2014年10月06日

俵万智「旅の人、島の人」

台風18号の激しい雨音に夜なか何度か目が覚めたため、今朝起きると9時近くにもなっていました。
皆さまのお住まいのところでは、被害はありませんでしたか?
今日ご紹介する俵万智さんは石垣島に住み始めて3年半。
少々の台風には驚かなくなっているのでしょうか?

3・11直後、仙台から一人息子とともに沖縄に避難した俵万智。
3週間を那覇のホテルで過ごしたのち、友人の住む石垣島に行ったところ、震災後赤ちゃん返りをしていた息子が島の子どもたちと元気に遊ぶようになった姿を見て、彼女は石垣島移住を決意した。
あれから3年余り。息子は10歳となった。
3年という時間は「旅の人というにはやや長く、島の人というにはまだ短い」。
けれど旅人でも住人でもない目で見るものには独特の視点かある。それを書いたのがこのエッセイ集だ。

石垣島。沖縄には行ったことがあるが石垣島にはないなぁ。
沖縄から飛行機で1時間もかかる遠いところだ。
気候は亜熱帯。それでも冬には10℃を下回ることがあるそうだ。暑さに慣れたが寒さに弱くなった身には、10℃前後でもとても寒く感じるらしい。
夏の日差しの強烈さは肌が痛くなるという。気温が高いだけではない。湿度も高い。
移住して驚いたのは梅雨時期の湿気で、紙類がしんなりたり、電話帳のような厚みのあるものはぼこぼこになったというからすさまじい。
フローリングの床を素足で歩くと、ピタピタとくっつく音がする。
あぁ、これは私はダメだ。絶対に住めない。紙類だけでなく私もぐんにゃりとなってしまう。

それと虫!わけのわからない大きな虫やヤモリがごそごそ出るなんて、とても虫を万智さんのようにお客様扱いはできそうもない。
そういえば私の住む八ヶ岳は寒冷地だからか、ゴキブリがいない。
もう数年ゴキブリの姿を見ない。見ないのを当たり前のように暮らしているけれど、これはありがたいことだ。
まぁそのかわり、カメムシやカマドウマはいるけれど。

万智さん、運転免許を失効したひとなんです。
1時間に1本のバスでは不便だが、彼女が運転できないことを知る島の人たちがなにかというと車を出してくれて、なんとかやっていた。
息子もうまく便乗させてもらって3キロ離れた学校に通っていた。
でも現在では彼らもたくましくなり、万智さんは電動アシスト付きの自転車で出かけ、息子は歩いて通うようになった。
海に行けばもずくが採れるような自然いっぱいの土地で、彼女たちは旅人でもなく島人でもなく暮らしている。

「万智ちゃんを 先生と呼ぶ 子らがいて 神奈川県立橋本高校」

と「サラダ記念日」のなかで詠んだ俵万智も50歳を超えた。
新宿ゴールデン街の「クラクラ」で、ときたま料理をつくってカウンターでお客さんの相手をしたり、いつのまにかシングルマザーになっていたり、いろいろな時間が流れた。
石垣島での生活がいつまで続くか、それは彼女にもわからないのじゃないかな。
まだ旅の途中なのかもしれない。けれどどうであれ、いま彼女と、すっかり島言葉になった息子の日々は楽しく輝いていて、幸せそうだ。
posted by 北杜の星 at 09:01| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月03日

中村航「小森谷君の決めたこと」

この小説の成り立ちはちょっと変わっている。
中村航担当の編集者が「男子」の小説を書いてみませんかということで、実在する一人の男性を紹介してくれ、彼にインタビューを重ねてその半生を書いたものなのだ。
最初、中村航はかなり迷ったらしい。
それはそうだろう。誰かの人生をそのまま書くのは、たとえそれが波乱万丈であったとしても、おもしろいとは限らない。
どんなに「事実は小説より奇なり」でも、小説家は小説を書きたいだろうし、読者だって小説を読みたい。
普通の人の「伝記」を読んでもつまらない。
現に中村航は「小森谷君」の奇蹟のできごとを知っても、その材料で書けるとは思わなかったようで、「小森谷君」の幼稚園、小学校など成長する過程でのエピソードをいろいろ聴くことで、やっと書けるかもしれないと自信がもてたそうだ。

小森谷君のお母さんは離婚したのか、お父さんが出て来ない。
でも彼はみんなの愛情たっぷりに育った。
幼稚園のときは先生に恋をし、「ぼくが20歳になったら結婚してください」とプロポーズ。
小・中学校を経て高校生の時には、親友にめぐり会い、後に仕事となる大好きな映画にも出会う。
その高校のとき、彼はちょっとだけヤサグレタ。そのヤサグレ方は友人から言わせると「仁義なき小森谷君」ということになる。
高校生でアルバイトするには担任の先生の許可が必要だった。
先生は許可を出すがその条件として「遅刻をするな」と命じた。小森谷君は「はい」と確かに答えたのにもかかわらず、翌日遅刻した。翌々日もその次の日もずっとずっとこれまでと同じように遅刻した。これがつまり「仁義なき」ということ。
母親に苦労させたくなくて、悲しませたくなくて、思いやりのある小森谷君でも、こうして「仁義なき」人になるのは、まぁ世間知らずということなのだろう。
大人になってもこうだと問題だけど、これが彼のヤサグレ方だったのだろう。

お母さんを心配させたくないと思いながら、大学受験はニ浪、大学では留年。
卒業後もまともな就職はしなかった。
でも大好きな映画の仕事をすることになった。日本中にある映画館チェーン会社だった。
京都に転勤になり「さぁ、頑張ろう!」と思った矢先、彼はホジキン病(リンパの癌)にかかってしまう。
それもW期。転移した末期癌だった・・

「小説より奇なり」はここから起きるんです。
過酷な抗がん剤治療を耐え、彼の癌は消滅したのだ。
そしてそれまで告白しても玉砕し続けていた「恋」が初めてかなったのだ。

ストーリーをばらすのはつまらなくて、いつもの私はここまで書かないのだけれど、でも「小森谷君の決めたこと」は全部書いていいと思う。
それを知った上で、充分楽しめる本だからだ。
むしろ知って読むほうが面白いかもしれない。
普通の「男子」が普通に話す(ほとんどが普通で、時に真剣だったり大変だったりすること)を、じっと聞いている中村航を想像しながら読んでしまった。

小森谷君の親友の土岸君、いい味だしてます。
病気で京都のアパートを引き払うのに土岸君の車で連れて行ってもらう場面。
「ありがとう、土岸」
「おう、他にも行きたいところがあったらいつでも言えよ。ただし飯はおごれよ。」と。
だんだん快方に向かう小森谷君に土岸君は「おまえ、仮病だったんだろ」と。

にくいセリフです。
うん、これは「男子」の小説でした。
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2014年09月08日

司修「幽霊さん」

「幽霊」というと不気味でこわいものに感じるが、「幽霊さん」と呼ぶとなにやら会えるのがうれしいような印象をもつ。
3・11の大津波で突然その生をもぎ取られた人たちが、「幽霊さん」となって目の前に現れるのなら会いたいと思うひとは多いだろう。
海を見て花をたむけるひと、亡くなった家族を偲ぶひと・・かれらは「幽霊さん」を待っている。
宮沢賢治の震災体験を重ね、彼の最愛の妹の死を織り交ぜながら、東北の方言で語るおじいさんとおばあさんの死者と生者との会話がせつなくも美しい。

司修は画家であり装丁家であり小説家でもある才能豊かなひとだ。
私はこれまで彼のエッセイ「本の魔法」しか読んだことがなく、小説は初めてだった。
このような作品を書くひとだったのかと、少し驚きがあった。
「本の魔法」では、本を読むひととしての本との向きあい方、装丁家として小川国夫らとの関係が描かれていて、とても興味深いものだったが、そこには短編集「幽霊さん」にあるような司修の「想い」はあまり感じなかったからだ。

「幽霊さん」「16歳の死」「ガリバーがやって来た日」「うらぎり」「珊瑚の雪」にはどれも司修の「想い」がある。
死者へを悼む気持ち。戦争への怒り。差別に対する憤り。創作の悩み・・
とくに南の島の戦時中の数々のできごとの理不尽さには、こちらまで怒りに震えてくる。
敵国アメリカよりも日本軍が島の住人たちにしたことは許せない。
そこには確かに島の人々への差別意識があった。
どんどん右傾化している今の世の中において、私たちが愚かなことを繰り返さないためにも、知っておくべき事実がここにはある。

司修の想いは強い。
しかしそれを彼はけっして激しい筆では書いていない。まるで島唄のように土着的に静かな文章で書いている。
だからこそ伝わって来るものが大きいのかもしれない。
この本は「ぷねうま舎」から発行されている。
はじめて知る出版社だ。
民話的、キリスト教的、スピリチュアル系の本が多いようだが、ちょっと読んでみたい本を出しているみたいだ。
「ぷねうま」とは風のことらしい。
posted by 北杜の星 at 08:02| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月21日

田中兆子「甘いお菓子は食べません」

女性の官能小説に与えられる「女による女のためのR−18文学賞」をデビュー作の「べしみ」で受賞した田中兆子の初の短編集。
6つの短篇はゆるく繋がっているので、連作短編となっている。
「べしみ」は一番最後に編集されている。
「甘いお菓子は食べません」というのが本のタイトルだがそういう題の短篇はない。
確かにこの中の40代の女性たちの悩みは、20代や30代の若い女の子とは違って、甘いお菓子くらいで解決したり、心が癒やされるほど簡単ではないのだろう。
この中の彼女たちはお菓子ではなく、お酒。
居酒屋に行ったりバーに行ったりはしても、ケーキ屋さんに行くことはない。

若い頃にバブル期を経験した40代後半の女性たち。
バブルに乗りきれなかった、あるいは乗っても波が消えてしまった女性たち。
結婚願望いっぱいだったり、アルコール依存を断ち切る暮らしをしていたり、セックスレスを宣言された夫に向きあったり、50歳を目前にリストラされたり、母となるかどうかを考え続けていたり・・
40代の女性はあきらかに30代とは異なる日常を生きている。
30代はまだ希望を捨てていないけれど、40代の彼女たちはもっと重苦しいものを抱えているのだ。
仕事の責任は増えるばかり、かといって正当な評価には程遠い。
夫や子どもから理解されていないようだが、それでは自分が彼らを理解しているのか。
ほとんど諦めながらの暮らしに、それでもまだ諦めきれない自分を愛おしく思ったり疎ましく思ったりしている。

でもすごくシリアスなのに、田中兆子はどこか対象を突き放して見ていて、それがなんだか笑える部分となっている。
しつこいまでのディテールの描写が、そのおかしみをb
とくに「べしみ」は女性器と性欲の描写がユニークで面白い。こんなにオドロオドロしくなくこういうことが書けるなんてスゴイ作家だ。

あまり期待せずに読んだこの本、意外にも三重丸。
今後が楽しみな田中兆子さんです。
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月14日

高峰秀子「瓶の中」

生前、高峰自身が「一番好き」と言っていたのがこのエッセイ集「瓶の中」。
これが最後の本になるだろうの彼女の言葉は外れて、以後40年、彼女は次々に珠玉のような文章を遺してくれた。
この大型本には文だけでなく、彼女の類稀なる審美眼をもって選ばれ、日常で愛用した品々の写真も載っている。
10代の頃から骨董屋を覗くのが好きだったそうだが、それは骨董屋の静謐さにホッと出来たからだろう。
銀座などの繁華街に行こうものなら、映画スター「デコちゃん」を一目見ようとすぐに黒山の人だかりとなってしまう。
骨董屋の主の話を聞きながら一枚の皿を求める、というほうが彼女にとっては息抜きだったのだ。

皿小鉢、酒器、花瓶、家具・・
値段の高いものばかりではない。ここにあるしょうゆ差しは塗りの小さなものだが、300円で買ったお雛様飾りの湯桶だという微笑ましさ。
用途や目的を自分流にアレンジする闊達さがある人だった。
もちろん高価なものだってある。
知人から贈られた龍村の帯を衝立に仕立ててもらい、部屋の間仕切りとして使っている。
その現実性には感嘆してしまう。
つくづく趣味のよい人だったと思う。

ひょんなことから丸の内のオフィスビルで小さなアンティークショップ「ピッコロモンど」をすることになった。
初めはそこの空間を美しくするために自分が持っている品々を置いたつもりだったが、「売ってくれ」というお客が来ることにびっくり。
以来、気に入ってくれたものをできるだけ安くと心がけ売るようになったという。
そしてどんな安い品を買ってくれた人にも「ありがとうございます」と心から言えるようにと。
それはこれまで自分の映画を見るために映画館に来てくれた人達への恩返しのつもりでもあった。
(自分の家にあるものを売るだけでは店として成り立たないのは当たり前で、あの中島誠之助さんがいろいろと手助けしていた)。

高峰秀子は私の母と同年齢だ。
戦争をはさんで日本が大変だった時代に生まれ育った。
高峰秀子はそのうえ、幼い時から(自分ではけっして望まなくて)女優として家族を養わなければならなかった。
醜いものもたくさん見てきたはずだ。
それでもそういう世界に損なわれない確かなものを持っていた。
選びとるものを間違わずに生きるというのは、なかなか難しいことだが、彼女はそれができた人である。
本当の意味の賢さを持っていたのだろう。

晩年彼女は編集者の斎藤明美さんを養女にした。
おそらく自分のためと言うよりも、後に遺される夫の松山善三のことが心配だったのだと思うが、周りからはずいぶん酷いことを斎藤さんは言われたらしい。
「高峰秀子は騙されている」という人たちがいた。
それに対して松山は「うちのかあちゃんが、騙されるようなタマか」と笑っていたそうだが、たしかにその通り。
そんな心根の卑しいことを言う人たちは、高峰秀子の何がわかっていたと言うのか?
騙されたふりはしても、騙される人では絶対にない。

文章には人間性が表れるとコワイことが言われるが、高峰秀子の文章を読むとたしかにそう思える。
「瓶の中」、期待に違わず素敵な本でした。
posted by 北杜の星 at 08:11| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月05日

辻原登「寂しい丘で狩りをする」

辻原登の作風をひと言で表わすのは難しい。
長編、中短編、どれも題材が多岐にわたっていているからだ。
中国、野球、落語、歴史・・ストーリーは違っても、小説を読む喜びがいつもある。
しかし前作の「冬の旅」はあまりに暗く救いがなかった。
どこで道を外したか、悪い方、悪い方へと歩いて行くしかない男の人生の暗さに、読後しばらくは明るい気分になれなかった。
(「冬の旅」というタイトルは、シューベルトの「冬の旅」にしてもアニエス・ヴァルダの映画「冬の旅」にしても、みんな暗いんですよね。)

この「寂しい丘で狩りをして」もけっして明るいテーマではない。
フィルム・エディターの野添敦子はかつて自分をレイプした凶悪犯押元が刑務所から出所し、復讐のために狙っていることに怯えている。
女性探偵の桑村みどりは野添から押元の動向を探るよう依頼されるが、桑村自身も交際相手の久我からの暴力に苦しんでいる。
追い詰められた二人の女性が結びつくとき、彼女たちの卑劣な男たちへの防御と抗戦が始まる・・

体力を考えると女性は弱い存在だ。
その弱さにつけこみ、男は女性を力で抑え込もうとする。
理不尽なできごとに女性はただ逃げるしかないのか?
けれど男たちは執拗で残忍であきらめない。

追手の影が迫りくる。
逃げるというのは、追手に背中を見せること。
しかしいつかは追手と対面しなければならない。顔と顔を合わせて対峙しなければならない。
ハラハラ、ドキドキの連続だった。
けれどこれが「冬の旅」のように暗いばかりでないのは、女性ハードボイルと・ミステリーという雰囲気があって、とくに桑村みどりの最後の行動が小気味いいからだ。
それと犯罪以外に「映画」というもう一つの主軸が素晴らしい。
野添敦子のフィルム・エディターという仕事柄、山中貞雄の映画をはじめ、無声映画からの日本のいろんな映画フィルムが登場する。
高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」は日本初の総天然色映画として有名だが、それにはモノクロ版もあったそうで、その上映会に敦子は関わったという設定になっていたり、古いフィルムが発見されて修復をしたりと、映画ファンにはたまらないエピソードが多い。
古い日本の映画だけじゃなく、「ブレードランナー」とか「ケープ・フィア」なども出てくる。

辻原登は作品の緻密さと品の良さだけでなく、いろんな分野に詳しくてそちら方面でも楽しませてくれる作家ですね。

posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

千早茜「男ともだち」

千早茜はいま私が気になっている作家で、小説すばる新人賞や泉鏡花賞を受賞し、今期第151回直木賞の候補になっている。
アフリカのザンビア育ちらしい。
西加奈子のエジプト育ちといい、最近の若い作家はずいぶんとグローバルなんですね。
私たちの頃はせいぜいアメリカやイギリス育ちで、それだけでも「すごーい」って感じだったのだけど。

主人公のカンナは29歳のイラストレーターで、大学時代からの京都住まい。
彼女は恋人と同棲しているが、彼とは同居しているというだけの関係となっていて、勤務医の愛人がいる。
カンナは浮気に何の罪悪感ももっていない。
ただそれをあからさまにすると同居している男に悪いので、いろいろと繕わなければならないので、それが面倒だと思っている。
仕事が忙しくて家事ができないカンナにその恋人やとても寛大で、それも彼女の精神には負担となっている。

そんなカンナが気を許せるのが大学の先輩であるハセオ。
ハセオとの間には恋愛感情はないし、セックスもない。
お互い勝手なことを言い合っているが、二人には二人にしか理解し合えない類似点があって、浮気に罪悪感をもたないというのもその一つ。
冗談に紛らわせながらそっと慰めたり励ましたりしてくれるハセオにこれ以上甘えられないと思いつつ、カンナはハセオを拠り所にしている自分に気づいている。

男と女の友情は成立するかという永遠の命題は別として、この小説が成功しているのは、カンナとハセオのキャラが際立っているからだ。
カンナの奔放でいながらポキリと折れてしまいそうなところ。
豪放磊落のようで、人間観察が鋭いハセオ。
確かに彼ら二人は似た者同士だ。
カンナは仕事としてのイラストだけではなく、いつか自分の絵を描いて絵本を出したいと強く願っている。
ハセオも制約会社のMRをしているが、どうもそれだけでは終わらないと考えている。
二人とも人生に、良い意味での野心を持っているのだ。

ちなみに、カンナもハセオも名前ではなく苗字。

小説や映画にはエンディングがある。
カンナとハセオの関係も、いまはこれで終わっている。
けれど二人の人生はこれからだ。まだ三十代前後なのだから。
エンドマークの後で、彼らが変わる可能性だったあるかもしれない。
20年後のカンナとハセオがどうなっているか?
それを知りたい。
posted by 北杜の星 at 07:23| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月24日

高橋源一郎・辻信一「弱さの思想」

ともに明治学院大学国際学部の教授である高橋源一郎と辻信一は2009年、「弱さの研究」という共同研究を始めた。
「弱さ」を考えることで、効率至上主義、経済優先社会が変化する可能性を模索するためだ。
「弱さ」は弱いだけの存在なのか?
「弱さ」のなかの強さ、「弱さ」の役割があるのではないか?

辻信一はエコロジカルな運動家としてその名前を知ってはいたが、著作を読んだことがなかった。
今回、対談ではあるが彼の考えや言動が理解できたのはよかった。
アメリカ、カナダ在住経験で知り得たことと、この日本という国での意識ギャップを感じつつ、彼の反原発など環境運動は続いている。
それと彼は在日の人なので、そういう立ち位置も関係しているかもしれない。
しかしこれを読むと、彼がけっしてギトギト・ゴリゴリの活動家ではなく、じつに柔軟な印象がある。

老人、病人、障碍者・・こういう人たちは「弱者」と呼ばれる。
しかし彼らを「弱者」としているのは彼ら自身ではなく、社会なのではないだろうか。
経済活動をしないからといって、害悪、邪魔とは思われない、そういう社会ならば、障碍者という言葉さえ消えるのではないだろうか。

そもそも「強者」と「弱者」の二元性だけで世の中が成立するものなのか。
強くても弱さが露呈することがある。
例えば原子力発電だ。
3・11まで原発はまさしく「強者」の論理で稼働してきた。しかし3・11以来、原発がいかに脆弱なものかを国民は知った。
そしてそこに住んでいた人たちは放射能汚染によって「弱者」となってしまった。
「強者」はいつまでも「強者」であり続けないし、「弱さ」のなかにはきっと「強さ」があるはずだ。
(この本では、山口の祝島の反原発運動が紹介されているが、弱い立場の漁師さんやおばあさんたちのパワーが、強いはずの電力会社に徹底抗戦する様子が話されていて、彼らの行動のあっぱれさには拍手喝さいをしたくなる。)

高橋源一郎がそのことを知ったのは、現在小学生の次男が2歳の時だった。
次男は風邪をひき脳炎となりかなりの症状だったのだが、奇跡的に少しの後遺症ですんだ。
その時に同じ小児科病棟の難病の子どもたちのお母さんたちがとても明るいのに気づいたという。
障碍を持つ子ども、明日の命も知れぬ子どもを持ちながら、なぜ彼女たちはあんなに明るく幸せに暮らせるのか?
高橋は何人かの母親に質問した。
そしてわかったのは、「弱者」である子どもたちの存在そのものが母親を強く明るくしているのだと。
やがて彼自身が次男の成長とともにそのことを実感するようになる。

このブログを読んでくださっている方はご存知だと思うが、私の目は錐体ジストロフィーという網膜色素変性症の一種の特定疾患に罹っている。
先週の日曜日に甲府でこの病気や視覚障害者に関するシンポジウムがあって、夫と一緒に参加した。
そのシンポジウムは「災害時の障碍者の救援」というもので、もし私の住む山梨県で大災害が起きた場合にどう対処するかが議題だった。
3・11時、障碍を持つ人の死亡率は健康な人の2倍だったそうだ。
目の見えない人、耳の聞こえない人、話せない人・・
感覚器官から情報を得ることができない障碍者は逃げ遅れたのだ。
幸いにも生き残れた障碍者をサポートしたくても、どの障碍者団体にも属さない人がたくさんいて、その所在がわからないこともあった。
(障碍者手帳を持つ人の情報をNPOが求めても、自治体は個人情報は教えられないと情報を開示しないところが多かったと言う。これってプライオリティがないかをまったく理解していない大バカ者だと私は思う。)
都会と違って田舎では、障碍者であることを恥じて、障碍者手帳の交付を拒んだり、団体や組織に入らない人が多い。
そんな人は、音声の腕時計や音声の体温計などの生活補助備品があることも知らない。
つまり「弱者」が「弱者」のままでいるのだ。

自分が「弱者」になったことにまだ慣れない私だが、「弱者」だけでいないために自分でもできることが必ずあるはずだと信じている。
私の存在だけで明るくハッピーになれる人がいればいいのだけど、まぁそんな人は私の夫くらいかもしれない。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月17日

田丸公美子「シモネッタのどこまでいっても男と女」

田丸公美子はご存知のように、イタリア語通訳家。
シモネッタという渾名は下ネタ好きをイタリア風にもじったもの。
誰を相手に下ネタを連発したかというと、今は亡きロシア語通訳として有名だった亡き米原万理だ。
どちらもすこぶる頭脳明晰な女性たち。その丁々発止のやりとりは是非聞いてみたいものだった。
米原万理が通訳家としてだけではなく文筆家としてエッセイや小説に活躍したように、田丸さんもなかなかの文章を書く人で、パワーとエロスとユーモアにあふれている。
でも彼女の分から私が感じるのは、田丸さんってとても一生懸命な人、真っすぐな人ということだ。しかもサービス精神に富んでいる。
これまで彼女はイタリアや、通訳として接してきたイタリア人について、抱腹絶倒のアレコレを書いてきた。
しかしこの本はちょっと趣が異なる。
これはかなりパーソナル。しかもこれまであまり登場してこなかった「夫」や「両親」のことが書かれている。
これまでも彼女は「息子」についてはときおり書いてきた。
溺愛といってもいいくらいの可愛い可愛い一人息子のことだ。
幼稚園の時いつも一緒に遊んでいた女の子と将来結婚するの?と先生に訊ねられ、「ううん、あの子は遊び」と豪語し、中学か高校の時に彼宛てに届いた宅配便にはコンドームがグロスで入っていたとか、将来いったいどんなカサノヴァになるのやら。。と思っていたら、東大法学部に現役入学、弁護士となり、なんとなんと、23歳で結婚!
心配すること、ないんですね。

そんな田丸さんの夫、息子の父親というのはどんな人なのか?
子供が独立したいま、家には夫と妻だけ。
「かすがい」がいなくなった夫婦は、どう向き合うのか。
腹立たしさも恨みも悔しさも、消えはしないがそれは諦念となってしまった。

田丸さんのご主人は15歳年上。
大学を卒業したばかりの貧乏な彼女には、素敵なレストランに連れて行ってくれ、豪華なプレゼントをわんさかくれる王子さまだった。
でもニンゲンの長所って、見方を変えると短所でもあるんですよね。
結局彼は無駄遣いの好きな、貯金ほとんどゼロの男だった。のそのうえ結婚後は、いろんな事業を起こしては失敗。金銭的なしりぬぐいはいつも田丸さんに。
しかもそれに対して罪悪感も卑屈心もまったく持たない豪傑ぶり。
「僕は組紐学校の理事長です」と悪びれない。(組とは公美子、紐とはヒモのこと)
罪悪感や卑屈心のない証拠に、浮気もしっかりしていた。
田丸さんのお父さんというのが、この夫と同じような人だったみたいで、お母さんはずいぶんと苦労したらしいが、同じタイプな男の選ぶとはDNAということか。

でも離婚もせずに結婚を続けてこられたのは、ご主人がありのままの田丸公美子という一人の女性をそのまま受け入れていたからだと思う。
田丸さんはちょっと見、引く外見をしている。というかイタリア通訳家らしく化粧は派手、胸を大きく開けた服を着たり、その格好が日本人離れしているのだけれど、ご主人は一度も、そんな厚化粧はやめろとか、もっと上品な服を着ろとか、下ネタを言うななどとは決して言わなかったそうだ。
どんな彼女であっても彼女の存在を認めてきた。
No judgement というのは人を理解し受け入れるもっとも大切なことだが、なかなかできることじゃない。
かなりの大物と、このご主人、お見受けしました。

どこまでいっても男と女・・夫と妻は許し合い手をつないで残りの人生を一緒に歩むしかない。
大丈夫、パワーが少し落ちたくらいで凹むシモネッタ姐さんではありません!
posted by 北杜の星 at 08:06| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

都築響一「独居老人スタイル」

世間的には独居老人」には、寂しいみじめな一人暮らしのお年寄りというイメージがある。
独居老人が人知れず亡くなると、さもすごい悲劇のようにニュースが伝える。
でもそうだろうか?
私はいつも、歳を取って独りで住んでいると言うのは素敵なことだと思っている。
自分で自分のことができ、すべての時間を自分のために使えるなんて素晴らしいではないか?
そりゃ、ときには寂しいかもしれない。
だけど寂しいのは人間の本質、独りであろがたくさんに囲まれていようが、寂しいものは寂しい。人間というものがそういう存在なのだ。

ここに紹介されている16人の「独居老人」のことを知れば、「独り」ということ、「老いる」というこれまでのイメージが払拭されることだろう。
なにしろすごいエネルギーの持ち主たちなのでえある。
職業はそれぞれ、居酒屋主人、雑貨店経営者、映画館のお掃除担当、アーティスト、流し、日本舞踊家、スナックのママ・・
彼らには寂しさは微塵も感じられないし、老いすらない。
人によっては猛々しいといえるほどのエネルギーをもっている。
まぁ、みんな「変人」と呼ばれる人たちだが、それは歳を取ってからのことではなく、おそらく彼らは若いころから「変人」だったのだと思う。
つまり、生きたいように生きてきた人たちだ。
他の人の価値観や基準に動ずることのない人たちなのだ。

彼らのほとんどが市井の無名の人たちだが、彼らなりにアート活動をしている。
画を描き続けている人、廃物利用で作品を作っている人・・
お金には縁がなさそうな人たちが多いが、作りたいものを作っている彼らの姿は、優雅でさえある。
私にはエネルギーがないし、なにかを創造するわけではなく怠惰に過ごす毎日なので、きっとただの皺くちゃばあさんになるだろうし、年齢それなりで上等だと考えているのだが、彼らのように老いを蹴飛ばしながら生きている人がいるのは爽快で、なにかわからないものに対して「これを見ろ!」と叫びたくなる。

都築響一という人は、雑誌「popeye」「brutus」の編集に携わっていた。
これはこの本の著者紹介で初めて知ったのだが、彼はコンテンポラリー・アート全集の「アート・ランダム」全102巻を発刊した人だそうだ。
私はあの京都書院発行の薄いけれど充実した「アート・ランダム」が大好きで、有名無名に関わらず同じように扱う姿勢がうれしく、買って見るのを楽しみにしていた。
負担なく買える値段なのもよかった。
だけど引っ越しの際に古本屋さんに運んでしまったんです。ごめんなさい都築さん。その罰が当たって、今はすごく後悔しています。

アート、それもユニークなアートが好きな都築さんらしく、この本に登場する人たちもユニークさにかけては負けていない。
ともかくも「独居老人」が気の毒とは思えなくなることは間違いなし。
人間の幸不幸は年齢でもないしお金でもないことが、彼らを見ているとよくわかる。


東京は桜が満開。
八ヶ岳のここ、桜はまだですが春はきました。
白梅、紅梅、ひめこぶし。。咲きました。

DSCN2248.jpg
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月04日

千早茜「うたかた」

千早茜を初めて読む。
この連作短編集は第150回直木賞候補作品とのことだが、それさえ知らなかった。
賞を獲得するにはちょっと弱いが、なかなかよかったです。

タイトルに「うたかた」とあるように、すぐに消えゆくもの(のはず)がキーとなっている連作集で、「ほむら」「てがた」「ゆびわ」「やけど」「うろこ」「ねいろ」の6篇からなる。
最初の「ほむら」に登場する死んだ男から、メビウスの輪のように緩やかに繋がる短編には、心とからだが触れ合うはかなさが描かれている。
虚無的に生きる男、結婚を前にした女、不倫の妻に気づかない夫、自傷行為をする娘と彼女と同居する同級生の男の子・・
何も残したくないと思っても残るものがあるし、残そうと意図しても残らないものもある。
かたち、記憶、残りかたはさまざまだが、その痕跡はときに残酷でときにやさしい。

暗いものの多い中で、ストーリーはもっとも重く暗いのだが、読後ホッとしたのが「やけど」だ。
超美人のお嬢様育ちなのに、なぜか中学生のときからやさぐれて自傷行為を繰り返す女の子と、バイト禁止の学校でバイトをしていたのを彼女に見つかり黙っていてもらって以来、恩を感じるのか気ままにやって来ては居候する彼女を受け入れる男の子との関係性のかみ合わなさが、痛々しい。
若いころって、こういう傷つけ方をし合うものなんだよね。
どちらもうjまく自分を表現できなくて、いつしか大切なものを失ってしまう。
でもこの男の子、松本君は不器用だけど、気づくのだ。最後の最後で気づくのだ。
「頑張れ、松本!」と思わず声援を送りたくなる。

読み終わった後からじわりじわりと来る小説集です。
posted by 北杜の星 at 08:29| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月28日

高樹のぶ子「香夜」

夢幻と現実が織りなす日本の古典物語のような雰囲気の連作集。

「霧雨に紅色吐息」「カダケスの青い小箱」「猫に雪茸まろびつ濡れて」「桜ふぶきいのちの宵闇」
4編の題を見ても、タイトルの「香夜(かぐや)」を見ても、「和」が感じられる。
そしてどの編にも象徴的なものが登場する。
女の性そのもののような幻想の金魚、画家ダリの住んだカダケス、民話の中の白猫、着物の桜模様・・

主人公は流奈。
最初は変な名前だと思ったが、流奈はルナ、月のこと。竹取物語なのだと気がついた。
彼女と彼女の周辺の人々、かつて愛した男、家族を捨て画家と結婚しスペインに渡った姉、息子と孫、6歳で死んだ娘と同じく6歳で死んだ昔よく面倒を見ていた女の子が描かれるのだが、ここでは恨みや憎しみ、そして老いや死までもが日本的な美しさに満ちていて、どこかなまめかしい。
私はどちらかというと女流作家の描く「性」がおどろおどろしくて苦手なのだが、この高樹のぶ子の「性」は妖しいなまめかさにとどまっていて悪くない。
ただラストのラストのゴンドラでのシーンには、やはり「女流だぁ」と思わぬでもなかったけれど。

かなり完成度の高い小説だった。
ぎっしりと凝縮されて濃密な世界だが、映像的な文章に遊びがあって、そのタイトさと緩さがなんとも巧い。
これはヴェテラン作家ならではの小説ですね。
久しぶりに楽しめた高樹のぶ子でした。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

津村記久子「ボースケ」

芥川賞受賞作「ポストライムの舟」から5年後の物語。
でも今回はナガセが主人公ではない。
奈良市のカフェ「ハタナカ」とそこに集まる女性たちのお話だ。

「ハタナカ」の店主はヨシカ。
勤めを辞め実家を出て食事とお茶の店をもち、ようやく経営的に順調となってきたところ。
店で働いているのはみんなバイトやパートだ。
竹井さんは前の職場の出来事からウツッぽく睡眠障害がある。趣味はいろんな言語を勉強すること。
とき子さんは50代半ばの午後のパート。午前はコンビニで働いている。
あのナガセもまだいるようだ。

お客さんとして登場するのは、肌トラブルを抱え職場の人間関係に悩んでいるのぞみさん。
ピアノ教師の冬美先生。夫は純文学小説を書いている。
仕事が忙しく家事をする時間がまったくないゆきえさん。
それからヨシカの友人の娘の恵奈、小学校5年生で学校ではいちごを育てている。

津村記久子の小説にはいつも働く女たちがでてくる。
華やかな仕事ではない。
いまの日本の現状そのままの、どちらかというとワーキング・プア的な仕事や、職場でのハラスメントに苦しむ人たちを描いている。
一生懸命に毎日を送っているのに報われない。
そんなに多くを望んでいるわけではないのに。

それでも生きているとわるいことばかりではない。ちょっとだけいいことだって起こる。
そのちょっとだけいいことがあるから、なんとかやっていけるのだ。
「ボースケ」はノルウェイ語で復活祭のことだそうだ。竹井がカフェの本棚に寄付したノルウェイ語の本にあった言葉。
ヨシカは店で「ボースケ」を企画し、参加者を募る。。

それぞれが語り部となっている章で竹井が考えていることが、この本の作者の言いたいことではないのだろうか。
この国は戦争をしているわけではない。住んでいるところは平和でいいのかもしれない。でも個人的には敗北感に満ちていて悲惨なのだ。
そこから抜け出すにはどうすればいいのか。

みんなに悩みや苦しみがある。
竹井さんのようにそれが表面に出る人もいるし、とき子さんのように一見アッケンカランとしながら3人の問題いっぱいの子供たちを持っている人もいる。
でも誰かが誰かと繋がるとき、少し世界が明るく広がる。
大きな希望ではなくても小さな笑顔があれば、明日も頑張ろうと思える。
そんな彼女たちがとてもいとおしい。

「ボースケ」、読後感のよい小説です。
posted by 北杜の星 at 08:07| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月22日

多和田葉子「言葉と歩く日記」

露文科卒業後22歳でドイツに移住し31年。
多和田葉子はその間、日本語とドイツ語で小説・詩・戯曲・エッセイを書いてきた。
たんなるコミュニケーションとしての言葉ではなく、自分を表現するための言葉の模索を続けてきた人だ。
それは「話す」「読む」「書く」だけでなく、「考える」という深い意味をもつ。
だから言葉はただのツールではない。思弁のためのものなのである。
外国語で書くのはグローバル化だと思われるかもしれないがむしろその逆で、地域制を重要視しながら、かつどこでもないところ、どこでもあるところの出来事を多和田葉子は書こうとしているのではないだろうか。

この日記は言葉に限定している日記だ。
彼女は小学生のときから日記をつけているそうだが、それには日常のさまざまなことを書いている。
つまりこの日記は文章のプロとしての言葉の記録であり、書く仕事のためのテクストとなるものだ。
旅をして出会った人々との会話からこぼれおちる言葉、芝居や朗読のときに耳にする言葉・・
すでに知っている言葉がときにハッとする意味を響かせることがある。
そんな言葉を拾い集める毎日はいまも続いている。

この本のなかで面白かったのは、ドイツ語の考えるという単語 denken だ。
「私は考えている」と日本語で言う時、「何を考えているの?」と訊かれる。
日本語の「考える」には目的語があるのだ。
しかしドイツ語の「考える」には必ずしも目的語はなく、「考える」という行為だけがあるという。なにかを考えるのではなく、考えるために考える。
これは西洋哲学の世界ではないだろうか。
「我思う、故に我あり」のデカルトそのものだ。
その国の言葉にはその国の思考がある。

「わたしは翻訳家ではないが、いつも「翻訳者的な」場所に自分を追い詰めて、ドイツ語と日本語の文章を睨んでいる。この文章は訳せるのか、訳しにくいのかということを通じて現れてくる文章の特色を見ている。」
と書く多和田葉子はこれまで自作を自分で日本語からドイツ語に翻訳したことがなかった。
しかし「雪の練習生」をドイツ語にしてみたいという想いが強くなった。
それに関しての言葉の疑問をこの日記に書きだそうと試みた。
これまで彼女の小説やエッセイを読んできたひとにとっても、言語に関心のある人にとっても、この「言葉と歩く日記」はいろいろ勉強になると思う。

でもどうしても翻訳不可能な言葉というのはあるもので、たとえばポルトガル語の「サウダーデ」のようなさまざまな感情の入り混じる想いは「サウダーデ」としか言いようがない。
どの国の人にもそうした言葉はある。日本語の「侘び」だってそうかもしれない。
翻訳不可能な言葉、それでも訳さなければならないのだから、翻訳家は大変だ。
でもだからこそ言葉は難しいと同時におもしろいものなのだろう。
posted by 北杜の星 at 08:10| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

高野泰志編著「ヘミングウェイと老い」

ヘミングウェイの代表作は「老人と海」。
だからなのか、ヘミングウェイというと老人のイメージがある。
読者は主人公のサンチャゴにヘミングウェイが投影されていると思うのだろう。
たしかにパパ・ヘミングウェイと呼ばれるように白い髭の顔は老成している。
けれど彼が「老人と海」を書いたのは50歳代初めのこと、当時としても老人ではまだない。
この本は老人のイメージの強い「ヘミングウェイと老い」を編著者および9人の研究者が考察したもので、従来とは異なるヘミングウェイ像が浮かび上がる、ヘミングウェイ・ファンにとっては興味深い一冊だろう。

私はフォークナー以外のアメリカ文学をほとんど読んでこなかったので、ヘミングウェイも有名作品しか読んでいない。
「老人と海」は英語のお勉強として読まされたものだし、スペイン戦争を知りたくて「誰がために鐘は鳴る」を読んだくらいだ。あとは「武器よさらば」。
それと、「移動祝祭日」。これは私の大好きな本だ。(最近、新訳が出たそうで是非読みたい。)

「老人と海」を読んだとき、マッチョな小説だなと思った。
人間の誇りを描いているというのはわかるが、男の作家が男のために書いた小説だという印象だった。
私は男性の中の女性性、女性の中の男性性を描く文学に惹かれるので、ヘミングウェイの男の男性性が苦手だった。
一点の曇りもない・・という感じが、その文体と相まり、敬して遠ざかりたかったのかもしれない。

この本の中には「老人と海」「河を渡って木立の中へ」などヘミングウェイの作品中の老いが検証されている。
老いを描くには、二通りある。
一つは自分が老年になって描く老い。
もうひとつはまだ若い頃に想像して描く老い。この場合には理想の老いが扱われることが多いのではないだろうか。
ヘミングウェイにもそうした傾向があったようだ。
またこの中には、「フィツジェラルドから見たヘミングウェイ文学の老い」という項があり、フィツジェラルドの老いとヘミングウェイの老いの比較がある。
二人の文学を読んできた人にとってはかなり面白い比較論になっている。

「河を渡って木立の中へ」というのは南北戦争の時の南軍の将軍が部下に語った言葉として有名だが、ヘミングウェイはこれを第一次世界大戦後」のイタリアを舞台にした小説のタイトルとした。
「なぜベニスか」。ヴェニスには滅びゆく死の匂いと、だからこその美しさがあるからなのか。
ヘミングウェイはヴェネツィアのハリーズ・バーがお気に入りだったというが、いまでは高級なところだ。

この頃の取材だろうか、この本の中にも出てくるが、ヘミングウェイはタリアメント川に鴨猟に出かけたことがあるそうだ。
私たち夫婦の友人がsan.vito al tagliamento という小さな町に住んでいて訪れたことがあるが、ヴェネツィアの北西に位置するとくに何もないところだった。川があったような気がする。
あの川でヘミングウェイは鴨猟をし、そこでミューズとなる若い女性に出会ったのか。

とりたててヘミングウェイのファンではない私が読むには、豚に真珠のような本でした。
きっと読むべき人が読めば、もっともっと価値ある本だと思います。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月17日

常盤新平「東京の片隅」

常盤新平が逝って一年になる。
翻訳者として、小説やエッセイの書き手として活躍した人だった。
彼が訳したハヤカワ・ミステリーを読んできたファンは多いのではないだろうか。
彼は多趣味の人で競馬や将棋を楽しんだし、マフィア研究家という肩書も持っていた。
もうずいぶん前になるが、あるTV番組でシチリアに行き、マフィア関係者にマフィアについてインタビューをしていたのだけれど、その単刀直入ぶりに少しハラハラした。
マフィアというのはそう大っぴらに口に出すのがタブーとされているから、彼の無邪気さに驚いた。
昨年私がシチリアに旅行したと言うと友人たちは「マフィアはいた?」と訊ねるが、そういう感じの人は見かけなかったですね。

古いものは1996年からの未発表エッセイ集。
江戸川区の荒川の南の、昔住んでいた町、
妻が望んで建てた一軒家のある東京近郊の町、
なじんだ町はどちらも「東京の片隅」だった。
彼が「東京の下町、荒川の南に住んでいる」と言ったら、ある友人が「それは下町ではなく場末」と返された。
失礼なと怒るべきところだが、常盤新平は深く納得。その場末の町の団地住まいをこよなく愛した。

引っ越した町田の家で、趣味も嗜好も真反対の妻と暮らす日々。
例えば、朝は彼は焼きのり、茄子のつけもの、納豆。奥さんは紅茶にトースト。
寝る前の彼は捕物帳を読み、愛読書は木山捷平。奥さんは翻訳もののミステリーを読んでいる。
他にもいろいろ異なる点が書かれているが、でも彼は奥さんのこと、好きなんですよ。
常々私は思うのだけれど、それが悪口であれなんであれ、奥さんのことを話題にする男って、結局は奥さんを愛しているのだ。
愛しているから口にするのだ。
関心が無ければ話題にしないはず。
この本には彼のそうしたやさしさが溢れている。

散歩が好きな人だった。(坂道は嫌いだったようだけkど)
御茶ノ水、神保町、銀座・・
町田から都心までの一時間強の電車の中で読んだ本。
散歩の途中で入った喫茶店。
昭和の雰囲気が強く漂うこの本、私はおおいに楽しんだのだけど、定価2500円(税抜き)というのは、ちょっと高すぎるんじゃないですか?
私はライブラリーから借りているし、大好きな幻戯書房さんだから言いにくいのだけれど。。
posted by 北杜の星 at 07:29| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月10日

田中慎弥「燃える家」

うーん、これが今年初の悪口ブログになるかな。。
ごめんなさい、田中さん。

田中慎弥が原稿用紙で千枚を超える長編を書いたというので読んでみた。
長編は長編だが、文章は平易で読みやすい。
でも事件はたくさん起こるのだけど、作者が何を書きたかったのかは最後まで私に伝わってこなかった。
新聞などの書評を読むと「大きな権力に対峙する小さき者」と書いてあるが、そういう「感じ」は確かにあるものの明確ではないし、帯文にある「不敬小説」という言葉にも、これが「不敬」?と肩すかしだった。
田中慎弥は本州西端の下関に住む人だ。
地方都市の閉塞感と中央からの疎外感がこれを書かせたのだろうか。

下関を赤間関という架空の町に仕立て、高校生滝本徹を主人公に話が展開する。
徹は父母と弟の4人家族。しかし実の父は中央政界の大物政治家だ。
ある日育ての父と弟と海岸に釣りに出かけると、老婆の死体を発見する。それは徹の親友の相沢良夫の祖母だった。死体には「蟹」が群がっていた。
9・11の無差別テロを虚無的な相沢は「神の不在」と言う。
相沢はクリスチャンの国語教師山根をレイプする計画を数人でたて遂行する。
山根は山口市のザビエル聖堂が焼失したのもレイプされたのも、自分の信仰の浅さから起こったと自分を責めるのだが、神と対話しても神はなにも答えてくれない。。

権力を持つ人間たち、例えば天皇とか政治中枢にいる政治家とか、または宗教とか、そういうものに対峙しようとするには、物語が中途半端だ。
どのできごともそこまでは繋がっていない。
死の匂いと不穏な空気感に包まれて、読後感が非常に悪い。
その空気感は「蟹」の増殖でより濃密になってゆくのだが、この「蟹」の使い方は映像的でこれだけは成功しているのかもしれないが。

うーんと、唸るしかない長編。
帯の「不敬小説」にラディカルなものを期待した私が悪いのか。
でもたぶんこれ、未消化なのだと思う。
もっと最初からきっちりとどこへ着地するかを考えて、書き始めたほうが良かったのではないか。
それとこういう題材で書くのなら、作者の意図をはっきりさせるべきだ。
そうでなければ、読者一人一人に答えを考えさせるような書き方をすべきだと思う。
第一、長過ぎる。無駄に長過ぎる。
次作に期待します、田中さん。
posted by 北杜の星 at 07:45| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月06日

常見洋平「普通に働け」

今日が仕事始めという人が多いことと思う。
仕事をするどころか、仕事を得ることさえ困難と言われる現在の日本のメディアで話題になるのは、いつも華々しい仕事をしている華々しい人たちだ。
エリート企業のサラリーマン、IT起業家、タレント、アーティスト・・
しかしそうした人たちは特別であって、世の中は「普通の人」が「普通に働いて」いるのである。
もちろん「普通」の定義はむつかしいのだけれど。

常見洋平の著作は初めて読んだ。
大学卒業後リクルートに勤めていたというから立派なエリートだ。
こうして本を何冊か出版しているのだから「普通」の人ではない。ある意味特別な人と言ってもいいだろう。
けれど「仕事」を通して世間を見据えるスタンスには、高目線は感じられない。
そこがこの本の最大の魅力で、説得力を持つ所以だ。

私より前の世代は終身雇用、年功序列の社会に属していた。
社員が10人いるとして、2人か3人がとても優秀、5人か6人が普通、残る2人くらいは無能という成り立ちで世の中が回っていた。
仕事ができなくとも定年までそれなりに働けた。
しかし能力主義のグローバル経済世界となって、そういうわけにはいかなくなった。
無能な人間を飼うわけにはいかなくなったからだ。
無能は排除され、「普通」は追いまわされる。

よく「今の若い人はかわいそうだ」と言われるが、普通の人たち、それも若い普通の人たちは仕事をどう考えているのだろうか?
「劇的に変化する社会」を生き延びるにはどうすればよいかの答えはあるのか?
この本にはたくさんのデータがある。
これらを見ると、変化は確かにしているが「劇的に」しているわけではない。少なくともメディアが言い立て、焦らずにはいられないほどには変化していないことに気づかされる。
うん、まだ希望が見えそうだ。
ただ、仕事をする側の意識も問題なのである。

ブラック企業で働きながら、会社を責めるのではなく自分を責める。
昭和の時代の雇用を羨望する。
いまの会社に何の不満もないのにキャリアのために転職しなくてはと悩む・・

この本の第四章には、鹿毛康司と常見との対談が載っているが、これを読むためにこの本を買う価値があると思う。
これは公開対談で多くの大学生が聴きに集まってきたようだが、そのなかの一人でまだ就職の決まっていない男子学生が質問している。
「自分に合う会社を探すのはまちがっていますか?」
常見の答えは「合うかどうかというのは、入ってみなければわからない」というもの。
鹿毛の答えは「あのね、『自分に合う会社』っていうのは自分本位じゃん。だったら自分で会社作れ!」。
厳しいようだけどこれは真実だと私も思う。

結論としては、普通の私たちは「いい仕事」をしようということ。
だって、それしかないでしょということ。
この答えを希望と感じるかどうかは個人の考えかた一つだ。
でもね、今も昔も、仕事って「いい仕事」をするのが目的じゃないのかな?それは自分にとっても会社にとっても。
「普通に働け」ということは「普通に良い仕事をしろ」ということにほかならない。
もちろんそのために自尊心を持つことは大切で、過労死したりハラスメントを受けたりを看過してはならないと思う。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

武田百合子・阿川佐和子ほか「アンソロジー お弁当」

お弁当と聞いただけでなんだか気持がわくわくする。
お弁当の楽しみはなんといってもふたを開けるときではないだろうか。
だから自分で作った弁当では、楽しみが半減する。
誰かが私のために作ってくれたお弁当・・母親はもちろん、母が留守のとき父が作ってくれたお弁当、幼い姉が一生懸命作ったお弁当。
ここには41人の41個のお弁当が並んでいる。
書き手はいずれも文章巧者たちなので、本当にどれもが素晴らしいエッセイだ。
「記憶のなかのお弁当」「女のお弁当」「おとこの弁当」「だれかを思うお弁当」「おにぎり・おむすび弁当」「移動する弁当」という7章。

角田光代が書くように、お弁当って時々作りたくなる。
朝早く起きて、いろいろこまごましたものを作って、お弁当箱に詰める、そんな作業のどこがおもしろいのかはわからないのだが、「あ、お弁当を作りたい」と思う時がある。
もっとも私のお弁当の場合は、お花見とかピクニックとかのイヴェント弁当がほとんどで日常的なものではないから、楽しみなのかもしれない。
私の友人に小学校の時から(私立だったから給食がない)高校卒業まで、毎朝6時に起きて娘のためにお弁当を作り続けた人がいる。
朝寝坊の私には考えられない偉業である。

私の夫は、庭師や大工さんが外で弁当をつかっているのを見ると「旨そうだなぁ」ととても羨ましがる。
「そんなに羨ましいんなら、お弁当作ってあげるから、どこかで食べれば?」と言うのだけど、でも彼は弁当嫌いなのだ。
冷たくなったものを食べるのが嫌なのだそうだ。
外出するときに、夫のためにお昼ご飯を作って出かけるという主婦がいるが、彼は「世の中には美味しいレストランがたくさんあるのに、なんでわざわざ冷たくなったものを食べなきゃいけないんだ」と言って、嬉々として外食をしている。
(私の知人はアメリカに住む娘の出産のために一か月留守をしたのだが、その間の夫の朝食用のおむすびを60個作って冷凍して行った!)

あんまりお弁当をアートにするのは、うっとうしいよね。
よしもとばななは子供が生まれてお弁当を作るようになり、作りたいと思うお弁当の本がなかったときに、ケンタロウの本と出会ったそうだ。
ケンタロウは、食べ物がカラー・ピックで突き刺さっていたりレタスが山盛りになってふたが閉まらないような弁当は作りたくなかったらしく、地味だけどいかにも美味しそうな実質的なお弁当を紹介していたらしい。
これってよくわかる。
それと私の考えなのだけど、すべて手作りというのは確かにお母さんの愛情が感じられるものだけど、あまりそれに拘泥しなくても時には既製品を使うのもありだと思う。
とくに毎日のお弁当なら少しの手抜きはいいんじゃないかな。
(ケンタロウさん、早く元通りの体になって復帰してください)。

このなかで興味を持って読んだのは、今はもう亡くなった人たちの書いた文章だった。
内田百閨A宇野千代、山本周五郎、吉田健一、沢村貞子、池部良、池波正太郎・・
昔のお弁当は、質素なら質素、豪華なら豪華、それぞれの「弁当の佇まい」が感じられる。
実にうまそうだ。

私が小さな頃、親が結婚式に行くと引き出物の一部なのか必ず三段重ねのお弁当を持ち帰った。
上の段は焼き鯛、真ん中はお赤飯、いちばん下には鮮やかな緑色の水ようかん。
一つの段に一品と潔いといえば潔いものだったが、あれは当時の定番結婚式用お持ち帰り弁当だったのだろうか。
鯛やお赤飯はめでたいのでわかるとして、なんで緑色の水ようかん?
鯛も赤飯も水ようかんも嫌いだった私は、ちっともうれしくなかったけど、モーニングや黒留袖とその三段弁当は記憶の中でいまも繋がっている。


我が家のお弁当箱です。
お花見とか数人でのピクニックの時にはいつもこれ。
塗りのお重箱より通気性があり、持ち運びにも便利です。
鹿児島あたりの竹製品のようです。

DSCN1882.JPG


posted by 北杜の星 at 15:57| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月01日

富岡多恵子・安藤礼二「折口信夫の青春」

折口信夫という名前はあまりに巨きくて、何をどう切り取れば彼のことが説明できるのか私などには到底わからない。
民俗学者、国文学者、歌人、小説家、大学の先生、同性愛者・・
それらすべてが折口信夫であり、釈迢空なのである。
もう何十年も前「死者の書」を読んだきり。それもちっとも理解できなかった。
あの有名な「葛の花 踏みしだかれて色新し。この山道を行きし人あり」の歌を暗記はしたものの、それっきり。
つまりわたしは、折口信夫のなにも知らないということだ。
「死者の書」で当麻寺を知り訪れたことがあるが、中将姫が蓮の糸で織ったという伝説の曼荼羅を見ても、「ふーん」でしかなかった。

私はもともと民俗学者が好きではない。
民俗学者は概して保守的で、その天皇史観は反発したくなるものが多い。
宮本常一のようにアカデミズムとは別のところで民俗学をする人はいやじゃないのだけれど。
それでも折口信夫にはいつもどこかで興味を抱いていた。それは「学匠歌人」と言われる彼に対する興味ではなく、「なんだかわからないけど、不思議なひと」という思いからだと思う。
この本はそんな折口信夫に素人な人間が読んでも面白い対談集だった。
とくに富岡の話はわかりやすい。
もしこれがこむつかしい評伝の形で書かれていたら、私には読めなかったことだろう。

折口は柳田國男から民俗学という道を見出したと言われている。
しかし10代初めに彼は奈良の長谷か室生周辺で藤無染という一人の仏教運動家と出逢い、無染から多大な影響を受けたのではないか。
これまで折口信夫が語ることがなかった謎の青春時代を解き明かすために、折口と無染の出逢いは重要なものと、富岡と安藤は考えている。
当時仏教界には新しい仏教を模索する会があり、無染はその会に所属していた。仏教だけでなくキリスト教をも研究していたらしい。
14歳の折口にとって無染はおそらく「初恋」の人だったのかもしれない。
もしかすると折口の「釈迢空」という法名のような名前は、無染の影響からかもしれない。

折口信夫は家庭に恵まれなかった。
両親は本当の親だったのか、それとも母は実の親ではなかったのか。そのあたりははっきりしないが、父からは疎まれ母からは愛されなかった。
そのように育った人間は定住を拒み、非定住型の人間になるのだろうか。
折口は若いころからずいぶんと虚無的というか、アナーキーだったようだ。
墓はいらない、死んだら何も残したくないという思いが強かった。
民俗学者がアナーキーというのはかなり意外だが、この本の二人の対談を読んでいると確かにそう思われる。
だから戦時中、彼は斎藤茂吉のように戦争礼讃ではなく、醒めた目で戦争を見ていたのかもしれない。

もっとドンドン前に進んでほしい対談で、一つのことを繰り返し繰り返し話しているのはまどろっこしい印象があったが、でもこれはいわゆる「仮説」。
仮説に説得力を持たすには、この繰り返しが必要か。
でも「折口信夫の青春」は折口に少しでも興味ある人には、一読の価値ありだと思う。
富岡多惠子は詩人らしく、折口とガートルード・スタインを比較しているが、この部分も面白い人には面白いだろう。

折口信夫にバラは似つかわしくないのだけれど、数日前に咲いた我が家のバラがあまりに大輪で美しいので、ちょっとみなさまに見てもらいたく、写真を載せます。こんな寒い時期によくぞ咲いたとほめてあげたいです。

DSCN1868.JPG

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