2016年11月14日

辻原登「籠の鸚鵡」

昭和のバブルが始まる少し前、紀州和歌山の小さな町で繰り広げられる人間たちの欲望と思惑。
「冬の旅」以来、人間の暗部を描き続ける辻原登だが、今回もノヴェル・ノワールに徹している。
なにが彼をこのテーマに駆り立てるのか?
「冬の旅」の底なしの暗さには絶望しか感じられず、読後感が重くやりきれなかったのだが、「籠の鸚鵡」は最後の最後のほのかな灯りに、安堵のため息をついた。

関西国際空港建設の埋め立て土砂にまつわる事件とドラマ。
不動産業者、暴力団抗争、バー、役場の出納室長・・
こう並べるだけで、絵に描いたようなストーリーが思い浮かぶだろうが、そう、そのまんまのお話なのだ。
ただこれには単なる架空のお話ではなく、リアリティがあるのがスゴイところ。
緻密な資料で、現実の事件を参考にしているのだろう。暴力団の抗争は当時の山口系と一和会そのものだ。
それと、和歌山出身の辻原だから書ける和歌山の土地土地の風景もこの作品の魅力乃「一部だ。(湯治の温泉宿なんて、いいんです)。

詐欺、不倫、恐喝そして殺人。
こう展開するんだろうなの通りにドンドンと犯罪はエスカレートしていく。
ミステリーのような展開なので、あまりストーリーは書かないが、さすが作者の筆には力があって、ハラハラドキドキで読ませられる。
これだけ怒涛のごとくの話なのに、どこかシンと静かな気配があって、品が悪くない。
これが辻原登という作家の個性なのだろう。


だけど犯罪小説が続いているので、ここらあたりで仕切り直しの、ちょっと明るく軽いものを読みたいな。
引き出しをたくさん持っている辻原登だから、自由自在に書けるはず。
一息つけさせてくださいい。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月31日

高山なおみ「ウズベキスタン日記 空想料理の世界へ」

武田百合子の「犬が星見た」をバイブルのように読んできた高山なおみが、百合子と泰淳の後を追うように旅した記録がこの本。
この前に「ロシア日記」が発刊されている。
ロシアには韓国籍の船で韓国経由でロシアに入り、そこからシベリア鉄道で2週間の旅をしたのだが、それは5年前、東日本大震災の2か月後のことだった。
そして第二弾の砂漠へのこの旅はその2年後。
同行者はロシアと同じく画家の川原さんだ。
今回も韓国経由でウズベキスタンの首都タシケントへ。
ロシア旅行と同じくウズベキスタンでも女性通訳がずっと随行した。

旧ロシアとはいえ、前回のシベリア鉄道の旅とはかなり趣が異なる。
それはやはりウズベキスタンが砂漠の国だからだろう。
なにしろ乾燥している。日中の気温は40度を軽く超える。
それでも食べ、飲み、歩き、人と出会い、百合子の足跡をたどり、高山なおみらしくさまざまなものを見聞している。

料理家なので食べることは仕事のうち。
でもウズベキスタン料理って油が強いんですね。
高山さんはお腹を壊してしまった。
読みながら「そんなに食べて平気なの?」「アイスクリームはヤバイよ」と気が気でなかったのだけど案の定、お腹はピーピーに。
そして旅の終わりには川原さんまで同じ状況になってしまった。

そんなときにも、砂漠で飲む熱いお茶は美味しかった。
ぐりーん・ティとブラック・ティがあるらしいが(ウズベキスタンではティをチーと発音するらしい)、どちらも乾燥した喉と体中の細胞に沁み渡る。
(宮本輝のシルクロード紀行文「ひとたびはポプラに臥す」に書いてあったが、灼熱の砂漠を旅するときに冷たい飲み物を飲むと体を壊すのだそうだ。必ず熱いものを飲まなくれはいけないとか)。

ひなびた小さな村で出会った人々の素朴な優しさ、バザールの店の母と娘たち、運転手の絶妙な人との距離のとりかた・・
そしてそれらを受け止める高山さんと川原さんの感受性。

旅したのが前回のロシアと同じく6月。(百合子たちの旅と同じシーズンを選んだのだろう)。
だからだろう、野菜や果物が豊富である。きゅうりやトマトが新鮮だ。
肉は羊、牛・・煮込みが多いみたいだが。脂も多い。
宿の朝食には果物も出たが、ウズベキスタンの人は朝食には果物は食べないのだそうだ。
これは理屈には合っているのかもしれない。
長い時間の空腹の後の朝食には、繊維が多い物を避けるほうがいいとも言う。
だから野菜や果物を摂るのならジュース。それも今はやりのスムージーには繊維が多すぎるので、サラリとしたジュースが一番。
繊維は夜摂るのがいいと聞く。眠っている間に繊維が腸で作用して、朝起きるとお通じとなるとか。
そういえば、日本でも昔から朝は水分たっぷりで消化の良いお粥を食べるし、外国では生ジュースを飲むものね。
ウズベキスタンの人もそれを知っているのか。

砂漠の国の人だからか、ウズベキスタンの人は噴水が大好き。
街では噴水がライトアップされて、涼しくなる夜には人が集まるらしい。
雨も大好き。旅では最後に一度だけ通り雨に会ったそうだが、子どもたちは雨の中に飛び出して跳ねまわっていたそうだ、
今年の夏は雨続きの八ヶ岳でうんざりしたのだけど、そんなこと言ってはいけないのですね。
ときにはウズベキスタンに想いを馳せましょう。

私の友人にシニア・ボランティアの日本語教師として、ウズベキスタンに2年間JAICAから派遣されて滞在した人がいます。
今度、もっと詳しくウズベキスタンの話を聴いてみたいものです。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

高山なおみ「ロシア日記」

昭和44年6月、作家武田泰淳と夫人の百合子は、泰淳の古くからの友人竹内好(中国文学者)とともに旧ソ連に旅立った。
「白夜祭りとシルクロードの旅」というツアーには、添乗員を入れて10人。ほぼ一カ月の旅。
泰淳は百合子に「連れて行ってやるのだから日記を書くのだぞ」と言い渡し、百合子が詳細に書いたのが「犬が星見た」という名紀行エッセイだ。
「犬が星見た」という不思議なタイトルは、輝く星を一心不乱に見上げる犬のように天真爛漫な百合子の姿からつけられている。
この「犬が星見た」の本をバイブルのように読んできたのが、料理研究家の高山なおみだ。
彼女はついに2011年、百合子たちが行ったのと同じ6月に、友人の画家川原真由美さんと一緒だった。
あの東北大震災からまだ3カ月、彼女たちの心はまだ乱れていたと想像する。

百合子たちが旅行した頃はシベリアへはまず、横浜港から船でナホトカへ。そこからハバロフスクまで列車というコースだった。
しかし現在では新潟からも稚内からの航行もある。
高山さんたちはそのどちらでもなく、鳥取県の境港から韓国の船で韓国の東海経由というめずらしいルートを選択した。
東海からウラジオストックへ。そしてそこら念願のシベリア鉄道の旅が始まった。

(私がヨーロッパに行ったのも昭和44年。泰淳と百合子の3カ月後のこと。「ナホトカ号」に揺られ、激しい船酔いに苦しめられて着いたナホトカ。そこからハバロフスクまでの列車から見た白樺林の美しさは今も忘れられない。日本に生えている白樺の幹よりずっとずっと白かった。
でも私はハバロフスクからは鉄道ではなく、ビュイーンと飛行機でモスクワへ行ったのだが、若かったのだからシベリア鉄道を経験してもよかったかなと思うときがある。)

高山さんたちのシベリア鉄道は43年前の百合子たちの旅行と較べると、ずいぶんと快適だったはずだ。
寝台車は新しいし、なにより乗務員が笑顔を見せると言うのがスゴイ、信じられない。
旧ソ連のサービスは本当に最悪で、飛行機でも空港でもホテルでもレストランでも、まず笑顔を見たことがなかったもの。
あんな面白くもない顔をして1日のほとんどをすごすのは、なんて不幸な人生なんだろうと、かえって同情したほどだった。
でも高山さんと川原だんたち、ちゃんと微笑んでもらっていて、「あぁ、ロシアは変わったんだな」。
行く先々の通訳さんたちもとてもフレンドリーだ。
シベリア鉄道の食事はほとんど停車駅で調達している。駅に売りに来ている農家の人の新鮮野菜やピクルスやピロシキなどが本当に美味しそう。
列車内のレストランよりいいみたい。
シベリア鉄道といえばサモワールがあるので有名だが、そのお湯で紅茶を入れたりしている。
(私の友人が20年くらい前にシベリア鉄道に高校生だった息子さんと二人で乗った。食堂車のメニューにはいろんな料理が書かれていたが、何を注文しても「ニエット」、無いと言われたそうで、毎日毎日い同じものしか出なかったそうだ。)

途中ウラジオストックで泊、バイカル湖畔の村リストヴァンカ村にも泊。ここでは地元の人の家庭でロシア料理教室を習っている。
でもここまでの旅の疲れと暑さのために、高山さんは風邪をひいてしまって苦しそう。(この旅行に来るにあたあっての仕事もきっと超多忙だったに違いない)。
それでも彼女にとっては食べるのも仕事のうち。いろいろなロシアの食べものを経験した。
ロシア料理といえば一番に思い浮かべるのがボルシチだけど、どうもロシアの人たちはボルシチではなく他のスープが好きなようで、一度もボルシチはなかったとのこと。

6月だというのに、ずいぶん暑かったようだ。
そんなに暑いのにロシアの人たちは帽子をかぶっていなかったとか。それを高山さんは訝っているのだが、そうなんですよね。今、ヨーロッパの人って帽子は被らないんですよね。
どんなに暑くても、フランス人もイタリア人も帽子は被っていない。
イタリアの友人からは「帽子をかぶるのは日本人か台湾人だけだ」と言われたことがある。えーっ!?と驚いた。
彼らが帽子をかぶるのは真冬の寒い寒いときに、毛糸の帽子を被るくらい。それもあのお洒落なミラネーゼがたんに防寒のためだけにかぶっているという印象だ。
日本では帽子はお洒落というイメージだけど、あちらでは完全にout of fashionみたい。

旅行は2週間。ウラジオストックで終わっている。
でも終わっているのは今回の分。ウラジオストックからウズベキスタンへのシルクロードの旅はまたあらためて、ということで、「ウズベキスタン日記 空想料理の故郷へ」の本も刊行されている。
旅には時として、奇跡のようなことが起こることがある。
高山さんも偶然に泰淳と百合子さんが泊ったホテルのその部屋を見ることができたのだった。
優しい川原さんが部屋を変わってもらってその部屋に移ろうかと言うのに対して高山さんは「ううん、いい。泊ってはいけないような気がする」と答えているが、その気持ちはわかるようなきがする。そしてそこに泊まれるのに泊らなかった高山さんだからこそ、私は高山さんが好きなんだろうなと思った。

「犬が星見た」をいま一度、読み返してみようかな。
同行した銭高組の銭高老人はもうとっくにいないし、あの旅行の後で竹内好は亡くなったし、泰淳も病気になった。
百合子にとっては最後の夫婦での大きな旅行だった。
旅って、行けるときに行っておくものだと、つくづく思う。「行こうと思ったのに。。」で終わるのってつまんない。

ウズベキスタン日記も読みます!
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

東邦出版社刊「自然栽培VOL7」

このところ玄米を食べている。
というのは、7月に湿疹が出て、それは昨年苦しめられた自家感作性皮膚炎とは違うものなのだが、湿疹が出るという症状は同じ。
病名は蕁麻疹と医師から言われ、病院が処方してくれた抗ヒスタミン剤は1日半飲んだだけでギブアップしてしまった。
だって吐き気、胃重、身体の倦怠感んがひどくて、よくみんなあんなに強く副作用の出る薬を飲めるなと思うほど体にダメージを受けた。
抗ヒスタミン剤でこうなのだから、ステロイドならどうなっていたことか。。
まぁ、薬が体に合わないと知りつつ飲んだ私が悪いのだが、ちょっとした人体実験のつもりもあったのだ。
でもやはり薬は私にはダメと納得。一日半のデトックスと湿疹を治すために私がとった療法は、玄米菜食だった。

さいわい私の家のすぐそばにはとてもいい自然食品店があって、完全無農薬の野菜(今年は人参が不出来で大きくならないばかりか、繊維ばっかり水気がない。でもお天気と相談しながらの野菜作りなのでしかたないのです)や米、その他ムソーやオーサワジャパンの商品を扱っている。
米は同じ北杜市のたんぼで、最近増えた「農業女子」3人組が作るものを購入。炊いてみるとこれがすこぶるの美味!
醤油をつけて焼きむすびにしたり、黒ゴマ塩をかけたり、梅干しで食べたり、あとは昆布と干し椎茸や煎り大豆の出汁で炊いた野菜。
それを食べ始めて三日目に、もうスゴイ大量の排便があって、「これは治ったな」と確信。
その日以来湿疹は消えていった。

この本の副題は「もう病気と闘わない 食で治す」というもの。
もちろん、すべての病気が食だけで治るとは限らないかもしれない。人間は必ず死ぬ生きものですからね。
でも食はとても大切だ。
私の湿疹がでた原因は、このところの過食だったのだ。しかもフレンチやイタリアンの外食が続くだけなく家ごはんもご馳走が多かったから。
内臓が悲鳴をあげていたのだ。
年齢を考えに入れないでバカバカ食べているから、こうなる。いくつになってもこの繰り返しで、とてもハズカシイ。。
(だけどこのように体が反応するのはいいことなんですよ。鈍感だともっとシリアスな病気になるまで気がつかない)。

だからこそ私にはときどきこういう本や、東城百合子さんの「あなたと健康」などを読む必要がある。読んで反省しなくっちゃ。
もっとも玄米と野菜ならどんなものでもいいというわけではない。スーパーで「安全・安心」などと書いてあるものはほとんどが失格である。
きちんとJAS規格の「有機野菜」や「自然農法」で作られた米・野菜を食べるべし。
すると免疫力がアップ、腸内がきれいになり、体内の酸化物質が減って アトピーや化学物質過敏症が改善される。つまり体が浄化される。いや、体だけではなくそれは精神にも作用するから不思議なのだけど。

この本にはあの青森で無農薬のりんご栽培をすることで有名な木村秋則さんも記事を書いている。
彼はたんに無農薬ではなく自然栽培でりんごを育て、自然栽培を広めるためにも尽力されている人だ。
ところで、「有機栽培」と「自然栽培」の違いをご存じでしょうか?
「有機栽培」というのは無化学肥料、無化学土壌改良剤、無化学農薬で栽培されているが、堆肥などの有機肥料は与えている。
しかし「自然栽培」は肥料もまったく使わずに栽培する農法である。
木村さんは有機栽培の害について別の本で語っておられたが、「有機」ならと選択した米や野菜や果物より「自然栽培」で生産されたものの方が、パワーがあるみたいだ。

「自然栽培」といっても、ほったらかしというわけではけっしてない。
草取りをするかしないかは自然栽培に従事するひとによっても違うらしいが、いろいろ手はかかるようだ。
怠け者の農法ではないのです。

私の家の近くのある田んぼは草ボーボー。
でもこれが自然栽培の田んぼか、はたまた単に人手がなくて草取りできないためなのかの判断がつかない。
限界集落なのでおじいちゃん、おばあちゃんばかり。
うーん、どっちなのかな?
posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

多田俊哉「そのオリーブオイルは偽物です」

オリーブオイルの消費が日本でずいぶん増えているが、これは日本だけでなくアメリカや韓国それに中国などでも需要が伸びているそうだ。
オリーブオイルにはエキストラ・ヴァージンとそうでないオイルがある。
エキストラ・ヴァージンの方に偽装が多いとは、ここ数年知られるようになった。
なぜなのか?
イタリアの南部プーリア州に旅行した時、見渡す限りずーっとずーっとオリーブ畑だった。
あんなにオリーブの樹があっても足りないのか?と不思議に感じるのだけれど、世界中で消費されれば、そりゃぁ足りなくなるのかも。

値段の高い、「有機」とラベルに書いてあっても、信用ならない。
この本の副題は「値段が高くても本物はごくわずか」とあるのだ。
トルコあたりから安価なひまわり油を輸入して混ぜる手口。
緑色で香がいいのが「本物」とは言えない。色も香も科学的に添加できるのだから。
偽装のための技術はどんどん進んでいて、そんな開発努力をするくらいなら、本物を売る努力をするほうがラクなように思えるが、儲けのためには悪い人間はどんなことでもするのでしょうね。
値段を高くして売るエキストラ・ヴァージンに細工するほうが利益率が高いと言うから、何を信じていいのかわからなくなる。

この本の著者はこよなくオリーブオイルを愛する人だ。
日本人に本物の質の高いオリーブ・オイルを知り、使ってほしいと願って「日本オリーブオイルソムリエ協会」を立ち上げた理事長。
彼がどのように安全安心なオリーブ・オイルを選べばいいかを教えてくれるのがこの本だ。

まず、大きな工場で生産されるメーカー、例えばイタリアの「ベルトーリ」や「カラベッリ」は(どちらもスーパーの棚でよく見かけますよね)名指しで「偽装」と書かれている。
まぁ、こうした安いものには手を出さないとしても、JAS規格と書かれていても信用してはいけないそうだ。
なぜならJASにはオリーブオイルに関する基準がまったくないから。
ますます消費者泣かせですよね。
イタリアでは偽物を取り締まる役人が業者と結託していることもあるというから絶望的だ。

もっとも信頼できるのは「生産者の顔が見える」ものを選ぶこと。
つまりワインと同じで「銘柄」に注意して買うとよいらしい。
ちなみに私があるイタリア食材専門店から買っているのは、その店の店長が自らイタリアに行ってオリーブ畑を視察し、栽培と生産を行う畑主から輸入しているものだ。
値段は500mlで2700円。
安くはないが最高級品の値段ではない。(ラウデミオなどは6000円するし、ラウデミオ以外にも素晴らしいオイルはそれくらいするのがたくさんある)。
(イタリアでも本物のエキストラ・ヴァージンは高いです)。
消費量の多い我が家で選べる最上のものを選んでいるつもりなのだが、これはもう、そのイタリア食材店を信頼するしかない。

イタリアン・レストランでも本物のオイルを知らないシェフやサービスの人が多いそうで、レストランのテーブルに置いてあるオイルのほとんどがヒドイものだと著者は書いている。
オイルについて勉強していないのだ。
この本の終わりには「日本オリーブオイルソムリエ協会」主催の「OLIVE JAPAN」で賞をとったオイルとそれを売っている店が紹介されているので、確かなオイルを求めたい人は参考にしてください。

イタリアに居た頃に、夫が働いていた設計事務所のボスの庭には古いオリーブの樹がまるでジャングルのようにたくさんあった。
秋になると地方から渡り職人がやって来て実を収穫していたそうだ。実はすぐに近所の圧搾所に運ばれてエキストラ・ヴァージン・オイルとなっていた。
濾す場合も濾さない場合もあるけれど、あれぞまさしく「本物」だったのだ。
そのボスの家ではオイルだけでなくワインも自分の庭で採れたぶどうから作っていた。
ああいう暮らしがまだあるのがイタリアだと思いたい。

オイル・ソムリエ協会で賞を獲得しているのは、スペインのものも多いです。
今度試してみたいです。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月03日

天然生活ブックス「家しごと、わたしのルール」

イラストレーター、料理研究家、フローリスト、エッセイスト、布物作家、挿花家・・
女性の憧れの仕事をもつ人たちが、自分の家仕事のちょっとしたルールを教えてくれるこの本、文章を読み写真を見ていると、つくづくため息が出る。
彼女たちみんな、上手に美しく暮らしているんですね。
いつもやっつけ仕事でお茶を濁している私は、とてもとてもと反省ばかり。

色や型や材質の揃った台所用品、きちんと整頓されたワードローブ、完璧にアレンジされたブーケ。。
そしてそれらの前でにこやかに微笑む彼女たち。
だけどこういうことを可能にするには、たゆまない努力をしているのだと思う。それを決して他人には見せず、「なんでもないわ」という顔をするのもこれまた努力。
そうしているうちに、これが生活の「普段」「普通」になるんでしょうね。
皮肉ではなく本当にエライと思う。

どんなに小さくともルールはルール。ましてや家事は手を抜こうと思うとどこまでも抜けるし、家族以外には迷惑もかからない。
しっかりとルールを守るためには自分を律する力が必要となる。
だからエライんです。

「朝は早起きをして、足りない時間をお補う」
「朝は9時、夜は8時半で家事終了」
「ボタン、ほつれた裾はその場で直す」
「食材の気持ちになって調理する」
・・どれもごく簡単に思えるけど、じつは簡単じゃない。
つい「ま、いいか」になってしまう。
いい加減な私など、「明日にしようっと」で終わっちゃうと思う。
一つ、これはいい!と実行しようと思うのが、「家のなかで一番いいものを日常的に使う」ということだった。
いいものはともすれば大切にしまいがち。戸棚の奥のほうにしまわれて、出番は年に一度か二度。
でも考えてみれば、老い先短いんだもの、いいものは毎日使って日々満足できるほうがいい。
我が家にある一番いい食器は、江戸中期の柿右衛門、それも藍柿右衛門というレアな蕎麦猪口のおおぶりなもの。つけ麺の汁を入れたり、すり流しなどスープ類を入れている。
貧乏性なので、もったいなくてほとんど使わないのだけど、これからはほうじ茶をそれで毎日飲もう。
もし割ったとしても、もう金継ぎの修理はしない。捨てる。それならモノも減ってスッキリするものね。

美しく暮らすにはテクニックが必要だけど、それ以上に意思の強さが必要。
笑顔の陰の見えない部分が大切なんです。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月26日

津島佑子「夢の歌から」

今年2月、津島佑子が肺がんのため亡くなった。
そのニュースを聞いた時は、ずいぶん気落ちした。
彼女の方が二歳年上だが同じ団塊の世代として、彼女の書くものはずっと読んできた。
初期作品から、息子を亡くした後で作風が変化した小説には切実さがあって、胸につまされるものだった。
これは津島佑子、最後のエッセイ集。

ほとんどの部分、3・11の福島第一原発事故に関することが書かれている。
放射能の恐怖、政府のありかた、社会の風潮・・
これまで世界の、とりわけアジアの作家たちと連帯してきた彼女ならではの「目」がそこにはある。
海外の作家たちは原発事故後、彼女に「すぐにこちらに来て、住め」と提案してくれたそうだ。
しかし彼女は東京にとどまった。

とどまって彼女が感じた日々は悲しみと怒りにみちている。
けれど希望も忘れてはならないものとして心に届く。

これを読む私には安心感があった。
世の中の事象に対する意見の一致がそこかしこにあるからだ。
自然神道はアニミズムとして受け入れられるが、明治以降の国家神道には怖いとか、日本の学校教育のお粗末さや日本人の歴史観のいい加減さなどなど、首肯できることが多い。
それは彼女がカトリック教育を10年間受けてきたからかもしれない。(彼女は白百合なんですね)。
(面白いのは、学校に隣接するのが靖国神社で、彼女は毎朝遅刻しないように走って境内を抜けていたらしい)。
そしてこれも私が時々思うことなのだが、「もし中上さんが生きていたらいま、何と言うだろうか」と彼女は書く。中上とはもちろん中上健次だ。

母方の祖父のこと(甲府出身。だから津島は山梨文学賞の選者をしていた)、父方の曽祖父のことなども書かれている。
津島は太宰治の次女として生まれたが、彼女自身はあまりそのことに言及しないで生きてきた。彼女がそのことに触れるのは初期からずっと後になってからだったと思う。
母親から読書から遠い幼年時代を過ごさせられたにもかかわらず、隠れて本を読んでいたというのは有名なエピソードだ。

本のあとがきは津島のお嬢さんの香以さんが書いている。
母娘で原発や社会情勢についていつも話しあっていたようだ。当時大阪に住む香以さんに頻繁にメールをし、長い話になりそうな時には電話をかけた。
母にとっても娘にとっても、今となっては素晴らしい時間となっただろう。
津島が肺がんの診断を受けた後の治療についても書かれているが、肺炎を起こしてあっけなく逝ってしまったのだそうだ。
せめてあと10年は書いていてほしかった。
同世代の作家がいなくなるのは寂しいです。
posted by 北杜の星 at 07:55| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

千早茜「西洋菓子店プティ・フール」

パソコンがきれいになって戻って来ました。
お掃除をしてくださったPCドクターさんは、「埃やゴミが結構ありました。とくに猫の毛が」と。
ハッチがPCのキーボードの上に来るからなぁ。
要求貫徹んために、わざとキーを踏みつけることも。。
まぁ定期的にクリーニングをお願いするしかないようです。

「男ともだち」から久しぶりの千早茜。
今回のテーマは「スウィーツ」。

東京の下町商店街に昔からある小さな西洋菓子店。
亜樹はこのじいちゃんの店でパティシェールとして働いている。
じいちゃんはお菓子の正式なフランス語名すら知らないが、基本に忠実にごまかしのないお菓子をつくる頑固者。
亜樹は都心の有名フランス人経営の店での経験を持つが、まだまだじいちゃんにはかなわないと思っている。
それでも彼女らしい斬新なケーキを生みだしたいと、ケーキ職人として必死で頑張っている。
そんな生洋菓子店をめぐる連作短編集だ。

亜樹、亜樹の弁護士の婚約者(もともと、じいちゃんのシュークリームの大ファンという店の客だった)、亜樹の元同僚とその恋人未満のネイリスト・・
かれらがそれぞれの立場から視点を変えて語る、彼らのスウィーツへの想い。。

お菓子、それも美しいケーキを食べるのはどこか背徳感がつきまとう。
こんな甘いもの食べていいのか?太っちゃうよ。虫歯になるかも。
バターやクリームって、コレステロールが怖いよな。
それにこれほどまでにもきれいに飾られたケーキを食べるのは、無残な気がする・・
せめぎあう気持ちが、なおのことケーキを美味しくさせるのかもしれない。

パティシェという職業はいま若い人や子どもたちの憧れれのまと。
じっさいに成功しているパティシェはちょっとした有名人だ。
でも華やかな彩のケーキができるまでには、厳しい修業がある。この小説にも出てくるが、店の厨房は重労働だし、休みだってほとんどない。
休みの日には亜樹のように新作の試作をしなくてはならない。
店の看板商品はもちろん必要だが、季節によっての新商品がなければお客さんはすぐにあきてしまう。

お菓子って不思議だ。
どうしてもなくてはならないものではない。つまりは嗜好品だ。
でも甘いものは疲れた脳にも心にも元気を与えてくれる。
糖質や脂質が体に悪くても、心身が疲れている時にお菓子を食べるときっと、アルファ波がでるのではないかしら?
嗜好品と呼ばれるものはみんなそういう素敵な役割を持っているのだと思う。
この本に登場するネイリストの女の子は、ネイルアートが人生の必需品ではないと知っているけど、だからこそ仕事に熱心になれるのだ。
必需品だけで世の中が成り立っていたら、色のない世界になってしまう。そんなのはつまらない。
背徳感があっても罪悪感があっても、美味しいものは美味しいし、きれいなものはきれいだし、それだけで存在の価値があるのだ。

ネイリストという仕事には漠然とした知識しかなかったが、プロとしてなかなか奥深いものがあるんですね。
季節、肌の色、個性などいろんな要素を考えながら仕事をしているとは、思ってもいなかった。
外国では(ピンからキリまでだけど)、日本よりかなり安くネイルができるけど、日本は値段が高い。
道具があれば家で出来る仕事なのだから、もっと安くてもいいと思うし、流行を追う若い女性向けだけでなく、ハンド・トリートメントの一部としてもっと年配の人たちが気楽に受けられるようになればいい。
でも最近のジェル・ネイルは爪にダメージを与えそうでいやだな。

えーっとですね、私の好みでいうと、亜樹ちゃんのスウィーツより、じいちゃんのシュークリームのほうを食べたいです。
柔らかなシューにたっぷりのカスタード・クリーム!コーヒー・タイムにぴったりです。
posted by 北杜の星 at 07:12| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月16日

地球丸編集「軽トラック パーフェクトマニュアル2」

私の代わりにライブラリーに取り置き本を受け取りに行ってくれた夫から電話がかかった。
「あのね、誰かとの間違いだと思うんだけど、軽トラの本が入っているよ」
「あ、それ、私が借りたの」
「えぇ。。。」

帰って来た夫は「なんでこんなの借りたの?キミはなんでも読むんだね」とあきれていた。
田舎暮らしを始めて驚いたのは、どこの家にも必ず軽トラがあることだった。
集落で「寄り」がある時には、公民館の前に十数台の軽トラが並ぶ。同じ白色、同じ型、新旧の差はあっても私にはどれもまったく同じにしか見えない。
農家は当然のこと、都会からの移住者の家にも軽トラはある。
軽トラほど「お役立ち」の車は他にはないのだ。とくに田舎に住めば必需品といってもいいくらい。
我が家は持っていないが(ガレージに鎮座させるには、夫の美意識に反するようだ)、あると良いなと感じることは多々ある。
幸いにも、友人が何人か持っているので、どうしてもと言うときにはお借りするし、Jマートのような大型店では大きな資材を買えば軽トラを貸してくれる。

そう、軽トラは偉大なのだ!
私が欲しいのは、軽トラのダンプだ。砂利を積んでも薪を積んでも、ダンプでザァーっと一気に下ろせるのがいい。労力が半分になる。
でもどういうわけか、周りで軽トラダンプを所有している人はいない。ということはあまり必要ないの?
「軽トラ パーフェクト・マニュアル」というから使用するためのマニュアルブックかと思ったのだが、それは「1」に書いてあるのかな?この「2」には軽トラ・ヒストリーや、カスタム車が紹介されている。
なかにはかっこいいカスタム車もある。
だけど安い軽トラにそれほどお金をかける価値があるのかどうかは、まぁシュミの問題。私なら「純正」で乗るな。

軽トラにあればいいと思われるのは、荷物を置けるスペース。なにしろハンドバッグすら置くスペースがないのは困る。
婦女子のための軽トラというものが開発されればいいと思うのだけど、やっぱり女の子は軽トラには乗らないよね。
鼻がない軽トラよりは(この本にも写真が載っているが)、ピックアップの方が素敵。
日本ではどうしてピックアップに人気がないのだろうか?アメリカの片田舎を埃を上げて走るピックアップは、雰囲気あっていいものだ。
軽トラにももっといろんな車体のカラーが選べても、、と思うけど、これも余計なお世話かも。実用一辺倒というのが軽トラの魅力かもしれない。

この軽トラ、でも注意したほうがいいのです。
というのも、農家の人は「ちょっと畑まで」という感覚で乗っているので、保険を掛けていないことが多い。
数年前に認知症気味のお年寄りが大型スーパーに軽トラを誤作動して突っ込み、保険をかけていなかったために自己破産となったと聞く。
また私たちの友人も軽トラで物損事故を起こし、その補修の金額があまりに高くて困っていた。
軽トラックといえども立派な車。対人対物保険くらいは必ず入っておくべきだ。

この本で初めて知ったこと。
それはホンダの四輪の参入は、軽トラからだったことだ。
1962年に生産された「T360」という高性能軽トラックこそが、モータースポーツのホンダの四輪のルーツだそうだ。
(車を四輪と呼ぶのは、バイク乗りの独特の言い方で、バイクは二輪、車は四輪なんですよね。)

先日、再来年の冬用の薪を注文し、Mさん夫婦が軽トラックで運んできて下さった。楢系だけでなく雑木が混じっているので安い。
こちらでは,いろんなモノに「軽トラ一杯」という単位がある。
「砂利を軽トラ一杯分とか「薪を軽トラ一杯」とか「チップを軽トラ一杯」とか。
とてもアバウトな表現のため数量は一定しないのが難とえば難だが、田舎暮らしにはとてもわかりやすい単位で、「軽トラ一杯ね」ですべて通じるのだ。

軽トラックのような車種は日本だけでなくヨーロッパ、例えばイタリアにはAPIというのがあって、スピードは全然出ないがなかなかシブイ。
作家のイトヤマさんはあれが欲しいそうだが、日本で手に入れられるのかな?
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2016年03月14日

高橋三千綱「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」

高橋三千綱の小説はずいぶん長い間読んでいなかった。
「九月の空」はいいと思ったが、あとはどうも縁がない感じで。
彼は小説をいつも新聞や雑誌の依頼を受けて書いてきたそうだ。友人の中上健次そんな彼に「書き下ろしを書け」と生前薦めていたらしい。
作家が書き下ろしを書くのは大変だ。
その間、原稿収入がないからである。しかも長編となると何カ月もかかる。その間無収入なのは困る。
しかし高橋三千綱はここで一念発起、作家人生初の書き下ろし、しかも初の自伝的長編を書くことにした。
それがこの本。

タイトルを見てわかるように彼は「肝硬変」と「糖尿病」を患っている。それもかなり重篤な症状だ。
y-GTPの数値がなんと4000を超えていた!!(基準値は約50以下)。
よくこれで生きていると医者が不思議に思うほど。
こうなった理由はすべてアルコール。朝から酒を呑むことウン十年。そりゃ、肝機能に悪いでしょと言いたくなるが、困ったことにどれほど医者から酒を止めるように言われても、駄目なんですね。
アルコール依存症になっているとは思えないのだが(ホームドクターも三千綱は依存症ではないと明言している)、何かと酒を呑みつづけてしまう。
せめてワインや日本酒のように糖質の多い酒ではなく、焼酎のような蒸留酒にするように忠告されても、やはりビールは呑むし日本酒も呑む。(焼酎も呑まないわけではなく、しっかり呑んでいる)。

高橋三千綱ってこんなに無頼の人だったっけ?
私と同世代だが、これほどの無頼派はいまどきめずらしい。昔なら作家の王道を行っている。
酒に加えて、競馬もある。
でもイイトコがあって、殺処分にされそうな馬二頭を助けて、そのうちの一頭がレースで優勝するのだから、憎めない人だ。
そう、この「憎めない」というのが彼の困ったところでもあって、ガールフレンドを含めて友人知人に恵まれ、ボランティアの秘書も運転手もいる。それ以上に奥さんとお嬢さんはやさしいのだ。
お嬢さんは医師に自分の肝臓から父親に生体肝移植をしてくれとまで頼むくらい。)

何度も入院。検査はするがなかなか治療にまで至らずに勝手に退院。
とうとう肝硬変になってしまう。糖尿病も悪化の一途。
それで終わらず、食道がんと胃がんまで発症し、手術となるのだから念が入っている。(食道がんの週靴の前に、何度かの食道静脈瘤の手術をしなくてはならなかったが、これは肝硬変の合併症とか)。

とにかく、凄まじい病歴なのだ。
それでもこの本はただの「闘病記」ではないのがスゴイところで、なんというか、三千綱さん、とっても元気なのだ。
病人を元気というのはおかしいが、病気に負けていない。完全に病気を制圧している感じすらするのだから不思議。
いっそ潔くすがすがしさえある。
最近はどこかがちょっと悪いとすぐに、やれCTとかMRIとかの検査を受け、病気を探し回り、おげくにドクター・ショッピングする人が多いが、少なくとも彼はそういう人とは異なる人生観、死生観を持っていて、それが尊敬できると言うか、私には立派に映る。
(もちろん、家族にとっては「しょうもないオヤジ」なんですけどね。)
まぁこんなにスゴイと病気の方が「参りました」と降参するにかないだろう。
80歳90歳まで生きられるとは到底思えないけれど、悪い人生ではなかったと、納得できるよね。

これを読むと、肝臓病の知識がたくさん得られますよ。
無頼派とはいえ作家だけあって、ずいぶんと肝臓について勉強していますね。
私、すっかり肝臓病に詳しくなりました。でも私の夫はお酒を呑まないので、肝硬変には縁遠いかな。。
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2016年03月02日

高村友也「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」

金銭欲や物欲はほとんどない。
生きていくための最低限の住居と食があればそれでいい。
自由のためには社会とのつながりは、できるだけ少なくしたい。
そのために一人で暮らす。
孤独はまったく感じない。

著者が選んだ人生は、生と死と哲学をめぐって上記のような暮らしとなった。
山梨県の林のなかの小さな土地に自分で小屋を建て、水を汲みに行き、ソーラーで発電し、トイレはコンポスト・トイレで自然に還す。
冬の間は薪を拾い、ストーブを楽しむ。
トースト2枚とベーコンとコーヒーの朝食。好きな本を好きなだけ読み、好きな時に眠る。
安らぎに包まれた彼にとって理想の生活。

夏は神奈川の河川敷のこれも小さなテントで、街に近いところで暮らす。
場所がらホームレスと間違われるが、ここは競売で手に入れたれっきとした彼の所有地だ。(こういう土地が個人所有できるとは知らなかった。)
彼は二つの土地を行き来し、時々ネットで安い航空券を手に入れアジアを放浪する。

なぜ彼がこういう暮らしをしようと考えるようになったか。
それは彼が小学生低学年の時に「死」というものに直面したことから始まる。
「死」は必ず来るという恐怖。誰もがそこから逃れられないのなら、どうすればいいのか。
東京大学哲学科、慶応大学大学院哲学科博士課程を卒業した彼には大学の非常勤講師の話もあった。しかし断った。
将来の暮らしの安定を考えると、それは一つの「道」ではあったが、自分がそういうふうに生きたくはないと分かっていたからだ。
彼は大学院のときに、路上生活者として数か月を過ごした。間借りの部屋すら持ちたくなかったためだ。
しかしそのときに路上生活では安らかな生活は望めないと知り、小さくても自分の土地で暮らそうと思った。

いま欧米などでは、この著者のような暮らし方を選択する若者が増えている。
資本主義社会、貨幣社会から自由になるために。
生活が賄えるだけのギリギリのもので満足し、残りの時間を何物にもわずらわされず使う。
彼らはニーとでも引きこもりでもない。これまでならエリートになるような高学歴の若者たちである。

なにか大きく価値観が変わろうとしているのだと思う。
ミニマリズムでモノを持たない人たちも増えている。
マテリアル・ワールドとは異なる世界で生き始めているとしたら、この先新しい世界が生まれるかもしれない。
私たちの世代が到達できなかった世界がどんなものか、長生きして見てみたい気がする。

posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

鶴見俊輔「まなざし」

今月2月8日のテレビニュースで、大江健三郎と澤地久枝らが「九条の会」として「安保法反対」の声明を出しているのを見た。
九条の会の発起人は九人いたが、現在では大江と澤地と梅原猛の三人を残すのみとなってしまった。
加藤周一が亡くなった時は悲しかった。それ以上に鶴見俊輔の訃報には力が抜けて、これから私は何を指標にすればいいのかととても心細い思いになった。
加藤周一は尊敬してもどこかおっかなさがあったが、鶴見俊輔には硬軟取り混ぜてなんでも話せ笑いあえる気楽な印象があって、好きだった。
(しかし九条の会にはまだまだ賛同人がたくさんいて、全国的な運動はしっかり続いているので心強い。)

鶴見俊輔ってどこかお茶目でかわいいところがあった。
それは彼の「弟性」から来ているという。
ご存じのように俊輔の姉は鶴見和子。いつも着物の上智大学教授としてオピニオン・リーダーだった人だ。
俊輔はこの姉がときにかばってくれたり、励ましてくれたりしたことを感謝している。(俊輔の母は現在なら「虐待」と呼べるほどの育て方を俊輔にしたらしい。)
しっかり者の姉の「弟」として精神を委ねられる安心感があったから、姉と同じようにアメリカに留学し、社会的な運動ができなたのかもしれない。
とにかく(姉の弱点は弱点として批判しながらも)、彼は「弟」として姉の後を歩いてきた。
この本にはそんな姉とのこと、一族家族とのこと、共に闘って影響しあって来た盟友たちとのことについて書かれている。

鶴見俊輔ってかなりの名門の系譜なんですよね。
父は政治家。母方の祖父は後藤新平である。
その新平とは一緒に住んでいたが、新平の言葉としてはほとんど記憶がないそうだ。
この本にはかなりのページを割いて新平という人間について書かれているが、当代きっての親ロシア派としていろいろ面白い記述がある。
新平はまた長男の家族を同じ敷地に住まわせただけでなく、長男にはいっさいの仕事を禁じていたらしい。
その理由は父の立場を利用してなにかの事業をしても失敗するに違いないからという理由からで、かなり醒めた目を持つひとだった。

うらやましいのは新平の家の敷地には、レイモンド設計の洋館が建っていたことだ。
レイモンドは帝国ホテル建設のためにフランク・ロ御井戸・ライトの弟子として共に日本にやって来た建築家で、日本のモダニズム洋風建築に影響を与えた建築家。
小さな家も多いが合理的でよく考えられている。
ただ新平の家はレイモンド自身は「失敗作」と考えていたようだが。

俊輔がリベラルだったように、彼の一族もみなリベラルだった。
全世界的に「リベラル」という言葉が死語になりつつある現在だからこそ、リベラルに生き続けた俊輔を尊敬します。
もっともっと長生きしていつまでも「不良少年」でいてほしかったです。
加藤周一も鶴見俊輔もいなくなったけれど、彼らの著作はこうして遺されている。
世の中が右傾化して心細くなったら、それらを読み返せばいいのだ。そう思ったら元気になった。

posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月15日

徳永進「野の花診療所まえ」

野の花診療所は鳥取市にある。
地域医療と終末医療に関わり続ける医師徳永進先生の診療所で、19床のホスピスがある。
野の花診療所の前には何か特別なものがあるのかと思ったら、それは私の勘違いで、BEFOREの意味だった。
自分の診療所を開く前、徳永先生は鳥取赤十字病院の内科医だった。
もう15年近く前のことだ。
この本は先生がまだ勤務医として仕事をしていた頃の、患者さんやその家族との出会いが綴られたものである。

なぜ私が徳永先生が好きなのか?
理由はいくつかある。
患者や家族への親身な寄り添い、ハードワークのなかでいつもユーモアがあること、あれでよかったのかの反省・・
しかし深く共感するのは、先生の死生観だ。
生きるための治療は精一杯以上に尽くすけれど、その先に死があることを見据えて、死を受容していることだ。
死は生と繋がり、死をもって生が完結することを知っている人だ。
その完結のために一生懸命患者と共に頑張っている。
でも、もう頑張らなくてもいいよという正直な気持ちもあるのではないかと思う。

それはこの本のなかにあるように、徳永先生は自死しようとした患者が救急で運ばれてきた場合は、宿直をしていても、できるだけゆっくり白衣を着け、時間をかけて廊下を歩くのだそうだ。
死にたい人は死なせてあげよう。。
医師としての倫理には反するかもしれないが、これが先生の正直な気持ちなのだ。
自殺はそう悪い死に方ではないとまで書いてある。癌の闘病で苦しみ死んでゆく患者を長い間見てきた故の達観なのか。この文章はちょっと怖かった。

広島に住む古い友人のSさんは昨年の秋、ミニ・クーパーを購入した。生涯最後の車と彼女は言っている。
車の運転に慣れたら広島から鳥取までドライブして、野の花診療所を見学に行きたいと言う。
それを聞いて「私も行く!」と名乗りを上げた。野の花診療所がどんな病院か見たいし、徳永先生に一度お会いしたい。
お忙しいだろうからお話しは長くはできないだろうが、なんなら健康保険証を携えて行って診察してもらってもいい。
そんなことを別の友人のYちゃんに話したら、「私も徳永先生が大好きなので、一緒に連れてって」と希望者が増えた。
それならどこか一泊、温泉にでも入って美味しい日本海の海の幸を愉しむのも・・という話になりつつある。
この旅行、実現するといいな。

みんな、徳永進先生のファンなんです。
癌になっての週末ケアは野の花診療所でと願う友人が多い。
でも困るのは先生は私とほぼ同年齢。あんなに多忙で健康は大丈夫か。どちらが先にくたばっちまうかわからないから心配だ。
だけど、先生のように善き人間には、神様のご加護があるからきっと長生きなさると信じたい。
野の花診療所、どんなとこかな?
posted by 北杜の星 at 07:55| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

伝統的町並み研究会編「一度は歩きたい日本の町並み」

旅行をする目的として古い町並みを見学するのは、日本でもヨーロッパでもとても楽しみなことだ。
私は近代的な街を歩くのも嫌いではないのだが、古い町の落ち着いた佇まいはやはり心が静まる。
昔の家々が並ぶ町の雰囲気はどこか懐かしい。
ただ残念なのは、日本の場合、町全体ではなくスポット的に保全されていてそこは美しいのだが、あとはそうでもなくてがっかりすることがある。
それに保全された町並みは撮影セットのようだったり、テーマパークのような印象を受けることもある。
生活の場としての町ではなく、たんなる観光地となっているからだ。
むつかしいものがあります。

それでもやっぱり行きたい。行って歩きたい。
そういう人にはこの本は参考になるだろう。
ほとんどが写真で文章が少ないため歴史などの説明が不足しているが、でも本当に行きたいのなら自分でいくらでも調べられる。

江戸、明治、大正、昭和・・
昔の町は美しかったのだなとつくづく思う。
日本の町並みに変化があったのは、アルミサッシ以来だと私は考えている。
木造の家とその建具は隙間風で冬は寒かった。それを改善するためにアルミサッシは大きな役割を果たした。劣化しないのも受け入れられた。
けれどあの色、ペラペラ感、、自然素材でない建材には機能はあっても美はなかった。
それからどんどん新建材が現れ、今では真っ黄色のサイディングの家があっても驚かなくなってしまったが、それらを目にするたびに心理的ストレスは覚える。
この本に載っている町々にはそんなストレスは皆無。
いつか行きたい・・の想いが強くなる。

北海道や東北はほとんど知らないがが、他の地方はかなり訪れている。
大好きな町の写真があるのはうれしい。
奈良の今井町は何度も行った好きなところ。奈良市内のならまちが今は人気だが以前は「ならまち」なんて呼ばなかったよね。その点今井町は江戸時代がそのまま息づいていて、人々が普通に生活しているし、あまり観光地化していないのでホットする。(ボツボツカフェとかができつつあるけれど)。
山陰の倉吉ももう一度行きたいところ。
足助は二度ほどホタルを見に行った。
長野県の中山道の宿場町にもよく行った。それこそテーマパークみたいになったところもあるけれど。
宿場町は田舎っぽいけど、金沢のような文化薫る城下町を散策するのも素敵だ。
ここに岡山県の吹屋が出ていて、アッと思った。つい最近ある友人夫婦とこの町のことを話したばかりだったからだ。
吹屋は岡山県の山間部、高梁というところにある町で、ふるくから銅の産地で知られていたが、江戸中期からはベンガラ生産をするようになりずいぶん栄えた。
町の家々はベンガラ色。壁や格子がベンガラ色に塗られているのだ。
ちょっとびっくりする風景なのである。
美しいのだけれど、美しさの中にちょっとそこはかとないコワさがあって、そのコワさは横溝正史的。
まるで夢を見ているような不思議な風景。うなされそうな夢かもしれません。

私としては三重県の松阪も入れてほしかったな。
松阪といえばみんな「松坂牛」しか思いうけべないけれど、城跡近くの武家屋敷の並ぶ一角は本当に素晴らしいのだ。
槙の高い塀が毅然と並び、関ヶ原の合戦以来ずっとそこに住んでいる家族も何軒かあるという。
近くの関宿は関宿でいいのだけど、松阪も載せてもらいたかったなぁ。

これから行きたいのは、九州の旧い町。
これは夫と二人でゆっくり老後の楽しみとしたい。(もう充分老後、なんですけどね。)
posted by 北杜の星 at 08:16| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月05日

武田砂鉄「紋切り型社会」

この本は昨年夏くらいに評判になった本で、私もライブラリー予約していたのだが、すっかり忘れたころになって順番がやってきた。
「言葉で固まる現代を解きほぐす」の副題を持つ。
ちょっと機を逸した気もするのだが、読んでみた。

紋切り型のフレーズってありますよね。
新聞やテレビなどのメディアの文章はほとんどが紋切り型だ。紋切り型と言って悪ければ「定型」か。
言葉はある意味恐ろしい。
言葉、それも紋切り型のフレーズによって、私たちが不自由な縛りを社会から受けることがあるからだ。
言葉は私たちの意識そのもの、その意識が社会をつくって、いつのまにか全体主義の方向へ流される・・ということにならないようにしたいと思う。

部分的に章の紹介を。
「乙武君」(障害は最適化して伝えられる)。
「全米が泣いた」(『絶賛』の言語学)
「国益を損なうことになる」(オールでワンを高めるパラドックス)
「カントによれば」(引用の印籠的信頼)
「逆にこちらが励まされました」(批評を遠ざける『仲良しこよし』)・・

上記の倍ほどの章があって、どの章にも全面的に同感というわけではなかったのだが、もっとも「そうよね」と感じたのは「若い人は、本当の貧しさを知らない」という章。
これは体験した人間は本当に強くて正しいのかというこを論じている。
例えば昨年は戦後70年と言われた年だったが、「戦争を経験していない世代にはわからない」といったことを言う人間がよくいる。
しかし経験していればそれでエライのか?
たまたまその時代に生れそこにいただけじゃないのか?
と思っても、若い人間はそれを口には出せない。
世の中では体験経験がもっとも重要視され、その言葉の前にはひれ伏す以下ないからだ。
では、体験したけれど、その体験を今に生かしていない人間と、体験してはいないが、深くそのことを考えている人間と、どちらがエライのか?
またそれを行動として表しているかどうか?
私も若いころには「今の若いもんは」とよく言われたものだ。だから(なるべく)その言葉は言わないようにしている。
だって反感をもたれるだけで、何の説得力もないから。
。。それでもそれでも、これが歳をとるということなのでしょう。言いたくなることがあって、そのときには夫婦間でそっと言っている。

未経験は経験に絶対勝てない。
いますよね。秋になって日本の中華料理店で上海蟹を食べて美味しかったよと言うと、「あぁ上海蟹の季節。でも日本にくるのはもう痩せていて美味しくないんだよな。香港で食べる上海蟹はやはりさすがだよ」とか言うヤツが必ずいる。
そんなとき、この章を思い出したい。というか、自分がそんなこと言わないように気をつけたい。

ひとは言葉で考える。
紋切り型の言葉はその考えることを阻んでしまう。自分のアタマでモノを考えることが大切。

私が大嫌いな紋切り型の言葉が二つあります。
一つは「ご自愛ください」。
これを必ず毎度、メールの最後に書く若い人がいるが、あれってものすごく気持ちが悪い。
どうして自分の言葉で書けないのかと悲しくなるし、その人のIQを疑ってしまう。
それともう一つは「ご愁傷さま」という言葉。
これは私はどうしても使えない。使ったことがない。
でも一度だけ、言われたことがある。母が亡くなったと伝えた時、ある友人が「それはご愁傷さま」と言ったのだ。
背筋が凍った。
彼女に悪気はなかったのかもしれないが、他人から受けた言葉でこれほど傷ついたことはなかったし、相手の人格が地に墜ちたこともなかった。
紋切り型には心が見えないから、寒々としてしまう。

つい口から出てしまう紋切り型フレーズ。
言うのも聞くのも、心して。。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

津村記久子「この世にたやすい仕事はない」

津村記久子は「仕事」をする女性を描き、三十代、四十代の女性の愛読者をたくさん持つ作家だ。
彼女の作品のなかの主人公に自分と等身大のものを感じるからだろう。
そしてそのリアルさに「うん、うん。そうなのよ」と同感する。

でも今度のこの「この世にたやすい仕事はない」はちょっとニュアンスが違う。
ここに並ぶ「仕事」はありそうでない、つまりは架空の仕事なのだ。
それは連作である各章のタイトルを見ればわかる。
「みはりのしごと」「バスのアナウンスのしごと」「おかきの袋のしごと」「路地を訪ねるしごと」「大きな森の小屋での簡単なしごと」。

どの仕事もいったいどんな仕事なんだろうと思う。普通っぽいものもあるにはある。
でも、モニターを一日見張って、盗み撮りした部屋の住人が「ブツ」をいつ受け取るかを調べる仕事とか、普通じゃない。
地域巡回バスのアナウンスも仕事はそれ自体はあるものだが、同僚がなにやら怪しいし、森の仕事はどこか不気味。
そう、ここに並ぶ仕事はどれも不穏な空気をまとっている。どこかシュールな気配もある。
こういうアンリアルなものも書ける人なんですね、津村記久子って。
私はこういうテイストが大好きなので面白かった。

主人公は前の職場でひどいパワハラを受け、人間関係に疲れ、ハローワークではそんな人間関係のない仕事を求める。
仕事を斡旋する人もそれを理解し、彼女に薦める仕事は、彼女にぴったりのもの。彼女だって自分にぴったりと思っている。
だけどどうしてか続かない。(私だって、続かないと思う、人間関係とは違う意味で疲れるんだもの)。
ホント、「この世にたやすい仕事はない」んですよね。

私ならこのうちのどの仕事を選ぶだろうと考えてみると、最後の「森」かな?
大きな森林公園の中の小さな小屋で一日過ごし、午前と午後に森を見回るという仕事。
あまり何にもないのもよくないと、ある催事のチケットにミシン目を入れる業務をあてがわれるのだけど、単純作業にしかすぎない。
森林浴をしながら一日過ごすって悪くなさそうだけど、まぁそれでも主人公にはいろいろなことが起こる。
構成も登場人物(隠れた、でも重要なサッカー選手も含めて)の設定も、この章は素晴らしい出来だと思う。
それにしても森林の樹木で花粉症になってしまうなんてお気の毒なことだ。(冬にも花粉症って、木によっては発生するんですね。)

一般の仕事を辞めて作家に専念するようになった津村記久子がちょっと心配だったけれど、こういう作品を書くとは意外でした。
仕事という話の展開のさせ方、見事です。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

辻村深月「きのうの影踏み」

辻村深月は山梨県人なんですよね。
私が引っ越してきた山梨の人。つい応援したくなる。
といっても彼女の小説をそう多く読んでいるわけではないのだけれど、これを含めて、かなり巧みな書き手だなと感心している。
しかも、あざとさがないのが素敵だ。

この「きのうの影踏み」は初のホラーだとか。
ホラーと言っても、身の毛もよだつという恐怖ではなくて、もっ身近などこか懐かしさを感じるような怖さ。
それをタイトル「きのうの影踏み」がよく表している。
「きのうの影踏み」・・ちょっと懐かしく、どこかうっすら怖そうな気配があるではないか。

嫌いな「消したい子」の名前を書いて10円玉と一緒に寺の賽銭箱に10日間続けて入れると、その子が消えるというおまじない。(どんでん返しがあるんです。これが不支持な怖さ)。
幼稚園に通う息子が「だまだまマーク」と言い始めたが、それを言う子はわが息子だけ。そのことを先生に話すと先生の顔色が変わった。
小説家たちのところに届く同じ差出人からの手紙。そのとりとめのなさがジワリジワリと近づくなにかの予兆のような。
大学の友人たちを秋田の実家に連れて帰り、ナマハゲを経験させてあげようとしたが。

直接的な怖さは「ナマハゲとわたし」が一番だった。これは暴力的な恐怖感でいっぱいになる。
(ナマハゲって小さな子供には泣いちゃうくらい怖いですよね。私でも怖いもの。でもこのお話しのなかのナマハゲの裏話にはユーモアもあって地元ならではのおかしみがある)。
ジワリジワリと書いたけど、作家への手紙の怖さが心理的にはもっとも効いた。
ある女性から「あなたの小説は一度も読んだことがありません」と手紙が来る。ということはファンというわけではないのだろう。
彼女は「ある歌手が好きでその人がDJをしているラジオ番組をいつも聴いている」と続けているが、そんな歌手も番組も存在しない。
そしてその手紙は細かな個所で少しずつ変化し、だんだんと彼女に包囲されるような恐怖が高まる・・
これは意味がなく、訳が分からない、目的もわからないからこその気味悪さで、背中がじっとり汗ばむ感じ。
でもこれと同じような怪しい手紙を有名人が受け取ることって、案外あるのかもしれない。気の毒なことである。

怖さの感受性には個人差がある。
何を怖がるかは体験からくるものもあるだろうし、本能的なものもあるはずだ。
そして恐怖を表現する方法も人それぞれ。
「ギャーッ」と大声で叫ぶ、身がすくんで固まる、やみくもに走る。
私は叫んで走るだろうけど、足が遅いからつかまってしまうと思う。なお、怖い。

この短編集の中には作者本人のプライベートに関するできごとが書かれていて、例えば彼女がお産で山梨の実家に帰っていた時のこととか、その同じ町に占い師が住んでいるとかあって、ふーん、彼女はあのあたりの出身なのかとわかったりして楽しかった。
彼女は、占い師とかは私の住む八ヶ岳麓に住むのかと思っていたと書いていて、自分の町にそういう人が住んでいるのは意外だと書いているが、そうなんです。ここ八ヶ岳は縄文時代から「気」の良いところだったらしく、現在でも新興宗教団体がたくさん本部や支部を持っているんです。
その数を数えるとびっくりするくらい。
勧誘をしないことを条件に大きな施設を建設した団体があるし、二人組になってにこやかに(誠実そうに)各家を訪問している組織もある。
これ以上宗教法人が増えるのは、ちょっと怖い。
まぁ、それぞれ摩擦を起こしているわけではないので、害はなにもないんですけど。もしあれば、これはホラーですよね。


posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月13日

高野秀行・清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」

アフリカのソマリランドと日本の中世には類似点がたくさんあった?!
ソマリランドと室町時代がどうリンクするかがこの対談集のテーマ。
対談するのは世界の辺境を旅してきたノンフィクション作家の高野秀行氏と、歴史家で日本の中世史が専門の明治大学教授の清水克行氏。
どちらも良い意味での「異端」の人たちで、ジャーナリズムやアカデミズムとは違う方向から、時空を超えた土地と歴史の考察を行っている。
これ、とても知的好奇心をそそられる対談で、目からウロコの話題が次々に飛び出し、つくづく自分が何も知らない人間なのだと反省しつつ、おおいに楽しんだ。
とてもレアな対談集だと思う。
私は高野氏も清水氏もどちらの著作もこれまで読んだことがなかったので、先入観なしに読んだのだが、ホント、面白かったです。

ソマリランドと室町時代を一つ同じ括りにするとしたら、それは「カオス」だろう。
じつに混沌としている。確固たる法律がない。
それでもそれなりの規約はあって、例えばソマリランドで男を殺せば100頭のラクダ、女を殺せば50頭のラクダで賠償をする。
しかし室町時代の日本にはそのような「法」はなかった。
殺されたら「仇を討つ」ことで殺人は終結となった。命を金銭や物品で購うという思想がなかったのは江戸時代まで続いた。
そしてそれはおそらく現在の日本の精神性に残っているのではないかと私は考える。
先進国の中でも日本は死刑制度を持っていて、日本人のかなりの人が死刑を容認している。これは個人で仇を討つことができなくなったので、法律により命の仇を討とうとするからではないだろうか。

その他に、これはもう読んでもらうしかない、読んでもらうのが一番というしかないのだが、この本の視点にまず驚くだろう。
モノゴトというのは切り口でずいぶんといろんな見方ができるものなのですね。

カオスの日本の室町時代だが、私はかねてより日本の精神性や美意識の根本は中世に創られたと考えている。
日本人の身体性もこの時代に創られている。
茶の湯、能、古武道・・どれも腰を落とし擦り足での動きである。
そしてこれら三つの美意識は身体性とともにいまも続いている。(それらが庶民の間で花開いたのが江戸文化だ)。
つまり、日本の中世には日本人のすべてがすでにあった。それらが形を変え、形を崩し、現在に至っているのだと思っている。

高野氏の話が本当に興味深かったので、彼の他の本を是非読んでみたい。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

辻原登「Yの木」

これ、読もうかどうしようか迷った。
辻原登はいつもシュアな作品を書き、その文章は素晴らしく、好きな作家なのだがどうもこの頃暗くて救いがなさすぎて気が滅入るからだ。
でもやっぱり、辻原だんもんねと、読んでみた。

3つの短編と表題の中編が収録されている。
3編の短編「たそがれ」「首飾り」「シンビン」はそれぞれ趣向の異なる物語。
辻原にとっては努力なしにさらりと書けるものだと思う。
悪くはないが、ストーリーが手馴れ過ぎていて、読後すぐは悪くない印象を持つものの、すぐに忘れてしまいそう。
やはり表題の「Yの木」がこの本のメインとなる作品だろう。
これは読みごたえがあった。

主人公の「彼」は犬と散歩をしていてYの字のかたちの一本の木を見つける。
その木を見ていると一人の男のことを思い出しす。
「彼」は和歌山の小さな町の郵便局長の息子として生まれ、東京の大学を卒業後出版社に勤めながら作家を志していた。
その頃知り合ったのが大瀬渉という男だった。
大瀬渉は大瀬東二という筆名で第36回芥川賞候補となったこともある、(その回の候補は他に北杜夫や藤枝静男がいたが、該当者なしとなった)
大瀬は三重県の医大卒で医者だったのだが、筆一本で生きていこうと医者をやめたのだった。
大瀬は児島信夫に私淑したが、小島からはフィクションに向かないという意味のことを言われ小説を断念したのか、医療関係のライターとなりそれなりに成功した。
若かった主人公の「彼」は大瀬の家に招かれたり親しくしていたが、お互い忙しくなりいつのまにか疎遠に。
ある日、「彼」は大瀬の訃報を知った。編集者に聞いてみると自死だと言う。。

やはりこれも明るくはない。「死」と「失望」が漂っている。
「彼」の妻の死もある。
それでもここには、同じ文学を目指した者へのシンパシーがあって、心打たれる。
平坦ではない小説を書くということ。それはゴーストライターとしての仕事や他ジャンルの書きものや評伝などではけっして充足させられない遠い道のり。
その道半ばで折れてしまった人間へのレクイエム。
他人事ではない、の想いもあるのかもしれない。

大瀬のような人って多いのでしょうね。
たとえ芥川賞を受賞しても、その後に消えて行った人はたくさんいる。
小説が大好きな私は、大瀬にも「彼」にも、小説書きすべてに「頑張れ」と言いたくなった本でした。
posted by 北杜の星 at 07:40| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

高橋弘希「朝顔の日」

この作品も昨日の「夏の裁断」と同期の芥川賞候補作品。

これ、よかった。とても私好みの小説だった。
昨日も書いたが、私は又吉さんも羽田さんも読んでいないので比較はできないのだが、これが受賞したとしても誰もが異論はないのではないだろうか。
まず、この静謐さがいい。
見るもの、起こることに対し感情過多にならず、むしろ即物的に風景を描写しながら、心象にあふれている。
じわりじわりと心に沁みてくる文章だ。

凛太は妻の早季を見舞うために高台にある療養所に通う。
早季とは幼馴染で結婚したのだが、結婚まもなく彼女は結核になってしまう。
担当医師、検査や治療、同じ病気の患者たち。
それらがときにそこはかとないユーモアを交えて語られる。

結核がTB(ドイツ語でテーベー)と呼ばれ、死病だった時代。
日本が太平洋戦争に足を踏み入れた頃。
早季の症状が進むにつれて、戦争も激しさを増してゆく。

病院という非日常の場所が舞台となっているが、次第にここが日常となる様子がなんだかかなしい。
でもこれはジメジメ湿気の多い病妻物語ではない。むしろすごく乾いている。
強く声高な表現はどこにもないが、凛太の早季への愛情がふんわり感じられる。
それは二人が幼馴染ということが大きいのだろう。幼いころの、二人の兄や姉を交えての思い出がキラキラしている。
湿っていないからこそ早季がせつない。

とにかく感情的に大袈裟な文章はどこにもない。
この文体、好きだなぁ。
高橋弘希は1979年生まれ。オルタナ系ロック・ミュージシャンをしていたらしい。
ロック・ミュージシャンをしていた作家は他にも辻仁成や町田康がいる。
辻は嫌いで読みたくない作家だが、町田康は大ファン。
町田康はパンク・ロッカーらしく、書くものもパンクである。
でもオルタナ系ロックをしていた人とはとうてい思えないほどの静けさが、高橋弘希の作品にはある。
でもこの静けさはただものではなくて、静かな熱情ともいうべきものなのかもしれない。

前作「指の骨」も絶対に読んでみます。これも時代は戦時中のものらしい。
楽しみな作家が増えました。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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