2016年05月17日

井上荒野「ママがやった」

このザラザラした空気感。
こんな井上荒野を私は読みたかった。
でもこれ、説明するのがちょっとむつかしい小説だ。
ストーリーはある。のっけからママがパパを殺すのだ。
たしかに「ママがやった」のだが、理由がわからない。
憎しみや恨みや腹立たしさなどの激情はどこにもない。
そして拓人を殺した後の百々子は動揺も見せず、経営する居酒屋に居合わせた長女と次女にご飯を食べさせるのだ。いつものように。
娘たちは警察に連絡しようとはしない。これもごく当たり前のように。
彼女たちに違和感を持つのは息子だけだが、彼とて、積極的に何かをしようとはしない。

拓人のような男っている。
やさしくてやたら女にもてる。70を過ぎた今も恋愛関係の女性がいる。
仕事をしないが、イラストレーターとか小説家とかを自称する。
妻に養われるヒモ。
そう、どうしようもない男だ。
百々子はある時から一切、拓人のすること、しないことに口をはさまなくなった。
そんな拓人だが、人と人の関係は不思議なもので、家族は拓人に慰められたり癒されたりもする。

読み進むうちに「この小説って誰がホントの主人公なんだろう?」と考えてしまった。
何がテーマなのか?
曖昧さと混乱の恐ろしさがじわりと湧いてくる。
50年間、拓人と夫婦でいた百々子の心の底にはなにがあったのか?
諦めてはいなくて、彼女は拓人に強く深い愛情をもっていたのだろうか。
それにしてもなぜ今?という気がするが、これこそがこの小説のテーマなのかもしれない。

不可解さと不穏さを描かせたら、井上荒野は巧いですね。
楽しめた一冊でした。
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2016年05月16日

岩阪恵子「台所の詩人たち」

雨模様の日の午後、そういえば雨のついた題名の本を読んだことがあるのだけど、あれ、とても良かったのだけど、誰の本だったか?と一生懸命思いだし、そうそう岩阪恵子だったとわかった時の安堵感。
以前は読んだ本のことは忘れなかったのだが、このところの記憶の薄さには我ながらあきれるばかり。
そう、岩阪恵子の「雨のち雨」という短編週だった。

岩阪恵子は寡作作家だ。それにマイナーと言っていいくらいベストセラーには縁遠いひと。
新作がいつ出たかあまりわかりようがないし、ライブラリーが購入してくれることもない。
けれど彼女の静謐な文章は澄んでいて、細やかな情景にその心象が浮かび上がる。それでいて変なべとつきがないのがいい。
久しぶりに岩阪恵子を読んでみようと借り出してきたのがこの本。人生における
岩阪恵子の初めてのエッセイ集だ。

四半世紀にもわたる長い期間のエッセイを集めている。もっとも古いのは1976年のものだそうだ。
赤ん坊が生まれたばかりの頃らしい。
(彼女は師事していた25歳年上の孤高の詩人と言われた清岡卓行と結婚)。
一番新しいのが2000年で本が発刊されたのが2001年。
小説や評伝を書きながら主婦の仕事をする生活のあれこれが描かれていたり、生後まもなく移り結婚するまで住んだ大阪淀川沿いの町のこと、心に留める詩人や作家の作品についてなどの文章がならんでいる。
どれも落ち着きがあって、読む私の神経をしずめてくれる。

もうすっかり東京暮らしのほうが長いはずなのに、故郷大阪の淀川はいつも彼女の内にある。
それは懐かしいという感情以上に彼女の根っことなっているようyだ。
そうした一つの土地への強い気持ちの希薄な私にはそのことが羨ましい。
背骨というか肝というか、そういう核のない自分の弱さが顕わになったような気がする。

私が好きだったのが「歩くのが、いちばん」というエッセイだった。
電車には酔う、飛行機は怖い。自転車にも乗れない。泳げない。そんな岩阪恵子ができるのが「歩くこと」。
息子から「過去人」と揶揄されても、歩くことがいちばん「日常」に近いと彼女は言う。
そしてこの「日常」を歩きながら見るように描いたのが、庄野潤三だと書いているのだ。

「庄野氏はゆったりとした歩幅で足を運びながら、街を眺め、人を眺め、家族とそして自分を見つめる。もっとも氏の心の安らぐのは、自然に目を向けたときだろう。それらのものが庄野氏の体内を経て、言葉になって書きあらわされるとき、ユーモアを交えた静かな語り口の背後に、人生における黒い陥弄を覗き知ってしまった人の悲哀が隠されているのを、人は感じるだろう。」

これほど庄野潤三を確かに評した文章はないと思う。
この本のどの文章も素敵だったが、これを読めたのがなによりの僥倖でした。
次は「掘るひと」を読もうと、借りて来ています。
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2016年05月13日

旭屋出版 カフェ&レストラン出版部「BARISTA LIFE」

バリスタとは広範囲には、バールやレストランで飲み物をつくってサービスをする人をいうが、日本ではコーヒー、それもエスプレッソを供する人の意味で使われる。
この本の副題は「バリスタという生き方を選んだ28人」というもので、バリスタの先駆者からニュー・カマーまでのバリスタが紹介されている。

まさかバリスタが憧れの職業になるとは夢にも思わなかった。
私がイタリアを最初に訪れたのは1969年の夏の終わり。
エスプレッソを飲んだのは多分、ローマだったと記憶する。
小さなカップにほんの一口の濃くて苦い、でもなんともいい香りの褐色の液体に、スプーン山盛り2杯の砂糖を入れた。
カップの底に溜まった砂糖はスプーンですくって食べた。隣のお客さんの真似をして。
(その同じ滞在のときに、bitter(ビッテル)という赤や緑のこれまたすごく苦い飲み物も初体験したのだが、イタリアには苦い飲み物が多いなというのが印象だった。)
日本ではエスプレッソなどほとんど誰も知らない時代だった。

あれから半世紀近く。
イタリアというよりもシアトル系カフェ経由で、エスプレッソは日本で有名になった。
スターバックスの出店がない県って、まだあったっけ?というくらい日本中にエスプレッソは行き渡った。
そしてそこで働くバリスタという仕事も知られるようになった。

この本に載っているバリスタたち、男性も女性も本当にいい笑顔をしている。
コーヒーを淹れて、お客さんに喜んでもらうことが天職のようだ。
好きなことを仕事に選んだ厳しさもそこにはあるだろうが、でもやっぱり好きな仕事ができるのはなによりだ。
彼らの働きぶりを見たいものである。

イタリア人は怠け者と思われている。
しかしバールやレストランでサービスする人はものすごい働き者なのだ。ひとときもじっとしていない。
お客さんが少ないときにはグラス類を磨き、床の掃除をし、ゴミを出汁、とにかくいつも動いている。しかも姿勢がピンと伸びていてカッコイイ。
どんなに混んでいても、注文を間違うことはないし、隅々までちゃんと目を配ってみている。
現在のイタリアのバールでは、キャッシャでまずお金を払って、そのレシートを持ってカウンターで注文をするのだが、以前は飲んだ後でカウンターでバリスタにお金を支払っていた。
彼らはお客さんからもらうわずかなチップを何十年も貯めて、自分のバールの開店資金にしていたんだよと、夫が話してくれたことがある。
いまはカウンターにチップを置く客はいなくなったけど。
イタリアのようなプロのバリスタが日本で続々誕生しているなんて、素敵ではないか。

でも美味しいコーヒーをと気持ちがはやりすぎて、お客さんが緊張するようではいけない。
コーヒーはリラックスするために飲むもの。
バリスタはあまりウンチクを述べず、自分の仕事に忠実になっていればいいのだと思う。
誰が飲んでも美味しいものは美味しいはずだものね。

この本には私がいつか行ってみたいと思っていたカフェが掲載されている。
それは島根県安来市にある「カフェ・ロッソ」というお店だ。
安来節で有名なあの安来である。そんな小さな町にすこぶるつきのバリスタがいるのだ。
いつかカフェ・ロッソのエスプレッソを飲みたい。
エスプレッソ一杯のために旅行をするというのもちょっといいかもしれない。のm「いつか」が実現すればいい。

ちなみに私がこれまで飲んだ一番のエスプレッソというかカプチーノは、ローマのテルミニ駅の北側の、労働者が朝食を摂るバールで飲んだもの。
観光客が行かない小さなバールに、英語で言うところの「首の後ろが日焼けした」(ブルー・カラー)人たちで満員だった。
あの一杯は忘れられない。
くいっとまるでリキュールでもひっかけるみたいにエスプレッソを飲む彼らって、とてもとてもかっこよかった!
バリスタもセクシーだった。
日本のバリスタたちも、もっともっとセクシーになってほしいです!

ところで日本人はなんでエスプレッソに砂糖を入れないの?
イタリア人は「日本にはズッケロ(砂糖)がないのか?」と不思議がっている。
エスプレッソにはやはり砂糖を入れるほうが断然美味しいと思うな。
普段のブレンド・コーヒーや紅茶を甘くはしない私でも、エスプレッソには砂糖を入れます。
昨日、東京神楽坂で飲んだカフェ・クレームにも、きれいな泡の絵がありました。その泡が消えたころに少しだけ砂糖を入れたら、ホッとする味になりました。
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2016年05月10日

エマニュエエル・トッド「シャルリとは誰か?」

2015年1月7日、パリの風刺雑誌「シャルリ・エプド社」が襲撃され風刺漫画家や編集者たち11人が死亡、多くの人が負傷した。
イスラム教ムハンマドを冒涜したという理由で、イスラム過激派が起こした事件だった。
このことに対しての大規模な集会デモがフランス全土で行われ、パリではオランド大統領、パリ市長、ドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相らが並んで先頭を歩いた。
デモに参加した人たちには「私はシャルリ」と書いたプラカードを掲げた者も多かった。彼らは事件の犠牲者への哀悼と「表現の自由」を求めて歩いた。

「私はシャルリ」
では「シャルリとは誰か?」
歴史学者で人類学者であるエマニュエル・トッド氏がテロ後まもなく出版したこの本は、フランスの政治家や哲学者、またフランス国民たちから激しい拒否感を含めた大論争を引き起こしたという。
この本でトッド氏が書くのは、あのデモに参加したのは「ゾンビ・カトリック教」の人間たちで、それは「表現の自由」を掲げた「欺瞞的で排外主義的であった」ということである。
そこには「宗教の衰退と格差拡大によって高まる排外主義がヨーロッパを内側から破壊しつつ」ある現状そのものだと。
フランスの理念であるべき「自由・平等・博愛」はどこにもないと。
彼らの危機感がヨーロッパを崩壊させるのではないか。

非常に興味深い本だ。
我々はなにか事件が起きると、それをエモーショナルに捉えヒステリックに行動しがちである。
しかしモノゴト、とくに政治的なことには我々の及びもつかない「真相」があることが多い。
例えば湾岸戦争での「油にまみれた水鳥」の映像を覚えているだろうか?
イラクが放出した油によって苦しんでいる水鳥の映像に、「イラクってなんて酷い国なんだ!」と私でさえ怒った。
けれどあれはイラクがしたのではなかったと、後で真相がわかったのだ。
国際政治はわかりにくい。それによって派生する事件の真相もわかりにくい。私たちに本当のことがあわかるのは何年も何十年も経ってからだ。
永遠にわからないことだってある。
戦争をしていた国と国が仲良くなったり、また憎み合ったり。。
(前の戦争で日本人はアメリカやイギリスを「鬼畜米英」と「憎まされて」いた。それが戦争が終わったらとたんに親米になりそれが今もずっと続いている。)

大切なのは、一方からの情報だけで判断しないことではないだろうか。
反対側からの意見を知り、自分のアタマで考えることだ。
そういう意味で、私はこの本を推奨します。
この本がフランスで大論争を起こしたこと自体が意義のあることだと思う。
「流されないこと」・・何も考えないで批判しないと、いつのまにか誰かが意図した方向に流されてしまう。それはとても怖いことだ。
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2016年05月05日

小川洋子・鹿島田真希ほか「どうぶつたちの贈り物」

5人の作家による動物小説アンソロジー。
作家たちの名前には動物の名前がそのまま、あるいはひっそりと隠れている。

東川篤哉「馬の耳に殺人」
白河三兎「幸運の足跡を追って」
鹿嶋田真希「キョンちゃん」
似鳥 鶏「蹴る鶏の夏休み」
小川洋子「黒子羊はどこへ」

作家の名前にちなんだ動物で小説を書いてもらおうという出版社の企画だ。
でもこれ、はっきり言って企画倒れ。
企画が良いからといって、小説が良いとは限らないんですね。
そして小説が良くなければ、アンソロジーとして良くなるわけがない。
あのいつもは素晴らしい小川ワールドに浸らせてくれる小川さんさえも、ここではちょっと。。という感じ。
とても残念。
他の小説にいたっては、ミステリーっぽいものが多いけど、どれもつまんなかった。鹿嶋田真希は期待していたものの、これもグダグダしてるだけだった。
初めて読む作家さんが二人いたけど、彼らをこれからも読もうという気にはならなかった。
正直、途中で読むのを止めたものがあるくらいだ。

ごめんなさい。今日のブログはこれ以上書く気がしません。。
作家を恨んではいませんが、編集者を恨みます。
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2016年04月26日

旭屋出版編集部「カルパッチョ!カルパッチョ!」

カルパッチョが大好きだ。
新鮮な刺身を薄切りにして皿に並べ、その上からたらーりと上質のオリーブオイルをまわしかけて、あとは塩・コショウをし、レモンを絞る。
その上にルッコラを散らすとより美味しくなる。
技なしでこんなに美味しくていいのっていう感じなのに、立派なお客さま料理になってくれるからありがたい。

でももともとのカルパッチョは牛肉のヒレを使ったもので、画家のカルパッチョ氏の好物だったのだとか。
そういえば最初ごろのカルパッチョは魚ではなくて牛肉だった。上にパルミジャーノのスライスが乗っていた。
ヨーロッパでは魚の生は食べないが、肉の生はタルタルステーキがあるように食べるのだ。
大昔、初めてパリに行ったときに注文したいわゆるハンバーグステーキがほとんどレアだったのにはびっくりした。挽肉がレア!?
ちょっと抵抗があった記憶がある。
でも今ではヨーロッパでも生の魚を食べるようになった。SUSHIは大人気だ。

驚くなかれ、カルパッチョは肉や魚だけではなくなていて、野菜や果物というのまであるようだ。
この本には有名レストランのシェフによるレシピのカルパッチョが、和洋中のみならず韓、エスニック風なものも紹介されている。
プロの料理人がつくるからなのか、材料の量が一定ではないし(4人前とかいうのではなく、大量の場合がある)、大サジ一杯とかの表示ではなく、適宜とか書いてある。
でももぁ写真があるので、常識の範囲でそう失敗はないと思う。
この料理の写真が美しいんです。思わずどれも作ってみたくなる。
これから暖かくなる季節にはカルパッチョはいいんじゃないかな?

私の夫が時々思い出したように、カルパッチョのことを話すことがある。
それはもう15年ほど前にイタリア中部のアッシジの下の街で食べた料理だった。
ローマからペルージャに向かう途中、アッシジでお昼時になった。上の街まで行くとレストランは多いが観光客も多いので、下の街で食べようということになった。
ガイドブックで見ると三ツ星ホテルのレストランが見つかったので入ることにした。
お客は他に一人だけだったので、ちょっと失敗したかなと心配になったのだが、サービスの人が薦める「カルチョッフィのカルパッチョ」なるものを前菜に注文した。
カルチョッフィとはアーティチョークのこと。
しばらくするとそのお皿が来た。薄切りの生のカルチョッフィとパルミジャーノとルッコラだった。
カルチョッフィは大好きだが生が食べられるとは考えたこともなかった。カルチョッフィは下ごしらえが大変な野菜で、レモン汁で茹でないと食せないものだと思っていた、
ウェイターに訊ねたら「今、裏の庭から採ったばかりだから、生でも食べられるんだ」と大いに自慢していた。
京都では新鮮な筍を刺身で食べるが(一度食べたことがあるが、それほど美味しいとは思わなかった。ちゃんと茹でて食べる方が断然美味しかった)、カルチョッフィのカルパッチョは文句なしに美味しかったが、夫には味以上に料理そのものが衝撃的だったようだ。
それ以来、毎年5月に掘りたての筍を友人が持って来てくれると、すぐに茹でて、生ではないが筍のカルパッチョをつくることにしている。
同じようにパルミジャーノとルッコラを上に乗っけて。
私たちがカルチョッフィのカルパッチョに驚いたように、初めてそれを見る人は一様にめずらしがって食べてくれる。

この本には、たこをナンプラー味にしTがり、ほたてのバター醤油というのもあるので、お好みのカルパッチョをつくってみてはいかがだろうか。
私はやっぱりシンプルに、オイルと塩・コショウが好みです。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月15日

江上治「あなたがもし残酷な100人の村の村人だと知ったら」

2001年に池田香代子さん訳の「もし世界が100人の村だったら」が発刊され、多くの人が世界の平和について考えさせられた。
世界という大きな対象では理解しづらい事象が、対象を身近なサイズにすることでわかりやすく説明されていた。
この本もそれを狙っているのだろう。
ここで示されているのは現在の日本と将来の日本に関わる「残酷な」数字である。
おそらくはほとんどの日本人が知っている数字。でも知らないことにしていようとしている数字。
はっきりと目の前に突きつけられると絶望してしまう数字がここには並んでいる。
この本を見ると叫びたくなる。「どうして日本はこんなに国になってしまったのか?」と。

少子化、年金や国民健康保険制度、介護保険、貧困を生んでいる格差社会と生活保護・・
日本が抱える問題の大きさはこれからますます増していき、若い世代に負を背負わせることになるだろう。
自分の子どもや孫にこのような負を遺していいのだろうか。

13人が子ども。
61人が働き手。
21人が老人。
それが35年後には、
10人が子ども、
52人が働き手。
39人が老人、となる。

問題はすでに存在している。
お金を稼ぐ人が減っているにもかかわらず、現在の村の借金は村人が1年間に稼ぐ2倍以上もある。
これを普通の家計に換算すると、年収360万円の家庭で年に588万円が必要で、不足額は228万円。れがすべて借金である。
なぜ「残酷」かというと、このツケがすべて20代以下の子どもに回ることなのだ。

一生懸命働いて借金を返せばいいではないかと言うひとがいるかもしれない。
しかしこの村では41人の人が雇われて働いているのだが、そのうち26人が正社員。15人が非正社員。
(非正社員とは契約社員、派遣社員、嘱託、アルバイト、バートなどで、なんの保障もない人たち)。
正社員と非正社員の収入格差はじいつに大きい。
年収200万円以下の「ワーキング・プア」は9人もいる。

・・と、こうした数字が次々に目の前に現れる。
あまりに「残酷」で絶望してしまう。
しかしこうしてしまったのも日本人ならば、これを改革できるのも私たち日本人ではないだろうか。
(もっとも現代のグローバル経済社会においては必ずしも日本単一で解決できるものではないだろうが)。
絶望は愚か者の選択だ。
この本の第二部では、こんな世の中をどう生き抜けばよいかが書かれているが、第一部のショックから立ち直るには根拠が薄いような気がする。。

少子化が諸悪の根源のように言われているが、それは過渡期ではそうかもしれないが、50年100年のスパンで考えればメリットもあるのではないか。
北欧などの人口が少ない国々だからこそ機能しているシステムもある。
デメリットだけでなくメリットを模索してみる必要があると思う。

お金だけを目的にしない人生。足るを知る暮らし。
ほんの数十年前の日本人が送って来た生活じゃないか。ほんのちょっとだけそこに戻るのはけっして後退ではないないはずだ。
景気を良くするために武器をつくり輸出したり、戦争を始める国にだけはなってもらいたくない。
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月31日

井上ユリ・小森陽一編「米原真理を語る」

とうとう「安保法」が施行されてしまった。あれは「安保法」ではなく日本を戦争する国にするための「戦争法」である。
4月10日にここ北杜市において「九条の会」の事務局長の小森陽一氏を講師に迎え「憲法学習会」が開催される。
北杜市は都会からの移住者や別荘族が多くて、名だたる社会学者や憲法学者などが居住うする地域なので、こうした講演会はしばしば行われている。
小森陽一氏が米原真理と小学生時代をプラハで過ごしたと聞き、この本を読んでみることにした。

ロシア語通訳家・小説家の米原真理が亡くなって10年になる。本当に月日の流れるのが速く愕然としてしまう。
もし米原真理が生きていて戦争法が施行されたと知ったなら、彼女はどんな行動をとったことだろうか。
彼女の怒りのエネルギーのすごさを思うと、つくづく彼女の不在が口惜しい。

米原真理の父親と小森陽一の父親はとも日本共産党幹部だった。
1950年生まれの真理は2歳年下の妹ユリと一緒にに59年から65年にかけてプラハのソビエト学校に通った。少し遅れて1953年生まれの小森も同じ学校に通うことになった。
当時のプラハはヨーロッパの中心に位置し、世界の共産主義運動に関わる国や組織の本部が置かれ、仕事で駐留する親の子女たちがソビエト外務省所属機関である8年制学校で勉強していた。
そこには世界の政治の縮図があったようだ。
共産主義国の学校というといかにもイデオロギー教育をすると思われがちだが、そういうことはまったくなく、いかに自分で考えるかを集中的に学んだと言う。
母語から離された環境で暮らすのは幼いこともにとってもつらいことだったろう。真理はユリと小森を護る「長女」の役割をしていたという。
ここでの教育があまりに素晴らしかったので、帰国後彼らは日本の薄っぺらな教育しかしない学校に失望したようだ。
この本では真理の妹ユリと小森が対談をしている他に、井上ひさし(真理の義弟、ユリの夫)、吉岡忍、金平茂紀らが「米原真理とはどういうにげんだったか」を語っている。

だいたいにおいてみんなの米原真理像は一致しる。
「大胆で細心」「いきなり核心をつくすごさ」「毒舌」「シモネッタ」「怒りと笑い」「言葉の奇想天外さ」・・
何かに夢中になると他は目に入らない人だった。
それを裏付ける話しがユリから出ているが、なんと昔の家の落とし便所に3回も落ちたそうである。きっと何かを考えていたのだろうが、普通3回も同じ過ちをおするだろうか。しかも便所だよ。
お母さんもさぞ大変だったろうが、そのお母さんもちょっと「変な人」なのだ。。

米原真理の死から2年後、山形県の「シベール」において「米原真理展 ロシア語通訳から作家へ」が開催された。(シベールという会社はあの美味しいラスクを製造するので有名ですよね。私も大好き)
3ヶ月間の展覧会の期間中に行われたギャラリー・トークを集めたのがこの本。
ジャーナリストの吉岡氏や金平氏の話は臨場感にあふれていてとても興味深い。彼らがいかに米原真理を信頼していたかがよくわかる。

彼女のエッセイが大好きでほとんどを読んでいる。
でもなによりも好きなのがたった一作残された小説「オリガ・モリソヴナの反語法」だ。
長生きをしてもっと小説を書いてほしかった。意外なことに彼女は童話を書きたかったようだが・・

北杜市にお住まいの方、時間がおありならぜひ「憲法勉強会」にご参加ください。
ここは「九条の会」の活動が盛んなところでもあるのです。

posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

E・M・レマルク「凱旋門」

大好きな小説です。
17歳くらいまで、本を読むことなわち小説(物語)を読むことに他ならなかった私にとって、「凱旋門」はまさに小説中の小説だった。
なぜ17歳かというと、あの頃フランスからサルトルとボーヴォワールが来日したからだ。
それ以来、本を読むのは知識を得るためという目的を持つようになった。
サルトルとボーヴォワールは新しい男と女の関係で、まぁ時代の流行の現代思想だった。流行に弱いミーハーの私はすっかり夢中になって彼らの著作を読みあさった。思えばあれは私の第一期青春だった。

ともかく、私の小説の黄金期に読んだ本はいまでも私の宝物。
コレットの「青い麦」、ラディゲの「肉体の悪魔」と「ドルジェル伯の舞踏会」、シャルドンヌの小品、「チボー家の人々」・・
(なぜかフランス文学が多いなぁ)。
そしてこの「凱旋門」。
(ご存じでしょうが、レマルクはドイツ人作家。第一次世界大戦を題材にした「西部戦線異状なし」も名作です)。

「凱旋門」はボワイエとバーグマン主演の映画で有名だが、私に言わせるとあんなに最悪な映画はない。
まず二人が下手くそなだけでなく、どうしようもないほどミスキャスト。
レマルクの原作の緻密さがまるでないし、戦時下のパリの雰囲気だって出ていないんじゃないか。
あの映画を観て小説「凱旋門」を誤解している人は多いと思うけど、原作は全然違うのだと声を大にして叫びたい。

でもなぜいまこの本を再読しようと思ったのか?
昔は我が家にあった世界文学全集に収録されていた。記憶では緑色の函で緑色の表紙だった。
いつのまにか手元から消えてしまって、古本屋でまた買おうかなともう何十年も思い続けて来たのだった。
それが数年前だろうか、復刻版が出たことを知った。
これもいつか手に入れようとそのままになっていたのだが、つい最近ふとしたことでまた思いだし、なんとなく我が町のライブラリーを検索してみた。
すると、あるではないか!
レマルクの「凱旋門」、ちゃんと復刻版を購入していたのです!
これは借りなくっちゃということで、うれしい読書となった次第。

「凱旋門」には小説としてのすべての要素が詰まっている。
恋愛、友情、裏切り、失意、戦争、革命・・
ないのは「家族」だ。登場人物たちはみんなデラシネ。祖国を追われ家族を失い、他の国で暮らす人々だ。
そこは安住の土地ではなく、そこからも逃げざるを得ない境遇の寄る辺なさのなかで触れ合う魂の切なさ・・
嗚呼もう、なんてすばらしいのだろう。
復刻版も以前と同じ訳者の同じ文章だ。たしかにちょっぴり古臭くはあるけれど、私にはやはり同じ方が落ち着きがいい。

ないのは「家族」と書いたが、「希望」もない。少なくともナチス占領下のパリ、ましてやドイツから逃れて来たラヴィックには「希望」はない。
それでもつかの間、ラヴィックとジョアンには恋人同士としてのかすかな未来を夢見ることはあったと思う。

これを最初に読んだときはまだパリに一度も行ったことがなかったが、最初にパリに行った1969年、私はこれにたびたび出てくるカフェに行ったのだ。モロソフがドアを開けてくれることはなかったが、うれしかったなぁ。
私にとってラヴィックとジョアンは永遠の恋人同士だ。
今回再読して、こんなにも多くのパリの通りの名前が出てきていたのかと驚いた。パリに住んでパリをよく知る人には懐かしい通りの名前なのではないだろうか。

「凱旋門」のほかに、小説中の小説を挙げるとしたら、20歳代半ばに読んだダレルの「アレキサンドリア四部作」でしょうか。
小説作品としての欠陥は多いのだが、じつに魅力的な作品だと思う。
これもいつの日か再読したいものですが、さて、私の目がもつかどうか。。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月09日

絲山 秋子「小松とうさちゃん」

ごめんなさい、イトヤマさん。
イトヤマさんの大ファンの私は彼女の本は出版されたら必ず購入することに決めている。(こういう作家は他に3人くらいしかいない)。
「薄情」が発売されたすぐ後にこの本が出るのは知っていたというのに、例の井戸ポンプの故障や高熱ダウンとかのあれこれで、すっかり失念してしまっていた。
ライブラリーのネットの新刊案内「日本文学」のジャンルを見ていたら、「小松とうさちゃん」があるではないか!
うむぅ、誰も借り出していない。それなら買わずにこれを読むか。。
という次第で、今回はこれは借りた本です。本当にごめんなさい、イトヤマさん。

絲山 秋子って物語と文体の作家だとつくづく感じる。
小節ごとに彼女は文体いを変える。「薄情」では暗く重めの内容にふさわしい文体だった。
この「小松とうさちゃん」はタイトルを見てもわかるように、「薄情」よりも軽妙。
それでもしっかり人物廃置や展開はしていて、エンタメにはなっていないところが彼女らしいところだ。
物語が先なのか、文体が先なのか?
書いていて「突然、降りてくる」とイトヤマさんはよく言うが、「降りてくる」ものに導かれての小説作業は楽しいのか、くるしいのか?

表題の「小松とうさちゃん」は、酒場で知り合って仲良くなった男二人のうちの小松が、新潟新幹線の中で偶然知り合った女性と、(おそらくは)人生最後の恋をする。
小松は50代の大学の非常勤講師だが、収入は月15万円の実家暮らし。
小松の相手のみどりも小松と同年齢、自動車教習所の教官だが、実はもうひとつの仕事を持っている。
それは「見舞い屋」として病院の入院間患者を訪れ、偽の家族や友人となって話をすること。少々ヤバイ人物からの仕事だ。
一方うさちゃんこと宇佐美は結構な敏腕サラリーマンなのだが、ネトゲにはまっている。うさちゃんはいつもどこか憂鬱気分。

こんなおじさんたちって、酒場のカウンターにはいるものらしい。
イトヤマさんは「小松とうさちゃん」の前に習作っぽく小松とうさちゃんを登場させてごく短いものを書いている。それが「飛車と騾馬」でこの中に収録されている。
イトヤマさんにとっては「飛車と騾馬」だけで終わらせたくない人物だったようだ。

もうひとつ、「ネクトンについて考えても意味がない」という短編もある。
このタイトルって、津村記久子っぽくないですか?
これが私は印象的だった。
ミズクラゲのなかに突然人間である南雲咲子の魂だけが入り込む。
そして彼らは会話を交わす。
ネクトンという単語をはじめて知った。これは水棲生物を分類する言葉で、水流に逆らって遊泳できるのがネクトンで、ほとんどの魚類はネクトンだ。
逆らって泳げないのがミズクラゲのようなプランクトン。水底に棲むのはベントス、また水面上に棲むのはニューストンと呼ばれるそうだ。
この短編はファンタジーではあるが、もっと違う切り口なら理系の池澤夏樹の小説みたいなところもあって、私はこれ、好きだった。
イトヤマさんてこういうものをときどき書くんですよね。「薄情」のようにリアルなものもいいけど、こういうのもいい。

いいものを書くイトヤマさんなのに、ライブラリーでの借り出し予約はかかっていない。もったいないことです。
今年は他にも本がでるようなので、今度はかならず購入します。
私が買っても微々たる印税にしかならないと思うけどl、こういう形でしか応援できないから、そしてイトヤマさんには頑張ってもらいたいから、amazonに注文です!
posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月29日

青木淳悟「学校の近くの家」

高熱がおさまった後、ひたすら小説が読みたくて読みたくて、一番最初に選んだのがこの本。
熱でぐちゃぐちゃの豆腐状態になった脳ミソに青木淳悟がふさわしいかどうかは難しいところだけれど、だからこその理解力も出るのではと期待したところもあった。
でもやはりクセモノですね、青木淳悟って。

主人公は杉田一善。小学五年生。
小学生が主人公だからといって無邪気なお話しでないのは、青木作品だもの当たり前。
まず現在のお話しよりも、小学二年生、三年生、四年生のころの出来事が、繰り返し繰り返し登場する。
小学五年生の幼い子どもにも「過去」があるのだと、ちょっとおかしかった。

舞台は埼玉県狭山市。
学校の正門から徒歩1分もかからないところにある一善の築40年になる家。
教室の窓からも家が見え、家からも教室が見える。
集団登下校の列に加われないほどの短い距離にある家だ。

学校の行事、先生たち、男子生徒と女子生徒・・
だんだん「フツー」でない感じが強くなってくる。
父親と一善との距離は微妙だし、なによりも変なのが43歳で一善の妹三矢を生んだ母親である。
みんな不穏な空気をまとっている。
そして狭山で起こった連続少女誘拐事件が暗い影を落とす。。

でも上に書いたことがこの小説を説明しているかというと、とんでもないのです。
全然、雰囲気は伝わってない。
なにしろクセモノなんです、青き淳悟は。直球球を投げる作家ではない。
でもどこか面白い。この面白さにはまるとクセになるんですよね。
狂気というほどはっきりした狂気ではないけれど、確かに彼の小説は狂気に膨らむものを孕んでいて、それがワクワクする文学になっている。

こういう一筋縄ではいかない小説を読むと、「負けないぞ!」と元気になります。
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月26日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

今月は何から書こうか?ずいぶん大変だった一カ月なので書くことがたくさんあります。
時系列でもいいのですが、ここはやはり、大きな出来事から。。

とうとう井戸のポンプが壊れました。しかも突然。どこのスウィッチをつついてもウンともスンでもない。一滴も出ません。
夫が確かな井戸業者さんを紹介してもらい、急きょ来ていただき、資材の手配をしてもらって新しいポンプを取り換えるまでの約1週間、水無し生活でした。
災害用のためにバスタブの水は落としていないので、トイレ用の水はなんとかその間の分は確保。水は夫がメンバーになっているゴルフ場でもらい水。
ゴルフ場に隣接のホテルに特別にお風呂に入らせてもらったのは助かりました。しかもバスタオルとフェイスタオル付きの温泉なのです。
困ったのが洗濯です。1週間も洗濯ものを溜めたら大変な量になります。
これは友人のO家に二度ほどお世話になり、しかもすき焼きの夕食までご馳走になって、本当にありがたいことでした。

水がないので食事の支度ができません。お昼はほとんど外食。こんな時には美味しいものを食べて気分を上向きにしなくっちゃとばかり、好物の鰻とか蕎麦とかを楽しんみました。
でも外食はどうしても野菜不足になるんですね。
しかも毎朝夫特製の生ジュースが作れない。ジューサーって後始末が大変で、多量の水を使うのです。
結局なにが一番食べもの飲み物で恋しかったかと言うと、この朝の人参ジュースでした。それと根菜の煮物。ハスや牛蒡や里芋などのお煮〆を我が家ではよく作るのですが、これもできない。だって自然食品店や生活クラブの野菜は泥付きなので洗うのに水が必要なんです。
スーパーのお惣菜は最初からパス。買う気がまったくしません。
何を食べてたんだろう?パスタも茹でるの多量の水が要るので一度も食べませんでしたね。
夫の友人が二人やって来た時には、ちょっと高級な冷凍ピッツァがあったのでそれをオーブンで焼いて、これはわりと好評でした。もちろん紙皿と紙コップで。
(トイレはそこらへんで「立ちションして」とお願い。だって自然の中だもの)

水無し生活で意外なことに気が付きました。
手を洗うという行為を、思いのほかしているものなのです。外出から帰ったら洗うのはもちろんのこと、家の中でちょっとしたことの後で手を洗っていたのです。
生活用水として汲み置いた4リットルのペットボトル(近所の農家の人が晩酌に飲む焼酎の瓶だそうで、頂いて重宝しました)のほとんどは、手洗いに消費した印象があります。
「こんなに手を洗う毎日だったんだ」というのが、水無し生活の感想でした。
でも石鹸をつけて洗っても、思う存分すすぎができないため、なんか手が痒くなって困りました。ザブザブすすぎが今はなによりうれしいです。

今回の工事で判明したのは、ここの井戸は50メートルのボーリング、水中ポンプは40メートルのところに設置してあり、水深は27メートルということです。
最初の見積もりよりは一回り大きなポンプが使われていたのと、電気の操作盤も新しくしたので、結局70万円の請求でした。
二日間のクレーン車を無料に、操作盤を半額にしてもらってのこの値段は、安いと言ってもいいでしょう。
なにより親切で仕事の丁寧な業者さんだったので、これからのメンテナンスのことを考えると、正解だっと思います。
このポンプ工事費は7軒で割るので、そうたいした出費ではありませんでした。
これから20年は水は安泰です。バンザーイ!

水無し生活が多大なストレスだったのか、水が出るようになったその夜から、高熱が出ました。
39度の熱は久しぶり。最初はインフルエンザかとも考えたのですが、熱があっての体の節々が痛いわけではないし、喉痛も頭痛もない。咳はその前の風邪をひきずっていたのが、数日前からあったにはあったけれど、これは「インフルエンザとは別物」と判断。
幼いころから「熱体質」で疲れたりショックを受けると高熱が出ていました。これが知恵熱なら今頃は大天才だというくらいの熱の出かたなんです。
一晩で39度から37.5度にひいたけれどまだ平熱ではありません。
食欲はまったくなし。アイスクリームとりんごなら食べられる状態が数日続き、白いご飯とお味噌汁が食べられるようになったのがやっとつい最近のこと。
(でも寝ている最中から、「カレーが食べたい」と思い続けていました。それもこのブログにコメント下さったことのあるKONAKAさんのレシピの本格ネパールカレー。早速一昨日、作りました。食べました。美味しかったです!本格だけど簡単なので病後でもラクに作れました)。
ただ熱は下がったものの、あの高熱が完全に下がるにしては汗のでる量が少なすぎる。まだ体のどこかに熱がこもっているのかもしれませんから注意しなくては。
(鍼の先生にカレーが食べたかったことを話すと「汗をかいて、体から熱を出そうと自然にしたのでしょうね」ということで、納得でした)。

病気といえばもうひとつ、これは深刻なことです。
うちの事務所の設立以来お世話になっている公認会計士さんのWさんが膵臓がんになって2週間入院されました。
2月3月は会計士さんにとってもっとも忙しい時期。
それも理由なのか、入院治療は抗がん剤を選択され、入院中もPCを持ちこんで仕事をされていたようです。
こんなときに税金申告を依頼しても大丈夫かとお尋ねすると、「大丈夫だから送るように」と返事があり安心しました。
事務所分と、夫と私は年金のほかにまだ給与所得があるので二人分の申告をお任せしたのでした。
フランス料理とワインがお好きなWさん、美食を少しひかえて、養生してくださいね。

今月は水無し暮らしと病気暮らしでほとんどをフイにしましたが、温泉に一泊で行きました。
まぁ行きたくて行ったわけではないのですが。。
というのも夫の一級建築士免許更新の講習が石和であったからなのです。
石和温泉は近いけれどなんか「ヤクザ」って勝手な思い込みが私にはあって、どうも行きたいところではなかった。
1960年ごろ畑の真ん中から温泉が湧き出て、一躍温泉地となったものの、ストリップ劇場や風俗などの歓楽街に加え、近くに場外馬券売り場があるこもあって、「ガラ」が悪いかったのです。
でも歓楽を求めての団体客がぐっと減り、石和温泉はイメージアップに努力した結果、このところは外国人や個人旅行者が増えて来たと言います。
でも「k園に泊まるの」と言うと、友人のN子さんが「数年前に一度泊まったけど、サイテーだったわよ」と吐き捨てるではありませんか。
「えーっ!?」。
その旅館は夫の翌日の講習会場から車でほんの5分、駅から電車で帰る私も徒歩7分の距離。至便なところにあるから選んだのです。しかも口コミはそう悪くない。
とても怖々と宿に着きました。
N子さんは「フロントには人がいないし、暗ーくて、部屋もひどい。お布団も自分で敷くのよ」と。

フロントでは数人の人がにこやかに出迎えてくれ、部屋に料理を運んでくれた仲居さんも、空の食器を下げに来た若い女性も、お布団を丁寧に敷いてくれた年配の男性もみんなみんな親切で感じよかったんです。
夕食も(京懐石のような上品さではないけれど)、質量ともに大満足。朝食も全然悪くありません。
部屋は青畳で、水回りは改装してあたったので、N子さんが泊った時から大改築したか経営自体がかわったかしたのかもしれませんね。
翌朝ホテルの人が私を駅まで車で送って下さいました。「石和」はこれからも家族旅行に最適なように変わるので、是非また来てください」と言っていました。
私たちが泊った日の客の三分の一は中国からの旅行者。それも若い人が多い団体でした。騒がしいこともなく静かに朝食していましたよ。
でも温泉には誰も入ってこなかった。もっとも私は夕食前に一度入浴しただけですが。

この建築士講習というのは、あの「姉歯」の偽装事件」以来、実施されるようになったもので、事務所に属する一級・二級の建築士に三年に一度義務付けられています。
6時に起きれば9時始まりの講習には充分間に合うのだけど、早起きが嫌いで、バタバタするのを避けたい夫は、三年後にまた石和温泉に泊まろうというのでしょうか?
石和は想像していたよりずっと良かったけれど、同じお金を出すのならやっぱり、他の温泉地がいいかも。。です。

思い悩まないというのは最上の幸せですね。
ハッチ君は水無私生活でも普段と同じ。まぁ全然理解していないのですが、自分のご飯と水があればそれで満足。
ああいうふうに生きればいいのだとわかっているのだけれど、小心者なのでストレスが溜まります。
ストレスは生きている限り付きまとうもの、要はストレスをストレスと感じない精神になればいいんですよね。
「わかっちゃいるけど」の私です。

そうそう、生ジュースをつくるジューサー。今年初めからSさんにずっとお借りしていたのですが、ジュースが習慣になったので、我が家でも購入することにしました。
Sさんのところのメーカーとは違う日本製のを選んだのですが、うーん、一長一短ですね。
スロー回転なので栄養素は壊れにくいし、音は静かなのですが、絞り切れずにカスとして残る水分がもったいない。
それと細かく切らなければいけないのが夫にとっては手間。
その代わり後片付けは簡単なようです。
ジューサーしか作っていない日本のメーカーに、17万5千円というとんでもない値段のジューサーがあります。
(我が家のはその10分の1の値段)。
これはカスがカラカラになるほどしっかり絞れるようです。一生使うのなら高くない?

もう少し体力が回復し、春が近づいたら、果たせなかった友人たちとの約束を実行に移したいと考えています。
それと、小説が読みたい。
高熱のあった2日間を除いてはずっと本は読んでいたのですが、小説を読む体力気力がなくてノンフィクション系が多かった。
深緑野分さんの「戦場のコックたち」を借りていたのだけど読める気がしなくて、次の予約の方のために早々に返却したのですが、これは残念でした。
とにかく今は小説を読みたいです!
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月23日

井戸まさえ「無戸籍の日本人」

≪朗報≫ 先週18日に法務省は女性の再婚禁止期間を現在の180日間から100日に短縮すると民法改正を発表した。また離婚に妊娠をしていない証明があれば直ちに結婚できるようにすると付け加えられた。
この本を読んだ直後だったので、井戸さんたちの地道な運動が結実したのだと感慨無量だ。
以下はこのニュースが出ない前に書いたものです。無戸籍の理由は民法722条によるものだけではないので、読んでみてください。

借金や貧困、DV、子どもへの虐待・・さまざまな理由から無戸籍の人間がこの日本にはいる。
元衆議院議員の井戸氏もかつて自分の子どもが無戸籍となった経験をもつ。
そのことをきっかけに無戸籍の問題に向き合い、これまでに受けた相談は1000名にものぼる。周辺の家族を含めると3000名以上の人たちを支援してきた。
この本はその13年間におよぶ記録である。

井戸氏自身が直面したのは「離婚後300日以内に出産した子は前夫の子どみなす」という法律だった。
彼女は政治家の元夫と離婚を前提に長く別居。その間に同じ松下政経塾で一緒だった現夫と知り合い、離婚成立後再婚。子どもが生まれた。しかしその子の出生届を出そうとして愕然とした。子どもは前夫の子どもとしてしか戸籍に載らないのだ。
これが民法第722条である。

無戸籍だとどうなるか。
出生届がないので義務教育を受けられない。
住民票がない。これは日本で社会生活を送る際に致命的な困難となる。
健康保険証がつくれない。
銀行預金がもてない。
運転免許などの資格が取得できない。
パスポートがつくれない。
結婚や出産に支障をきたす・・

それにしてもこの本を読む間中ずっと、腹が立ち怒りがおさまらなかった。時にはあまりのむごさに涙さえ出た。
何に対してか?
行政、政治家、裁判所など、いわゆる「お上」に対してだ。
あまりに「情」というものがなさ過ぎる。現実に無戸籍の人が目の前にいるのに、なんら手を差し伸べようとはせずに、たらい回しにするばかりの自治体もたくさんあるのだ。
なかには一生懸命話を聞き、助力となろうとする役人もいないではないが、ごく少数だ。
彼らのほとんど、または世間では民法722条に関しては、女性の「性」への偏見さえうかがえる。不倫をしたからそうなったんだという蔑視が透けて見える。
しかし何年何十年も離婚に時間がかかるケースは多いし、前夫の暴力を恐れて隠れるように生活している家族はたくさんいるのである。

無戸籍のひとたちは、身を隠すように生きている。
何も悪いことはしていないのに、世のなかの翳の場所で生きるしかないので、当然仕事は風俗や日当の力仕事に就くしかない。
社会の底辺からいつまでたっても抜け出せないという悪循環。

NHKの「クローズアップ現代」や毎日新聞にこの問題が取り上げられて、少しずつ意識を受けるひとが多くはなった。
支援する団体や法律家、政治家も増えて来た。
そのためか住民票を取得できたり、生活保護受給や身体障害者手帳の交付を受けられるケースも出てきた。
井戸氏らの運動が小さいながらも、実を結んでいるのは本当にホッとする。(政治の内側から変えようと、彼女は議員になった、)
この本のなかで紹介されている数人のこれまでとこれからの人生を思うと、法律はなんのためにあるのか?そしてその法律がじつは古式然とした大昔のもので、今の世の中には適さないのだから、速やかに改革できないものかと腹が立つ。
「家族」の枠が以前とは大きく異なって来ている。
「夫婦別姓」「性同一性障害どうしの婚姻」「母子家庭」「父子家庭」「生涯独身」・・これらは個人の「自由」であるべき「人権」だと私は信じている。

この本の一文に「知力とは人を救う力」だあるが、まさにその通りだ。
法律学者や弁護士、政治家など「知」のある人はたちは困っている人たちを支援するためにその力を使ってほしい。
そしてなによりも「情」を忘れないでもらいたい。
システムを作ってそれを動かすのは結局は「情」に他ならないのだ。

とても胸に響くノン・フィクションです。
こういう本を読むと、世の中で起きているすべてのことが自分と繋がっているのだとつくづく思い、何かをしたくなる。。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

アナーダン・フィン「駅伝マン」

ランニングをこよなく愛するイギリス人ジャーナリストのアナーダン・フィン氏は駅伝取材のため、妻と幼い子供三人とともにシベリア鉄道の旅を経て京都にたどり着いた。
イギリスを出発するときにはまだ住むところも決まっていないし、駅伝取材の方法もまったくわからなかった。
京都に決めたのは日本人女性と結婚しているイギリス人の友人マックスがいたため、それと子どもたちのシュタイナー学校のためだった。

運良く京都田辺のシュタイナー学校のすぐ近くにマックスが小さな二階屋を見つけてくれた。
リサイクルショップで家具などを揃え、上の二人の子どもたちは通学するようになった。
この本はフィン氏の仕事の話でもあるが、同時に一家の半年間の日本滞在記でもあって、子どもたちや奥さんに起こる様々な「事件」にも筆が及んでいる。

どうして駅伝について書こうと彼が思ったのか?
日本に来る以前、彼はケニアに滞在し、強豪ケニアの長距離ランナーの取材を行った経験がある。
日本はケニアに劣らない世界有数の有能な長距離ランナーを輩出している国なのだそうだ。
しかもこの国にはマラソンの他に「駅伝」という日本独自の走りのレースがあって、日本国民はある意味マラソンより駅伝に夢中らしい。とくに「箱根駅伝」は特別なレースと言うではないか。

大学の駅伝、実業団の駅伝・・取材をしようにもその壁は厚く閉鎖的だったが、なんとか立命館大学と日清食品に入り込み取材が可能になった。
彼自身もランナーとして機会があれば走った。
駅伝やマラソンだけでなく、比叡山の千日回峰行まで経験することとなった。

取材するうちにわかることも、疑問に思うことも持つようになった。
日本のランナーには故障者が多い。それは過剰な練習が原因なのではないかということ。また日本人の睡眠時間の少なさにも目を向けている。
面白いのは日本人が「駅伝」を日本独自のものと知らないことだ。この走りの形態がマラソン同様世界中にあると勘違いしている人が多いのだ。
「駅伝」ってすごく日本的だと私は思うんだけどなぁ。
マラソンは個人的だが、「駅伝」はとにかく「襷を渡す」ことが大前提。区間を走るのは個人であっても「団体」戦である。「襷」のリレーが途切れたらすべてが終わるのだ。
それゆえの歓びと悲劇がまさに日本人の「美学」に訴えるのを「駅伝」は持っている。
私も思わず箱根駅伝には見入ってしまうが、ゴールする選手の歓喜と悲嘆。美しく神々しくもあり、痛ましく悲惨でもあるが、そのドラマ性はやはり素晴らしい。
このドラマ性は実業団にはないもので、実業団の走りはよりシステマティックに統制されているものだそうだ。
(しかし「箱根駅伝」が日本の長距離界を駄目にしているという説があるらしい。)

いろんなところに「日本」がもろに出ている。おそらく取材しながらフィン氏は戸惑うことが多かっただろう。
最後の方にあのマラソンランナーにインタビューをしている。
そのランナーは実業団にも加入せず、フルタイムで働きながら市民ランナーとして走り続けスゴイ成績を残しているあの川内優輝さんだ。
彼がどれだけ偉大なランナーなのか。と同時にどれだけこの国では異質なランナーなのか。
川内さんは学生時代に故障をしたためか、どの実業団からは一社以外声がかからなかったという。
しかし彼にとってはそれが幸いした。実業団でのハード・トレイニングではまた怪我をすることになっただろうし、彼はなによりも自由に走りたかったからだ。
「私の走る意味と、実業団の選手の走る意味が違うからです。」と。
川内さんのような例外を考えると、日本の長距離界の現実が見えてきそうだ。

半年の日本滞在を終え、フィン一家はイギリスに帰った。
空港に着くなりその無秩序さにびっくりした。
なんと日本ではすべてがものごとが静かにスムーズに運んでいたことだろう。
すっかりそれに慣れてしまっていた彼らが、ちょっとオカシイ。

フィン氏は書く。
日本人ランナーはもっと走りを楽しむべきだと。
実業団などのトレーニングは「激しく」「厳しい」ものだが、それは成功の原動力となることもあるかもしれないが、「重圧やストレスにさらされると身体は本来の動きを止め、パフォーマンスそのものを妨げてしまうことがある」のだ。
それに指導者は選手個人のことを考えているわけではない。ましてや選手のランナーとしての寿命を考慮には入れていない。
(そういう意味で川内さんは自分にとってとても適切な選択をしている。)

この400ページにも及ぶノン・フィクションは、走ることなどまっぴらごめんの私が読んでも、ものすごく興味深いもので、知らないことをたくさん知ることができた。
フィン氏がまたいつか家族とともに日本に戻って来る日があればいいです。
そしてその時に日本の「駅伝」をめぐる社会がより良い変化がなされていれば、いいですね。
posted by 北杜の星 at 07:13| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月15日

アリス・マンロー「善き女の愛」

村上春樹が受賞するかと騒がれた2013年のノーベル文学賞はアリス・マンローが獲得した。
正直、少し意外だった。
というのも彼女の小説はすぐれたものではあるけれど、ノーベル文学賞が好む社会性や民族性はないからだ。
短編の名手としての評価が大きかったという。
文学はことさらに社会性を前面に出す必要はないが、書くものから透けて見える時代性は必要で、マンローの書くものにはそれがあると思う。

この本には8つの中短編が収録されている。
どれもマンローらしい細やかな描写が魅力的だ。
彼女の小説を読んでいるとどこの国の人々も同じなんだなと思ってしまう。
人間の日常の営みの中で起こるさまざまな出来ごと、それにまつわる感情・・夫と妻、母と娘などの関係はカナダだからアメリカだからあるものではなく、普遍的なものなのだ。

表題の「善き女の愛」。陰影があり終わりの曖昧さに深い余韻が残る。
まず三人の少年たちが川遊びに出かけるところから小説が始まる。(この場面は映画の「スタンド・バイ・ミー」を思い出させる)。
彼らは川底で沈んでいる車を発見する。車の中には町の検眼士が死んでいた。
・・「善き女」はいつになったら登場するのか?というくらいなかなか現れない。
その「善き女」とは中年独身女性である訪問看護婦のイーニド。彼女はほとんどボランティアで終末期にあるミセス・クィンの看護をしている。
ミセス・クィンの夫はイーニドの元同級生で彼女がひそやかな想いを寄せている。
しかしこれはオンタリオの小さな町の牧歌的な物語ではない。検眼士が登場した冒頭のシーンとの繋がりはいささかミステリーの趣があるのだ。

「善き女の愛」はやはりこの本の一番の読み物だろうと思うのだが、私がもっとも好きだったのが短編の「コルテス島」だった。
若い夫婦が家を買うことになる。彼らは何度か家を買い換えるのだが最後の家は豪邸だった。
しかしその家に足を踏み入れた時から、妻には「災厄の兆候と逃走の予兆」を感じたのだった・・

こういう予兆というのは当たるものなんですよね。それはおそらくその家に入って感じたのが最初ではなくて、一緒に暮らすうちに覚えた違和感が次第に膨らんだだけなのだと思う。
価値観や美意識の違いがとうとう溢れてしまう。
これはマンローの自伝的要素の強い作品だそうだが、マンローは1931年生まれ。当時離婚するには大きな決断が必要だったことだろう。
「コルテス島」の心理描写はさすがのマンローを感じさせます。

小説に大切なものがいくつかあるけれど、マンローの事象心象の描写の精緻さとエンディングあとにふと馳せる想いこそが、小説を読む歓びではないだろうか。
よかったです。

posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

上野千鶴子「おひとりさまの最期」

「おひとりさまの老後」から8年。
現在の上野千鶴子の関心事は人生の終末期になっている。
その終末期を病院や老人施設ではなく「在宅」で暮らせるかどうか、暮らせるとしたらどういう方法があるか?
終末医療だけでなく、「最期」も在宅でと望んでいいる上野さんだ。
そのことについて共に考えてみようというのがこの本。

一昨年だったか昔の友人から思いもよらない質問を受けた。
「子どもがいなくて寂しくない?」
そんなことを言うような人ではなかった(と思う)ので、本当に驚いた。会わない20年の間にどんな生活を送り、彼女の価値観がこのように変化したのかと、少々悲しかった。
ちなみに彼女は三回結婚をし、二度目の結婚では子どもを置いて婚家を出て、現在は再々婚で二人の子どもを持っている。
人間は自分の価値観で他の人の人生をも判断するものだから(これは何も彼女に限ったことではなくて、私自身もしてしまうことだ)、「子どもがいないから寂しい」「結婚していないから寂しい」と思う人がいるのもわかるが、上野さんに言わせると「余計なお世話」に他ならない。

東京都が高齢者1000人へのアンケートで、「生存子」の有無を尋ねたところ、生存子がいるのは49.3パーセント、生存子がいないのは44、7パーセントと、その差はあまりなかった。
つまり少子化がすでに進んでいるし、長生きし過ぎると逆縁で子どもが病気や事故で死ぬ場合だって多くなってくるからだ。
これを考えると、子どもの有無をあまり考慮に入れない方がいいかもしれない。

「おひとりさま」になる理由は様々。
離別、死別、非婚(最近はこの非婚がとても増えている)・・
いつかは自分も「おひとりさま」になる覚悟はしていたほうがいいのではないだろうか。
しかしつい最近の調査では、老後に一人暮らしをしている人は、家族と同居または老人施設で生活している人よりも、たとえ少しくらい体が不自由であって幸福度が高いという結果がでているという。
家族であってもどこか遠慮したりする同居より、自分が自由に自分のペースで生活できるのは、確かに幸せと言うもの。
ニュースで「孤独死」が取り上げられると、世間の感想は「かわいそう」というものが多いが、上野さんが言うように「孤独死」は幸せな死ではないだろうかと、私も思う。

けれど「在宅」での最期を迎えるのは不可能ではないが、まだまだこの国には難しい問題が山積している。
医師、看護師、介護士の地域での密な連携が重要となってくるのだが、その制度は整備されていない。介護にいたっては政府はどんどん後退させている。
一つ心強いことがあるとしたら、最近では医師本人たちが病院での過剰医療に疑問を持ち、キュアからケアへと医療を考え改めていることだろう。
そうした医師たちの本がたくさん出版されるようになった。
上野さんの望む、「おひとりさまの在宅での最期」は夢ではないかもしれない。

私自身の考えを言えば、夫がいる場合は家での看取りは彼への負担が多すぎるので、ホスピスか老人ホームでいいと考えている。老老介護は大変だもの。
一人ならどこで死んでも構わない。むしろたった一人で家に居て医療や介護スタッフの訪問を待つよりも、老人施設でみんなと一緒の方がいいかも。
でも問題は夫だ。もし彼が在宅を望んだらどうするか?できるだけ希望に沿ってあげたいが、まぁ「なりゆき」に任せるしかないだろうな。

老後の問題は体だけではない。ボケたときの経済管理も大切だ。
成年後見制度があるが、上野さんは親族や弁護士や司法書士に任せない方がいいと言っている。なにが起こるか保障の限りではないからだ。
個人ではなく、法人や福祉協議会のような団体組織に委託するほうが間違いが少ないと言う。
そうした業務を受け持つ法人が増えているのは安心だ。なにかあったときに保障されるから。

どんなに備えても、そのようになるわけではない「最期」。
これは「おひとりさま」に限ったことではない。
せめて今を充実させて、足るを知りながら、暮らしていきたいと思っています。
posted by 北杜の星 at 07:19| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

朝比奈あすか「自画像」

これはちょっと凄みのある小説だ。ある意味、ここまで書くの?というタブーの領域に迫っている。
中学女子の自意識がこれでもかと描かれていて、胸苦しくなる。
小説は三十代後半の女性が婚活で知り合った教師の婚約者に、自分の中学生時代の話をするという設定で始まる。
(この婚約者が後半の展開に役割を持つのだが。。)
主人公は三人の中学生。彼女たちが成人女性となるまでの物語。

中学生という時期は自意識のかたまりだ。自分のその時代を思い浮かべてもつくづくそう思う。
世界が狭いために感情は増幅され、悲しみは大きく、憎しみは強く、好悪は無意味に激しくなる。
自分でも持て余してしまうほど、自意識に縛られる。
そんな中学時代に、もし女子がとても醜かったらどうなるだろう?
自意識は粉々に砕けて、ひたすら消えてしまいたくなるに違いない。
(その時代の私は自分の顔、胸のなさ、手足の細さなど体のすべての部位にコンプレックスを持ち、いつも他の女子が羨ましかった)。

面皰(にきび)がひどい田畠清子。
清子よりさらにひどい面皰の蓼沼陽子はクラスの全生徒からネグレクトされている。
清子と小学時代同じ塾に通っていた松崎琴美は中学の入学式で別人のように美しい少女に変身していた。美容整形を受けていたのだ。
彼女たち三人と周囲の生徒や教師の間にある微妙で激しい感情。

心理小説だ。
彼女たちの教室での生々しい日常。それがとてもリアル。
嫉妬という心の闇が清子の言動にあらわれるのは切ないが、理解できるだけになおやりきれない。
男子による「女子ランキング」。(でも女子だって女子間のランキングはしているのだ)。
美醜が問題ではないと言えるのは、まぁ私たちの年齢になってからのことで、若いころはむしろ「見てくれ」はもっとも大きな関心事だろう。
「ブス」と呼ぶ側はそれほどの罪悪感を持たないかもしれないが、呼ばれる側の痛みと傷は大きい。
今は美しい琴美であっても、過去を知る清見は怖い存在だ。
蓼沼陽子がもっとも虐げられる存在なのだが、美術の授業で彼女が描く「自画像」は、自分をまるっきり客観視したものだった。
顔中に広がる面皰の壮絶さの「自画像」は、ただ「スゲェ」としか言えないほどのものだった。
そうした精神の強靭さが彼女にはある。

しかしただの心理劇ではこの小説は終わらない。
意外な展開になって後半の三分の一が進むのだ。
それは彼女たちにとって「美醜」ゆえの傷からの「解放」である。(醜くても傷つくし、美しさゆえに性的暴力の対象となる、しかも教師から。)
心理劇からサスペンス劇に変化するストーリーの中に、冒頭の清子の婚約者が登場する。
この後半も前半とは別の意味で、ぐいぐいと読ませるものを持っている。

朝比奈あすかってノンフィクションの「光さす故郷へ」から読んでいるが、ずいぶん大きな作家になりましたね。
とても楽しみな書き手で、次作が待ち遠しいです。
posted by 北杜の星 at 08:21| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

池澤夏樹「砂浜に坐り込んだ船」

起きたら雪ですべてが真っ白!
35センチくらいの積雪です。
雪かきをしないと坂道が登り降りできないので、今週の水曜日の東京での友人との約束2件が、行けるかどうか心配です。
無理なようなら、池澤夏樹のこの船のように、どっしり坐って雪見をしまするしかなさそう。。

池澤夏樹というと長編小説が多いような気がするのだが、これは8つの短編集だ。
連作ではないし物語はバラエティに富んでいるのだけれど、全体に漂う雰囲気には強く「死」の翳がある。
池澤はもう70歳。これまで親族や友人知人の死をたくさん経験したことだろう。
死は遠いものではなくなってきている。

私はかなりの池澤夏樹ファンだと自認している。
彼の書くものには、環境などそれが社会的、政治的問題を扱っていても、いつも宇宙に繋がるなにかを感じられる。
理系と文系がうまく重なった人だなと思う。
しかも理系も文系も超えるもの、宗教ではないのだがそれよりももっと大いなるものを信じる人だとも思っている。
そしてこんなになってしまった世界であっても希望を捨てず、前に歩もうとする姿勢に励まされている。
(このなかに福島原発事故で東京に避難した元教師の話があるのだが、声高の脱原発運動とは異なるもっと強い意志をもつ抵抗を感じる。政治の問題ではあるのだがそれ以上の「土地」への帰巣感覚は理屈ではなく伝わってくる)。

ファンタジーあり、SFっぽいものあり、恋愛ものあり・・長いものも短いものもある。
表題の「砂浜に坐り込んだ船」がやはりもっとも印象に残った。
主人公は新聞に載った写真を見る。そこには座礁した船が写っていた。彼は札幌から車を飛ばして座礁した船を見に行く。
船は困った風情ではなく、さんざん世界を回ったのだからちょとと休むという感じでどっしりと坐り込んでいた。まるで生きもののように。
彼は写真を撮って家に帰ってながめながら、亡くなった友人を思い出す。
そこにその友人の声が聞こえて、二人は語り合い始めるのだ。
友人は古い家で母と二人で暮らしていたが、母を火事で亡くした後に癌にかかった。婚約者がいて家を建て直そうと計画をしていたものの、生きる意欲を失った彼は生に執着することなく静かに消えて行ったのだが、その頃には主人公と疎遠になっていた。
当時のことを語り合う会話がもの悲しくも美しい。

必死に生きようと闘病する姿は立派だが痛々しい。
その反対に執着しないで死を受け入れる姿にはある意味、崇高さを感じる。諦めではあるのだろうが。。
もちろん年齢もあると思う。主人公の友人は生をあきらめるには若すぎた。

「先に逝ったひとへの哀悼に満ちた短編集」と帯文にある。
でも私の受け取ったのは「生きるもよし、死ぬもよし」という想いだった。
彼岸に行った人も此岸にまだいる人も、どれほどの違いがあるのか。。
哀悼というよりも、死者への寄り添いのような気がする。

posted by 北杜の星 at 08:01| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月04日

石田千「家へ」

石田千は私の大のお気に入りの物書き。
その彼女の作品から一年の「ハッチのライブラリー」を始められる幸せは大きい。
・・この文章、いつかも書いたような気がして調べてみたら、3年前の2014年の1月4日に書いていたことがわかってびっくり。
そうか、彼女の文章を年末年始にかけて読む至福の時をこうして持てているのだなと思った。
しかもこの「家へ」は今月決まる芥川賞の候補となっているそうだ。

石田千はエッセイも書くが小説も書く。
小説はエッセイほどたくさん発刊されていないが、私は彼女の「あめりかむら」などの現実と非現実のあわいのような小説が好きで、なぜもっと小説を書かないのかなともどかしかった。
「きなりの雲」や、エッセイか小説か判じかねる「みなも」なども悪くなかった。
やっと待望の小説がこの「家へ」だ。
正直、ちょっと戸惑った。あまりにこれまでの小説とは趣が違う。
故郷、家族、友人、将来の仕事など、現実感でいっぱいだったからだ。
しかも舞台は新潟。(彼女は福島育ちなので新潟には地縁ななさそうなのだけど)。

けれど読み進めるうちに次第に物語に没頭していた。
静かでそれでいてどこか激しく(激しいという表現が正しいかどうかはわからないのだけれど)、悲しく、寂しく、それでいて希望がある。
いろんなことが詰まっている小説だ。
最初は人間関係が分かりづらかった。
東京の美大院生の新太郎が故郷新潟の小さな町に帰京する。彼は木彫刻家を目指している。実家には母の律さんとおいじさんがいる。
そこへ対岸の島から倫さんが島で捕れた魚をもってやって来る。
彼らの結びつきが複雑なのだ。

律さんは若いころ倫さんの子どもである新太郎を産んだ。倫さんは強く結婚を望んだが律さんはそれを拒絶しシングルマザーとなった。
それからしばらくたって「おじいさん」という男と同居するようになった。おじいさんは歳が離れてはいるがそれはあだ名である。
つまり律さんは二人の男と結婚をしないでいるのだ。
倫さんは今では島で家庭を持ち妻と息子がいるのだが、律さんと新太郎の面倒をなにくれとなくみてくれている。
のみならずおじいさんにイカを渡し、そのイカを加工したものは海辺の町の名産となりつつある。倫さんとおじいさんの間も良好だ。
摩訶不思議な関係はそれなりにバランスを保っていた。
けれど新太郎がドイツに留学したいと言い始めたことから、その微妙なバランスが崩れはじめてきた・・

誰もがみなやさしい。でもだれもがみな胸に小さなわだかまりをもっている。
我慢なのか諦めなのか。それが切なく読む方に伝わってくる。
スパッと割り切れているのは、新太郎の母の律さんだけなのかもしれない。だから彼女が「いい女」に見えるのだろう。
倫さんの奥さんはほんの少ししか登場しないれど、彼女もアッパレ。見事に出来た女性だ。
男は女に支えられているんだなぁと、つくづく思いますね。
まぁ男はそれをわかっているのだけれど。

新太郎の制作活動の描写も面白い。一生懸命彫刻家になろうとする彼を地元の人間はなかなか理解しない。
郷里に帰って美術教師になれだとか、バイトをしていた子どものいない画材屋の夫婦は店を継いでほしいと願っている。
そういうしがらみを振り切って、新太郎は自分の道を歩こうとしているのだ。
もっと祝福し応援してあげてよ、と言いたい。
最後の出来事はかなりショッキングだが、これは読んでのお楽しみ。

「家へ」というタイトルは意味が深いと思う。
「家」が家であるうちは「家へ」と帰るところ。でもひとはいつか「家から」出て行く。
そうなったとき「家へ」の気持ちが膨らむのは、どんな場合なのだろうか。
そのとき「家へ」向かう足取りは重いのか軽いのか?

大好きな石田千なので芥川賞受賞してもらいたいのですけれど、他の候補作品を読んでいないので。。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

エリザベス・オリバー「日本の犬猫は幸せか」

著者のエリザベス・オリバーさんは英国人。
1968年以来日本に定住している。
彼女は英国で過ごした幼年時代からずっと動物と親しんできた。
日本にやって来て、動物保護の必要性を感じ、アニマル・シェルター「アーク」を設立し25年になる。
この本はその活動を記したものである。

年間19万頭もの犬猫が自治体の施設に収容され、そのうち13万頭が殺処分にされている。
すごい数字だ。
迷子になった犬猫もいれば、飼い主に捨てられた犬猫もいる。
飼い主のもとに還ったり、里親に引き取られたりしているのは、3分の1にも満たない。
人間がつらい目に合うのはやりきれないが、いたいけな動物が虐待されるのはもっとたまらない。彼らは抗弁する術を持たないからだ。
信頼しすべてを委ねた飼い主から捨てられたら・・どんな気持ちだろうか?

私のまわりで犬を飼っている人のほとんどが、そうした施設から引き取っている。
殺処分にされかねない命を救っている。
ここ八ヶ岳には都会からの移住者が多いのだが、わりと高い社会意識をもっている人が多いように見受けられる。
私はペットショップが嫌いだ。
ペットショップで犬や猫を飼って飼うひとも嫌いだ。
身を縮めてケージの中にいる犬のなんとかわいそうなこと!
第一、ペットショップで売っているのは、ブリーダーが手放したいと思っている動物たちだという。
本当に健康で優秀なのは、ブリーダー自身が持って、自分が売る。

ペット後進国の日本では犬猫をペットショップで購入する人がほとんど。
でも欧米先進国ではまずアニマル・シェルターに行く。そこで成犬や成猫を引き取る。
(日本人は子犬や子猫が好きで、小さい時から飼いたいと願う。たしかに小さい犬や猫ほど愛らしいものはないのだけれど)。
日本でも、動物を飼いたかったらアニマル・シェルターに行くというのが社会の習慣になればいい。

しかしだからといって、安易に動物を飼ってはいけない。
ペットに適した環境が与えられなければ、飼うのは止めた方がいいし、離婚や破産などがもしおきたとしても、飼い続ける覚悟が持てない人は飼う資格はないと思う。

著者は日本の事情とともに英国の事情にも詳しい。これを読むと日本と英国にいかに大きな差があるかがわかる。
けれど英国だってはじめから今のように整備されていたわけではない。長い時間のなかで一歩ずつ進んできたのだ。
日本でも不可能なはずはない。
まず行政が動物福祉専門の部署を設けるべきだ。
動物より人間の優先順位の方が先だという声があるかもしれないが、動物の命を大切にすることは人間の命を大切にするのと同じレベルのことだと私は考えている。
命を粗末に扱う国の人間と行政だから、こんなたくさんの不幸な人間と動物が存在いするのである。

もうひとつ、ペットを飼うことについてのシステムができればいいと思うのは、高齢者のペット問題だ。
孤独なお年寄りにとってペットはなによりの慰めとなる。
でも「自分が先に逝ってしまったら」と、飼うのをためらう。病気や怪我で散歩に連れて行けなくなる場合もある。
もしもの時には、そうしたペットを世話したり、引き取ってくれる団体があれば、どんなに心強く心安らかな気持ちになれるだろう。友人知人に頼むといtっても限りがある。
アニマル・シェルターでも現在のところ、高齢者に引き渡すのを拒否することが多い。それはそれで無責任ではない証拠ではあるのだけれど。
なんとかもう一歩踏み込んで、この高齢者ペット問題を解決してほしい。

それにしてもエリザベスさんには、頭が下がります。
posted by 北杜の星 at 08:11| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする