2017年09月19日

保坂和志「東京画」

「東京画」は「この人の閾」に併載されている短編。
先日「この人の閾」を点字本で読み、この「東京画」のことを記事にしようと思いながら、つい「この人の閾」が長くなってしまった。
この作品も保坂らしく、何も出来事という出来事はない。(ラストで猫は車に轢かれてしまうのだけど)。

なぜこれを紹介したかったかというと、これがまるで写真のようだからだ。
主人公は西新宿から環状七号線(環七)の抜け道沿いにあるマンションに引っ越しをしてくるのだが、そこから散歩にでて、見るもののすべてを克明に書いているのだ。
主人公の「僕」が歩きながら見る建物や人々の描写なのだからムーヴィーのようだが、私の印象ではここはやはりスティル写真なのだ。
一つ一つの街の風景が目の奥に焼きつけられたように想像できるからだ。
焼きつけられた風景は私の中で固定される。

僕が住み始めたこの町は騒がしく暑い。
歩いていると、さびれた商店街がある。
煙草屋のじいさんは裸で、ばあさんは襦袢姿になって物干しで夕涼みをしているが、ちっとも涼しそうでも楽しそうでもない。彼らはたんんにそれまでの夏の習慣としてそこに居るとしか僕には思えない。
少し行くと今度は弱った高齢のじいさんが家の外の椅子に坐っている、家族がじいさんをそこに置いたのだろうか。彼もちっとも楽しそうではない。
そもそも商店街は閉めた店が多いのだ。
バブル期にもたいして地上げの対象にならなかった土地なのかもしれないが、日々そこは消えつつあるものが並んでいる。

ほろびゆくもの、残るもの。まだ居るひとも去るひとも。
でも「僕」はできるだけ感傷に流されずに街を歩く。
マンションの隣の犬を飼っている若い夫婦と付き合うようになり、夫とは将棋を、妻とは散歩をする。彼らも過剰な感傷は街に持たない。
それでも「僕」や彼らの心のなかは覗ける。
シロと名付けた野良猫に毎日餌をやりに行く「僕」という人間の思いも分かってくる。

感情説明がほとんどないにもかかわらず、すべてがわかる。。そんな「東京画」、なんて見事な小説を保坂は書くのだろうか。
20年前に読んだときにはこれほどの感想は持たなかった。読みが浅かったんですね。
「この人の閾」にすっかり参ってしまった記憶だけがあるのだが、「東京画」は「この人の閾」に劣らない作品だ。
この作品集の中の4編はどれもこういうもので、何も起きない。
見るもののすべてを書きながら、書いたものが主人公の内面を表している。
すごいなぁとつくづく思う。

「東京画」を手に散歩したらきっと、同じ店、同じじいさんやばあさんに会えるのではないか。
でもあれから20年、街は変わったのでしょうね。
変わらないのは、環七の抜け道のあの車の騒音?
posted by 北杜の星 at 08:16| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

ハッチの週間身辺雑記

3連休だというのに、また台風。
今年はなにかと「何十年に一度の豪雨」という言葉を聞くけれど、1時間100ミリというのはどんな雨量なのか?経験したことのない私には想像ができません。
私がこれまで知っている最も強い雨は、スペイン旅行のときのこと。
セビリアからヘレス・デラ・フロンテッラへと辿る道上での大雨でした。
とにかくその猛烈さは凄まじく、前を走っていた車が突然、何の前触れもなく急停車したのです。
マドリードからのレンタカーを運転していた夫は、避けようがなくその車の後部に追突してしまいました。

幸い、後続車もなく、お互いの車はへこんだものの、そのまま走れたので、一番近くのバルまで走り、そこでコーヒーを飲みながら話しました。
なぜ、いきなりブレーキをかけたのかと訊ねると、「ワイパーがまったく動かなくなっって、何にも見えなくなったんだよ」とおじさんが答えました。
なんでも近くの大きな町までその車を運んで、廃車処分にするつもりだったのだとか。
だからボロ車で、ワイパーなど不具合があったのでしょうね。
衝突のショックでタイヤが引っ込んでいたのを、そのバルに偶然居合わせた修理の人にちょっと直してもらって、そのままお別れしました。
ちなみにそのおじさんと夫はお互いに、スペイン語とイタリア語で話し合っていました。どちらも似ているので理解できたようです。
私たちのレンタカー会社には一応、事故を電話で報告しましたが、「全保障の保健にはいっているのなら、事故の報告の必要などない」と、なんで電話をするのか、なかなかわかってもらえませんでした。
車をあ交換してもらいたいのなら、するけど、と言われてしまいました。
こういうところは、日本と違うおおらかさ。
日本のレンタカー会社では、保険に入っていたとしても、前後に車体の傷の点検がありますよね。あれはどうして必要なのか?
よく考えると、無意味のような気がします。
それこそ「重箱の隅をつつく」ような細かさ。

あの雨がもしかしたら100ミリくらいだったのか?
確かに恐怖を感じさせる雨でした。
もしあの雨量が川の近く、また土砂崩れの心配のある崖下なら、心配になります。
台風の通り道の方々に、被害がないといいです。

この1週間は特別なことはありませんでした。
友人夫婦との我が家でのランチが1回。あとは一度、いつものSという定食やさんの外食だけ。
このSというお店、とても気持ちのいい私年代のご夫婦の経営いで、普通のものがとても美味しいので、わりと高齢者の常連さんが多いのです。
見事な厚みのある鮭ご膳には、玉子焼きやかき揚げ、もずく酢、それと野菜の小鉢とお漬け物、味噌汁はきちんとお出汁を取っ手いて日替わりの具が入っています。これで1500円はリーズナブル。
ここでいつもお会いするご夫婦がいて顔見知りになっているのですが、「週に何回、ここにいらっしゃるのですか?」とお尋ねすると、ナント、4回だそう!
小ジャレタとこはたくさんあるけど、ここが一番とは、私たちも同意見。
ここがなくなったら、私たちは外食難民になってしまいます。どうかいつまでもお元気でお店を続けてほしいものです。

21年間続いたギャラリーを友人が閉じることになり、昨日から閉店感謝セールが始まりました。
下の部分はコンクリート打ちっぱなし、屋根は北欧風の茅葺という素敵な建物なのですが、なんといってもオーナーのN子さんのセンスの良さで選んだ作家さんの作品が本当に素晴らしく、毎回の企画展を楽しみにはるばる首都圏や京阪神から通う熱心なファンがたくさんいました。
「いいなぁ」と思っても、なかなか買える値段のものがなく、あきらめることもしょっちゅうでしたが、今回はファイナルセール。
N子さんは売りきりのために破格の値段でストックを出したので、これまでのほぼ半額となっています。
大好きな陶芸家の伊集院真理子さんのポットや、若い作家さんのショールやアクセサリー、夫は鉄のフレームなどを購入。
断捨離が頭をよぎりましたが、「うーん、この機会だからなぁ」と。
そのかわり、家にあるものを捨てることにしているので、所持品の数は同じになるのを、せめてもの言い分けにしました。、

そうそう、5月にこちらのリゾートホテル「リゾナーレ」で結婚披露宴をした従妹の娘Aちゃんから、素敵なプレゼントが届きました。
レモン入りのオリーブオイルとイタリアの茶色の海塩。
レモン入りのオイルは初めてでしたが香が良くて、とても美味しい。
また塩フリークの私にとって、塩も楽しみです。
彼女たちはもう5年間一緒に暮らしてきましたが、今年になって籍を入れ、披露パーティを、どう言うわけか、こちらで催し、親族がやって来たのでした。
彼女たちはロンドン留学時に知り合ったそうで、現在はネット販売を展開しているとか。
写真を送ってくれて、若い人たちの幸せな顔を見るのがこんなにうれしいというのは、私が歳をとったということかと思いながら、じっとその写真を見ていました。

夫はひさしぶりに腰を悪くして、毎日私が朝晩2回、枇杷の葉温灸をしてあげていました。
お灸は「千年灸」とか市販ののものがありますが、やはり枇杷の葉温灸にかなうものはありません。
第一、とても気持ちいいんです。とくに自分でするのではなく他人にしてもらうと、その気持ち良さはこたえられません。
ここは寒冷地ですが、なんとか枇杷の木が根付いてくれています。(何度か失敗したり、草刈りの時に伐ってしまったり)
使うごとに数枚の葉を取って来ます。
枇杷の葉温灸は成城学園前にある東城百合子先生主宰の「あなたと健康社」に習いに行ったもので、どれほどこれまでこれに助けられたことか。
家庭に太もぐさ棒を常備しておくと、心強いです。
このおかげで夫はゴルフをキャンセルすることなく、いつものように楽しめています。
もっとも私にしたら、1度や2度のゴルフは休んで養生して欲しいのですが。。

夏野菜と秋・冬野菜の端境期で、どなたからの野菜も届かなくなって、自然食品店にも揃っていません。
都会のスーパーならどんな野菜でも並んでいるのでしょうが、地産地消のこちらでは、だからこそ安心安全なのだと思うようにしています。
もうあと少しで、ゴボウ、里芋、蓮根などが出てくることでしょう。
もっとも最近では糖質制限を実行する人が増えて、こういう土モノ野菜は糖質が多いので敬遠されるようになりました。
だけど豚肉の味噌仕立て、牛肉の醤油仕立ての芋汁は、季節が感じられて大好きです。
あとは新米のオニギリがあれば言うことなし。
こういうのにたくさんのオカズはかえって野暮。たくわんなどのお漬け物があれば十分でしょう。

短い秋、でもその前にこの連休が無事でありますように!
posted by 北杜の星 at 06:49| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

山崎ナオコーラ「母ではなくて、親になる」

山崎ナオコーラ、子どもを産んだのですね。
この本には、流産を経ての妊活、妊娠、出産、育児と、彼女が過ごした日々が綴られている。
しかし彼女はあえて「母」ではなく「親」として、子育てをすることにしたのだそうだ。

「母親だから」「母親のくせに」・・世間では母に対するステレオ・タイプが長い歴史の中で作り上げられてきた。
そのためにどれほどの重圧が母にかかったことだろう。
ナオコーラさんは「母親」という言葉をゴミ箱に捨て、毎日鏡の前で「親だぁ」「親だぁ」と自分を見ると、ラクになってよろこびでいっぱいになったそうだ。

もともと彼女たち夫婦、妻は作家、夫は街の本屋さんの書店員。
彼女いわく、「低学歴・低収入の夫」なのだ。
彼女たちの夫婦としてのありようは、夏葉社刊「かわいい夫」に詳しいが、夫はそうした自分を卑下せず、ごく自然体で結婚生活を送っている。、経済的なことなど超越し、誰とでもうまく付き合え、肯定発言だけをし、怒らず穏やか。つまりとってもいい人なのである。
妻であるナオコーラのほうも、夫に経済的なことは要求しない。
日常の中で金銭的には彼女の持ち出し分が断然多いのだが、どちらもそんなことはかまわないのだ。
ここでも従来の「妻」「夫」という役割は彼らの間には介在しない。

彼女はこの本に赤ん坊の性を明確化していない。男の子か女の子かはあえて書いていない。
それは、性は子どもにとって大きなプライバシーであるし、将来この子が大きくなって、どちらの性を選んで生きるかは、誰にもわからないからだと言う。
「母親」を否定し、子どもの性を保留にする彼女のジェンダーに対する考えかたに共感を覚える。

彼女は自然分娩ではなく帝王切開で赤ん坊を産んだが、これを「お産ではなく手術」だったと言っている。
これに関してはいろんな意見があるだろうが、ここでも彼女の「母親」意識が伺える。出産は自然でなくてはとか、無痛分娩を否定したりはしていない。
痛さに耐える出産が「母」とは考えていないのだ。

新生児から生後1年までが記録されているが、私は「新生児」とは生後1カ月までの赤ん坊を呼ぶということを知らなかった。ごく短い期間なんですね。
一カ月ごとに赤ん坊ってかなり変化するのは当たり前なのだけれど、大きくなればなるほどいろいろできることが増えて、人間らしくなるというか、感情表現も多様になっておもしろい。
例えば「10カ月の赤ん坊」という項では、赤ん坊に水分を与える場面が出てくる。
7か月くらいから哺乳瓶はやめてストローで水分を吸わせるようにしていたのだが、ジュースやミルクなどはよろこんで飲むのだが、味のない麦茶やお白湯は、飲むふりをして吸ったり吐きだしたりで飲み込まなかったり、いったん口にふくんでも、パッと吐きだすそうだ。そしてすごく不満そうな顔で抗議するらしい。
でもルイボスティなら飲むというネット情報を得て、ルイボスティを与えると、それなら少しは飲むとか。
麦茶はだめでルイボスティならOKというのはなんなのか?

子育て記はそれなりに興味深くはあったものの、子どもを産んだことのない私には退屈な部分もあった。
けれど頁のところどころに書かれている彼女の社会的価値観や生き方には、いろいろ考えっせられるものがあった。
最近よく言われる「自己責任」という言葉、私は嫌いなのだが、彼女も大嫌いだそうだ。
腎臓透析などの病気や障害など、自分を律せずに罹病した人間の「自己責任」を追及し、救済しなくても構わないという風潮が高まっているが、それは違うと彼女は言う。
それがたとえ「自己責任」であったとしても、現実に今困っているのだから、救済するのは当然で、それが成熟した国家というものだと。
これにはまったく大賛成。
「自己責任」ですべてを斬り捨てようとする幼稚さには耐えらないし、それならば社会や政治の責任はどうなっているのかと言いたくなる。
そうした救済を含めての国家予算なのではないか。

他にも山崎ナオコーラが好きになる彼女の意見が書かれているこの本、女性だけでなく男性にも読んでもらいたいと思う。
男性だってステレオ・タイプの押しつけに疲弊して、ラクになりたいのじゃないかな?
posted by 北杜の星 at 07:57| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

ハッチの週間身辺雑記

夏から秋への移り変わりが感じられる毎日です。
裏のミズナラのドングリがカーン、コロコロと屋根に落ちて、あんな小さな実が!というほど大きな音をたてびっくりします。
それから稲穂が黄色くなり、害獣や害鳥を防ぐための空砲の音も響くようになりました。
これからは一雨ごとに気温が低くなります。

季節の変わり目にはこの国では雨が降ります。
最近では雨が降ると、豪雨にならないかと気にかかります。
私の住む八ヶ岳南麓には大きな川はないので氾濫のおそれはないですが、崖崩れなどの危険性はあるでしょうね。
八ヶ岳側には川はないけど、南アルプス側では「釜無川」というオソロシイ名の川があって、これは氾濫すると家の釜まで流されるという意味で、以前は被害が大きかったところのようです。
また尾白川が氾濫して武川という集落に襲いかかることもあったようっです。
自然災害はどんなに気をつけていても、人間をはるかに超えて起きるものです。

その自然災害だけでも大変だというのに、北朝鮮問題はいったいどうなるのか?
これは人間の智慧で解決できることのはず。一方が大人気ないのなら、せめてもう一方だけでも大人の対応をとって欲しいものです。
気がつけば、戦争のただなかにいるなんてやめてもらいたい。

世の中のあれこれに較べると、我が家は静かな一週間でした。
友人を招いてギョーザ・パーティを開いたくらい。
ギョーザつくりは夫も手伝ってくれて、ホットプレートで焼きました。
ホットプレートは2,3年前に初めて購入したものの、登場の機会がなく、物置に入れっぱなしでしたが、「ギョーザはフライパンじゃなくホットプレートにすると、いいんじゃない」ということで、夫が食卓で焼いてくれました。
これが上出来!まぁ、技は不要なのですが、みんな「美味しい」「パリッとしている」と好評でした。
これならこれからギョーザも我が家のお客様料理になりえるかな?
ギョーザのような料理って招かれる側も気負わなくて来られるし、招く方も気がラク。
作っておけばあとは簡単。作るのだって、お客さん二それぞれ作ってもらうというテもアリ、ですよね。
歳をとるとだんだん、横着になってきますが、みんなで食事をするのは楽しいことなので、しないよりは簡単であっても、する方がいいと思っています。

7月に草津温泉に行った時、温泉土産としてはすごーくベタなんですが、温泉まんじゅうと温泉玉子を買って帰りました。
夫は温泉玉子が気にいって、生協か生活クラブかのパンフレットで「温泉玉子器」をを見つけ、注文したのです。
その温泉玉子器なるもの、ちょっと耐えられないほどヒドイ。
材質はプラスティック、色はクリーム色、形は卵型っぽい大きなもの。台所の他の調理器具とのマッチングの悪いことったらありません。
あんんなのを私の台所に置きたくはない。
夫だって道具などの色や形状にはとてもうるさい人なのに、温泉玉子を食べたい一心だったのでしょう。
でも温泉玉子はシャトル・シェフでも出来るんです。温度計さえあればそれこそ簡単。70度のお湯で数十分放置すればいいだけのこと。
いつあの変てこな温泉玉子器を台所から追放するか、現在思案中であります。

その夫、秋にちょっと旅行に行く計画をしているので、その下調べ中。
私は旅行ガイド本は、写真や地図があって見えないので、彼にお任せ。
見どころ、食事どころなど、いろいろ考えてくれているようです。
この旅行はある友人夫妻が「一緒に、行きませんか?」と誘ってくれたもの。とても気持ちの良ご夫婦なので楽しみです。
といっても、べったり一緒に居るわけではなく、2日間は別行動。
彼らは彼らなりの予定があるようです。
他の友人夫婦にも一緒にどうかと声をかけたのdすが、ちょうどその時期はアメリカ住まいのお穣さんが休暇で帰ってくることになっているのだとか。
そのお穣さんはとっても素敵な方で、アメリカで心理学者兼臨床心理士をされています。
子どもを持たなと決めていたアメリカ人夫婦が、このお穣さんを見て「こんな子なら、子どもを持とう」と決心したという話も聞いていうくらい、人間的にも素晴らしく、今回も一緒の食事の席を設けてくれるそうで、お会いするのが楽しみです。

愉快なのは、いつもバカな冗談ばかり言っている彼女の父親、彼女の前ではそんなバカも口に出さず、おとなしいのです。
娘の前では父親ってそんなものなのでしょうか?カワイイです。
私たちには子どもはいないけれど、友人たちの娘が何人かいて、その成長をずっと見てきているので、みんなそれぞれ幸せな人生を送れれればと心より願っています。
来月7日にはそのなかの一人が挙式します。お母さんのお腹のなかに居る頃からしっている子です。
六本木ヒルズのグランド・ハイアットでお式と披露宴、新居は勝どきの超高層マンションという豪華版。
でも結婚式や披露宴は結婚のほんのスタート。ナニゴトもない人生はないはずだけど、パートナーと仲良く解決しながら歩んでほしいものです。

同じようなスタートをしていても、うまくいく夫婦といかない夫婦、どこが分かれ目なのでしょうかね?

posted by 北杜の星 at 07:52| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

帚木蓬生「ネガティブ・ケイパビリティ」

帚木蓬生は精神科医であり作家でもある。この本は本職の精神科医として書いたもの。
頁を開いて、驚いたのなんのって!
ジョン・キーツのことが書かれていたのだ。
ジョン・キーツ!
私が10代の頃、私淑していた英会話の先生が19世紀イギリスロマン派の詩を教えてくれた。
テニソン、ワーズワース、バイロン、シェリーなどとともにジョン・キーツがいた。
当時でさえロマン派の詩は私にとっては古典的で退屈だったが、どういうわけかキーツだけには心惹かれるものがあった。
清らかな静けさのなかに強い情熱が垣間見れた。

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは「負の能力」。つまり「答えの出ない事態に耐える力」なのだそうだ。
そしてこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を最初につかったのが、誰あろうジョン・キーツだという。
能力というと、何かがどんどんできることと普通は考えられている。でも人間はいつもそのような元気な身体や精神で居続けるわけではない。
どうしようもなく落ち込むときも、体を壊して思うように動けない時もある。
そうした場合には、ポジティブ・ケイパビリティを脇に置いて、「負の能力」で生きると、ラクになるのではないか?
それは貧苦と病と思うようにいかない恋愛に悩んだジョン・キーツの生き方でもあったのだ。

これを読んで、私がなぜ10代の頃、ジョン・キーツが好きだったのかわかったような気がする。
若くて人生経験が少なく、うまく言語化できなかったが、私も幼い時から体が弱く、ジョン・キーツを教えてもらった当時、彼と同じ結核を患い落ち込んでいた。
同級生たちはあんなに健康で勉強や遊びに夢中になっているのに、なぜ自分だけが安静を強いられ、みんなと隔離されなくてはんらないのか?
孤独だったし、焦ってもいたし、理不尽さに耐えられなかった。
そんなときのキーツの詩は私にとって慰めだった。何が慰めかというとそれは彼の詩から感じられる「想像力」の力であったと思う。
どんな状況であって「想像」の翼を持つことはできる。その力をキーツから学んでいたと、今ならわかる。この本を読んでますますわかる。

1969年、私はローマに行った。そこで最初に訪れたのが、「ローマの休日」でオードリーがアイスクリームを食べていたあのスペイン広場。
広場が目的ではなくて、階段の脇にある「キーツ・シェリー博物感」に行くためだった。
キーツはその建物で結核の療養をしようとしたのだが、時は遅く、25歳の若さでローマでそこで客死。
彼の墓は同じくローマで死んだシェリーと共に、ローマ旧市街の入り口にある城壁のとこrのピラミッド側のプロテスタント墓地にある。
墓地の端っこに墓石が建っていて、墓碑銘はなく、
「Here lies one whose name writ in water」とだけ書かれている。
キーツらしい清楚な墓だった。

帚木蓬生もジョン・キーツの足跡を追うためにローマを訪れていて、キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」に想いを馳せている。
帚木蓬生は大好きな作家。その彼が大好きだった詩人とこう繋がったのかと、とても不思議なような、でも筋道を辿ればよく理解できるような、そんな一冊だった。
この本との出会いは「縁」です。
50年来の謎が解けた気がしています。

余談ですが、ジョン・キーツって、イケメンなんですよ。
若く死んだために若い頃の肖像しかないので、なおさらに。
10代の私ははミーハーで、そんなキーツだから惹かれたのかもしれませんね。
醜男だったら、あんなに好きになっていなかったかも。

でもこの「ネガティブ・ケイパビリティ」というのは以前から私の中に根強くあったのは確かで、私がもっとも「こうなりたい」と願っている人間像は、社会的に成功することでも、元気でイケイケ・ドンドンの暮らしでもなく、以下のようなもので、これは誰かのエッセイで読んだ実在した人のことなのです。
「寝たきりのおばあさん。彼女は口はきけるが手足を動かすことができない。毎日午後3時になると、お嫁さんがおばあさんの口に一粒のゴディバのチョコレートを口に含ませてくれる。おばあさんはそれが楽しみで楽しみで『なんて自分は幸せなんだろう』と思う。そして幸せを与えてくれるお嫁さんに感謝し、彼女のために何かをしたいと思うのだが、体の自由がきかにので何もできない。だからそのかわりにせめて「お嫁さんが毎日ハッピーで過ごせるように」と一生懸命に祈っている」
・・という、尊敬する人間像としてはあまりに消極的かもしれないが、私はこれは究極の幸福論だと受け止めている。

こんなおばあさんのような人間になりたい。
「なりたい」と言うことは、なれない自分がわかっているからなのだけど、これこそ「ネガティブ・ケイパビリティ」の典型だと思う。
若い人たちは閉塞感に苦しみ、高齢者は歳をとる重みに苦しんでいるが、そうしたなかで「負の能力」があれば、なんとか乗り越えられるのではないだろうか。
この本、本当に私にとっては「再会の書」でした。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

一青妙「台南 日本に出会える街」

これまで行ったところで一度は住んでみたいと思うのは、奈良、パリ、ローマ、イスタンブール。
一度も行ったことはないけれど、行けば絶対好きになる確信があるのが、バンクーバー、ホイアン(ベトナム)、そして台南だ。
なぜ台南か?
まず「老街」と呼ばれる旧い街並みがたくさん残っていて、街歩きが楽しそう。そして歩くのに疲れたら、ちょっとお茶を飲むカフェが選り取り見取り。
もちろん、食べものはすこぶる美味しい。
私、台湾料理が大好きなんです。
歩きまわるのに治安が良いのも安心。

著者の一青妙さんは歌手の一青窈の6歳年上のお姉さん。
才能豊かな女性で、本業は歯科医師だが、女優でもありエッセイストでもある。
以前、彼女のエッセイ「ママ、ごはんまだ?」を読んだことがあるが、とても素敵だった。

台湾きっての名家の父と、日本人の母の間に生れ、11歳まで台湾で育った。
11歳のときに父を残して母と妹ともに帰国。そのすぐ後に台湾の父が死去。母も彼女が20代初めに亡くなった。
一青という姓は母親の出身地の石川県にある名前だそうだ。(一青という土地名、日本酒もあるらしい)。

そんな彼女が愛してやまないのが、育った台北ではなく台南だ。
台北から新幹線で約2時間弱。
日本統治時代のノスタルジックな建物はリノベーションされ、若者向けのカフェやレストラン、ホテルなどとして使われている。
日本人が好きにならずにはいられないどこか懐かしい街、それが台南なのだという。

台南には「烏山頭ダム」がある。
これは日本人の八田という人が、台湾の数々の土木事業にたずさわり、「烏山頭アダムはその代表作。
彼は台湾の人たちから神様と崇められている。
一青妙さんは虫プロダクション制作のアニメ「バッテンライ!!南の島の水ものがたり」で、八田の妻の声を担当している。
「バッテンライ」とは「八田が来た」という意味だそうだ。

これを読んだときに、友人のMさんが話してくれたことを思い出した。
彼の母方のおじいさんは台湾で農業水路を作り、その用水路は現在も農業に使えれていて、現地の人たちの尊敬を集めて銅像を建ててくれていると。
出身地も出身大学も同じなので、てっきり八田氏がMさんのおじいさんのことだと思ったのだが、聞いてみると、おじいさんの兄貴分のような人が八田氏なのだそうだ。
Mさんのおじいさんの水路は台南ではなく台中にある。

中国本土や朝鮮半島と違って、同じ日本が植民地化したというのに、台湾はとても親日だ。台湾の人たちほど日本好きはいないと言われている。
日清戦争で勝利した日本が台湾を貰い受けた直後には、植民地としての搾取だけを考えていたのだが、第3代か4代の総督が立派な人だったようで、台湾を大切にし、インフラや工場などの施設を台湾のために造ったという。
つまりは上に立つ人間で、すべてが変わるということなんですね。
孫文や蒋介石が日本びいきだったということも影響しているのかもしれないけれど。

これ読むとますます、行きたいなぁ、台南!
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

ハッチの週間身辺雑記

もう9月。
ぐっと朝晩の気温が下がりました。長袖のTシャツだけでは寒いくらい。
夕方は日が短くなるし、秋は大好きな季節だけど、歳をとるとなんだか心細くなります。
それというのも冬が長く厳しい土地に住むようになったためでしょう。
でも山が本当に美しいのはこれからなんですけどね。

それにしても日本のこのところの豪雨被害は大変です。
これは日本だけでなく、欧州や他のアジアでも起きていることで、地球の気象がおかしくなっているから。
ガイアは私たちと同じく一つの生命体。
その生命体を人間が傷つけてしまったのではないか、人間はもっと謙虚に自然や地球を畏れるべきではないかと思うこのごろです。

今週のニュースはなんといっても、友人が21年間続けたギャラリーを閉じることになったこと。
彼女は北杜市長坂町で「B」という、下部分はコンクリート打ちっぱなし、屋根は茅葺という素敵なギャラリーを経営してきたのですが、8月末で終わりにしたのです。
突然の決定でみんな驚きましたが、ここ数年の彼女の体力気力を鑑みると、限界かなという気もしています。
なにごとにも終わりがあるのなら、まだ後処理がちゃんとできるうちに決心したのは正解ではないでしょうか。
ギャラリーがなくなるのはさみしいけれど、頑張った彼女には「ご苦労さまでした」と心からねぎらいの言葉を送りたいです。
これからはいつでも一緒に遊びに行けるかな?

このギャラリーだけでなく最近はいわゆる「代替わり」が増えています。
ペンション、レストラン、ギャラリー、別荘の持ち主にも変化が見え、例えば私の住むここの別荘地には7軒が建っているのですが、今年2軒のオーナーが替わったのです。
幸い、売りに出された物件はすぐに買い手がついて、すでに新しい方が引っ越して来られました。
彼らはみな50代。今後20年以上の歳月をここで過ごそうと計画されています。
完全に別荘遣いの方も、移住希望で畑をしたいという方も、どちらもこの土地を楽しまれることでしょう。
隣人が若いというのは私たちにとっても心強いことです。

面白いのは、ここに移住したシニアの人たちには共通項があります。
それは子どもに老後を頼る気がさらさらないこと。
なかには「えー、お宅、お子さん居たんですか?」というくらい子どもの話しが出ない家もたくさん。
じっさいに私たちのように子どものいない夫婦もかなりいます。
頼らない代わりに、遺さない。
その潔さは見ていて気持ちいいですね。
まぁ、子どもが外国住まいというケースも多いので、頼ろうにも頼れないという事情もあるようですが。

この「子どもには頼らない」「子どもの世話にはならない」というのは、親は誰もが言います。
でも見ていると、それが言えるのは自分が健康でいられる間。
介護が必要になると、子どもがいる人はやっぱり子どもに頼るようになっています。
それはそれで当然のことだと思います。
子どもだって、放っておくことはできませんよね。

だけど「介護のことを考えると、女の子を産んでおけばよかった」とい私年代のある女性の言葉を聞いたときは、背中が凍りつきました。
こんなことを言うひとがまだいるんですね。
私利私欲のために子どもを産むのか!?
すくなくとも自分の親がこんな親でなくて、私は幸せでした。

涼しくなったので、下の道路から我が家に続く砂利の私道の坂を2往復しています。
この坂はかなりの傾斜で、下の人たちはほんの150メートルなのに、歩きではなく車でやって来るほど。
歩きでも、途中で一休みという人も。
その坂を速足で2往復します。ときに3往復すると息があがります。
毎春ネパールにトレッキングに行くご近所さんすら、「この坂はきつい」と言うほどです。
この坂、脚力だけでなく心肺機能も上がるんですよ。
それ以外に、ときおり体操教室に参加し、毎日室内で片足立ちで大腿筋、腹筋背筋の運動、呼吸法は実行しているけれど、坂道を歩くのはまた別のきつさがあります。

だけど体に一番良いのは、「家事」だと私は思っています。
30分歩くのなら、30分一生懸命に家事をすれば、かなりの運動量になります。
窓拭きは腕や肩を伸ばしながら使うし、脚立に乗るので脚の筋肉も鍛えられバランスも良くなります。
床をはいつくばって水拭きするのは、腰に良いです。四足動物に腰痛はないと言いますから。
体を動かせて、部屋中がきれいになる・・一石二鳥。これほどいいことはないです。

料理は好きでも掃除嫌いだった私ですが、最近は掃除も大好きになりました。
窓拭きなんてそれこそ大嫌い。年に2度くらしか拭いていませんでした。
でも嫌いなことをするのはツライ、オモシロクナイ。
だから好きなことをするのではなく、することを好きになろうと一念発起。
1週間に1度、定期的に拭くようになり、それなりの工夫も重ねるようになって、だんだんと窓拭きが上達してきたら、不思議なことに、好きになった。
我が家のガラス窓は内外を合計すると38メートルもある窓だらけ。
それが汚れていると、どこを見ても汚れていることになって不快です。
最近では「あなたはいつも掃除をしているのね」と裏のSさんが言います。
何でもそうですが、要は「する」「やってみる」ということ。そしてし続けていると、それなりのスキルが生れて面白くなるんですね。
怠け者の私が言うのだからホントです。

でも夫は、きれいになっているのが当然と思うのか、掃除の後も「きれいになったね」とは言ってくれません。
いつもきれいだと、きれいになったのが目立たないのでしょうか。
褒められればもっと頑張れるんだけど、ね。
私は彼が草刈りをしたら、大袈裟なほど「すっきりしたね」「きれいになったね」と言ってあげるんだけど。。
posted by 北杜の星 at 08:46| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

保坂和志「この人の閾」

「この人の閾」を20年ぶりに読んだ。これが保坂和志を読んだ最初だった。
正直「これが、よく芥川賞を受賞したな。選考委員ってすごい眼力なんだな」と思った記憶がある。
何もとくべつなことは起きない、普通の女性の暮らしのなかのほんの数時間があるだけ。
退屈といえば退屈。でも「これこそが小説!」と感嘆するものだった。
私はかねてより、小説は小さき者の説だと信じている。大説の反対である。
「この人の閾」はそういう意味で小説そのものだった。

主人公の僕はある人との面会のため小田原に赴くが、すっぽかされてしまう。
出直すにも小田原は遠く、僕は大学のサークルの1年先輩の真紀さんが同じ小田原に住んでいるのを思い出し、彼女に電話した。
真紀さんは30代後半、二人の子どもがいる専業主婦。
彼女「おいでよ、おいでよ」と家に招いてくれた。10年ぶりの真紀さんはちょっと老けて見えた。

ビールを飲み、草むしりをし(させられ)、犬のニコベエと遊び、小学校から帰宅した息子とサッカーの話しをする。
真紀さんは家事の合間に、年に百数十本の映画をDVDで見て、長編小説や哲学書を読んでいる。
彼女は書簡集や随筆は「展開がない」から読み進められないと言う。
またわかりやすいニーチェよりも「ねちねちした」ヘーゲルやハイデッガーの方がいいと言う。
つまりは、すぐに受け止められるものではなく、じっくり見たり読んだりするものが、真紀さんには必要なのだろう。
僕は真紀さんがそういうふうにインプットしたものの感想を、どこにも発表しないことを惜しむのだが、真紀さんにとってはそういうことが重要なのではないのだ。

現在の真紀さんと話しながら、大学のサークルのころの彼女や友人たちとの会話を思い出すうちに、真紀sんという一人の人間の像がだんだんとわかってkる。
それがよかった。
前に読んだ時よりずっと真紀さんを私は理解できたと思う。共感することがたくさんあった。
最後、僕は奈良の平城京跡に佇み(何もない公園みたいなところ)、真紀さんならこういうだろうなと、彼女に想いを馳せるのだが、そのラストも大好き。

保坂和志は「小説を読む時間の中でしか流れない時かある」といつも言っている。
そう、真紀さんはその時間の中に自分を存在させることを、自分のアイデンティティとしているのだ。
そこには何の示威表現はないが、充足したものが確かにある。

ごく日常的なものと知的な会話が混在する「この人の閾」を今回は点字本で読んだのだが、読み終えるのが惜しくて惜しくてたまらなかった。
読みながら何度も夫に、この中の文章を話した。
彼も保坂和志が好きだがこれは未読。ぜひ読んでもらいたい。

彼はかねてより「どんな哲学書よりも小説は哲学そのもの」と言ってはばからないが、この「この人の閾」という作品はそれを体現したものだと思う。
哲学書のように正論を押し付けるのではなく、小説は読む人間の想像力を喚起しながら、問いかける。
だから答えがあるわけではない。あるのは読んで感じて考える時間。
そんな至福の時間を「この人の閾」は与えてくれる。本当に本当に幸福な時間だった。

えーっと、ちょっと困ったな。
この本、じつはこれではなくて、「東京画」を紹介しようと思ったのです。
だって「この人の閾」についてはたくさん書かれているので。
でも書いているとなんかコーフンしてしまって、「東京画」にならなかった。
これについてもぜひとも紹介したいので、日を改めて書こうと思います。
とにかく、保坂和志は大好きな作家で、彼を好きでいる自分なら、自分で自分を愛せるような気がします。
こういう作家は他にもいて、例えば作風は全然違うけど、梨木香歩なんかもそうです。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ハッチの週間身辺雑記

先日の夕方、思いがけなく友人夫婦がやって来ました。
なんでも奥さんのKさんが何年ぶりかでゴルフをしたので、その報告に来てくれたそうです。
そのちょっと前に私の夫がKさんに少しゴルフの指南をしたそうで、だからという律儀さ。
でもゴルフの結果を聞いて驚きました。
なんとKさん、前半は46で回ったのだとか。10年近くしてなくて練習もほとんどせずに、46!!
スゴイですよね。
夫は「Kさん、素質があるんだよ。教えることができるんだよ」とは言っていたのですが、それにしてもたいしたものです。
後半はメタメタだったみたいですけど、これで彼女がゴルフ再開のきっかけになればと思います。
だって東京と違って、ここは車でほんの10分か15分でゴルフ場があるんです。ましてや彼女たちはまだ50代。これから30年も夫婦一緒に楽しめます。
だからKさんには是非、ゴルフを薦めたいのです。
(ゴルフが嫌いという人はけっこういてその理由として、「自然破壊」とか「農薬を使うから」とかいいますが、今のゴルフ場はいろんな努力をしています。
ゴルフ場の木を伐った場合はそれをチップにして敷いたり、堆肥を作って蒔いたり、体と自然に優しいグリーン・キープを心がけています。
そうしたことが実ったのか現在では、ゴルフ場があるから自然が保たれていると言われるようになっています。
ここの近くのゴルフ場は夜間は野生動物がいっぱい出没していて、住みつく動物も多いのです。)

私は老後何が幸せかって、夫婦の仲で良いのが一番と考えています。
同じものを食べ、一緒に過ごし、何も特別なことがなくても、毎日を暮らすだけで幸せ。
もしどちらかが健康を害しても、夫婦仲が良ければお互いを思いやり、寄り添えますよね。
こんな安上がりな幸せはありません。

夫婦仲と言えば、Kさんたちがその時に話してくれたことを「いいな」と感じたのですが、彼女たちは見知らぬ80代のご夫婦と一緒にプレイしたのだそうです。
その方たちはどちらかが病後のためもあったのか、ティ・グランドからではなく、グリーン周りのほんの100数十ヤードのところからだけ、プレイされていたらしいのです。
それを聞いて、「あぁ、何歳になっても、どんな状態でも楽しみ方はそれぞれにあるんだな」と思いました。
もしティー・グランドからプレイすると同組の人やあ後続の組に迷惑をかける。だからグリーンまわりだけという気配りもおありだったのかもしれませんが。
これはゴルフだけでなく、他でも言えることです。何もパーフェクトにしなくても、その人のその時の身体や精神能力に応じて楽しめばいい。
楽しもうとする気持ちが大切なのですね。
なんだかその年配ご夫婦から素晴らしいアドバイスをもらった気がします。
Kさん曰く「とても素敵な奥様だった」とか。
私は目が悪くなってボールが追えないし、パットも難しいのでゴルフは止めましたが(もともと上手くならないのに辟易して、何も私ごときがしなくても、と思ったですが、ゴルフは好きでした。フォームを作るための練習も大好きでした。視覚障害者のための「ブラインド・ゴルフ」もあるのですが、そうまでしてプレイす気はありません)。

さて八ヶ岳の夏休みもそろそろ終わり。人出が少なくなったので友人夫婦と久しぶりにフレンチでもと予約したら、これが満席。
日を改めて予約し直して、やっと取れました。
初めて行くレストランだったので「どうかな?」と心配していたのですが、とても洗練されていて味も量もしっかりしたものでした。
この「量」というのが我が夫とその友人夫婦には重要で、外国生活を長く経験した彼らにとっては、小鳥のエサのようなのは論外なのです。
デザートトが何種類もチマチマしてるのもダメ。1種類でいいので食べ応えのあるものを要求します。
そういう意味でも満足のレストランでした。
まぁ、私の意見を言わせてもらうなら、ああまで飾り立てなくてもという気はしましたが。。
日本人って料理に関してあまりにヴィジュアルを気にしますよね。
「わぁー、キレイ!」というのが何よりの褒め言葉となっていませんか?もちろん盛り付けは大きなポイントではありますが、料理は見た目だけではない。
香りもとても大切だと思います。お皿が運ばれてくる時から「いい匂い」がして欲しい。
あまりに飾り立てると、その匂いが薄れてしまう気がします。
料理は繊細さと野性味の両方で成り立っていると私は考えます。

それに説明が長すぎ。あれでは料理が冷めてしまう。
友人も「みんながそれぞれ違うものを頼まない方がいいね」と言っていました。
欧米の人は自分の料理が運ばれてきたら、さっさと自分のを食べちゃいますが、日本人は他の人を待つこと多いので、なおさらです。
でもこうした感想は厳し過ぎるかもしれません。美味しかったですし、サービスもマニュアルではない温かさがあって、今度もまた行きたいと思いました。

その帰りに友人宅に。
そこの奥さんのMさんは3カ月前に、頸椎と脊柱の狭窄症の手術を受けました。
手術は6時間かかったそうです。1カ月の入院を経て、現在リハビリ中。
とてもとても大変な経験をしたと言っていました。でも幸いに、痛みもしびれも取れて、普通の生活に戻りつつあるようです。
日常の家事などがリハビリになるので、今は一応なんでもするようにしていると言っていました。
でも筋肉の衰えは激しくて、固定してあった首の装具を外したら、頭の重さを首が支えられなくて、頭がぐらぐらして困ったとか。
うーん、そんなになるものなんですね。
だけど頸椎と脊柱の二つ一度に受けて良かったそうです。あの苦しみを二度味わうなんて絶対イヤだと。
私も夫もMRIなどで調べれば加齢なりの異常は見つかると思いますが、症状としてはどこも悪くないので、今のところはありがたい。
だってその手術、とても耐えられそうにありません。辛抱のきかない夫は特に耐えられないでしょうね。

歳をとって健康を保つのは至難の技。それも長生きの弊害なのかもしれませんが。。
昼間は暑くても、朝晩は秋っぽい風の吹く八ヶ岳です。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

原田ひ香「ラジオ・ガガ」

深夜ラジオを心の友として青春時代を送った人って多いんじゃないだろうか?
オールナイト・ニッポンのファンは私の年代に結構いた。
でもあの番組、今も健在なんですね。知らなかった。
私は深夜ラジオのリスナーではなかった。ベッドに早く入って本を読みたい私だったので、ラジオは視野には入っていなかったからだ。
それに誰かのお喋りをずっと聴くのもあまり好きではなかった。
だからレモンちゃん(落合恵子)も知らなければ、タケシも、ましてやオードリーもナインティナインも知らないできた。
(ラジオをまったく聴かないわけではなく、起きたらすぐにNHK・FMをつける。「クラシック・カフェ」を放送していて、その朝がバッハだったら一日がご機嫌で始まる)。

この「ラジオ・ガガ」には「人生で大切なことはみんな深夜ラジオが教えてくれた」というリスナーたちが主人公の短編集。
流産後、会社から帰る夫を待ちながら聴いたタケシ。以来ずっと深夜ラジオを聴き続け、今は伊集院光を聴いているケアハウス入居の老女。
娘を寝かしつけ深夜のラジオ・ドラマの脚本執筆をする主婦。
売り出し中のお笑い芸人と同級生だった夫に、テレビ局からの出演オファーが来た夫。
などなど、5篇が収録されている。

これを読むと伊集院光もナインティナインもどちらもなかなかの人物みたいだ。
彼らが深夜ラジオで話していることに共感し、時に慰められ、時に人生の方向の舵とりをしてもらう人たちっているのだろうな。
そういう「支え」となっているのを、パーソナリティの彼らは知っているのだろうか?
知っていたとしたら、どんな気分なのだろうか?
と、変なところに思いを馳せてしまった私。
なにげなく話す言葉が聴く人にとって重大なナニカになってしまうのは、ちょっとひるむところがあるけれど、とにかくその番組は一方通行ではなく、彼らが話すことがある意味、ストレートに受け止められるのは、彼らが高みからモノ申してるのではないのを、リスナーがよくわかっているからだろう。
失敗や失意のときの自分たちを正直にさらけ出していることへの好感もあるかもしれない。

それにしても原田ひ香って、いつも深夜ラジオを聴いているか?そうとしか思えない深夜ラジオの知識だ。
それとも本を書くために聴きこんだのか?
深夜ラジオが大好きな人にとってはこれ、とても面白いものだと思う。

原田ひ香は「東京ロンダリング」以降、目の付けどころの良いテーマで小説を書いている、
でも私はデビュー作の「はじまらないティータイム」が今でも一番好きだ。
説明をしすぎない物語には、小説としての完成度は低いが不思議な魅力があった。
ああいう方向に行く作家さんかと期待したのだが、完全にエンターテイメント系に行っちゃったんですね。
ちょっと残念だけど、これは私の感想であって、原田ひ香のファンは年々増えていると思う。それはそれで悪いことではないです。
この「ラジオ・ガガ」も楽しめる作品ではありました。
posted by 北杜の星 at 07:21| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

ハッチの週間身辺雑記

すっかり太ってしまったので、これから2週間かけてちょっとダイエットと思った矢先に、新しいパン屋さんを発見!
元はここはシフォンケーキと草餅の店だったはずが、いつのまにかパン屋さんに。
パンと聞くと素通りできない夫なので、入ってみました。
自家製天然酵母の焼き色の素敵なパンが並んでいます。天然酵母のパンにしてはソフトな感じ。(でもふわふわではない)。
早速、リュスティックとカンパーニュを買って帰りました。うん、美味しい!
ここ八ヶ岳の北杜しはなにしろパンの激戦区。美味しいパン屋がひしめいていて、どこもそれなりに流行っているんです。
お気に入りのパン屋がそれぞれ各家庭にあるようで、カンパーニュはあそこ、フランスパンは石釜焼きのあそこでなくcっちゃ、ライ麦パンはここ。。
グルテンフリーもなんのその。美味しいパンはやはり豊かな気持ちにさせてくれます。
私は菓子パンの類も、中にクルミやレーズンなどが入ったパンも、野菜などが練り込んであるものも好みではなくて、小麦粉やライ麦そのものを味わいたいので、プレーンなのを求めます。
パンを食べる時は、ホント、ここに住んで良かったと思います。
それにしてもなぜ、北杜市はパン屋さんがこれほど多いのでしょうか?

なんだか今週はほとんど食べる話しとなってしまいましたが、どこに行っても人がすごくて、家や友人宅で飲み食いするしかできなかったのです。
インテレクチュアルなことが何もない一週間でした。オハズカシイ。
来週は点字書きの練習をして先生にお手紙書きます。それと点字でちょっと小ムツカシイ本を読む予定。
それからやっぱり、ダイエットしなくっちゃ。このままだと、「Sさん?あのお腹が出てる人?」とを言われそうですので。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

福原耕「蕎麦の旅人」

食べものの中で蕎麦が一番好き。
一口食べたときのあの清冽さは、他に例えようがない。(私は下戸なのでわからないが、もし蕎麦に匹敵するものがあるとすれば、それは「酒」だと思うが。)
旨い蕎麦屋があると聞けばどんなに遠く辺鄙な山の中でも行ってみたい。そこの蕎麦を食べてみたい。
幸い私がこれまで行き来した長野や山梨には旨い蕎麦屋が多い。先月友人たちと一緒に草津温泉に行ったのだが、その通り道(わざわざその蕎麦屋に行くために遠い道を選んだのだけど)、佐久市の望月の評判の蕎麦屋で昼食をした。(蕎麦より蕎麦リゾットが印象に残ったのは、別に蕎麦が不味かったのではなくて、リゾットがあまりに美味しかったから)。
旅行に行くときは必ず蕎麦屋を探して寄ってみる。これも旅の楽しみの一つとなっている。
蕎麦の美は夏は味が落ちるが、暑い夏に冷たい水でひきしめた蕎麦をすするのは、本当に極楽だ。

この本の著者は大阪生まれの大阪育ち。大阪はうどんの街だ。福原さんも麺といえばうどんだった。
その彼が50年前、出雲を訪れ出雲蕎麦を食した。
それが彼の蕎麦人生の始まりとなった。
出雲蕎麦って黒いんですよね。割り子の中に入ってそれぞれ違う薬味が乗って重なっている。
以後、彼の蕎麦行脚が続くが、ある日彼は気付いた。蕎麦が好きでも、歴や文化を知らないことに。
日本人がなぜ今のように蕎麦を食べるようになって、しかもこんなに蕎麦好きになったのか?
蕎麦は日本人の歴史と文化を凝縮したものではないのか?
そして著したのがこの本。

面白いです。知らないことをたくさん知ることができました。かなりしっかり書かれた力作。
なにより驚いたのが、元祖「蕎麦切り」がここ山梨県の禅寺だったとは!
(もっともこの「元祖」は他に2つあるのみたいだけど、どこも禅寺。蕎麦と禅の結びつきがこの本に詳しく述べられている)。
そうか、山梨といえばほうとうだけど、蕎麦切り発祥の地とは。

蕎麦というと質素な食べもののように思われるが、元来は「ハレ」の食べものだったのだ。
年越し、引っ越し、雛・端午、祝言・法事、棟上げ・・つまりは行事に際して食べるものだった。
歌舞伎では「大入り蕎麦」、「とちり蕎麦」というのがあるそうだ。
今でも長野の田舎などでは、人が寄る時に「蕎麦を打とうか」とおばあさんやお母さんが張り切るみたい。

蕎麦には「ご当地」の蕎麦がある。
信濃の国はなかでももっとも有名だが、山形、新潟、滋賀なども蕎麦で知られる。
(滋賀は伊吹山の霧下がいいそう。あそこはもぐさもすぐれたのが採れます)。

でも蕎麦はなんといってもお江戸ではないだろうか。
江戸文化と蕎麦は切り離せない。
江戸は職人の町。短気で荒い彼らに蕎麦ほど似合う食べものはない。
この本に書いてあるが、数学者であり、蕎麦博士とも呼ばれた故高瀬礼文は「食べものから脂っぽいもの、、辛いものなどすべてとりさって、残った純粋な形が『ざるそば』。純粋なものの面白さが蕎麦にはある。」と言ったそうだ。

そう、蕎麦は引き算の食べものだ。潔い。
その潔さがお江戸の美意識や価値観にぴったりきたのかもしれない。

最近は蕎麦というと10割、蕎麦粉だけじゃなくっちゃと言う人がいるが、私はそうとばかりは思わない。
蕎麦の基本は「二・八」だ。
もちろん香は10割にはかなわないが、のどこしの良さが蕎麦の醍醐味だとすれば、「二・八」はなかなかのもの。
と思っている私だが、この夏に見つけた旨い蕎麦は10割。しかも生冷凍ものだ。
蕎麦はツユも大切だから蕎麦屋に優るものはないのだが、夏休みはこのあたりどこの蕎麦屋も満席。
だからちょっと昼ご飯は蕎麦にというときに、家でさっと茹でて食べられるものが欲しい。
乾麺はどうも満足できるものがないし、工場生産の生そばは簡便だが味はイマイチ。
けれど、見つかったのだ!これなら合格という蕎麦が。それが冷凍保存できて2時間常温解凍すれば家で食べられるというもの。
長野市の「山本食品」で作り、自然食品の「ムソー」が発売している。
これは蕎麦を食べた後の蕎麦湯もすこぶる旨い!
ただ、ツユがついていないので自分で作るか調達するしかない。
これがこの夏の我が家のマイ・ブームで、自然食品店で買占めちゃいました。
次の仕入れはあと何週か後になるとかだから、それまで大切に食べなくでは。

蕎麦は日本人の美意識に合うと書きましたが、食べられているのは日本だけではありません。
他の国のは食べたことがないけれど、イタリアでは蕎麦のリゾットも蕎麦粉のニョッキもあります。美味しいです。
こんなに旨い蕎麦なのに、食べられない人もけっこういるんですね。
そう、蕎麦アレルギーを持つ人です。
私の友人の女性もかなり強い蕎麦アレルギーで、蕎麦枕で寝ても、酷い症状がでいるほどとか。
最近は健康ブームで、お菓子などに加えられていることも多いので、注意が必要です。
子どもにとっては給食も要注意。

この本には、江戸文化好きで、当然蕎麦好き蕎麦屋好きだった、故杉浦日向子さんへの追悼もあります。
彼女、はやくに亡くなられて本当に残念でした。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

藤生明「日本会議」

今日は敗戦記念日。
日本の将来を考えてみようと、この本を読みました。

日本会議。
海外メディアは日本会議を日本最大の右翼団体と位置付けている。
会員は4万人以上。全国すべての都道府県に支部を置く。
現在組閣の議員たちの大部分が会員であり、安倍政権を支えるものとして、改憲、国防、靖国神社の国有化、教育、皇室(男子直系)などについての方向付けは、日本という国をどこに運ぼうしているのか、私など団塊の世代として左派リベラルな人間は心配になってくる。
その日本会議がどんな組織なのか、その成立から詳しく記述しているのがこの本。
しかしこの著者は私見を述べることは避け、取材した事実を挙げ、その本質を考えるのは読者に任せているようだ。
はたして日本会議が「日本を裏側から支配しようとしているシンジケート」かどうかは、読者の判断しだいだ。

国会議員は約290人、地方議員は1800人。
神社庁や新興宗教団体、企業家・・
日本会議の会員はさまざまだが、私に言わせれば「保守反動」勢力としか思えない人たちである。
(もっとも現在は「リベラル」という言葉が死語となっているのだが)。
しかしどの国の政権にも、「影」の勢力はあって、政府はどこもいわゆる「傀儡」なのであるから驚くにはあたらない。
アメリカには「ヘリテージ財団」という米財閥系の組織があって、これはシンクタンクと称されているが、アメリカの国政の方向を決定するものとされている。
いつの時代も政策の中心は国民ではなく、こうした財閥や企業の論理で動かされているのだと思う。

日本会議の正式設立は1990年代とされるが、発端は1967年、長崎大学に二人の学生が入学したことによる。
彼ら二人は新興宗教「成長の家」の教えを信奉する者たちで、当時盛んだった左翼学生運動を制圧し大学を正常化させることが目的だった。
(「成長の家」は数年前から私の住む山梨県北杜市に本部を置いている。)
それがしだいに発展し、「美しい日本」「神聖な国家」を内外に認知させようとする組織となった。

まず「教育の正常化」。
正しい歴史観を教え、道徳を重んじる教育。
それから「靖国の国家護持」を掲げる、
天皇制の強化。
そして憲法を変えること。

他にも日本会議の目的はあるが、大きくまとめると以上のようだ。
これに賛同する日本人は増えているのが現状だが、当然、アジア諸国からは危険な団体として見られている。
ほんの70数年前のあの戦争を「侵略」ではなく、「解放」するためと言いくるめようとしているこの国が、他のアジアの国々から懸念されるのは無理はない。

いつも私が思うのは、人間は歴史からは学ばないということ。
歴を繰り返すだけ。
そんな愚かさがいつまで続くのか。
せめて私たちは、「疑問」に思い、「それて本当にそうなのか」と自分の頭で考えることが大切ではないだろうか。。
先日、北朝鮮がミサイル発射をした際に、東京の地下鉄が停まったが、あれが本当に必要だったのか?あれは何かを扇動しようとしているのではないか?
(あれに対しては韓国からも「過剰反応」と言われている。)

自分の頭で考えるためにもこの本、お勧めです。
posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

ハッチの週間身辺雑記

昨日の山の日から本格的な夏休みの方が多いのでは?
スーパーに行ったらすごい車、車・・
レジには長い列。
都会の人の買い物と地元の人の買い物、支払い方法に違いがあるんです。
別荘族や移住組はカード、地元の人は現金。このシーズンはカード支払い用のレジが長蛇の列となり、ます。

暑いです。湿気が多いのがイヤですね。でも大阪から訪れた人は「なんて爽やか、湿気がない!」と驚いていました。
水曜日などは高原とは思えない33度にまで気温上昇。
もっとも朝晩は涼しいのが都会とは違うところで、ありがたいですが。

夏はできるだけ身の周りを簡潔にするのがいいですね。
というのは、我が家は梅雨明けに暖炉の前に敷いているギャッべをクリーニングに出したのですが、フローリングがそのまま見えている床はなんとも涼しげ。
モノがないのって、こんなにすがすがしいのかと思います。
でもこのギャッべは必需品。暖炉の火の粉が飛んで床を焦がすのを防ぐのが目的で敷いているので、取るわけにはいきません。
冬の間だけ出すことにすればいいのですが、保管場所もないし、ストレッチ体操をするのに床では固すぎる。
なので夏でもまた、敷くしかないですね。
(そういえばハッチの背中に火の粉が飛んで、純毛の焦げる匂いがしていました。「もぅ、やめてよ」という顔で脇によけてましたけど)。

2週間前に漬けた梅を、天日干しています。
「もう赤紫蘇がなくて。。」と話したら、生活クラブを届けてくれる方が、「来年から私に言ってください。我が家にいやと言うほどありますから」と、うれしい言葉。
彼女は庭でたくさんの野菜を作っていて、一人暮らしなので消化しきれないのだとか。
近くの自然食品店の女性も、「自宅で採れた胡瓜、あげるよ」と言ってくれることも。でもそのお店では別の人が作って持ってきた胡瓜も売ってるんですよ。
みんな、なんて良い人なんでしょうね。
第一、その自然食品店が私に生活クラブをお願いするよう薦めてくれたのです。扱う商品に同じようなのが多いというのに、商売気がないというか、太っ腹というか、ここに住む人たちの素敵な「気」に包まれているのを感じます。

私の友人がお母様の介護問題でこのところ悩んでいたのですが、やっと良い解決方法に向かってきたようです。
老人ホーム入居資金のためのマンション売却が成立し、ホームも近くで見つかりそうだとか。
介護はある人が「終身刑になったような気持ち」と言っていましたが、行き場がない不安が一番心弱るもの。
彼女、ここ2〜3カ月は本当に心配だったことでしょう。
メールに「今日やっと、美味しいと思って夕食を食べることができました」と書いてあるのを読み、どんなに彼女が大変だったかを改めて思いました。
良かったです。

今年は例年より「ミョウガ」が生るのが早いみたいで、近所の農家の方がたんと持ってきてくださいました。
「みょうが、好きかね?こんなに迷惑かね?」
とんでもない!
私は大の大のミョウガ好き。
麺類の薬味にはもちろん、食欲がない時は、ミョウガとおかかに醤油を混ぜたモノ、それと辛味大根があれば混ぜたのを熱々ご飯に乗ってると、2杯は食べられちゃいます。
ミョウガを何度か植えたのだけど、どういうわけが我が家では生育しなくて、もう諦めました。
こちらでは頂くし、農家のおばさんの出店で買っても安いのです。
東京のスーパーなどでは、3ケ発泡スチロールのトレイに入って、150円くらいしますよね。信じられない値段です。
こんなにミョウガ好きな私なのに、弟は大嫌い。同じ家に育っても食の好みは違うもの。
夏はみょうがと香菜(パクチー)があれば、私はご機嫌です。

夏休み真っ盛り。
植木屋さんにはお盆休みがないのかな?
今日から我が家の庭に職人さんに入ってもらいます。
伸びすぎてせっかくの南アルプス駒ケ岳が見えなくなってきたねむの木などを伐ってもらったり、桜の芯止めもしてもらう予定なのでその下見とか。
芯止めをすると今以上には上に伸びず、枝を張るようになるのだとか。
上に伸びると眺望ぜ絶佳が台無しになるし、閉塞感が増しますから。
でも芯止めは秋が適しているそうで、秋まで工事はお預けです。
「桜、切るバカ」と言いますが、切り口を養生して、そこから雨が入らないようにすれば大丈夫。
我が家の隣の山荘はご主人が亡くなって売りに出されていましたが、この眺望ですぐに買い手がついたそうです。
前に電線がないのも好条件だったと聞きます。
たしかに南にも北にも山がある土地ですけど、ここほど眺望があるところは珍しいのです。
ここに来た人は「まぁ、こんなところがあるのね!」と驚きます。

この植木屋さん、本職は植木なのですが、ぶどう作りもしています。
両親のぶどう畑、高齢になってできなくなり、彼ら息子夫婦が昨年から担うようになったのです。
でも昨年はぶどうに病気が発生し、まったくというほど収穫ができなかったそう。
ぶどうは栽培が大変なのです。ずっと丹精込めて育てたというのに気の毒でした。
高級なシャイン・マスカットをここまで引き売りしに来てくれる約束になっていたのに、残念でもありました。
今年は大丈夫かな?
シャイン・マスカットは高値で取引されるので、ここのところ栽培農家が増えてます。なにしろ一房、1500円〜2500円くらいします。
スーパーでは10粒くらいで売っているほど。
確かに大きな粒なので、5粒も食べれば満足でいます。
だからどこでも作るようになってきたので、あと数年すれば値崩れすると言われています。
でもそうなると、また新品種が開発されるのでしょうね。そして農家の手間は増えるばかり。。
日本の果物のあの完成度って、本当必要なの?と疑問を持ちます。
粒のそろった見事なさくらんぼとか巨峰とか。。
あれを作るためにどれほどの努力をしているのか。さくらんぼ一粒が300円なんてのもあると聞きます。
それにあんなに甘くなくてもいいと思いませんか?

いろんなことを考え始めると、ますます暑くなるのでやめにします。
どうか皆さま、楽しい夏休みをお過ごしください!
posted by 北杜の星 at 07:19| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

ハッチの週間身辺雑記

迷走台風5号、進行ルートが13と言われていて、どこに進むか不安な土地がたくさんあるようですが、とくに九州の大雨被害地に追い打ちしないよう祈るばかりです。

今年は初めて我が家にできた梅で梅干しを漬けました!
せっかく植えるのならと、白梅は南高梅を選んで7年目くらいになるかな?
花は美しく咲き、香も素晴らし士のに、実が小さく貧相で「これ、本当に南高梅?」というほど毎年ガッカリしていたのです。
ところが今年はスゴイ!
少ないものの、約1キロほど採れました。大粒で香の良い完熟の梅です。
塩漬けし、水が上がってきたので、赤紫蘇を塩もみして入れました。
この赤紫蘇が問題で、この寒冷地では梅が生るのが遅いのです。赤紫蘇がもう終わっていることも。
でも生活クラブで注文できたのはラッキー。
あと一週間したら干します。もう土用は過ぎたけれど、真夏の太陽の下で3日〜5日間、昼も夜も干すつもり。しっとりした方が好きなので、赤紫蘇梅酢にまた戻す予定です。

梅干しはN子さんが毎年作ったのを下さっていました。それが庭の梅がダメになって実があまり採れなくなったそう。
我が家にまで回って来なくなりました。
彼女の梅干しは本当に塩加減が絶妙で、それは毎回、美味し出来でした。
塩は多分13%くらいだったかな?

今回、迷ったのは、この塩加減でした。
減塩の梅干しは食べるには美味しいけれど、私はあまり焼酎を使いたくなかったのです。
昔は塩だけで梅干しをつくっていましたよね。
その昔ながらの作りかたで作ってみようと思い、塩を17%にしてみました。
これならカビの心配がないので焼酎はほとんど必要ないくらい。
塩がなれるまで、1年間は置くつもりなので、カビさせたくないのです。
我が家ではオムスビに入れるのに使うことが多いので、少しくらいしょっぱくても大丈夫。
1年後が楽しみです。
残った赤紫蘇でジュースも作って、これは夫がゴルフの時の飲み物として活躍しそうです。

土用も過ぎたけど、鰻は食べずじまい。
近々友人たちと一緒に隣町に食べに行こうと話しています。鰻は待ち時間が長いので誰か楽しい人たちと一緒に、お喋りしながら出てくるのを待つのが一番。
でもその食べに行く日程がなかなか合意にいたらない。
うぅ、もう待てない。
一緒に行くのは別として、私たちだけで鰻、食べに行こうということに。
その鰻、そこで食べるのではないのです。
ある友人から面白い話を聞いたのですが、岡谷(女工哀史の紡績工場で有名ですね)に川魚店があって、そこで鰻の蒲焼をテイクアウトできるのだとか。
そして斜め前にあるコンビニでご飯をチンして買って、どこか近くの公園で食べるといいよと。
鰻はとっても美味しいのだそう。
でもチンしたご飯はどうも。。と川魚店でお弁当にしてもらうようお願いしてみたら、それは数日前からの予約のみだそうで、結局コンビニのご飯となりました。
コンビニのご主人に買ったばかりの鰻のことを話すと、「ここの鰻は岡谷で一番」とのお墨付き。
「どこか公園ありますか?」と訊ねると、「ここで食べれば?エアコンが涼しいし」と親切に言ってもらい、店内のイートイン・コーナーで食べさせてもらいました。
これがホント、すごーく美味しい鰻!
まぁ、チンしたご飯の上に乗っけて食べるのが、わびしいと言えばわびしいし、忙しないと言えば忙しないのではありますが、鰻には大満足。
この川魚店は大当たりで、しかも学生のような面白い経験をした感じ。コンビニのご主人、御親切ありがとうございました。
これで友人たちとの鰻会が当分後になっても、我慢できるでしょう。

今年も沖縄の友人からマンゴーが届きました。
先月はパイナップル(おっといけない、これは「パイン・アップル」と呼ばなくてはいけないブランドパインなのだそう)を送ってくれた同じ友人からです。
彼に対してのお返しは実に簡単。
蓼科にある蕎麦工場の生蕎麦を御所望なのです。この蕎麦、けっして「こだわりの」蕎麦ではないのです。ごく普通の工場製品。)
「あんな蕎麦でいいの、本当に?」といつも訊ねるのですが、あれが好きなのだと言い張ります。
もう20年以上、お返しとして送り続けているのですが、いつも恐縮しながらマンゴーを頂いています。

来週あたりから、夏休みは八ヶ岳でという人たちで、ここは混雑することでしょう。
スーパーの駐車場はいっぱいで交通整理が出るし、どこのレストランも大入り満員。
その前に私たちは買い出しをすませ、1週間くらいはどこにも出かけなくてすむよう準備します。
いつ友人の来訪があっても大丈夫のような食品も揃えなくては。
でもこのところ、夏のお客様にはカレーか冷たいパスタと決めているので、気分的にはラクです。
あとはサラダとか簡単な前菜が数種類あればOK。
もうあんまり頑張らずに、気楽に迎えることにしたのです。
来てくれる方も気分が軽いですからね。
年々と踏ん張りがきかなくなって、それなりでいいやと、思えるようになりました。
その変わり、いつ来てもらっても、何度来てもらっても歓迎です。
夫も以前よりかなり手伝ってくれるようになったし。

台風、どうなるか?
地震や大雨被害の九州が心配です。


posted by 北杜の星 at 07:24| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

飛田和緒「郷土汁」

こんなにいろんな食材が全国流通する世のなかになってもまだ、知らない食べものがあるし、その土地に行かなければ味わえない食べものがある。
そうしたものに旅先で出会う歓びは大きいし、そのためにだけに旅する人だっている。
この本には47都道府県の特色あるその地の汁ものが紹介されていて、その数じつに102椀。
味噌汁、吸いもの、すまし汁、すり流し・・
季節を感じる汁が並ぶ。
(ちなみにお吸いものとお澄ましの違いは、懐石料理などに出る汁はお吸いもので、肴としての汁。お澄ましはご飯のときの汁。どちらも透明度が高い汁を言うそうです。)

私はスープを含め、汁ものが大好き。食事の時にはいつも汁が欲しいし、懐石のときにもっとも楽しみなのが椀ものだ。
ところが夫は汁などなくていいという人だった。お味噌汁はむしろ嫌いで、鍋ものは大嫌いだった。
でもここ数年、変化してきた。
ご飯のときに「今日は汁ものは何?」と訊くようになったし、冬には鍋もかなり喜ぶようになってきた。
体の調子が悪いときにはスープを作ってとリクエストがあったりする。
そんな彼のためにも毎日同じ汁ものではなく、目先の変わったのを時にはと思い、これを読んでみた。
美しい写真とレシピつき。
食材調達がそんなに無理ないものが選ばれているようだ。
ご馳走というのではなく、普段の汁というのがありがたい。

汁には出汁が必要。
まずその出汁からはじまる。
昆布、かつお、あごや煮干しなど。(春の終わりに福岡出身の方から、出汁用のあごを頂いて、2ヶ月間ずっとそれを使っていた。ふだんの昆布とかつお以上に濃い出汁がとれて美味しかった)。
でも出汁は魚系からだけではないんですよ。ここには出ていないが、以前マクロビを実践していた頃には、干し椎茸や大豆や干瓢なども使っていた。

それにしても、名前を初めて聞く汁の多いこと。
けの汁(青森)、まめぶ汁(岩手)、どんから汁(山形)、こしね汁(群馬、これは群馬名産のこんにゃく、しいたけ、ねぎの頭文字をとっている)、こくしょ(岐阜)、はち汁(兵庫)、つぼん汁(熊本)、、などはこれまで知らなかった。
有名だが未経験なのはなんといっても、いちご煮(青森)だ。うにが入っているなんて贅沢だなと、いつか食べてみたいと思いながらまだ食べたことがない。

汁は入れる具によって季節感があるのがいい。旬の筍とわかめの若竹汁などはその典型だ。鮭の粕汁は冬ですよね。、夏には冷や汁をご飯にかけるのも食がするむ。
汁をご飯にかけるのは行儀が悪そうだが、ぼっかけ汁なんて本当に美味しい。
そういう時はお漬け物があれば十分。一気に食べてふぅっと息をつく。

具がほとんど同じでも、牛肉か豚肉かで、味噌味にするか醤油味にするかがあるのが、芋煮汁だ。
私の好みは牛肉の醤油仕立ての方だが、どちらも寒くなりかけの季節に大鍋いっぱい作ってみんなで楽しむものなのだろう。
旅行好きだった義父は生前よく「冬の北陸のたら汁は本当に旨かった、あれがもう一回食べたい」と言っていたが、あれも私は未経験なのが口惜しい。

どれも作ってみたいが、あんこが甘そうな汁だけは苦手だな。地方によってはそんなお雑煮もあるようだが、あれは生れた時から慣れていないと無理じゃないかしら。
味噌を使う汁も、赤味噌、白味噌と地方色が出る。
私はどちらも大丈夫な人間で、しじみ汁は赤、里芋や牛蒡には白が好き。
私の超簡単お澄ましは、とろろ汁だ。これはこの本にも載っている。
お椀に塩昆布(すっぽんエキスで炊いた「松の葉昆布」があれば最高)とおぼろを入れて、お湯を張る。それだけ。
塩昆布がなければ梅干しを入れて、出汁醤油をまわしかける。あとは三つ葉を散らせば美しくなる。
何も汁ものがないときとか、東京のデパ地下でお弁当を買って帰ったときなどは、汁はこれに決めている。

夫が「今日は味噌汁はないの?」と訊ねるようになるまで、頑張ります!
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

ハッチの身辺雑記

ハッチがいなくなってちょうど半年。
「水を変えてやらなくっちゃ」「トイレの砂を取ってやらねば」「あ、待ってるかな?」・・
そんな思いはもうなくなりました。
徐々に彼女の不在には慣れてきましたが、でも、猫のいない暮らしのさみしさはどうしようもありません。
ずっとずっと猫と暮らしてきたのですから、しかたありません。

「ハッチのライブラリー」のこのブログをどうするか?
私の目もそろそろ限界に近づいてきています。
印字本を読む時の私の視野はほんの3文字くらいなので、読むのに時間がかかる。
そうして読んでいるとすごく疲れる。
だから点字本のほうに、読む楽しみが最近では増えてきています。
だけどこちらはこちらで、一冊を読了するのに10日から2週間もかかってしまう。
そんな頻度で読書ブログとして成り立つのか?
それに読書はブログを書くのが目的ではなく、あくまで楽しみのため。追い立てられるように読書をしたくありません。

ずいぶんと考えました。
いろいろアドバイスをしてくれる友人もいます。
それで私なりの結論として、できる範囲でやってみよう。アクセス数はすごく落ちるでしょうが、もともとページヴューは500〜700くらい。
毎日書いていた以前は1000を超えることもあったけど、写真もなくイラストもなく、文章だけの地味なこのブログを、それでもよく訪問してくださるものだと、書いている自分が驚いているくらいです。

友人たちは「これで、田舎に行ったあなたの動静がわかるのよ」と言います。
久しぶりに会った友人が「ブログでいつも会ってるみたいなものだから、昨日会ったみたいよ」などと言われると、こちらとしては「えー、それってちょとフェアじゃないみたい」という気分になります。私のことだけわからないでよ、と。
でも確かに彼女たちの言うとおり。
こんな田舎暮らしのあれこれ、きっと都会に住む人にとっては珍しいのかもしれません。
これまで山口、広島、大阪、東京と住んできたので、各地に友人がいます。もしそれらの人たちがこのブログを私の挨拶がわりと受け止めてくれているのなら、それはそれです。
またこのブログが縁でお付き合いが始まった人も3人います。彼女たち、いまでは私の大切な友人です。
(そのなかの一人はこのすぐ近くに住む人で、一昨日は自家菜園で採れた新鮮野菜をどっさり届けて下さいました)
人生はなにが縁となるかわかりませんね。

これから週に2〜3回ほどしかアップできないと思いますが、それでももしよかったら、覗きに来てください。

ブログといえば私がファンの「ばーさんがじーさんに作る食卓」といのがあります。
現在70代後半の奥さんのばーさんがご主人のじーさんとの二人暮らしの食事を作り、それをじーさんが文章と写真で紹介するもの。
(ばーさんはPCが使えなくて、グラフィックデザイナーのじーさんが替わりに書いているようです)。
このブログはこれまでも大人気で本も出版されています。
彼らは小学一年生のときの同級生。京都の郊外に住み、野菜を育て、まったく外食なしの食生活をしています。
しかもその食事は和食がほとんどなくて、エスニックやイタリアンなど、よく80近くで毎日こんなの食べられるとびっくりするくらい、ハイカラなんです。
このご夫婦の人がらがそのまま伝わってくるこのブログを楽しみにしているのですが、ここ2カ月半、更新されていません。
ばーさんが(多分)脊柱手術をうけられたのしょう。術後のリハビリを含めて再起までに2か月と書かれていたのですが、そろそろ3カ月。
本当に心配しています。
一日も早い復帰をと願っています。

そのことをある友人に話すと、「あなたのブログを読んでいる人にもきっと、あなたの目を心配している人がたくさんいると思うよ」と言ってくれました。
思わず涙ぐんでしまいました。
私が一度も会ったことのないばーさんの心配をしているように、誰かがどこかで同じように私のことをほんの一瞬でも考えてくれているかもしれない。。
なんだかすごーくありがたくて、元気になれますね!

元気をもらうためにももう少し、続けてみようと思います。
でも完全に印字本が読めなくなった時には、その時には、閉じます。

八ヶ岳は例年にないほどムシムシし、湿気が多い夏となっています。
新鮮野菜をたくさん食べて、乗り切ります。
みなさまもどうぞご自分なりの暑さしのぎで、頑張ってください!!
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

ハッチの週間身辺雑記

19日に関東甲信越地方は梅雨明けしましたが、もうずいぶん以前か暑いです。
でも東京と違うのは、ここはやはり高原。朝晩は長袖を着ていますし、エアコンはまだ一度も使っていません。こう書くとこの暑さ、イヤミのようですが、でもまぁ、冬の厳しさがあるので、おあいこでしょう。

先週はいろいろ出かけたりイベントがあったりしたので、今週はおとなしく過ごしました。
夫は夏風邪をひいたようで、声がハスキーになってしまったのですが、本人は「苦しくは全然ない」とのこと。
それでゴルフは2度プレイしていました。
高原リゾート地とはいえ、夏の昼間のゴルフ場はすごく暑いと思うのだけど、おじさんたち、みんな元気です。

この季節に毎年届く果物。
一つは群馬県みどり市の友人から送られてくるブルーベリー。今年のブルーベリーはひときわ大粒で、すごく甘い!
これはいつもジャムにはせずに、フレッシュなまま食べます。ジャムにするにはもったいない。
カウンターの上に洗ったブルーベリーの籠を出しておいて、そこを通るたびにつまむのが楽しい。
もう一つは沖縄からのパイン・アプル。
これはパイナップルと呼んではいけない沖縄唯一のブランド・パインだそうで、その香の強さはすごいものがあります。もちろん甘みも強いです。
こんな甘い果物をいつも食べていたら糖尿病になるのではと怖くなるくらい。
このパイン・アップルは我が家を訪れた友人知人にお裾分け。みんな「何、この甘さ」と驚いています。

美味しいものを食べた後は体を動かさないと、ネ。
ここのところ数回続けて体操教室に通っているので3、体が軽い。
この体操教室は私がお世話になっている鍼灸の先生が催されているもので、呼吸法をメインとしています。
ここでは私がこれまで経験したいろんなボディ・ワークが取り入れられているので、慣れているせいもあり心地よいです。
東洋的な動きと呼吸法が多く、現在は「棒」を使う中国健康法を習っています。
これがなかなか、難しい。
棒を持ちながら緩やかない身体を動かし呼吸をするのですが、その棒の遣い方がいくつものパターンがあって、みんなバラバラ。
誰も性格に動けていないというか、覚えていないというか、身体だけでなく頭の体操にもなっています。
私はもともと「先端恐怖症」なので、こうした「棒」を使うのは苦手。
30人以上の人が全員「棒」を振り回すと考えただけで、背中が凍りそうですが、なるべく「棒」は見ないようにしています。
この先端恐怖症は小さい頃からで、お裁縫が大嫌いなのもそのせい。
とにかく先がとんがったものは怖いんですよね。

人間にはそれぞれ恐ろしいと感じる対象が異なっていて、あるひとは高所恐怖症とか、狭いところがダメなひと、その反対に広いところがイヤというひともいます。
海老や蟹などの甲殻類がとにかく怖いという三島由紀夫のようなひとも。
よく、奥さんがコワイという男性がいますが、あれはコワイふりをしているだけだと私は思っているのですが・・
そう言えば、いま思い出しました。作家の山口瞳の奥さんは大の飛行機嫌いで、あの飛行機の中でみんなが前を向き坐っていると想像しただけで、気持ちが悪くなると言っていたとか。

この体操教室へは夫は参加しません。彼は私を送って行ってくれるだけ。帰りは友人が家まで送ってくれます。ちょうどお昼ご飯時なので、軽く一緒に我が家で食べてもらいます。
別に特別なご飯ではなく、私たちが食べている普通のご飯。
今週はキーマカレーでした。夏はカレーですよね。デザートは甘夏ゼリー。

夏になるとこのあたりは「虫」が飛び交います。昆虫は男の子なら好きでそうが、歳をとった昔の少女には「敵以外のなにものでもありません。
飛んでいるものはなんでもイヤ。しかもそれに刺されたり喰われたりするのは耐え難いです。
この数日、私と夫は体のあちこちを数か所、何かに喰われて、大きく赤く腫れています。その痒いことったらなく、キンカンの消費がすごいです。
これはきっと絨毯かあるいはソファのマットレスとクッションが怪しいと、洗濯できるものは洗濯し、干すものは干し、大変な重労働をしました。
何が原因か分からない。ハッチは天国にいったけど、これはハッチの置き土産のダニか?
結局、絨毯はいつものところにクリーニングに出すことにしました。
そこに出すといつも電話がかかって来て「煙草の火の焼け焦げがすごいですが、できるだけ修復しておきました」と。
煙草じゃないんです。暖炉の火の粉が飛んで、焼け焦げになるんです。。
そう言えば、薪がハゼ始めたらハッチは火の前から離れたものでした。

今週テレビを見ていて、すごーく懐かしかったことがありました。
外国人が日本に住む理由とかいう番組なんですが、そのなかで広島に住む外国人男性が「がんね」という江田島にある海水浴場がさびれてしまったので、その海岸を復活させようと運動しているという話。
「がんね」という言葉に「えーっ、がんね!」と反応しちゃいました。
「がんね」は昔よく泳ぎに行ったところです。宇品という港から夏だけ海水浴のために出る船があって、それに乗って泳ぎに行ったのです。
当時は「がんね」が江田島であることすらしりませんでした。
そうか、あれは江田島だったのか。。

あの頃は夏になると、ふだんは人の住まない瀬戸内海の島に船が就航して、海水浴客を運んでいました。
海の家をありました。

でもそういう島の海水浴場はすっかり人が行かなくなったんですね。
だって水着や浮輪や着替えなどの荷物をもって、バスや電車で港まで行き、そこから船に乗る・・なんて時間がかかるし大変。
車に荷物を乗せて海辺まで行けば手軽で、もし犬を飼っているなら犬だって一緒に行けます。
広島の人たちは高速道路を使えば簡単に山陰の海にも行けるようになったそうです。
だから「がんね」のような島のところには誰も行かなくなってしまった。
だけど、だからでしょうね、海はとてもきれい。
その「がんね」、テレビを見ているとすごーく行きたくなりました。

ここ八ヶ岳南麓の子どもたちは、どこの海に泳ぎに行くのでしょうか?プールはたくさんあっても海に行きたいですよね。
山梨には海がない。
新潟かな?それとも愛知か三重?もしくは伊豆?
どこに行くにしてもちょっと長いドライブです。
瀬戸内の子どもたちはそういう意味で幸せです。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

ハッチの週間身辺雑記

豪雨の地域があるというのに、ここ八ヶ岳南麓は空梅雨気味。天気予報で雨の日も、前日の予報では曇りに変わり、でもその日になれば快晴。
そんな日々が続いています。
田んぼは大丈夫かと、野菜一つつくってない私ですら心配になります。

1週間前、ある講演を聴きに行きました。
講演をしたのは、1968年生まれの小林幸一郎さんという視覚障害を持つ方です。
彼はフリー・クライミング、ボルダリングの世界チャンピオン。
目が見えなくて、岩登りができるの?そんなことがどうして可能なの?
それが知りたくて、小林さんの話を聞いてみようと思ったのです。

小林さんは16歳のときにフリークライミングを始めました。それまで運動は大嫌いだったとか。
けれど28歳とときに失明を告知されます。網膜色素変性症という遺伝子の病気でした。
失意でいっぱいになりながらも、彼はフリークライミングは諦めませんでした。
そしてイタリアやフランスでの競技において、世界チャンピオンとなったのです。
彼の競争相手は190センチの身長のスペイン人やイタリア人。小林さんの身長は157センチです。スゴイですよね。
彼の話しを聴いていると、出来ないことはないんだな。自分が自分で壁を作っているのだと、つくづく思いました。
「自分が何をしたいかがわかると、必ずそれを助けてくれる人がいる」という彼の言葉が印象的でした。
運動オンチの私もちょっとフリークライミングを試してみたくなりました。今度機会があれば、是非、と考えています。

月・火と一泊で、草津温泉に4組の夫婦で行ってきました。
8人のなかで草津に行ったことがある人は3人。でも誰も旅館に泊ったことはない。
東の草津、西の有馬と言われる超有名な温泉地だというのに。
もともとあまり温泉フリークではない私と夫は、大きな温泉街のある温泉地に興味がなかったのです。でもいろいろ調べていて、泊ってみたい宿が草津に見つかりました。
「さぁ、予約」と電話したら、2組までしか受け付けないと言われました。つまり騒がしい客はお断りという落ち着いた宿なんですね。どうりでネット予約をしようとすると、どの日も「2組」の空きと書いてあったはずです。
「静かにしてもダメですか?」と聞くと、大笑いされて「すみませんが。。」と断られました。
それで、その宿の本館というか親旅館に宿泊することに。ここは100年以上前のシブイ素敵な木造建築。でも設備は新しく快適で、食事もとても満足できるもので、みんな大満足。
初めて体験する草津のお湯も、こんなのに毎日入っていたら、どんなに美しいお肌になるだろう・・と思うほど。

これまで写真や映像でしか知らない「湯畑」は、宿から徒歩8分。そぞろ歩きの温泉街は思いのほかしっとりしていて、建ち並ぶ お土産屋や旅館など、けばけばしくなく品があって、さすが草津と感心しました。
「湯畑」は、もし教会でもあればまるでどこかヨーロッパの町の広場のよう。
温泉玉子や温泉まんじゅうなど、「これぞ温泉」というお土産を買い込みました。(群馬って、あまり名物がないんですよね。下仁田ネギとかうどんとかこんにゃくくらい)。

だけど、私、見つけたんです!
靴フェチの私の本性が出ちゃったのです。そう、靴の店。そてもスニーカーの店です。
ここに興味を持ったのは私だけでなく、Kさんという女性もでした。
メンズもレディスのスニーカーもあるのですが、他の人は眺めるだけ。私とKさんは俄然、買う気まんまん。
夫が「こfれが、いいんじゃないの」と見てくれたのは、なんとラッキーにもアウトレット品。ちょとワケありの商品で7000円引きとなっていました。
そのワケとは、ウィンドウに飾っていたため、太陽で少し色落ちしていたのです。
Kさんも素敵な品を購入。意気揚々と旅館に戻りました。

私が買ったそのスニーカーは、広島のブランドで、なんと私が数年前に広島に行ったときに、たまたま履いて行った靴がダメになりデパートで買ったのと同じだったのです。
「spingle move」というブランドです。
ここは以前はゴム長靴とかゴム手袋とかを製造していた会社で、何年か前から若いデザイナーたちを登用してスニーカーを作るようになったところです。
現在では伊勢丹三越や東急など、全国展開するようになったのです。
それにしても草津温泉にその専門店があるなんて、びっくり。
派手な色のスニーカーが欲しかったので、きれいな赤茶はうれしいです。一昨日Kさんに会ったら、彼女も買ったのを履いていてお互いニッコリ。

草津の帰りには、上田でルバーブのジャムや「ル・ヴァン」のカンパーニュ(私はル・ヴァンのパンが一番好きです)を買って、友人から教えてもらった山の中の自家製チーズ屋さんで、フレッシュの山羊のチーズやカチョカヴァッロも買って、帰宅。
これは本当に美味しいチーズでしたが、通販はしていないみたいで、あそこまで1時間半以上かけて行くしかないのか。。
曜日によって作るチーズが違うそうで、木曜日にはモッツァレッラがあるそうで、木曜日を目がけて出かけられればと考えていますが、これからの季節は、白樺湖方面はすごい混雑となりそうですよね。

14日はこちらのギャラリーで開催中の「エメラルド展」をのぞいて来ました。
このエメラルドのジュエリーは川添微さんという女性が、コロンビアの山奥に危険を顧みず自ら赴き買い付け、自分でデザインしたもので、この模様はテレビの「情熱大陸」で彼女が取り上げられたことで、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こちらのギャラリーで数年に一度、展示即売をしています。
今は結婚しバリ島に住み、二人の子どもを育てていますが、以前と変わりなく、いいえ、以前にも増して素敵な女性になって、エネルギー全開で生きています。
エメラルドはスニーカーと違って「これ、下さい」という値段ではないので、とても買えません。

でもお金があっても、エメラルドは私の石ではないような気がするのです。
緑石や赤の石には昔からまったく惹かれません。私を魅了するのはラピスラズリの深い青なのです。どいういうわけか昔からあの青が好きです。
「微ちゃん、ラピスは作ってもらえる?」と聞いたら、彼女は「私は石のコレクションは、ドラム缶3つくらい持ってるから、できますよ」とのこと。
彼女はラピスのためにスリランカに行きたいと思っているとも言っていました。
よくヨーロッパの女性で、いつもいつも同じピアスやネックレスをしている人がいますが、私も「あぁ、あのラピスの人ね」と言われるようになりたいのです。
さいわいにもラピスはエメラルドのように高価な石ではありませんが、今やとてもビッグになった彼女に、こんなお願いをしていいものかと逡巡しましたが、彼女は「ううん、リフォームのデザインとかもしてるから」とのこと。ラピスのデザインは楽しみと言ってもらえたので、ホッとしました。

きっと誰にもその人の「石」があるのだと思います。
自分に合った「石」を身につけていると、守ってもらえるような気持ちになります。その感覚は、自分と地球の太古からの何かとつながる感じなのかもしれません。

そして昨夜はチキンカレー・パーティ。
夏はカレーが食べたくなる。つい10日前に友人が来たときにもカレーだったのだけど、また作りました。
いろいろ夏野菜が出て来たので、どっさりのサラダを添えて。
カレーだとみんな気兼ねなく食べてくれるのがいいですね。

そんなこんなのハッピーな1週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

ハッチの週間身辺雑記

北九州地方は大きな豪雨被害ですが、このブログを読んでくださっている方々はご無事でしょうか。
最近は地球全体の気象が狂っています。いつでもどこでも、そして誰もが被害にあう可能性があります。
私の住むここには大きな河川はないので洪水は起きないですが、山林なので土砂崩れはあるかもしれません。
どんな備えをすればいいのか?どこに避難すればいいのか?物資はどう調達できるのか?確認しておくことも大切ですね。

被害にあわれた方々には申し訳ないのですが、こちらは大雨は降ったものの平穏です。
一週間前の土曜日、映画を見に行きました。映画といってもロードショーではなく自主映画です。
私は目が不自由なので、はっきりと画面はわからないのですが、それでも瀬戸内のきれいな海を感じることができました。
映画は「祝福の海」というタイトル。
31歳の東条雅之監督が撮ったものです。

山口県長門市で自給自足で暮らす「百姓庵」では、農作物ばかりではなく、塩もつくっています。
命の源の海。その海水を釜で煮てつくらる塩は、人間の体液と同じ塩分濃度。ミネラルいっぱいの塩です。
「百姓庵」でく暮らしていた東条さんはやがて、原発反対運動の島として知られる祝島のことを知ります。
祝島は長い間中国電力の原発建設に反対し、島のおばあちゃんやおじいちゃんが「海をお金では売らない」と、島の自然を守ろうとしているところです。
原発ができると、そこからの廃液の流出で、海水温が7度上がるそうで、そうなれば漁業はできなくなります。
反対派もいれば推進派もいて、島は必ずしも一枚岩ではなく、お互いの反目も強いものがあるのでしょうが、最近ではIターンやUターンの若者たちが移住してきて、おばあちゃんたちと一緒に闘っています。
若い彼らは島のお年寄りからたくさんの生活上のことを教えてもらってもいます。
彼らの輝く顔を見ていると、こちらまで希望が感じられハッピーになれます。

なにより海が美しい。
岡山や広島は産業都市なので、瀬戸内海には工業地帯がならんでいます。
でも山口の祝島あたりの海は本当に自然に溢れているのですね。この海を見ると、誰でも「これを守りたい」と感じると思います。
私は塩が大好き。もう40年近く前から、世界各地の塩を試しています。それを知る友人たちは旅行に行くと、私へのお土産に塩を買って帰ってくれます。
映画の百姓庵の塩づくりを見たら、もう我慢ができずに、さっそく注文しました。
この春にできた塩2種類。
春になると海には藻が出ます。その藻と海水を一緒に煮詰めてつくる「藻塩」。
それともう一つはあのあたりの藻で有名な「アカモク」の「藻塩」。これはちょっと貴重な塩だそうで、食卓でのかけ塩として使います。
これまでも山形県で買った藻塩が美味しくて、なんであれはあんなに美味しかったのだろうかと不思議だったのですが、藻って、味が出るんですね。
昆布ほどではないけれど出汁がでる。それを煮詰めることで味が凝縮されて、さらに美味しくなるのだそうです。
そういえばフランスのゲランドでも藻入りの塩がありますね。
そして良い塩は、海だけでなく海にそそぐ川も大切。
汽水域でとれる塩は美味しいんです。山口県長門市の塩も汽水域です。
これも南フランスのカマルグの塩は汽水域の塩。
カマルグの塩は毎年、友人がプレゼントしてくれ、いつも我が家のテーブルにあります。
(ちなみに、日本の塩で塩化ナトリウムが少なくてミネラルが最も多い塩は、「粟国の塩」のようです。「雪塩」はその次くらいかな)。

映画上映に際して、東条監督が和歌山からわざわざ八ヶ岳までやって来て、挨拶をしてくれました。
そのときに彼が話したことが、私にはちょっとした衝撃でした。
彼は大学は北海道大学だったのですが、「卒業後、仕事以外に、どんなテーマを持って人生を生きようかと考えた」と言ったのです。
仕事を選択するのでさえ一大決心なのに、そしてそれすらままならないのに、彼にとっては「人生のテーマ」がそれ以上に重要だったのです。
。。若い頃、私はとてもとてもそんなことは考えていなかった。
今の若いひとはなんてすばらしいのだろうと思いました。
こういう若い人たちにこれからの地球を託せるのは、本当にうれしいことです。

私の住むここ八ヶ岳の北杜市長坂町は、日本の国蝶のオオムラサキの生息地です。
今年も我が家んテラスに飛んで来てくれています。
蝶は苦手な私でもオオムラサキが来ると「今年も来てくれてありがとう」という気持ちになります。
私の目にもオオムラサキは他の蝶とは違うのがわかります。というのは、飛び方が違うんです。
てふてふと翅をわさわさするのではなく、どう言えばいいのか、まるでコウモリのようにすーっと飛ぶのです。
オスの方がきれいなのは自然界の常ですが、あまりオスは見かけず、飛んで来るのはいつもメスの方ですが、それでもうれしい。

うれしいと言えば、今年はホタルがたくさんいます。
時期が良かったのもあるし、風がなかったことや新月だったこともあって、田んぼの用水路にたくさん飛んでいました。
友人夫婦を誘ったのですが、彼らは初めてこんなにたくさんのホタルを見たと感激していました。
田んぼにホタルが多いということは、農薬が少なくなったのかな。
日本のホタルははかなくていいですね。
イタリアでホタルを見たことがあるのですが、点滅しないでずっと点灯しているホタルで、しかもその灯りの大きなことったら、風情がなさ過ぎ。
ずっと点灯しているのでは、見るのにも飽きちゃいます。

そうそう、書きわすれるところでした。
今週は、東京から友人が遊びに来てくれました。
その日は夫がゴルフで(そのゴルフにも私の友人が参加してくれたののですが)、小淵沢駅までのお迎えは、裏の山荘のSさんが引き受けてくださいました。
小淵沢駅は新築されて駐車しにくくなっていたりと、ちょっとまごつきましたが、古い駅舎は壊すのでしょうね。本格的な夏のリゾート・シーズンには間に合えばいいですけど。
お世話になったのでSさんにも来てもらって、テラスでネパール・チキン・カレーのランチを一緒にしました。
さいわいお天気がまぁまぁだったし、山も見えたし、東京はものすごい暑かったらしいので、友人がリフレッシュしてくれたのならよかったです。

そんなこんなの、自然を大切にしなければと思った、一週間でした。

posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする