2017年11月18日

ハッチの週間身辺雑記

八ヶ岳南麓は現在、秋まっさかり。木々の葉ぽが美しいです。
我が家の庭の山もみじも赤の部分と緑の部分が入り混じり(日当たりのよいところが先に赤くなる)、それが徐々に全体に赤が多くなってきています。
桜の葉は色を変えて落ちつつあって、あと1週間で落ちきるでしょう。
落葉の問題は北側にある数本の水ナラ。
これは夫が掃いても掃いてもキリがなく、まぁ、12月半ばまでは仕方ないでしょう。

今週初めから鳥のエサ箱にひまわりの種を入れてやるようになりました。
最初はおっかなびkっくり、「これ、食べてもいいのかな?」という具合に見てましたが、勇気のあるヤツが思い切ってついばんだら、それからは後から後から・・
これは小鳥にもうれしいでしょうが、私たちにとっても朝食の時に窓の外を見る楽しみをくれるものです。
今のところはコゲラしか来なくて、シジュウカラはまだのようっです。
ただいいことばかりではなくて、駐車場に置いてある車のミラーやガラスの光に反応するのか、ヒヨドリが糞を落とし、それがこびりついてなかなか落ちない。
先日、夫が3千キロに一度のオイル交換に行った際に、車の掃除をしてもらって、やっときれいになりました。
(ヒヨドリは大きくて、あまり綺麗な色もしてなくて、エサ場で他の小鳥を脅すので、あんまり好きじゃない鳥です)。

最近困っていること。
それは歳をとるごとにカフェインの弱くなってきたこと。
これまでは午後3時以降を気をつけると大丈夫だったのが、今ではどうかすると午後一でもうダメ。
ランチが遅く食後のコーヒーが2時ごろになると、その夜はてきめんに眠れなくなるのです。
自宅ではドリップもエスプレッソもどちらもカフェインレスを常備しているので問題はないのですが、カフェやレストラン、友人宅に行くと困ります。
カフェインレスが健康にとっても良いと、都会のレストランなどではかなり置くようになっていると言いますが、まだまだ、アメリカなどのようにはいかないみたい。
たとえカフェインレスであっても、完全にカフェインを除去していないものも多くあるようです。
梨木香歩さんもお昼を過ぎるともうカフェインは摂らないとエッセイに書いていましたが、そういう人、多いのかもしれませんね。
周囲の友人たちに聞いても、かなりの人が「夕方からは飲まない」と言っていますから。
いろいろ鈍くなるなるのに、どうしてこういうことには敏感になるのでしょうか?

友人夫婦と久しぶりに「肉:」を食べに行こうと約束していたのですが、来たのは夫の方だけ。
聞いてみると奥さんは膝がとても痛くて、歩きたくないとのこと。
1カ月前くらいから「車の乗り降りの時に、膝が痛むの」と聞いていたのすが、そんなにひどくなっているとは思っても観なくてびっくり。
彼女はかなり我慢強い女性で、日常生活において「痛い」とか「辛い」とか言わない人です。
その間所が「とても痛い」と言うのだから相当なのだと思います。
整形外科で注射を何本か打ってもらったけど、効果がないそう。違う病院に行ってみると言っています。
こうした整形外関係の膝や腰、股関節、脊柱狭窄などの疾患は他人事ではありません。
今のところ私たち夫婦には、こうした痛みはなくて住んでいますが、それがこの先もずっと続くとは絶対に思えません。
こうした故障はいわば経年疲労、歳をとると誰にも起こりうることです。
彼女は「夫に思いやりがない」と嘆いていますが、そんなことはなく、経験のない人はその痛みがわからなくて、どうしてあげていいのか困っているのだと思います。、
とにかく一日の緒早く治ればいいです、少なくとも痛みが軽減するといいです。
(ちなみにそのランチ、山形産牛赤身肉のステーキが目的だったのですが、それは無くてローストビーフでした。残念ならがソースがイマイチだた。ローストビーフならソースなしのホース・ラディッシュが添えてあるか、ソース付きならグレービー・ソースの方が良かった。あのソースはウスターソースが入っていたみたい。)

悲しい知らせもありました。
友人のYちゃんの飼っている猫のしんちゃんが死んでしまったのです。
長い間音沙汰なしのYちゃんを心配して電話してみたら、「しんちゃんが危篤状態」と言うではありませんか。
でも電話口でしんちゃんの鳴き声が力強かったし、その後「持ち直した」と言うので、安心していました。
Yちゃんっは昨年、他の2匹の猫を相次いで失っていて、しんちゃんは家に残る唯匹の猫。
元気になって良かったと思っていた矢先い、やっぱりダメだったと。。
これで彼女の家には猫が誰もいなくなってしまいました。

Yちゃんは35年くらい前までは、猫を飼ったことがありませんでした。
彼女にとっての最初の猫は、私の夫が飼っていたビリーでした。
私と夫が一緒に暮らすようになって困ったの尾は、夫にはビリーが私にも猫がいたこと。
しかもその猫同志の折り合いがすこぶる悪い。それで夫はYちゃんにビリーを託したのです。
優しいYちゃんは猫未経験でしたが、身体の弱いビリーの世話を熱心にしてくれていました。
ビリーが死んでからも、縁あって頼まれた猫たちを3匹も一緒に、そう広くない公団住宅で飼ってきました。
それが昨年、ごんちゃん、そのごんちゃんを追うようにふうちゃbんが逝ってしまい、Yちゃんはとても気落ちしていたのでした。
けれどしんちゃんの最期は幸せだったと私は思います。
だってYちゃんは弱ったしんちゃんのそばにずっといてあげられたからです。
今頃は空の上で、ふうちゃん、ごんちゃん、しんちゃんは一緒に遊んだり眠ったりしていることでしょう。
彼らはこれからもずっとYちゃんを見守ってくれると思います。
猫を失うのは本当につらいことだけど、彼らのくれた思い出はたくさんあります。思い出すのはつらくても、やはりその思い出は無いよりはある方が断然素敵です。

富士山はもちろん南アルプス、北岳や駒ケ岳の山頂はもう真っ白。最低気温はまだ零下にはならないものの、日一日と冷えこんでいます。
寒さを厭いがちだけど、青い空やきれいな山々、風景が美しくなるのはじつはこれからの季節。
せいぜい楽しみたいと思っています。


posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

ハッチの週間身辺雑記

もしかすると夫も私も生れて初めてインフルエンザにかかたのかも、治ったこのごろに
ただの風邪ではなかったような気がします。
(それでも私はインフルエンザ予防接種は受けません、あれは毒です。)

月曜日にやっとパジャマから普通の室内着に着替えて、日常に戻る努力をすることに。
体はまだまだしっかりしないけれど、自分で作った食事を量は少なくてもしっかり摂ろうと、料理を再開。
フラフラする体でお出汁を引いてあさりの吸い物を作って一口飲んだ時、体の隅々まで滋味が広がるのを実感しました。
火曜日には夫の車仲間がやって来て、私たちは昼食をすませたばかりだったけど、どうも彼らはまだの様子なので、「簡単なトマトソースのパスタ」ならできるよと言うと、「食べたい」とのこと。
本当に何もなく、缶詰のトマトでソースを作り、、パルミジャーノをおろしただけのものだけ、それでもお替わりまでしてくれてました。
じつは1週間前の土・日には、恒例のフレンチク車の祭典「フレンチブルー・ミーティング」が台風のなか車山で開催されました。
夫は風邪の直後だったので参加は見送っていました。そもそもここ1年半ほど我が家にはフランス車がない状態。それでもキャトル・クラブだけは脱退することなく続けています。
仲間が忘れずに時折こうして遊びに来てくれて、ありがたいことです。
今度は体力気力を充実させて、前菜くらい作るので、また来て下さい!

そうそう、沖縄の名護市の保育園の子どもたちに、こちらの山の木の実を送ったのはお知らせしましたね。
拾った木の実が、ナント、300個のギョーザに変身。
といおうのは、理事をしている友人が木の実のお礼として、彼の友人が名護で作っている冷凍ギョーザをどっさり宅配便で届けてくれたのです。
ギョーザ300個というのはすごい数量ですよ。別に冷凍庫を持っているので収納できたものの、正直、ビビりました。
半分ほど友人夫婦にもらってもらい、イガつきの栗を採って来てくれたSさんんにもお裾分け。
とても美味しギョーザで、台湾にも輸出しているとか。冷凍で2年間保存できるそうですが、2年間冷蔵庫にギョーザが鎮座しているのも怖いので、早目に食べきります。
その保育園の子どもたちと、信州中山道の宿場町の海野にある保育園とが、どなたかの仲介で交流を始めることになったそう。
早速名護の子どもたちは海岸で貝がらを集めているそう。きっとお友達がたくさんできることでしょう。
理事をしている友人が貝殻を携えて、やって来ると言っているので、ギョーザのお礼を直接言えるかも、です。

寝込んでいた間に、クリーニング屋さんには夫が行ってくれていました。
そのクリーニング屋のおばさんから電話がありました。
「奥さん、どうかね?病気かね?旦那さんばかりが来てるけど、元気になったかね?」と。
これを聞いて、なんだかとってもうれしかった。
こちらに移住して8年が経ちますが、あぁ私はこっちの人間として認められたんだなと。
こうして心配してくれる人が地元にいる。

このおばさんとはちょっとしたいきさつがあったのです。
もう数年前になりますが、春の衣替えの時に出したブルゾンが戻ってきてないと、夫が言うのです。
そう言われれば私も気付かなかったような。
こういう時に夫の実家の人たちは、かなり強い口調になるのを知っている私は、「とにかく、こっちの間違いかもしれないのだから、次の秋もののときに確かめるまで、待ってましょうよ」と、なだめました。
すると、やはり私たちの勘違いで、ブルゾンは衣装箱から出て来たのです。
チョコレートボックスを持って、おばさんに「ごめんなさいね、不愉快な思いをさせてしまって」と詫びに行きました。おばさんは「あぁ、よかった」と気持ちよく許してくれました。
それ以来、そのおばさんとは店先でいろんな話をするようになったのです。
療育手帳を持つ40歳の息子のいるおばさんは、どうしても運転免許を取得できない息子を仕事場に車で送迎したり、病院に連れていったりと、店をよく休んだり開店時間が遅れたりします。
だけど地元の人たちは「まぁ、そういうもんだ」ととても寛大。
都会では考えられないくらいのおおらかさに、こちらまで気分が爽やかになります。
おばさん、ありがとう。元気になったからお店に行きますね。

このところ「猫がいるけど飼わない?」といろんな知人から声をかけられます。
「猫のことは私に言わないで。絶対に見ないからね」というのが私の答え。
でも寒い季節になると、ハッチというか猫の不在いが心身にこたえます。
あの柔らかで温かな身身体を撫でたい、ぎゅっと抱きしめたい。
どういうわけか野良猫もあまり来なくなって、さみしいです。
暖炉、電気カーペット、ポカポカの陽だまり・・猫のお気に入りがたくさんの我が家に、猫がいない。。つまんない暮らしです。

でも何にでも終わりはある。
猫の不在はこれからはじまるいろんな不在予行の演習の一つにすぎないのかもしれません。
せいぜい夫と仲良くして、毎日を楽しく暮らすしかないか。。。

posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 | Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

東山彰良ほか「走る?」

「走る」をテーマにした14人の作家のアンソロジー。
14人のなかには初読みの作家さんも多く、楽しく読めた。
人生において「走る」場面は数々ある。そうした人たちの背中をそっと押してくれる短編が並んでいる。

東山彰良や古川日出男や佐藤友哉などはいかにも走りそうだ。走ると止まらない感じ。
反対に柴崎友香の主人公はおっとりして慌てふためかず、走るべき時にも走らない印象がある。

町田康はどうだろう?
走るようでもあるが、走らないようでもある。みんなと反対に、急いでいる時にはわざとゆっくり、ゆっくりしている時にはバタバタと尻を絡げて走りだしそう。
その町田康の「ずぶ濡れの邦彦」。
走らないことを条件に結婚した邦彦と妻のお話し。

「走る」をテーマに走らないを書くなんて、町田康らしいこと、と思いながら読み始めたのだけど、途中から「もしかして、こうなるんじゃないでしょうね。こうなるのは、あまりにあまり。でも町田康だもの、違うよね。。」と心落ち着かなかったけど、心配したとおりの結末に。
あまりに平凡、陳腐。
町田康の看板が泣くでしょと、情けなくなった。
こんな町田康、初めて。ホント、つまんなかったなぁ。
これがもし他の作家であったとしても、許容範囲外です。

いっぽう、初めて読んだ中田永一の「パン、、買ってこい」は面白かった。
強者のクラスメート入間君から、弱者の「僕」は昼休みになると「おい、パン、買ってこい」とパワハラされる。
パンは学校の購買で売っている。
入間君は「買ってこい」というものの、パンの指定はない。買ってくると500円玉を投げてよこす。
毎日毎日それが続くうちに「僕」は入間君のパンの嗜好にどうしたら沿えるかを考え始める。
「どんなパンが好きか」と訊ねると、入間君はパンの種類の指定ではなく「出来たてのパン」と答える。
そして「僕」は彼のために学校を抜け出て、駅前まで「走り」、できたてのパンを買って来る。
・・入間君にすると、気味悪いヤツに違いないよなぁ。
でもこの小説の登場人物は入間君を含めて、なにやらかわいくておかしい。
れっきとしたイジメなのに、悪人がいない。
これ気に入って、私の頭に中田永一といいう作家の名前が強くインプットされました。他のも読んでみよう。

こうしたアンソロジーは新しい作家との出会いがあるのでうれしい。
posted by 北杜の星 at 08:39| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

ハッチの週間身辺雑記

大変な1週間でした。
まず夫が寝込み、しだいに体の調子が悪くなった私が「早く治って、そうでなければ安心して私が寝込めないから」と言ったら、その夜、彼は大汗をかき2度パジャマを着替え、朝起きると「治った」。それで選手交代。
それが月曜日、台風一過のお天気の日でした。
その夜は39.5度までは熱を測ったけれど、後はしんどくてしんどくて、目が開けられないほど。
翌日になっても水一敵も飲めません。飲もうとすすると吐き毛がしてどうしても飲めない。これには困って、病院嫌いの私もさすがに内科クリニックで水分補給の点滴をしてもらおうと出かけたら、その日は午後休診日。評判の悪い市立病院に行くと、そこも午後は予約診療のみとのこと。よろよろと家に帰りました。
幸いなことに、午後からは水分が摂れるようになり、作ってくてくれるりんごジュースが美味しい。
熱は1度下がりました。
水曜日になっても水分のみ。熱はまた下がって37,7度に。
買い物に行った夫が買って帰ったものは、シューマイ、ぶりの切り身、牛ひれステーキ肉。
「どれが食べたい?」
「。。。」
思いだしたのは友人の話しです、彼女が若い頃風邪で苦しんで寝込んでいると、仕事から帰宅した夫が大きなデコレーション・ケーキを抱え「おい、これを食べて元気を出せ」と言ったそう。
彼女は思わず夫の顔にそのケーキを投げてやりたかったそうです。
男性のこういう無知な善意、どうしたらいいんでしょうか?

台湾旅行の疲れもあるかも知れrませんが、私は台湾での気温の変化が原因だと思っています。
雨の日が多かったため気温がいつもんほど高くないものの、それでも27〜30℃。ムシムシ。
ところが店、レストラン、地下鉄、タクシー、ホテルはエアコンがギンギンです。なにしろホテルの部屋の設定温度が22度!
部屋に入ると「寒い」。ボーイさんに25度にしてもらってもまだ寒い、28℃にしてもとうとうそれほど気温は上がりませんでした。
台湾には省エネという概念はないのか?
その街中を女性たちはショートパンツかミニスカートで素足。
台湾には冷え症はないのか?

私たちは高原の寒冷地に住んでいるので、エアコンの生活に慣れていません。
盛夏の数日の午後数時間、エアコンを使うくらい。このあたりではエアコンなしの家がほどん度です。
だから激しい温度差を一日に何度繰り返しているうちに、自律神経がおかしくなり、体温調整がうまくいかなくなったのだと思います。
金曜日になって37度を切るようになりましたが、まだ汗の出方が本物ではないの、注意が必要です。

こんな消えた1週間でしたが、初めの日だけは楽しいことがありました。
友人夫婦の一人娘のIちゃんがアメリカから帰国、一緒にランチしたことです。
Iちゃんは臨床心理士としてフィラデルフィアで活躍する、明るく聡明で細やかな気遣いのできる素晴らしい女性です。
いつもバカなジョークばかり言っているお父さんもIちゃんの前ではおとなし目。
今回も彼が「▼×●ファ▼●」と中国人の真似をしたら、「まぁ。やめなさいよ」とぴしゃり。お父さんションボリ。
Iちゃんは今はアメリカ国籍。だから帰国というより来訪になるのかな?次に会えるのは2年後。楽しみです。

完治までにはもう数日かかるでしょう。焦らずゆっくり過ごします。
そうそう、不思議なことに、ほとんど水しか摂っていなのに、毎日見事なお通じがあります。
断食をすると宿便がでると言うし、食べ過ぎの人の方が便秘がちだとも言われるので、これは自然なことなのかもしれません。
おかげで腸がデトックスでしました。
時々熱を出すと体が浄化されるそうですし、私、ピューリファイされたのならうれしいです。
posted by 北杜の星 at 08:38| 山梨 | Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

ハッチより

高熱で寝込んでいます。。
posted by 北杜の星 at 10:24| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

ハッチの週間身辺雑記 台湾旅行記2

さて、台湾滞在3日目。
友人のMさんたちは台中へ。
本来の私たちの予定は九分見学だったのですが、雨のため予定変更。台北市内を歩くことに。
私たちはヨーロッパに行っても、一つの街に長く滞在することが多いので、これはあまり残念なことでありませんが、雨、なんとかならない?って感じです。

まず友人夫婦との朝食をホテルの近所のカフェで。
前日は台湾市場での台湾朝食でしたが、ふだんから朝はたくさん食べない習慣だし、やはり普通のパンとコーヒーがいいねということで、最近台湾でも流行のちょっとお洒落なカフェに行くことに。
ここも夫が調べていたところで、朝7時からオープン。ほとんど満席状態。
どちらかというと「業界風」の若い人たちが朝食してました。
パン・ド・ミのトーストのセットを注文、ポテトサラダが美味しかった。

台北駅で彼らと別れ、これまた夫が下調べしていた「炭火焼のサンドイッチ」の店へ。
この店は池澤夏樹の前の奥さんとの間のお嬢さんの池澤春菜さんの台湾案内本で見つけていたところ。
春菜さんはなんとこれまで40回も台湾に行ったことがあるという熱烈台湾ファン。ディープなところから新しい若者名所までたくさん紹介しています。
この本をMさんの奥さんのKさんからお借りしていたのです。
地下鉄の悠々カードをチャージし、その駅に着いたものの、場所がよくわからない。
通りすがりの青年に訊ねるとちょっと困惑顔。やがて決心したように「僕が店まで案内します!」ということに。
遠くはないけど説明しにくい場所だったんですね。雨の中、店先まで連れて行ってくれました。感謝でした。
サンドイッチの味はそう感激するものではなかったけれど、それを作る女性の働きぶりには大感動。
炭火の上に食パンを置き、ベーコンを置き、横のフライパンで卵を焼いて、野菜を用意・・その間、並んだ客の注文を聞いたり炭火のチェックをしたり。
スゴイ手際の良さでした。
この店のある通りには、食べもの屋さんが並び、若い人たちがいっぱい。近くに大学でもあるでしょうか。
また地下鉄でホテルへ戻りました。
台湾はタクシーがとても安くて、運転手さんもみんな親切。雨なのでタクシー利用してもよかったのですが、悠々カードをチャージしたので、使わなくっちゃと地下鉄に乗りました。
台湾の地下鉄は東京のより広く、明るく、清潔。東京ほど混雑していないので快適です。そのうえわかりやすい。

昼寝をして、夕方からいよいよ「士林」の夜市へ向かいました。
ここはかなりディープな夜市で、なかでも「士林市場」は観光客必見です。
1階は日本でも昔の遊園地にあった射撃があったり、どこか懐かしい感じ。占いも並んでいます。
エスカレーターで地下に行くと、そこはぜーんぶ食堂。それも典型的な屋台料理。いったい何軒の店があるのか?
客がいっぱいの店があるかと思うと、ガラガラの店も。誰だってガラガラの店には入りたくないから、そこはずーっとガラガラのまま。
若い女性が一人でチャーハンを食べていたり、ごく普通の台湾の人たちの食事処なのでしょう。
なんだか気圧されて、食欲がわかず、何も食べないで帰りました。

夕食はホテルの前のちょっと高級な上海料理店へ。
焼きそば、それも上海焼きそばが大好きな私のリクエストです。夫は炊きこみご飯を注文。
それに蒸しギョーザと青菜炒め。
焼きそばとご飯は土鍋でやってきましたが、これがとてもとても美味しかった!とくに炊きこみご飯は絶品でした。
ここは高級だけあって、アメリカ人が接待に使っていました。

4日目、今日も雨。でも雨にも慣れた。
現代美術館で、新しい感覚のアートに接したいと行ってみました。
(台湾ならなんで「故宮博物館」に行かないのか?と思われるかもしれませんが、私の視力では展示物を見ることができないのと、博物館があまり好きではないからです。博物館ってあまり「いい気」が流れていなくて、どうかすると気が滅入ることがあるし、文物が多すぎてひどく疲れるのです。)
美術館は歴史的建物。内容はまぁまぁ。ビジュアル・アートが多かったです。
この美術館では入場券の代わりに手の甲にペタッとハンコを押してくれるんです。経費節約なのか?
それが1日中消えずに、なんだか囚人になった気分。

そこからまた地下鉄で、今度は市立美術館へ。雨なのでなるべく建物の中にいようという魂胆だったのですが、なんと1週間の臨時休館中、
駅からかなり歩いたというのに残念でした。
だけど途中にフェアをやっていて、オーガニックの食品などを売っていました。これがけっこうな値段。コーヒー豆150gくらいで2千円もするんですよ。
シンプルで素敵な雑貨屋さんがあったけど、これも閉まっていました。面白そうな帚があって買いたかったなぁ。私が台湾で自分のために買いたかった唯一のものでした。

いろいろ夕食の場所を調べはしたものの、雨のため近場でということでホテルから5分の三越の9Fの伝統的台湾料理の支店へ。
土曜日だったせいか、みんな予約客ばかり。しばらく待っていると「すぐ、1時間で食べるならOK」と言われ(たのだと思います)、席に案内してもらえました。
広い店内は満席状態。日本人は私たちだけ。隣のテーブルの家族連れはちょっと変な献立で食べてましたよ。
白いご飯、蟹おこわ、チャーハン・・ご飯ものがこんなにたくさんあっていいの?という感じでしたが、おかずも次から次に来るわ来るわ。。どんだけ食べるんだというくらい注文してました。
他のテーブルでも食べきれないほどの皿が並んで、私たちのように炒麺と青菜と肉料理一品とスープだけという人はいません。
45分で食べ終えました。
ホテルに戻るとMさんたちが台中から帰っていて、いっとき話を聞きました。

さて最後の日、今日も雨ですが前日や前々日ほどの降りではないみたいで、カフェで朝食後チェックアウトして、空港のロッカーに荷物を預け、空港近くの「豊錦町」というその名のとおりとても美しい街並みの住宅街を散歩。
ここは最近、お洒落なカフェや家具店や洋服のお店がオープンしつつあるところらしく、まるでヨーロッパのテラスハウスのような建物が並んでいます。
そのなかのこれもセンスの良いカフェで軽い昼食。夫の頼んだローストビーフのクロワッサンサンドがモダンな味でした。
(サンドイッチなんてどこでも食べられるじゃないかと思うかもしれませんが、こうした日本でも普通にある食べものが微妙に違うのを知って楽しむのも、旅の面白さです。パン一つとってもなーんか日本とは違うんですよね。ローストビーフも全然違ってた)。
ここなら住んでもいいなと思ったほど気に入った「豊錦街」でした。緑があってシックで落ち着いています。それでいてやはり台湾。

松山空港のサイズっていいですね。大き過ぎなくて静か。
人間が心地よいサイズってあるんですよね。そういう意味では台北の中心地での建物の高さはほぼ揃っていて、スカイラインがごちゃごちゃしてません。
機内アナウンスで、雨雲の影響で揺れるかもと言われて心配したけど、揺れることなく無事羽田に到着。
(日本航空の機内食、台湾の薄味に慣れたせいか、ものすごく濃く感じました)。
車が空港に隣接した駐車場に停めてあったので、雨に濡れることなく千駄ヶ谷のMさんのマンションに帰りつきました。

台湾の印象をひと言で言うならば、「穏やか、優しい、上品」というものかな?
それでいてやっぱりアジアで、例えば高級ブランド店の隣にダサイ衣料品店があったちと、アジアの混沌もしっかり残っていて面白かったです。
なにより若い人たちが素敵でした。
東山彰の「流」を読むと、穏やかな台湾人ばかりではないようですが。。
Kさんにこの本を紹介すると、是非読むと言っていました。

そうそう、夫が台北で気に行った面がありました。
それはみんなの運転のしかた。
彼に言わせれば、「台湾ってイタリア人に似た運転するね」ということです。
なるほど、巡行速度は日本より時速20キロは速い、ちょっと遅い車は左からも右からも追い抜く、バイクだって同じ走り、女性も同じ運転・・
たしかに台湾の人たちは日本人より運転上手でしたね。
Kさんはこれまで台湾タクシーの運転手の運転が怖かったそうですが、夫の説明を聞いて「これからは不安に思わないですむわ」と安心してました。

楽しく元気で帰って来れました。
Mさんたちには本当にお世話になって、感謝でいっぱいです。
また夫が「台湾へ行こうか」と言ってくれるといいけど、まぁ、私だけ友達と行けばいいんだしね、と思っています。

台湾、もう何度も行った友人もいます。
未経験の方、どうぞ一度訪れてみてください。いいところですよ。あれほど雨に祟られた私がそれでも薦めるのだから、絶対です!!
犬は繋がれないで仲良く2匹、散歩してたの見たけど、猫は1匹も見なかったなぁ。
台湾って、いかにも猫がいそうだったんだけど。
まぁ、都会の真ん中に居たから、見なかっただけかもしれません。

posted by 北杜の星 at 08:31| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

ハッチの週間身辺雑記 台湾旅行記bP

正確にいえば今週ではなく先週のことなのですが、今回は台湾旅行記です。

前後東京の友人宅に泊らせてもらい、11日から15日まで4泊5日で、初めて台湾に行ってきました。
私はバンコック、香港とアジアは3回目。夫はまったく初めてのアジア旅行です。
心配が嘘のように、彼も楽しんでいました。

着いた日以外はずっと雨。日本もその間は雨だったようですね。台東では土砂崩れなどの被害があったようです。
30分も飛行機が早く到着したので、10時半にはもう台北に。ホテルに荷物を預けてさっそく街歩きに出発。
夫が調べておいた「牛肉麺」を食べに行きました。昼前だというのにかなりの客足。
牛肉麺を食べるつもりだったけど、ふと隣の女性を見ると、なにやら汁なしのジャージャー麺のようなのを食べている。
暑かったので私もそれにしようと、彼女に「それ何?」と訊ねると、メニューを指差してくれたので、それを注文。
彼女はこれでもかというくらい混ぜていたけど、私は混ぜるのが下手で、どうも彼女の丼のようには茶色にならない。最後の方にかなりの肉が残って口惜しい。
彼女だけでなくジャージャー麺を食べている人はスープも一緒に食べてましたが、あれが正式?の食べ方なのかな。たしかにジャージャー麺を食べているとスープが欲しくなる。

それから地下鉄の中山駅で、パスものような「悠々カード」を購入して、ベタな観光地ですが、パワースポットの龍山寺へ。瀧があって気持ち良いお寺、さしずめ浅草の浅草寺という感じかな?
おみくじを引くにも資格が必要なようで、二つの板を投げてその向きが正しければ引けるとか。私たちは誰もNGでした。
それから周囲の市場をそぞろ歩き。台湾は市場が多い。

歩いていると突然、私の足がツリました!こんなふうにツッタのは初めてで、泣くほど痛かった。
その前日に東京で歩きに歩いたので、筋肉疲労していたのかもしれません。
困っていると、これも突然、目の前に「足裏マッサージ屋」が!
さっそくお願いすることにしましたが、どこを揉まれても痛いことったら、これも泣きたいほど。
「痛い」「痛い」と言うのだけど、寡黙なマッサージのおじさんは「いいから、俺にまかせておけ」という顔で、取り合ってくれません。
地獄の30分でした。
(足裏マッサージ自体は柔らかい揉み方です)。

ホテルに帰ってチェックイン。部屋は2段階グレードアップしてくれて、プレミアム・ツインとなっていました。
これはラッキー。
もともとロイヤル日航台北にしたのは、利用できるクーポン券がちょうど4泊分あったからで、普段なら私た夫婦はこうした日本のホテルは利用しない主義です。
でも今回は部屋のことだけでなく、助かりました。
なにしろ漢字でだいたいの意味はわかるものの(わかった気になっているだけかも)、発音はまったくできない。レストランの予約は英語や日本語が通じないところもある。
なのでフロントで日本語が通じるのは本当に便利でした。
足がツルのに効く漢方の先生を友人がフロントから訊いてくれて、教えてもらったのもありがたかったです。(翌日からはどんなに歩いても大丈夫だったので、結局罹りませんでしたが)。
こういうのに慣れたら、ラクな旅行に走ってしまいそうで怖いですが。
夕食は名物の小籠包が評判の店に。蟹みそ入りとか試したけど、プレーンなのが一番美味しかった。

次の朝は東門市場を探検。
夫が市場のなかで見つけた食堂で朝ごはん。
米粉をまるで米飯のようにして、おかずと食べるんです。だから米粉は汁ものだけど味がついてない。
おかずは青菜炒め、豚の腸の茹でたのに辛いソースをかけたものなど。なかなかに台湾っぽい朝食です。
食べていると食堂の看板おばあさんがテーブルにやって来て、うれしそうに日本語でいろいろ話しかけます。
今年86歳で、日本が大好きとのこと。幼い頃は日本に占領されていた台湾ですから、日本語がまだ話せるんですね。
「毎週月曜日にこの市場が休みの時は、年寄り連中が集まって昔の日本の歌を歌うのよ」と言っていました。
中国や朝鮮半島での日本軍と違って台湾では、人々を大切にしたのでしょう。今でもそんな日本時代を懐かしがってくれる人が多いみたいです。
笑顔がとてもカワイイおばあちゃんでした。いつまでも元気でいてください。

それから友人夫婦お勧めのある食べものをゲットするために、台北駅へ。
駅から歩くこと数分。
そこには「胡椒餅」なるものを売っている店がありました。
胡椒餅というのは台湾のファーストフードで、長野県の「おやき」に近いのかなぁ。でも中身は全然違います。
胡椒がたっぷりな豚肉のシチューのような餡が皮に包まれた焼いてあるもので、熱々の熱々。売り場のおじさんが「熱いよ」と日本語で注意してくれました。
ホテルに帰ってもまだ熱々を保っていました。
その日のお昼はこの胡椒餅だけだったけど、大満足。
この200円の胡椒餅、台湾旅行でもっとも美味しかった食べもので、その後ももう一度買いに行ったほど夫も私も気に入りました。
歳をとったせいか、最近ではイタリアに行っても、豪華なレストランの料理よりも、市場や町はずれの屋台車で売っている豚の丸焼き肉を挟んだポルケッタと呼ばれるサンドイッチのようなものがうれしくなったし、広島だとやはりお好み焼きとか、ごく普通にその土地の人が食べているものがいいですね。
そうした料理が続くのには理由があって、美味しく安いから。そういうのってうれしいです。

その夜は典型的な台湾料理を出す店へ。
(小籠包は台湾にゴマンとありますが、実は台湾朗利ではなく上海料理だとか)。
八角などのスパイスをまったく使わずに作った豚の角煮は、脂っぽくなくあっさりして絶妙な味。
しじみ醤油はチマチマと食べなきゃいけないけど、面白い味でした。
細かい切り干し大根の卵焼きは家でも作れそうに見えるけど、あんなに外はカリっと内はしっとりにはできそうもない。
夫が食べたいと言っていた蟹おこわは期待どおりの味でした。またいつか食べたい。
このレストラン、平日だというのにすごい盛況ぶり。どのテーブルもたくさんの品を注文し、賑やかに食べていました。
台湾の人というか中国系の人って、本当に食べることが大好きなんですね。
彼らの食べる時の顔の幸せそうなこと!

でも食べている時だけではないのかもしれません。
台湾の人はとても穏やかで優しいんです。どの店の人もタクシーの運転手さんたちも、道ですれちがう人たちや地下鉄で乗り合わせた人たちも、ギスギスしたところがないんです。
街にはゴミが落ちていない。一見古くて小汚く見える市場だって、どこにもゴミは落ちていないのです。
夜、暗い道を歩いても恐怖を感じない治安の良さも、観光客にはありがたいことです。

そしてなによりも感動したのは、若いひとたちが生命力に溢れて、活き活きしていること。
あの若さの輝きは残念ながら日本では感じられないことでした。
25年くらい前の日本の若者もあんな顔をしていたはずなのにと思うと、今の日本の現状について考えないわけにはいきませんでした。
元気なのに、傲慢ではないんです。とにかくみんな優しい。
台湾の料理はどれも薄く優しい味ですが、ああした食べものを食べているから、あんなに優しくなれるのかなぁと、夫と話したのでした。
日本って、悲しいけれど今や「陽沈む国」となってしまったのでしょうね。
若さの輝きもなければ老いの賢さもない。。そんな印象を台湾で感じました。

私たちを誘ってくれたMさん夫婦は50代前半。
毎年この時期に台湾に行っています。
というのも台中にはMさんの母方のお祖父さんの銅像が経っていて、お祖父さんに関連するイベントが催されているるからです。
日本の統治時代にそのお祖父さんは農業のための用水路を建設した技師として、今も台中の人々から尊敬され感謝されているそうです。
だから今年もMさんの親戚一同が台中に集まり、台中市長を表敬訪問、イベントに参加、夜は宴会に出席。
来年はお祖父さんの記念館が建てられる運びとなっているそうで、来年は台中で花博と相まって、さそ盛大なイベントとなるのではないでしょうか。

3日目からはMさんたちは台中へ。
その間、私たちは別行動となります。雨のなか、まだまだ街歩きは続きます。

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2017年10月07日

ハッチの週間身辺雑記

カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞 おめでとうございます!!
一昨夜、夕食の後ボーっとしていたら、友人よりTELで知らされました。
彼女もカズオ・イシグロの大ファン。二人して大喜びしました!
若い頃から完成度の高い作品を書き続ける彼の受賞は当然といえば当然。いつかは、、と思っていましたが、本当にうれしいです。
その興奮も冷めやらぬ週末土曜日の朝です。

先日の朝、夫と集落を散歩していると、知り合いの農家の人から呼び止められました。
「無花果が生ってるから採っていかんかね?」と。
うれしい!無花果大好きな私は大喜び。夫が枝からもいでくれました。容れものを持っていなかったのでその人が家からビニール袋を持って来てくれました。
畑の柔らかな大根葉ももらっての帰りがけ、「朝の散歩はするものですね」と私が笑ったら、「袋を持って散歩しなさい」と返されました。
ホント、ここは良いところです。
でも16軒の家々はみんな高齢者。米を作る農家も少ないのですが、作っている農家も人手がなくてJAに稲刈りを依頼すのだとか。限界集落の大変さが身に沁みます。

我が庭にときおりタヌキが出没します。
他の近所の人は何匹か一緒に来ると言いますが、我が家に来るのはいつも一匹だけ。
居間に居る私と目が合うと、じっと見つめてきます。丸いタヌキ顔の私を同類と思うのかな?
キツネもときおり見かけるけど、キツネはあまりフレンドリーではなく、すぐに逃げます。美人顔のキツネは気位が高いのかも。
害獣と嫌われる動物ですが、元は彼らの居住地。彼らの方がここでの先輩なので、敬意を払って接しています。
ただウンコを庭に残して行くのは止めてほしいなぁ。

鳥が窓ガラスにぶつかるのも止めてほしい。これは鳥のせいではないだけになんとも胸がつぶれるできごとなのです。
我が家には2メートル幅の窓ガラスが4枚、他の窓を合わせると計19メートルものガラスがあります。そこに時々鳥がぶつかるんです。、
コゲラやシジュウカラなど小鳥がいつもなのですが、つい数日前、居間で本を読んでいたら突然ものすごい大きな音が背後にし、一瞬それが鳥とは思えなく、いったい何が起きたのかと窓の外を見て見ると、鳩が転がっていました。
鳩がぶつかるのは初めて。さすがにその大きさに驚きました。
1時間しても全然動かず、血も流しているようだったので、これは脳しんとうではなく死んじゃったんだと、でも怖くて触れなく、夫の帰りを待とうと思いました。
しばらくしてもう一度見ると、前とはほんのちょっと違う場所に倒れています。動けたのです。
死んでいないと安心し、鳩を覗きこんだら、気配を感じたのか、フラフラと飛び去って行きました。
どうなったのか?どこかで無事にいるのか?それとも。。
窓掃除をしなくてはと思いながらも、鳩がぶつかって毛のついた跡が怖くて、そのままになっています。
私は、酉年で名前に鷹のつく夫を持ちながら、実は鳥がすごく怖くて、遠くで飛ぶ鳥を眺めるのは平気なのですが、触ったりはできないのです。
鳥の祖先は恐竜だといいますよね。私の前世は恐竜に食べられていた何かではないでしょうか。とにかく鳥、怖いです。まだトカゲやヘビの方がいいかも。。

冬支度が整いました。
夫は暖炉の煙突掃除をすませました。
この煙突掃除、屋根に登るので危険なので、「もうトシなのだから、業者に頼めばいいじゃない」と言うのですが、彼は頑固に自分でするのです。
いつまでできるか?あまり無理はしてほしくないですが。。
暖炉前も、新しく購入した電気カーペットを敷き、その上にクリーニングから戻ったギャベを置きました。
居間の雰囲気がアットホームな感じになりました。でもつくづく、ここにハッチがいればなぁと思います。
私にとって猫のいない冬の居間はパーフェクトな空間とはいえません。

何週間か前に友人を招いてギョーザ・パーティをしたのですが、それが好評だったので今回もすることに。
以前は能がなく、すべて同じ味のギョーザでしたが、今回はバリエーションをつけて焼いてみました。
今回も大好評。豚ミンチは平田牧場のものだし、皮は生活クラブのだし、不味いわけはないですよね。
久しぶりにやってきた友人も「こうして焼くのって美味しいし、楽しいね」と言って喜んでくれました。
ワイワイお喋りして気がつくと11時半過ぎ。翌朝は9時近くまで寝ちゃいました。
夫が鍋奉行ならぬホットプレートでの焼き係りをしてくれ、ラストは高菜チャーハンで締めくくり。
特別なものがなくても、みんなで食べればハッピーという秋の一夕でした。

秋になり南アルプスがよく見えるようになりました。
3千メートル級の山々の連なりを毎日見るのは、気分が壮大になると同時に、自然への畏敬も感じるこのごろです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

平松洋子「ステーキを下町で」

これは「サンドイッチは銀座で」の続編。
相手は変わったが今回も編集者青年を同行し、北は北海道から南は沖縄まで、ガッツリと食べつくす。
懐石料理やフレンチではない。
帯広の豚丼、根室のサンマ、大震災から復興した三陸のうに弁当、京都のうどん、鹿児島の黒豚豚カツ、沖縄の沖縄そば、タイトルにある東京下町のステーキや大将の餃子などなど。
平松さんは食そのものへの情熱もさることながら、それを作り供する人たちへの敬意を忘れない。
彼らから聞くさまざまな話しの中から珠玉のひと言をすくい取り、胸の底にそっと収める。
私はその彼女の食に対する優しさが大好きだ。
その優しさがあるからこそ、潔くガッツリと食べられるのだろう。

食べものが誕生するには、その土地の歴史や事情が陰にある。
平松さんのエッセイが興味深いのは、彼女が店主から丹念に話しを聞いて書くからだ。
食べたものをただ評価するのではない。
きちんと同行の編集者青年にも気を使っている。
そのことは京都のうどんの章に表れている。
車谷長吉ファンの彼が失恋して赤目四十八滝に行き、再び今度は平松さんと極寒の滝巡りをするのだが、寒さがこちらまで伝わってきそうな滝の様子が描かれている。
そして京都に戻って食べる熱々のあんかけうどん。

そう、京都では冬はあんかけうどん、なんですね。
京都の人は少々の風邪はあんかけじゅどんで治すらしい。
葛でとじるあんかけは、最後まで冷めない。
今は讃岐うどんが日本中を席巻しているが、出汁のきいた汁にはあの硬さではダメ。
柔らかでしんなりしたうどんでなくては、だし汁がからまないのだ。
むくつけき男があんかけうどんを舌を焦がしながらするのはちょっと似合わない気がするが、かわいくもある。
(どういうわけか、あんかけうどんは女性の食べものという印象が私にはあるんです)。

タイトルのステーキにはただただ感嘆するばかり。
だって平松さん、ナント520gのステーキを注文。(店でもjっとも大きなもの)。
まるで煉瓦の塊のようなそのステーキをぜーんぶ、食べちゃったのだ。
さすがの編集者青年もタジタジだったというのに。
すごいなぁ。

この本で知ったのだが、彼女は約束の時間や列車の時間にいつもギリギリで家を出る悪癖があるそうで、東京駅の新幹線ホームの眼の前で、列車のドアが閉まったことが一度や二度ではないという。
同行する人は気が気じゃなかったでしょうね。
これまで彼女のエッセイを読むと、どうやら西荻周辺にお住まいみたいなのだが、西荻から東京駅までは乗り換えないしの中央線一本、30分で着けるはず。
もう少し早く家を出て下さいね。

この本には谷口ジロー氏の絵があるのだが、私が読んだのは印字本ではなくて点字本。
点字本には残念ながら絵がないのです。平松さんの書く文章にどんな絵が添えられていたか。。こういう時に点字はつまんない。

何が食べたい?と聞くときまって「ステーキ」と即答する我が夫。
平松さんの520gはさぞ羨ましいことでしょう。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 | Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

ハッチの週間身辺雑記

稲刈りをすませた田とこれからの田が半々くらいのここ八ヶ岳南麓です。
この周辺の米は知る人ぞ知るの「武川米」など、かなり良質な米がとれるんです。
武川米は収穫量は少ないものの、江戸時代から将軍への献上米でした。
気温が低いために農薬散布が少ないことも人気のようです。
我が家でもほぼ1年を通して地元の米を食べています。毎年自家栽培米を持って来て下さる友人もいて本当にありがたいことです。

夏布団から冬布団に替えて、布団の重さになんだか安心してぐっすり眠れています。
夏布団のあの薄さと軽さはどこか落ち着かない不安さがありました。
冬布団でお腹が冷えなくなったのか、夜中のトイレに起きることもあまりなくなったのも安眠の理由かも。
これからの1カ月半、私の大好きな秋です。
でも秋って短いんですよね。あっという間に厳しい寒さになってしまうんです。
暗くなるのも早くなったし。

この1週間の出来事・・楽しいことが多い1週間でした。
まず毎月第4週目には私たちが「鮨デー」と呼ぶ週末があります。
これは、普段はお魚をメインに食べさせる定食屋さんが催すもので、元は千葉の柏で鮨屋をしていたご主人が月に2日間だけ鮨を握ってくれるとうもので、これがとても美味しく、山暮らしの私たちは楽しみにしているのです。
よく言われる江戸前の「仕事をしている」という凝った鮨ではなく、ごくシンプルな、でも新鮮でとびきり旨い鮨なのです。
鯵や小肌や穴子は絶品。
フルメンバーは8人なのですが、用があって参加できない人は不運です。次は1カ月先まで待たなければなりません。
時には10人くらいでお願いしたいこともあるのですが、「1テーブル8人でも握るのが大変、6人にしてもらいたいくらいだ」というご主人にそう強くは望めなくて、一緒したいという人は残念ながらお断りせざるをえません。
鮨を食べながら1カ月の近況報告をし合い、無事を確かめ合うのです。今月もつつがなく過ごせた幸せに乾杯です、

日曜日には友人夫婦が夕食にやって来てくれました。
彼らは下諏訪の「みなとや」さんに前日宿泊。帰り途中に寄ってくれたのでした。
彼の方がカレー大好きということがわかっていたので、チキンカレーとキーマカレーを作り、あとは簡単な三色サラダというメニューでしたが、気持ち良いほどたくさん食べてくれて本当にうれしかった。
あれこれ話して気がつくと10時半過ぎ。それから東京に着くと12時を回ったことでしょうから申し訳なかったけれど、楽しい時間はあっという間に過ぎるのですね。
彼らは現在ちょっと親の介護で大変で、つかの間の息抜きの旅行だったのです。
何もしてあげることのできない私なので、せめて美味しいカレーを作ろうと、普段は込めない想いを少しだけ込めて作りました。
(私は他人に何をするにも、あまり気持ちを込めないのを旨としています。それはあまりに一生懸命に尽くすと、狭量な私はいつか「あんなに、してあげたのに」と思うかもしれないからです。他人のためにはせいぜいいい加減に、あまり心を込めないでいる方が気がラクなのです。このことは曽野綾子のエッセイから学びました。あのスゴイことを時々言ってみんなの顰蹙を買うキリスト作家は、でも時々ホントのことを言うんです。)

下諏訪の「みなとや」さんという旅館、私たち夫婦も大好きなところです。
白州正子夫妻や大勢の作家たちから愛された、いわゆる文人宿ですが、なんといっても風呂がいい。
もう数十年前ですがライフ誌に「日本でもっとも美しい風呂」と紹介されたこともありました。
一部屋ごとに入浴し、その都度の掃除をかかしません。宿に着いたとき、寝る前、そして翌朝と3度、きれいな湯の露天風呂に入れるのです。
食事はこれは好みが分かれます。何にも食べられないという人もいるかもしれない。
諏訪湖の小魚や昆虫食をする信州の蜂の子、イナゴ、ざざ虫(これは食べるのに勇気が要ります)、メインは馬刺しとさくら鍋。
ここの馬肉を食べると他では食べられないというくらいの逸品の馬肉です。
普通の旅館の食事はこれでもかという品数や量が出ますが、「みなとや」は大食いには物足らないでしょう。ここの夕食が終わった後でラーメン屋に行ったという人がいるくらい。
泊った友人夫婦も夜中に目覚めて「お腹が空いたかな」と思ったそうです。
まぁ、私年代の人間には十分なのですが、まだ50代の彼らはもうちょっと量があっても良かったかもですね。
毎回毎回メニューは同じだけど、「みなとや」の「あれ」が食べたいと思う人はたくさんいて、今となっては部屋にトイレもない質素な部屋の宿となったけど、いまだに人気は衰えません。
90歳を過ぎた大女将もご健在で、さくら鍋の世話をしてくださったそう。
話しを聞いているとすぐにでも行きたくなりました。

能登半島珠洲の「さか本」、松本美ヶ原の「金宇館」、大鹿村「右馬允」、下諏訪「みなとや」・・
どこも一人一泊2万円しない宿で、普通の値段設定。豪華でもないし、特別サービスが良いわけでもない。「さか本」にいたってはサービスはほとんど無いといっても過言ではないくらい、ほったらかし。
だけどどこも食事の美味しさは抜群で、「ほどがいい」のです。
この「ほどのよさ」って大切だと思います。それが心地よさn通じ「また、行きたい」になるのです。
どんなに良くてもあまりに宿泊料が高いと、「また行きたい」とは私の経済ではならない。記念日とか一生に一度なら行けるけれど、どうもそういうところに行く気がしないのは私だけでなく、夫も同様みたいです。つまりは何度もリピートできる宿を選びたいと考えているのです。
それと歳をとると、疲れる遠出より、ちょっとドライブがてらという距離が「ほどがいい。
そういう意味ではここはほぼ日本の真ん中。東海、伊豆、関西、北陸・・どこに行くにも便利です。

そうそう、先週、沖縄の幼稚園に送った栗の実やドングリやくるみ、子どもたちはとってもとっても喜んだそうで、栗のイガは格別好評だったらしいです。
よかったです。

風邪っぽかった体調は元に戻って、今週は体操教室にも参加できました。
ユルキツのこの体操教室は最近若い参加者が増えて、ますますキツさが強くなったような。。
でも体を動かし、呼吸法で心肺機能が高まった体は軽いです。
正確に動けているかは別として、一応まだできない動きはないので、身体的にはそう老化はしていないと思いたいです。
老化といえばなにより健康に大切なのが「歯」ですが、半年に一度の健診に行ってきました。、こfれも二人とも異常なし。
歯周病にも虫歯にもなっていないとのことで安心しました。
「磨き残しがあります」と毎回言われるので、歯科衛生士さんに「パーフェクトに磨けている人っているんですか?」と訊ねると、「いません」と苦笑しながら答えていました。
私はかなりちゃんと歯磨きするので「磨き残し」を言われると神経質になっていたのだけど、それを知って「なーんだ」と思いました。
そのために半年に一度お掃除してもらうのだもの、いいんですよね。

韮崎のぶどう農家の知り合いが「シャインマスカット」を引き売りで持って来てくれました。
昨年は虫がついて全滅だったとか。今年は大丈夫とのことで何箱か頼んでいたのです。
2年前に初めてシャインマスカットを食べた時には感動しました。その大きさ、その瑞々しい上品な甘さ。
でも今年のはそれより小粒だし、味も薄い感じ。これなら普通のマスカットと同じみたい。
生りものは毎年違うし、ブドウ栽培は手がかかって大変なのを知っているので苦情は言えません、
もしかしたら小粒なのはホルモン剤を少なくしているためかもしれません。それならそれで安全安心です。
今は果物屋やスーパーでは高いですが、あと数年すると値下がりするでしょう。シャインを植え付けている農家がぐっと増えていますから。
でもそうなるとまた次の新しい品種が登場するのでしょうね。

白い器に入れたシャイン・マスカットは美しく、どんな絵画より部屋の飾りとして完璧です。
実りの秋に感謝です。

posted by 北杜の星 at 08:13| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月21日

古川日出男「非常出口の音楽」

2年ぶりくらいの古川日出男。
このところの彼は、平家物語などの古典の現代語訳をしたりと、これまでとはちょっとニュアンスの異なる仕事にも手を出している。
彼の訳すものがどんなのかとても興味があるのだけれど、古典に素養のない私は敬遠気味でいる。
でも大好きな古川日出男。せめてこの掌編小説集を読んで彼の世界にひたろうと思った。

古川日出男の世界・・ひと言で言うのはむつかしい。
長編はどうかすると混沌として、時にハチャメチャ。疾走するダンプカーのようにエネルギーに溢れている。ガルシア・マルケスばりの物語。
だけどそのなかに詩情が感じられるんですよね。
詩といえば、彼の短編には詩そのものの雰囲気のものもある。そしてそこにはどこからともなく音楽が聞こえてくるような。。

この「非常出口の音楽」もそんな詩のような音楽的な風合いが感じられる。短いのは2ページ、長くても20頁ほど。
幻想の世界への扉は、ふだんの玄関口ではなく、非常出口だ。
非常出口から一歩出てみると、そこにはふだんとは違う景色が目の前にあるはず。
ロサンゼルスの大都会であったり、そうかと思えば深い森の中であったり。

古川日出男は「人間にはときとして非常出口が必要だ」と言うが、これを読むと本当にそう思う。
非常出口はなにも火事の時だけに使わなくてもいいのだ。
いつもの暮らしの閉塞感から逃げ出したい時のために、非常出口を開いてみるといい。

「とてもとても安全ブーツ」「ヌードルを奪う猫たち」「ホッキョクグマを南極へ帰す」「つるつるの小石都市」「卵泥棒おおいに語る」・・
ちょっと掌編のタイトルを挙げてみた。
これらがいったいどんなお話しなのか?想像してみてほしい。
私は掌編を読む前にこれらのタイトルをじっと眺め、自分なりのイメージをもって読み始めた、
当然だが、私の貧弱なイメージを簡単に覆す発想に、毎回、してやられてしまった。
強いて言うなら「とてもとても安全ブーツ」だけが想像をそう外れてなかったくらいかな。

なんだか読み終わったら、カエターノ・ヴェローゾが聴きたくなってCDをかけちゃいました。

posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

保坂和志「東京画」

「東京画」は「この人の閾」に併載されている短編。
先日「この人の閾」を点字本で読み、この「東京画」のことを記事にしようと思いながら、つい「この人の閾」が長くなってしまった。
この作品も保坂らしく、何も出来事という出来事はない。(ラストで猫は車に轢かれてしまうのだけど)。

なぜこれを紹介したかったかというと、これがまるで写真のようだからだ。
主人公は西新宿から環状七号線(環七)の抜け道沿いにあるマンションに引っ越しをしてくるのだが、そこから散歩にでて、見るもののすべてを克明に書いているのだ。
主人公の「僕」が歩きながら見る建物や人々の描写なのだからムーヴィーのようだが、私の印象ではここはやはりスティル写真なのだ。
一つ一つの街の風景が目の奥に焼きつけられたように想像できるからだ。
焼きつけられた風景は私の中で固定される。

僕が住み始めたこの町は騒がしく暑い。
歩いていると、さびれた商店街がある。
煙草屋のじいさんは裸で、ばあさんは襦袢姿になって物干しで夕涼みをしているが、ちっとも涼しそうでも楽しそうでもない。彼らはたんんにそれまでの夏の習慣としてそこに居るとしか僕には思えない。
少し行くと今度は弱った高齢のじいさんが家の外の椅子に坐っている、家族がじいさんをそこに置いたのだろうか。彼もちっとも楽しそうではない。
そもそも商店街は閉めた店が多いのだ。
バブル期にもたいして地上げの対象にならなかった土地なのかもしれないが、日々そこは消えつつあるものが並んでいる。

ほろびゆくもの、残るもの。まだ居るひとも去るひとも。
でも「僕」はできるだけ感傷に流されずに街を歩く。
マンションの隣の犬を飼っている若い夫婦と付き合うようになり、夫とは将棋を、妻とは散歩をする。彼らも過剰な感傷は街に持たない。
それでも「僕」や彼らの心のなかは覗ける。
シロと名付けた野良猫に毎日餌をやりに行く「僕」という人間の思いも分かってくる。

感情説明がほとんどないにもかかわらず、すべてがわかる。。そんな「東京画」、なんて見事な小説を保坂は書くのだろうか。
20年前に読んだときにはこれほどの感想は持たなかった。読みが浅かったんですね。
「この人の閾」にすっかり参ってしまった記憶だけがあるのだが、「東京画」は「この人の閾」に劣らない作品だ。
この作品集の中の4編はどれもこういうもので、何も起きない。
見るもののすべてを書きながら、書いたものが主人公の内面を表している。
すごいなぁとつくづく思う。

「東京画」を手に散歩したらきっと、同じ店、同じじいさんやばあさんに会えるのではないか。
でもあれから20年、街は変わったのでしょうね。
変わらないのは、環七の抜け道のあの車の騒音?
posted by 北杜の星 at 08:16| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

ハッチの週間身辺雑記

3連休だというのに、また台風。
今年はなにかと「何十年に一度の豪雨」という言葉を聞くけれど、1時間100ミリというのはどんな雨量なのか?経験したことのない私には想像ができません。
私がこれまで知っている最も強い雨は、スペイン旅行のときのこと。
セビリアからヘレス・デラ・フロンテッラへと辿る道上での大雨でした。
とにかくその猛烈さは凄まじく、前を走っていた車が突然、何の前触れもなく急停車したのです。
マドリードからのレンタカーを運転していた夫は、避けようがなくその車の後部に追突してしまいました。

幸い、後続車もなく、お互いの車はへこんだものの、そのまま走れたので、一番近くのバルまで走り、そこでコーヒーを飲みながら話しました。
なぜ、いきなりブレーキをかけたのかと訊ねると、「ワイパーがまったく動かなくなっって、何にも見えなくなったんだよ」とおじさんが答えました。
なんでも近くの大きな町までその車を運んで、廃車処分にするつもりだったのだとか。
だからボロ車で、ワイパーなど不具合があったのでしょうね。
衝突のショックでタイヤが引っ込んでいたのを、そのバルに偶然居合わせた修理の人にちょっと直してもらって、そのままお別れしました。
ちなみにそのおじさんと夫はお互いに、スペイン語とイタリア語で話し合っていました。どちらも似ているので理解できたようです。
私たちのレンタカー会社には一応、事故を電話で報告しましたが、「全保障の保健にはいっているのなら、事故の報告の必要などない」と、なんで電話をするのか、なかなかわかってもらえませんでした。
車をあ交換してもらいたいのなら、するけど、と言われてしまいました。
こういうところは、日本と違うおおらかさ。
日本のレンタカー会社では、保険に入っていたとしても、前後に車体の傷の点検がありますよね。あれはどうして必要なのか?
よく考えると、無意味のような気がします。
それこそ「重箱の隅をつつく」ような細かさ。

あの雨がもしかしたら100ミリくらいだったのか?
確かに恐怖を感じさせる雨でした。
もしあの雨量が川の近く、また土砂崩れの心配のある崖下なら、心配になります。
台風の通り道の方々に、被害がないといいです。

この1週間は特別なことはありませんでした。
友人夫婦との我が家でのランチが1回。あとは一度、いつものSという定食やさんの外食だけ。
このSというお店、とても気持ちのいい私年代のご夫婦の経営いで、普通のものがとても美味しいので、わりと高齢者の常連さんが多いのです。
見事な厚みのある鮭ご膳には、玉子焼きやかき揚げ、もずく酢、それと野菜の小鉢とお漬け物、味噌汁はきちんとお出汁を取っ手いて日替わりの具が入っています。これで1500円はリーズナブル。
ここでいつもお会いするご夫婦がいて顔見知りになっているのですが、「週に何回、ここにいらっしゃるのですか?」とお尋ねすると、ナント、4回だそう!
小ジャレタとこはたくさんあるけど、ここが一番とは、私たちも同意見。
ここがなくなったら、私たちは外食難民になってしまいます。どうかいつまでもお元気でお店を続けてほしいものです。

21年間続いたギャラリーを友人が閉じることになり、昨日から閉店感謝セールが始まりました。
下の部分はコンクリート打ちっぱなし、屋根は北欧風の茅葺という素敵な建物なのですが、なんといってもオーナーのN子さんのセンスの良さで選んだ作家さんの作品が本当に素晴らしく、毎回の企画展を楽しみにはるばる首都圏や京阪神から通う熱心なファンがたくさんいました。
「いいなぁ」と思っても、なかなか買える値段のものがなく、あきらめることもしょっちゅうでしたが、今回はファイナルセール。
N子さんは売りきりのために破格の値段でストックを出したので、これまでのほぼ半額となっています。
大好きな陶芸家の伊集院真理子さんのポットや、若い作家さんのショールやアクセサリー、夫は鉄のフレームなどを購入。
断捨離が頭をよぎりましたが、「うーん、この機会だからなぁ」と。
そのかわり、家にあるものを捨てることにしているので、所持品の数は同じになるのを、せめてもの言い分けにしました。、

そうそう、5月にこちらのリゾートホテル「リゾナーレ」で結婚披露宴をした従妹の娘Aちゃんから、素敵なプレゼントが届きました。
レモン入りのオリーブオイルとイタリアの茶色の海塩。
レモン入りのオイルは初めてでしたが香が良くて、とても美味しい。
また塩フリークの私にとって、塩も楽しみです。
彼女たちはもう5年間一緒に暮らしてきましたが、今年になって籍を入れ、披露パーティを、どう言うわけか、こちらで催し、親族がやって来たのでした。
彼女たちはロンドン留学時に知り合ったそうで、現在はネット販売を展開しているとか。
写真を送ってくれて、若い人たちの幸せな顔を見るのがこんなにうれしいというのは、私が歳をとったということかと思いながら、じっとその写真を見ていました。

夫はひさしぶりに腰を悪くして、毎日私が朝晩2回、枇杷の葉温灸をしてあげていました。
お灸は「千年灸」とか市販ののものがありますが、やはり枇杷の葉温灸にかなうものはありません。
第一、とても気持ちいいんです。とくに自分でするのではなく他人にしてもらうと、その気持ち良さはこたえられません。
ここは寒冷地ですが、なんとか枇杷の木が根付いてくれています。(何度か失敗したり、草刈りの時に伐ってしまったり)
使うごとに数枚の葉を取って来ます。
枇杷の葉温灸は成城学園前にある東城百合子先生主宰の「あなたと健康社」に習いに行ったもので、どれほどこれまでこれに助けられたことか。
家庭に太もぐさ棒を常備しておくと、心強いです。
このおかげで夫はゴルフをキャンセルすることなく、いつものように楽しめています。
もっとも私にしたら、1度や2度のゴルフは休んで養生して欲しいのですが。。

夏野菜と秋・冬野菜の端境期で、どなたからの野菜も届かなくなって、自然食品店にも揃っていません。
都会のスーパーならどんな野菜でも並んでいるのでしょうが、地産地消のこちらでは、だからこそ安心安全なのだと思うようにしています。
もうあと少しで、ゴボウ、里芋、蓮根などが出てくることでしょう。
もっとも最近では糖質制限を実行する人が増えて、こういう土モノ野菜は糖質が多いので敬遠されるようになりました。
だけど豚肉の味噌仕立て、牛肉の醤油仕立ての芋汁は、季節が感じられて大好きです。
あとは新米のオニギリがあれば言うことなし。
こういうのにたくさんのオカズはかえって野暮。たくわんなどのお漬け物があれば十分でしょう。

短い秋、でもその前にこの連休が無事でありますように!
posted by 北杜の星 at 06:49| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

山崎ナオコーラ「母ではなくて、親になる」

山崎ナオコーラ、子どもを産んだのですね。
この本には、流産を経ての妊活、妊娠、出産、育児と、彼女が過ごした日々が綴られている。
しかし彼女はあえて「母」ではなく「親」として、子育てをすることにしたのだそうだ。

「母親だから」「母親のくせに」・・世間では母に対するステレオ・タイプが長い歴史の中で作り上げられてきた。
そのためにどれほどの重圧が母にかかったことだろう。
ナオコーラさんは「母親」という言葉をゴミ箱に捨て、毎日鏡の前で「親だぁ」「親だぁ」と自分を見ると、ラクになってよろこびでいっぱいになったそうだ。

もともと彼女たち夫婦、妻は作家、夫は街の本屋さんの書店員。
彼女いわく、「低学歴・低収入の夫」なのだ。
彼女たちの夫婦としてのありようは、夏葉社刊「かわいい夫」に詳しいが、夫はそうした自分を卑下せず、ごく自然体で結婚生活を送っている。、経済的なことなど超越し、誰とでもうまく付き合え、肯定発言だけをし、怒らず穏やか。つまりとってもいい人なのである。
妻であるナオコーラのほうも、夫に経済的なことは要求しない。
日常の中で金銭的には彼女の持ち出し分が断然多いのだが、どちらもそんなことはかまわないのだ。
ここでも従来の「妻」「夫」という役割は彼らの間には介在しない。

彼女はこの本に赤ん坊の性を明確化していない。男の子か女の子かはあえて書いていない。
それは、性は子どもにとって大きなプライバシーであるし、将来この子が大きくなって、どちらの性を選んで生きるかは、誰にもわからないからだと言う。
「母親」を否定し、子どもの性を保留にする彼女のジェンダーに対する考えかたに共感を覚える。

彼女は自然分娩ではなく帝王切開で赤ん坊を産んだが、これを「お産ではなく手術」だったと言っている。
これに関してはいろんな意見があるだろうが、ここでも彼女の「母親」意識が伺える。出産は自然でなくてはとか、無痛分娩を否定したりはしていない。
痛さに耐える出産が「母」とは考えていないのだ。

新生児から生後1年までが記録されているが、私は「新生児」とは生後1カ月までの赤ん坊を呼ぶということを知らなかった。ごく短い期間なんですね。
一カ月ごとに赤ん坊ってかなり変化するのは当たり前なのだけれど、大きくなればなるほどいろいろできることが増えて、人間らしくなるというか、感情表現も多様になっておもしろい。
例えば「10カ月の赤ん坊」という項では、赤ん坊に水分を与える場面が出てくる。
7か月くらいから哺乳瓶はやめてストローで水分を吸わせるようにしていたのだが、ジュースやミルクなどはよろこんで飲むのだが、味のない麦茶やお白湯は、飲むふりをして吸ったり吐きだしたりで飲み込まなかったり、いったん口にふくんでも、パッと吐きだすそうだ。そしてすごく不満そうな顔で抗議するらしい。
でもルイボスティなら飲むというネット情報を得て、ルイボスティを与えると、それなら少しは飲むとか。
麦茶はだめでルイボスティならOKというのはなんなのか?

子育て記はそれなりに興味深くはあったものの、子どもを産んだことのない私には退屈な部分もあった。
けれど頁のところどころに書かれている彼女の社会的価値観や生き方には、いろいろ考えっせられるものがあった。
最近よく言われる「自己責任」という言葉、私は嫌いなのだが、彼女も大嫌いだそうだ。
腎臓透析などの病気や障害など、自分を律せずに罹病した人間の「自己責任」を追及し、救済しなくても構わないという風潮が高まっているが、それは違うと彼女は言う。
それがたとえ「自己責任」であったとしても、現実に今困っているのだから、救済するのは当然で、それが成熟した国家というものだと。
これにはまったく大賛成。
「自己責任」ですべてを斬り捨てようとする幼稚さには耐えらないし、それならば社会や政治の責任はどうなっているのかと言いたくなる。
そうした救済を含めての国家予算なのではないか。

他にも山崎ナオコーラが好きになる彼女の意見が書かれているこの本、女性だけでなく男性にも読んでもらいたいと思う。
男性だってステレオ・タイプの押しつけに疲弊して、ラクになりたいのじゃないかな?
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

ハッチの週間身辺雑記

夏から秋への移り変わりが感じられる毎日です。
裏のミズナラのドングリがカーン、コロコロと屋根に落ちて、あんな小さな実が!というほど大きな音をたてびっくりします。
それから稲穂が黄色くなり、害獣や害鳥を防ぐための空砲の音も響くようになりました。
これからは一雨ごとに気温が低くなります。

季節の変わり目にはこの国では雨が降ります。
最近では雨が降ると、豪雨にならないかと気にかかります。
私の住む八ヶ岳南麓には大きな川はないので氾濫のおそれはないですが、崖崩れなどの危険性はあるでしょうね。
八ヶ岳側には川はないけど、南アルプス側では「釜無川」というオソロシイ名の川があって、これは氾濫すると家の釜まで流されるという意味で、以前は被害が大きかったところのようです。
また尾白川が氾濫して武川という集落に襲いかかることもあったようっです。
自然災害はどんなに気をつけていても、人間をはるかに超えて起きるものです。

その自然災害だけでも大変だというのに、北朝鮮問題はいったいどうなるのか?
これは人間の智慧で解決できることのはず。一方が大人気ないのなら、せめてもう一方だけでも大人の対応をとって欲しいものです。
気がつけば、戦争のただなかにいるなんてやめてもらいたい。

世の中のあれこれに較べると、我が家は静かな一週間でした。
友人を招いてギョーザ・パーティを開いたくらい。
ギョーザつくりは夫も手伝ってくれて、ホットプレートで焼きました。
ホットプレートは2,3年前に初めて購入したものの、登場の機会がなく、物置に入れっぱなしでしたが、「ギョーザはフライパンじゃなくホットプレートにすると、いいんじゃない」ということで、夫が食卓で焼いてくれました。
これが上出来!まぁ、技は不要なのですが、みんな「美味しい」「パリッとしている」と好評でした。
これならこれからギョーザも我が家のお客様料理になりえるかな?
ギョーザのような料理って招かれる側も気負わなくて来られるし、招く方も気がラク。
作っておけばあとは簡単。作るのだって、お客さん二それぞれ作ってもらうというテもアリ、ですよね。
歳をとるとだんだん、横着になってきますが、みんなで食事をするのは楽しいことなので、しないよりは簡単であっても、する方がいいと思っています。

7月に草津温泉に行った時、温泉土産としてはすごーくベタなんですが、温泉まんじゅうと温泉玉子を買って帰りました。
夫は温泉玉子が気にいって、生協か生活クラブかのパンフレットで「温泉玉子器」をを見つけ、注文したのです。
その温泉玉子器なるもの、ちょっと耐えられないほどヒドイ。
材質はプラスティック、色はクリーム色、形は卵型っぽい大きなもの。台所の他の調理器具とのマッチングの悪いことったらありません。
あんんなのを私の台所に置きたくはない。
夫だって道具などの色や形状にはとてもうるさい人なのに、温泉玉子を食べたい一心だったのでしょう。
でも温泉玉子はシャトル・シェフでも出来るんです。温度計さえあればそれこそ簡単。70度のお湯で数十分放置すればいいだけのこと。
いつあの変てこな温泉玉子器を台所から追放するか、現在思案中であります。

その夫、秋にちょっと旅行に行く計画をしているので、その下調べ中。
私は旅行ガイド本は、写真や地図があって見えないので、彼にお任せ。
見どころ、食事どころなど、いろいろ考えてくれているようです。
この旅行はある友人夫妻が「一緒に、行きませんか?」と誘ってくれたもの。とても気持ちの良ご夫婦なので楽しみです。
といっても、べったり一緒に居るわけではなく、2日間は別行動。
彼らは彼らなりの予定があるようです。
他の友人夫婦にも一緒にどうかと声をかけたのdすが、ちょうどその時期はアメリカ住まいのお穣さんが休暇で帰ってくることになっているのだとか。
そのお穣さんはとっても素敵な方で、アメリカで心理学者兼臨床心理士をされています。
子どもを持たなと決めていたアメリカ人夫婦が、このお穣さんを見て「こんな子なら、子どもを持とう」と決心したという話も聞いていうくらい、人間的にも素晴らしく、今回も一緒の食事の席を設けてくれるそうで、お会いするのが楽しみです。

愉快なのは、いつもバカな冗談ばかり言っている彼女の父親、彼女の前ではそんなバカも口に出さず、おとなしいのです。
娘の前では父親ってそんなものなのでしょうか?カワイイです。
私たちには子どもはいないけれど、友人たちの娘が何人かいて、その成長をずっと見てきているので、みんなそれぞれ幸せな人生を送れれればと心より願っています。
来月7日にはそのなかの一人が挙式します。お母さんのお腹のなかに居る頃からしっている子です。
六本木ヒルズのグランド・ハイアットでお式と披露宴、新居は勝どきの超高層マンションという豪華版。
でも結婚式や披露宴は結婚のほんのスタート。ナニゴトもない人生はないはずだけど、パートナーと仲良く解決しながら歩んでほしいものです。

同じようなスタートをしていても、うまくいく夫婦といかない夫婦、どこが分かれ目なのでしょうかね?

posted by 北杜の星 at 07:52| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

帚木蓬生「ネガティブ・ケイパビリティ」

帚木蓬生は精神科医であり作家でもある。この本は本職の精神科医として書いたもの。
頁を開いて、驚いたのなんのって!
ジョン・キーツのことが書かれていたのだ。
ジョン・キーツ!
私が10代の頃、私淑していた英会話の先生が19世紀イギリスロマン派の詩を教えてくれた。
テニソン、ワーズワース、バイロン、シェリーなどとともにジョン・キーツがいた。
当時でさえロマン派の詩は私にとっては古典的で退屈だったが、どういうわけかキーツだけには心惹かれるものがあった。
清らかな静けさのなかに強い情熱が垣間見れた。

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは「負の能力」。つまり「答えの出ない事態に耐える力」なのだそうだ。
そしてこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を最初につかったのが、誰あろうジョン・キーツだという。
能力というと、何かがどんどんできることと普通は考えられている。でも人間はいつもそのような元気な身体や精神で居続けるわけではない。
どうしようもなく落ち込むときも、体を壊して思うように動けない時もある。
そうした場合には、ポジティブ・ケイパビリティを脇に置いて、「負の能力」で生きると、ラクになるのではないか?
それは貧苦と病と思うようにいかない恋愛に悩んだジョン・キーツの生き方でもあったのだ。

これを読んで、私がなぜ10代の頃、ジョン・キーツが好きだったのかわかったような気がする。
若くて人生経験が少なく、うまく言語化できなかったが、私も幼い時から体が弱く、ジョン・キーツを教えてもらった当時、彼と同じ結核を患い落ち込んでいた。
同級生たちはあんなに健康で勉強や遊びに夢中になっているのに、なぜ自分だけが安静を強いられ、みんなと隔離されなくてはんらないのか?
孤独だったし、焦ってもいたし、理不尽さに耐えられなかった。
そんなときのキーツの詩は私にとって慰めだった。何が慰めかというとそれは彼の詩から感じられる「想像力」の力であったと思う。
どんな状況であって「想像」の翼を持つことはできる。その力をキーツから学んでいたと、今ならわかる。この本を読んでますますわかる。

1969年、私はローマに行った。そこで最初に訪れたのが、「ローマの休日」でオードリーがアイスクリームを食べていたあのスペイン広場。
広場が目的ではなくて、階段の脇にある「キーツ・シェリー博物感」に行くためだった。
キーツはその建物で結核の療養をしようとしたのだが、時は遅く、25歳の若さでローマでそこで客死。
彼の墓は同じくローマで死んだシェリーと共に、ローマ旧市街の入り口にある城壁のとこrのピラミッド側のプロテスタント墓地にある。
墓地の端っこに墓石が建っていて、墓碑銘はなく、
「Here lies one whose name writ in water」とだけ書かれている。
キーツらしい清楚な墓だった。

帚木蓬生もジョン・キーツの足跡を追うためにローマを訪れていて、キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」に想いを馳せている。
帚木蓬生は大好きな作家。その彼が大好きだった詩人とこう繋がったのかと、とても不思議なような、でも筋道を辿ればよく理解できるような、そんな一冊だった。
この本との出会いは「縁」です。
50年来の謎が解けた気がしています。

余談ですが、ジョン・キーツって、イケメンなんですよ。
若く死んだために若い頃の肖像しかないので、なおさらに。
10代の私ははミーハーで、そんなキーツだから惹かれたのかもしれませんね。
醜男だったら、あんなに好きになっていなかったかも。

でもこの「ネガティブ・ケイパビリティ」というのは以前から私の中に根強くあったのは確かで、私がもっとも「こうなりたい」と願っている人間像は、社会的に成功することでも、元気でイケイケ・ドンドンの暮らしでもなく、以下のようなもので、これは誰かのエッセイで読んだ実在した人のことなのです。
「寝たきりのおばあさん。彼女は口はきけるが手足を動かすことができない。毎日午後3時になると、お嫁さんがおばあさんの口に一粒のゴディバのチョコレートを口に含ませてくれる。おばあさんはそれが楽しみで楽しみで『なんて自分は幸せなんだろう』と思う。そして幸せを与えてくれるお嫁さんに感謝し、彼女のために何かをしたいと思うのだが、体の自由がきかにので何もできない。だからそのかわりにせめて「お嫁さんが毎日ハッピーで過ごせるように」と一生懸命に祈っている」
・・という、尊敬する人間像としてはあまりに消極的かもしれないが、私はこれは究極の幸福論だと受け止めている。

こんなおばあさんのような人間になりたい。
「なりたい」と言うことは、なれない自分がわかっているからなのだけど、これこそ「ネガティブ・ケイパビリティ」の典型だと思う。
若い人たちは閉塞感に苦しみ、高齢者は歳をとる重みに苦しんでいるが、そうしたなかで「負の能力」があれば、なんとか乗り越えられるのではないだろうか。
この本、本当に私にとっては「再会の書」でした。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

一青妙「台南 日本に出会える街」

これまで行ったところで一度は住んでみたいと思うのは、奈良、パリ、ローマ、イスタンブール。
一度も行ったことはないけれど、行けば絶対好きになる確信があるのが、バンクーバー、ホイアン(ベトナム)、そして台南だ。
なぜ台南か?
まず「老街」と呼ばれる旧い街並みがたくさん残っていて、街歩きが楽しそう。そして歩くのに疲れたら、ちょっとお茶を飲むカフェが選り取り見取り。
もちろん、食べものはすこぶる美味しい。
私、台湾料理が大好きなんです。
歩きまわるのに治安が良いのも安心。

著者の一青妙さんは歌手の一青窈の6歳年上のお姉さん。
才能豊かな女性で、本業は歯科医師だが、女優でもありエッセイストでもある。
以前、彼女のエッセイ「ママ、ごはんまだ?」を読んだことがあるが、とても素敵だった。

台湾きっての名家の父と、日本人の母の間に生れ、11歳まで台湾で育った。
11歳のときに父を残して母と妹ともに帰国。そのすぐ後に台湾の父が死去。母も彼女が20代初めに亡くなった。
一青という姓は母親の出身地の石川県にある名前だそうだ。(一青という土地名、日本酒もあるらしい)。

そんな彼女が愛してやまないのが、育った台北ではなく台南だ。
台北から新幹線で約2時間弱。
日本統治時代のノスタルジックな建物はリノベーションされ、若者向けのカフェやレストラン、ホテルなどとして使われている。
日本人が好きにならずにはいられないどこか懐かしい街、それが台南なのだという。

台南には「烏山頭ダム」がある。
これは日本人の八田という人が、台湾の数々の土木事業にたずさわり、「烏山頭アダムはその代表作。
彼は台湾の人たちから神様と崇められている。
一青妙さんは虫プロダクション制作のアニメ「バッテンライ!!南の島の水ものがたり」で、八田の妻の声を担当している。
「バッテンライ」とは「八田が来た」という意味だそうだ。

これを読んだときに、友人のMさんが話してくれたことを思い出した。
彼の母方のおじいさんは台湾で農業水路を作り、その用水路は現在も農業に使えれていて、現地の人たちの尊敬を集めて銅像を建ててくれていると。
出身地も出身大学も同じなので、てっきり八田氏がMさんのおじいさんのことだと思ったのだが、聞いてみると、おじいさんの兄貴分のような人が八田氏なのだそうだ。
Mさんのおじいさんの水路は台南ではなく台中にある。

中国本土や朝鮮半島と違って、同じ日本が植民地化したというのに、台湾はとても親日だ。台湾の人たちほど日本好きはいないと言われている。
日清戦争で勝利した日本が台湾を貰い受けた直後には、植民地としての搾取だけを考えていたのだが、第3代か4代の総督が立派な人だったようで、台湾を大切にし、インフラや工場などの施設を台湾のために造ったという。
つまりは上に立つ人間で、すべてが変わるということなんですね。
孫文や蒋介石が日本びいきだったということも影響しているのかもしれないけれど。

これ読むとますます、行きたいなぁ、台南!
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

ハッチの週間身辺雑記

もう9月。
ぐっと朝晩の気温が下がりました。長袖のTシャツだけでは寒いくらい。
夕方は日が短くなるし、秋は大好きな季節だけど、歳をとるとなんだか心細くなります。
それというのも冬が長く厳しい土地に住むようになったためでしょう。
でも山が本当に美しいのはこれからなんですけどね。

それにしても日本のこのところの豪雨被害は大変です。
これは日本だけでなく、欧州や他のアジアでも起きていることで、地球の気象がおかしくなっているから。
ガイアは私たちと同じく一つの生命体。
その生命体を人間が傷つけてしまったのではないか、人間はもっと謙虚に自然や地球を畏れるべきではないかと思うこのごろです。

今週のニュースはなんといっても、友人が21年間続けたギャラリーを閉じることになったこと。
彼女は北杜市長坂町で「B」という、下部分はコンクリート打ちっぱなし、屋根は茅葺という素敵なギャラリーを経営してきたのですが、8月末で終わりにしたのです。
突然の決定でみんな驚きましたが、ここ数年の彼女の体力気力を鑑みると、限界かなという気もしています。
なにごとにも終わりがあるのなら、まだ後処理がちゃんとできるうちに決心したのは正解ではないでしょうか。
ギャラリーがなくなるのはさみしいけれど、頑張った彼女には「ご苦労さまでした」と心からねぎらいの言葉を送りたいです。
これからはいつでも一緒に遊びに行けるかな?

このギャラリーだけでなく最近はいわゆる「代替わり」が増えています。
ペンション、レストラン、ギャラリー、別荘の持ち主にも変化が見え、例えば私の住むここの別荘地には7軒が建っているのですが、今年2軒のオーナーが替わったのです。
幸い、売りに出された物件はすぐに買い手がついて、すでに新しい方が引っ越して来られました。
彼らはみな50代。今後20年以上の歳月をここで過ごそうと計画されています。
完全に別荘遣いの方も、移住希望で畑をしたいという方も、どちらもこの土地を楽しまれることでしょう。
隣人が若いというのは私たちにとっても心強いことです。

面白いのは、ここに移住したシニアの人たちには共通項があります。
それは子どもに老後を頼る気がさらさらないこと。
なかには「えー、お宅、お子さん居たんですか?」というくらい子どもの話しが出ない家もたくさん。
じっさいに私たちのように子どものいない夫婦もかなりいます。
頼らない代わりに、遺さない。
その潔さは見ていて気持ちいいですね。
まぁ、子どもが外国住まいというケースも多いので、頼ろうにも頼れないという事情もあるようですが。

この「子どもには頼らない」「子どもの世話にはならない」というのは、親は誰もが言います。
でも見ていると、それが言えるのは自分が健康でいられる間。
介護が必要になると、子どもがいる人はやっぱり子どもに頼るようになっています。
それはそれで当然のことだと思います。
子どもだって、放っておくことはできませんよね。

だけど「介護のことを考えると、女の子を産んでおけばよかった」とい私年代のある女性の言葉を聞いたときは、背中が凍りつきました。
こんなことを言うひとがまだいるんですね。
私利私欲のために子どもを産むのか!?
すくなくとも自分の親がこんな親でなくて、私は幸せでした。

涼しくなったので、下の道路から我が家に続く砂利の私道の坂を2往復しています。
この坂はかなりの傾斜で、下の人たちはほんの150メートルなのに、歩きではなく車でやって来るほど。
歩きでも、途中で一休みという人も。
その坂を速足で2往復します。ときに3往復すると息があがります。
毎春ネパールにトレッキングに行くご近所さんすら、「この坂はきつい」と言うほどです。
この坂、脚力だけでなく心肺機能も上がるんですよ。
それ以外に、ときおり体操教室に参加し、毎日室内で片足立ちで大腿筋、腹筋背筋の運動、呼吸法は実行しているけれど、坂道を歩くのはまた別のきつさがあります。

だけど体に一番良いのは、「家事」だと私は思っています。
30分歩くのなら、30分一生懸命に家事をすれば、かなりの運動量になります。
窓拭きは腕や肩を伸ばしながら使うし、脚立に乗るので脚の筋肉も鍛えられバランスも良くなります。
床をはいつくばって水拭きするのは、腰に良いです。四足動物に腰痛はないと言いますから。
体を動かせて、部屋中がきれいになる・・一石二鳥。これほどいいことはないです。

料理は好きでも掃除嫌いだった私ですが、最近は掃除も大好きになりました。
窓拭きなんてそれこそ大嫌い。年に2度くらしか拭いていませんでした。
でも嫌いなことをするのはツライ、オモシロクナイ。
だから好きなことをするのではなく、することを好きになろうと一念発起。
1週間に1度、定期的に拭くようになり、それなりの工夫も重ねるようになって、だんだんと窓拭きが上達してきたら、不思議なことに、好きになった。
我が家のガラス窓は内外を合計すると38メートルもある窓だらけ。
それが汚れていると、どこを見ても汚れていることになって不快です。
最近では「あなたはいつも掃除をしているのね」と裏のSさんが言います。
何でもそうですが、要は「する」「やってみる」ということ。そしてし続けていると、それなりのスキルが生れて面白くなるんですね。
怠け者の私が言うのだからホントです。

でも夫は、きれいになっているのが当然と思うのか、掃除の後も「きれいになったね」とは言ってくれません。
いつもきれいだと、きれいになったのが目立たないのでしょうか。
褒められればもっと頑張れるんだけど、ね。
私は彼が草刈りをしたら、大袈裟なほど「すっきりしたね」「きれいになったね」と言ってあげるんだけど。。
posted by 北杜の星 at 08:46| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

保坂和志「この人の閾」

「この人の閾」を20年ぶりに読んだ。これが保坂和志を読んだ最初だった。
正直「これが、よく芥川賞を受賞したな。選考委員ってすごい眼力なんだな」と思った記憶がある。
何もとくべつなことは起きない、普通の女性の暮らしのなかのほんの数時間があるだけ。
退屈といえば退屈。でも「これこそが小説!」と感嘆するものだった。
私はかねてより、小説は小さき者の説だと信じている。大説の反対である。
「この人の閾」はそういう意味で小説そのものだった。

主人公の僕はある人との面会のため小田原に赴くが、すっぽかされてしまう。
出直すにも小田原は遠く、僕は大学のサークルの1年先輩の真紀さんが同じ小田原に住んでいるのを思い出し、彼女に電話した。
真紀さんは30代後半、二人の子どもがいる専業主婦。
彼女「おいでよ、おいでよ」と家に招いてくれた。10年ぶりの真紀さんはちょっと老けて見えた。

ビールを飲み、草むしりをし(させられ)、犬のニコベエと遊び、小学校から帰宅した息子とサッカーの話しをする。
真紀さんは家事の合間に、年に百数十本の映画をDVDで見て、長編小説や哲学書を読んでいる。
彼女は書簡集や随筆は「展開がない」から読み進められないと言う。
またわかりやすいニーチェよりも「ねちねちした」ヘーゲルやハイデッガーの方がいいと言う。
つまりは、すぐに受け止められるものではなく、じっくり見たり読んだりするものが、真紀さんには必要なのだろう。
僕は真紀さんがそういうふうにインプットしたものの感想を、どこにも発表しないことを惜しむのだが、真紀さんにとってはそういうことが重要なのではないのだ。

現在の真紀さんと話しながら、大学のサークルのころの彼女や友人たちとの会話を思い出すうちに、真紀sんという一人の人間の像がだんだんとわかってkる。
それがよかった。
前に読んだ時よりずっと真紀さんを私は理解できたと思う。共感することがたくさんあった。
最後、僕は奈良の平城京跡に佇み(何もない公園みたいなところ)、真紀さんならこういうだろうなと、彼女に想いを馳せるのだが、そのラストも大好き。

保坂和志は「小説を読む時間の中でしか流れない時かある」といつも言っている。
そう、真紀さんはその時間の中に自分を存在させることを、自分のアイデンティティとしているのだ。
そこには何の示威表現はないが、充足したものが確かにある。

ごく日常的なものと知的な会話が混在する「この人の閾」を今回は点字本で読んだのだが、読み終えるのが惜しくて惜しくてたまらなかった。
読みながら何度も夫に、この中の文章を話した。
彼も保坂和志が好きだがこれは未読。ぜひ読んでもらいたい。

彼はかねてより「どんな哲学書よりも小説は哲学そのもの」と言ってはばからないが、この「この人の閾」という作品はそれを体現したものだと思う。
哲学書のように正論を押し付けるのではなく、小説は読む人間の想像力を喚起しながら、問いかける。
だから答えがあるわけではない。あるのは読んで感じて考える時間。
そんな至福の時間を「この人の閾」は与えてくれる。本当に本当に幸福な時間だった。

えーっと、ちょっと困ったな。
この本、じつはこれではなくて、「東京画」を紹介しようと思ったのです。
だって「この人の閾」についてはたくさん書かれているので。
でも書いているとなんかコーフンしてしまって、「東京画」にならなかった。
これについてもぜひとも紹介したいので、日を改めて書こうと思います。
とにかく、保坂和志は大好きな作家で、彼を好きでいる自分なら、自分で自分を愛せるような気がします。
こういう作家は他にもいて、例えば作風は全然違うけど、梨木香歩なんかもそうです。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ハッチの週間身辺雑記

先日の夕方、思いがけなく友人夫婦がやって来ました。
なんでも奥さんのKさんが何年ぶりかでゴルフをしたので、その報告に来てくれたそうです。
そのちょっと前に私の夫がKさんに少しゴルフの指南をしたそうで、だからという律儀さ。
でもゴルフの結果を聞いて驚きました。
なんとKさん、前半は46で回ったのだとか。10年近くしてなくて練習もほとんどせずに、46!!
スゴイですよね。
夫は「Kさん、素質があるんだよ。教えることができるんだよ」とは言っていたのですが、それにしてもたいしたものです。
後半はメタメタだったみたいですけど、これで彼女がゴルフ再開のきっかけになればと思います。
だって東京と違って、ここは車でほんの10分か15分でゴルフ場があるんです。ましてや彼女たちはまだ50代。これから30年も夫婦一緒に楽しめます。
だからKさんには是非、ゴルフを薦めたいのです。
(ゴルフが嫌いという人はけっこういてその理由として、「自然破壊」とか「農薬を使うから」とかいいますが、今のゴルフ場はいろんな努力をしています。
ゴルフ場の木を伐った場合はそれをチップにして敷いたり、堆肥を作って蒔いたり、体と自然に優しいグリーン・キープを心がけています。
そうしたことが実ったのか現在では、ゴルフ場があるから自然が保たれていると言われるようになっています。
ここの近くのゴルフ場は夜間は野生動物がいっぱい出没していて、住みつく動物も多いのです。)

私は老後何が幸せかって、夫婦の仲で良いのが一番と考えています。
同じものを食べ、一緒に過ごし、何も特別なことがなくても、毎日を暮らすだけで幸せ。
もしどちらかが健康を害しても、夫婦仲が良ければお互いを思いやり、寄り添えますよね。
こんな安上がりな幸せはありません。

夫婦仲と言えば、Kさんたちがその時に話してくれたことを「いいな」と感じたのですが、彼女たちは見知らぬ80代のご夫婦と一緒にプレイしたのだそうです。
その方たちはどちらかが病後のためもあったのか、ティ・グランドからではなく、グリーン周りのほんの100数十ヤードのところからだけ、プレイされていたらしいのです。
それを聞いて、「あぁ、何歳になっても、どんな状態でも楽しみ方はそれぞれにあるんだな」と思いました。
もしティー・グランドからプレイすると同組の人やあ後続の組に迷惑をかける。だからグリーンまわりだけという気配りもおありだったのかもしれませんが。
これはゴルフだけでなく、他でも言えることです。何もパーフェクトにしなくても、その人のその時の身体や精神能力に応じて楽しめばいい。
楽しもうとする気持ちが大切なのですね。
なんだかその年配ご夫婦から素晴らしいアドバイスをもらった気がします。
Kさん曰く「とても素敵な奥様だった」とか。
私は目が悪くなってボールが追えないし、パットも難しいのでゴルフは止めましたが(もともと上手くならないのに辟易して、何も私ごときがしなくても、と思ったですが、ゴルフは好きでした。フォームを作るための練習も大好きでした。視覚障害者のための「ブラインド・ゴルフ」もあるのですが、そうまでしてプレイす気はありません)。

さて八ヶ岳の夏休みもそろそろ終わり。人出が少なくなったので友人夫婦と久しぶりにフレンチでもと予約したら、これが満席。
日を改めて予約し直して、やっと取れました。
初めて行くレストランだったので「どうかな?」と心配していたのですが、とても洗練されていて味も量もしっかりしたものでした。
この「量」というのが我が夫とその友人夫婦には重要で、外国生活を長く経験した彼らにとっては、小鳥のエサのようなのは論外なのです。
デザートトが何種類もチマチマしてるのもダメ。1種類でいいので食べ応えのあるものを要求します。
そういう意味でも満足のレストランでした。
まぁ、私の意見を言わせてもらうなら、ああまで飾り立てなくてもという気はしましたが。。
日本人って料理に関してあまりにヴィジュアルを気にしますよね。
「わぁー、キレイ!」というのが何よりの褒め言葉となっていませんか?もちろん盛り付けは大きなポイントではありますが、料理は見た目だけではない。
香りもとても大切だと思います。お皿が運ばれてくる時から「いい匂い」がして欲しい。
あまりに飾り立てると、その匂いが薄れてしまう気がします。
料理は繊細さと野性味の両方で成り立っていると私は考えます。

それに説明が長すぎ。あれでは料理が冷めてしまう。
友人も「みんながそれぞれ違うものを頼まない方がいいね」と言っていました。
欧米の人は自分の料理が運ばれてきたら、さっさと自分のを食べちゃいますが、日本人は他の人を待つこと多いので、なおさらです。
でもこうした感想は厳し過ぎるかもしれません。美味しかったですし、サービスもマニュアルではない温かさがあって、今度もまた行きたいと思いました。

その帰りに友人宅に。
そこの奥さんのMさんは3カ月前に、頸椎と脊柱の狭窄症の手術を受けました。
手術は6時間かかったそうです。1カ月の入院を経て、現在リハビリ中。
とてもとても大変な経験をしたと言っていました。でも幸いに、痛みもしびれも取れて、普通の生活に戻りつつあるようです。
日常の家事などがリハビリになるので、今は一応なんでもするようにしていると言っていました。
でも筋肉の衰えは激しくて、固定してあった首の装具を外したら、頭の重さを首が支えられなくて、頭がぐらぐらして困ったとか。
うーん、そんなになるものなんですね。
だけど頸椎と脊柱の二つ一度に受けて良かったそうです。あの苦しみを二度味わうなんて絶対イヤだと。
私も夫もMRIなどで調べれば加齢なりの異常は見つかると思いますが、症状としてはどこも悪くないので、今のところはありがたい。
だってその手術、とても耐えられそうにありません。辛抱のきかない夫は特に耐えられないでしょうね。

歳をとって健康を保つのは至難の技。それも長生きの弊害なのかもしれませんが。。
昼間は暑くても、朝晩は秋っぽい風の吹く八ヶ岳です。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする