2017年05月18日

小池昌代「黒蜜」

点字で読んだ本。
少し読むスピードが上がって、4巻にもなっている本だが20日間ほどで読了できた。
本はある程度の速度で読まなければ気が抜けてしまうので、速くなったのはうれしい。
先生は中途失明者の点字読スピードは、1ページ5分が目標とのこと。会話の多いスカスカな頁ならクリアできるが、ぎっしりと文章が詰まっている頁だと、6〜7分かかることもある。
まだまだですね。

さて、この小池昌代の「黒蜜」、印字本でも読んだことがある。
詩人である小池昌代らしい子どもを主人公とした短編集だ。
今回気がついたのだけど、14編の短編のなかの子どもたちは8歳という年齢の子が多い。8歳でなくてはならない作者なりの意図があるのだろう。

子どもにだって、孤独や倦怠や虚無を感じる心は持っているが、その幼さゆえに言語化ができない。
小池昌代はここでそうした子どもたちの代弁者となっている。だからとうてい子どもが使わないような言葉が出てくるが、つまりはこの本は子どもが主人公であっても、あくまで大人が大人のために書いた本ということだ。

素晴らしく面白かった!以前読んだときよりも何倍も心に沁みた。
どれもいいのだが今回は「馬足街」がもっとも印象に残った。
8歳の峰は小学校の早朝の掃除当番を光二郎と一緒にすることになった。
峰はだんだん大人っぽい雰囲気の光二郎を好きになる。
当番が終わる時、光二郎は峰に自分の住む地域にお好み焼きを食べにこないかと誘う。
そこは「馬足街」と呼ばれる「川向う」で、大人たちはその街のことをいつもひそひそ声で話している。
馬足街に行く途中には川にかかる「赤い橋」があって、そこで彼らは待ち合わせをする。
光二郎の自転車の後ろに乗って着いたお好み焼き屋は不思議な店だった。
大人が誰もいなくて、子どもたちが作り手と食べる側に交互になるというシステムだった。

お腹一杯食べ、作り、峰は満足して、光二郎にまた自転車で送られて家に帰るのだが、赤い橋を渡る時、今まで居た場所が本当にあったのか、またこれから戻る自分の家が本当にあるのかという想いにかられる。。
こちらとあちらを分ける赤い橋はまるで彼岸と此岸の結界のようだ。
恐ろしい幻想はでもどこか甘やか。

繊細な感性と上質な文章が相まって、本当に素敵な読書が楽しめました。
posted by 北杜の星 at 07:31| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

窪美澄「やめるときも、すこやかなるときも」

家具職人の壱晴は引退した師匠の哲先生から、工房と道具一切を引き継いで制作しているが、まだまだ注文があるのは自分のものではなく、哲先生デザインの椅子である。
彼は毎年12月になると、声を失う。
それは高校時代を過ごした山陰の松江で起きたできごとに起因しているようだが、彼は誰にもそのことを語ったことがない。
一方、桜子は家庭の事情で一家の経済を担っていて、これまで恋愛とは無縁の生活をしてきた。
ともに三十代なかばの彼らは自分たちの傷に向かい合い、少しずつ少しずつ気持ちを添わせてゆく。

これまでの窪作品と較べるとずいぶん静かな物語だ。
激しい想いやショッキングなできごとがあるにもかかわらず、「静か」と感じるのはなぜだろうか。
壱晴の閉ざした心のせいか?それとも桜子の臆病さのせいなのか?
でもこの桜子って案外思い切った行動にでちゃう女性でもある。
そこにある切羽詰まった感情が痛々しい。

大きな傷を抱えた人間を癒すことはできるのか?
その記憶を自分が上書きできるのか?
もしこの小説がハッピー・エンディングでなければ、あまりに切なすぎると思いながら読んだのだが、ちゃんと心がおさまる落とし方がされていたのでホッとした。

舞台は松江。
松江というと、お城(小さいけれど黒い天守閣は堂々として大好きな城だ)、小泉八雲、不昧公、そして宍道湖・・
この本にもあるが、松江は戦災を受けていないので町に落ち着きがある。
県庁所在地としては小さい町で、歩いて回れる規模。
茶の湯が盛んだったために、美味しい和菓子屋さんがけっこうある。壱晴もお松江の土産に和菓子を買って帰っている。
しかし松江の魅力はなんといっても宍道湖だと思う。
宍道湖はサロマ湖のような汽水湖だ。海水と淡水が混じる湖で、ここのしじみを食べたら他のしじみは食べられないほど味が良い。
宍道湖の夕日は有名だが、湖に沈むあの大きな大きな赤い夕日が毎日見れるなら、ここに住んでもいいなと思うくらい見事なもの。
島根って地味な県だけど、いいところがたくさんある。
この本を読んだら、今すぐにも行きたくなりました。
posted by 北杜の星 at 07:23| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

鎌田實「検査なんか嫌いだ」

鎌田實先生のことはかなり知られているが、その経歴をここでおさらいしたいと思います。
生年は1948年、全共闘運動を経て、長野県茅野市にある潰れかけた市立諏訪中央病院に医師として赴任した。
同じく全共闘の指導的役割を担っていた今井澄医師とともに、病院再建に力を注いだ。常に地元の人たちと歩む医療を目指した。それは佐久病院の若月俊一の姿勢と似るものだったと思う。
今井は東大紛争の際の罪で服役し、後に院長となるが、1988年に院長を鎌田實に譲る。
鎌田先生のその後の活動はみんながご存じのとおり。チェルノブイリ原発事故の被ばく患者の医療支援をしたり、イラク戦争後の難民たちの支援を続けている。
著書もたくさんあり、メディアの登場も多い。

私が鎌田「先生」と呼ぶのには理由があって、茅野市の蓼科に家を持っている頃から諏訪中央病院にはお世話になっているからだ。
鎌田先生の診察を直接受けたことはないが、毎夏行われる「院内コンサート」などでいつもお顔を合わせていた。
(ちなみにこの諏訪中央病院の「院内コンサート」は素晴らしいもので、蓼科にはたくさんの音楽家が山荘を持っていて、ある地域は「桐朋村」とも呼ばれ、外国のオーケストラに所属する音楽家が夏休みで帰国したり、また齋藤記念フェスティバルのために集まった音楽家たちが無償で開くコンサート。もちろん患者さん優先だが外部の人たちも聴くことができる)。
その諏訪中央病院の先生なんだもの、鎌田實と呼ぶには坐りが悪く、鎌田先生と呼びたいのです。

鎌田先生は「検査は嫌い」だそうだ。
これにはそのことが書かれているのだが、ちょっと歯切れが悪い。
「嫌い」と「不要」は違うというニュアンスが感じられるのだが、それはそうだろう。諏訪中央病院の名誉院長として、「検査は不要」とは言いにくい。
病院では人間ドッグを含めて健診をたくさん行っているのだもの。
かくいう私も数年前に胃カメラ検査をして十二指腸潰瘍がわかり、ピロリ菌駆除をしてもらったし、夫は前立腺検査と喉の調子が悪い時に食道がんの検査もしてもらっている。
そんな病院だもの、はっきり「検査は効果がありません」とは鎌田先生も言いにくいだろう。

でも明らかに不要な検査や手術はあるらしい。
現在、前立腺がんチェックのための血液検査が行われているが、欧米ではその検査は前立腺がんになった患者の予後検査として使われているだけだと言うが、そうした日本だけの健診もじつは多いそうだ。
先生は、「値段が高い」「苦しい」健診はしないらしい。
そのかわりいつも自分の体に耳をすまして、セルフ・チェックを怠らない。
例えば毎日の血圧測定と一日2回の体重測定。それと適度な運動。これだけでかなりの健康維持派できるのだそうだ。
大切なのはとにかく「太らないこと」。鎌田先生は食べることがお好きなので特にこれに気をつけている。

それと余命が10歳くらいの場合には、もう癌手術は薦めないと言う。
80歳で胃の具合が良くない場合、検査をして癌が見つかっても、もし初期なら7〜8年はそのまま元気で過ごせる。
それを手術をして体にダメージを与えるとQOLが下がる。抗がん剤治療は老いた体には負担が大きい。
もし末期で見つかってもそれはそれでそれが「死期」だと先生は考えている。
それは私も大賛成。こういう医師がいる病院だからこそ、私は諏訪中央病院が好きなのだ。
それに鎌田先生は薬をやたら出さない医師でもある。

あの病院の上にある食堂のたん麺、地元野菜がたっぷりで安くて美味しい。八ヶ岳を見ながら食べるのが気持ちいい。
私はもし癌になっての終末医療は、諏訪中央病院の小さなホスピスで受けたいと思っている。
(鳥取の「野の花診療所」も希望だが、あそこって遠いものね)。

とにかく日本は過医療。このところだんだん改善されつつあるが、医師側もだが患者側の意識だって大切だ。国の医療費削減のためにも無駄な検査は受けないことだ。
鎌田先生の言うように、セルフ・チェック、セルフ・ケアをしながら、毎日を元気に暮らしたい。
(ただ、ピロリ菌除去については、若いうちに除去うしておけば胃がんのリスクがなくなるので、これはした方が良いのだとか)。

「検査がイヤなら、自分で健康を維持する覚悟を」
「健康は人生を楽しむ道具」

・・この二つのフレーズが胸に残りました。
それでもそれでも、人間は病気になるんですけどね。
その時の「覚悟」にその人の人間性が現れるのかもしれないと、心しなければ。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

小林せかい「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理有」

神田神保町にあるこの食堂のことは、なにかで知っていたが、詳しいシステムはこの本で知った。
これを書いたのは未来食堂のオーナーである小林氏だ。
未来食堂と名付けただけあって、そのシステムはこれまでにないユニークなもの。

この店はカウンター席のみの定食屋で、日替わり定食が一種類のみ。900円で提供している。
ここはオーナーの小林氏だけでまわしていて、従業員は誰もいない。
でもお昼時にはそれじゃぁ大変でしょ、と思ってしまうが、これが大丈夫なのだ。
50分食堂を手伝うと、1食分がタダになるのだ。
いつもはお客うさんとして来ている人が、今日はスタッフとして働く。報酬はその日の定食。
ずいぶん合理的なことを考えついたものだ。

うーん、だけど、うがった見方をすると、定食の原価は300円そこそこだよね。つまりは300円の報酬ということになってしまうのでは?
まぁ、お互いが納得していればそれで全然構わないのだけど。

50分を定食一食分で働く人のなかには、自分でその定食を食べずに、友人にプレゼントする人もいるという。
こういうのって、ちょっといい話。
だけどこの店、これだけでは終わらない。
もっと慈悲深く素敵な人がいるのだ。
自分でも食べず、友人知人にもプレゼントせずに、見知らぬ誰かにご飯を食べてもらう。
その無料食事券を店のドアに貼っておくのである。
ちょうど窮乏生活をしている人はその券をはがして使って、ご飯が食べられる。
なかには、本当のそうは困っていない人が使うかもしれないが、それはそれ、しかたない。
そういう善意がこの店で働く人にはある、ということ。

「ただめしを食べさせる食堂」というタイトルには、ちょっとひっかかる。なーんか、ゴーマン。
それにただめしを食べさせているのは、店ではない。店のオーナーではない。
働くお客さんが人間として上等なんですよね。
そうしたお客さん二負けないような人格の持ち主が小林氏なら、言うことは何もないです。
神保町の街で、未来食堂が繁盛してほしいです。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

門井慶喜「屋根をかける人」

1905年、一人のアメリカ人青年が滋賀県近江八幡の鉄道駅に降り立った。
商業高等学校の英語教師として赴任してきたのだ。
教師の仕事とともに彼にはキリスト教伝道師としてのミッションを強く持っていた。
彼の名は、ウィリアム・メレル・ヴォーリス。
この後、彼は日本に住み続け、日本に帰化し、日本に骨を埋めることになる。

英語教師はほんの2年でクビになってしまった。生徒たちからは慕われていたものの、仏教色の強い土地柄でのキリスト教伝道が学校側から嫌われたためだ。
しかしメレルには野心があった。
もともとが建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学も許可されていたのだが、故郷のコロラドから遠く、また体も弱かったため、建築家の夢を絶っていたのだ。
当時の日本はまだまだ西洋文化が根付いていなかった。メレルは日本に西洋建築で建物を建てたいと願った。
(彼の手がけた建築物は凄まじい数に及ぶ)。

メレルという人、敬虔なクリスチャンでありながら、「商売人」としての才能がとてもあったんですね。
近江という土地は江戸の時代から「近江商人」として名を馳せていたが、メレルにはその近江商人にも負けないほどの商才があったようだ。
彼の人懐こい人がらも幸いし、やがて注文がどんどんくるようになった。
顧客の紹介で、華族の娘と結婚したが、妻となった満喜子という女性はアメリカ在住9年の経験を持ち、子どもたちの新しい教育に意欲があって、メレルの良きパートナーとなった。

私は5年前くらいだろうか、この満喜子を主人公にした小説を読んでいる。
玉岡かおる著「負けんとき」という上・下巻の長い小説だったが、今回この本を読むことによって、メレル側と満喜子側からの視点で彼らの道程を知ることができて興味深かった。
華族がガイジンと結婚するには許可が必要だった時代に、価値観を同じくするメレルと結婚した彼女の勇気は、後のメレルの活動をも助けたようである。
ミッション学校を設立して、満喜子はその運営に心血を注いだ。

メンソレータムというハッカの匂いのする軟膏をご存知だろうか?
私の幼い頃は薬箱の中に、赤チンや正露丸などとともに、メンソレータムが必ず入っていた。ケガ、あかぎれ、肩コリ、頭痛などなんにでも効く万能薬だった。
そのメンソレータムの会社、近江兄弟社を設立したのも、メレルなのである。
ホント、商売が上手な人だった。
けれど彼も満喜子も建築やメンソレータムからの利益のほとんどすべてを、キリスト教伝道のために使ったのだ。私利私欲はまったくなかった。
そんな彼も第二次世界大戦中は近江八幡を離れることを余儀なくされて、軽井沢にひっそりと暮らさなくてはならなかった。
石炭も薪も手に入らない軽井沢の冬の寒さが彼の健康を害す原因になったようだ。

戦後、メレルが果たした役割はあまり知られていないが、マッカーサーに天皇制について進言した経緯はもっと知られてもいいように思う。
それに関して、メレルは天皇から京都御所に呼ばれ、直接謝意を表されているのである。
それから十数年後、当時の皇太子が正田美智子さんと知り合ったのが、メレルの設計した軽井沢テニスコートのクラブハウスだった。

近江は山陰、奈良とともに私の大好きなところだ。
現在でもあまり交通の便が良くないので、京都や奈良ほど観光地化していないのがいい。
見學すべきお寺が多いし、戦禍にあっていないため、メレル設計の建物もたくさん残っている。
白州正子の「かくれ里」をパラパラ見ながら歩いた大昔から、近江はあんまり変わっていないような気がする。
そうそう、この本でメレルがよく買っていた和菓子の種屋さん、いまも「たねや」として立派に美味しい和菓子をつくり続けています。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

小谷野敦「芥川賞偏差s値」

第1回から第156回まで、164作の芥川受賞作品を、小谷野敦が偏差値をつけている。
これは小谷野独自の偏差値であって、この判断が正しいかどうかは、読む人によって異なるのは当然だろう。
小谷野敦という人がかなり偏向しているし、まぁ、性格が悪いところもあって、公平とは言いかねる。
それを心して読めば、大いに楽しめるし、私は楽しみました。

小谷野は164作品全部を読んだのだろうか?読んでるのだろうね。読まなきゃ書けないから。
でもこれらの多くは、書評というよりも作家の人物評ではないかという部分がかなりある。
純文学作品ではなく、純文学作家の偏差値。
ここにはおそらく小谷野の個人的な作家に対する好き嫌いが含まれているような気もする。

芥川賞受賞作品は面白くない・・という持論を小谷野は持っているようだが、それは私にも首肯できる。
受賞作が必ずしもその作家のそれまでのベストとは思えない作品がとても多いからだ。
それまで数度候補になっているから、そろそろ賞を与えてあげようという感じが見え見え。
例えば、西村賢太は受賞作の「苦役列車」なんてちっとも良くない、「小銭をかぞえる」などの秋恵ものに較べると弱いと思う。それは小谷野も書いているとおりだ。
小野正嗣の「九年前の祈り」にしたって、以前候補に挙がったモノの方が幾倍もすぐれていると思う。
こういう賞の与え方はつまらないのではないだろうか。

「受賞作なし」の回もこれを見ると、かなりあるんですね。
出版界が好景気だった頃ならそれもいいだろうが、賞などは所詮がお祭りなのだから、現在のように本が売れない時に「該当作なし」にする必要はないと考えている。
なんでもいいから、あげればいいじゃないか。
その後のことはその作家の実力次第なんだもの。
それとこのごろの芥川賞は必ずしも「新人賞」ではなくなているのが、私には不満だ。
もう何冊も本を出している作家も最近は多い。
しかし、芥川賞はやはり新人に与えられるべきで、純文学の登竜門としての役割を忘れないでほしいと思う。

私は芥川賞受賞作品でもっとも評価していないのが、辻仁成、荻野アンナ、大道珠貴なのだが、小谷野もかなり低い偏差値を与えていて、溜飲が下がった。
42〜44くらいがまぁ普通というラインか。
50前後となるとかなり気に入っている感じ。
もっとも低いのは、誰とは書かないが、25というのがある。作品そのものというよりも、日本語からして問題のようだ。(でも日本人じゃないのだから、大目に見てあげてよ)。
偏差値の高いのは、青山七恵、李良枝(イ・ヤンジ)、村田沙耶香あたりが70台。イトヤマさんもまずまず高い。

でも、小谷野を偏向の人と書いたが、書いてあることは概ね間違っていないと私は思った。
堀江敏幸の項とか、遠藤周作の項とか、私はかなり賛同するな。
それって、私も偏向しているということ?性格が悪いということ?
小谷野敦と同じということが、なんか、褒められることじゃないような気がして、ちょっとへこんでいます。
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2017年04月04日

喫煙文化研究会「たばこはそんなに悪いのか」

「たばこはそんなに悪いのか」と開き直られると、「悪い」と答える人が大多数で、私もそのうちの一人。
肺がん、心臓や血管系の疾患などの原因になることが証明されている。
最近ではたばこを吸う人たでけに悪い害があるのではなく、「受動喫煙」が大きな問題となっている。
いかに「喫煙文化研究会」があれこれ書こうとも、「悪い」のは「悪い」のである。

しかし、たばこは合法的に売られているし、喫煙者が犯罪人なわけではない。
こう世間が「禁煙」一辺倒になって、喫煙者をまるで犯罪人扱いするというのは、感情論も入っているのではないかと思われるし、全部右に倣えとうのが嫌いな私なので、少しは喫煙者の意見も聞いてみようかと、この本を手に取った。
読んでいて、我田引水気味ではあるけれど、彼らには彼らなりの論理があるようだ。

そもそも喫煙が体に悪い、肺がんになるという根拠に彼らは疑問を呈している。
ここ20年以上は禁煙をする人が増えている。にもかかわらず肺がん患者も増えているのだ。、といいいうことはたばこだけが原因ではないのですはないか?
いろんな医学的統計が出されているが、統計のウソがあるのではないか?
「理系」の人間が医学的根拠だけで喫煙に反対するが、もっと「文系」でものごとを考えると、喫煙・禁煙に対して違うアプローチができるのではないか?

一所懸命に彼らなりのロジックを組み立てているのだが、ロジックとは言えないなぁ。
でも彼らの気持ちはわかる。つまりは現在の「禁煙ファシズム」に抵抗し、喫煙の自由を求めているのだろう。
駅のホームのガラスボックスの中で、必死の形相でたばこを吸っている人を見ると、「あぁ、そんなにまでして吸いたいのね」とかわいそうになる。
この本には受動喫煙に関しては、「分煙」で充分とああるが、それには反対だ。
だって煙は流れるもの、たばこの煙が嫌いな人は分煙では納得しないだろう。

ただこの本にはちょっと面白い引用があった。
健康のための医療介入ってとても多くなっている。やれ、塩分を少なくしろとか、コレステロールに注意しろとか、歩きなさいとか、このところは糖質を控えるようにとも言われるようになってきた。
これに関して興味深いデータがあるのだ。それは「フィンランド症候群」と呼ばれるもので、フィンランドの保健局が行った実験で、40〜55歳の健康な、しかし心血管系疾患になりやす因子をもつ社会的ステータスが同等な管理職1200人を600人ずつの2つのグループに分け、一方にはなにも健康アドバイスをしないで放置、一方には医師が健康管理やライフスタイルのアドバイスで健康介入するというもの。
どんな健康アドバイスかというと、禁煙、食事内容、運動など。そして4か月ごとに担当医を訪れて検査を受け、問題があれば高血圧や高脂肪血症などの薬をもらう。
放置された方は、健康調査票の提出のみ、なんのアドバイスも受けなかった。
15年間の観察結果がどうなったか?
総死亡数は、放置のほうが46人、介入されたほうが67人。(そのなかで癌死は、放置のほうが多いが)。

このデータをこの本で出したということは、「あんまり『健康に悪いから禁煙しろ』なんて言うなよ」と言うことなのだろう。
私に言わせれば、「元気でいたければ、なるべく病院へ行くな」と言うこと。むやみに検査したり薬を飲むなということですね。

説得力があったかどうか、それは読者に聴かないとわからないけど、たばこが合法である限り、吸う自由はあるはず。
禁煙を尊重してもらいつつ、喫煙も尊重できるような折衷案があればいいのだけれど。。
そうそう、あの養老孟司さんも愛煙家。彼は「喫煙可にはアルツハイマーが少ない。それはたばこが脳に直接効いているから」と帯に書いている。
それって本当?
posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

川上弘美「蛇を踏む」

「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。」

この冒頭の文章を読んだ瞬間、「これは絶対に好きな本だ」と確信した。
これが川上弘美を読んだ最初だったか、それとも「神様」の方が先だったかの記憶がないのだが、ともかく「蛇を踏む」の物語と柔らかな文章にはまってしまった。
今回のこれは点字で読んだ。
だから「蛇を踏む」は「ヘビオフム」といういわゆる、カタカナ表記のような字列で読んだ。
点字の本もこれが8冊目。少し慣れてきて、こういう作品をどう感じるか、自分でもちょっと実験ぽい気持ちがあった。

やはり、視覚より皮膚感覚のほうが鋭いのか、指が「ヘビ」の字に触れるたびに、体がそくっとする。
蛇はもちろん好きではないのだが、それともまた異なる感覚。
まるで蛇の冷たくぬめっとした体を触っているような。。
だからだろうか、ぐんぐんとこの幻想世界に引き込まれていった。

主人公の女性は教師を辞めて、仏具屋に勤めている。
そんなある日、蛇を踏んでしまった。
その蛇は人間の女の姿になり変わり、彼女の家に居ついて家事などをするようになるばかりか、自分を主人公の「母」だと言う。(母は実家にいるというのに)。
蛇と関わるようになってから、自分の周りに蛇の気配が多くなった。
仏具屋の数珠を作る女房は蛇に憑かれているし、取引先の寺の大黒は蛇である。
主人公の家に住みついた蛇は彼女に、蛇の世界に来るようにと薦めるのだが・・

不穏な空気が流れるが、前述したように川上弘美の筆があまりに緩やかなので、全身がその流れにたゆたう心地よさがある。
寓話と言ってしまえばそれで終わるのだろうし、こういう作風を受けつけない人もいるだろうが、私は大好き。
とにかく、すごい個性の作家が出て来たなと驚いたのだ。

これにはもう2編が収録さfれている。
「キエル」も面白かった。
団地に住むある家族は消えるのだ。そういう家系らしい。上の兄は見合い相手を置いて消えてしまった。
しかし家族の誰もが「平穏」のために、兄を探そうとはしないし、さして驚いているふうもない。
婚約者は次の兄と結婚するものの、どうやら彼女の家族は「縮む」家系っらしく、彼女も縮んでいく。。

これも「蛇を踏む」のように「絶対にあり得ない」物語を書いたものなのだが、「読ませる」んですよね。
これが小説の不思議なところ。
あとがきで川上弘美は自分はこれらを「うそばななし」と呼んでいると書いているが、「うそ」が小説世界では「ホント」を凌駕する。

もう1篇はあまりにも短い章に分かれていて、ちょっとパスしちゃいました。ごめんなさい。
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

金原ひとみ「クラウドガール」

昨年秋から暮れにかけての朝日新聞に連載された小説。
かなりエキセントリックな小説の始まりだ。この激しさで新聞読者を引き込もうという意図ならば、成功したのではないだろうか。

刹那的にストレートに生きる高校生の妹の杏。
マレーシア留学から帰ったばかりの大学生の姉の理有はとてもバランス感覚に富む聡明な女性。
彼女たちは二人で住んでいる。小説家だった母は2年前に突然死んでしまった。
母と離婚した父はフランスにいる。

タイトルの「クラウドガール」にあるように、現代社会のコミュニケーション手段であるsnsなどがふんだんに出てくるし、最新のダンスなどの若者t文化も出てくる。
けれど作品の底には、母と娘、姉と妹という人間のベースとなる家族間の関係性が横たわっている。
どんなに時代が変わっても、変わらないのが家族の愛憎なのか。

神経症的な母を支えるためにずっと家事や事務手続きを担ってきた理有。
理有に甘え頼りきっている杏。
しかしそう見える図式だけではないことは、すぐにわかる。(そうでなければ小説として成立しないものね)。
包容力を求めて求めて叶わなかった理有が、母を憎むのではなく同化しようと生きてきたことの苦しみ。
チャランポランでいるようで周囲のことは案外しっかり見ている杏だが、ボーイフレンドの浮気をいつも許してしまうのはなぜなのか?
いつものかな原ひとみらしく、ヒリヒリとした感情がもつれあう。
とくに女性たちの感情の層の重なりは複雑で、それに較べると登場する男性たちのなんと単純なこと。

えーっ、こんなラストなの?!という終わり方に唖然慄然としてしまったのだが、納得はできた。
これ以上の不安定感は読んでいても苦しい。
杏と理有の10年後、20年後を知りたい気がする。
男たちは立ち位置は変わろうとも何も変わらないような気がする。杏のボーイフレンドは他の女性と結婚しても相変わらず浮気していそうだ。
でも、杏と理有はまったく違った人間になって違う人生を歩んでいるのかもしれない。
posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

小林弘幸「ゆっくり動く人生がすべてうまくいく」

助手席に私が乗るやいなや、まだドアを閉めていないのに車を発進させる、せっかちな夫。
そんな夫を怒ってどなる、短気な私。
そう、私たち夫婦は「ゆっくり」とはほど遠く、いつも「速い」ことを旨として暮らしている。
歩く、話す、食べる・・なんでも速いんです。
私たちのまわりにも、どちらかというとせっかちでキビキビ動作の人が多い。
ただ一組だけ、「ゆっくり」夫婦がいるかな。
とくに男性の方は、食べるのも話すのも、すべてがスロー。
もう次の話題に移っているのに、「あれはぁ、どういうこと?」と前の話をぶり返したり、そのスローぶりがカワイイ。
そういう男性にはやはり、ゆっくりの妻がいて、お互いにイライラしないようにうまくいっているのが、おもしろい。

この本の著者は順天堂大学医学部教授。スポーツ・ドクターとして有名アスリートやアーティストなどのコンディション指導をしている。
ゆっくりを提案すると、彼らのパフォーマンスは向上するという。
そのことは小林先生自らの体験にも基づくもので、以前はセカセカと動いていたが、ゆっくりにしてら、すべてがうまく運ぶようになったそうである。

ゆっくり動けば、副交感神経が張り出して、疲れ知らずの体と心になる。
現代日本人はいつも交感神経の日々を送っていて、それがストレスや病気の原因になっているらしい。
しかし動きのリズムを変えるのはそう簡単なことではない。
これまで何十年もの間の習慣だだらだ。

まず、「話す」ことからゆっくりを始めてみようとのこと。
うーん、私はけっこう早口だなぁ。
それにゆっくり喋る人の言うことを聞くのも、どうも苦手。
例えば、皇室の方が記者会見などで話すあの「ゆっくりさ」に耐えかねる。
なんであんなにスローに話さなきゃいけないの?思っていることの半分もあれじゃぁ、話せないんじゃないの?という感じ。
まぁ、私が上品ではないということか。

「ゆっくりにすると、人生がうまくいくんですって」とこれを読んで夫に言ったら、彼は「今のままで充分うまくいってる」とノタモウタ。
アクティヴな友人も「ゆっくりだと、かえってイライラするよ」と言っている。
小林先生、どうしたらいいですか?
posted by 北杜の星 at 07:29| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

垣谷美雨「農ガール、農ライフ」

派遣切りになって帰宅した日、久美子は同棲相手から、恋人ができたので別れてほしいと言い渡された。
これからどうやって生きて行けばいいのか、33歳の彼女は悩んだ。
テレビで就農ガールを取材しているのを見て、農業をしてみようと決意。

上野から急行電車で1時間半、そこからバスというところにある、大学時代の友人の母親が経営するアパートを借りて、近くの農業大学校の新規就農コースで半年間学ぶことにした。
けれど学校を終えても、肝心の農地を貸してくれる農家はない。
あったとしてもすごい傾斜地や日当たりの悪い土地や家畜の糞の捨て場だったり。
かなり迷っていたときに知り合った一人のお婆さんの世話で、やっと優良な土地が借りられることに・・

最近、農業女子が増えて来たという。
私の住むここ八ヶ岳南麓にも、そうした農業をする女性たちが住んでいる。地元の人ではなく、都会からの移住者たちだ。
恵泉を卒業して一人で野菜を作っている女性、3・11以降ずっと自分の作った野菜を福島に送り続けている女性もいる。
私がいつも行く自然食品店には二種類の玄米を売っているが、一つは母娘の田んぼ、一つは三人の女性がそれぞれの田んぼで作って一緒に販売しているものだ。
どちらも完全無農薬栽培である。

機械を使うから非力の女性でも農業はできる・・そう言えるかもしれない。久美子だってそう思った。
でもどんなに機械が入ろうとも、農業はやはり大変。重いものを持つことは多いし、まっすぐはいいとしても機械を反転させるときに力が必要となることもある。
暑い夏の草刈りだけでも気が遠くなる作業だ。
ましてや有機農法や自然農法での作業は、体力も忍耐力もなくてはできない。
それでも、これから農業を始めたいという人たちは女性だけに限らず、体にも地球にも安心安全なやり方で作物を育てようとしている。

この本には意外にも農作業そのものの描写が少ない。
むしろ現在の農村や農業が抱える問題が扱われている。
なぜ農家の人たちは新しい就農者に農地をかしたがらないのか?
農業大学校で習うのはほとんどが有機農業だったのに、卒業して農業委員会の説明では、「有機農業はしないように」ときつく言われてしまう。
彼らは有機農業を趣味ととらえているようなのだ。
栃木がいちご、淡路島が玉ねぎというように、作付けの品目を特化したいらしい。そのほうが指導しやすいからだ。
そしてそういう作物ならば、販売ルートも確保いしてくれるのだ。

志が高くても、なかなか思うようにはできない。
独身女性でいるということだけで周囲から信用されずに、婚活パーティへの参加を薦められる。
「33歳は賞味期限ギリギリだ」と。

この本の中で久美子に土地を世話してくれるお婆さんの言葉が印象に残った。
彼女は何十年も農業をしていて、春大根は50回育てて来た。
50年の経験というとずいぶん長いようだが、お婆さんはけっしてそうではないと言うのだ。
例えばラーメン屋なら一日何十杯ものラーメンを作る。一年で1万回も作ることになる。
農作物は時間はかかるが経験としてはたった50回、それほど多いものではないのだ。だから一生懸命にしなくてはいけない。

。。こういうふうに考えたことはなかったな。
謙虚に真摯に仕事をすることは、どの世界にも通用する。
久美子の作る野菜、さて、どうなったのか?
一気に読めたこの本、でももう少し農作業そのものが描かれていると良かったと思う。だってそれこそが久美子の「仕事」なんだから。
周辺事情が農ガール、農ライフの高い壁になってるのはわかるけど、久美子の仕事は農作業なのだから。
それがちょっと残念。
posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

ケイト・アンダーセン・ブラウワー「使用人たちた見たホワイトハウス」

恥ずかしながら私、この本を覗き見的に読見始めた。
歴代大統領とその家族のエピソードの生活の裏側が、面白おかしく書かれているんだろうと。
たしかにここにはたくさんの彼らの知られざる日常が紹介されているのだけれど、悪意あるすっぱ抜きのようなものではまったくない。
ホワイトハウスで働く誇りと歓びがそこかしこに感じられ、心が温かくなる。

アメリカ大統領といえばまず思い浮かべるのが、ジョン・F・ケネディ大統領だ・
この本の始まりはケネディのダラスでの襲撃により暗殺されるところからだ。
ケネディ一家から家族の一員のように信頼されていたドア・マンのブルースの事件後数日のことが、ブルースによって語られている。
どれほどブルースが一家から信頼されていたかは、ケネディ大統領夫人のジャクリーンがブルースに、事件のすぐ後に「これは、あなたに持っていてもらいたい」と、事件直前まで大統領が着用していたネクタイ(事件のときケネディの上着のポケットに入っていた)を、渡しているのをみてもわかるだろう。

お忍びでホワイトハウスの中で数々の女性とアヴァンチュールを楽しんだケネディだが、使用人たちはそれをそっと黙って見ていた。
ホワイトハウスの使用人は口が固いことを要求されるのはもちろんだが、常に平常心を保つことも求められていた。
それでもケネディ大統領暗殺には、いかにみなが衝撃を受けたかが痛ましいほどわかる。

私がホワイトハウスを最初に意識したのも、ケネディ大統領の時だった。
大統領執務室の机の下で遊ぶ息子のジュニアの姿に驚いたことを思い出す。
何に驚いたかというと、当時の日本の政治家たちはみんな年寄りのおじいさんばかりだった。それがアメリカでは、小さな子どものいる若いひとが大統領になったことへの驚きだった。
アメリカって、なんて素敵な国なんだろうと(その時は)単純に思ったものだ。

6階建て 132の部屋、35のバスルーム、28の暖炉、3基のエレベーターをもつホワイトハウス。
これを大きいと思うか小さいと思うか?
私は小さいなと感じた。
もっともっと大きな場所に住む世界の権力者はもっといると思う。
事実、ホワイトハウスを訪れたヨーロッパのある王族の一人は、「ここはハウスなんだね」とその規模の小ささを述べたそうだ。
確かに、王族貴族が住む「パレス」とは違って、意外に小ぢんまりとしている。

悪役ニクソンや地味なジョンソンとそのファースト・ファミリーにはあまり興味がなくて、読み飛ばそうとしたのだが、読んでみると面白いんですね、これが。
当たり前だけど、どんな大統領にも家族がいて、そこには悲喜こもごもの日常があるからだ。
それにしてもホワイトハウスの使用人たちの忠誠心の大きさには感嘆してしまう。
だからこそ歴代大統領たちの絶対なる信用を勝ち得たのだろう。
前述のブルースもそうだが、使用人には黒人が多い。自由民権運動後のアメリカを象徴している。

任期を終えた大統領一家が去るということは、これから新しい大統領とファースト・ファミリーがやって来るということだ。
どんなホワイトハウスになるのか、使用人たちには不安もあれば期待もあるだろう。
人間だもの、好き嫌いや得手不得手がないわけはないけれど、彼らの忠誠心はアメリカという国に対してでもあるから、そこはそれなりにやっていけるのだと思う。

緻密な取材を重ねての著作で、びっしりぎっしり文字がつまった、かなり読み応えのある一冊だった。
もちろんゴシップめいたお話もあって、ヒラリーがクリントンの頭を本で殴ったこと、そのヒラリーが娘と食事ができるのならば、先約をキャンセルするのを躊躇しなかったとか。。
・・知られたく一面が、ポロリと漏れるのはまぁ、仕方ないことかも。


posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

小林美希「ルポ 介護の質」

こういう本を読んで社会の実情を知り、それをしっかり受け止める方がいいのか?
そんなことは知らずに極楽とんぼを決め込む方がいいのか?
どちらが幸か不幸か?
どちらにしても現実は「病気になんかなってらんないよぉ」という厳しいもの。今でさえ医師不足、看護師不足、介護士不足が言われているのに、私のような団塊世代が後期高齢者となる7〜10年後にはいったいどうなるのか?
想像するだにオソロシイ。

病気で入院しても、すぐに退院を迫られる。ましてや老人をいつまでも置いておいてはくれない。
それは病院の方針だけでなく、国の指標だからだ。
国の医療費を抑えなければ今後の超高齢化社会では、にっちもさっちもいかなっくなるから。
75歳以上の健康保険料を値上げしようという動きもでているけれど、だからといって、医療や介護がそれで改善されるとは思えない。

仕事熱心な看護師が入院患者の世話をしようとしても、それが許されない時代である。
一人の患者に時間をかけると「仕事が遅くてできないヤツ」と評価されてしまうのだ。
人員を足らないのでナースコールが鳴っても出ないこともある。
看護師だけでなく医師だって足らないため、本来は医師のする仕事を看護師がしなくてはならない。。

病院を出て介護施設に行っても、そこもやはり同じことが起きている。
ちょっと問題のあるお年寄りはベッドや車いすに拘束され、食事介助が大変なので胃ろうにというこだって起こりうる。
そして施設は姥捨て山化する。
もちろん世の中には「これではいけない」と志の高い医療関係者はいる。救急医療や周産期医療のチーム医療に取り組む医師や看護師もいるのだ。
しかし政治と医療界の癒着がそれを阻む場合があるようだ。

医師や看護師や介護士たちは劣悪な労働条件下で働いているので、疲れきっている。これでは医療事故が起こっても不思議ではない。
彼らの環境をよくすることはできないのだろうか?
もし労働条件が改善されれば、あまりに仕事がハードで家庭と仕事の両立が出来ずに辞めた看護師たちの職場復帰が可能になると思う。
看護師だけでなく女性医師も育児のために仕事を中断する人がいる。(私の知っている女医さんもそうだ。)
医師や看護師は職場を離れるのはとても不安だと聞く。日進月歩の現場に、はたして復帰できるのかと。
中断しなくてもよい職場をつくるのは無理なのか?

外国労働者を介護の現場に引き入れようとしている。それも大いにけっこうだ。
しかしそれならば彼らに日本人と同じ条件で仕事をしてもらい、社会保障もしっかりつけてあげるべきだ。
使い捨てにしてはならない。

この本の著者はジャーナリストとして素晴らしいるボルター十を書いたと思う。
取材の苦労を想像すると、ますますこの本の重要性がわかる。
医療とはなにか?その根本を問い、これからの医療を見通すための一冊として読んでみてください。
誰もが老い、死ぬんですから。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月02日

小泉今日子「黄色いマンション 黒い猫」

キョンキョンこと小泉今日子もはや50歳。
新聞における彼女の書評をときどき読むが、自分の感情感覚を素直に表現するその文章にはいつも驚くくらいの瑞々しさがかある。
この本は書評ではなく、彼女のまぁ自伝みたいなものかな。
帯文に「今だか書けること、今しか書けないこと」とあるが、10代半ばでデビューしずっと一線で頑張ってきた彼女の「これまで」が書いてある。
とくに彼女が10代の頃、一人で原宿に住んでいた9年間が軸となっている。

洋楽しか聴かない私はほとんど日本の歌を知らないので、小泉今日子というひとのこともほとんど知らないが、それでも彼女がアイドルだったことは知っている。
アイドルは一時の仇花のようなもの。ある時を過ぎれば消えてしまうか、他の方法で生き残ることが大部分の使い捨て。
それほど後から後から新しいアイドルが作り出される仕組みになっている。そうしなければ芸能界は衰退してしまう。
だからアイドルはいつも超多忙。
そんな彼女も高校の学業と仕事を両立させるのはとても難しいことで、いつも疲れていた。
けれどそういう彼女のことをしっかり見てくれていた大人たちが彼女の周囲には居た。彼らは小泉今日子という女の子を「この子は学校へ行かなくても大丈夫」と判断し、高校を中退することを薦めたのだった。
そして彼女はそれに従った。

学校は退屈だった。勉強も優秀ではなかった。
でも学歴がないのがコンプレックスにならないように以来、学習ドリルなど必死に一人で勉強したそうだ。バッグにはいつも辞書を入れていた。
本もたくさん読んだ。わずかな時間を見つけては喫茶店に入り、文庫本を広げた。
ある喫茶店でそうして本を読んでいると、奥の方に坐っていた若い女性が店を出るときに、そっと彼女ののテーブルに紙片を置いた。
その紙には「あなたにもこんな時間があることがわかってホッとした。これからもがんばってね」とあった。

デビュー前の友人や家族たち(姉二人と離婚した両親)、住む場所がファンにわかるたびの引っ越し、飼い猫、羽がないのにビルから飛んでしまったアイドル・・
彼女の「これまで」を読むと彼女のバランス感覚の良さが伝わって来る。なんというか「損なわれていない人」という印象だった、
周りの人に恵まれるにはそれなりの材料が人間としてあるからだろう。それがしみじみ伝わって来る。

別の意味で私にはこの本、面白かったんです。
それは彼女が原宿に住んだ当時の原宿を私がよく知っているから。
一緒になる前、夫が神宮前に住んでいたことがあるのだ。
彼女の書くように「原宿」という住所はずいぶん前から消滅して「神宮前」となっているのに、いまだに「原宿」は「原宿」だ。
35年くらい前の原宿にはこの本に書いていあるように、「カフェ・ド・ロペ」があったし「キーウェスト・クラブ」があった。
黒いインテリアの「レオン」もあったなぁ。大人のお洒落な街でモリハナエ・ビルはキラキラしていたけど、あれはもうない。
でもバブル期の前、まだまだ表参道を一本入ると、そこは静かな住宅街だった。
小さな八百屋さんがあったり、銭湯があったり、かき氷屋さんがあったりした。
今は有名なサンドウィッチ店の「バンブー」はまだ普通のお家だったんですよ。ちょっと素敵な洋館だった。
表参道の明治通りに近いところに、老夫婦がやっている小さな鰻屋があって、夫も私もそこの鰻が大好きだったのだけど、いつのまにかなくなってしまった。
鰻屋だけではない。たくさんの小さな個人商店がつぎつぎに消えていった。

キョンキョンにとっても青春回顧の本かもしれないが、私にも若い頃が蘇る本でした。
素敵な文章感覚をもつ彼女の「これまで以上に期待します!(絶対に単なる、芸能人本ではありませんよ!)
posted by 北杜の星 at 07:52| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

木内昇「光炎の人(下)」

上巻の読後感が覚める前に下巻が届いてよかった。
あまりに時間を置くと、なんだか気が抜けるんですよね。
(不思議なことに、上巻を読まないうちにライブラリーに下巻を予約する人がいて、あれは困りものです)。

徳島の貧しい農家の三男坊に生れた音三郎は町に出て煙草葉刻みの工場の職工となる。
電気の可能性に心ひかれ、技術を高めたいと熱心に彼なりの研究に没頭するようになる。
そんな彼は職場を代わり、そこで教えてくれる先輩やライバルとなる技術者に出会う。
当時の社会は日露戦争後の高揚感がしぼみ、満蒙侵略の足音が大きくなっていく。・・というのが上巻。

音三郎は業界の実力者の推薦で、東京の軍部所属の研究機関に学歴を詐称して技術者として勤務することになる。
そこでは彼が望む無線機開発に没頭できたのだが、商品化には至らない。
大手会社に先を越されたり、四国時代のライバルの開発した製品が海外でも売られたりして、音三郎の焦りは大きくなるばかり。
そんな彼にやがて満州派遣の話が。
満州には彼の幼友達で軍に入った利平がいるのだったが・・

音三郎はどこで間違ったのか?
町工場に居る頃の彼は確かに、技術は人に役立つものとの信念があったはずだ。
それが技術開発がなににも優先する一義となって、人を忘れていった。
ひどく下品ではあるが叔母を見放したり、恋人を捨てたり、自分に面倒なことすべてを冷酷に切り捨てるのだ。
しかも音三郎はそれに何の疑問も持っていない。
とにかく技術、技術、研究、研究なのである。

なんのための技術かを音三郎は忘れてしまった。
そこには彼の欲望しかない。
それは科学の進歩というものの課題でもあるのだろう。
科学とは何か?技術とは何か?を考えさせてくれる作品だが、自業自得とはいえ音三郎の哀れさが痛ましい。
驚愕のラストである。

満州侵略の日本軍の歴史がよくわかる。
海軍と陸軍の軋轢などを読むと、「そんなことで軍同士が争ってどうするの」と暗澹たる気持ちになってしまう。
あんな軍部が国民のことを忘れて戦争していたのだから、勝てるわけがないし、そもそも自分の国に資源がないから他所の国の資源をと侵略するのは泥棒行為というしかない。
元同僚の信次朗や研輔、東京での大家の島崎老人の見解を聴いても、音三郎は理解できなかった。
彼らの言葉はとりもなおさず作者の木内昇の言葉なのだと思いながら読んだ。
でも恐ろしいのは、この社会の原理が今現在も、原発や紛争となっているのだからやりきれない。

木内昇の力作です。
posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

木内昇「光炎の人(上)」

ライブラリーで借りて読んでいるので、上巻を読み終えても下巻がまだ届かない。そのため上巻をここでまずご紹介することにします。

木内昇は大好きな作家だ。
彼女(昇という名前ではあるが女性です)の作風は大きく二つに分かれる。
一つは「茗荷谷の猫」や「よこまち余話」のような、どこか幻想的な作品で、私はこちらのほうが好みなのだが、もう一つのいわゆるしっかり資料を積みつつ書くストーリーで読ませる小説も、読ませどころがしっかりしていて悪くない。
「光い炎の人」は明治から昭和の初めにかけての物語で、「技術とは何か?技術者とは何か?」というテーマが重苦しいほどに迫ってくる力作。

時は明治。四国徳島の寒村の三男坊に生れた主人公の音三郎は、他の兄たちとは何かにつけて秀でていた。父も彼にはどこか遠慮がちだった。
煙草栽培をする農家は貧しく、音三郎は口減らしのために近くの町の煙草の葉を刻む工場に、職工として勤めることになった。
朝早くから晩遅くまで働かされながら、音三郎は絶えずより効率よくよりよいものを作り出すことを考え、すくない給料を貯め自費で材料を調達して、機械の試作品作りに励んでいた。
そんな彼は「電気」を見て以来、これからの世は電気だと直感、とくに無線にのめり込むようになる。。

音三郎の志は高かった。
そこには金銭欲や名誉欲ではなく、ひたすら技術をを高めたいという意思と意欲だけがあった。
しかしその意欲が優先し、ともすると人間に対して酷薄になってしまうこともあった。。

音三郎をとりまく人々も魅力的だ。
品のないミツ叔母、幼馴染で同じ工場で働く利平、音三郎に技術を教える研輔、音三郎のライバルの金海・・
日露戦争、社会主義活動と大逆事件など当時の日本の社会情勢も加わって、重厚感が醸し出されている。
理系に強い人なら、音三郎の開発する技術が理解できるだろうから、より楽しめると思う。

だんだんときな臭くなる日本が進もうとする方向に、音三郎がどう関わるのか。
下巻が待ち遠しいです!

posted by 北杜の星 at 07:52| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月14日

海上保安協会監修「海上保安庁のおいしい船飯」

海上保安庁の仕事って、知ってるようでよくわからない。
海難事故が起こった時の救助や、怪しい外国籍船舶を見はったり、まぁ海の警察かなというくらいの知識しか私にはない。
ましてや海上保安庁の巡視船の乗員が船上でどんな訓練をしていて、どんな食事をしているのかに考えが及んだことがなかった。
だけどこの本を見て、彼らの仕事ぶりと船上ご飯がどういうものかわかった。
ご飯に関して言えば、「まぁ、なんて美味しそう!」と羨ましくなるものだった。

けっして豪華な食事ではない。
昔の日本海軍の食事は陸軍のそれと較べると、格段に上等だったと聞くが、海上保安庁の「船飯」は別に贅沢というわけではない。
肉体労働(船上での訓練などがある)で、若い人たちの空腹を満たすため、ガッツリ系の丼ものや一皿料理がほとんどだ。
メニューを考え料理をつくるのは、保安官自らだ。
この本には日本全国の巡視船の料理レシピが紹介されている。

海上保安庁が所有する452隻の船艇のうち、巡視船、測量船約200隻に料理人を務める主計士が乗っているそうだ。
彼らが20〜30人分の食事を担っている。(主計士は料理もだが事務畑の仕事をしている)。
船それぞれに「伝統的」なレシピもあるみたい。
牡蠣や海老、海鮮たっぷりブイヤベースなどあるけど、まさか、船上で釣りをしているわけではないですよね。

ちなみに人気ベストテン・メニューは、
牡蠣天丼、スタミナ麻婆焼きそば、ローストポーク オニオンソース、えび玉丼、ビーフストロガノフ、鶏肉のチャーシュー、桃の節句のちらし寿司、焼き豚風煮豚、奄美の鶏飯、軟骨あぶりソーキそば&ジューシー。

バラエティに富んでいる。
桃の節句のちらし寿司というのがカワイイ。
海上保安庁の船には女性も乗っているそうで、彼女たちのためのメニューなのかもしれないが、男性たちもみんな好きなんですね。
みんん好きといえばカレーも大好物のようで、カレーだけで12修理のレシピが紹介されている。

こういうエネルギーいっぱいのご飯を見ていると、こちらまで元気になってくる。
いっぱい体を動かした後のご飯が不味いはずがない。
しかも同僚が一生懸命作ってくれるご飯である。それをみんなで食べるのだ。いいなぁ。

30人分のレシピが4人分の材料に書きなおされているのは当然なのだろうが、でもきっと、何かが違うような気がする。
こういうご飯が美味しいのは、たくさん作るからなんじゃないだろうか。
100人となったら、それはまた別の話し。20〜30人分というのが、ちょうど良い人数分ではないかと思う。

東京で私がお世話になっていた美容師さんのお嬢さんが、海上保安庁の船に勤務していた。
彼女はそういう海関係の高校に行って、海上保安庁が第一志望の就職先だったのでとても喜んでいたそうだ。
彼女もこういう「船飯」を食べて、たくましく仕事をしているんだな。

毎日船に乗っていても、海が荒れると、船酔いする人がいるらしい。
船に弱い私たち夫婦はとてもとても働けない現場だ。
海上保安庁のことが少しはわかって、楽しい一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:02| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月12日

川上弘美・町田康ほか「まるまる、フルーツ」

河出書房新社の食べものアンソロジー・シリーズはこれまで「お肉」「ラーメン」「パン」「お鍋」「朝ごはん」などが編集されているが、新刊は「フルーツ」。
ほんの2ページほどの短い文章だが、著者陣はなかなか豪華。
村上春樹、島田雅彦、三浦しをん、江國香織、辻村深月、堀江敏幸、角田光代などの「今」の作家たちも多いが、ちょっと昔の物故作家、武田百合子、向田邦子、檀一雄、森茉莉、内田百閧ネどの文章には味があって、読むのが楽しい。なかでもめずらしく小沼丹があってうれしかった。

いちご、さくらんぼ、枇杷、八朔や夏みかん、桃、りんご、メロン、すいか、マンゴー、ぶどう、梨・・
だいたい果物の季節順にエッセイも並んでいるのだが、案外に桃を取り上げている人が多いのは、桃好きが多いということか?
なかでも町田康はかなりの桃好きのよう。「地下鉄のなかで、桃を食う。手も服も、身も心も。」というタイトルのなかには、そういう場面は書かれていないのでホッとする。
想像しただけで「ぅわー」となりますよね。地下鉄のなかで桃なんて。

あまり自分の家族のことを書かない川上弘美が柑橘類の皮を剥く実家の母と、それを食べる父や弟や自分のことを書いているのに意外な感じがした。
そしてその文章は、なんだかとっても素直というか自然体。
彼女の文はどこにも力が入っていないふうに感じるが、それは作家のテクニックで、非常に考え抜かれた文なのだが、そうした作為の印象がここではまったくないのだ。
読んでいて新鮮だった。

私はくだもの王国の山梨県に住んでいる。
東京に居たころとは較べものにならないくらいの果物を年中を通して食すようになった。
さくらんぼはある知人が見事な一箱を下さる。
今年ある友人が山梨県産の一粒500円なるさくらんぼを食べたと自慢していたが、歳をとるごとに佐藤愛子化する私は「なにっ、一粒500円のさくらんぼだと!」と怒り心頭になる。
なぜそのようなサクランボに需要があるのか?誰が買うのか?
日本では果物が大型で美しいのが価値があるとされ、途方もない値段がついているが、そういう豪華さを果物に望む人がいるのが信じられない。
そう思いつつも、一粒500円のさくらんぼの味やいかに?と食べてみたい気もする私がますます許せないのだが。

桃は生産者のところに買いにいくし、スイカは今年ずいぶん頂いた。ブルーベリーはいつも群馬の友人から送られてくる。もうすぐ夫の好きな柿。そんなに食べるとお腹が冷える世と言うくらい食べるので心配になる。
11月終わりには南信の松川の林檎園に友人たちと林檎を買いに行く。これはこのところの恒例行事となっていて、自宅用には自宅用やハネで充分。
その林檎は約2カ月足らずで終わりになる。そうしたら今度は北信の中野の林檎となる。
この信州中野の果樹園ではもう60年も前から徐草剤なし、農薬は可能な限り少なくしてつくっている。
だから数がないので自分たちだけでそっと食べる。
林檎になる前にはこの果樹園の洋梨が自然食品店にやってくるのだが、これがめちゃくちゃ美味しいのだ。
小さくて皮もゴツゴツ、色も悪いのだけど、味は素晴らしい。夫はここの洋梨しか食べない。
これも生産量が少なくて、期間も短くて、ボヤボヤしていると逃してしまう。

桃も好き、ぶどうも好き、林檎は年々好きになる。
でも私がもっとも好きなのは、無花果なのだ。
それも広島市の西の高須とか古江というところでつくられている希少な無花果。
愛知県は無花果が有名だが、私に言わせると広島の無花果はあんなもんではない。
一度秋に友人と広島を旅行した際に、無花果があまり好きでないという彼女に食べさせてあげたことがある。
彼女は「無花果って、こんなに美味しいものだったのね」と感激していた。それ以来東京でときおり無花果を買うらしいが、あの味には出会えないのよ寝えと嘆く。
懐かしいなぁ、死ぬ前に食べたいものは?と訊かれたら「広島の無花果」と答えるかもしれないな。

日本は四季の国。季節ごとの果物が楽しめる国はそうはない。日本に生れた幸せを感謝しながらこれから秋の果物を楽しみたいです。
posted by 北杜の星 at 07:25| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

黒須達巳「世にも美しい瞳 ハエトリグモ」

雨上がりの朝、玄関からアプローチを抜けて庭やガレージに行く時には、注意が必要。
無防備に歩くと、顔にべたっと粘着性の蜘蛛の巣が顔にくっつく。その気色悪いことったらない。
でもどんなにイヤでも、私は蜘蛛は殺さない。夫にも巣の糸を取るだけにしてと頼む。
蜘蛛は害虫ではないと聞いたことがあるからだ。

もっとも蜘蛛は昆虫ではないんですよね。
昆虫は脚が6本だけど蜘蛛は8本。
でも8つあるのは脚だけではない。このハエトリグモには目も8つあるらしい。
表紙を含めてふんだんに載っているハエトリグモの写真にはたしかに、つぶらで清らかな瞳がきらきらしている。(でも8つには見えないのだけど)。
まぁ、これを「世にも美しい」と思うか、「怖い」「気持ち悪いと思うかは、蜘蛛好きかどうかにもよると思うけど。

蜘蛛のことを知らない私はこの本を新刊案内で見つけ、早速借り出した。
ライブラリーの受付の女性は「蜘蛛ですか。。我が家にも大きな長い脚のが出てきますよ」と。
そう、すごーく長い脚の蜘蛛というのもいるんですよね。風呂場のタイルの上に居る時など、こちらは裸なので、とっても怖い。大声で夫を呼ぶ。

ハエトリグモは巣をつくらない。その必要がないらしい。
視力がいいのと、その跳躍力で家の中のハエや虫を生け捕りにできるからだ。
捕獲の瞬間を見たことはないが、「あぁ、あれがハエトリグモという名の蜘蛛なのだ」という蜘蛛の姿は見たことがある。
とても小さなサイズ。。でも歳をとっても昔の乙女は、どうも虫や蜘蛛は苦手。
じっくり観察したことがない。
たくさんの種類のハエトリグモがいるんですね。大きさや色の違い。毛深そうなのもいる。

マニアはどの世界にもいるもので、「ハエトリグモ撮影入門」として、機材や撮影テクニックが解説されている。
撮影するための、蜘蛛との駆け引きまで説明されていて、なんだか微笑ましい。
相手は動物だもの。じっとしていてはくれない。撮影するにはつかの間でも静止してもらわなくっちゃ。

江戸時代には、このハエトリグモに虫を捕えて遊んだという。
家に居ながらにして楽しむ庶民の遊びは「座敷鷹」と呼ばれたそうで、これは蜘蛛を鷹に見立てたものだとか。
蜘蛛が鷹とは、ちょっと見立て過ぎ?
ハエトリグモの「相撲」もあるみたい。

でも「知る」とは大切。
知ると好きになるものです。
蜘蛛が愛おしくなってきました。大きな目も、「世界でもっとも」かどうかはともかくとして、なかなかに美し感じるようになりました。
読んで満足の一冊。

ハエトリグモのぬいぐるみがあると、かわいいかも。

posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月29日

加門七海「たてもの怪談」

夏は過ぎたけれど、タイトルに惹かれて怪談小説を読んだ。私、ホラー好きなんです。
日本では幽霊がでる場所は、墓場とか寂しい道やトンネルとかいろいろあるが、「家」というのも多い。
怖いですねぇ。もし引っ越した家に「出る」としたら、どうすればいいのか?ましてや借家ではなく購入した家だとしたら。

加門さんは実家住まいだったのだが、かねてより自分家が欲しいと考えていた。
最初は古い一軒家が希望だったが一生住むとしたら築年数が不安材料となるので、あきらめた。
次はマンションだ。物件を探すが急いでいるわけではないので、決定までに時間を数年かけた。
というのは、彼女は風水を香港に行ってまで勉強した人。どうしもそうした条件に合うところを見つけたかったからだ。
そのうえ、建物だけではなくその土地も問題になる。

加門さんはこれまでもいろんな「モノ」が「見える」人だった。それを書くのが彼女の仕事でもある。
「見える」だけではない。「呼ぶ」人でもあるのだから、私などは「怖ーい」こと甚だしいのだが、そこは「見る」のにも「呼ぶ」のにも慣れている加門さん、引っ越したマンションの部屋にたくさんの「見える」人が現れて宴会状態になっても動じない。どころか面白がっているのだから腹が座っている。
「いい気になるんじゃない」などと彼らに言う余裕。

加門さんはマンションに引っ越して、家財道具を運び込む前に、氏神様になる神社に部屋のお祓いをしてもらった。(この神社が実は彼女にとって曰くつきだったのだけど)。
それでも、「出た」のは、彼女が「呼ぶ」人だったからなんでしょうね。
私たちもj今の家を新築して入居する前に、神主さんに来ていただいてお祓いを受けた。
地鎮祭ときお願いしたその神主さんの目がとても澄んでいたのが強く印象に残っていて、ぜひ家が出来上がった時には・・と思っていたのだ。
お願いして正解だった。その神主さんはこう仰ったのだ。「今からこの家には神様がおられます。神様を汚すことのないように」とたった一言。
私が「どうしたら神様を汚すことになるのですか?」とお尋ねしたら、これもただ一言、「悪い想念をもつことです」。
もう完全にノックアウトされてしまった。
それから当分はその言葉を旨として暮らしていたが、いつの間にか忘れてしまって、いまでは悪い想念がウジャウジャしているのではないかな?
他人の悪口は言うし、悲観的になることもあるし。。

こういうのを読むと、「霊」ってそう怖いものじゃないのかもと思う。
中には邪悪なのもいるかもしれないが、他愛ないのもいるんみたい。
(でもやっぱり怖いというか気味悪さはあるのだけど)。
彼女が平然としていられるのは慣れだけでなく、知識もあるのかもしれない。
風水や気学など、半端じゃなく勉強してきている。

さて、加門さんのマンションがどうなったか・・それは読んでのお楽しみ。

この本は小説というよりも長いエッセイのよう。
後ろのページには東京都庁の建物の風水について書かれている。
うーん、都庁を設計したのは日本を代表する建築家の故丹下健三氏だ。数社による設計コンペで勝った建物。
それがあんまり風水では、良くないようなんですね。。
都知事たちの不祥事や今回の豊洲市場の件をみると、そうかもと納得できる気もするが。。

イギリスびいきの井形慶子さんが話していたが、イギリスでは幽霊の出る家(haunted )は高い値段で売買されるらしい。
つまり幽霊が出るほどその家には歴史があるということで、それが評価の対象となるそう。
幽霊が投資になるなんて、所変われば、ですよね。
posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする