2016年09月12日

穂村弘「鳥肌が」

日常のちょっとした「怖さ」に関する穂村弘のエッセイ集。
怖さといっても、命の危機というシリアスなものではなく、ある人にとっては怖さだけど、ある人にとってはなんでもないというもの。
高所恐怖症の人もいれば高いところが大好きという人だっているし、怖さの感性は人さまざまだ。
ここには穂村さんの「鳥肌が」立つ怖さが集められている。

まず、この本のイラストが私は怖かった。気味悪さが何ともジワリと来る。
本の佇まいが美しいだけにイラストの不気味さが際立っている。
それに較べると、穂村さんの怖さの文章は抑制が効いているというか穏やかだ。
でもその穏やかさに騙されてはいけないんだろうな。だってあの穂村さんなんだものね、と思いながら読んだ。

「うん、うん、なるほど、この怖さってわかるよな」
「えー、穂村さんは、これが怖いんだ」

京都、こわい・・これ、どこかちょっとわかる。
強い母性愛がこわ・・これもある意味の怖さだ。
小さな子どもが大きな犬と遊んでいる・・これは本当に怖いです。何が理由で犬が突然怒って噛みつくかもしれない怖さは、噛まれた経験のない私でも想像ができるし、現実にそういうことって起きているから、その光景を見ると無防備だなと思ってします。
(所詮犬は畜生、そんなに信頼するなと言ったら、顰蹙を買うんでしょうけど)。
小さな子どもに関しては、駅のプラットホームでお母さんが子どもの手を放しているのを見ても同じ恐怖を感じてしまう。
頭が重くて体のバランスがとれない子どもが、もしホームから落ちたらどうする?とやきもきしてしまうのだ。
あれは子どもを守るのを放棄しているとしか思えない。

常連客がたむろしている喫茶店とか、道で立ち話をしている主婦のグループというのも私にはこわいなぁ。
あの「群れる」感覚がどうにもいけない。他人が群れているのを見るのの、自分賀群れるのもご免蒙りたい。
これは多分、穂村さんも同じではないかと思う。

軽く読めて、ちょっと気になる。。そんな一冊。
不思議なのはこの本にはブック・マークというのかな、読み途中のページに挟む紐、あれが3本ついていること。
ふつうは1本。ときとして2本というのは見たことがあるけど、3本というのはめずらしい。
ちょっとした小噺ふうに誰かに話すときに、ページいを探す手間が省けていいかも。
まさかこの紐がこわいという人はいないでしょうね。
posted by 北杜の星 at 07:07| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月09日

たっく「必要十分生活」

「少ないモノで気分爽快に生きるコツ」が副題。
かなりの殺数のミニマリズムの本を読んでいるのにまた読んだということは、私のミニマリズムはちっとも進んでいないということでもある。
ちゃんと実践できていれば、もう読む必要はないものね。
わりと何でも捨てるのが好きな性質の私たち夫婦でさえこうなのだから、モノに執着したり「もったいない」で捨てられない人の家はどうなっているのだろうと、他人さまの心配までしてしまうのは、余計なおせっかいか。

それでもこうした本を読めば、家から20〜30アイテムのモノが消えてゆく。
今回のこの本は男性が書いていて、男性なりの視点から排除すべき対象物が決められるので、それならば我が夫にやってもらおうじゃないのと捨てさせ始めたのだが、まず「ペン立て」jは不要というところでつまづいた。
たっく氏はペンは万年筆とボールペンの2本あればよしとし、ペン立てはもたないこととある。
夫のペン立てには3本のシャープペンシル、数本のボールペン、数本の色鉛筆、数本のサインペン、ペーパーナイフ、はさみ、三角スケールなどが入っている。耳かき棒まである。
「このなかで捨てられるものがあれば、捨てて」と言うと、「うーん」としばらく考えた結果、竹ペンを1本私に手渡した。
「えー、これ1本!?」と尖った声が出たが、「だって全部要るんだもの」とのこと。

たっく氏は仕事場のデスクに置くものはすべてバックパックに入れて家に持ち帰るそうだ。家に帰ったら中のものを傘以外全部出して家の机にまた並べる。
だからいつもどちらかのデスクには、モノがなにもない状態となるそうだ。
そうなると机の引き出しなるものは要らないよね。

その他にもバスタオル、掃除機、プリンター、思い出の品などは不要。靴は3足あれば十分。
そう、バスタオルは我が家でもナシにしている。バスタオルは厚くて大きいので洗濯しても乾きにくいし、収納も嵩張る。
掃除機は私一人になったら、多分使わないと思う。(現在は掃除機は夫の担当)。
考えてえ見るとプリンターもFAXも使う頻度を考えれば、私一人なら不要だ。
問題は靴、、服は減らせても靴が大好きな私にはこれが最大課題となる。3足ということは何を残せばいいのか?黒い皮靴、茶色の皮スニーカーと白のスニーカー?それともブーツ?
靴に関しては夫が私にとvがった声を出します。

そうそう、今年になって台所から「お茶」の種類を整理した。
何種類かのエスプレッソ・カプセル、普通の珈琲豆、紅茶、何種類かのハーブティ、ほうじ茶、薬草茶、煎茶の瓶がずらりとカウンターに並んでいた。
それがだんだん増えてくるのがイヤになって、カプセルはデカフェの1種類、ハーブティや薬草茶はルイボスティだけ、日本茶はほうじ茶だけと決めたのだ。
時々煎茶を頂くが、一度飲むとあとは(申し訳ないけれど)捨ててしまう。
でもこれを決意しただけでずいぶんとカウンターがすっきりしたし、何を飲もうかと迷うことがなくなってすっきりした。
夏の間だけ、はと麦茶を毎日煮出しているけれど、これもそろそろ終わり。
ただ大好きな虎屋の「夜の梅」を食べる時には、やっぱりお煎茶が欲しくなるようなきがする。

モノを減らせば単純明快に生きられる。
起きて半畳寝て一畳の基本的な人間ん暮らしに、たくさんのモノは必要ないのだ。
なかなかそうとわかっていてもおもいきれないのだけれど、こうした本を読むことは「反省」の気持ちを起こさせてくれるので、私にとっては必要なこと。
もっとも本を購入するとモノが増えるので、ライブラリーから借りて読むのですけどね。

たっく氏はモノは少ないけれどモノにはこだわっていて、ひとつひとつがどれも使い勝手が良さそうだし美しいです。
モノを減らすと言っても、美意識はもたなければいけません。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

長谷川裕也「靴磨きの本」

「靴磨きの本」ではあるが、これは単なるハウツー本を超えているのではないだろうか。
わかりやすいのはもちろんだが、本の雰囲気がとてもいいのだ。
それは著者の靴と靴磨きに対する愛情が、こちらに伝わってくるからだと思う。

著者は以前は東京駅前の路上で、日銭を稼ぐために靴磨きをしていたそうだ。靴磨きの道具は100円ショップで揃えた。
あるとき客から、君は靴磨きが下手だと言われ、ベテランの靴磨きのおじさんの道具や手順などを盗み見しながら勉強に励み、靴磨きの奥深さに気づいて、現在では青山に靴磨きの店を構えるまでになった。
あの東京の一等地の青山で、靴磨きの店?と訝る向きがあるかもしれないが、この本を読み、著者の靴磨きにかける思いの強さを知れば「一度行って、磨いてもらいたい」と思うに違いない。
かくいう靴フェチの私も、少し上等な冬のブーツを磨いてもらいたいと思った。

でも著者は磨いてもらうより、まずは自分で磨いてみようとこの本を書いているのだ。
靴磨き必須道具の数々、例えば、シューツリー、馬毛ブラシ、クリーナーやクリーム、油性ワックス、布(繊維の短いものとネルなどの柔らかいもの)などが並んだ写真がある。
磨く前のアドバイスもまずある。
靴は玄関に置いてあるので玄関でする人が多いが、玄関は暗いので明るい場所に移動すること。
姿勢もたいせつ。かがまないでいいようにすれば疲れない。
もちろん汚れてもかまわない格好で・・など、言われてみるとなるほどのアドバイスだ。

磨き方の他に、ちょっとした修理の方法も書かれている。
女性のヒールは傷つきやすいが、それを目立たなくするテクも紹介されていて、これは役立つ。
ヒールの傷って自分では見えないけど、後ろを歩く人にはけっこう目立つものだもの。
靴が好きでも、靴磨きはほとんどしないなぁ。恥ずかしながら、ワックスを沁み込ませたスポンジでさっと拭くだけという体たらく。
これで靴好きとは情けない。
私の夫は以前東京に住んでいた頃には仕事場が西新宿だったので、京王プラザホテルの靴磨きのおじさんに磨いてもらっていた。
さすがプロの仕事、ほれぼれするくらい美しく仕上がっていた。
でも最近では半分リタイヤ状態で毎日スニーカー。靴磨きの必要がなくなったが、少しさみしい。

イタリアは靴で有名な国だが、彼らは本当に靴好きだ。靴屋の多いこと。
(タルコフスキーの映画「ノスタルジア」のなかで主人公の亡命ロシア人がそのことを話すシーンがあったのが印象にのこっている。)
若い人たちも夏はスニーカーでも、秋から冬には皮靴を履く。
ヨーロッパのホテルやレストランでは、着ている洋服より履いている靴を見るというくらい。
ただ値段が高くて質の良い靴を履いているというだけでなく、手入れがちゃんとされているかも見るらしい。
そういえばホテルの部屋の前に夜靴を出しておくと、朝には磨かれて元のところに置いてあったものだけけど・・

小学生だったか中学生の頃だったか、よく母から父の皮靴を磨くように言われたものだ。
茶色の靴には茶色の靴墨、黒い靴には黒い靴墨。それを間違ってすごく怒られた記憶がある。
でも今考えると、母は自分が靴磨きが嫌いで、だから子どもにさせていたのではないか?

靴磨きといえば、私よりもっと年上の世代なら、敗戦直後の子どもたちの靴磨きを思い浮かべる人もいるだろう。
それがいま、青山に靴磨き店!
世の中は変わったけれど、一つのことに精進すればかならず成功するというお手本でもあるような気がする。

靴だけでなく財布などの革小物のお手入れもあります。
posted by 北杜の星 at 06:58| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

うっかりしてたら、もうこんな月末になってしまっていました。
身辺雑記を書き忘れるところでした。

迷走台風10号の被害が少なければいいのですが、今年の日本の夏はおかしなお天気でしたね。
西日本は酷暑、北海道は連日の大雨、そしてここ八ヶ岳でも天候不順で雨が多かった。気温はそうでもなかったけど湿気も多かったです。
それでも高原の夏を過ごしに観光客や山荘族の車で、スーパーの入り口は混雑してました。
私たちは外出を控えて、ひっそり静かに、、といつもの夏。

いつもほどには来客のない夏でした。
でも予定しない友人がやって来て、「何もないのよ、でも一緒に食べよう」が結構あって、ご馳走はなくて申し訳なかったけれど、こういうのも気取らなくていいですね。
若い友人夫婦が生後4か月の赤ちゃんを連れて来た時も、ありあわせで夏野菜のパスタを作って出しただけなのに、とても美味しいと喜んでくれてホッとしました。
その赤ちゃん、腕も脚もプチンプチンに太っていて、おとなしくて、久しぶりに見る赤ちゃんに思わず見とれてしまったほど。
なにしろ私の友人たちはみんなシニア。そんな赤ちゃんを見る機会がないので、めずらしかったです。
あんなに小さいのに、イッチョマエに目も鼻も口もあって(当たり前ですが)、その当たり前になんだか感動でした。

胸ふさぐこともありました。
イタリア中部での地震です。
あの周辺は地震多発地帯で、ラクィラでの大地震はまだ記憶に新しいし、もう20年近く前だったかアッシジの聖フランチェスコ教会で神父さまが亡くなった地震もありました。
今回のアマトリーチェは、塩漬け豚肉パンチェッタと玉ねぎで作るアマトリチャーナというパスタで有名な山間部の小さな町。
私はマルケかアブルッツォ州かと思っていたのですが、ローマと同じラツィオ州だそうです。(ラクィラはアブルッツォ州)
余震の震源地となったノルチャはウンブリア州で、夫の友人にはノルチャに実家がある人もいます。
彼はfacebookで友人たちの無事を確かめていましたが、さいわいみんな元気で被害はないとのこと。
ノルチャは黒トリュフの産地、美味しいサラミも作られています。
中田英寿がイタリアサッカーセリエAのペルージャに属していたときは、夏の合宿は避暑地のノルチャで行われていました。
私は一度しか行ったことがないけれど、いい町でした。
8月のヨーロッパは夏休み。バカンスを過ごす人たちの被害もあるようです。どこで災害に遭遇するかわかりません。

イタリアは石造りの家が多くて地震が起こると崩れてがれきになってしまいます。
そしてがれきの下敷きになる。
木造なら倒壊しても軽いし、倒れた柱の空間だと助かるケースがあるけれど、石の家はそうはいかない。
もっと困るのは、石造りの家は後から耐震工事が不可能だということ。補強しようがないのです。
イタリアの山岳都市は本当に美しいです。
どんなに小さくても、広場があって、教会があって、人が集まるバールがあって。(こうした集落を見ると、「あぁ、イタリアでは直接民主主義制だったんだな」とその歴史を思います)。
けれどこれは世界中で起こっていることですが、そこでは仕事がない。若い人は出て行って高齢化してしまう。
それでも住民同士は幼いころからの知り合い。みんなで支え合って暮らしています。
その暮らしはとても質素なものですが、自分で作った野菜を食べ、育てた山羊からチーズを造って、豊かな生活をしていると私には思えます。
とにかく一日もはやく復興して、元の美しい町が再建でき、みんなの生活が戻ればと願っています。

あるニュースで見たのですが、スパゲッティ・アマトリチャーナをレストランで注文すると、2ユーロが義捐金として現地に送られるとか。
こういう支援っていいですね。
日本でもあるといいと思います。

毎朝、夫が作ってくれる人参ジュースが飲める平穏な生活に感謝しなくては。
その人参ジュース、このところブルーベリーを入れてくれています。
群馬の友人がいつもこの季節になるとブルーベリーを送って下さるのです。これまでは冷凍してつまんでいたのですけど、今年はフード・プロセッサーで前もって砕いておいたものを人参ジュースに加えると、その酸味が朝の目覚めにぴったり。
ブルーベリーは私の目にもいいんですよね。

静かに過ごした8月。9月はいろいろ予定が決まっているので、楽しいご報告ができそうです。
まだまだ暑い土地の方、どうぞあとひと踏ん張り、お気をつけください。
ハッチは暑さに負けず、食欲も衰えることなく、20歳の夏を乗り越えられたようです。これにも大いに感謝です。
(私の親しい友人は今年、2匹の猫を亡くしたのです。彼女の悲しみを想像すると、とても他人事とは思えません)。


posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

原田ひ香「虫たちの家」

原田ひ香は「はじまらないティータイム」が大好きで、以来ずっと気になって読んできた。
でも本当に気になるのはその「ひ香」という名前かもしれない。
駄洒落じゃないけど、なーんか、ひっかかるんですよね。

ネットで傷つけられ、仕事や居場所や家族さえも失った女性たちが棲む「虫たちの家」は九州の離島にある。
そこでは女性たちがお互いに本名を明かさず、テントウムシ。ミミズ。オオムラサキと呼び合って、畑仕事をしながら静かに暮らしている。
虫たちの家を創立したのはマリアという年配の女性だ。
その虫たちの家にある日本土から母娘がやって来た
高校生の娘はアゲハ、母親はミツバチと呼ばれるようになった。
アゲハはボーイフレンドにあられもない写真をネットでばらまかれたうえ、母ともども刺されて、それは刑事事件になって日本中に知られることになった。
マリアはそんな身を潜めたい彼女たちを「虫たちの家」に迎えたのだった。

しかしアゲハは奔放で、島の男たちの気をひくことになる。
「虫たちの家」が唯一の居場所であるテントウムシにとって、アゲハの行動は見過ごすわけにはいかない。。

・・というストーリーに並行して、一人の女の子の幼いころの両親との海外生活が描かれているのだが、最後のほうにきて「えーっ、この女の子はあのあの女の子だったの!」と驚く展開になる。
これってほとんど、ミステリー?
これまでの原田ひ香にはない趣です。

テントウムシやアゲハはよく描かれているのだが、アゲハの母がちょっと弱いかな。
それとマリアがもっと訳ありかと想像しながら読んだのだけど、アッサリし過ぎで終わってしまった感じで物足りない。
引っ張られたわりには肩透かし。

ネットで傷つく人は多い。
とくにネットで住所や名前を出されて中傷されると立ち直れなくなってしまう。
それは犯罪だと思う。
悪いのは傷ついた人たちではないはずなのに、家族さえも守ってくれないとしたら、なんて不幸なんだろう。
テントウムシたちの悲しみはそこにある。。
posted by 北杜の星 at 07:32| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月27日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

関東甲信越はなかなか梅雨明けしません。
標高の高いこの辺りは、肌寒い朝晩。
スイカを頂いたものの、なかなか食べようという気持ちが起きません。
スイカはやはり、お日様カンカンの下で食べたいですよね。

今月は特別なことがあまりない一カ月でした。
でもこれ、じつはありがたいこと。
お嬢さんの住むフィラデルフィアに行っていた遊び仲間の夫婦が戻って来たし、ご主人が具合の悪かった別の友人夫婦もひとまず平穏な生活が還ってきたし、普通の日常というもののありがたさを感じています。

クマさんをご存知でしょうか?
あのゲージツ家のクマさんです。
彼は私の住む北杜市に大きな工房を持って制作しています。鉄というマテリアルの大きな彼の作品が私は好きです。
そのクマさんが視覚障害者のための講演をするというので、夫と一緒に聴きに行きました。
なぜ視覚障害者が対象なのかの理由かはわかりませんが、なにかのご縁があったのでしょうね。
クマさんは彫刻だけでなく小説も書く人で、最近読んでとてもよかった「骨風」は泉鏡花文学賞を受賞しています。

彼は幼い時にジフテリアに罹り、片方の耳が聞こえず、匂いもわからないとか。
体のどこかが欠損すると、他の器官が敏感になって、それを武器に生きることができる。
なので、ここに居る目の見えない人も、IPSで目が再生することを考えるよりも、視力以外の感覚を鋭くして生きる方がいい。
そんな再生などと姑息なことに頼るなと。
IPSは視覚障害者にとってだけでなく、治らない疾病を持つ人にとっては希望の星です。
でもその実現はいつのことになるのか。。それを考えると、クマさんの云うことは一理あります。
クマさんんのように体に欠損部分があるひとだからこそ、言えることだと思い、それはそfれで正論だと思いました。

クマさんは平気で「めくら」と言いました。
「めくら」という言葉は差別用であり放送禁止用語となっています。
だから今現在「めくら」という言葉を発する人はほとんどいません。
「めくら」が「盲人」になり「視覚障害者」になり、「害」の字が差別だとヒラガナで書いたり、「障碍」という字を当てたりしつつあります。
私はこういう風潮が嫌いです。
差別意識があるからこそ、こうした言葉の変遷があって、それは私にとってなんだかお為ごかしのように思われるからです。
めくらやびっこやつんぼという言葉にはそれなりの歴史と文化があるし、第一、その言葉がないと、落語はできないですよね。
「おい、そこの視覚障がい者」じゃ、サマになりません。
もちろん、そう呼ばれて傷づくひともいるでしょうから、言葉の使い方は大切です。でもそれ以上に大切なのは差別のない意識ではないでしょうか。

クマさんはアフリカの砂漠で大きな彫刻作品を創ったことがあるそうです。
苦労して資材を調達し創ったそれは、今は消え失せているとか。
近くに(と言っても見渡す限り砂漠なのだそうですが)住む人たちが自分の村に持ち帰って、家の屋根したりしているみたいです。
でもクマさんはそれでいいのだと。
美術館に陳列されているような作品を創る気はないし、あんなもの「クソ」だと言い放ちます。
大きな空の下で、いつか消えてなくなるものを自分は創りたいのだと、生きている人間が消えるように。そこはとても真剣に話していました。

クマさんは70代半ば。偽悪家ぶっているけれど、人間としての本当のやさしさが感じられる人でした。
それに、とってもセクシーでした。
日本人で、しかもあの年齢でセクシーな男なんて希有ですよね。驚きました。
ただちょっと残念だったのは、夏だったためか、あれはテレビの衣装なのか、例の着流しにスカーフではなく、紺色のポロシャツだったこと。
もし着流しだったらもっとセクシーだったかも。

さて、今月から私は新しいことを始めました。
点字の学習です。
まだかろうじて本が読めていますが、不可能になるのは時間の問題。
いまは視覚障害者のためのPCの周辺機器はたくさんあります。この年齢で困難な点字をわざわざ勉強することはないと言う人もいます。
でも、情報を得るためならPCやスマートフォンの音声機能でことは足りるし、電子書籍なら全国の図書館から借り出すこともできます。
だけどそれでは満足できない。私は小説が大好きで、小説は聴くのではなく「読みたい」のです。
目で読めないのなら、指で読みたい。指で読むことは目で読むことと同じことです。
とにかく「読む」行為から離れたくない。
もし私のアタマが優秀で、耳から聴くだけですべてがアタマに入るのなら音声でいいのですが、考えながら、味わいながら文章を追うには、「読む」しかない。
そう考えて、学習を始めることにしたのです。

幸い、点字講習のために、甲府からわざわざ我が家まで月2回ほど先生が来て下さることになりました。
それまでに点字表をPCで調べて勉強していたのですが、目で見て理解してもそれは何の意味もないと気付き、まっさらな気持ちで教えてもらおうと、独習はやめました。
だって、指で読めなければなんの役にも立たないからです。
それは正解でした。
第一回のレッスンで先生は点字習得のためのメソッドには「流派」があって、先生の「流派」に沿って教えてもらったのですが、目で覚えるのとは大違い。
点字を「字」として読むよりまず、垂直と並行に正確に指を動かす訓練なのでした。

泳いだり走ったりすると足がつることがありますが、指もつるんです!
生れて初めて指がつる経験をしました。
2週間に一度のレッスンなので先生はどっさり宿題を出します。それをクリアするため一所懸命に指で点字を触っていたら、指がつったんです。
指だけじゃなく腕、肩、首もガチガチ。吐き気がするくらい凝っちゃいました。
不必要な力が入っていたのでしょう。
鍼灸の先生に、指を動かすための体の使い方を教えてもらったので、だいぶラクになりましたが。

点字をならっていて面白いことが一つ。
私は本を読むのが速い方なのですが、点字を読むのもとての速いと言われました。
生徒は私一人なので比較できなくて私にはわからないのですが、「最初からそのスピードはスゴイです」と。
でもそれって、正確さに欠けるということかもしれないので、心して勉強しなくてはと思っています。
私がヘコまないように、先生は褒めてくださったり励ましてくださったり。。

その先生はまだ30歳ちょっとの素敵な女性。
白状で歩く訓練士もされています。盲だけでなく聾唖の経験もあるようです。
大阪教育大学大学院を卒業した身障者教育のプロです。
点字学習もですが、彼女からいろんなお話しを聞けるのも楽しみです。

クマさんの話ではないけれど、このような新しい出会いがあるのは、「欠損」のおかげです。

夫はこのところ仕事がまぁ忙しく、その合間にゴルフをしています。
70を過ぎてもまだ進化できているのは、ちょっとエライかな。
歳だから飛距離が落ちたとか言う人多いけど、遅く始めてもともと飛距離がなかったので、アプローチに集中して練習するのが良い結果を生んでいるようで、ドライバーの飛距離も増えているそうです。
まるでイチローみたいですね。

ハッチも元気です。
足腰は日々弱っているけれど、それは仕方ありません。
ただ困ったことに、平田牧場の豚肉が好きなのはいいけれど、脂身ばかりを食べたがるんです。
赤身はうまく選って残す。あのテクニックはすごいです。
もう健康はいいから、好きなものを好きなだけあげようとは思うのですが、それでも心配になって、つい「血液ドロドロになっちゃうよ」と叱ってしまいます。

もうすぐ夏本番。リゾート地のここは大賑わいになることでしょう御。
私たちはひっそりと静かに過ごします。
posted by 北杜の星 at 08:01| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月15日

平野啓一郎「マチネの終わりに」

三日半かかって読み終わったのは夕刻だった。
そろそろ食事の支度の時間だったのだが、しばらくぼぉーっと小説の余韻にひたっていた。
この小説世界に圧倒されて食事という日常が遠のくぐらい耽溺したのは、本当にひさしぶり。
評判は確かに聞いていたがこれほど完璧なる読物だったとは、恐れ入りました。
これまで平野啓一郎を読んできて初めて彼の作品を素晴らしいと思えた。
これまでは横書きに書いたり、ぐるぐる丸く活字を組んだり、「新しい小説」を創る意気込みは認めても、「もっと正攻法で書けよ」と不満だったし、正攻法で書いたものはどうも感心しないものが多かったのだ。
でもこれはまさに、パーフェクトな小説です。
パーフェクトというのはいわゆる「好み」の問題ではなく、構成、主役と脇役の人物設定、話の展開などの小説としての要素が盛り込まれ、しかもどこにも破綻がないということ。

恋愛、親と子、世界経済、紛争、芸術・・そしてそれにまつわる歓びや慰めや苦悩や嫉妬。
やさしさや美しさ。バカげたまでの卑劣さや企み。それら人間のすてべの感情描写がじつに細やか。
軸をなすのは、天才ギタリストの蒔野とイラク駐在のジャーナリスト洋子の恋。しかも純愛なのである。
しかしこれはヤワな恋物語ではなく、かなり硬質。
というのも背景にイラク戦争やリーマンショックなどの社会情勢が関わり、音楽や映画など芸術への言及も多いからだ。
それと硬質な印象は、どちらかというと翻訳のような文章からもきていると思う。

帯文に「結婚した相手は、人生最愛の人ですか?」とあるが、この言葉の重みが蒔野にとっても洋子にとってもせつない。

うーん、あまりに綻びがなさすぎる作品で、書くことありません・・としか言いようがない。説明など無意味と放棄したい。
読むと納得してもらえると思います。
小説のなかの小説!評判どおり。欠点を見つけようとあえてするなら、洋子があまりに完璧すぎて、男性作家の創造人物だなというくらいだけど、でも洋子という女性の説得力は大きくて、そんなにアンリアルには感じられない。

本当に美味しいものを食べた時「美味しい」以外に言葉がないように、本当にスゴイ小説を読んだら唸るしかないんですね。
とにかく私が「小説を読む人間」で良かったという想いでいっぱい。この読書体験があれば当分の間、幸せでいられます。
こんな嘘くさい恋物語をこれほど読ませる平野啓一郎って、これを書くために小説家になったんじゃないかな?
とにかく「マチネの終わりに」には脱帽です。

小説や映画には「The end」があるからいいんですよね。
でもじっさいにはそこから先がある。そこから先のほうが大変なのかもしれない。
でもこの小説に限っては、「これで、いい」。
完全に充足したので、二人がどうなるかなんて気にならない。「これで、いい」んです。
これはこの終わりかたしかなかったんです。
posted by 北杜の星 at 07:31| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月13日

星野博美「みんな彗星を見ていた」

大好きな星野博美のこのノン・フィクションは、迫害を受けたキリシタンとその時代に東と西(日本とヨーロッパ)がいかに繋がっていたかを描くもの。
歴史好きにはたまらない面白さで450ページの長大さも読み始めるとあっという間だった。
私が星野博美を好きな理由がこの本でよくわかった。
彼女はいつも自分の書こうとするものがいかに自分と結びついた必然性があるかを、自著のなかで記述しているからだ
だからテーマがいつも彼女の個人的な思い入れに根ざしていて、ノン・フィクションを読むことで星野博美という人となりが併せて理解できるようになっている。
つまり、本の中に彼女の「顔が見える」ということ。

今回もそうだ。なぜこれを書くにいたったかの経緯がよくわかった。
戸越の町工場で育った彼女の実家は曹洞宗。
通うことになった中・高はキリスト教のミッション系。
そこで彼女は激しいカルチャー・ショックを経験する。
それは宗教だけでなく、外国と初めて接することでもあった。

やがて彼女は400年前の天正遣欧使節となりローマに赴いた4少年のことを知る。
伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルティス、三浦ジュリアン。
当時の日本は意外にも西の国々と密に繋がっていのだと知る。
彼らが不幸だったのは、キリシタン大名の名代としてローマ出発したときは織田信長の時代でキリスト教が歓迎されていたものの、8年後に帰国したときには秀吉の世となりキリスト教は禁教となっていたことだ。
それでも秀吉は彼らを呼び、彼らが持ちかえった楽器で演奏させとても喜んだという。
そのときに使われた楽器の一つがリュートで、星野博美はリュートに興味を持ち、最初はテープやCDを聴くだけだったが、習い始めることとなった。
リュートとキリシタン。
彼女の足跡は長崎からスペインのバレンシアからバスクへとのびることになる・・
遣欧4少年に関しては、今は亡きイタリア美術研究家の若桑みどり氏の「クワトロ・ラガッツィ」で読んだことがあるが、その本もここで引用されている。
(若桑さんも私は大好きだった。イタリア美術におけるジェンダーという非常に興味深い研究もされていた)。

星野博美が長崎に行ってからの本の後半からは宣教師やキリシタンへの迫害弾圧が凄惨を極め、胸が悪くなる感じだった。
あまりにも酷い処刑の仕方に、これじゃぁまだISの方がマシという感想をもった。
4少年のうちただ一人「転ぶ」ことなく、外国にも逃げずに殉教したジュリアンの死などは本当に残虐極まる。

日本は家康乃時代になって鎖国をし、西からの情報はほとんど入らなくなったが、西では日本がした陰惨な所業は報告が届き、きちんと記録されている。
現在は天草においても少年たちが学んだといわれるセミナリオは所在もすぐにはわからないほどの扱いしかされていないらしい。
この本を読むと、天草や五島には足を向けたくないような。。
だって怨念がいまも消えていないような気がしてくる。とくに天草温泉は怖いなぁ。

それにしても星野さんが制作を依頼したリュートの工房が、私の住む町にあるとは。
さまざまなアーティストや職人さんがたくさん住むことで有名なこの地ではあるけれど、楽器づくりの工房もあるんですね。
同じ町といっても私の住むのは八ヶ岳南麓、その工房は水のきれいな白州という南アルプス側ですが。。

まとまった読書の時間が取れる方、どうぞこの本、読んでみてください。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月11日

北條元冶「医者が自分の家族だけにすすめること」

風邪薬は絶対飲まない医者を知っている。彼は風邪をひいたらひたすら暖かくして寝ているだけで、翌日はマスクをつけて診察をする。
筋肉緩和剤を飲まない医者も知っている。「だって悪いところだけに特化して効くわけじゃないじゃない?」というのがその理由。
彼らはおそらく自分の家族にもそういう薬は飲ませないんだろうな。
患者としてを超えて本音で話してくれる医者の知り合いをもつことって大切だと思う。
でもそれには患者の側がある程度の医学知識をもつことも必要で、そうでなければ対等に話はできない。

形成外科医で医学博士の著者はここで本音を書いている。
自分や自分の家族が患者ならば「すること」「避けること」について。
なかには「インフルエンザ・ワクチンは受ける」という私とは反対意見もあるけれど。(その年のワクチンのウィルス対策効果は20〜30%にしか過ぎないが、彼はそれでも受けるほうを薦めている。高齢者や体の弱った人画』インフルエンザになると死亡したり重症化することは確かにあるけれど、ひとって必ず何かでは死ぬもの。仕方ないと思う。それよりも普通の人の体にワクチンの毒素を注入することのほうが問題だと私は考えているので、インフルエンザ・ワクチンは受けたことがない。

ジェネリック薬は使うなと著者は書いているが、それはその通り。
ジェネリックは必ずしも同じ成分のものではないからだ。効果が少ないことがある。国や健保や医師が薦めても、「いいえ、ジェネリックは要りません」という勇気を持とう。

「生活習慣」「体質」「治すべき病気」「つきあっていく病気」「がん」「薬」「健康診断」の7章に分かれている。
日本人は健康診断が大好きで、毎年からなず受ける人が多い。
病気を探すのが趣味のようなひとがいて、脳ドッグで調べるのが流行のようになっている。
ある程度の年齢になればどこか悪いのは当然のこと。知ってよいこともあれば知らぬが幸いのことだってある。
私の周囲を見渡せば、検査大好き人間ほど病気にかかっているような気がする。
MRIの磁気、CTやレントゲンの放射線量を考えると、体へのダメージが心配だ。
著者は肺のレントゲン検査の被曝量は問題ない程度だが、あの検査で病気が見つかることは稀なので受けないと言っている)。
でもまぁ、高血圧、糖尿病、脂質異常などのリスク・ファクターを持つひとは、定期的に検査を受ける方が安心かもしれない。
私は血液検査、尿検査、便潜血反応検査、超音波くらいなら受けてもいい。

「入院することになったら」「手術することになったら」は参考になった。
そんな場合は気が動転しているだろうから、こういう知識があると助かる。
この先生、入院するのなら「大部屋」が良いと言う。これまでの経験から「個室」に入った患者さんは横柄で感じが悪いことが多かったそうだ。(みんながみんなそうではないと思うけど)。
それと病院の都合で「個室」に入らされた時には、その差額ベッド料金は支払わなくてもいいのだそうだ。
他に部屋が空いてなくて個室に入るとか、病気の処置のために個室が必要となるときだ。

医学は日進月歩。でも「医源病」という言葉がある。
最新の医療に関するこういう本を読んでおけば、心丈夫でいられます。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月07日

ハッチ、20歳!

今日は特別ブログです。

なんと、このブログのタイトルになっている我が家の飼い猫ハッチ君が20歳になりました。
猫の20歳はすごい長生きですよね。
これまで私の知っている最高齢は22歳。それって人間でいうと120歳くらいではないでしょうか。
ハッチも100歳くらいかな。

ハッチ君と呼んでいるのは性格が男っぽいからで、れっきとした女の子。
我が家にやって来たのは、平成8年8月8日。だから夫が「ハッチ」と名付けました。
前の飼い猫を亡くして一カ月足らず、毎日ベショベショ泣いていた私がパン屋に行くと、そこに「猫、もらってください」の貼り紙が。
それがやけに気にかかり、貼り紙にある番号に電話するとすぐに、本当にものすごくすぐに、一家揃って子猫を連れてやっていらしたのです。よほどお困りだったようです。
ご両親と若い女性が赤ちゃんを抱いていました。
「あぁ、赤ちゃんがいるから猫が飼えないんだな」と納得。
ケージには小さな小さな、トムキャットと云われる黒白の生きものがいました。
猫という感じはしません。何かとてつもなく小さな生き物という印象でした。鼻がピンクでお尻の穴丸出しで、ただ目が真っ黒キラキラしてました。
いつ生まれたのかと尋ねると「7月7日です」と。七夕生れ。

私は前の猫が忘れられなくて、飼う決心がつかなかったのですが、夫が「見ちゃったんだから、もう飼うしかないよ」と宣言したのです。
まだ排せつも自分ではできませんでした。
子猫用のミルクを買って来て、スポイトでミルクを飲ませました。数日経つとオシッコとウンチができるようになり、スポイトから哺乳瓶に変わり、その哺乳瓶を抱えてミルクを飲む様子は胸がキュンとなるくらいかわいかったものです。
元の飼い主は「すごーくおとなしくて、いつも寝ています」と言っていましたが、とんでもない!
それはケージに入れられていたせいで、寝るしかなかったのです。
とにかく元気いっぱい。ハッチが歩いている姿を見たことがありません。いつも走っていました。
あんなに小さな猫でも、エネルギーはすごいんですね。一緒に居るとクタクタになりました。
すぐに人の肩に登って来て、「あれ何かしら?ネズミかしら?」と、通りすがりの人に言われたほど、小さかった。
でもネズミだなんて猫にあるまじき言われ方ですよね。

まぁ、車が好きでしたね。
毎週末に東京の杉並から蓼科に通っていたのですが、車に乗るとご機嫌で、ハンドルを持って運転する気になっていたものです。
車ならなんでも乗りたがり、宅配便車に飛び乗って、そのまま連れて行かれそうになったり、私の車の屋根の上に乗って走りだして騒いでいたことも。
それとハッチが何よりも好きだったのが、散歩です。
私たちが散歩に出かけようとすると必ず一緒について来ました。ご飯よりも散歩が好きなので、ハッチの誕生日プレゼントは毎年ちょと長い散歩と決めていたくらいです。
そのハッチ君も最近では寄る年波には勝てないのか、散歩に行こうとは言わなくなりました。
ここは坂の多い里山(なにしろ長坂という町名)なので、アップダウンがしんどくなったのでしょう。

痩せて背骨がゴツゴツ。皮膚はたるんでペロンペロン、黒い毛にはたくさんの白髪。
それでもまだご飯はしっかり食べるし、きちんと排泄もします。
老猫がかかる腎臓疾患にもいまのことこかかっていません。
垂直運動は低くなっていて時々失敗するけれど、ベッドにやって来ます。
右前足首が昔から弱かったのが、歳をとるにつれて顕著になって、痛いのか痛くないのか、最初の一歩がグラリとする時がありますが、走りまわることも多いので、まだまだ大丈夫、元気です。

でもどんなに元気でも、もう他の人に預けて世話をしてもらうわけにはいかないし、ハッチ君も私たちが留守だとすごく寂しがるので、当分長い旅行には行けません。
行けなくてもいいから、ずっとずっと長生きしていてほしいです。
お手本にしたい人間のお年寄りはなかなかいませんが、ハッチ君はあっぱれ、見事な老いを見せてくれています。

というわけで、今日のハッチの誕生日、もし道で猫を見かけたら、どうぞ「元気そうね」「長生きするのよ」「いい子だね」とかひと声かけてください。
きっと猫の世界にもシンクロニシティがあると思います。
声をかけられた猫のうれしい想念が、ハッチに伝播することでしょう。
その猫が幸せなように、ハッチ君も幸せになります!

ハッチ君がそばにいてくれる間は「ハッチのライブラリー」を続けられればと願っています。
posted by 北杜の星 at 06:42| 山梨 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月28日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

ショックでした。
イギリスのEU離脱。
それが世界にどう影響するのか、ファイナンシャルに疎い私にはそちら方面への懸念はまったく予想できていないのですが、EUといういわゆる理想理念が崩壊するかもしれない現実に、衝撃を受けました。
その理念とは、大一次世界大戦、第二次世界大戦で多くの犠牲者を出したヨーロッパが、もう戦争はしないで連合しようよというものです。
だからこそEUがノーベル平和賞を受賞しだのです。
でも経済優先の現実の前にはそうした理念は形骸化してしまったのでしょうね。
離脱の選択をしたイギリス人たちでさえ、これから起きることは、わかっていないのかもしれません。
とにかく若い人たちが将来に希望の持てる結果になって、それが世界にも広がればいいのだけど、そんなことにはなりそうもない気がします。

自然災害も年々ひどくなっているみたいで、九州など西日本の豪雨被害は本当に気の毒です。地震の後始末もできていない熊本はとくに気にかかります。
中国では竜巻のために約100人もの方が亡くなったとか。
とんでもないことが、普通になっているのが怖いです。

私たちの親しい友人が腎臓が悪くて入院し、退院後は一カ月の自宅安静を余儀なくされていましたが、やっと運転くらいはできるようになって、外食が楽しめるようになりました。
まだ快癒のお祝いとはいきませんがそれでもみんなでワイワイお喋りをしながらのお鮨には、ホッと一安心。
元気でいることがだんだん難しくなる年齢ですが、だからこそなおのこと、貴重な時間だと感じます。

GW前に我が家に新しい車がやって来たのは以前にも書きましたが、「車が来たら旅行に行こうね」と夫と話していました。
でも車でお金を使ったのと、外構工事もしたことっで、すっかり金欠になってしまって、なかなか旅行というわけにもいかず、心がモヤモヤしていたのですが、安いところなら大丈夫と、ゆこゆこネットで探して、新潟の上越市の山の中にビュイーンとすっ飛ばしてきました。
なにしろ宿泊したのが、キューピッド・バレーというスキー場に隣接したゆきだるま温泉というところ。
キューピッドにゆきだるま?なんというネーミングかと笑っちゃったのですが、泉質はこれまで経験したことのない炭の匂いのする塩からい温泉で、丁寧に手づくりされた料理の美味しさがなによりでした。日本海がすぐそこなのでお刺身が新鮮でした。
宿のサービスはすべて男性。女性のスタッフは全然いませんでしたが、とてもみなさん親切でフレンドリー。大満足でした。
それで一人、8250円!これまででもっとも安い宿でした。(土曜日の宿泊は14000円ほどだそう)。
朝夕のご飯がついて、温泉に入って、緑いっぱいの景色を見て、こんな値段でいいの!?と、世の中の値段設定というものに疑問だらけです。

その上越市への途中、久しぶりに小布施に寄りました。10年ぶりくらいかなぁ。
かなり昔から宮本さんという建築家が小布施の町並み保存に関わっていらして、きちんと保存計画がなされているので、変にテーマパークのようではなく、素敵な自然さで散策ができます。
以前より見るところが拡がっていたのもよかったです。
行きたかった蕎麦屋で昼食をし(蕎麦狂いの私も納得の美味しさ!)、その後にこれまた評判のフランス菓子店「ロント」でお茶しました。
この店のシュー・ア・ラ・クレームは絶品でした。しかも一つ300円しないんですよ。
あまりの美味しさに、翌日上越から家への帰りに高速をわざわざ下りて、またお茶しに行ったほど。
ケーキを二日続きで食べたいことは生れて初めて。
帰りに買ったブリオッシュも美味しかったな。だけどちょっと買いに行くには遠すぎるのが残念です。

雨が降ると猫はとことん眠いと言われますが、梅雨の今どき、ハッチ君も毎日よく眠ります。
最近は耳が遠くなったせいで、とくに眠りが深いようです。
よく眠り、たくさん食べて、しっかり排便。元気の素が揃って、来月には20歳の誕生日を迎えます。
老いの受け止め方など、ハッチに教わること、大です。

私は来月から一つ、新しいことを始める予定でいます。
これがどうなるか、またの機会にお伝えできればと思っています。

最近、遅寝遅起きになった我が家。ブログのアップも8時過ぎてしまうことも。
早寝早起きが健康に良いと言われますが、あれ、どうも本当かな?と疑問に思っています。
だって早寝をすると、夜中の1時か2時に目が覚めてしまい後がなかなか眠れなく、悶々とベッドの中で要らぬことを考えてしまう。
12時頃にベッドに入って寝ると、そんなことなく(トイレには起きますが)ぐっすり眠れるのです。
まぁ遅く寝ると当然起きるのも遅く、どうかすると目が覚めると8時半ということもあって、これはさすがに反省ですが、体調はすこぶる良好。
年寄りは早起きという定説はどうも我が家には当てはまらないようです。
私の周りを見ても、元気な老夫婦は案外ゆっくり起きて、遅いブランチを楽しんでいるみたい。
朝起きてすぐの散歩や運動はあまり身体には良くないと聞くので、怠け者夫婦の私たちにはこうした朝がぴったりのようですね。

早起きの方も遅起きの方も、この鬱陶しい季節をどうぞハッピーにお過ごしください!


posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月10日

穂高明「青と白と」

「どうしておまえは、そうなの!」
幼いころ何かに夢中になると他が見えなくなる悠子に、母はいつもそう言って叱ったものだった。
悠子は花の色がきれいなら、どうしてこんな色をしているのか、ちゃんと調べてわかって「きれい」と思いたいというような子どもだった。
理系の院卒で医学部の研究室に勤めていた彼女だったが、小説を書いていこうと決意。
研究室を辞めてアルバイトをしながら、貧しい暮らしを続けていた。
そんな折り、2011年3月11日の東日本大震災が起こった。
悠子の実家は仙台だ。両親、祖母、妹夫婦、叔母は無事なのか?

この連作短編は悠子が飛行機で山形経由で仙台に向かうところから始まる。
山形で叔母を荼毘にふすのだが、それは仙台の焼き場がいっぱいのためらしい。
叔母はいつも母から叱られている悠子をかばってくれていた。
叔母の他にも親類縁者のなかにはいまだ津波で行方不明の者たちがいる。

そんな状態の故郷になにができるのか?
小説を書く無力感が悠子を包む。
バイトの都合で初盆にすら帰省できない自分に、罪悪感を感じる。
それでも彼女は「小説を書く」ということを人生の目的とした自分と、なんとか折り合いをつけようとするのだが・・

「東京ホタル」というアンソロジーのなかで一編の短い小説を読んだだけの、独立した単行本は初めて読む作家さんだ。
痛々しい。
すごく真面目で真摯な人なんだなと思う。
そんな自分を少しでも俯瞰してみようとするのか、この連作短編集は作家本人と思しき悠子と、母親、そして妹の立場から震災のむごさを描かれている。
あんなに自分を叱った母が、妹や弟を亡くした後で、ぼんやりするようになったこと。
その反対にしっかり者の妹が悠子に対して抱く歯がゆい想い。
そこには三者三様の、あの震災の受け止め方がある。

仙台に住む人たちは、こんなにもたくさんの友人知人を失ったのか。。
その事実に茫然としてしまう。
無傷の人なんていないのだ。
それを知っているから悠子の苦悩は大きい。

娘を失くした高校時代の友人に、心ないことを言う人がいる。
実家が仙台と知りながら、悠子になんの気遣いすら見せない人がいる。
かと思えば、偶然乗ったタクシーの運転手さんが本当にやさしかったりする。
人が人に話すこと、すること。それらちょっとしたことが大きな感情を引きだし、傷つけたり癒したりするのだと、つくづく思う。

熊本でも(津波はないけれど)、同じことが起きている。
遠く安全な場所にのうのうと居て、暖かいご飯を食べ、ふかふかの布団で眠る私。
東北、フクシマ、辺野古、熊本・・考えれば考えるほど、重いです。
posted by 北杜の星 at 06:51| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月08日

筆子「1週間で8割捨てる技術」

我が家を訪れたひとが「モノが少ない、整理整頓された家ね」と言ってくれる。
言われるたびに頭を抱える。
ロフトの衣装箱には衣替えのたびにうんざりするほどの服。
下駄箱には私の靴(靴フェチの私でも、思い切って捨ててはいるんです)。
台所には使わない調理器具や骨董の器・・

この本を片手に、著者の書く通りに「捨てる」ことをしてみた。
まずはゴミ袋を片手に、15分で服を27枚、捨てる!
(4月の衣替えのときにかなり捨てているので、7枚しか捨てられませんでした)。
つぎに台所で同じ作業。ヘラや金たわしや化学繊維のクロスなど、20点ばかりを捨てた。
でもノルマに達していないなぁ。

筆子さんはカナダ在住の日本人。夫と娘と三人暮らし。
モノに振り回されない人生を送ろうと、ブログに自分のミニマリズムについて投稿しはじめた。それが多くの共感を呼び、この本の出版につながったそうだ。
モノを持たないということは、たんにモノを持たないことではない。
モノが少ないと、決断が速くなる。人生の価値観がシンプルになる。
ストレスが少なくなって心身の健康が保たれる。

いいなぁ。いいことづくめだ。
といっても彼女の家でミニマリストは筆子さんだけ。夫と娘に自分の考えは押しつけない。
(家族のモノに眼がいかないのかな?私には夫のモノはやたら不必要で目障りで捨てたくなるんですけど)。
ミニマリストとして彼女の成功は、彼女がカナダ住まいということも影響しているのではないだろうか。
外国って日本人より服に無頓着でカジュアル。
彼女も書いているように、Tシャツとジーンズでたいてい間に合う。
日本ん女性って毎日、とっかえひっかえ大変だよね。同じ服を続けてきていると「あの人、外泊?」と勘繰られたりするらしい。

はい、不要なものは確かにまだ我が家にはたくさんあります。
なぜ捨てられないのか?自問自答している。
その筆頭は着物で、これは母が娘のために誂えてくれたものという意識が強いのだと思う。
母とうまくいかなかった娘としてはせめて、着物を介して母に想いを寄せたい、いわば「よすが」としたいのかもしれない。
でも着物も、数年したらすべて若い友人にもらってもらえれば、と思っている。
歳を取ってもっとも自分を狭めるのは、執着することだと私は思っている。
着物に関する感情にも見切りをつけて、解き放たれたい。
ここにも書かれているように、死ぬときに持って行くのはモノではないのだ。
モノでない「なにか」があれば、それでいい。

・・と言いながら、夫と行ったセール店で、ロング・カーディガン2枚を買ってしまった。。
自戒を込めて、こういう本を時々読む必要のある私です。
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月06日

藤原章生「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」

ずいぶん強烈なタイトルだ。
いまでこそノーベル賞受賞の日本人はめずらしくなくなったが、私の小さい頃の湯川博士というとただ一人の金字塔の「ノーベル賞」だった。
原子力の平和利用をと、戦後世界の科学者や文化人らが創立した「世界連邦」運動にも熱心だった。
(私の家も世界連邦会員で、よく父が「湯川博士が日本の会長さんなんだよ」と言っていたものだ。)
とにかく湯川秀樹博士というと日本人みんなが尊敬するひとだった。
その湯川博士が広島への原子爆弾投下を知っていた?戦時下にどうやって情報が入手できたのか?
とても興味をそそられて、この本を読んでみようと思った。

興味をもったのには別の意味もあった。
それは藤原章生というジャーナリストが私は大好きだからだ。
彼は毎日新聞記者で、外信部よりヨハネスブルグ、メキシコ、そしてローマに駐在した。
ローマから戻り、福島の郡山支局に転属となった。私は3・11以降の彼の福島からの通信を読んでいろんなことを考えさせられていた。
また彼は新聞記者としてだけでなく著作を持っていて、「絵はがきにされた少年」や「ガルシア・マルケスに葬られた女」はなかなか読みごたえがあった。
彼の書くものにはいつも、小さき人たち、表舞台に出ない人たちへの彼の想いが感じられた。
その彼がこんなにショッキングなタイトルの本を書くのか?という意外な気持ちがあったが、福島に生れ、福島の原発事故後を「見た」彼だからこそ、原子力がどうあるべきかをこの本で問うたのではないかと思った。

この本は森一久という人に関するノン・フィクション。
森一久といっても知る人は少ないだろうが、彼は「原子力村のドン」と呼ばれた人だった。
ドンというのは必ずしも良い言葉ではない。むしろフィクサーというか、暗躍する大物を指す言葉の印象があるのだが、森はそういう人ではなかったようだ。
彼は恩師湯川博士から「原子力の監視役になれ」と言われ、それを旨として日本の原子力開発の中枢となっていった。
(湯川博士も森も日本の原子力発電は日本が開発するのだと思っていたのだが、正力松太郎らの政治家や財界人たちはアメリカから「買う」かたちをとった。そうしたアメリカ一辺倒主義に彼らは最後まで反対した。森も原子力村の中枢にいながら、安全神話や隠ぺい体質に疑問を呈してきた。)

森一久は広島生れ。戦時中に京都帝国大学入学。湯川秀樹の元で理論原子力を学ぶ。
戦後も湯川博士からかわいがられた。
その森が晩年になり、ある記事を読んで、湯川博士が「知っていたのでは」と猜疑心に苛まされるようになった。
その記事は森と同じ広島の出身校の同窓会会報にあったもので、書いたのは森と同様当時京大学生。
彼は彼の教授に呼び出され、「広島に近々、特殊爆弾が落とされるので、家族を疎開させなさい」と言われたという。そしてその場には湯川博士も同席していたと。
学生は教授の言う通りにし、家族は8月6日、無事だった。
森は爆心地から近い家で父が即死、母は行方不明。
森自らも2週間母を捜し続けた後に、生死をさまよう重篤な症状に陥った。

「なぜ、湯川博士は自分には教えてくれなかったのか」
森はずっとそのことで苦しむようになる。
そして戦後、湯川博士が自分にとてもよくしてくれことを思い出し、あれは湯川博士の自責からだったのではないかとも思うのだった。

結論を言うならば、この本には「知っていた」との真実は書かれていない。
それは「藪の中」。
ただ信頼し尊敬していた師を人生の終わりになって、疑い苦しまなければならなかった森という人の悲しさ苦しみが伝わってくる。
いま向こうの世界で、森は湯川博士とそのことを話し合って納得できていればいいのだけれど。。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

風薫る五月。
そろそろ田植えが始まっています。
このあたりでは「カッコーが鳴いたら苗を植える」と言います。
以前行き来していた蓼科周辺では、「八ヶ岳のあの山のあの雪が消えたら」と言っていたので、たぶんどこの土地にもそうした農家の歳時記的なものがあるのでしょうね。

GWがあるので五月はいつもの月よりたくさんの友人がやって来てくれ、一緒にランチやお茶をして楽しい時間を持ちました。
この季節はなんといってもテラスでのランチが最高で、目の前にまだ白く輝く南アルプス、里には花々、鳥は冬鳥から夏鳥に替わってうるさいほど鳴いています。
リゾート地のGWはすごい混みようなのでひたすら外出を避け、テラスで過ごしていました。
お天気が良く、五月とは思えないほど気温も高く、すでにかなり日焼けしています。(もともと黒いのですが)

春が終わりもう初夏なんですね。
八百屋さんに並ぶ野菜や果物がずいぶん変わりました。
「新」のつく玉ねぎやじゃがいも、大好きです。
朝採りのグリーンアスパラガスを売っているところがあるのもうれしい。切り口がまだジューシーなんです。
山菜も食べきれないほど頂きます。筍、わらび、蕗。
今年は「のらぼう」という菜花の一種の野菜がこれでもかというくらい毎日到来しました。最初はお浸し屋胡麻和えで食べていたのですがそれでは消化しきれないので、ベーコンと炒めたり、パスタに入れたり。なにしろひと抱えも持って来て下さるのですから、食べるのに必死です。葉玉ねぎもどっさり来ます。
ある日、食卓を見て夫と二人で笑いだしてしましました。だって惣菜すべてが頂きもので料理したものだったからです。
惣菜だけではありません。米も昨年秋の新米からこっち、10キロも頂いているのです。味噌汁の味噌も5年物。
我が家で買ったものって、出汁をとる鰹節と昆布と、胡麻和えの胡麻くらい。
友人が「庭に入って、勝手に絹さやを摘んで」と言ってくれていますが、留守の間に他人さまの庭に入るのもどうかと遠慮していますが。。
豆といえば、昔はこの季節になるとよく「豆ご飯」ってたべてませんでしたか?グリーンピースご飯です。
私は豆が好きでなかったので豆は選って取り除いてご飯だけ食べてましたが、豆の匂いが沁みたご飯は美味しかった。
あの豆ご飯って、お料理屋さんの緑鮮やかなものよりも、家庭でつくる豆がシワシワで色も褪せている方が香りが良くて私は好きです。
いまなら豆も好きになったので、一度炊いてみようかな。

友人を招いての食事はこれまでほとんどがイタリアンだったのですが、最近はネパールカレーという新メニューが登場し始めました。
これはこのブログを見て下さる方と、裏の山荘に時々やってくるカトマンズでホテルを経営しているドルガさんから伝授されたレシピでつくるもので、チキンカレーとキーマカレーの二種類。
お土産に頂いたガラム・マサラはさすがに香りが違います。
スパイスは長持ちしないので、先日カレーランチに来て下さった料理上手の友人にお裾分けしました。
彼女はご主人と自家製ハム・ソーセージのお店を営んでいるのですが、そのご主人が昨年暮れにバイク事故に遭い、以来お店を休業。
観たトロは全然どこも悪くないようなのに、肩の腱を切っているらしく、手術が必要で今月末にやっとその手術を肩専門名医にしてもらうことになったのですが、入院とそのごのリハビリにまだあと数カ月は仕事にならないみたいです。
美味しいハム・ソーセージは当分お預け。今年いっぱいは無理なのかなぁ。
でも本人たちは、とくに奥さんのY子さんは休暇を思い切り楽しもうと、アジア諸国への旅を計画中。お店再開後はまた忙しくなるんですものね、今のうちです。

とても親しい友人が緊急入院しました。
腰と下腹部に激痛があり近くの病院にいったのですが、GWで担当医がいない。尿路結石かまおということで痛み止めを処方されたものの数日後にまた激痛。
別の病院で検査を受けたけれど病名がはっきりしない。それで大学病院に行ったら、即入院となったのです。
それから検査続き。10日たってやっと病名らしきものがついて退院できはしたものの、家での安静が続くそう。
結局病院から「わからないので、退院してくれ」と言われたとか。。
まぁ、これ以上の入院加療を続けても仕方ないので、退院してくれということになたのではないでしょうか。
不安は残りますがでも、家族が毎日病院に通う負担を考えると、少しはいい方向に向かっているのではと思いたいです。

夫の新しい車、アバルトは快調です。
キャトルがなくなったにしょげていたいたのですが、アバルトの走りにだんだん魅了されてきて、すっかり満足の様子。もともとスピード大好き人間なので、性格的には向いているのでしょう。
そのキャトルは友人のTさんが引き受けて下さり、これも気に入ってもらっているようで、先日我が家をそのキャトルで訪れて下さいました。
面白いですね、車って。まるで生きもののようでした。
キャトルはすっかりTさんにかわいがってもらって幸せそうな顔をしていたのです。私たちには余所余所しい感じ。
それを見て、「あぁ、もうウチの子じゃなくなったんだね」と納得しました。

ウチの子のハッチ君は元気です。暖かくなって外に出ることが増えました。もっとも外に出るのはハッチだけではなく他所の猫も同じで、ハッチのテリトリーを荒にやって来ているようで、ハッチは外に出るたびに鼻をクンクンさせて緊張しています。
最近のハッチは平田牧場の豚肉が大好物となり、一日に何度も少しずつお肉をチンして与えていますが、「これはね、平牧なんだからね」と念を押しながら恩を売っています。
ハッチにしてみればどこのであれ、美味しければいいんですよね。
この平田牧場の豚肉は六本木のミッドタウンでもトンカツ屋さんとショップがあって有名ですが、私は生活クラブから購入しているもので、脂身の部分もあっさりしていてじつに美味しいのです。猫にやるににはもったいないのですが、でもその猫、人間以上に味がわかるみたいです。

私の目のジストロフィーは進行が止まらず(進行するからジストロフィーと言うのですが)、日常生活に支障が出るようになってきたので、視覚障害者支援のための講座を受けに行くことにしました。
「視覚障害者の文書保管」というのがその講座で、山梨県立盲学校で開催されます。
本以外の活字を読むのが億劫になり、必要な文書もつい捨ててしまいがちな私にはこの講座、役に立ちそうです。
文書ですから晴眼者(視覚障害者に対して、目の見える人のことをこう呼ぶのです)の家族のサポートが要るので、夫も同行します。
午後から始まるのだけど、夫が居眠りしないといいなぁ。

今年の夏は熱くなると長期予報が出ました。インドでは51度になったとか。
本格的な暑さがやって来る前に、体力気力を蓄えましょう。
ハッチのライブラリーはペースが落ちるかもしれませんが、もうしばらくは続けられそうです。

posted by 北杜の星 at 07:13| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

堀内和恵「原発を止める島」

祝島を知ったのは東日本大震災の後だ。
鎌仲ひとみ監督の映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見て、纐纈あや(ハナブサアヤ)「祝の島」を見て、山口県にそういう名の島があることを初めて知った。
そしてその島には数十年のあいだずっと、中国電力が建設を計画する上関原子力発電所建設に反対する島民がいることを知った。
海と島の山でとれるもので豊かに暮らしてきた島の人々の不屈の運動に、なにか爽やかさを感じた。

どういうわけか祝島は女性を惹きつけるものがあるようだ。
映画を撮った女性監督たち、島を撮り続けて来た女性写真家の那須圭子さん、そしてこの本の著者である堀内和恵さん。
なぜだろうと考えてみた。
なぜこれほどまでに特に女性が祝島にやって来るのか?
それはやはり、「人間」なのだろうと思う。
海で生きる男と女、人力で見事な棚田をつくったおじいさん・・誰もが人懐こく優しい。そして彼らはみなツワモノである。

現在島の人口は約500人。
これまで原発建設反対運動をしてきた人たちも歳を御とってきた。
運動はけっして一枚岩ではない。以前反対はだった人が推進派になったケースもある。
狭い島のなか、反対派と推進派の間には根深い軋轢が生まれた。親戚であろうと隣人であろうと関係ない闘いだった。
中国電力側も巧妙に策を立て続けてきた。
高齢になった人のなかには、漁業補償金を受け取りたい人も出てきている。

それでも反対運動はしっかりと続く。
彼らの強い信念はどこから生まれるのか?
心強いのは、Uターン、Iターンの若い人たちが増えていること。
彼らは島出身者もいれば、よその土地からやってきた者もいる。みんな島のコミュニティーに根ざして生活しようとしている。
原発反対運動にもカヤック隊で参加している。体を張って漁船を連ねて攻防する島の人たちと共に。

福島原発以降止められていた原発がいま、再稼働されているし、再稼働はもっと進もうとしている。
祝島の反対運動はこれからも決して容易ではないだろう。
しかしこの本の第二部を読むと、勇気がわいてくる。
日本では全国17か所に51基の原発がつくられている。
けれどそれをはるかに超える29か所の土地で、原発を止めてきた事実があるのだという。
北海道、新潟、石川、福井、京都、兵庫、岡山、鳥取、島根、山口、大分、宮崎、愛媛、高知、徳島、和歌山、三重、福島・・

原発を止める力が何かと考えるとき、祝島にはその力があると信じたい。
女性監督や女性写真家やこの本の著者は、静かにでも力強く、それを信じているはずだ。

ハートの形をしている祝島。この寿ぎの島を美しいままで残したい。
posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月19日

花田信弘「炭水化物が健康寿命を縮める」

炭水化物の摂取を減らすと健康になると、糖尿病専門医や腸専門医などが言うようになり、炭水化物除去の食生活をする人が増えた。
かくいう私たち夫婦も夕食には炭水化物を食べない生活をもう10カ月続けている。(朝のパンもほとんど食べない。でも昼のパスタはどうも止められない)。
けれど内科医だけでなく歯科専門学者の先生までもが、糖質が健康被害を起こすとこの本で諄々と説明しているのである。
しかもその健康被害は体中に及ぶ。
脳血管疾患、心筋梗塞、糖尿病、リウマチ、そして認知症までも。。

その原因は口腔内にある。
虫歯や歯周病になると、歯と歯肉の間から菌が入り、それが血液に入り込んで体中をめぐり増殖する。
それが歯原性の「菌血病」だ。

この本、ベストセラーになっている。
いかに歯で悩む人が多いかということではないだろうか。
私の周りでも歯周病の人がけっこういる。というかある年齢以上になるとかなりの人が歯周病で抜歯を経験している。
幸い私たち夫婦は歯周病はないと、かかりつけの歯科医から定期健診のたびに言われている。
小さい頃から「甘いものを食べると虫歯になりますよ」とはよく言われたことだが、たしかに糖質以外に虫歯の原因になるものはないらしい。
けれど虫歯や歯周病の原因はいわゆる菓子類だけではないのだ。
糖質全般、つまり炭水化物も同様にいけない。
とくに日本人の主食である「白米」は、日本人の菌血病の元凶となっているのではないかと言われている。

人類が農耕生活をするようになってから、虫歯が発生したそうだ。(そんな昔のことを言われてもという気はするのだが)。
ということは、炭水化物を食べるようになってからということ。
日本では江戸時代に虫歯が急増しているが、それはその頃から米を精白して食べるようになったからだそうで、同時にさまざまな健康被害も増加している。
(それってよくわかる。白米を食べた後は口内がなんとなく粘々する感じだが、玄米だとそうはならない。これは口内のPHの酸性度の違いらしい)。
だから白米をたくさん食べる人は歯周病になりやすいということ。

「銀シャリ」が日本人は大好き。白いご飯と味噌汁があればそれで満足という人は多い。
でも米を主食としてたくさん食べるのは出来るだけ止して、お菓子と同じように「嗜好品」として楽しむ程度にするようこの本で提言している。
一つの食品を多量に食べ続けると栄養バランスも悪いし、食べもの由来のアレルギーも引き起こすR。
最初は「ご飯」がなくてどうしてオカズを食べるんだと戸惑うかもしれないが、慣れると平気。
むしろ薄味になるし、寝る前にお腹がもたれなくてよく眠れる。
日本人が昼食の後に居眠りするのは、丼ものや麺類などの炭水化物を摂るからだ。

歯は大切にしたいとつくづく思う。
歯と歯茎がしっかりしていないと、食べられるものが制限される。それでは栄養が偏る。
私の友人に初期のインプラントをした人がいて、それが年月を経てボロボロになり、歯だけでなく歯肉も大変なことになって、治療に数年かかっているが、日本医科歯科大学に診療に行ったときには教授が生徒たちに「これがインプラントの悪い例」だと説明したそうだ。
彼女は以来、食べられるものが限られていて、ずいぶんと痩せてしまった。
今のところ体の他の部位には影響が出ていないが、菌血病の不安はつきまとう。

これからの医療はいまのように細分化された診療科目ではなく、体をジェネラリストが必要と著者は書いているが、まったくその通りだ。
歯周病がリウマチの原因の一つであると最近立証されたそうだし、それは他の疾患にも当てはまることがだんだんわかってきている。
歯は歯だけではない。心臓にも脳にも腸にも繋がっている。
体は全体で診るべきだ。医療も治療もホリスティックであるべきだと私はずっと考えている。

とにかく健康な歯でいるためには、定期的に歯科の健診をを受けて、悪いところを放置しないこと。
これに尽きる。
そういう意味で歯は病気を見つけやすいし、治療しやすい。
そして糖質を減らすこと。甘いものをダラダラ食べ続けたり、白米を多量に食べないこと。
食べたらせめて、速やかに歯磨きいやうがいをすること。
(私の夫は大の甘いもの大好き。それでいて歯磨きは夜寝る前だけ。しかもチャチャっと歯ブラシで磨き歯間ブラシをこれもススッと使うだけ。それで歯周病がないとはどういうことか?と毎食後にしっかり歯磨きしてもそれでも虫歯になる私は納得できないんですけど)。

この本を要約すると上記のようなものですが、もっともっと科学的で専門的に書かれていて興味深いものです。
でも怖いです。。


posted by 北杜の星 at 07:23| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月06日

浜辺祐一「救命センター カルテの向こう側」

浜辺祐一先生の「救命センター」シリーズは好評でこれまで数冊発刊されていて、「救命センターからの手紙」は日本エッセイストクラブ賞」を受賞している。
先生のファンは多い。

浜辺医師は東京下町の救急救命センターの医師として30年近く働いている。
地域に根ざし、カバーするエリアは救急車で20分の距離だが、人口過密の東京なのでそのエリアの住民は150万人以上にのぼるという。
急病、事件事故による怪我、自殺の患者もいる。
狭い土地なので居酒屋で元患者に会うことがあって、「ところで何の病気でしたっけ」と問うとそれが割腹自殺未遂だったりするのだから、いやはやだ。

高齢化の波が押し寄せてこの救命センターも最近は様変わりをしてきた。
以前なら患者の状況がはっきりしていた。子どもの場合は母親が経過を説明できたし、事故なら当事者や周囲の人から事情が聞けた。
しかし最近では一人暮らしのお年寄りが家の中で倒れているのを大家さんなどに発見されるケースがあって、時間が経過していると状況がわからない。
また老齢夫婦の場合だと、軽い認知症の妻が重症の認知症の夫の面倒を看ていることがあって、説明がはっきりしない。
いまや「老老介護」ではなくその上をいく「認認介護」(これは浜辺先生の造語)になっているそうだ。

たいした症状ではないのに、夜間診療を受けに行ったり、救急車を呼ぶ人が増えている。
朝まで様子見すればいいものをと思うのだが、相談する人がいない都会だと心細いのだろう。
けれど救急車はたまったものではないし、診療施設も「いい加減にしてくれ」と言いたくなる。
救急車を有料にしようという動きがあるのもわかるような。。

救命センターは「脳卒中」「急性心筋梗塞」「重症外傷」「乳幼児の急病」など重篤患者への医療を担当する場所である。

医院、病院はどこも大変だと思う。
そのなかでも救急センターは「待ったなし」なので大変さが増す。
緊急処置、緊急手術の連続で、スタッフのアドレナリンは出っぱなしなのではないだろうか。
それでも時にニュースで救急搬送の「たらい回し」が報じられることがある。彼らにとっては忸怩たる思いに違いない。

浜辺先生はあとがきに「そろそろ先が見えはじめている人間として、あるいは心が折れかかっている臨床医として」と書いておられるが、これからも救急救命医療の医師としてその経験を若い医師たちにたくさん伝えてもらいたいものだと思っている。
posted by 北杜の星 at 07:07| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

ハッチの身辺雑記

月に一度のハッチの身辺雑記です。

忙しい一カ月でした。
静かなはずの田舎暮らしがどうしてこんなに毎日毎日忙しいのか?不思議でなりません。

今月の第一のニュースは、新しい車がやって来たこと!
納車にほぼ一カ月かかってやって来たのは、アバルト500。
フィアット500をアバルトというチューンアップ・メーカーが発売している車で、普通の500よりビュイーンという感じです。
しかもマフラーが替えてあるので音がスゴイ!
とても爺さんが運転席、婆さんが助手席にという車ではありませんが。。
近頃は音のしない車があるけれど、車やバイクはやはり音が大切。エンジンをかけたときのブルルンという大きな音がたまりません。
アバルト・カラーのグレー、左ハンドル、マニュアルという夫の条件に合致しているのがなによりです。

旧いルノー・キャトルは最初、アバルト世田谷で下取りしてもらう手続きとなっていたのですが、同じキャトル仲間のTさんが譲ってほしいということでそちらに引き取られることになりました。
私たちにとってキャトルは思い入れの強い車なので、見知らぬ人が乗るよりも、Tさんが乗ってくださるのは願ってもないうれしいことです。
しかも彼の山荘は我が家からほんの20分のところなので、キャトルに会いたくなったらいつでも会いに行けます。
その上Tさんはメカにすごく強い方なので、ご自分で整備しながら乗られるはずなので、今まで以上にグッド・コンディションのキャトルとなることでしょう。
・・でもキャトルがTさんに引き取られて行く後ろ姿を見ていたら、なんだかとっても悲しくなって涙が出そうでした。
まるで生き物の牛か馬が引き取られて行くような気持ちで、「かわいがってもらうのよ」と胸がいっぱいになったのです。
そういえばずっと前に私のフィアット・パンダが神奈川の歯医者さんに買ってもらって手放した時も、すごーく悲しかったな。
たかが車とはいえ、思い出がいっぱい詰まっているのです。
とくにキャトルのように個性の強い車は、乗っているだけでいろんな方々と知り合え、話題を共有できる楽しさがありました。
アバルト500のような新しい車では多分、そういうことは起こらないでしょうね。
だけどこれからは家族の一員。楽しいことをこの車と一緒にたくさんしたいと考えています。

車の次に大きな出来事は、「石積み工事」でした。
北側の斜面の土が凍結してボロボロ崩れ落ちるので、それを防止するための石積みをお願いしたのです。
かなり大変な工事でした。上の道から我が家の狭い北側に重機を下ろして、上のクレーン車から一つずつ石を落して、それを職人さんたちが声を掛け合ってきれいに石積みするのです。
15メートルの幅、1.8メートルの高さを、四人の職人さんが4日かかりました。
せっかくなので他にも階段を造ってもらったり、枕木で通路をつくってもらったり・・
外構というのは手をかければかけるほど良くなるんですね。しかも自分でするよりもやはりプロの手にかかると、仕上がりが違います。
すっかり美しくなったので、夫はソーラーライトを買って、夜は石垣をライトアップしています。これまでにない面白い景色となりました。

年々暖かくなっていますが、今年はことのほか暖かい。
桜はいつもの年よりも早く散ったし、レンギョウも雪柳も咲くのも散るのも早かった。
筍の出も早く、いつもならGWに掘ったばかりの筍を届けてくれる友人が、23日にはもう持って来てくれました。
猫にマタタビ、私にタケノコ、というくらいの筍好きなので、毎年の筍到来がうれしいです。なにしろ掘って1時間もしないうちなのですから、柔らかいこと!香りのいいこと!

3月は旅行に行けなかったので、今月は友人夫婦2組と一緒、計6人で、伊良湖のレトロな宿に行ってきました。
古いけれど設備が整い、風情のある宿で、料理もいわゆる「旅館の食事」とは趣が異なり、とても美味しくみんな大満足。
温泉ではなく天竜川の水を使ったお風呂でしたが、まぁお風呂より食事が優先なので、これで充分。
帰りは駒ケ根に寄って、蕎麦を食して帰宅しました。
昨年秋の富山以来の同メンバーでの旅行で、気心が知れているのでワイワイ楽しかったです。
これも健康だからこそ。(まぁ年齢なりにみんな、い・ろいろ抱えてはいますが、それでも元気なのがありがたい)。

最近、八ヶ岳南麓のここでは新しいレストランが続々オープンしています。
小淵沢駅から徒歩1分のところには、リヨン料理のビストロ(というよりブションという感じの安食堂)、清里にはパン屋兼の洋食屋さん、大泉のイタリアン、それからナント、オイスター・バーというのも出来たそうです。
山の中で牡蠣?!って驚きですよね。でもワイン好きな人には白ワインと牡蠣というのは堪えられない組み合わせでしょうね。
うれしいのは、イタリアンが出来ったこと。このあたりには何軒かのイタリアン・レストランはあるものの、満足できるレベルの店がなかったのです。
ログハウスと来た時には「ナンだかなぁ」という印象だったのですが、オープン翌日のランチに友人たちと行ってみると、これがまぁセンス良くお洒落。しかも味がいい。量もたっぷり。それでいて値段は高くないと何拍子も揃っていました。
どれだけの頻度で利用するかわからないけれど、選択肢が多いのはいいことです。
(私たちは「S」という和食処しかほとんど行かないのですが。。)

夫のゴルフ・エルボーは治りませんん。悪化はしなけど回復もしない。
それに加えて朝、右手の中指が腫れているので、指と肘でもしかしたらリウマチかもということで、検査を受けたところ(病院嫌いの夫が病院に行くのはめずらしいのですが、これはやはり一度しっかり検査してもらう方がいいと、薦めました)、結果は「リウマチではない」とのこと。
一安心です。
リウマチなら強い薬が必要になるので、薬害がどうしても心配。それが避けられたのがとにかくうれしい。
オイルを塗ったりサポーターをしているものの状態に変化がないので、ゴルフは相変わらず続けています。

その夫がこのところ力を入れていた山荘が竣工となりました。
なにしろ予算はいくらでもいい。(上限はあるんですけど、とは仰っていたのですが、その上限がいくらかは仰らなかった)、外構も夫の思うように造っていいし、植木だけで400万円使ったという家です。とにかくお金の心配なくデザインできるというめったにない条件です。
とくに「家は年月が経てば古くなるけど、庭はだんだん良くなる」という考えの夫しにてみれば、願ってもない「現場」でした。
毎日数時間も庭師の方と木を植える場所を監理しに行っていました。
数年たてば美しい庭になることでしょう。
そこのオーナーさんはよく伊豆大島に釣りにいらっしゃるので、新鮮なメジナやイサキや鯖などをお裾分けして頂くのは、山暮らしの私たちにとってはうれしいこと。
このあいだなんて60センチの鯛が釣れたそうで、柵にしたものを持って来て下さったのだけど、「大味ですよ」との言葉通り、たしかに大味でした。
刺身ではなく、胡麻ダレの鯛茶にして食べたら、これはイケました。池波正太郎の好物だったという銀座「竹葉亭」の鯛茶には負けますが、そこそこの出来でしたよ。

少し前、友人と新宿で会った時、彼女が着物を着て来て、それがとっても美しく品が良く、うっとりしました。もともと美しい顔立ちの方なのですが、人柄の良さがそのまま人間の品位となっているのですね。
その時に私が「目が悪くて、長襦袢の半襟がつけられない」と言ったら、そのSさんが「襦袢を送って来なさい。縫ってあげます」と言ってくださり、お言葉に甘えて図々しくも宅配でお願いしたのです。
彼女は手仕事上手。縫い目が本当にきれいで、そのうえ着崩れしない工夫もしてくれて、送り返してくれました。
今は縫わなくてもいいマジックテープでとめる半襟も売られているそうですが、どうもナイロン製のテラテラがいやで、半襟は絹でなくっちゃいけません。
衿芯がプラスティックで固いのも嫌いで、襟は柔らかなのがいいです。裾模様の着物を着るときなどはシャンとした衿にしてもいいけど、普段の紬の着物はふうわりとした衿の方がいい。
目が見えなくなるのは不便で苦しいことだけれど、こうして手助けしてくれる友人に恵まれて幸せです。
みんなみんな、本当にやさしい。ありがたいです。
このやさしさに私はどう応えていけばいいのか・・

ハッチは元気です。でも耳がすごーく遠くなりました。
他の猫が庭やテラスに来ても、耳が聞こえないので気配がわからない。
危険なので、私たちが外に出ている時にしか、もう出さないことにしました。
この辺りの猫は飼い猫なのか野良猫なのかわからないけど、どちfらもとてもワイルド。
街育ちのハッチ、しかも今年20歳になるハッチがかなうわけがありません。攻撃されてケガをしたら、天寿を全うできなくなります。
余生をできるだけ穏やかに送らせてやりたいです。

私たちの友人の家のふうちゃんという犬は、大きな腫瘍ができていて、その切除手術を受けました。
ふうちゃんは以前、ブリーダーによって過酷な「繁殖犬」として扱われてきて、「用済み」となって捨てられ、保護団体がケアしていました。
それをネットで見た友人が引き取ったのです。
最初はビクビクオドオドしていたふうちゃんが、日を追うごとに溌剌と元気になり、輝く目となりました。今ではまるまると太って、ワガママにさえなっているのを見ると、本当に良かったなと思います。
犬や猫をペットショップで買うものと日本人は考えているけれど、ふうちゃんのように助けてあげられる動物がたくさんいるんですよね。
ふうちゃんの4泊5日の入院費用は、8万円以上だったとか。健康保険がないから大変ですが手術は無事成功。
ふうちゃん、あの大きなオデキがなくなってよかったね!!

そんなこんなの4月もそろそろ終わり。、
GWのこちらは他県ナンバーの車がいっぱいです。
私たちは喧騒をよそに、静かに友人を招いたり招かれたりで過ごします。
「ハッチのライブラリー」は読書量次第となりそうですが、ときどきはアップしますので、よろしくお願いします。
九州はまだまだ大変な状況ですが、暖かくなって感染症の危険があるので、せめて衛生面が改善されるよう願っています。
平和なGWでありますように。

追記:日本100名水の一つである大滝湧水の隣接地にソーラー・パネルを設置するため、森伐採計画があります。
その反対運動のための書名が4500名集まりました。
この数字は都会からすると少ないように感じられるかもしれませんが、北杜市の人口は5万人。
それを考えると、じつに多くの人々がこれ以上の環境破壊に反対しているか、ですよね。
この声が県や市に届きますように!

posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月25日

波多野聖「本屋稼業」

本が売れない。
本屋が続々と閉店になる。
本好きにとってはなんとも寂しく悲しい世の中だ。
本屋に足を踏み入れたときの、あのワクワク感をみんな忘れたのだろうか。
東京を離れて田舎暮らしになりなにがつまんないかというと、「ふらっと散歩の途中Bの本屋さん」がないということ。
とくに中央線沿線の荻窪と西荻に住んでいたので、本屋はほんとうにたくさんあったのだ。

この「本屋稼業」の主人公は、戦後世界一となった本屋を創業した紀伊國屋書店の創業者田辺茂一と、彼を経営面で支えた松原治である。
紀伊國屋書店があれほど大きな規模となったのはまず、茂一の本屋に対する「想い」と、戦前の大陸時代から経済に強く人脈を持つ松原の手腕によるものだ。
10歳のときに父親に連れられて日本橋の丸善に行き、そこの崇高なまでの文化の雰囲気に圧倒され、「本屋になる」と決意。
その決意を実現させていく茂一の天性の大らかさ、私利私欲のなさ、公平さ・・彼の人間としての魅力がこの本で余すことなく綴れられているし、茂一の直近として経営を任される松原の苦労と苦労が報われる歓びもじんじんと伝わって来る。

もともと紀州藩の下級武士だった茂一の先祖が江戸に来て材木商を始めた。
茂一の父が薪炭問屋となって大成功。今の紀伊國屋書店新宿本店などたくさんの地所を持つようになった。
茂一はその長男として何不自由なく贅沢に育った。「したいことだけする」という彼の人生スタンスは幼少の頃からのものだったのだ。

本屋になりたい。
しかしその本屋はありきたりの店であってはならない。
一流の建築家の設計に依頼し、本を売るスペースだけでなく、画廊やサロンをつくり、劇場までつくった。
茂一が欲しかったのは、幼い日に見たあの丸善のような、「場」であったのだ。
美しい文化の香りのする「場」。そのためのコストは考えようとしない。
松原はそんな茂一の希望をひとつひとつ叶えていった。
不可能とも思われる交渉に臨み、困難な金策に追われ、円形脱毛症ができたこともある。
その間茂一は銀座のバーでキレイドコロと遊び、作家や文化人たちと豪遊していた。
それでもなぜか。松原は一度も茂一に悪感情をいだいたことがなかった。
田辺茂一と言う人間こそが、紀伊國屋書店のブランドなのだと、松原は知っていたからだ。
どんな無茶な茂一の要望であっても、なんとかしてあげたいと松原は思うのだが、その思いはどこからくるのか。それはおそらく松原自身にも不思議だったのではないか。
まぁ一言で言うならば田辺茂一という人の「人徳」なんでしょうね。
そこには二人のそれぞれの「直感」があり、彼らは直感を信じだのだ。

松原は茂一と初めて会った時「鯨」を思い出したそうだが、田辺茂一って鯨というよりヒキガエルって印象が私にはあるんだけどな。
いつもニコニコ、駄洒落を連発していたおじさんだった。
好きか嫌いかと言われると、あの好色さがどうも苦手だった。
私も若い潔癖な年頃だったから、茂一のような男性はもっとも避けたいタイプだった。

「会うべき人には会うべきときに会う」・・この本はそのことを確認させてくれるものです。
posted by 北杜の星 at 07:04| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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