業職をサポートするためのアプリなのだが、いろいろクリアすべき問題点がある。
しかしこの製品に理解を示す人間は子会社には誰もいない。
課長、部長、そして社長・・彼らはみなIT商品には門外漢で、積極的に協力してくれないだけでなく、どこか排他的なのだ。

九州という場所柄かのか、この会社はよく言えば家族的。仕事が終わったら、会社の会議室に三々五々と社員が集まりお喋りをして帰るのだが、その場には社員の子どもも加わることがある。
乾にしても笹島にしても、そういうのは勘弁してほしい。
しかし突破口が開けたのは、じつはその「メッサ」と呼ばれる寄り合いからだった。。

組織のなかには必ず変テコリンな人、意地悪な人、言葉の通じない人がいるものだ。
パワハラをする上司や他人の手柄を自分の手柄にする人間もいる。
それでもこれまた必ず、手助けをしてくれる人がいるのが、組織。
(もしそうした助けてくれる人が皆無なら、それは「自分が悪いからだ」と悟るべき?)

一つのプロジェクトを成功させるためには、人間関係の好き嫌いを言ってはいられない。
どんなにお互いに嫌悪感をもっていいても、譲るところは譲り、許すところは許さなければやり遂げられない。
でもだからこそ、ストレスゆえの疲労感が溜まるんですよね。
当たって砕けろじゃぁ、ホントに砕けちゃう。それじゃぁダメ。じっと我慢で策を練らなければ成功しない。

だけど部長だって社長だって、みんな平社員を経てきた人たち。
見ているところは見ているものなのです。みんながワカラズヤではないのだ。

大会社じゃないこの程度の会社であっても、会社員というのは「社長」に対して、こんなにも緊張して接するものなのかと、私には驚きがあった。
タメ口をきくのは論外だけど、なにもこんなにまで・・というくらいへりくだっている。
こうした上下関係だと、黒いものも白くなって率直にモノが言えないよなと心配になる。
だから最後のほうで社長が「失敗したら責任が取れるか」と言うともろで、笹島が「責任は社長にとってもらいます」と答えたのには胸がすいた。
そりゃそうだ。だって社長って何かあったときに責任をとるために高い給料をもらっているんだもの。

私にはこれ、とってもおもしろかったです!

posted by 北杜の星 at 07:08| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする