2017年11月14日

並木美砂子「どうぶつたちの給食時間」

動物園に最後に行ったのはいつだったろうか?
子どもも孫もいない私は動物園に行く機会がなかなかない。
というか、正直なことを言えば動物園があまり得意ではない。
故郷を離れ家族とも別れ、気象条件の違う遠い土地に連れて来られ、檻の中で生きる動物を見るとせつなくなる。
もう死んでしまったけれど、小田原城の象のウメ子は本当に気の毒で、あの哀しそうな目を直視することができなかった。
でもウメ子もそうだったが動物園の動物たちは自然界に生息するよりも長生きなのだ。
それは食餌の不安がなく、健康管理もきちんとしてもらい、大切にされているからだろう。
それがせめてもの救いだ。
彼らは彼らなりに新し環境に順応して、ハッピーなのかもしれない。

著者は「保全心理学」「博物館教育学」(こういう分野があるのですね)の博士号をもち、千葉の動物園に30年間勤務ご、現在は大学教員。
動物園で保全教育をすすめる団体の代表でもある。
動物園の保全教育を進めたくても、現状は厳しい。
動物への食餌だけで予算はいっぱいなのだそうだ。
この本にはそんな動物への「給食」がどんなふうに行われているかが書かれているが、動物の生態を知る上でもとても興味深い。
どの動物がどんな食べものを好むか?どういうふうに与えて、彼らがどういうふうに食べているか?
菜食主義もいれば生きた魚が鉱物のものもいる。「給食時間」も動物に寄って異なる。
Q&Aを含めて、この本からたくさんのことがわかります。
キーパー(飼育係)さんたちの努力も知ることができる。

ゴリラ、ハシビロコウ(この大型鳥が人気らしい)、フンボルトペンギン、テンジクネズミ、アヒル(こんな身近なのもいるんですね)、ナマケモノ、アルタブラゾウガメ・・
どの動物がお気に入り?
私はペンギンが大好きなのでその章はとりわけ楽しかったけど、フツウによくいるアヒルも面白かった。
動物による違いはあるけれど、著者は動物園を訪れるなら、午前中を薦める。
動物だもの、やっぱり動いている姿を見学したいですよね。それには午後より午前中らしい。
夜行性が多いので、シンガポールの動物園のように夜間見学できる動物園があってもいいと思う。

動物園の動物が幸せでいれるのは、今が平和だから。
戦時下にはたくたんの動物が餓死したり、薬殺されたと聞く。
人間の都合で動物園にいる動物への責任を含めて、戦争になどならない国でいてほしいものです。
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 | Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

中村文則「私の消滅」

「教団X」があまりにひどかったので、もう中村文則を読むのは止めようとまで考えたのだが、デビュー作以来ずっと読んできたヨシミが私の中にに残っていて、つい新作が出るたびに読んでしまう。
いつからかなあ?大江健三郎賞を受賞してからか?それまで純文学中の純文学しか書けない不器用な作家だったはずが変に化けてしまった。
売れる本を書くのが悪いのではない。売れるのは単純にうれしいことだし、売れなければ出版界が成り立たない。
でも私のまったく望まない方向に行っちゃった。
。。と思っていたらこれ、この「私の消滅」は素晴らしかった!

初期作品の内省世界よりもっと他者、社会との繋がりは何かと苦しみながら、世界を広げている。
過去における精神医学の事例をたくさん挙げているのも、作品に深みを増している。
過去の犯罪者、例えば宮崎学らの例を引くのも、主人公の心理説明として的を得ているのがわかってくる。
なんだ、中村さん、まだこんな素敵な小説が書けるじゃないですか?諦めないで読み続けていて良かった。

「このページをめくれば あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」
という冒頭の行が、このところの中村文則のミステリー仕立ての深く重い扉を開けることになる。
いくぶん思わせぶりな文章のようだが、導入部としてはぴたり。
登場人物は少ないが、想像を超える展開とその速さに、次のページをめくるのがもどかしいほど。

うーん、もっとあらすじについても書きたい。、書かないとこれはわかってもらえそうもない小説なのだ。
でもミステリー仕立てなので、書いたら興を削ぐし、読む楽しみを奪うことになる。
悩ましいところですが。。
最後の最後でタイトルの意味がわかる。精神科医である主人公が自らを消滅させるのだ。。

精神科の治療としての「洗脳」がとても興味深かった。
「パブロフの犬」は、ベルを鳴らしてエサを与えることを繰り返していると、やがてベルを鳴らすだけで犬はよだれを垂らすようになるという有名な実験だが、実験には次やその次の段階もあったとは知らなかった。
そしてその実験結果をスターリンがことのほか喜び満足したというのも。
彼はそれを共産主義政権の維持に使おうとしたのだった。

怖さより悲しさが漂っている小説だった。、

posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☔| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

野瀬泰申「食は『県民性』では語れない」

お好み焼きのルーツが大阪だと思っている人は多いが、じっさいの故郷は違うそうだ。
日本ほど北や南、東や西で食の多様性がある国はないのではないだろうか?
ともすれば私たちはその差を「県民性」で片付けてしまいがちだが、同じ県内であっても同じ料理のレシピはかなり異なる。
その検証をこの本ではしているのだが、やはり「東(関東)」と西(関西)」の比較が多いのは、誰もが実感しているからだろう。」たまり

著者は新聞記者時代、大阪で奇妙なことに気付いた。
大阪では天ぷらにジャブジャブとウスターソースをかけていたからだ。
天ぷらにウスターソース!天ぷらには天つゆか塩のはずだ。
でも私はあまり驚かない。両輪は西の人間だし私自身もずっと瀬戸内海沿岸で育ったからだ。
大阪ではソースは昔、「洋式醤油」と呼ばれた。そのため何の料理にも醤油のようにかけて食べるようになったのだとか。
東京では中農や豚カツソースはあっても、あまりウスターソースは家庭に常備していない。でも私はあのサラサラのウスターソースが好き。日本のもいいけど、リーベンのスパイスの効いたのも時々食べたくなる。

西の人はカレーライスの黄色いルーの上にウスターソースをかけて、ぐじゃぐじゃに混ぜて食べることがある。
あれは見るだにオソロシくて私は一度もしたことがない。なんだか取り返しのつかないことになるような気がする。
著者はカレーライスのトッピングの卵の差についても言及していて、生卵と茹で卵の使う地域を挙げている。
西は生卵ですね。大阪に住んでいた頃、「自由軒」の生卵混ぜぐちゃぐちゃカレーライスって、怖かったなぁ、「インディアン」のカレーも生卵は乗っけずに辛いのを我慢してそのまま食べていた。
どうやら食は、糸魚川から東海地方のあのフォッサマグナの線で分かれるようだ。

醤油だって西と東ではかなり違うのは今では誰もが知っていることで、西は薄口醤油を使う。
でもこれは東の人が誤解していることだが、ここにも書かれているように、薄口醤油は煮炊きにしか使わない。かけ醤油は濃口を使う。いつもいつも薄い醤油というわけではない。刺身などはむしろ西の方が濃い「たまり醤油」をつけて食べる。こってり濃くて甘い醤油で、私は苦手だ。
うどんの汁が濃いのはどうも。。という西の人間が多いのだが、広島出身の私の友人は大学受験の時に東京で初めて食べた甘じょっぱい鍋焼きうどんがとても美味しくて代のお気に入りになったとか。確かに冬の寒いときにはあの味は温まりそうだ。

ここにもかなりのスペースを割いて書かれているのが、東の豚肉と西の牛肉のこと。
私が幼い頃「カツ」と言えば「ビフカツ」のことだった。豚カツを食べたのは大人になってからで、初めてカツ丼を食べた時は、世の中にこんな美味しいものがあるかと思った。
でもこの牛と豚の文化、同じ県内いでも異なる場合がある。
それは山形県の「芋煮」。
庄内地方では豚肉の味噌仕立て、米沢では牛肉の醤油仕立て。
まぁ、米沢は牛肉で有名sだし、庄内ではあの平田牧場の豚肉が人気ですよね。
私はどちらも好きで、時と気分に応じてどちらも作っている。

しかし食の多様性を最も表しているのは、なんと言っても「雑煮」だろう。
これはもう言いつくされたことで雑煮に関しては、「どうぞ、お宅の流儀でお好きなように」と言うしかない。
雑煮も同じ県内であってもかなり違う。とくに東西や南北に長い県にはその違いが多いようだ。
(長野県なんて北と南ではまるきり文化圏が違いますよね)。

いろんな食材が流通するようになった現在でも、まだまだその土地に行けば「!?」ということがあるが、いつまでもそうした差異を守ってもらいたいと思う。
楽しい一冊でした。
お好み焼きの故郷がどこかは、どうぞ一読のほど。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

中島京子「ゴースト」

7編のゴースト物語。
といってもオドロオドロしく怖ーい幽霊が出てくるわけではない。幽霊なんて現れないものもある。
どこか切なく、くすりとおかしく、懐かしく、こんなゴーストなら遭遇してもいいなと思わせる、そんな彼岸からつかの間舞い戻った人たち。

此の世に無念が残るからゴーストは戻って来るのか?
誰かに話しを聞いてもらいたくて、また、忘れ去られるのがイヤで。
だからゴーストが現れるのは、優しい人間の前なのかもしれない。

進駐軍に使われていた原宿の裏通りの古い洋館。そこで幼い少女、若い女性、老婆と出会った青年。
彼女たちは誰なのか?もし彼女たちが同一人物ならば、ゴーストもあの世で歳をとるものなのか?
戦争の時代を経て1世紀を生き抜いたミシンの運命。
認知症の曽祖父が毎日のように会うと話す人物とは誰なのか?
廃墟を見るために日本にやってきた台湾女性。、その廃墟は昔、台湾からの留学せのための寮だった・・

などなどの物語なのだけれど、中島京子ってこうした古い建物や品物、2世代前くらいの人たち、昔のできごとを書かせると本当に巧みな作家さん。
雰囲気がふうわりと伝わって来る。
その文章は決して声高でなく、品が良い。
そしていつも作品に安定感がある。
茶目っけがあるのもいいですね。

それが表れているのがラストの「ゴーストライター」。
ゴーストライターとはもちろん代作をする書き手のこと。
ここでは誰もが知っている作家さんたちが実名ではないものの、見れば誰とわかる名で、有名になる前にはゴーストライターとして活躍していたことが書かれている。
無名時代にゴーストとして書いたり少女小説を書いて生計を立てていた作家って多いんですよね。
でもあえて書かないけれ、この「ゴーストライター」にはオチがあるんです。これこそがゴーストライターという。。

軽く楽しい一冊。
posted by 北杜の星 at 08:50| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

ハッチの週間身辺雑記

沖縄の名護に、幼稚園の理事長をしている友人がいます。
彼からある依頼がありました。
「沖縄にはどんぐりの木がない。子どもたちにドングリの実をみせてやりたいので、もしそちらにあれば送ってほしい。」と。
そうか、沖縄にはどんぐりの木がないのか?
「どんぐり、コロコロ、どんぐりこ。。」という童謡を歌っても、実を知らないのね。

ここ八ヶ岳南麓の我が家の庭には数本のミズナラの大木があります。
その木々から葉っぱをつけたドングリの実が屋根にたくさん落ちています。
我が家の屋根はカラー鉄板なので、その音の大きなこと。とてもあんな小さな実が出す音とは思えないほど響くのです。
今の時期は葉っぱが付いていますが、もう少し後になると、実だけが落ちるようになります。
帽子をかぶった実もあれば、落ちるときに帽子が脱げてしまう実もあります。

どんぎりの木がないということは、もしかしたら栗の木もないかも。。とふと思い立ち、里山歩きをする近所の友人に「もう、栗は落ちてるかしら?」と訊ねたら、イガつきの立派な栗の実をとって来てくれました。
クルミの実とアケビも一緒に!
これなら沖縄の小さな子どもたち、どんなに喜ぶことでしょう。
こんなリクエストならいつでもお役に立ちたいです。

でも本当は私などが送るよりも、こちらの幼稚園や保育園の子どもたちと彼らが交流して、お互いにその土地のものを交換できるなら、その方がずっと素敵ですよね。
こちらからはそうした木の実など、沖縄からはサトウキビとかきれいな貝殻とか。
こちらの子どもたちは雪をかぶった八ヶ岳や、南アルプスの絵や写真、沖縄からは青い海やブーゲンビリヤの花の絵や写真などやりとりするのもいいです。
そういうのが実現できればと思います。
ドングリの実は夫が丁寧に箱詰めして、宅配便に早朝、持って行ってくれました。

昨日は友人夫婦と一緒に甲府のイタリアンにランチへ行きました。
というのは彼らはヘアカットの店の店長さんからその店の評判を聞いて、何度か行ってみたところ、いつも満席で断られたのだとか。
それで「どれくらい前に予約すれば食べられるのか?」と尋ねたところ、「1週間前ですかね」というこどで、その場で1週間後の予約をして帰ったそう。
「ついでだから4人分予約したから、一緒に行こう」と誘ってくれたのです。ついでであれ何であれ、美味しいものは大歓迎。
感想は。。確かに評判通り、1週間前の予約もさもありなん、という店でした。
味、サービス、コストパフォーマンス、なかなかのものがありました。
パスタ、スープ、メイン、ドルチェ、カフェ、パンがついて2200円は安いですよね。(パスタがあるのだからスープの代わりに前菜があればとは思いましたが)。
もう少し近ければ頻繁に通えるのにと残念です。
私たち全員はコースの前に前菜を注文。それが500円。しかもたっぷりの量でしたあ。
これほど満足度の高いイタリアンはこちらに来て初めてでした。東京のレストランと遜色なし、しかも三分の二の値段。
家から高速で約30分、もう少し近ければと思いますが、でもちょっとドライブがてらにはいい距離かもしれません。
私たちの分まで予約してくれた友人に感謝です。

この1週間、我が家にはちょっとした変化がありました。
それは、モノをかなり処分したこと。
もう何年も前からいわゆる「断捨離」を実行してはいるのですが、自分でも満足納得できるまでは到底及ばず、かえってフラストレーションとなっていました。
ところが新聞で、あの俳優の高橋英樹さんが断捨離で、ナント33トンのモノを処分したとの記事を読んだのです。
33トン!!
いったいどれほどのモノなのか?その凄まじい量に驚愕し、あのような職業の人でさえ思い切ってモノが捨てられるのなら、私のようなフツーの平凡な人間が捨てられないわけがないと、俄然発奮し、まず、台所の品々を思いきって処分したのです。
買った時の値段にとらえられるのがいけないんですよね。値段ではない。今、必要かどうか?なのです。
塗の椀は逡巡したものの、2種類を残し捨てるのに成功。箸洗い用の小吸い物の椀は象彦の古いものなので、これはお茶をしている友人に譲るために一応保管。

夫は朝食の支度に毎朝、パンを切るための専用のナイフとカッティングボードを使っていましたが、それは包丁やまな板でも代用できることに気付き、それらを捨てました。
するとカウンターがすっきり。
たったそれだけでこんなにスッキリするのならと、ますます捨てるのに拍車がかかり、観葉植物もカウンターから引き上げました。

今度は納戸。
バッグもいくつか、テーブルクロスも何枚もあったけkど、気に行っていつも使うのは限られている。
とにかく同じものは一つか二つでいいと割り切り、「誰かもらってくれないかしら」と考えずに、とにかく不要なものは「すぐ」捨てる。
高橋英樹さんも最初は友人知人に持って行ってもらっていたけど、それじゃぁハカがいかないので、結局は業者さんにごっそり全部持って行ってもらったそうです。
そう、そうしなければ片付かないんです。
もうすぐ衣替え。その時はそれこそ「捨て得るそぉ」です!

高橋英樹さんは東京だけでなく蓼科に山荘をお持ちです。その方のモノも片づけたのでしょうね。
余談ですが、その高橋さんと私たち夫婦はゴルフをご一緒したことがあるんですよ。偶然に。
まだ私たちが蓼科の家に通っていた頃のある夏休み、午後からハーフでもしようとあるゴルフ場に行ったところ、ゴルフ場のスタッフから「もう一人の方とご一緒でもいいですか?」と言われ、「どうぞ、どうぞ、私たちは構いません」と答えたら「ありがとうございます。高橋さんと仰る方です」とのこと。
そして現れたのが、あの高橋英樹さんだったのです。
まだ私はゴルフを始めたばかりのころ、下手くそで(ずっと下手でしたが)、あまりの下手さを見かねたのか、高橋さんは優しくいろいろ教えて下さいました。
とても気を使われる方で、私たちだけでなくキャディさんにもそれはそれは丁寧で、「有名人って、大変だな」と思ったことを覚えています。
彼のおかげで今回はモノを減らすことができました。
ぞろそろ衣替えの頃、どれだけの衣類を駆逐できるか、さぁ、やるぞ!と意気込んでいるところです。

posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

中村仁「大往生したけりゃ医療とかかwるな【介護編】」

著者は京都大学医学部卒の医師、現在は老人ホーム付属診療所所長。
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の前作は大ベストセラーとなっている。
老人ホームで数百人ものお年寄りの看取りをしてきて、安らかな最期がどうあるべきかをその経験から書いたこの本、どの頁もそのまま書き写したいと思うほど、私と同意見だ。
買って読んでみてくださいといしか言いようがない。

日本の高齢者は、考え違いをしていると私は感じるとこがある。
老いても元気でいるのが普通で、自分は死なないと考えているのではないかと。
生老病死という言葉があるが、人は老いるし病むし、そして死ぬもの。そうしなければ世界は循環しない。
それなのに、75歳を過ぎても頻繁に健診を受け、ちょっと血圧が高い、コレステロールが多いとなると、すぐに薬に頼る。
薬害もあるんだよと言ってもダメ。とにかく病院や医療を盲信している。
CTやMRI検査を受けたことを自慢しているのだから、もう何をやいわんである。(そうした過剰医療は全部、国民の負担なんですけどね)。

もちろん、まだ50代くらいなら健診もいいだろう。それこそ転ばぬ先の杖で病気の予防となることがある。
でも70過ぎたらそうした検査じたいが体の負担となるし、もし病気が見つかったとして、むしろい放置しておく方がいい場合だってある。
ましてや人生の幕を引く間際になって、ジタバタするなと言いたくなる。これはもう体の問題ではなく哲学の問題だ。
(入院した患者が死んだその日にも、検査予定が入っていたというのを聞いたことがあるが、それって何なのだと憤りさえ覚える)。

患者を苦しめるための検査、治療、それは必要ないのではないか?
あの日野原先生も言っていらしたが、「自分の家族の最期には、点滴はしない」と。
老いて死ぬときは、枯れて死ぬもの。枯れようとする体に水を加えるから、肺炎になり苦しむことになる。
著者は「何もしない」ことで、安らかな最期を迎えるお年寄りをたくさん看取ってきたという。

けれど現在の医師や看護師は、家で人を看とった経験がない。
人は病院で死ぬようになった。そして病院というのは医療行為をする場所だ。
50年ほど前の日本では、人が死ぬのは家でであった。その頃の死は自然で、消えるように亡くなっていった。
点滴も胃ろうもなかった。
今のような高度の医療は、重度の障害者をつくると著者は言うが、そんな医療は死を先送りにするだけではないだろうか。
苦しむ半年より、私は安らかな3カ月を選びたい。
著者は「手遅れで無治療の癌は痛まない」と書くが、高齢者の癌はそうのようだ。
老いた体に毒ガスの成分の抗がん剤を投与してどうするのか?手術で臓器を取ってどうするのか?
QOLが下がる毎日を長らえるだけ。それでも生きていたいというなら別だが、私ならご免蒙りたい。
この先生のいる老人ホームに入居したいけど、先生、私よりずっと高齢だものね。
せめてこうした本を書き続けてほしいと願うばかりだ。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月28日

中島たい子「万次郎茶屋」

これまでの中島たい子というと病気ものというか、体に関わる小説が多かった。
「漢方小説」を最初に読んだときのあのおかしみは今でも鮮明だ。以後「そろそろ来る」や「院内カフェ」などが続いた。
でもこれはちょっとニュアンスが違っていて、SFぽいものとかファンタジーっぽいものが並んでいる。どれも不思議な雰囲気がある。
それでも彼女特有のユーモアがそこかしこにあって、フフと笑いながらどこか胸がしんとする感じはいつもながらの中島たい子作品だ。

「親友」「初夜」「質問答症候群」「80パーマン」「万次郎茶屋」「私を変えた男」の6つの短編集。
バラエティに富むストーリーだが、ラストの印象は似通っていて、ふうわり心が軽く暖かくなる。
どれを紹介しようかと考えたが、ここはやはり表題の「万次郎茶屋」に。

動物園で飼育されているイノシシの万次郎は高齢だ。子どもの頃猟師からここに引き渡されて以来ずっと園の片隅で暮らして入りう。
動物園の花形は何と言っても象とかライオンとかキリン。
イノシシなどわざわざ見に来る客はいない。しかし飼育係の青年は万次郎の良き理解者だ。
もう一人、万次郎には大きな理解者がいた。
それは小学校の絵画コンクールで万次郎の絵を描きそれが入賞となった女の子。今は若き女性となっているのだが、小学生の時からずっと万次郎のファンとなって、ボーイフレンドを万次郎の檻に連れてくるほど。
そんな彼女はいつか万次郎を動物園から引き取りたいと思っている。
そのためのお金を得るために彼女は一計を思いつく。それは万次郎を主人公とした絵本を描くことだった。
そのお話しでは万次郎がカフェをするというもの。
じつは万次郎の長年の夢はカフェを開くことだったので、その案にびっくりしながらもうれしかった。
結局は絵本ではなく小説となったのだが(あまりにも絵が下手だったので、万次郎のアドバイスにより小説となった)、それがベストセラーに。
万次郎の檻の前は大勢の客が押し寄せ・・

というもの。
こう書くと、面白くもおかしくもないけれど、それは私のせいで、これが面白いんですよ。
悲哀も含まれていてなかなかいい。
誰かをなにかを愛すこと、愛されることの幸福感が伝わってくる。

こういうものも書けるんだ。。という中島たい子でした。
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

西村賢太「芝公園六角堂跡」

長年ファンだったミュージシャンから招待され、芝公園近くのホテルのライブ会場に赴いた貫太。
不遇の時代を経て、名の知れた文学賞を受賞し、有名ミュージシャンから特別待遇を受けるようになった彼の微妙な心理を描く連作短編集。

西村賢太の小説に貫太が登場すると、「あぁ、また会えた。しょもないヤツだけど。。」とそのいつものパターン化した文章に安心する。
良くも悪くも、そこには貫太がいるからだ。
芥川受賞後、彼はずいぶん忙しかった。書くこと以外にもテレビに出たり、インタビューを受けたり・・
そのため、忘れていたわけではないのだが、「没後弟子」を自認する私小説家の藤澤清造のことを、疎かにしていた。
ライブが終わりホテルの外に出た貫太は、そこが藤澤清造が凍える寒さのなか狂死した場所だと気付く。
といういわば、西村賢太の原点回帰の作品。
起承転結などがとても巧くなっていると思う。
いつも以上の自虐ユーモアも健在だ。
でもなんというのかな、「狙い過ぎ」なんじゃないかな?
もともと巧いひとではある。(そうと気がつかない読者がいるだろうが)、でも私は、こんな「こなれた」巧さは好きじゃない。

表題の「芝公園六角堂跡」よりも、他の「終われなかった夜の彼方へ」「深更の巡礼」の方が私には好ましかった。
これまでの私小説への傾倒ぶりがよくわかるし、それこそが作家の西村賢太を生んだ経緯でもあるからだ。
最後の「十二月に泣く」のラストも、ちょっと狙い過ぎ。
北陸七尾にある藤澤清造の菩提寺の住職の母堂が亡くなり、弔問にでかける話だが、最後清造の墓の前で、偶然にも彼の書簡が出て来たと古書店から連絡があり、そのタイミングに、貫太が哄笑、やがて哄笑は嗚咽に変わり。。というものなのだが、陳腐な終わりかたですよねぇ。
私的にはこれ、70点。

だけど田中英光や藤澤清造のことを西村賢太が書いてきたおかげで、彼らの小説が再発刊されたのは素晴らしいことだと思う。これは彼の功績だろう。
願わくば、乞食のような掘立小屋に住んでいた川崎長太郎のことも書いてほしいものだ。
私小説家のなかでは長太郎とか上林暁が好きです。
長太郎の自選全集をもっていたのだけど、古本屋に売ってしまったんですよね。。

くだんのミュージシャン、作中ではI・Jとあるが、稲垣潤一のことですよね。
稲垣潤一と西村賢太ってどうも不思議な取り合わせみたいだけど、彼の思い入れの強さは、少年のようで微笑ましかった。
それと笑ったのが、貫太ものには「根が・・・にできている貫太は」というフレーズがいくつかでてくるのだが、今回は「根が初対面の人間が滅法苦手にできている柴イヌ体質の貫太は」とあったところ。
柴イヌって、初対面の人間が苦手なの?初めて知ったけど、貫太は柴イヌほどカワイクはないかも。

次々に新しい芥川賞作家が出てきて、西村賢太の影が薄気うなりつつあるけれど、彼の書くジャンルは今どき貴重なので頑張ってほしいです!
posted by 北杜の星 at 08:13| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

野見山暁治「遠ざかる景色」

つい最近、知人と小川国夫の話をした。彼女は小説は読まない人だが、私が「小川国夫の『アポロンの島』を読んでから、日本文学を読むようになたのよ」と話し、彼女に「アポロンの島」を貸した。
ほとんど押しつけみたいな貸し方だったが、彼女はきちんと読んでくれた。
そのときふと、画家の野見山暁治のことを思い出したのだ。
というのも戦後まもない頃、野見山も小川も同じ時期にパリに住み交流があったからだ。
当時のパリには今ほど日本人はいなかったはず。ほとんどが貧しいパリの日本人、お互い支え合いながらの付き合いだっただろう。
野見山は小川とのことをあれこれ書いている。
「遠ざかる景色」というタイトルに、もしかしたら野見山が小川国夫のことを書いているのでは?と期待した。

でも小川のことは出て来なかった。
けれど野見山暁治の文章はいつもながらとてもよかった。
彼の絵はデッサンのあの引っかき傷のようなタッチは好きなのだが、色遣いが暗過ぎる。青色はとくに暗い。
文章は「日本エッセイストクラブ賞」を受賞しているだけあって素敵。
なんというか、手垢のついていない文章だ。

この本にはそんな野見山の筆で、義弟(妹の夫)の田中小実昌のこと、自邸を設計した建築家のこと、学生の頃の旅行・・
過去の「遠ざかる景色」が描かれている。
でも書けるほどに記憶しているということは、それらの出来事はけっして遠ざかってはいないのだと思う。
記憶の引き出しに大切にしまわれている。

取り戻そうとして取り戻せなかったのが、16年ぶりに再訪したパリだ。
野見山は1952年に渡仏し64年に帰国している。その間パリに呼んだ妻を亡くしている。
16年後というと1980年ということか。
パリの街は変わっていなかった。以前あったところに以前と同じように家や道路があった。
しかし人は変わっていたと言う。人情というか、人と人との繋がりかたが変化していた。
それは悲しいだろうな。
街はそこに住む人で成り立っているのだもの。その人が変わっているということは街がもう街でなくなっていたということだ。
少なくとも野見山暁治のパリはもうなかった。

私の印象だと、ヨーロッパは1970年代半ばごろから変わったと思う。
それまでの国々の歴然とした差異や個性が薄まったし、なによりも価値観が変わった。(それでも日本ほどではないけれど)。
80年代にはもう、旧き良きヨーロッパは消えていた。

この本にはもう一つの章として、戦没画家への鎮魂の旅があるが、これについては割愛します。
あの信濃にある霊廟のような美術館が、私は理由があって大嫌いなのです。
私と同じ意見だった銀座で長く画廊をしていたHさんという女性は、野見山さんとも親しかったけど半年前にひっそりとお亡くなりになった。
野見山さんは100歳近い今も現役画家。
彼の別のエッセイ「異郷の陽だまり」には、小川国夫や木村忠太のことが書いてあるらしいので、それを読んでみましょう。

posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

中川なをみ「晴れ着のゆくえ」

孫娘が生まれたとき、祖父はむらさき草を植えた。
彼女に自分が育てたむらさき草で染めた着物を着せたいと願ったからだ。
孫娘の千恵は小児まひにかかり足が不自由となったが、祖父と一緒にむらさき草に水をやった。千恵が4歳になった正月に紫根染めの着物は出来上がった。
祖父が布を染め、祖母や母が絞りや刺繍をして縫ってくれたその晴れ着は、とてもとても美しく、千恵は誇らしかった。
悪い足を引きずりながらもその着物を着て、村中、新年の挨拶まわりをした。

千恵の従妹の春子はそんな千恵を羨ましがり、むらさき草で染めた着物を、強引に自分のものにした。
そのときに着物がお古なのを祖母は気にかけ、自分で茜染めの長襦袢を春子につくってやった。
むらさきの着物とどうしても離れたくない千恵は「いつか着なくなたときには必ず返して」と言い、彼女たちは固く約束をした。

種を蒔いても、むらさき草は半分も育たない。それでも毎年毎年祖父は種を蒔き、世話をしtあ。
根っこを引っこ抜き、煮出して染液をつくり、何度も何度も染める。
祖父の魂そのもののようなむらさき色の布が染め上がる。

むらさき色は古来より日本では高貴な色とされてきたが、それは世界中でも同じで、むらさき草や紫貝で染めた糸や布は珍重され羨望の的だった。
染色家でもない祖父にとって、むらさき色に布を染めるのは大変な仕事であったことだろう。専門家から見ると不具合もあったかもしれない。
祖母もまた自分の夫がしたように、別の孫娘に茜の布を染める。
赤色は茜や紅花などの植物からも染めるが、コチニールという虫からも染めることができる。
今ではむらさき草も茜もなかなか日本で栽培が難しくなっていて、茜はインド産がおおいようだ。
余談だが、昔の時代劇で、病気のお殿様が病床に臥すとき、額に紫の鉢巻を垂らしていたが、あれは意味があって、天然の紫の染料には除菌などの効能があったからだという。

千恵たち一家はおそらくは作者のふるさとである山梨県に住んでいたのだろう。
その山梨県からむらさきの晴れ着は数奇な運命をたどり、さまざまな土地の人に所有されることになる。
イギリス人女性の手に渡ったり、セイロン(スリランカ)の内乱を経たりして、フランスはベルサイユの骨董店に。
そして最後の最後は。。。

心やさしくなる物語だった。
児童文学の作者らしく、千恵や春子の心理描写が素晴らしい。
とくに春子の千恵に対する嫉妬心のふくらみ方と、自分を制御できない千恵への意地悪の自責に、春子を単なるいじめっ子にしない作者の暖かさが感じられて、春子を主人公に今度は書いてほしいと思うくらいだ。

そういえば私の「晴れ着」は、母方の従妹たちを回ったと聞く。
晴れ着いではないけれど、私も従姉からの「お下がり」をよく着たものだ。「お下がり」を嫌がる子もいたが、姉妹のない私にはいつもうれしい気持ちがしたのを覚えている。
物が豊富で内時代、「お下がり」はごく当たり前で、今ならリサイクルに出すのかな?
posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

長嶋修「空き家が蝕む日本」

空き家問題が言われるようになってどれくらいになるのだろうか。
私はそれを、地方というか田舎の問題だと思っていた。
私の住む山梨県のここは限界集落。農業の継ぎ手はいなく、住む人を失って空き家になった家がかなりある。
修復しればまだ使える立派な造りの家もあるし、ほとんど傾きそうな荒れ果てた家もある。
しかしどうも空き家問題は田舎だけはないようで、都会、ひいては日本全体の大問題になりそうなのだ。

そもそもなぜ、空き家があるのに新築しようとするのか?
欧米では古い建物はそれなりに価値がある。
少しずつ修復しなから使って、ライフスタイルが変わると、買った時の価格より高く売る。
それが日本ではどうしてできないのか?

それには日本の不動産業界の理解しがたいシステムがあると、この本で知った。
不動産価格がどうも「ローン」とリンクしているようなのだ。
ローンがあるうちは価値があるが、ローンが終われば価値がなくなる。。
これってどういうからくりなのか?

そして税制もある。
家が建っていれば「宅地」として固定資産税は低いが、更地になるとぐっと固定資産税が高くなる。
だから古家で朽ちていてもそのまま家は残しておく。
都会にはそういう家が多くなっている。
でもそれでは景観にも治安にも悪い。

じゃぁ、どうすればいいのか?
政府、銀行、不動産業者・・根本を変えなければ良い方向には向かわないだろう。
しかしこの著者は解決方法を教えてくれるわけではない。
投機として、日本ではなく海外不動産をと言うが、それは違うしの
気がするなぁ。

要は私たちが「新築」にこだわらず、古い建物を大切にし、そのためにはちゃんと建物のメンテナンスを怠らないことが大切なのではないだろうか。
中古の家に価値があるとわかれば、空き家の何割かは住み手が見つかると思う。
それに加えて、社会を変えるしかないのでは?
東京オリンピックを前にいま東京ではどんどん新しいホテルやオフィスビルが建設中だが、、これから人口が減って、あれらは将来どうなるのだろうかと心配になる。
キャパの大きい体育館や競技場なども集客できなって、維持費だけがかかる。。
誰かがそんなことはとうに考えているのなら、いいのだけれど。
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月16日

中西進「ことばのこころ」

古典の素養のまったくない私が友人に誘われて万葉集の勉強会に参加したのは、関西に住んでいた二十代の頃だった。
その勉強会の講師が中西進先生だった。
今では万葉学者として超一流だが、当時の先生はまだ四十代だったか。
思えば、ずいぶんと贅沢な勉強会だったんだなと思う。
万葉集の短歌ばかりでなく、長歌も教えてもらった。でも悲しいことにほとんどを忘れてしまった。。
それでもあの勉強会がなければ、私の「奈良好き」もなかっただろうから、先生には感謝の気持ちが大きい。
中西先生の功績はたくさんあるがなかでも、山上億良が渡来人という説を打ち立てたことだろう。
それに反論する学者もいるようだが、私も億良は朝鮮半島から帰化したひとだと考えている。

万葉のこことばはこころを表すことばだ。景色や情景ももちろん表すが、日本人にとっての季節は心象そのもの。
その日本のことばをこよなく慈しむ中西先生の思いが、この本には詰まっている。
いまは使わなくなったことばがある。ことばが消えればそのことばのもつ感情さえ消えてしまうかもしれない。
そうした古からのことばを一つ一つ拾い上げている。

ちょっと笑ってしまったのはこの本のなかで、先生が「けったいな」ということばを使っていること。
先生は東京生まれの東京育ち。
でも関西に住まわれてもうながくなっている。先生は「西のひと」になられたのだなぁと感慨深かった。

中西先生はアメリカ、ブリンストン大学の客員教授をされていた時期がある。
当時、ブリンストンにはリービ・英雄が日本文学研究室にいた。
(リービ・英雄は日系ではなく純粋白人アメリカ人。太平洋戦争が終わった直後だというのに、外交官だった父親が尊敬する日本人の名前をとって、長男に英雄と名付けた。彼は長じて日本文学者になり日本にやって来て、日本語で小説を書く作家となっったひと)。
そのリービ・英雄は中西進先生の影響を受けて、世界で初めて万葉集の完全英訳を成し遂げている。

本のどの章のことばも興味深いのだが、一つだけ「つくばい」のことを。
茶室に入る前の手洗石を「つくばい」と言うが、つくばいとは「突く這う」と四つん這いになることを指す。
茶にはこのように、「くぐれ」「かがめ」「にじれ」「つくばえ」などと体を不自然に折り曲げて、卑屈に動く様子が浮かぶが、この元には浄土思想の「捨てる」とか「断念する」という、日本人の放下の思想であると言う。
自分を卑しく貶めることで自分を捨て、生きることの本質を見極めようとするのが、「つくばい」にあらわれているのだそうだ。

ことばの由来や本来の意味を知ることの楽しさが純粋に伝わってきます。
中西先生はそうした「知」を、高目線からではない人懐こさで教えてくださったのに、出来の悪い生徒の私はもったいないことに身についていないのが悲しいです。
でも奈良に行くたびに、先生から教えて頂いたことが蘇って、幸せな気持ちになります。

posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

日本昔話「ウラシマタロー」

まさかここであの「浦島太郎」ではないだろうな?きっと何かのパロディかなんかじゃないか?と思われるかも知れませんが、あの「浦島太郎」なんです。
といってもやはり、ちょっと違うかもしれません。
というのは、私はこれを印字で読んだのではなく、点字で読んだからです。
しかもまだ、濁音や半濁音は勉強していないので、それなしでの浦島太郎。
だから竜宮城の「りゅ」や「じょ」も、玉手箱の「ば」もなくて、その代わりに、乙姫さまの「オシロ」、「タカラノハコ」という言葉になっていて、これでは感じが出ないのですが、まぁそれはそれとして、私の点字学習がここまで進んだのがとっても嬉しいので、その歓びをここでこのブログを読んでくださっている方々にわかって頂けたらと、これを書いています。

7月から月に2回、甲府からここまで先生が点字を教えに来て下さいます。
私のように高齢での点字教習はそれほど多くはないようで、先生は一生懸命励ましながら教えてくださいます。
宿題もたくさん出るので大変です。
月に2回というペースが程良い間隔なのでしょう。先生は「今まで教えた中で一番速い習得」と。
速いかどうか私は一人で勉強しているので、他に比較することはできないのですが、この怠け者の私が、まぁ熱心にはしているかな?_

私が思うに、中高年のの視覚障害者は「点字」と聞くだけで「無理、無理」としり込みしてしまうか、始めてすぐに「難しい」とあきらめてしまうかのどちらかなのではないでしょうか。
あきらめずに、とにかく点字を「触る」ことをしていれば、必ず誰でもわかるようになるのだと思います。
先生は「この4ヶ月間に、やめたいと思ったことはないですか?」と訊ねられるので、「そんなことはいっぺんも思ったことはないです。毎回とっても楽しみです」と答えたら「それは珍しいです」と言われました。
私は「読みたい」という欲求が強いために、頑張れているのだと思います。

でもこれからが大変。
濁音や半濁音に加えて、数字やアルファベットもあります。
それとこれがなかなかハードルが高そうなのですが、点字には点字独特の「点字文法」というものがあるらしく、次回の授業からはそれを勉強する予定だそう。
しかももう少しペースを速めて、次回からは週に一度のレッスンとなるとのことです。
点字文法の辞書を見ながらの勉強に、ボヤボヤしていられませんが、「竜宮城」「玉手箱」でなくっちゃ気分がでないですからね。

あと1年くらいしたら、点字で文芸本が読めるようになる・・というのが目標です。
点字リーディングで速いひとは、印字で読むスピードより速く読めるといいます。
私は「書く」のは習わなくてもいいや、と考えていたのですが、先生は「書き」も同時進行でしましょうと。
うーん、できるかなぁ、なにしろ点字は「読む凸字」と「書く凹字」は左右対称なので、大丈夫かと心配です。

「ウラシマタローハ スナハマニナキフシマシタ」・・このラストの一行に大きな勇気をもらった私の「ウラシマタロー」でした。
posted by 北杜の星 at 07:54| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月04日

中村千秋「アフルカゾウから地球への伝言」

ワシントン条約において、各国の象牙市場閉鎖が決議された。
日本は一律閉鎖に反対している国の一つだ。
つまり日本では象牙の需地球要があって、象牙の売買をしているということ。

私の小さな頃、父は象牙の箸を使っていた。使いこむほどに先端は黄色く変色して「年季が入ったなぁ」とか言っていたし、印鑑だって象牙でできていた。
あれは死んだゾウの象牙を使っていたのか?それともすでに象牙のための密猟が行われていたのだろうか?
そんなこと誰も考えていなかった。。だからいま、アフリカゾウは絶滅に瀕しているのかもしれない。
この本を読んで、少しちゃんと考えてみよう。アフリカの事情もわかるはずだ。

中学の卒業文集に「アフリカに行きたい」と書いた著者の、夢を実現したこれまでを綴ったエッセイ集。
彼女はタイトルにあるように長年ケニアを拠点として、アフルカゾウの研究をしている。
ゾウのような大型野生動物と自然と人間との関わりは近年ますます難しくなっているが、「調和ある共存」のために何をすればいいのか、これを読みながら考えてみようということ。
といっても動物学、動物行動学一辺倒のアカデミックな本ではない。
著者の理論的な日本人の師、アフリカのフィールドでの実践的指導者であるオリンド博士との出会い、ケニアの国立公園に近い集落の女性の会や子どもたちの教育などについても書かれている。

アフリカで野生動物とともに生きるというのは、言葉は美しいがじっさいには生易しいものではない。
断水や停電、コウモリやヒヒが襲撃することもあるそうだし、雨季には大量の昆虫発生で虫刺されやサソリの侵入で眠れない夜もあるという。
観光じゃないのだから、逃げ出すわけにはいかない。

ケニアの国立公園はもともとは自然維持と動物保護のために造られた。
しかしケニアでも人口は増え、野生動物と人間の生活場所の強豪が起きるようになった。著者が活動するビリカニ村ではゾウの被害が続出するので有名だそうだ。
そのような場所では「ありのままの大自然に少しばかりの風穴をいれ」ることが、ゾウにとっても生存存続の可能性が大きくなる。
ゾウにとっては不自由かもしれないが、害獣として抹殺されるよりはよほどいいので、人間もゾウもどちらも妥協しようということだ。
またケニアの経済にとっては外国からの観光客も大切な面が否めない。

著者はフィールドでゾウの糞の調査をしてきた。
その話がとても興味深い。
アフリカへ行く前、彼女は日本の動物園のゾウの糞を調べていたそうだが、そのときの糞はものすごく臭かったという。
しかし野生のゾウの糞は臭くなかった。
飼育動物の糞だから臭かったのだ。
糞だけでなく「臭い」という感覚の考察がおもしろい。

ゾウのように大きな動物ではないが私の住む八ヶ岳南麓や南アルプスの麓では、農作物の動物被害が年々多くなっている。
鹿やイノシシはしょっちゅう出るし、最近はサルの出没するようになtった。
散歩の人がクマに襲われるニュースもある。
元はといえば野生動物の棲む地を人間が開発したのだ。
彼らにしたら人間こそが「大害獣」のはず。
鹿やクマの存在が都会の人々にとっては「関係ない」と思われるかもしれないが、自然の営みや生態系にとってはけっして無関係ではない。
それと同じように、アフリカゾうを保護することは、地球上のあらゆる生物にとって必要なことなのだと思う。

アラスカで亡くなった星野道夫さんは若いころ日本で電車に乗っていても、北極のクマに想いを馳せたと聞く。
私たちもつかの間、アフリカにいるアフリカゾウのことを思い浮かべてみよう。
この本はそういうほんわり優しい気持ちにさせてくれます。

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2016年09月16日

長尾和宏「認知症は歩くだけで良くなる」

「病気の9割は歩くだけで治る!」の著者のネクスト・ヴァージョン。
今回は「認知症」に特化している。

認知症予防そして認知症と診断されてから、もっとも効果があるのが歩くことなのだそうだ。
65歳以上の4人に1人が認知症とその予備軍と言われる現在、歩くだけでそれが防げるのならこんなに安上がりのことはない。
しかしなぜこんなにも認知症が増えているのだろうか?
原因は高齢化だと言われているが、著者はそうではなく、糖尿病患者が増えているからだと言う。
糖尿病は体のあらゆる部位に合併症を起こす怖い病気だが、痛くも痒くもないのでなかなか病気に配慮できない。まさしく生活習慣病。
糖尿病には運動と食事が大切だから、単純に考えても歩くことはいい。
けれどそれだけではない。歩くと脳内から良いホルモンが出てくるのだ。
糖尿病だけではなく、メタボリック・シンドロームも認知症のリスクが4倍高いというから驚きだ。
男性の内臓脂肪、女性の皮下脂肪。どちらもよくないが、歩くことで内臓脂肪は取りやすいと言う。皮下脂肪はなかなかとれないみたいだが。

認知症はでも、20代のころから始まっているというから、私のような年齢なって気をつけてもムダなのかと絶望しかかるが、認知症になってからでもできることはあるようだ。
そもそも認知症になりやすい人の特徴がここに書かれているので、参考にしてほしい。
・足幅が狭い・
・歩く速度が遅い。
・重心が揺れるように歩く。
こういう歩き方の人は要注意。
また、片足でソックスが履けなくなったり、片足立ちを1分続けられないのも不安材料。

悪い姿勢で長時間歩くのもよくないそうだ。よく1日1万歩と言われるが、そんなに歩く必要はなく、5000〜8000歩で充分。しかも家の中とかでも歩いているのだから、それを差し引いて歩けばいいのだ。歩くな時間の中で、中速足をするともっといい。
肘を後ろに引きながら歩くと、肩関節や肩甲骨がストレッチされて柔らかくなる。(腕を前に降るのはたやすいけど、後ろに引くのはけっこう大変)、
しっかり歩くためには、ノルディックやポール・ウォーキングも良い姿勢が保てるそうだ。
著者は「ながらウォーキング」を薦めている。
川柳をつくりながら歩く(つくった句を家に帰るまで覚えておくのは脳トレになる)、計算をしながら歩く・・とか。

認知症になってからは、認知症の種類によって、歩き方の違いがある。
アルツハイマー型、レピー小体型、前頭葉側頭型(ピック病)、脳血管性ではそれぞれ認知症の表れ方が違うし対処も異なる。
認知症と一つにかんがるのではなく、どのタイプかを考慮しつつ介護することが必要らしい。
けれどどの認知症にとっても、認知症の本質には「不安」が潜んでいるので、安心させてあげるのが一番のようだ。
安心させてあげながら一緒に歩くと、安心感と疲労で夜よく眠れるようになるとか。

そうそう、性格が認知症の誘因となる場合もあるそうだ。
楽天的な人よりも、心配性の人のほうが認知症に何倍もなるリスクが高くなるという。
「起きていないことはまだ起きていない。起きてしまったことはもう起きてしまったこと」。。30数年前に村上春樹の本を読んで以来の私の「座右の銘」です。

もう一つ、これは歩きとは違うのだが、やはり認知症を防ぐ上で大切なことが著者によって記されている。
それは「噛む」こと。
咀嚼することは脳への刺激ににとてもよいのだ。現代人は江戸時代の人に較べて、噛む回数が半分に減っているという。
美味しいものを表現するときに「柔らかい」と言うアレは良くないんですね。
我が家は玄米を食べていて、しっかり噛む。30回とか50回噛めと言うけれど私は80回くらい噛んで食べている。だって噛めば噛むほど美味しいのだもの。
白米は「マイルド・ドラッグ」と呼ばれるようにある種の中毒性があるし量も多くなるけど、玄米は少しで満足できる。
50歳過ぎたら炭水化物を控えるほうが認知症予防となると最近聞くようになったが、玄米なら大丈夫。

それとこれは自画自賛なのだが、我が家ではきちんと毎日出汁をひく。
昆布とかつお節の出汁は、骨や筋肉や髄などにとても言い作用があるし、血液サラサラになる。それに精神を落ち着かせてリラックスさせるのだそうだ。
カツオ節だけなら「陽」が強すぎるが、「陰」の昆布で中和している出汁は、日本の先人たちの素晴らしい知恵だと思う。
でもどんなに体に良いからと言っても、美味しくなければ続かない。玄米も出汁もとっても美味しいんです。
歩くのだってそう。義務感で歩くのではストレスになるだけ。
なにごとも楽しむのが一番!
認知症になった人にはとにかく、その不安を取り除いて、明るい気持ちにしてあげること。そうすれば不安行動が少なくなる。
記憶がなくなっても、人間の感情はずっと残っているんですものね。



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2016年09月14日

長嶋有「三号室の隣は五号室」

ひさかたぶりの長嶋有。
じつは私、長嶋作品はほとんどすべて読んでいるものの、彼をしっかり理解把握できていないような気がしている。
なんということのない時間が流れ、意味のない会話が交わされ、時として退屈。
「なぜこれを書いたのか?」の疑問を抱きつつ読み進むうちに「まぁ、人生ってこういうもんだよね」と私なりに納得してしまう。
そしてそれは悪い感じではないので、ついつい次の作品も読むことになるのだ。
今回のこの「三号室の隣は五号室」はちょっと面白い設定となっている。

第一藤岡荘の五号室に1966年から2014年までの間に住んだ歴代住人の物語。
13組が入居してきた。
一平、二瓶、三輪、四元、五十嵐・・歴代住人たちの順番はその名前でわかるようになっている。
11番目は霜月さん、12番目はイラン人のダウアーズダさん(イラン語で12の意味)というのが洒落ている。
2組を除いて彼らのほとんどが学生や単身赴任や勤めの女性などの独り暮らし。
同じ部屋に住んだといってもお互いに交流があるわけではない。

この五号室、変わった間取りなのが特徴で、ほとんどの住人が「なんか、変」と感じながら暮らしている。(そうは思っていない人もいるけれど)。
間取りが言葉で説明してあるのだが、よくわからない。不動産屋の契約以外の部屋があったりもする。
でも心配は不要。ちゃんと間取り図が載っているので住人たちの暮らしが想像できる。
おかしな間取りの部屋にしては彼らの暮らしは平凡で概ね平穏。
(引っ越しして去った後で殺される者がいて、びっくり)。

住んだ13人、それぞれの時代の出来事が書かれていて、「あぁ、この人が五号室に住んだいたのはあの頃なのか」とわかるので、彼らに親しみがわく。
この物語の主人公はやはりこの五号室という部屋なんだろう。
同じ舞台でも人それぞれ、生き方の違う人生。でも所詮は人間の人生。違うようで同じ、同じようで違う。
その事実がこの五号室の個性に集約されているような気がする。

長嶋有の小説にはキーワードがあって、軽井沢、父親などがそうなのだが、麻雀もそう。
これにも麻雀が登場する。
長嶋さん、麻雀好きなのかな?
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月13日

子島進む・五十嵐理奈・小早川裕子編「館林発フェアトレード」

2004年、子島進氏は京都から群馬県館林に移住した。
館林に隣接する板倉町にキャンパスをもつ東洋大学国際地域部で教えるためだ。
この本は子島ゼミで行われる社会活動をまとめたもので、机上の勉強でなく社会、それもアジアの国々との「フェアトレード」を通じて深く関わることになった経緯が書かれている。
こんなゼミ、面白くて楽しいだろうな。

途上国の発展と自立をうながす活動が目的ではあるが、じつはこれ、館林の町の活性化にも役立っている。
ショッピングモールで催されるフェアトレード商品の販売は、地元の新聞やケーブルTVで紹介されて大々的なイベントとなった。
物品を売って得た利益は途上国に還元される。
商売などと無縁な学生たちが品物を仕入れて売るのは大変なことだろうが彼ら、頑張ってけっこうな売上となっているのが立派だ。

じっさいにバングラディッシュに行ってもいる。
そこで書かれた詳細な「日記」には、現地をじっさいに見聞した人間ならではの感想があって、「あぁ、みんないい体験をしたんだ」とこちらまでうれしくなってくる。
それにしてもバングラディッシュにはさまざまなNPOやNGOが活躍していて、たくさんのフェアトレード商品が生産されているのですね。

フェアトレードは発展途上国の搾取されている底辺の人たちの自立を支援する経済活動で、伝統的な手工芸や食べもなどの生産品を公平適正な価格で買い取ろうという運動。
搾取するのは国の内外の企業である。
またこの活動には、子どもを労働から解放しようという目的もある。
ユニセフやアムネスティなどのNGO、自然食品店などでフェアトレード商品を買うことができる。
我が家ではアフリカからのフェアトレードのチョコレートが好きでときどき買っているのだが、残念なことに夏場は扱っていないんですよね。
融けちゃうからかな?

このような活動が大学であるというのは学生たちにとって大きな意味のあることだと思う。
まず、達成感の歓びは大きい。仲間たちと企画から販売まですべてを受け持つのだから。
活動で出会うたくさんの人たち、買いに来てくれる館林の人たちへの感謝、そして会ったことのない遠くで物を作る人たちへ馳せる想いは、学生たちのこれからの人生にきっと何かの影響を与えるはずだ。
いいなぁ、こんなゼミがあるなんて!子島先生のようなひとがいて!

現在は東洋大学国際地域部は館林を離れ東京に移ったのだが、「館林フェアトレード」は館林のショッピングモールにおいて続いているという。
大学生だけでなく、地元の中学生ボランティアの参加もあるそうだ。

思い出した!子島進先生の本、以前にも読んだことがあった。
「イスラムと社会活動」というタイトルだったと思う。3・11時に被災したムスリムの人たちに物資を届ける活動が書いてあったと記憶している。
そうか、あの子島先生なんですね。。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

中山可穂「娘役」

ヤクザの片桐はヒットマンとしてある組の組長の後をつけた。
組長は護衛をつけずたった一人、向かった先は宝塚歌劇場だった。
絶好のチャンスと思われたが、ラインダンスの舞台から突然飛んできた片方の靴がまるでなにかの啓示のように、片桐と組長を救った。
ある縁でその組の組員となった片桐は、靴の持ち主である「娘役」をいつも遠くから見守ることになって。。

その大鰐組というのがおかしいというか、かわいい。
組長はダンディでムッシュと呼ばれ、若頭は二番手、兄貴分は上級生、足を洗うことを卒業と呼ぶのだ。
すべてが宝塚流。
しかもヤクザとしては大変お行儀よくて、「品格・行儀・謙虚」がモットーというだけあって、シノギもまるでカタギ風。真面目な仕事をしているのである。

靴を飛ばした「娘役」は野比ほたる。相手の男役であるバラキに満足してもらうべく、日夜歌踊り芝居にと励んでいるのだが、どうも自信がもてない。
必死になればなるほど空まわり。
そんなほたるを支えるバラキとのコンビ愛が麗しい。
ふつうなら交わることのない娘役のほたるとヤクザの片桐。二人のそれぞれの物語が進んでゆく。。

中山可穂は前作「男役」に続いての宝塚ものだ。
男役があるならやはり娘役も必要だと考えたのだろう。
というのも、宝塚という特殊世界の大立役者はもちろん男役である。
しかし男役を男役として花開かせるのは、娘役がいればこそ。
女だからだれもが娘役ができるわけではない。男役が役作りをするように、娘役は娘役を作り上げているのだ。
女である男役の声とハモルために、信じられないほど高い声で歌う娘役。しかもその努力を表に出すことなく、つねに男役を立てている。

宝塚は魔法の世界だ。
その世界に幻惑されながら、贔屓の男役と娘役に夢中になる。
私はこれまでそんな宝塚に何の興味もなかっただけでなく、ヅカファン、ジェンヌファンを斜めに見ていた。
だけどこの中山可穂の「娘役」を読んで心底から「一度、是非観たい!」と思った。
なんか私、これまでの人生で損をしてたんじゃないか?
前作「男役」はいわゆるバックステージだったが今回の「娘役」は舞台の魅力にあふれている。
美しい白鳥が水面下で足を一生懸命動かし、それでも優雅な姿で泳ぐように、宝塚の人たちも努力研鑚をおくびにも出さず、舞台に上がっているのだろう。

宝塚は無理としても、東京の劇場に行ってみようかな。
でもはたして一緒に行ってくれる友達がいるだろうか?周囲で宝塚の話題がでたとことなんて一度もないもの。
といって、一人で行く勇気はない。。

この中山可穂。いつもの畳み掛ける文章は抑えて、淡々と書いている。
文体が少し変わったのだろうか?
こういう結末になるんだろうなとわかっているのは、他の作家さんなら「つまんない」のだけど、中山可穂なら、おさまりがよくて胸がスッキリ。
私はつくづく、中山可穂ファンなのです。
posted by 北杜の星 at 08:07| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

野中ともそ「虹の巣」

野中ともそを読むのはずいうんとじさしぶり。この作家さんの存在を忘れていた。
彼女の作品には(「おどりば金魚」のようなものもあるけれど)、ニューヨークとかキーウェストとかカリブ海の雰囲気が色濃い。
これは彼女自身がNYに住み、カリブ海を身近に暮らしてきたからだろう。
彼女は「犬のうなじ」であの9・11のテロを扱った作品もあり、あの時あの場所にいた人ならではの臨場感と深い傷が伝わるものだった。
この「虹の巣」にはNYもカリブ海もでてこない。
母としての女の複雑で悲しい過去を描くミステリーだ。

3人の女がいる。
1人は地味な脇役男優と結婚し引退した元有名女優の鈴子。
1人は高校を中退して鈴子の家で働くことになった少女の佳恵。
そしてあと1人はやはり鈴子の家の家政婦になり、鈴子の娘の日阿子を育てる暁子。
3人の女にはそれぞれの秘密があった。。

被害者でも加害者でも、その理由は同じ。
ただ「愛していた」だけだったのに。
ミステリーなのでストーリーを細かに説明するわけにはいかないが、年代を交叉させながら佳恵と暁子それぞれの人生をあぶり出す。
彼女たちの核にいるのが華やかな鈴子だが、彼女にも暗い過去がある。
彼女たちの過去の秘密がやがて一つになってラストへと導かれる。

これ、野中ともその新境地ですね。
これまでとはまったく違う。なぜこれを書いたのかその心情を知りたくなる。

鈴子の家でつくる暁子の料理、彼女の行きつけの干物屋の魚や蕗味噌・・
美味しそうだ。
とくに山口県から仕入れるかまぼこ!そのかまぼこにちょっと蕗味噌を乗せて。。
山口県って瀬戸内海にも面しているけど、日本海にも面している。
その山口の明るさだけではない「暗さ」が、この小説に巧く使われていると思う。

次にどんな小説を書くか、楽しみな野中ともそさんです。
posted by 北杜の星 at 07:45| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

中島京子「彼女に関する12章」

60年以上前、伊藤整が婦人公論に寄せた随筆「女性に関する12章」をもとに、中島京子が現代に生きる50歳代になる女性を主人公とし書いた小説を、同じく婦人公論に連載した。
それがこの本。
中島京子はこういうものを書かせるとまさに真骨頂。巧いです!
以前にも田村花袋の「蒲団」をベースにしていたが、レトロっぽい雰囲気を「今」に結ぶ技はなかなかのものだ。
「ぢいさいお家」も昭和初期が背景だったし、ああした空気感は中島京子という作家の素敵な個性だと思う。
軽いなかに、ちょっとした教養小説のような知識も顔をのぞかせているのが楽しいし、そこはかとないユーモアが散らばっているのもいい。

聖子はそろそろ閉経?という年齢。
編集プロダクション経営の夫はライターでもあるのだが、その夫が仕事で伊藤整の「女性に関する12章」を資料とすることになった。
聖子はタブレットでそれを読む。
60年前の女性論は古めかしい個所もあるものの、今でもリッパに通用する部分もあるような。。
読みながら聖子は守との夫婦の微妙なせめぎ合いを思うのだ。

夫の守の弟はセクシャル・マイノリティ。
一人息子の勉は一生女性には縁がないのではと、聖子は悩んでいた。
ところが、勉はある日何のノーティスもなく、しばらく前から同棲しているという女性を連れて実家に帰って来た。
勉は京都の大学院で、聖子にはわけのわからない哲学を専攻しているが、その女性も同じらしい。
このガール・フレンド、無愛想でニコリともしない。むろん会話もない。
二人が帰った後で守は彼女のことを「鰯で精進落とし」だとノタモウタ。

私、恥ずかしながら「鰯で精進落とし」ということわざは知らなかった。
せっかくの精進明けに鰯のような安い魚でいいのか?それはつまらないじゃないかという意味だそうだ。
長い間女性の影もなかった勉の最初の彼女が、あの人でいいのか?という親の気持ちの表現。
(こういう可笑しさが随所にあるんですよ)。

聖子の初恋の息子、非営利団体で仕事をすることになって知りあう「お金を遣わ何で暮らす」男性、長野県に住む旧友・・
彼らとの関わる聖子の日々が、どう60年前のエッセイと繋がるのか?
面白いです!
何歳になっても、人生は新鮮な驚きに満ちているんですね。
ストーリーを楽しんでいて見過ごしてしまいそうだけれど、社会問題への提起も旧友のボンゴさんからしっかりされています。

大笑いしてしまったのが、スゴイことを言う婆さん作家の「アノヤヤコ」が夫婦の会話に出てくるところ。
「アノヤヤコ」って、さて、誰のこごとでしょう?
posted by 北杜の星 at 07:45| 山梨 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする