2016年10月26日

イヴ・ジネスト/ロゼット・マレスコッティ「『エマニチュード』という革命」

何カ月か前、夫の観ているテレビの画面にある老人施設が映っていた。
車椅子の高齢者の前に一人のフランス人男性が同じ目線にひざまずいて、静かに微笑みかけていた。
何なんだろう?と画面を観ていると、その高齢者の顔がだんだん穏やかになり、笑みさえ出るようになっていった。
番組で知ったのだが、これが「ユマニチュード」だった。

ユマニチュードは高齢者や障害者に「人間らしい」ケアをすることを目標にしている。
その基幹にあるのは「優しさ」だ。
優しさをもってケアすると、見違えるほどの効果が表れる。
看護師や介護士が想像もしない結果が生まれる。
暴力的な言動をしていた人や何もする意欲がなかった人や、鼻からチューブで栄養を摂っていた人が、穏やかになり笑い、自分の口から食べられるようになるのだ。
何も特別な医療行為を行うわけではない。

ユマニチュードには4つの柱がある。
「見る」・・水平の視線は相手に平等な関係を伝える。
「話す」・・穏やかに、ゆっくり、前向きな言葉を用いて、言葉を絶やさないように話しかける。
「触れる」・・最初から手や顔ではなく、広い範囲の体の部位(肩や背中)をまず、ゆっくり柔らかく触る。
「立つ」・・立つことで、軟骨や間接に栄養を行き渡らせ、呼吸器系や循環器系の機能が活発になる。立って歩くことは知性の根幹んであり、人間であることの尊厳を自覚させる。

ユマニチュードの根っこは優しさではあるが、それはプロフェッショナルの技術に裏打ちされたものである。
介護の半分の時間は「保清」に費やされるのだそうだが、その時間を大切なコミュニケーションの場としている。
まず、保清は立って行う。4つの柱にもあるように「立つ」ことをユマニチュードでは大切にしているからだ。(どんなに高齢になっても総計で一日20分間立っていられれば、死ぬまで立っていられるそうだ)。

この「保清」に関しては、数十年前まではフランスでもどこでも本当にひどかった。
病院や施設の患者は糞尿まみれで、拘束されて寝かせされていた。今のような優れた大人用のおむつがなかったせいもあるが、保清の知識もなかったか間違っていたのだろう。
日本の高齢者施設の善し悪しは、その建物に入った時の「匂い」でわかると言われる。
少しでも糞尿の匂いがしているところは、ケアが悪いと判断していいのだそうだ。

施設入居者への虐待が問題になることがあるが、イヴたちはそれは高齢者や認知症患者に関する知識がないのが大きな要因だと言う。
高齢者や認知症患者がどういうものか、その「現在」を知ることで、ケアの目的がはっきりし、方法もわかってくる。
まず、確かな知識を持つこと。
(以前イタリアの高齢者施設で虐待があり、大勢の職員が逮捕されたが、彼らのほとんどには専門知識がなかったそうだ)。

この本の中で私が勇気づけられたことがある。
私には目にジストロフィーがあり、日々視野と視力が欠損されている。
何でも自分でしたいし、してきた私には、誰かのサポートを受けないと生活できないことに忸怩たる思いがある。
自律(この本には自立ではなく自律という字が使われている)できない人間としての口惜しさは、不便さを大きく上回っていて、尊厳が失われる気持ちになってしまう。
しかしこの本には、「身体的な依存は自律を妨げるものではない」と書いてあった。

例えば寝たきりの入院患者が病室でテレビを観ようとしたとき、自分ではスウィッチをONにすることもチャンネルを変えることもできないが、看護師を呼んで依頼することができ、チャンネルを選ぶことができる。これは身体的ンはケアを受けるのであって、自律を損なうものではないというのだ。
つまり、自律とはあくまで知性的なものであって、身体的なものではない。

「委託された依存関係の中で、あなたの自律のために行動する。これがケアする人の役割」と、介護する側から書かれている。
ケアしているからといって、ケアする人間が決定したり選択してはならないのだ。
それをするのは、身体的ケアを必要としていても、自律している「本人」なのだから。。
この言葉に私は大いに気持ちがラクになった。
ケアされることで、私の尊厳が失われるものではない。ケアしてくれる人に感謝しつつ、卑屈になることなく堂々としていればいいのだ。

日本でもユマニチュードのケアを学ぶ人が増えている。
何年かするとイヴとロゼットの始めた介護が日本中の施設で実行される日がくるのかもしれない。
ベッドに括りつけになったり、車椅子に拘束されたりする必要のない高齢者や認知症の人が、ニコニコ笑顔で過ごせる日がくると良い。だって私だってあと15年くらいするとそういう立場になるんだもの。
それにしても政府は介護報酬をまた下げる方向のようだ。
優れたケアをするプロに対して、何故、正当な報酬が与えられないのか?
何か政治家に邪悪な目論見があるとしか考えられないですよね。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月02日

井上ユリ「姉・米原万理」

ロシア語通訳家米原真理が亡くなってもう10年になるという。
月日の流れる速さに驚くばかりだ。
彼女のようにはっきり自分の意見を言えるひとが最近は少なくなった。
意見を言って批判非難されると、舌の根も乾かないうちに言を翻し簡単に謝ってしまう。つまりは責任回避と迎合してるだけ。
つくづく米原真理が恋しい。

この本の著者は米原真理の妹で作家の井上ひさし夫人のユリさんだ。
副頽に「思い出は食欲と共に」とあるが、ユリさんはイタリアで修業した経験のあるイタリア料理研究家。
「食べる」ことに並々ならぬ興味を持つのは米原家全員だったようで、美味しい物をちょっとだけというのではなく、美味しい物はどっさり食べたいというグルメでグルマンが真理だった。

米原真理の食欲の旺盛さがあのエネルギーにつながっていたのだろう。
なにしろ7歳のとき、お正月うお雑煮の餅を9個も食べたそうだ!
すごいなぁ。。と驚くばかりだが、これは序の口。
家族や親族揃っての会食ではみんなの食べる速度に、お店の人はまだ料理がきてないと思い込み、同じ料理を二度出してくれたこともあったほど。
先に席に着いていた他のテーブルの客よりもずっと速く食事は終わるのが常。

米原家は姉妹が小学生の頃、チェコのプラハで数年を過ごした。父親が日本共産党の幹部だったので、当時世界各国からの共産主義者が集まっていたプラハで仕事をすることになったためである。
母親も次第に東ドイツに行って仕事をすることが多くなり、姉妹二人で食事をすることもあった。
日本共産党とソヴィエトとの折り合いが悪くなってから、彼らは帰国したのだが、日本に帰って懐かしかったのがあのライ麦パンだった。

あのころの日本ではまだちゃんとしたパンを売るパン屋はなかった。フランスパンでさえほとんどなかった時代だ。ましてや黒パンを手に入れるのは不可能だった。
神戸の友人が上京するときにフロインドリーブのドイツパンを持って来てくれたのには大感動だったとか。
それって、わかるような気がする。
亡命したロシア人がもっともノスタルジーを感じるのがやはりあの黒パンだという。
私は南ヨーロッパに行くことが多く北ヨーロッパのパンを知らないので、黒パンを食べる習慣がないのだが、ときどき食べると噛みしめるほどに美味しいと思う。
貧乏旅行で昔はよくアエロフロートを利用したが、機内で出る黒パンは唯一好きなものだった。
(今は富ヶ谷か上田市の「ルヴァン」のコンプレ100か、甲府の「バルト」のライ麦パンが好き)。
それと米原家がもう一つ懐かしかったのが、ソーセージだった。プラハではよく屋台で、黒パンにソーセージを挟んだのを買って食べていた。
そうだよね、当時の日本でソーセージというと、真っ赤なウィンナー・ソーセージだったもんね。
これは銀座の老舗のドイツ店のソーセージが満足できるものだったとか。

これまで未収録だった写真がたくさん載っている。
幼いころから石の強そうな顔をしていた人だ。きれいな一重まぶたはそのまま。
それにしても、幼いころの同じ思い出をもつ姉を失うのはどんなにつらいことだろう。
「あのとき」を話し合えない寂しさ。。
せめて食べもので思い出を辿るしかない。
そういう意味では、思い出がたくさんあってよかったですね、ユリさん。

私が死んだら夫は私の何の料理を思い出して懐かしがってくれるかと、いつか訊ねたことがある。
イタリア料理が好きな彼のことだから、そういうものかと思ったら、なんと意外にも意外、「きみの煮物」なんだそうだ。
ご飯のおかずにはならないくらい薄味なので、最初のころはあまり喜んでいなかったはずなのに、慣れちゃっていつのまにか好物になっていたのだろうか。
昆布とかつお節でひいた出汁の味噌汁が好物に加わるともっと嬉しいのだけど、味噌味が苦手なのでダメかな。

「思い出は食欲と共に」というのは、きっとよくあることなのでしょうね。
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2016年08月19日

池澤夏樹「沖縄への短い帰還」

池澤夏樹は1994年から2004年まで沖縄に住んだ。
最初は那覇、それから知念村に移住。二人の娘は沖縄で生れている。
この本は「沖縄に入れあげ」た彼が沖縄について沖縄から発信した文章(単行本のなかに収録sれていない)を集めたもの。
読んだ文章もところどころにあったがあらためてこれを読むと、池澤夏樹の沖縄への強い愛情が感じられる。
彼は自分のことを「帰りそびれた観光客」と呼び、半分は県民、半分は特派員として、沖縄を本土に紹介してきた。
沖縄の自然、言葉、音楽、人々、食べもの・・すべてが池澤夏樹を惹きつけていたようだ。

あの当時、沖縄に住むことはちょっとしたブームだったと思う。
いろんな有名人が沖縄に移住していた。(いまはどうなのだろう?本土に戻った人もいれば今も沖縄に住み続けている人もいるのだろうけれど)。
ただご存じのように沖縄には米軍基地がある。辺野古問題は揺れに揺れている。いいことばかりではない。
沖縄に住むということはこの問題を抜きにしては何も語らないのと同じこと。
池澤夏樹もこれに関してはいろいろ発言してきている。

これは私も東京を離れて山梨に住むようになり強く感じているのだが、日本って本当に中央集権なんですよね。
なにもかもが東京中心。日本の他の場所はすべてある意味東京の犠牲になっているところがある。(福島第一原発の事故がいい例)。
池澤夏樹も沖縄という「僻地」に住んでそのことを痛感している。
沖縄の歴史に深いシンパシーを持つとなおさらだ。

池澤夏樹の文章もだが、沖縄について書かれた書籍の彼の書評も興味深い。
彼は書評家としてもとてもすぐれているので読み応えがあるだけでなく、「この本、読んでみたい」と思わせる説得力がある。

もともと池澤夏樹は「旅するひと」だ。
若いころは南太平洋に通いつめたし、30歳からはギリシャに住んだ。(テオ・アンゲロプロス監督の映画は池澤の訳だ)。
作家という職業はどこでもできる。ましてや現在のようにネットの繋がりがあれば、世界のどこであっても仕事はたやすい。
そうして「旅するひと」は「入れあげ」た沖縄に住むことにしたのだ。
それは東京での暮らし、レストランの世界中からの贅沢な食材を使った料理や、浮かれた喧騒に飽き飽きしたからでもある。
知念村にはそういうレストランはないが、日常的に普段やお客様のときに料理をする彼には地元の野菜も魚も豚肉も素晴らしいものだったようだ。
ちなみにタコライスを本土に周知させたのは彼の貢献が大きかったよう。

その池澤夏樹が沖縄を離れ、フランスに移住。5年間をパリ郊外のフォンテーヌブローで過ごすこととなったのはやはり彼が「旅するひと」だからかもしれない。
沖縄での特派員としての役目は終わったと感じたこともあるだろうが、二人の娘の教育を日本で受けさせたくはなかったという理由もあるという。
幼稚園の頃はまだしも小学校での教育は上意下達、みんな右に倣え・・そういうふうに画一的な人間に育てたくなかったのだろう。
彼の現在の奥さんはパリに長く住んでいたのでフランス語ができることも強みだったはず。(もっとも池澤夏樹は語学の習得が素晴らしく速いひとなのだけど)。

「沖縄への短い帰還」
沖縄の人たちはきっと池澤夏樹に戻ってきて、また自分たちと泡盛を飲みながら一緒に語りあいたいと願っている。
沖縄とは真反対の北海道住まいなのかな?いまは。。
「旅をするひと」はいろんな場所に「還るひと」でもありえる。それはうらやましいことだ。
posted by 北杜の星 at 07:01| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

桶野興夫「がん哲学外来へようこそ」

日本人の二人に一人がかかるといわれる癌。
それほど多い病気になっているにもかかわらず、癌を告知されると他の病気とは大いに違う反応をしてしまう。
患者本人だけでなく患者の家族も周囲の人たちも、平静ではいられない。
癌になったからこその苦しみや悩みがある。

どんなに先進医療が受けられても、「正しい選択をしているのか?」という疑問を持つ患者がいる。
セコンド・オピニオンを受けるだけではどこか不安で納得できない。そんな悩み。
会社だけでなく家族との人間関係の変化に苦しむ患者もいる。
お互い気を遣いすぎて疲れてしまったり、無理解な夫やお節介過ぎてうるさい妻などへの不満。
残り少ない時間をどう生きればよいのかという焦り。

誰にも言えないことを「がん哲学外来」でお茶を飲みながら話し、話をじっくり聴いてもらう。
来た時の暗い顔が明るくなって帰って行く。
そんな「外来」があればどんなにいいことか・・という癌患者や家族の希望をかなえたのが桶野先生の「がん哲学外来」だ。
30分から1時間、じっくり向き合う。
しかも無料なのだ。
たくさんの人たちが押し寄せるのもわかろうというもの。

桶野先生は現在、順天堂大学の病理の教授だ。
元は(現在は有明に移ったが、以前大塚にあった癌研の病理の先生だった。
桶野先生は医学部卒業後一度は臨床医を目指したが、対人関係が苦手で病理に移ったという。
(癌研の病理は日本一優秀で、今はどうか知らないが国立がんセンターで判断付けかねる組織を癌研の病理へ持って行っていたときいたことがある。)
そんな話し下手の先生がなぜ?というのはこの本でよんでもらうとして、つくづく、癌患者の悩みは人それぞれなのだと痛感する。
それはまさしく癌という病気そのものの性格のようだ。

癌は外部からのウィルスや菌ではない。自分の正常細胞がなんらかの原因で遺伝子を傷つけられて変異したもので、増殖を止めない、アポトーシスしない、とてもやっかいな細胞が癌なのである。
だから癌という病気は個性豊か。同じ胃がんであってもまったく違う経緯をたどることが多いという。
だからこそ、苦しみや悩みも人それぞれなのだろう。

桶野先生はこうした「がん哲学外来」では、なにも医師でなくてもかまわないと思うと書いているが、医師だから患者さんは安心できるのだ。
普通の服を着て、お茶を飲みながらリラックスして前に坐って話を聞いてくれるのが、癌を知りつくした医師だからこそ、何でも話す気持ちになれるのではないだろうか。
ここで桶野先生は南原繁、新渡戸稲造、内村鑑三など先人たちの言葉を伝えることもあるという。
南原繁のことは予備校生のときに予備校の先生から教えられ、またその先生自身から「将来、自分が専門とする分野以外の本を、寝る前に三十分読む習慣をみにつけなさい」と云われたのことも頭に残っているそうだ。
そうした積み重ねが「がん哲学外来」の誕生の基本となっているのだろうか。
といっても、桶野先生は全然、上から目線ではありません!

東京のみならず日本全国から「がん哲学外来」にやって来ます。
興味のある方は「がん哲学外来メディカル・カフェ」で検索してみてください。
現在「がん哲学外来」は一般社団法人で、桶野先生はその理事長です。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月12日

安西巧「広島はすごい」

日本経済新聞広島支局長となった著者が、着任後一年で書いたこの本、広島大好き人間の私にはとてもうれしいのだが、「コソバユサ」がないでもない。
だって過大評価じゃない?と思われる個所が多々あるからだ。住んで一念で時期尚早では?と心配してしまう。
安西さんはきっと、前世かご先祖さまが広島だったのだろう。

最後に広島を訪れたのが2年前。
原爆ドームと厳島神社という二つのユネスコ世界遺産があるのが理由なのか、ものすごい外国人観光客だった。
私が泊ったホテルにはポーランドからのツアー団体が泊っていた。
そのときに感じたのは、「広島は明るくなった」ということ。
中心部は相変わらず緑は多くはないものの、美しく整備され清潔感いっぱいだった。
そして広島の人々の親切で優しい印象はなによりもうれしかった。
このやさしさはつまりは、余裕ということかもしれない。
(私の東京の友人が広島観光で宇品へ行こうと、電車の行き先を停留所で訊ねたら、その中年女性は「宇品なんか行っても何にもないよ、かわりに市美術館に行きんさい」と教えてくれたそうだ。その「おせっかいさ」こそが広島女。まるでラテンの国の人みたいに黙っていられない)。

地方再生が云われて久しいが、成功しているところがそう多くない。街の中心部がシャッター通りという地方都市も多い。私の住む山梨県甲府市もそうで、これが県庁所在地なの?というくらい悲しい光景なのだ。
けれど広島には活気がある。
その理由としては、広島の街に中心性があることだと思う。悪く云えば街に広がりがないということでもあるのだが、東京のように大きなターミナル駅ごとに繁華街があるのではなく(渋谷、新宿、池袋、東京駅に近い日本橋や銀座など)、賑わう場所が一つというのがいいのだと思う。
そう、街のサイズがちょうどいいのだ。旧市内の東から西まで徒歩で歩けるサイズ。

この本に書いてあるように、広島の人口は日本で10番目。
中四国地方でもっとも大きな街だが「都会」というイメージはなく、あくまで「地方都市」。
それがまた心地よい。

著者は広島人の特徴を「群れない、媚びない、靡かない」と書いている。
うーん、そうかな。そうかも。。
反骨心はけっこうあるようだし、成功してもどこまでも「イケイケ」になるのではなく、欲がないというのも、そう感じる。

この本で面白いことに気づかされた。
それは倒幕が長州人によって為されたのは事実だが、しかしそれら長州人は広島の毛利が関ヶ原後に山口に移藩されたのであって、彼らのメンタリティは広島人だったのだということ。
そう言われればそうだよね。
広島の人たちは今でも、浅野のお殿様よりも毛利の方が好きみたいだ。

これは知らない人が多いのだが、パンの「アンデルセン」は広島の企業。
かっぱエビセンのカルビーもそう。
それと家電量販店の「EDEON」も本店は広島だそう。
「アンデルセン」は私が幼いころは「高木のパン屋さん」だった。現在のようにトレイにトングでセルフサービスでパンを買うシステムを日本で最初に考えたのが「アンデルセン」だ。
パンん冷凍技術の特許を持ちながらも、ライバルの同業他社に惜しげもなく解放したのは、パンの市場を広げるためだったそう。
広島に行くことがあったら是非、本通り商店街にある「アンデルセン」に行ってみてほしい。
爆心地から400メートルくらいなのに、旧帝国銀行だった石造りの建物は残ったのだ。それを買い取りバンケットホールやイートインが併設されたショップとなっているものだが、被災地ヒロシマにとってはとても大切な建物なのである。

もちろん広島でもっとも大きな企業は、マツダだ。
マツダの景気が悪いと広島全体の士気が上がらない。その意味で最近のマツダは好調で、広島が明るいのはそのいい影響なのだろう。
それと今年の広島カープ!
いつもは5月の鯉幟りの季節が終わるとポシャるのに、今年はスゴイですねぇ。ぶっちぎりの首位ですよ!
なんとかこのまま走りきってほしいものです。

「広島はすごい」。
都会の亜流にならないように、いつまでも地方都市の良さを持ち続けてほしいです。
posted by 北杜の星 at 07:09| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月29日

伊井直行「尻尾と心臓」

伊井直行の本を読むのはいつぶりだろうか。
初期の「草のかんむり」はいまでも私の好きな小説ベスト50位くらいに入っている小説だ。
ストーリーとしてはファンタジーでカエルが出てくるのだが、心の奥底まで響く素敵な一冊だった。
しかし最近の彼はかなりリアルな「会社員小説」にシフトしているみたいで、この「尻尾と心臓」もその類。
これを面白いと思う人が半分、思わない人が半分くらいじゃないだろうか。年齢の高いひとにはIT関係のアレコレには興味がもてないかもしれない。
私は大きな会社で働いたことがないので、会社員の世界は理解できないのだが、つくづく大変だなぁとため息が出る。
でも人間は、本当にイヤなことはしないものだから、大変ななかにも歓びを見つけながら、みんな頑張っているのだろうと思う。

九州に本社を持つ関東の子会社に出向となった乾は、もともとが関東出身で親会社ではめずらしい存在。九州に妻と二人の子どもを残して単身赴任。といっても実家で暮らしている。
元経営コンサルタントの笹島は関連会社に転職して会社員となった。
乾と笹島はあるプロジェクトのために共に働くこととなった。
乾は子会社から、定年過ぎの男性社員とコミュニケーション障害のある女性のスタッフをあてがわれ、物置のようなスペースを片付けたような場所を提供され、疎外感を感じている。
笹島は同じスペースの離れた「島」に二人の男性スタッフを率いている。
このプロジェクトは営業職をサポートするためのアプリなのだが、いろいろクリアすべき問題点がある。
しかしこの製品に理解を示す人間は子会社には誰もいない。
課長、部長、そして社長・・彼らはみなIT商品には門外漢で、積極的に協力してくれないだけでなく、どこか排他的なのだ。

九州という場所柄かのか、この会社はよく言えば家族的。仕事が終わったら、会社の会議室に三々五々と社員が集まりお喋りをして帰るのだが、その場には社員の子どもも加わることがある。
乾にしても笹島にしても、そういうのは勘弁してほしい。
しかし突破口が開けたのは、じつはその「メッサ」と呼ばれる寄り合いからだった。。

組織のなかには必ず変テコリンな人、意地悪な人、言葉の通じない人がいるものだ。
パワハラをする上司や他人の手柄を自分の手柄にする人間もいる。
それでもこれまた必ず、手助けをしてくれる人がいるのが、組織。
(もしそうした助けてくれる人が皆無なら、それは「自分が悪いからだ」と悟るべき?)

一つのプロジェクトを成功させるためには、人間関係の好き嫌いを言ってはいられない。
どんなにお互いに嫌悪感をもっていいても、譲るところは譲り、許すところは許さなければやり遂げられない。
でもだからこそ、ストレスゆえの疲労感が溜まるんですよね。
当たって砕けろじゃぁ、ホントに砕けちゃう。それじゃぁダメ。じっと我慢で策を練らなければ成功しない。

だけど部長だって社長だって、みんな平社員を経てきた人たち。
見ているところは見ているものなのです。みんながワカラズヤではないのだ。

大会社じゃないこの程度の会社であっても、会社員というのは「社長」に対して、こんなにも緊張して接するものなのかと、私には驚きがあった。
タメ口をきくのは論外だけど、なにもこんなにまで・・というくらいへりくだっている。
こうした上下関係だと、黒いものも白くなって率直にモノが言えないよなと心配になる。
だから最後のほうで社長が「失敗したら責任が取れるか」と言うともろで、笹島が「責任は社長にとってもらいます」と答えたのには胸がすいた。
そりゃそうだ。だって社長って何かあったときに責任をとるために高い給料をもらっているんだもの。

私にはこれ、とってもおもしろかったです!

posted by 北杜の星 at 07:08| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

アンソロジー「餃子」

この食べものアンソロジー・シリーズ、カレーライス、おやつ、そばなどが既刊となっている。
そして新作はこれ、餃子。
餃子が嫌いという人ってあんまりいないような気がする。中身のニンニク臭いのはダメという人はいても、餃子そのものが嫌いいというわけではない。
カレーライスやラーメンと並んでほとんど国民食といってもいいくらいじゃないかな。
そのほとんどが焼き餃子だが、焼き餃子というのは餃子の本国である中国ではほとんどないと聞く。水餃子か蒸し餃子。特別な祝いのの時に欠かせない彼らのソウル・フード。
この中の誰かが書いているが焼き餃子は前の日に作った餃子が残ったときにするものなのだそうだ。
そうか、あれは残り物の復活メニューだったのか。

平松洋子、南伸坊、角田光代、ウー・ウェン、森まゆみ、椎名誠、藤原正彦、池田満寿夫、黒鉄ヒロシ、片岡義男、室井佑月、四方田犬彦・・などなど総勢38人がそれぞれの餃子体験を書いている。
懐かしいところでは、鷺沢萌。(あんなに活き活きしてた人が何故?と彼女の死はショックでした)。
小林カツ代とケンタロウ親子、(ケンタロウさん、早く元気になってください!)
そしてB級グルメといえばこの人、東海林さだおはナント、マンガを含めて15ページ半を占めている。
初めて餃子を食べた日、「あの人」と一緒に食べた餃子、お気に入りの店の餃子。。

餃子の形状をした食べものはいろんな国にある。
アジアだけでなくヨーロッパにもあって、たとえばイタリアでは詰めものパスタのラヴィオリなど。あれはまさにシルクロードを通って伝えられたものだ。
日本の餃子は戦後の中国からの引揚者が広めた。
餃子は庶民の食べものだからあんまり高価な中身はいらない。
まぁ、ぷりぷりのエビが透けて見える皮の蒸し餃子というのも、私は好きではあるのだけど、パリパリの皮の餃子はやはり好き。

私の友人に、餃子を食べるときは餃子だけ、とにかく夫婦二人で餃子を60個作って、ひたすら餃子だけを食べると言う人がいる。
いつも晩酌は日本酒だが餃子の日だけはビールだそうだ。
その夫婦にはもう独立した子どもが3人いるのだが、子どもが小さい時には200くらいつくっていたという。
作るのも焼くのも大変だったでしょと訊くと、「子どもは喜んで手伝ってくれるし、焼くのはホットプレート」だったとか。
餃子ってそういう「イキオイ」が必要なんでしょうね。
だから老年夫婦の食卓のために餃子をつくることはまずないし、ましてや一人暮らしで餃子を作るってないんじゃないか。

ちなみに我が家で餃子(生活クラブの冷凍餃子ですが)を焼くのは、夫の役目。
どういうわけか、いつも出来が異なるんですね。パリッとしなかったり焦げすぎたり皮が破れたり。
コツがあればどなたか、教えてください。めったに食べないものだからなおのこと、美味しい餃子が食べたい!)
posted by 北杜の星 at 07:32| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月21日

有元葉子「毎日すること。ときどきすること」

いわゆる料理研究家と云われる人のレシピで料理をつくることはほとんどない。
絵本を見るように気楽に料理本は見るのだけれど、どうも「これ、作ろう」という気にはならないのだ。
創意工夫を凝らしたり簡単レシピよりも、少々手間はかかっても伝統的というかクラシカルな料理の方が好きだから。
とくに本を見てまでも「作ろう」とする場合には腕まくりをして頑張りたい気持ちがある。
というわけでこの有元葉子さんの本も、レシピを知りたいというよりも、彼女のセンスあるモノ選びの目や潔い生き方に興味があるから手に取る。

だけどこれ、薄っぺらのスカスカ。
写真付きとはいえ、たかだか140ページの小さなサイズ。
しかも内容はこれまでの彼女の文章の二番煎じどころか五番煎じくらいのもの。
私はまだライブラリーで借りて読んだからいいようなものの、買った人はお気の毒。だって税抜きで1300円もする。
これは出版社が悪いのか、出版を認めた有元さんも同罪なのか。
このようなイージーな本を出すから、本市場が衰退するのだとつくづく腹立たしい。

まぁそれでも気を取り直して読んでみると、有元さんの毎日の暮らしの心構えがわかりますね。
すっぱり切るところは切る。(髪を染めるのは止めたそうだし、モノを三分の一に減らしながら暮らしたり)
続けることはしっかり続ける。(1時間あったらお菓子を焼くとか)。
何を切って何を残すかに彼女の人生観が表れている。
(私は屋根のついたテラスの床は毎日拭き掃除をしているが、オープン・デッキは拭かない。有元さんは毎日それを拭いているらしい。毎日拭くテラスだと裸足であるける。そうか、それはいいと、私は早速amazonで雑巾モップを買いました!)。

書いてある文章で、まさにその通りと同感だったのが、スグレモノの「無水鍋」について書いてある部分。
無水鍋って本当にいいですよね。
アメリカ製のステンレス5層とか7層の鍋セットも持っているのだけれど、毎日活躍するのは無水鍋。2代目だがもう30年以上使っている。
日本料理にはアメリカ製のステンレス・パンの底は適していない。少し丸くなっているから『煮物」がうまくできるんです。
アメリカ製の鍋は一つ二つを残して、処分しようと考えている。重いしね。
彼女は「スロー・クッカー」の便利さも書いているが、あれはとうに捨ててしまって、私は今はシャトル鍋を使っている。

有元さんは新潟の燕市の工場と共同開発して、キッチン・ツールを販売している。
そのシリーズの名前は基本という意味のイタリア語「ラバーゼ」。
究極のパウダー缶や食器洗いスポンジはたしかに良さそう。
(だけどこういう商品の宣伝みたいな本が1300円かと、またまたプンプンしてくる。)

2〜3日あれば車をすっ飛ばして野尻湖の山荘に行くとか、ちょっとまとまった時間が取れたらイタリアウンブリア州の家に行くとか、フットワークが軽い人。
自然が彼女には必要みたいだ。
それにしても彼女は決してウンブリアのどの街に家があるのかを明かさない。
近くの街の外国人大学にイタリア語を勉強しに行ったとあるのは、ペルージャのことだろう。
とすればその近くということは、スペッロあたりかまたはトルジャーノあたりか?
まぁどちらにしてもあの周辺は「イタリアの緑の心臓」と呼ばれる土地、美しいですよね。
そこで英気を養って、みんなの憧れの有元さんでいてほしいものです。
写真の有元さん、背筋がしゃんと伸びていて、素敵でした。
posted by 北杜の星 at 06:50| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月08日

荒井秀典「寝たきりにならずにすむ筋肉の鍛え方」

ライブラリーに行って新刊コーナーを見るとこの本があったので、「うっ」となって早速借り出してきた。
「うっ」となったのには理由がある。
田舎暮らしはドア・トゥ・ドア全部車で、足が萎えちゃうよと、また夫と二人歩き始めたからだ。
それもただ歩くのではなく、ノルディック・ウォーキング。
ときどきノルディック・ウォーキングをしている人を見かけるが、長いポールをしゃっきり振りながら颯爽と歩いている。
スキーのストックのようなポールを持ってのウォーキングなのだが、これが全身の筋肉の90パーセントを使って歩くということで、せっかく歩くのなら脚だけでなく全身に効果があるほうがいいよねと、amazonでポールを購入。(なんと、14000円が3000円。モノの値段ってどうなっているんでしょうね)。
でもこれが難しい。ただ棒を握って歩けばいいというわけではない。多分私たちは正しい歩き方はしていないと思う。
慣れたら長いポールだが初心者はみぞおちの長さが適切とのことだが、その長さだとお婆さんの杖そのものに見えてしまう。
この辺りではときおりノルディック・ウォーキングの講習会が開かれているので、参加してきっちり正しい歩き方を勉強したい。
でもまだおぼつかなくはあるけれど、背中がまっすくになる姿勢、歩幅の大きさ、スピード・・いいみたいです。
(この本ではなく他で見たのだけど、朝起きてすぐに歩いたり運動するのは、身体がまだ目覚めていないのでよくないらしい。食後1時間か1時間半くらいしてがいいそうだ。)

誰もが寝たきりにはなりたくない。
せめて死ぬまでトイレには自分の足で行きたい。
でも筋肉が落ちたらそれはかなわないことになってしまう。
どうすればいいか?
ただ長寿ではなく、健康寿命が大切。
この本にはそのための体の動かし方に加えて、栄養のことも記されている。

ウォーキングをとってみてもいろんなものがある。
私が始めたノルディックもあれば、ステップ・ウォーキングやインターバル・ウォーキングなど。
高齢になっての激しい運動は良くないが、ちょっと負荷をかけるくらいの運動は必要とのことだ。
ちょっと速足で歩くとかちょっとキツイくらいの筋トレをするとか。つまり息が上がって心拍数が増えるくらいでないと効果がないようだ。
ここにある筋トレはジムに通ってマシンで、というものではない。普段の生活の中で、せいぜい椅子を使うくらいなので、誰でも簡単にできるものだ。(簡単なことを続けるのが難しいのですけどね)。

疲れたときはしないほうがいいし、筋トレを毎日する必要はないそうだ。
毎日するのはむしろ乳酸がたまって逆効果、週に2〜3回程度。
この本ではほとんどが下肢の筋肉の鍛え方が紹介されている。どれくらい衰えているかのチェックもできる。
自慢じゃないけど、私はほとんどクリアできた!夫に言わせると「キミは体重が軽いからだよ」とのこと。

正直に言うと、私は「筋トレ」には反対なのだ。
ある個所を特化して鍛えるのは体によくないと考えている。
たとえば武道の世界では、筋トレはしない。身体を柔軟にするのが第一だらだ。
いまの運動選手の故障の多さは筋トレが原因だと思っている。正しい筋トレ絵をしていないともいえるかもしれないが。
松坂投手がずっと故障がちなのは筋トレが原因だと思うし、タイガー・ウッズが腰痛や肘痛に悩まされているのも筋トレのせいではないだろうか?

私たちはアスリートではないのだから、あまりに一生懸命に「鍛え」なくてもいい。
一生歩けるだけの筋力、日常での荷物を持てるだけの握力や腕の力があればそれでいい。
ここには書いていないが、身体を動かす時にはその部分を意識することが大切だと思う。
意識をすることで身体はより動く。
それと足を動かす時には足が身体の中から繋がっていると思い、そこから動かすようにすると、足に負担がかからない。
これは「胴体力」の伊藤昇氏の教えだが、西洋医学のトレーニングとはまた違う効果があって面白いものだ。
一般の人にはあまり知られていないが、オリンピック強化選手やプロスポーツ選手にも、こうした古武道の先生に身体の動かし方を習う人って、案外多いそう。
呼吸法や間の取り方など、参考になるところがあるのだろう。
posted by 北杜の星 at 07:06| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月30日

宇多川久美子「その1錠が脳をダメにする」

日本人は薬好き。それと検査好き。
私は常々、検査のための放射線量や電磁波の強さを心配していたのだが、ようやく医療被曝が問題になってきたようだ。
CTで1ミリの癌が見つかったということはつまり、1ミリ単位で放射能を浴びていると言うことだと著者は書いているが、ホント、その通り。
MRIにしたってあの狭い小さなスペースで強い電磁波を浴びて、身体に良いはずがない。
健康になるための行為が病気を作っていることを、少しは考えてみる必要がある。
日本人の癌の原因に、じつはこの医療被曝が大きいと、取り沙汰されているのだから。

個人的なことを言えば、私は小さなころから病気の巣だった。とにかく弱くて、歩くことすらできないくらいの時もあった。
結核や腎炎、メニエル病など病名がつけばまだ対処の方法があるが、すぐに疲れて熱が出る体質はどうしようもなかった。
その頃の私は薬をたくさん飲んでいた。
それが25年くらい前からだろうか、数年間玄米菜食にし、鍼灸や整体治療を始めた。気功や西野式の呼吸法も併せて始めた。
変化は少しずつ現れた。身体が元気になっただけでなく、精神も強くなって、あまり気に病まなくなった。
こうして医師や病院と縁が切れて、今では友人から「あなたはどうしてそんなに元気なの?」と言われる。

私だって感染症になれば病院に駆け込んで抗生物質をもらう。でも治ったら出来るだけ速やかにその毒を出す努力をする。つまりデトックスである。
動物性の食品を控えて、小食にすると、数日で具合が良くなる。ホメオパシーもいいと思う。
この本には食べもの、インナー・マッスルを鍛える運動などについても書かれている。
薬剤師だからこそ、薬が諸刃の剣ということを知っているのだろう。
びっくりしたのは、薬学部で最初に習うのが、「薬は人間にとって異物である」ということだそうだ。
そんなこと習ったのなら、もっと早く声を大にして教えてくれればよかったのに、、と言いたい。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

石塚修「納豆のはなし」

年々好きになるものが二つあって、一つは林檎。
毎年11月の終わりになると友人たちと長野の松川まで買い出しに行く。それがなくなると今度は信州中野から一箱求める。この中野の林檎園では60年も前から除草剤を使わないで、可能な限りの減農薬で作っているだけあって、注文がいっぱいで入手が難しい。
それともう一つが、納豆!
世の中になくてもちっとも困らない食品だったのに、このところにきて毎日のように食べているが飽きないんですね。というかだんだん「美味しい」と感じるようになってきた。

納豆をいろんな食べ方をする人がいる。ある友人は醤油と砂糖を入れると言うから驚きだ。ジャコや青菜、胡麻や海苔はまぁ定番か。
私はシンプルに納豆と芥子だけ。それともネギを入れるだけが好きで、ご飯にはかけず、そのまま食べる。
銘柄はいつも決まっているが、友人のなかに小淵沢で納豆を作って販売している人がいるので、ときおりそれも食べるが、それは発酵が強くなくて、豆のサラダのようにオリーブオイルと塩がいいみたい。
でも納豆ほど好き嫌いが分かれる食べものはないかもしれない。
東日本では好きな人が多いが、西ではそもそも納豆を食べる習慣がなかったので、食べず嫌いの人も多いのではないだろうか。

この本の著者は人文社会学者。納豆の研究をしている方だ。
ここでは江戸の俳句や川柳から近代明治から昭和の文学のなかに登場する納豆を紹介している。
納豆って昔から庶民の味方。きどったtものではないから、川柳や小説に取り上げやすいのだろう。
昔は納豆というのは、一年中あるものではなかったのですね。知らなかった。
9月のお彼岸ころから11月くらいまでしか出回っていなかったようだ。
それが江戸の寛政年間、夏の土用あたりから売るようになったらしい。そのことを季節感がなくなっていやだと書いてあるものがあって、ちょっと笑ってしまった。
一年中あるのが当たり前になっている現在、当時の人はどう思うのだろう?

芭蕉、一茶、蕪村、永井荷風、北大路魯山人、夏目漱石、泉鏡花、小林多喜二、林芙美子、齋藤茂吉、古今亭志ん生などなど・・なかには正岡子規や宮本百合子のように納豆が好きでないひともいる。
正岡子規は病床で納豆売りの声を聞き、好きでない納豆を買いに家人を走らせるのだが、そこには子規のやさしさがある。
魯山人の納豆茶漬けのための納豆の混ぜ方が半端じゃない。混ぜること、混ぜること。混ぜれば混ぜるほど旨くなるそうだが、疲れそう。。

友人が難しい病気になってある医師に診てもらいに行ったら、「とにかくいま服用している薬を全部止めるように」と言われた。
彼女はそのときコレステロールを下げ薬を摂っていてそのことを話すと医師は「だったら納豆を毎日食べなさい」と。
その通りにしたら、コレステロール値は下がったそうだ。
西日本は納豆をあまり食べないと書いたが、納豆の消費量の少ない土地では、高齢者の骨折率が高いという。
安価な納豆で健康維持できれば、こんないいことはない。
年金暮らしになってだんんだん好きになるものがステーキじゃなくて納豆でよかった。

この本、楽しく軽く読めるが、軽く読んではもったいない感じで、著者はかなりの研究調査をして書かれていると思う。

私が不思議なのは、なぜ納豆菌は大豆でないとダメなの?
なぜ白いんげんや金時豆ではできないの?ということ。
誰か教えてください。
posted by 北杜の星 at 08:23| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

一宮茂子「移植と家族」

力作である。
20年の間、移植の医療現場でスタッフの一人として働いた人ならではの渾身のレポート。
この本に関しては立命館大学大学院先端総合学術研究科上野千鶴子ゼミにおいて公開書評会が行われているが、医療に関わるひとにぜひとも読んでもらいたい一冊である。
日進月歩の医療だが、ともすれば「病気」を診て「人間」を診ないことが起こりがちだ。
著者はそんな医療現場の看護を通して、移植ドナーが移植後どのように感じ、生きているかの聞き取り調査をし研究結果をまとめた。それがこの本。
副題は「生体肝移植ドナーのその後」。

移植を受けるのはレシピエント。移植のための臓器を提供するのがドナー。
これまでレシピエントの追跡は行われてきたが、ドナーの体や心は顧みられることが少なかった。
はたしてドナーはどんな気持ちでいるのか?
移植手術の成功や失敗の結果により、ドナーは何を思うのか?
自分のしたことはよかったのか?
ドナーが自分の行為を肯定できるには何が必要なのか?
著者は17家族をここで取り上げている。

さまざまな理由で、このままでは死んでしまうという肝機能の衰えに、肝臓移植しか方法がない場合に生体肝移植は行われえる。
生体肝移植のほとんどが親族間によるものだが、複雑な環境だってある。
例えば、自分の夫が姉に生体肝移植をする場合だとどうだろうか。夫は実姉を助けたいとの一念だろうが、その妻からするとまだ幼い子どもがいるのだ。ドナーのリスクを考えると不安が募る。はっきり「止めてください」とも言いかねる。
じっさいにドナーの術後の危険性は個人差はあるが、ないわけではなく、生活に影響のでることがある。年月が過ぎれば過ぎるほどその影響は判然としないかもしれない。
そんなとき、医師か看護師か、誰がドナーのケアをしてくれるのか?またドナーの家族の精神的サポートをしてくれるのか?

私の友人に片方の腎臓を30代の息子に移植した人がいる。彼は70歳に近かった。
そんな年齢の腎臓がどれだけ機能するのか、大丈夫なのかと、私は心配だったが、親として働き盛りの息子の透析をなんとかして食い止めたいとの願いがあったのだろう。
「親なればこそ」のその気持ちがせつなかった。
手術は成功した。息子さんも透析を免れて社会復帰した。
しかし数年後、その友人は膠原病になった。それから1年後、胃がんになった。
もちろん膠原病と胃がんが腎移植の結果とは言えない。
だけど移植が体にとって大きなストレスであったことは間違いのないこと。
彼のこともだが、レシピエントの息子さんの胸中を思うと、気の毒でなっらない。
移植というのは、輸血を含めて、簡単なものではないのだと思う。
(ときどき想像するのだけれど、自分の血液がすっかり入れ替わるほどの輸血をした場合、「自分」という組成はどうなるのだろうか?輸血前と輸血後の「自分」は同じ人間なのかと、)

一宮茂子さんに敬意を払いつつ、この本を読みました。
posted by 北杜の星 at 07:17| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

魚住陽子「菜飯屋春秋」

魚住陽子を読むのはずいぶんひさしぶり。
最後に読んだのがいつだったか思い出せないくらいの寡作作家さんだ。
あの頃の作品とはかなり作風が違っている気がした。前のはもっと純文学っぽかったよううな記憶がある。
でもこの「菜飯屋春秋」、とてもよかった。
ある年齢にならないと書けない人生の深みが感じられる。輝くことも翳りのあることもどちらも経験し、それを受け止めている人の、今は静かになった心・・
そんな印象だ。

離婚後、小さな店を開いている夏子は北関東の出身。
店は居酒屋でもなく定食屋でもない。
「お惣菜を食べられる喫茶店みたいな店。お酒より煎茶やほうじ茶を出して、ハレの御馳走は無理だけれど、定食やより、もうちょっと非日常的な店」。
春夏秋冬、季節の野菜がメインに料理され供される。

夏子に料理を教えてくれた水江は一まわり近く年上の、今では大切な友人だ。
水江は料理だけでなく俳句の世界に夏子を誘う。
この本にときおり差し挟まれているいくつかの俳句が、ハッとするほど鮮やかなのは、魚住陽子自身が俳句をする人だからだろう。
これらの俳句が素晴らしいスパイスとなっている。(菜飯屋の佇まいならスパイスというよりは「薬味」かな)。

店に来る客たちも、それぞれ人生を背負っている。
彼らの一人として「ただの客」などいない。
突然店を手伝いに故郷の町からやってきたサヤは箸にも棒にもかからないほどおかしな子だったが、紆余曲折を経て少しずつ成長する。
そこに介在するのは「食べもの」である。旬の野菜である。

旬の野菜は生命力にあふれている。
その命をより引き出すのが、料理。夏子の料理はそういうものだ。
このような命と対比させるように魚住陽子はこの作品で、病や死を描く。
人の命の脆さ、心の壊れやすさ。どうすることもできないことが夏子や水江の傍らを通りすぎてゆく。
諦念と、それでも続く時間へのかすかな希望。
それらをつなぐのもやはり、夏子にとっては食べものを拵えることなのだ。

夏子さんの作る料理を食べたいのはもちろんなのだけど、ここに出てくる野菜を使って丁寧に料理をしてみたくなる、そんな小説。
菜飯屋の客になるより、夏子になりたくなる。
部屋中にお出汁のいい匂いを漂わせて、鍋にたっぷりのお湯を沸かして青菜を茹でたくなる。
私の若い友人で丁寧に料理をし食卓を楽しむ人がいる。彼女にこの本を薦めたところ、夏子の野菜の下ごしらえに対する姿勢にはとても共感できているようだ。

上半期の芥川賞・直木賞候補が決まったが、なぜこの「菜飯屋春秋」が入っていないのか。。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

荻原浩「海の見える理髪店」

短編6つが収録されている。
人生におけるちょっとした奇跡のような出来事、それは誰にも必ず起きている。
その奇跡の「時」を切り取って、父と息子、母と娘、夫と妻などの複雑な関係を描いている。

表題の「海の見える理髪店」がやはりもっともよかったかな。
年配の男性が一人でやっている理髪店。そこには大きな鏡が客の目の前にかけてあって、後の海を映していた。
その理髪店にある日若い男性が調髪にやって来た。いつもは美容院で髪をカットしてもらうような男性だ。
店の主は彼に、これまでの自分のしてきたことを語り始めた・・
戦後父親の跡を継いだこと、有名な俳優が客になってきてくれていたこと、結婚をし息子を授かったこと、信頼していた片腕が独立すると聞きその男を殺めてしまったこと。
やがて仕事が終わり、店の主は若い男を送り出す。。

読み進むうちに、「多分、そうなんだろうな」とうすうす感じた通りの結末となる。
悪くない。全然悪くない。
そのほかの5編も読後、しんみりと家族というものを考えさせてくれるて、胸底がキュンとなる。

でもこれは荻原浩の小説を読んでいつも感じることだが、「これって悪くはないんだけど、なんだかなぁ」と思ってしまうのだ。
あざといとまではいかないのだが、このボタンを押すとこうなるでしょという感じがあり過ぎるというか。
独創性もないというか。
こういうのって、よくあるよね、という筋立て。落とし所が決まり過ぎ。
これは小説に対してひねこびた私だから感じるのかもしれないのだけれど、もっと無骨でもいいいんだよと言いたくなる。

そういえば「明日の記憶」も好きじゃなかった。リアリティのなさ以上に私のなかで「これ、絶対的にダメ」なものが生理的にあった。
私がこれまで荻原浩で好きだったのは、「押し入れの中のちよ」というこれも短編集の「お母様のロシアのスープ」だ。
ちょっと不気味なお話しなのだがおもしろかった。
ことさらに読者を感動させようとは思わずに書けば、もっと素敵な小説が書ける人だと思う。それだけの筆力はある人だから。

すみません。今日は辛口となってしまいました。でもこれが好きという方はいると思うので、そういう方は是非楽しんでください。
posted by 北杜の星 at 07:32| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月15日

浅羽通明「反戦・反原発リベラルはなぜ敗北するのか」

自分とは反対意見であっても一応、その意見を聞く耳は持っている。
相手がどのような論旨かを知りたいと思うからだ。人間と言うのは自分が聞きたいことしか聞かない傾向があり、そればやっぱり良くないことだし、どんな反対意見であってもすべてバツということはなく、どこか「ナルホド」と賛成できなくとも理解はできる点が探せるからだ。
第一、反対意見に対して理論武装するうえでも、相手を知ることは大切である。
だからこの本を読んでみた。

不愉快ですねぇ。
「なぜ敗北するのか」の検証がロジカルに書かれていると期待したのだけれど、そういう知的作業はどこにも為されてなくて、ここにあるのは理由なき「せせら笑い」だけ。
どこに著者がリベラルに優越感を持つのかの根拠がわからないのだが、とにかく「せせら笑う」ためにこの本を書いたとしか思えない。
検証などしていなくて最初から結論が出ているのだ。
ほとんど感情論だけの中身のない文章の羅列は虚しいだけ。

「愚劣」で「バカ」で「嘘つき」の政治家に、反省と改心を期待する方が愚劣でバカなのだそうだ。
そんな期待を抱かずに、実力は実力によってしか倒せないことを知るべしだと。
実力ってなんだ?
市民運動を浸透させ成功させるには長い時間がかかる場合がある。その間、あまりの歩みの遅さに絶望的になることだってある。
それでも、何かを信じて希望を持って歩むしかないのだ。
歩みを止めることは、愚劣でバカで嘘つきの為政者の思うつぼにはばることだから。

著者のような日本人がいることは知っているし、アメリカでも下品なトランプ氏を担ぎあげる人間がいるのもわかっている。
でもそれが世界のスタンダードでは決してない。
すぐには勝てないかもしれない。いっけん、敗北に見えるかもしれない。
けれど歴史のなかにおいては、必ず市民の力が勝利する。
いまその運動を嘲笑っている人間はそのとき、何を語るのだろうか?

これは筑摩新書の本だが、筑摩ってもっとちゃんとした出版社だと思っていたんだけど、このような感情論だけの本をセンセーショナルに売ろうとするのは、残念ですね。
もっとしっかりと(どちらの側であっても)首肯できるものを出してください。

posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月07日

石田千「からだとはなす こころとおどる」

からだの弱いひとだ。
風邪をひく。熱をだす。
幼いころからかわらない。
でもそんなひとは、病気をするとからだが身近になることを知っている。
丈夫なひとなら意識しないからだのいろんな部位が、はっきり存在の声をあげるから。
眼、鼻、喉、おなか・・からだじゅうの粘膜が騒ぐ。
熱でぼんやりしたあたまの一点がやけに鋭くなったりもするのを知っている。
病気になると、からだと話せるんですよね。

石田千はひとりぐらし。
病気になったらじっと寝ているしかない。寝て回復をまつしかない。
彼女は熱がでると冷たく甘い飲みものがのみたくなるという。
それって、わかる。私も真水は飲めなくて、ふだんは苦手な甘い飲み物が欲しくなる。
それとあれはどういうわけか寝込むと太巻き寿司が食べたくなる。おいなりさんじゃダメ。

タイトルどおりに、からだとはなし、ことばとおどっているこの本。
ふれる わたる ふりむく なおる えらぶ はしる はなす まつ うたう わすれる なく おちる かく きる かえる おす ひく とぶ ねる やむ きく おどる
22の章は22のひらがなの動詞。
柔らかく軽やかでいて、まわりに気配りをして、でもあんがい頑固かもしれない彼女がいる。
銭湯に行き、いっぱい飲み屋でビール、お気に入りの木にしがみついてする体操。デカダンなのに彼女の文章にはほんものの品がある。
また彼女の文章には昔に引き戻されるような郷愁を感じてしまう。

ほんとに石田千が好きです。
読んでいると、これがいつまでも終わらないでほしいと思うほど。
それだけ浸らせてくれる作家さんはそうはいない。

各章にはモノクロの写真がはさんであって、石田千の姿が写っている。下を向いたり遠くを見たり、カメラ目線がないのが彼女らしい。
ますます独特の文章書きになってゆく石田千にのぞむのは、小説も書いてくださいということ。
不思議な空気感の小説を読みたいものです。
けれどこの本にもかいてあるけれど、「書く」という作業はとても大変で、書くためにはからだやこころや他にもさまざな準備が必要なようで、これじゃぁ気の休まることがないだろうなと、彼女のからだが心配になります。

posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

荻原博子「隠れ貧困」

荻原博子さんって時々コメンテイターとしてテレビに出るあのふっくらとした女性ですよね。
ファイナンシャルのことをサジェスチョンしているのを聴くことはあるけれど、著作を読むのは初めて。
彼女のあのお顔を思い浮かべながら読んだ。

「中流以上でも破綻する危ない家計」というのが副題。
これは最近よく言われるようになったことで、インカムが少ない家庭よりもむしろ多いほうが破綻しやすいのだそうだ。
それには理由があって、バブルがはじけた後になっても浪費癖が抜けなかったり、老後も住宅ローンが残っていたり、教育費など子どもにお金をかけすぎたり・・ということらしい。
年収が1千万くらいあっても、貯金がゼロという家庭も少なくないというが、これではちょっとイレギュラーなことが起これば、家計破綻は必定。
だからここで荻原さんの登場となる。
ローンや保険の見直し方、お金の殖やし方などを指南してくれる。

貯蓄はね、なかなかできませんよね。
それこそ余るほどなければ、余らない。
だけど余ったものを貯金しようと考えるのが間違いで、まず貯蓄分を取って残りを生活費にするようでなければ、お金は貯まらないのだと思う。
享楽的に生きる私たち夫婦はだから、貯金ができていない。
それでも小心者の私なので、備えがなくては安心できなくて、ごくごく平均的なものだけど老後への計画は(十分かどうかわからないけれど)それなりにしてきた(と思いたい)。
これから先がどうなるか?まぁ荻原さんの言う「お金の生活習慣病」にかからないように注意しながら暮らすしかない。
(でもこれは私の経験則からいうのだけど、お金というのはよく言われるように天下の回りもの。出さなければ入らないんですよ。ケチな人にはケチな分しか入らない。これは本当に不思議なこと。人のためにお金が使える人に「福」も「金」もやって来るものなのです。)

「老後破綻」という言葉に強く反応してしまうのは、私たち夫婦の友人知人に破綻した人がいるからだ。
3人いるのだが彼ら全員がほんの10年前までは、裕福と言ってもいいくいの暮らしをしていた。
Aさん夫婦は世田谷の家のローンが毎月70万円。グルメの彼らは毎日のように人を集めて宴会をしていたらしい。
だが自由業の夫に仕事が来なくなり、糖尿病で足を切断、妻は腎臓透析を受ける身となっていて、生活手段を模索している。
Bさんは東京下町の名士の親の代から千葉に別荘を持っていたが、なにかの投資に失敗したのかすべてを手放し、奥さんから三行半となったうえに胃がんを罹病してしまった。唯一救われるのは年金があることで、今は息子と二人部屋を借りて暮らしている。
Cさん夫婦はこれまた億ションを買ったものの、やはりバブルがはじけて仕事がなくなった。それなのに奥さんは栄華が忘れられずに贅沢を続けた。
結果、マンションを維持できなくなって現在は売り出し中だが、値段が下がっているため、売ってもなお借金は残ってしまう。
これで仕事がまったくなくなった場合には生活保護だと言っているそうだ。

。。なんでこうなってしまったのか。
おそらく、本人たちもよくわからないのではないだろうか。
彼らのことを思うと暗澹たる気持ちになるけれど、ある意味自業自得の輪にはまったのだと思う。
もし「あのとき」がわかるなら、きっと「あのとき」に戻ってやり直したいに違いない。

彼らのようにならないために、自分を戒めるためにも、この本を読んでみたけれど、お金のことって、日々のことだけによくわからない。に
私も荻原さんに家計診断をしてもらいたいです。
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

稲垣栄洋「植物はなぜ動かないのか」

つねづね私は植物は動物よりずっと霊性が高いと思っている。
その理由は動物は厭ならその場を動くが、植物は動かずどんな悪条件にもじっと耐えているからだ。
大木や古木のそばに居ると涙がでてきて、おおいなるものを感じて畏怖の念に包まれる。
こらえ性のない私は植物の偉大さにひれ伏すのみなのである。

でもこれはスピリチュアルな本ではありません。自然科学の本です。
ひさしぶりに面白い自然科学の本を読んだという感じ。
しかもこの本はたんに植物だけでなく、人間にとっても示唆に富んでいる。
それは「強さ」「弱さ」とは何なのか?という命題を考えさせてくれるからだ。

雨が降らなくても植物はそこにいる。
害虫に葉っぱを食われても動かない。
それでは植物は何もできない弱い存在なのか?

動物の進化のスピードはとても緩やかだが、植物のそれは速い。
環境の変化に適応し生き延びるために、どんどん形態を変えて来た。それが植物が生き残る術だったのだ。
植物連鎖の最底辺にいる植物は食べられない工夫をしてきた。変な匂いを出すこと、毒をもつことなどがそうだ。
それでも毒に強い草食動物はいるし、その匂いを好物とする動物もいる。
そこはうまく共存しながら進化してきたようだ。

私たちは「雑草は強い」と思っている。
確かに雑草はすぐに伸びる。抜いても抜いても生えてくる。
我が家の庭は夫が今肘痛のため草刈りができないので、草ボーボーとはこのことかというくらい、伸び放題になっている。
植えた草花を完全に凌駕している状態だ。
しかし、脳学者で「雑草生態学」専攻の著者は雑草は弱いからこそ生き延びたというのだ。
「雑草の成功戦略を一言でいえば「逆境×変化×多様性」なのだそうだ。
例としてオオバコが紹介されているが引用すると長くなるので、興味ある人はぜひ読んでください。

どんなものにも生存理由があり、価値があり、強さと弱さを兼ね備えている。。
ね、なにやら人間っぽいですよね。
別に植物を擬人化しているほんではなく、れっきとした自然科学の本なのだけど、いろんな意味で面白かったです。
「ちくまプリマー新書」(820円+税)。

posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月31日

乾ルカ「花が咲くとき」

札幌に住む小6の大介。
両親は国立大出だからか、それほど悪くはない大介の成績に厳しい。
そんな鬱屈をはらすために、夜になると、隣家の庭の木の花芽を見つけると削ぎ取っている。
隣家には偏屈な老人、佐藤北海が住んでいて、いつもその木の下にたたずんでいる。
ある日、大介が削り忘れた花芽が開花した。
それを見た北海は突如、ボストンバッグを抱えて旅に出かけようとする。
ちょうど両親に叱られ家出を決意した大介は、北海を追うこごにした。。
北海はどこに行くのか?
秘密を抱えていそうな北海の目的はなんなのか?
北海と大介のロード・ノヴェルはこうして始まる。

乾ルカは「夏光」や「メグル」で、不思議な超常的な小説を書いたが、この大介にもちょっとしたそんな能力がある。
それは会う人からの「気配の色」が見えること。
その色で人の思惑や人柄を大介ながらに判断しているのだ。そしてそれは大介を正しい方向に導くことになっている。

時代設定は昭和50年代半ばだろうか。
戦争体験をもつ人たちがまだ多く存命していた頃だ。戦争後遺症から抜け出せない人たちの戦争の落とし前のつけ方の苦しみ。
名古屋、舞鶴、下関、そして長崎・・北海と大介の旅で出会うリュックの大学生、トラック運転手、ストリッパー、包丁研ぎ師。
彼らは大介に大切なものは何かをそれとなく教えてくれる。
そう、これは大介の成長物語でもある。

やはり感動的なのは最終章で、「許す」「許される」ことの意味が描かれている部部分だろう。
北海の正直さがストレートに胸を打つ。
許すことも許されることも難しい。忘れられない事実をにそれができるのは神様だけだ、
人間が出来ないからこそ、神様がその代わりをしてくれるのではないか?

乾ルカの小説はわりと出来不出来がはっきりしていて、こんなの書かないでと思うこともあるけれど、これは気に入りました。
彼女は幼い子を主人公にするのが巧いですね。
好きな作家さんなので次作にも期待です。

posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

岩阪恵子「掘るひと」

少し前に岩阪恵子のエッセイ「台所の詩人たち」を読んでその文章の落ち着きが気に入り、小説もと選んだのがこの「掘るひと」。
9つの短編の主人公はみな中年の女性だ。
夫や夫の家族などに言葉にならない違和感をもっている。
言葉にならないからこそ、出さなかった言葉は積み重なって、彼女たちの心から溢れそうだ。
これ以上の我慢ができなければ、なにか恐ろしいことが起こるかもしれない。。
しかし主人公たちはそこまではいかないで、境界の一歩手前で踏みとどまり足踏みをしている。
その感情の微妙さが淡々と描かれている。

「雨のち雨」も素晴らしかったが、この「掘るひと」も印象に残る小説集だ。
派手な道具たてはどこにもない。
日常の暮らしのなかでのちょっとした出来事があるだけ。
穴を掘る、マーマレードをつくる、通夜でのできごと、ベランダに来る猫・・
なにも特別なことはないのに、ディテールにハッとしてしまう。
ここには小説で味わうしかできない愉しさがあって、つくづく巧い作家だなと思う。
「そうそう、こういうのを読みたかったのよね」。

女性の視点からだろうか、短編に登場する男たちの「駄目さ加減」に苦笑しながら頷くことしばしばだった。
たぶん男は自分たちのある部分の欠損や過剰さに気づいてはいないのだろう。
それに反応する女をうっとうしがっているきらいもある。
男と女の違いと言ってしまえばそれまでなのだけれど。。

岩阪恵子は最初は詩を書いていたひと。
彼女が師事していたのが詩人(小説家でもある)清岡卓行で、後に結婚をした。
詩人の夫のそばでは詩は描けなくなったのか、彼女は小説と評伝を書くようになった。
私は木山捷平の大ファンなので、彼女の「木山さん、捷平さん」は今でも持っている。
最近「私の木下杢太郎」という評伝を出したそうで、それも読んでみたい。(といっても杢太郎のことはよく知らないのだけれど)。

資料調べに時間のかかる評伝もいいけれど、小説も書いてください、岩阪さん。
中年から老年になりつつある女性たちの心がどのように変化したか、しないのか、それを読みたいです。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする