2015年12月25日

岩澤倫彦「バリウム検査は危ない」

定期的に検診を受けている人は多い。
私たち夫婦は病院が嫌い、化学薬品はなるべく摂りたくない、検査もできるだけ避けたいという人間なので、健診を受けるとしても、血液と尿と便潜血くらいしか受けない。
肺のレントゲンも胃のバリウム検査も十年以上受けていない。
いまは血液検査でかなりのことがわかるので、これでいいと考えている。

最近、夫の仕事仲間がバリウム検査で胃の初期癌が見つかり、胃を三分の一切除した。
幸いにも元気で仕事にすぐに復帰したそうだ。
(最近の手術技術は進化して、お腹にほんの3センチの穴をあけ、そこから小さく切った胃を取りだすのだそうだ。)
これはすごい僥倖である。
というのも、バリウム検査で胃がんが発見される確率は、実はとても低いのだ。
そもそも胃がんを発見するための検査なのに、である。

でもどうして、いまだバリウム検査なのか?
この本にも詳しく解説してあるが、胃がん発見には、abc検査という、ピロリ菌の有無を調べ、血液検査で胃の状態がわかる検査方法があるというのに。
それなら体への負担が少なくて済むし、費用も軽減される。
バリウム検査でのバリウム液が飲みやすくなって(前は粘度が強く飲みにくかったのが、さらさらになった)、事故が多くなっている。
腸閉そくを起こして救急搬送されて亡くなるひともいるそうだ。
また高齢者がバリウム液を飲んだあとで下剤をかけても、腸壁にバリウムがへばりつく場合がある。

abc検診では、ピロリ菌がいなくて、胃の状態がよければ、もうなんの検査もしない。ピロリ菌は胃がんの原因要素だからだ。
ピロリ菌がいて、同じ状態なら、ピロリ菌の除菌を行う。
ピロリ菌がいて、胃の状態に疑問がある場合に初めて、内視鏡検査を受ける。
神奈川県横須賀市では胃がん検診は、従来のバリウム検査かabc検査を自由に選択できるシステムになっていて、abc検査受診者の方が断然多いそうだ。

なぜ横須賀市のように全国でならないのだろうか?
副作用があるバリウム検査がはびこっているのだろうか?
それは「検診村」がこの国には存在するからだ。
原発村があるように、この国では利益を得るためには国民のことなど二の次とする経済構造があるようだ。
だから発見率がすこぶる悪いバリウム検査がいまも大手を振ってまかり通っている。
心ある医師たちはバリウム検査の害を知っていて、内視鏡検査を薦める。(内視鏡検査の診断技術を高める必要があるのだが)。

最近では医療検査における放射線被曝の累積量がWHOでもようやく問題視されるようになってきた。
歯科医院でのレントゲン、肺や胃のレントゲン、CTでの検査など日本での検査被曝量は世界でもっとも多いという。
CTは欧米諸国の10倍あるので、検査を受ける機会がそれだけ多いということだ。
検査被曝による癌の発生率はおどろくべき高さ。
諸外国では高齢になるともう癌検診はリスクや進行具合を考慮して、しないそうである。
日本って、過剰検診、過剰医療なのだが、日本人がそれを望むからなのだろう。

健康になるために検診をうけて、それで病気になるって、なんか変じゃない?
どんな検査を受けるか?受けないか?
受ける方も勉強する必要があると思う。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

絲山 秋子「薄情」

絲山 秋子、待望の新刊。
「新潮」連載第一回だけ読んで、あとはぐっと我慢。ひたすら一冊としてまとまるのを待っていた。
待っていたかいがありました。これ、私、大好きでした。
前作の「離陸」はけっして悪いものではなかったし、「物語」を作る作家のイトヤマさんらしく、すごい展開につぐ展開を十二分に楽しみはしたのだけれれど、私にはちょっとスケールが大き過ぎた。
小心者の私には、この主人公の心理の緻密な描写のほうが向いているようだ。

群馬県、または北関東に住む人にとっては、とても興味深いと思う。
群馬のさまざまな土地と道が出てくるからだ。
あれ、この道知っているよ。でも何故知っているのだろう?行ったこと、あったっけ?
と訝しく思う個所が多かったが、はたと気がついた。
そうだ、ついこの前「街道を行ぐ」を見たから知っているんだ!あの本は上毛新聞刊で群馬県のいろんなところを、イトヤマさんが愛車の黄色のフィアット・クーペで駆け回り紹介するものだった。
国道や県道を楽しそうに走っていた。
それを読んだため、すっかり群馬に土地勘があるような気になっていたんだ。
(「街道を行ぐ」は町の図書館に寄付したました。予算がないためかいつも寄贈本を募っているのです。)

さて、「薄情」をどう説明するか。。大好きな作家の作品をあれこれ言うのはとても難しいのです。
主人公は宇田川。三十代。
伯父の神社を継ぐために国学院大学を卒業し、将来は神官となるつもりだ。
現在は実家の群馬に戻って、夏は嬬恋のキャベツ畑でアルバイトし、他のお季節はなにをすることもなく過ごしている。

宇田川は熱くならない。
テンションも低い。密度が高いところは苦手。
そしていつも「境界」とは何かと、考えている。それは彼自身が「境界」に居るからなのだろう。
あちらでもこちらでもない居場所。不確かな場所が自分には適していると思っている。
それは女性に関しても同じで、元同級生の蜂須賀と会っても恋愛未満で、それ以上に発展しそうでしない。

そんな宇田川が心地よいのが、東京からやってきた木工芸家の鹿谷さんの工房だ。
なぜそこが心地よいのか。
それはそこが「境界」だからだ。他所者でありながら、地元に溶け込んでいる。それとも溶け込んでいながら、やはり他所者だからだろうか・・

イトヤマさんも東京生まれ。群馬を自分で選んで住みついた。鹿谷はクラフト作家だしイトヤマさんは小説家だ。
イトヤマさんは鹿谷に自分を投影させているのか。
またイトヤマさんのご先祖様には神官がいると言うし。

宇田川が薄い性格のように、この作品の登場人物もみんな薄い。
鹿谷さんにしても自然消滅的に消えてしまった。蜂須賀は外見に似合わず意外に熱情的ストレートさをもっているけど、彼女もどこか醒めている。
薄く淡く軽く、でも人間関係というものはそんなにたやすいものではない。それだけで終わるものではない。
時に熱く濃く重くもなる。「薄情」にはなりきれない。

最後のエピソードが、いいですね。宇田川にも誰にも「理想」がないけれど、最後のエピソードにはその「理想」が垣間見れる。
人間はちょっとだけ「理想」をもつことって大切。大段構えじゃないささやかな「理想」を。

堪能しました。絲山 秋子は応援しがいのある作家です。
(ほとんどの本をライブラリーで借りるけれど、イトヤマさんは新刊がでると絶対に買う、ほんの数人の作家の一人です!)
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

大西連「すぐそばにある貧困」

高校生活になじめず池袋の街に出たものの、終電車を逃して始発を待つ真冬の明け方、著者は一人のホームレスから焚火にあたらないかと声をかけられた。
正直、ちょっと怖かった。でも火はとても暖かく他のホームレスの男たちはやさしかった。
高校卒業後コンビニでバイトをする彼は、ふとしたきっかけでホームレス支援団体の炊き出しを手伝うことになった。
1987年生まれの彼はそれから数年後まだ二十代でNPO「もやい」理事長となり、本格的に貧困と向き合う日々を送っている。

貧困にはさまざまなパターンがある。
子どもの貧困、若いひとの貧困、母子家庭の貧困、高齢者の貧困、職を失ったひとの貧困・・
いつから日本はこんな国になったのだろうか?
敗戦直後の国民みんなが貧しい時代とは違う。豊かな世の中の片隅で、見ようとしなければ知ろうとしなければ気付かない貧困が、じつはたくさん隠れているのだ。

なかには自業自得としか言いようのない人生を送って来たひともいるかもしれない。
けれど現在の貧困はいつのまにか足元をすくわれて、いとも簡単にホームレスになってしまう危険性をもっている。
著者が関わるホームレスのひとたちもあっという間にそんな境遇となってしまったのである。
貧困は「すぐそばにある」ものなのだ。

彼らには帰る場所がない。
DVで家には帰れなかったり、家賃が払えなくてネットカフェに泊るしかなくなったり、そのお金もなくなれば路上生活者になるしかない。
耐えがたいのは冬の寒さ。体を壊すひとが多い。
そういう彼らを著者たちボランティアは「フクシ」に連れて行き、生活保護申請の手助けをする。
東京でも区によって彼らの扱いはずいぶん異なる。
ある区の収容施設では、二段ベッドで一部屋20人、食事はカップ麺と鳥唐揚げ弁当が毎日。。
曲がりなりにも「自由」だった彼らにはとうてい耐えられず、施設から逃げ出してしまう。
この事実を知って、「あんまりだ」と思った。
そして藤原新也の有名なインドの写真を思い出した。「人間は犬に食われるほど自由だ」とあったあの写真だ。
ホームレスの彼らは「凍死する自由」を選ぶのだ。それほど「フクシ」には劣悪なところがある。血も涙も通わぬ「フクシ」だ。
彼らにも彼らなりのプライドはある。役所の冷酷さはそのプライドをずたずたにする。

生活に困っているひとに不足しているのはお金や食べものといった物質的なものだけではない。
正しい情報にアクセスする手段も持たないことが多い。
生活保護は一度だけしか受けられないと誤った知識を持っていたりする。(役所の係の人間がそう言ったそうだ)、

2006年、当時の総務大臣は「大問題としての貧困はこの国にはないと思います」と言い放った。
あれから10年弱。現在の状況を政治家はどう考えるのだろうか?
生活保護の不正受給者に対しての一般人の目は厳しい。たしかにそうした不正はある。
けれど不正受給者がいるからといって、そっちにターゲットを合わせて、生活保護申請を厳しくしたり、また受給金を減らすのは、福祉の概念として間違っているのではないだろうか。
福祉というものは低きに合わせるものではないと私は思う。
それに生活保護の支給金額が低くなるということは、最低賃金も下がるということを忘れてはならない。

貧困支援に関していま私がもっとも関心があるのは「フード・バンク」。
イタリアでは毎年11月の最終金曜日に、全国のスーパーや食品店において貧困者のための「食糧寄付」を行っている。
スーパーにはそれ用の食品が置かれ、レジで支払うと、そこにはボランティアが待っていてその食品を受け取るシステムだ。
食品はオリーブオイル、パスタ、缶詰や瓶詰など多種にわたる。
みんな千円くらいの食品を買ってボランティアに渡しているようだ。
またこれもイタリアのボローニャでのことだが、ボローニャ大学の学生たちは毎日店で売れ残った食べもの(パンや総菜など)を回収し、それをその日のうちに施設に届けるということをしていて、これはいまでは他の国からも見学に来るほど有名なシステムとなっている。

貧困、それも子どもの貧困は胸が痛む。
学校が夏休みや冬休みになって給食がなくなると、ちゃんとした食事ができない子どもがいるという。
給食が唯一の食事なのだ。
これらかクリスマスやお正月。
私ができることはないかと考え、こちらのあるスーパーの店長さんに「フードバンク山梨」の存在を知らせ、店でなんらかの活動をしたらどうかと提案している。
その店で買った食品だけを寄付するのは、店の営業行為と受け取られかねないので、誰もが家にある賞味期限内の食品を寄付できるように、大きなボックスを用意してもらえればありがたい。
どこの家にも予備の食品があると思う。レトルト食品、調味料、米、乾麺、袋菓子・・(賞味期限内に限る)。
地域の「フードバンク」のHPを見て、どんな食品が受付可能か調べてみてほしい。

先日松本市では、市JAと生協が協力して、フード寄付を募った。たぶんいろんな自治体で実施されているのだと思う。
ようやくこの11月になって、「全国フードバンク推進協議会」が設立されたそうなので、イタリアのように全国一斉に行われるようになればいいのだがと思っている。
せめてクリスマス・お正月に、食べものがないという状況から抜け出せれば。。
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

芥川龍之介ほかアンソロジー「ずっしりあんこ」

あんこに関する39人の作家たちによるエッセイ集。
芥川の他には、内田百閨Al池波正太郎、井上靖、幸田文、吉屋信子ら旧い作家たち、山本一力、野中柊、穂村弘、糸井重里など最近の作家たち。
私の大好きな平松洋子も並んでいるし、手あかの付かない文章を書く武田花や孤高の歌人と呼ばれた塚本邦雄もいるのがうれしい。
深沢七郎や東海林さだおとか「あんこ」好きなのはわかるとして、芥川や上野千鶴子や手塚治虫などが「あんこ」に目がないとは少々意外。
意外でないのが辰巳芳子の書く「手づくりの餡の魅力」でのこしあん作りの面倒くささ(すみません、丁寧の間違いです)!
そう、粒あんと違って「こし」は大変なんですよね。(一度も作ったことないし、つくろうとしたこともないけど)。
その「こしあん」を好むのがあのリンボウさんこと林望で、なんにでもこだわりを持たなければ気のすまない彼らしく、「こし」へ偏愛が記されている。

私も「あんこ」は大好きだ。
虎屋の「夜の梅」の薄切り。空也はなかなか買うのが大変なので吉祥寺の小ざさのもなかがあれば、お三時が楽しい。
昔は練り切りもこしあんの饅頭も嫌いで、あんこは粒と思っていたけれど、歳を取るにつれて「こし」のあの上品な癖のない味も好ましくなった。
今は饅頭は「こし」の方が好きなほど。(もなかはやはり「粒」)。

このアンソロジーはどれも面白くて全部を紹介したいのだけど、そうもいかないので、興味ある方には読んでみてもらうとして、ここでは安藤鶴夫の文章を紹介したい。
「たいやき」という一文である。
安藤は1908年東京生まれの直木賞作家。落語好きな典型的な東京人で1969年に没している。
その安藤が小石川から四谷見附から入ったところに移り住んでまもなく、歩いているとある路地に迷い込んだ。
そこは「小達横丁という名のわびしい路地」で、カタリコトリと老夫婦がたいやきを焼いていた。
一つ買ってその場で食べた。しっぽまであんこが入っていた。
それを親父さんに「えれえな、小父さん」と褒めたら、親父さんは感激。
「この店をはじめまして、もう一年と一寸になります。実はひそかに、だれかお客さんが、しっぽにあんこが入っているということを、いってくれないものかと思っていたが、もう一年ちょっとになるのに、だァれもそれをいってくれたひとがない。いま、旦那にそれをいわれて、一生懸命にたいやきのしっぽにあんこを入れていた甲斐があった」。
そう言って親父さんは涙を浮かべたそうだ。

後日安藤はそのしっぽまであんこの入ったたいやきのことをある新聞のコラムに書いた。
するとこれまで書いてきたどんな文章よりも大きな反響があったという。
以来、たいやき屋は大変なことになった。
麹町に家を普請していた吉衛門から注文が来る、近くの内藤のお殿様みずから買いにおいでになったり、吉川英治から運転手が言いつかって買いに来る・・
店は老夫婦だけではきりもりできなくなり、税務署を辞めた息子、そのお嫁さんまでもが働くようになり、電話をひいて配達のオートバイも買った。

そう、わかる人はわかりますよね。
四谷のたいやき「わかば」のことです。
市ヶ谷に住んでいた頃はときどき買いに行っていました。まさにしっぽまでしっかりあんこの入ったたいやきです。
これは多分、わかばが続く限り変わることはないでしょう。
(当時、わかばの隣には能の「若葉舞台」があったそう。)

四谷というのは今では高級住宅街なのだが、あの界隈は今でも庶民的でおもしろい一角が残っている。
四谷三丁目あたりの昔花街だった荒木町などはいまではお洒落な飲食店ができて新しい街になっているけど。
もし今度東京に住むとしたら、じつは私はあの周辺に住みたいと考えているのです。
地震が起きたとしても、都内のとこからも歩いて帰れる距離。
新宿青山はもちろんのこと、渋谷からだって銀座からだってそうは遠くない。
都心なのにちょっと歩けば神宮外苑や新宿御苑があるし、お堀の桜もきれい。
いいなぁと、考えている土地が四谷界隈なのです。
posted by 北杜の星 at 07:21| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

青山七恵「繭」

なんて暗く重い小説だろうというのが「繭」の印象だった。
芥川賞受賞の「ひとり日和」とはずいぶん趣が違う小説だと思った。
でもよく思い出してみるとあの「ひとり日和」はタイトルほどほのぼのしたものではなく、二十歳の主人公のあの女の子はかなり不穏さを孕んでいた。
その不穏さがより増し、不可解さが大きくなったのがこれだ。
登場人物の誰一人として、理解しやすい人間はいない。

舞は三十歳半ばの美容師。やっと自分の店が持て張り切っている。
夫のミスミも美容師だが仕事が続かず、現在は主夫として家事をしている。
傍からは何不自由のない幸せなカップル。彼らもそうであるとは思っている。
しかしどういうわけか、舞はときどき自制できずにミスミに家庭内暴力をふるってしまう。夫が妻にではなく、妻が夫にだ。
暴力をふるわれ傷つけられても、ミスミはけっして抵抗しない。
それどころかいつも謝り、舞を守ろうとしている。

舞の店に客としてやってきた希子。
同じマンションに住んでいることがわかり、言葉を交わすようになるが、それは「友達」とも違うニュアンスの繋がり。
希子には道郎という恋人がいるが、道郎はまるで逃亡中の凶悪犯のようにも思えるほど、いつのまにか来ては去って行く。

前半は舞が語り手、後半は希子が語り手となる。
舞とミスミと希子の関係のバランスが崩れるのは、ちょうど真ん中あたりから。

だれもがとても不安定な関係性のなかでもがいている。
しかしそれはある意味では「繭」の中のように、居心地がよいものでもある。
そこから出なくてはと思いながらも、自ら繭を破って出て行く勇気がない。
だからどんどん自分も開いてもを壊してしまう。

とくに舞は痛々しい。
平等な関係性を強く求めながら、そんな関係はないとどこかでわかっていながら、叶わないことに苦しんでいる。
そんな舞に優しくすることしかできないミスミは、私にはもっとも理解不能で不気味にうつる。
いつも何かから逃げているような気がする。
これではみんなが狂ってしまうのではないか、破滅してしまうのではないか。
どこに救いがあるのか?
だけどそんなミスミだって、水がコップから溢れるように、決壊してしまうのだ。。

読み終わって、「ふぅー」と深いため息が出た。
それでもこの「繭」は、このところ満足できないでいた青山七恵作品の中では突出した出来のものだと思う。
読み始めると一気に読ませられるし、読み応えがある。
無理矢理のエンディングを創らなかったのもいい。
そのことで余韻がいつまでも残るし、舞や希子はどうなるのだろうと思いをはせることができる。

読後感が良いとはいえないKれど、これ、私は好きでした。
久方ぶりの大満足の青山作品。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月07日

絲山 秋子「街道を行ぐ」

この「街道」は「けぇど」と群馬弁で読んでほしい。「行く」も「行く」ではなく「行ぐ」。
東京で生まれ育ったイトヤマさんは会社の営業職をしていたころに、群馬県高崎勤務となった。
以来その地を気に入り、現在では一軒家を建てて犬2匹とともに暮らし、しっかり地元に馴染んでいる。
彼女はよくある文壇つきあいをまったくしない人で、作家や編集者たちとの交流よりは、地元の普通の人たち、またミュージシャンたちとセッションをしたり(イトヤマさん、ベースを弾くんでですよ)、もの書きではないところでの暮らしを楽しんでいるのだが、そういうところ画私は好き。
今やまったくの群馬人。
よその土地から来た人が群馬はいいところですねと言おうものなら、わがことのようにうれしくなるそうだ。
そんなイトヤマさんが上毛新聞に月一で連載していたものがこの本となった。
彼女のブログでどこに行ったかは読んで知っていたが、そうか、こういうドライブだったのねと納得。
ハッピーさがじんじんと伝わってくる。
なにしろ車が好きでドライブが好きなイトヤマさんだ。愛車の真っ黄色のフィアット・クーペを駆って大好きな群馬の国道や県道や山道を走りまわるのだからさぞ面目躍如だったことだろう。
ましてや訪れた先で出会う人たちが素晴らしかったら、もうこれ以上の幸福はない。

赤城や榛名、最近世界遺産になった富岡、前橋や高崎の街、牧場、野菜畑・・
群馬は広い。山もあれば平地もある。(山梨と同じで海はないけど。
「けぇど」を走るイトヤマさんの活き活きしていること!フィアット・クーペが飛び跳ねているようだ。
だけどこの本の主役はイトヤマさんではない。群馬の「道」である。イトヤマさんはその道案内役だ。
国道○号線、県道○号線とアクセスの仕方に沿って走ると、さぞ心地よいドライヴができるだろう。

私は群馬にあまり縁のない人間だった。
軽井沢に行くときに通り抜けるところという感じで、だから行く時はたいてい夏で、藤岡あたりはいつも暑かった。その印象しかなかった。
それが十数年前、東村のある家族のための家を夫が設計することになり、以来そこの奥さんのCHさんとの交流ができ、なかなかお会いはできないもののわたしにとっては大切な友人となっている。
その東村もいまではみどり市東町と市町村合併になった。
この本の第6回、「渓谷寄り添う二つの道」(国道122号)で、その東町が紹介されている。

そう、353号から122号に突き当り左折すると、とたんい風景が変わる。その変化にまずびっくりする。
みどり市と名付けたのはまったくその通りで、みどりあふれる道となるのだ。
右にはわたらせ渓谷鉄道が走っている。走っているという言葉が当てはまらないほどのどかに動いている。
友人の家のすぐ後ろ、手で触れるほどの近さを通るのにも驚いた。
花輪という駅が立派で大きな家々が並んでいたのがちょっと意外だったが、この本で理由がわかった。昔は銅(あかがね)街道の宿場町として栄えたのだという。
文化財T後なっている旧住宅や小学校もあるらしい。
いつか行ったらぜひ見学してみよう。
(東村や黒保根あたりのうどんは美味しくて、とくに舞茸うどんは絶品!黒くて甘じょっぱいお汁が麺と舞茸にからんで本当に病みつきなる味だ。冬にはあれが恋しくなる時がある。)

群馬は山梨と同じくちょっとマイナーな県ではないだろうか。
でも分け行ってみたり住んでみると、いいところがたくさんあるんですよね。
行くのに渋滞がないのもいい。東京からだと中央道や関越道にたどり着くまでに時間がかかし、帰りも大変だ。
地方住まいのメリットを生かしていろんなところにドライブしたいものだが、その選択肢に群馬を加えてもいいかも、ですね。
あ、でもこれ、他県の人ではなく群馬の人が見るほうがもっと面白いかも。
よく知っている場所、意外に知らない場所、両方向から楽しめると思います。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

大島真寿美「空に牡丹」

静助は村の名主の次男坊。
後継ぎである兄は勉学のためご一新後の東京へ出て、すっかり東京の水に慣れて村に戻る気配はない。
学校制度ができても静助は学校には馴染めず、寺の向陽先生が懐かしい。
父庄左衛門の後妻である静助の母は小さくなって暮らしていたが、初めて東京を訪れて以来東京にあるきらびやかな物品に心奪われ、自分でそれらを仕入れて店を開くようになった。
その店は繁盛し、やがて兄が経営に参加、静助の幼馴染である了吉までが店員となる。
世の中が大きく動く日々で静助だけがぼんやりと過ごしていたが、元花火師が村に住みつき、村祭りに花火を打ち上げたことから、彼歯花火に夢中になっていく・・

花火に魅せられた男の物語。
・・なのだが、花火をつくる職人でもなく、名主の父の遺した財産を花火をあげるために散財するだけの静助には、あまり感情移入できなかった。
だって、一所懸命なところが全然ないんだもの。
はっきり言って、つ
まんない男という印象。
この小説の中で、いったい誰が主人公なのかがはっきりしない。
もっと人物を絞った方がよかったと思う。
兄の描写も中途半端、後妻の母も尻切れトンボ、静助にいたっては「しようのない男」としか受け止められなかった。
登場人物に心ひかれない小説ってちっともワクワクしないんですよね。

どうもこのところの大島真寿美は前ほど好ましくない。
初期作品は小品であっても、彼女にしか書けないセンスがあった。
「宙の家」「チョコリエッタ」「水の繭」「香港の甘い豆腐」などは、心にいつまでも残のものだった。
いつまでも初期に留まれと言っているわけではない。
でもニュアンスは失ってほしくないな。

筆力はあるし、書ける人ではあるのだから、次作に期待します。
posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

沖藤典子「老妻だって介護はつらいよ」

「老妻だって介護はつらいよ」とあるけれど「老妻だから介護はつらいよ」じゃないのかな?
年老いた夫の介護を同じく老いた妻がするのは大変である。
ましてや沖藤さんのご夫君はこれまで勝手のし放題。
毎夜毎夜遅くまで飲んで酔っぱらっての帰宅、無断外泊、週末はゴルフ三昧。
それよりもなににより沖藤さんが傷ついたのは、夫がいつも家族に対し不機嫌だったからだ。家族のためんに何かするということが一切なかった人。
ある夏、家族で海水浴に行こうと駅まで行ったのに、ずっと不機嫌だった夫は荷物と家族を置き去りにし、家に帰ってしまった。
それなのに会社では「良い人」でとおっているのだから、口惜しいではないか。

そんな恨みつらみが一杯の夫であっても、病に倒れれば妻が面倒を看なくてはならない。
家族も社会もそれに疑問を持っていない。
沖藤さん自身ですらそうするしかないと覚悟している。憎んできたけど、やっぱり夫は捨てられない。一生懸命介護をしてしまう。
だからこの本の副タイトルが「葛藤と純情の物語」なのだ。
そう、老妻って純情なんですね。

ある日突然夫の脚が激痛に見舞われ、緊急入院。
病名は「閉塞性動脈硬化症」。いろいろ治療はしたが結局は脚を切断することになった。
それまで頑健で病気をしたことのなかった夫。検診で悪いところがあったのに軽く考え放置していたらしい。
糖尿病が進んでいた。

腹立たしい。「あれほど言ったのに」の言葉が口を衝いて出るのは当然か。
長女はアメリカ在住。この長女はずっと父から無視されて父に対してよい思い出を持っていない。
次女一家は実家のわりと近くに住んではいるが、母親にとても厳しい。(多分沖藤さんが夫の愚痴や悪口を言ってきたからなんでしょうね。)
子どもは当てにできない。

夫の入院は500日にも及んだ。
どんどん見つかる体の悪い部位。これ以上の治療は延命だと医師が言うほどになり、思い切って在宅介護に切り替えた。
夫は「ありがとう」と言うようになったが、沖藤さんにしてみればその言葉すら白々しく腹が立つのだった。

夫婦の歴史はそれぞれで、その歴史のなかで出会いの頃の感情が次第に変質してゆく。
沖藤夫妻もこの本を読めばかなり複雑な家庭環境があったようだ。
ただ思うのだけど、こんなに赤裸々に家族のことを書く必要があったのか。
社会に自分の気持ちを表明できない夫、しかも亡くなった後にこれだけのことを書くのはちょっとフェアはないのではないか?
沖藤さんは思いの丈が述べられてスッキリしたかも知れないけれど、次女はまた怒るのではないかと心配になる。

でもまぁ、「結局がんばる古女房」に免じて許してあげてもいいかな。
介護の現場を取材しつづけてきた彼女の「現実」は、これからの仕事にきっと役立つでしょう。
posted by 北杜の星 at 07:45| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

小川洋子「琥珀のまたたき」

小川洋子の作品はいつもどこか幻想的だ。
それらにもましてこの「琥珀のまたたき」は全編ファンタジーと言っていいほど。
とにかく美しい。美しい世界が美しい言葉で描かれていてうっとりしてしまう。
でもこれは小川洋子だ。美しさのはかなさ、切なさ、怖さが潜んでいるのだ。

母は父が遺してくれた別荘に三姉弟を連れて引っ越した。
子どもたちには本当の名前を捨てさせ、姉をオパール、弟を琥珀、末弟を瑪瑙と呼び、以後この名前を使うよう言い渡す。
母がつくった約束事は他にもあって、彼らは外界と交わることなく成長することになる。
父が図鑑を出版する会社をしていたので、館にはたくさんの図鑑があった。三姉弟は図鑑で知識を得ながら、独自の「遊び」を作り出していった。

美しいものがいつまでも美しいはずはない。
大きくなればなおのこと、気づくこと、見えてくるものがある。美しさの歪みもわかってくる。
彼らには死んでしまった妹がいて、妹は彼らの傍らに存在いしている。
美しさのほころびは物語の始めからどこかに潜んでいるのだが、それでも美しさの記憶が消えるわけではない。
年老いた琥珀と思われるアンバー氏にはその記憶はいつまでも美しいままなのだろう。

私はこれを37.5度の熱がある時に読んだ。38.5度まで上がった熱が下がる途中。
(この一カ月、奈良へ行ったり富山に行ったり、東京へも何度か行って、オーバーワークだったので、久しぶりに寝込みました。)
熱で頭がボーとなっていたから、小川ワールドに浸りやすいかと思ったが、そうではなかった。
幻想世界って意外に体力が必要なことがわかった。
リアリズムの方が理解しやすいんですね、新書なども読んだけど、そのほうがわかりやすかった。
もっとも小川洋子の描く世界が緻密で凝縮されているからなのだけど、、けっこう、読むのしんどかったです。

だけど「うっとり」は相変わらずで、さすが小川洋子。
これほど息が長く、秀作ぞろいの作家はそうはいないでしょう。
夫にも小川洋子を読んでもらいたいといつも思っているのだけど、ファンタジーに酔えない彼には、絶対に楽しめないだろうな。残念です。
posted by 北杜の星 at 06:40| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月02日

岩城けい「MASAT0」

前作「さよなら、オレンジ」一冊で大ファンとなった岩城けい。
今回も舞台はオーストラリア、母国語と現地語のはざまで揺れる人たちを描いている。
今回は小学生が主人公だからか前作ほどシリアスではなく読めるが、それでもひしひしと「言語」に苦しむもどかしさが描かれるのは同様だ。
「さよなら、オレンジ」は太宰治賞と大江健三郎賞を受賞。芥川賞と三島由紀夫賞にノミネートされた。

Masato(真人)はお父さんの転勤に伴ってオーストラリアに住むことになった小学6年生だが、オーストラリアの小学校では5年生に編入した。
一緒に来たお姉ちゃんんは来年の日本での高校受験を控え日本人学校に入学した。
お母さんは英語があまり話せない。日本とオーストラリアを較べて不平ばかり言っている。

日本とオーストラリアの学校はかなり違う。
例えば算数で答えが正解でもそれはあまり評価されない。どうしてそういう結果がでたかを説明しないと賢い生徒とは認められないのだ。
Masatoはまだ英語ができないので、唯一得意のはずの算数もだんだん苦手になってくる。
Masatoを見ると「スシ、スシ」となにかにつけていじめるエイダンとは我慢できずに取っ組み合いになってしまい、校長室に呼ばれることに。そのたびにお母さんも呼ばれて謝るのだ。
そんなときにも英語ができないので何も言えない。くやしさは募るばかりだ。
(英語ができないから、学校でのパーティにdishを持ってゆくのを、Masatoのおかあさんは一枚のお皿を彼に持たせるのだが、それはいわゆる料理の持ち寄りパーティで一皿の料理という意味だったのだ。これもまたエイダンのからかいのネタになった。)
彼が助けを求めるのは台湾人のケルヴィンだが、ケルヴィンはクールというかちょっと変人。

しかしジェイクと一緒にサッカーをするようになってというもの、Masatoはしだいに英語やオーストラリアに慣れてゆく。
日本語より英語でのほうが表現しやすくなってもきて、英語のできないおかあさんの通訳をするように。
お姉さんは日本の高校に通うために日本に帰った。
おかあさんもオーストラリアが嫌いでMasatoを連れて日本に帰ると言う。
けれどMasatoは決めたのだ。オーストラリアに残ると。残って中学に通うと。
彼と同じようにオーストラリアにこれからも住んで仕事をしようとするお父さんとお母さんの激しくなるケンカ。。

私、わからないなぁ。
なぜMasatoのお母さんはそう好きでもない日本人社会のおつきあいばかりして、現地の人々と交わろうとしないのか。
それでいて、英語が上達しないと苛立っている。
そればかりか Masato をオーストラリアに盗られてしまったなどと言う。
もっと努力しなくっちゃと言いたくなるが、でもお父さんは「努力と我慢は違う」「きみに我慢はさせたくない」とお母さんを理解するのだが。。
でもあともうちょっと、もうちょっと長く住んでみると、変化が生まれて楽しめたかもしれないのに。

でも寂しいことだろうなと思う。
自分の息子が日本語でなく英語で話す方が得意になるのは。
人生の選択の善し悪しなんて、まだMasaatoにはわからないけれど、前を向いて走る彼にはこれから先も後悔はないはずだ。
おかあさんもその時になってはじめて、あれでよかったんだと納得できるだろう。

「言語」だけでなく教育とか他にもたくさんのテーマを含んだこの作品、今回の岩城けいも素敵でした。
posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

岡田正彦「先生が患者だったらどうします?」

先進医療や新薬など、医療は日進月歩している。
しかしそうした治療は本当に患者のためになっているのか。
過剰検査、過剰治療がずいぶん行われているような気もする。
患者にとっては藁にもすがりたい状況で、何を選択すればよいのか。。
そんな時、ちょっと言ってみたい言葉。
「先生が患者ならどうします?」(「先生の家族が患者ならどうします?でもいいかな)

私の知っている医師で、検診は受けない、風邪薬は飲まないと言う人がいる。
理由は「意味があんまりないから」
検診を受けて癌が初期で見つかっても、治るものは治るし、治らないものは治らないからと。
風邪に至っては「風邪は寝るのが一番」と言っている。
この著者も風邪薬は飲まないらしい。
聖路加病院のあの日野原先生は、「高齢の最期に点滴はしたくない」と仰っている。
人間は枯れて死ぬもの。そのときに水分を体に入れると無駄に苦しませることになるのだそうだ。

この著者である医師の岡田氏がどんな治療を受けないか、どんな薬は飲まないか、ちょっと紹介していみよう。

・「最先端治療」も「昔からの治療」も、再発率は同じ。
・新薬を試したがる医師を信じてはいけない。
・高血圧の薬を飲んでも、健康寿命は延びない。
・糖尿病の薬を飲むと、心臓病脳卒中での死亡率が64パーセント高まる。
・サプリメントは百害あって一利なし。
・人間ドックを受けると9割の人が「要精密検査」となる。
・レントゲン検査は発がん原因の第4位。
・早期発見、早期治療、先端治療でも癌の死亡率に変化はない。
・・・などなど、医師である著者は、家族には検診は受けさせないし、絶対に飲ませない薬があると書いている。

世の中にはそれぞれの分野で「名医」がいる。その名医に診てもらいたいという患者が多い。
私の「名医」の基準というか、これをする医師は信頼できないというのをを挙げるなら、肺炎になってもいない風邪の患者に抗生物質を投与する医者は避けるべし、というこど。
お年寄りの血流を良くするためと言って「メバチコール」を処方する医師も、なんだかお粗末だと思う。
私のホームドクターは「メバチコール」が効くなら、世の中の年寄りの病気はなくなるよ」と笑っていた。まぁ、オマジナイみたいなものだ。

「先生が患者ならどうします?」
そう尋ねて、きちんと本音で答えてくれる医師が「名医」なんでしょうね。
それにしても最近、医師や薬剤師でこうした「本音」を述べる人が多いのは、やはり過剰医療がはびこっているからだと思う。
患者側もしっかり勉強して、賢くならねば。
posted by 北杜の星 at 07:48| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月23日

上野千鶴子・田無水気流「非婚ですが、それが何か!?」

団塊世代と団塊世代ジュニアに近い親子のような女性社会学者の対談。

結婚しない男女が増えている。
したくないのか、経済的困窮でできないのか、理由はそれぞれだろう。
結婚なんて個人の自由なのだから、非婚でも構わないじゃないかと思うのだが、社会的にはそうではないようだ。
非婚が増えると、少子化がすすむからだ。
少子化がすすむと社会の経済基盤が失われる(と政治家や企業家は言う)。

結婚や出産に政治が介入するのはご免蒙りたいと思う。
私と夫は共に暮らし始めて35年になるが、法的婚姻をしたのは10年ちょっと前である。
なぜ姓が変わるのか納得できなかったし、ましてや彼の戸籍に入るのも自分のアイデンティティとしてイヤだったからだ。
彼が私の姓を名乗るのも、私がイヤなことを彼に押しつけるのも気がすすまなかった。
けれKどある出来事があって、日本の法律は「事実婚」の人間を守ってくれないと(この本にもそのことが書かれているが)わかって、まぁ20年以上たっているのだからもう二人の関係性は変わらないだろうと、籍をいれた。
それでもなぜ夫婦別姓が認められないのかは理解できないし、納得していない。
つくづくこの国は保守的だと思う。

上野さんと水無田さんは、保守的な先進国は少子化になっていると言う。
それはそうだろう。
現在の若い夫婦を見ていると、女性の負担の大きさが気の毒になる。
妻は仕事を持ち、家事をし、育児をしている。
夫は仕事が最優先で、家事や育児は「手伝う」という意識でしかない。
そうした意識が21世紀になってもこの国を形作っているのかと思うと、上野さんや水無田さんでなくても絶望的になってしまう。

彼女たちの言うように、日本は女性差別の国ではなく、男性優先の国なのだろう。
昔から「男はエライ」と男がふんぞり返っていられたのは、あれは「下駄を履かされて」いただけ。そうしなければ男が優位を保てなかったから。考えてみればアワレな存在なんですね。
でもそろそろ変えてもいいのじゃないか?
まず、夫を「主人」と呼ぶのをやめて、「夫」と「妻」という対等な立ち位置で家庭を築くべきだ。
言葉が意識をつくるのだ。言葉が変われば意識もかわる。奴隷や犬じゃないのだから。
(ここに面白い映画が例として挙げられている。自民党のある議員候補が地元で選挙運動をする時には、彼は妻を「家内」と呼ばなくては、選挙民から受け入れられないそうだ。「妻」と絶対読んではいけないらしい。選挙民の前では「家内」に徹している妻は、蔭では夫にキレている。)

先進国で保守的な国といえば日本、イタリアだが、その両国では少子化がどんどんすすんでいるのが事実。
いっぽう、北欧やフランスでは、婚姻外の子どもが50パーセントを超えている。
非婚であってもパートナーはいる、いわゆる日本で呼ぶところの事実婚である。
しかし非婚であっても社会から受けられる制度は、法的結婚者とまったく同じなのだ。
フランスで子どもが増えているのはこういうこと。
(ちなみに日本で離婚率が低いのは、夫婦仲が良いのが理由ではない。。水無田さんは電車での中高年女性たちの会話を紹介している。一人が「誰それ;のご主人は定年直後になくなったんですって」と言うと、「それはお気の毒」というのではなく、「それって理想的ね」とみんなで言い合っていたそうだ!)

若い男性は結婚して、夫、父親としての責任を負うのが億劫だし、小遣いとして使えるお金が減るのがイヤという人がいる。
女性は仕事をするのなら、家政婦としての母親が家事をしてくれる実家が心地よい。
非婚になるのは、「結婚のリスク」を避けるためなのかもしれない。

非婚でも未婚でもいいし、一緒に暮らさなくてもいいけど、恋愛くらいはしてほしいな。
人を愛すってことのない人生って、つまんないでしょ。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月16日

五木寛之・佐藤優「異端の人間学」

五木寛之と佐藤優には共通項がある。
ロシア(旧ソ連)だ。
五木は早稲田の露文科を出て「蒼ざめた馬を見よ」「さらばモスクワ愚連隊」などソ連を舞台にした小説を書き、、佐藤は外交官として在露大使館勤務を経験した。
物理的には近い隣国なのに私たち日本人はあまりにロシアのことを知らない。
知らないのに、国際政治社会で「悪役」のロシアを嫌い、疎んじている。
この新書で二人はロシアを中心とした歴史、ウクライナやユダヤ人問題に関する政治、宗教、文学、音楽、ロシア人などさまざまなジャンルについて対談している。
一言で感想を述べると、知的好奇心を満足させられる内容だった。

五木の最近はやたら「抹香臭く」なった印象があるし、佐藤優とは政治的に異論を唱えたい部分がたくさんある。
それでもこの本の二人が語ることには、大きな興味をそそられた。
なんという知識量なのだろうか。とくに佐藤優は「知の巨人」である。
二人の知識がスゴイのは、彼らの体験や書物から知識が単なる情報ではないことだ。
ただの「物知り」ではない。そんなペダンティックな人間は世の中にたくさんいるが、彼ら二人はそれだけではない。
体験や知識を哲学というか思想にまで昇華しているのだと思う。
だからこの対談が奥深いものになっているのだ。五木は仏教、佐藤はキリスト者として人間を視ているのかもしれない。

いろんなテーマがあるが、私にはやはり文学の話が面白かった。
ドストエフスキーは「罪と罰」などであまりに「神」を強調しているが、あれは彼が神を強く信心じていなかったからだと佐藤は言うのが面白い。
「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフという名前の由来と意味も、これではじめて知った。
彼が異端として罪を犯すべく犯した人間というのが理解できた。(いまさら理解できても、遅いですよね。10代に読んだ本は忘れ果てています)。
それとドストエフスキーが国粋主義者だなんて、思いもしなかったなぁ。

「デラシネ」という言葉は「根無し草」として、放浪する人と、なにやらロマンチックな感じで私は捉えていたのだが、そうではないそうだ。
「デラシネ」というのは無理やり住む場所を奪われた人間のことで、難民などを指すという。
現在のロシア語通訳のレベルの低さを佐藤は嘆いている。
ロシアと日本の政治家の対話の通訳のひどさの例が書かれているのだが、爆笑ものだった。
こんなので大丈夫?国と国の相互理解ができるのかと心配になってしまう。
つまりは、ロシアのことにあまりに私たち日本人が無関心ということの他ならない。
これで北方領土を返還せよと言っても、無理じゃないかと懸念が大きくなるばかり。

五木は共産主義に若者が傾倒した世代だ。
そんな人にとって早稲田の露文は憧れだったろう。
しかし彼は学生時代あまりに貧しくて、バイトに明け暮れなければ生活できなかったので(週に一度売血してそれで食べていた時期もあった)、共産党には入党できなかったと言う。
入党したらいろんな活動をしなければならない。その時間がなかったのだ。
でもプロパガンダの紙芝居をもって、広島の山の中の学校へ行ったりしていたそうだ。

彼らの対談には多くの書名や人名が出てくる。
恥ずかしくなるくらい、それらのほとんどを知らない私でした。。。
まだまだ、勉強しなくては。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 | Comment(7) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

阿古真理「小林カツ代と栗原はるみ」

こういう時代の考察の仕方があるんだ!ととても新鮮な本だった。
「料理研究家とその時代」の副タイトルにあるように、戦後の社会史、女性史の変遷を、その時代時代に活躍した料理研究家たちを通して分析している。
料理研究家論という以上に社会文化論として読むと興味深さが増すと思う。

料理研究家と言われて誰を思い浮かべるかは、年代によるだろう。
土井勝、江上トミなら、私の母の世代だろうか。
お節料理の黒豆を作る時私の母は、土井勝レシピを使っていたと記憶する。それまで黒豆はシワシワで固かったのを、土井は柔らかふっくらに煮たものを紹介した。
城戸崎愛や飯田深雪のようなちょっとセレブっぽい人もいた。
彼女たちの料理は「おもてなし」として、もやは戦後ではなくなった日本人が憧れる「西洋」の香りがしていた。
ホルトハウス房子も同じような意味で人気だったが、彼女の場合は彼女を包む雰囲気の素敵さも影響していたと思う。彼女は私世代のお手本だった。
それからセンスのよい有元葉子となると、イタリアンにベトナム料理ともう少し若い世代となる。

料理研究家って女性がほとんど。
これは台所が女性の聖域だったからだろう。
しかしなんといっても料理研究家として家庭料理に風穴を開けたのは、小林カツ代だ。
本格料理を指南したそれまでの料理研究家とは違い、「簡単」「スピーディ」を旨とした。
それは時代が要求したことでもあった。
たくさんの独特のレシピを作り上げ(その代表的なものは「肉じゃが」だそうだ)、世の中に浸透させた。
料理だけでなく小林カツ代は社会活動にも盛んに参加したという。
社会の変革を目指していたのだ。
夫を「主人」とは決して呼ばず、自分を「主婦」の料理研究家ではなく、「家庭料理研究家」と呼んだのはその意識ゆえである。

私は西荻に住んでいた頃、ときどき小林カツ代をお見かけした。
彼女の生活雑貨のショップが西荻にあったからだ。
テレビで見るより痩せて小柄に見えた。でも遠くからでもエネルギーが感じられたなぁ。
この本に、彼女は西洋料理にはドミグラスソースの缶詰などを使うことをはばからなかったが、和食の出汁はいつもちゃんととったと書いてあった。
昆布と鰹節、煮干し・・出汁は顆粒出汁の素などは使わなかったという。
料亭のようではなくて、しっかり煮だて箸で絞る。
これは私と同じやり方だ。
私はもっと端折って、昆布を少し水につけたら鰹節を加え、水から沸騰させ1分強、うどんのツユのときにはもう30秒。
もっともこれは、30年もの間注文している築地の鰹節屋さんの、血合いのない特上削りだから臭みがないから可能なことなのだ。
(特上といっても卸問屋で買うので全然高価ではないのです。特上よりもっと上等の最特上という品もあるのですが、素人の私には分不相応なので使いません。)
出汁を引くのは和食の基本。
小林カツ代はこれだけは譲れなかったようだ。
関西は出汁文化。料理は出汁から始まる。
それにくらべると関東の人は出汁を引くのが下手ですね。
だしの素を使う人の多さに驚きます。
このブログでいつか書いたことがあるのだが、40歳過ぎまでピッチャーを続けていた工藤公康氏の奥さんは試合後帰宅した彼に、丁寧に引いたお出汁を飲ませたそうだ。)
出汁は料理の基本となるだけでなく、疲れた体と心を癒してくれる。
私は出汁を引くとお玉に一杯味見皿にとって醤油を一滴たらして飲むのだが、これが料理に取り掛かるウォーミングアップ。本当に美味しい。

さて、次はいよいよ「カリスマ主婦」料理研究家の栗原はるみの登場である。
これまで出した本が4000冊。総計2400万部発行されているのだから、まさに「カリスマ」。
なぜ彼女のレシピがこれだけみんなを惹きつけるのか?
その理由はこの本を読んで理解してほしい。それなりの社会背景があるのだ。

栗原はるみは「主婦」として、誰もがちょっと頑張れば手の届くところに感じられるのではないだろうか。
料理は特別洗練されているわけではないし、器だって高級ではない。
普通からちょっと上・・そうしたライフ・スタイルが時代に合致したのと思う。
それと彼女には「家庭」「家族」の心地よさがある。
多くの女性料理研究家が離婚を経験しているが、栗原はるみには夫と子どもたちとの生活が伝わってくるのだろう。
それにしても息の長い料理研究家としての努力は相当なものがある。
それを笑顔に隠して仕事をするのだからスゴイ。

家庭料理がだんだん女性だけのものではなくなった昨今、若い男性料理研究家が出てきたのは喜ばしいことだ。
ケンタロウさんが一日も早く復帰できることを願っています。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

枝元なほみ「パセリ食堂」

今年植えた我が家のパセリはどうも元気が良くなかった。天候不順だったからだろうか。
青々していたのは昨年から冬を越したパセリだけだった。
この本を読んで初めて知ったのだがパセリって二年草なのだそうだ。
今年の苗は来年また生えてくれるのかしら?

私は小さな頃からパセリが好きで、お皿の隅に乗ったパセリを食べようとしていつも母から叱られていた。
「パセリは飾り、使い回しをしているのだから食べてはダメ!」と。
食べられるものがお皿に乗っていてそれを食べられないのは、子ども心にもじつに理不尽だった。パセリは冷遇されていたのだ。
だから当時パセリに特化した料理はなかったような気がする。

フランス人はパセリが好きだ。人参も好きだ。
パセリと人参をいつもムシャムシャ、ポリポリ食べていたフランス人を知っているが、私が不思議そうな顔をすると、なんで不思議がるのかわからないみたいだったので、フランス人はみんなパセリと人参が好きなのだと、以来私は思い込んでいる。

枝元さんはこのパセリ料理の本を頼まれて出すことになり、いろいろなパセリ料理を考え試作したようだ。
料理研究家って「研究」という字ががついているだけあってその研究熱心さには頭が下がる。
ただ引き出しが多いだけではなく、絶えず引き出しの中身を増やす努力をしているのだ。

パセリを何かに入れるというのはよくあるパターンなのでわかる。
例えばオムレツにどっさり入れるとか、スープやソースに加えるのは、まぁ私でも考えられる。
だけど「パセリの浅漬け」のように、パセリを単体でそのままというのは私には思いつかない。「パセリの浅漬け」・・どんな味だろう?
「パセリとグレープフルーツのサラダ」というのも意外な組み合わせ。
しかもパセリどっさり、グレープフルーツは少しというから、グレープフルーツがグリーンになるのだろうか?
ネギの代わりに納豆にパセリというのもあるけど、一度試してみよう。
最近我が家では骨粗鬆症予防のために毎日納豆を食べている。ほとんどが芥子と醤油だが、ときにはオリーブオイルと塩ということもある。
このときにパセリを入れてみよう。きっと豆のサラダのような味になると思う。
(骨粗鬆症は西高東低で、これは納豆を食べる習慣があるかどうかという統計だそうだ。)

枝元さんの料理はチャチャッとパパッとできるんですよね。
料理って丁寧さも必要だけど、あまり手で触り過ぎないことも大切。触りすぎると味がテキメン悪くなる。

以前枝元さんと詩人の伊藤比呂美との書簡集を読み、いろいろ大変だった時期をお互い励まし合って乗り越えた文章に、二人のそれぞれを思いやる気持ちの温かさを感じて、「女同志っていいなぁ」と思った。
枝元さんって人を元気にできる人なんです。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

R・J・パラシオ「ワンダー」

このブログにコメントを下さったkonakaさんが教えて下さった本。
児童書です。
じつは私は大人が絵本などの児童書を読むのはあまり好きでなく、「大人は大人の本を読みましょう」「絵本は子どものためのもの」と言いたい人間。
私自身が子どもの頃、はやく大人の読む本を読みたいと思っていたからだ。
幼いころの「小公女」や「長靴をはいた猫」「イソップ童話」や宮沢賢治などは別として、子ども用にリメイクされた偉人伝とか、やたら啓蒙的な児童文学が好きじゃなかった。
それでも友人に薦められ、大人になって読んだ児童書で素晴らしいものは幾冊かあった。
「星の王子様」「不思議の国のアリス」、とくにフィリッパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」は今でも時々読みたくなる大切な本となっている。

そして、これ、「ワンダー」。
確かに児童書といえば児童書。難しい感じにはルビがふってある。
でもこれは児童書の枠を超える素晴らしい本だった。

「オーガスト・プルマンはふつうの男の子。ただし顔以外は」
そう、オーガストの顔を見ると誰もが驚愕し怖がる。
そのため彼は学校へは通わず、家で母親に教えてもらっていた。
けれど中学に通うことを決意。
「ワンダー」は中学に通い始めたオーガストの1年間の物語である。

他人がオーガストの顔を見て驚き、驚かないふりをする何十分の一秒を、オーガストも両親と姉も見逃さない。
驚くことも驚かないふりをするのも、とても難しいことなのだ。
しかもオーガストはずっとその「目」に晒され傷ついてきたのだから。
でも、残酷だけど、驚くのは仕方ないことだ。それは自然の反応だと思う。
問題は、その後。そしてその後、たくさんのことがオーガストに起こる。

友達になる何人かの同級生。友達と思った子からの裏切り、はっきり彼を無視する子、陰湿な意地悪をする子、彼を理解し見守ろ教師・・
誰よりも強い味方はオーガストの両親だ。
親となって、これだけ子どもの心に寄り添える人間がいるだろうかと、まずそのことに感動した。
しかもきちんと公平に気遣いできる人たちなのだ。
絶対的に自分を守ってくれ、帰る場所のあるオーガストは本当に幸せだ。
だけど中学生ともなるとそうした居心地のよい家族から独立し始める時期でもある。

仲の良くなった同級生がオーガストの顔を見て言う。
オーガストはこれまで何度も何度も顔の手術を受けているのだが、それでもまだまだふつうにはなっていない。
『「オーガスト、ずっとこの顔のままなの?整形手術とかはうけないの?」
ぼくはにっこりして自分の顔を指さした。「あのさ、この顔は整形手術後の顔なんだよ」
ジャックはおでこをぽんとたたき、大声で笑いはじめた。
「そりゃ、おまえ医者を訴えろよ!」』

私は小心者なのでとてもジャックのようなことは言えないが、こういう屈託のなさは心が真っ直ぐだからなんでしょうね。
それとも子どもだからこその無邪気さなのか。
どちらにしても、私の大好きな個所だった。

感動のラストはいかにも児童書といえばいえるけれど、でもあざとさはまったくなくて、心が爽やかさでいっぱいになる。
ここには人間への全肯定があるからだ。
悪意は世の中にたくさんある。でもそれを上回る優しさだってある。人はその優しさを他人に与えることができるではないか。
その優しさがによりも強いことを、オーガストは学校の1年間で知りえたのだ。

先生がいいですね。日本の学校にもトゥシュマン先生がいるといい。
「必要とされる以上に親切にしよう。。」
そうすれば、いつか、どこかで、誰かがきみたちのなかに、神様の顔を見るかもしれない・・

私はヨーロッパに行くといつも意外に感じることがある。
それは人々が「お節介い」とも思えるほどに親切なこと。
日本人だって、ほんの数十年前までは、みんな「お節介」に他人の面倒を見ていたし、干渉もしていた。
でも個人主義の風潮が広がり、「あまり立ち入ると悪いわね」みたいになって、お節介を焼かなくなった。
それから少しずつ、人と人とのつながりが薄くなっていった。
トゥシュマム先生の言うように、「必要とされる以上に親切にする」ということは、大切なのかもしれない。
「お節介」と言われることを恐れるあまり私たちが失った世界を取り戻したいと思う。
この本には、そうした人と人とのつながりの素敵さがある。

この本を教えて下さったkonakaさんに「ありがとう!」
posted by 北杜の星 at 08:23| 山梨 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

大矢麻里「イタリアの小さな工房めぐり」

手縫いの靴、ハープ、レース、聖像、ビーズ玉、麦藁帽子、彫金レリーフ、テラコッタ、手作り自転車・・
イタリアは職人の国。どこの町や村でもちょっと歩けばどこかからトントン音が聞こえてくる。
フィレンツェのアルノ川の向こう、カルミネ教会の方への途中にはじつにさまざまな工房があって、フィレンツェは職人の街なのかと気付くだろう。
この本の著者はイタリアに魅せられ、中部のシエナに20年暮らすコラムニスト。
彼女が紹介してくれるイタリアのもの作りがいかに素晴らしいか。文章と写真でとくとご覧になってもらいたい。

このなかで一番心ひかれたのが麦藁帽子だ。
麦藁帽子といえば昔は誰もが夏になると買って被っていた。粗雑なつくりで夏が終われば捨てて惜しいものではなかった。
けれどこの麦藁帽子は大事に何年も使いたい美しいもの。デザインもたくさんある。
イタリア人はどんなに灼熱の太陽が照りつけようとも、帽子をかぶらない人たちだけれど(私のイタリア人の友人は「帽子を被るのは中国人と日本人だ」と言う)、こんなに素敵な麦藁帽子なら、ここ八ヶ岳の高原リゾートでも被っていたい。

それともう一つ驚いたのは、オカリナがイタリアの楽器だということ。これは著者もご存知なかったらしい。
オカリナってケーナのようにマヤだとかインカとかのものだと思い込んでいた。
ボローニャの近くで作られる木製のオカリナは見るからに柔らかそうな形をしている。
よくあるっプラスティックのオカリナとは雲泥の差だ。音色もきっと大きな差があるのだろう。

フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のポルトノーネでイコン画工房があるのも意外だった。
イコンといえば東方正教会のものだ。カトリックの国であるイタリアでイコン画が描かれていようとは。。
でもあのあたりはギリシャに近いから文化の交流があったのだろう。
ポルトノーネは私たちの友人の住むサン・ヴィート・アル・タリアメントからほんの15分のところ。チャンスがあれば行ってみたい。
フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の州都はトリエステ。トリエステは旧ユーゴとの国境の街だ。
ちなみにあの水の都のヴェネツィアはヴェネト州の州都です。

著者の大矢さんお住まいのシエナからは隣の州のウンブリアのオルヴィエトのレースも精緻で美しい。
ウンブリアはオルヴィエトの他にも湖のほとりの小さな村パニカーレでもレースは有名で、時々ワークショップが開かれているので、観光客でも学ぶことができる。
30年くらい前までパニカーレなんて寒村だったが、いまではイギリス人などがたくさん住む土地になっていてびっくりしてしまう。

イタリアの小さな工房で黙々と仕事をする職人さんを見ていると、「日本もほんのちょっと前まではこんな職人さんの国だったのにな」と思う。
ここにも書かれているが、親から子に、師から弟子へと継承される技が、イタリアにはまだたくさんいる。
でも日本では職人という言葉すらなくなってしまった。
工芸をする人はいても彼らは職人さんではなく「作家」と呼ばれたいのか、作るものをアートだととらえている人が多い。
そういう意識の変化が日本のものづくりをダメにしたのだと思うのだけど、ちがうかな?
名もなき、名も知れぬ・・というのは存在しないことではなく、貴いことなんだけどね。

靴フェチの私としてはぜひマルケ州の手縫いの靴工房を紹介したい。
戦後、馬の皮から作る部屋履きから靴へと移行し、アメリカのデパートやフランスのブランドに卸したりしていたのが、独自のブランドを立ち上げるようになったのだそうだ。
私の好きなサントーニもここマルケのブランドで、サントーニは今でもエルメスに製品を卸していると聞いたことがある。
(大切に履いているサントーニなのに、夫は「そんなに履く機会がないのだから、普段に履かないとかえってもったいない」と言う)。

手縫いの靴というと思いだすのが、イギリス人俳優のダニエル・ディ・ルイスだ。
アカデミー主演男優賞を3回受賞している名優だが、私は彼がハリウッドに進出する前の「マイ・ビューティフル・ランドレット」と「存在の耐えられない軽さ」の彼のセクシーさにクラクラっときて大ファンになった。
そのディ・ルイスは最初のアカデミー賞受賞後に突然「靴職人になる」と決意。フィレンツェの有名な靴職人に弟子入りをしたのだ。
親方からもその熱心さが認められたごろ、スコセッシ監督に説得されて俳優に戻ったそうだ。
まぁ、奇人変人の類でしょうが、こういうことも含めて、ディ・ルイス、いいですよね。
彼が修業した工房の靴は日本でも手に入れることができます。
(神戸連続殺人事件の犯人少年Aが最近開設したHPが「存在の耐えられない透明さ」というタイトルだと言うが、ミラン・クンデラが汚された気持ちで「やめてよ」と言いたい。)

イタリアは過去の遺産で食べている・・と言う人がよくいます。
たしかにローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどイタリアの多くの土地には歴史的にすごいものがたくさんあって、世界中から観光客が訪れます。
観光収入は多い。
でもイタリア人にとっての「過去の遺産」とは、そうした建造物や絵画彫刻そのものではなくて、生れた時から自然と身近に触れて育つ「美」なのではないでしょうか。
その「美」が何十世代にもわたって彼らの血肉となりDNAになっているのだと思います。
だから彼らの作るものは美しい一級品なのです。
あんなにチャランポランに見える彼らが、じつに粘り強く一所懸命にもの作りをしている。
この本はそれを私たちに教えてくれます。
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

乾ルカ「奇縁七景」

乾ルカは北海道在住作家。
彼女の作品にはいつもどこかに北海道の気配がある。
「夏光」を読んで以来のファンの私としては、直木賞候補、芥川賞候補に一度ずつなりながら、どうもその後に完全納得できなくて、モヤモヤしていた。
だけどこの「奇縁七景」は彼女の持ち味である、「奇妙な味」が生きている作品集となっている。
こういう乾ルカが読みたかったんですよね。

普段私たちがよく口にする慣用句がタイトルになっている七つの短編。
「虫が好かない」「目に入れても」「報いの一矢」「夜の鶴」「只よりも高いもの」「黒い瞳の内」「岡目八目」。
ミステリーっぽいもの、ホラー的なもの、命と向かいもの・・バラエティに富んだ物語だ。
最後の「岡目八目」ではそれまでの登場人物たちがわらわらと出てきて繋がりをみせているのが見事だ。

そう、これが乾ルカの真骨頂なんですよね。
不可思議な人間の繋がり。時として超常現象だって起きる。
とてもリアルなものもあれば、ファンタジーもある。甘く辛いそれぞれの物語は読者の心をざわつかせる。

楽しめました。次作も待ってます、乾さん。
posted by 北杜の星 at 07:30| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

エットハミ・ムライ・アメドバ゙/寺田なほ「モロッコの台所」

エットハミさんと寺田さんはご夫婦なのだろうか。
二人がかわいいお子さんを抱いて一緒に写った写真がある。
エットハミさんはカサブランカ生れ。モロッコとフランスで製菓と料理の勉強をし、モロッコにおいてシェフに料理指導をしていた人。
寺田さんはスパイス研究家として、インド料理やセネガル料理の教室を開いている。

モロッコ!
いいなぁ。ぜひとも行ってみたい国の一つだ。
モロッコとトルコは憧れの国で、そのトルコには数年前に友人と行ったので、残るはモロッコ。
モロッコがなぜ憧れの地かというと、アメリカ文学をほとんど読んでこなかった私だが、ポール・ボウルズ、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズには夢中になった時期があって、彼らが過ごしたモロッコのタンジェ(タンジール)という港町には強い思い入れがあるのだ。
アメリカ人だけでなく、ジャン・ジュネもタンジェに長く滞在し、彼の墓はタンジェにあるのです。
タンジェはヨーロッパ大陸からフェリーでほんの1時間足らずの港町。
港町特有の雰囲気があって、場所によっては魔窟のような危険なところもあるらしいが、文化文明の交叉する地点として面白そうな街だ。
作家たちが通ったというホテルもまだある。

文化が交叉するといえば、モロッコという国がまさしくそうで、歴史や宗教、そしてこの本に載っているように、料理もまたたくさんの入り混じる文化の影響を受けている。
この本が素晴らしいのはたんに料理だけでなく、モロッコ紹介本としてもいろいろ勉強できること。
モロッコに最初にたどりついたと誇りを持っているのが、バルバル民族という遊牧民だそうだ。
日本でも使っている人が多くなったタジン鍋や、セモリナ粉で作られる極小パスタのクスクスなどは、元はバルバル民族の文化だったそうだ。
(クスクスはシチリアや南フランスなどでも、ずいぶんと食べられている。)

写真ん料理のなんと美味しそうなこと!
肉、魚、野菜がじつに生き生きと輝いている。
どちらかというと煮込み料理が多い(タジン鍋でつくっている)のだが、シンプルななかに、スパイスやハーブが匂い立つようだ。
写真を見るだけで料理にパワーがあるのがわかる。

このパワーというのは、私はとても大事なことだと考えている。
食べるというのは、肉や野菜などの命を頂くということ。
だから命のエネルギーが感じられない料理は、ちっとも美味しそうには思えない。
最近友人と、我が家の近くに最近できた、有名美術家がプロデュースし東京のこれまた有名レストランで修業したシェフという触れ込みの「S」というレストランに食べに行った。
とても美しく飾られた料理は味も悪くない。最初から最後まで和と洋が組み合わされてどこと言って文句のつけようはないのだが、あの料理には全然エネルギーが感じられなかった。
食べものを食べて、元気になるという印象がないのは、どこか何かがまちがっているとしかいいようがない。
料理は食材を料ずるのだから、繊細さは必要。でも繊細さだけDなく、どんなに細やかな料理にも豪快さがなくてはつまらないと思う。その豪快さがパワーなのだから。
あの「S」というレストランにはそれがなかった。

でもこの本のモロッコの料理からは輝くエネルギーが伝わってくる。
こういうご飯を毎日食べていると、ハッピーになれるにちがいない。
料理のレシピがあるので、作りたい人はモロッコロ料理を試すことができる。
さいわい、材料は日本でも手に入るものばかり。

モロッコ、行きたい。
本の中に石釜焼きのパンがあるのだが、これを見れば、パン大好きのわが夫もモロッコに興味を示すかも。。
posted by 北杜の星 at 07:46| 山梨 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

大河内学+廣澤秀眞+明治大学大河内研究室「ルイス・バラガン読解」

建築には素人だが建物を見るのが大好き。
好きな建築家も数人いる。
その一人が、ルイス・バラガンだ。
メキシコという国の風土でなくては生まれなかった彼の建築は、なんといってもそのスケールだと思う。
とてつもなく大きく厚のある壁と色。
これほど日本の建築と真逆な建築もないのではないのではないか。
ライブラリーの新刊コーナーでこの本を見つけ、久しぶりのバラガンを楽しんだ。

GAという建築写真本が我が家にはあってどれもが素晴らしいものなのだが、ルイス・バラガンが紹さされているものはとりわけ美しい。
この家はルイス・バラガンの自邸だそうだ。
スケールを表すためか、大きな壁面の前を歩く馬と人いる写真は有名で、この本にも載っている。
建築家の設計した個人住宅のなかには、「こんな家に住んでみたい」と思う家もあれば、「一度だけでいいから見学したい」と思う家がある。
住んでみたい家の代表はスイスにあるル・コルビジェ設計の「母の家」だ。
湖に面して大きな窓が開き、必要最小の空間をそうは感じさせない回遊できる家。
住むとさぞ心地よいことだろう。
見てみたい家の代表がルイス・バラガン自邸である。
そこに住むにはエネルギーが必要そうで、私にはとても住めそうもないが、でも見てみたいなぁ。

ルイス・バラガンの家を見学するツアーなるものがあるらしい。
だから見学は夢ではないし、個人で見学予約して行くことだってできる。
でも多分、一生行けずに終わるんだろうなの予感があって、ルイス・バラガンは夢の夢なのである。
「空間の読解」とあるが、建築の素人の私にはむつかしいことはわからない。
ただ見て、美しさにうっとりするばかりだ。

メキシコにはもう一人、私の大好きな建築家がいる。リカルド・レゴレッタ氏だ。
もう十数年前になるだろうか、私の夫があるパーディでレゴレッタ氏に会い、持っていた彼の特集本に載っていた家を指しながら「この家が一番好きです」と言うと、レゴレッタ氏ははにかみながら「これは僕の家です」と答えたそうだ。
だけどやはり、ルイス・バラガンのスケールはレゴレッタ氏とはまったく異なるもので、とにかく圧倒される。

私がいつも見たい、見て感動するのは、ローマのパンテオン。見るといつも涙が出てしまう。それは美しいものを見た人間の自然な涙だと思う。
それとこれもイタリアのペルージャの丘の上にある古い小さなサンタンジェロ教会が私のお気に入りだ。
以前はドームの上の明かりとりは薄い大理石で、そこを通しての光がなんとも柔らかく素敵だったのに、数年前に行ったら何ということか、すりガラスに張り替えてあってとってもがっかりした。
それでもサンタンジェロの美しさには胸を打たれる。
こんな教会で洗礼を受けたら、きっと一生敬虔な気持ちを抱いて、生きていけそうな気がする。

ルイス・バラガン自邸は世界遺産に指定されているので保存はしっかりしているので、サンタンジェロ教会のような落胆はないだろうし、ないことを祈る。

posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする