2016年05月11日

本谷有希子「異類婚姻譚」

これまで三度芥川賞の候補となりながら逃してきた本谷有希子。
応援していた私は「やっと」の思いで、胸をなでおろした。
若いころから(今でも30代なかばで充分若いけど)才能あふれる人で、彼女の舞台なら観てみたいものだと、演劇嫌いの私が願ったほど。
でもそういう意味では今回の受賞作品はこれまでのエキセントリックな主人公の言動が薄まっている印象があって、ちょっと肩透かしかもと読み始めた。
ハチャメチャ、ヒリヒリの彼女の小説の特性が弱いかな、と。

それでも大いに楽しめたのは、作品をとおしてのものすごい「気持ち悪さ」だ。
「気持ち悪い」のが楽しいとは変な言い方だが、この「違和感」がなんとも本谷作品らしいところ。
そして「気持ち悪さ」の根源が何かを問うのが、このお話し。

結婚して4年の夫婦、サンちゃんと「旦那」。
子どもはなく、サンちゃんは専業主婦で安楽に暮らしている。
旦那はけっこうな稼ぎの仕事をしているが、だからだろうか、家では何もしたくないと言う。面倒なことはとにかく避けて、テレビのバラエティ番組を見ている。
ある日サンちゃんは自分と旦那の顔が似て来たのに気付く。
顔の造作は一定ではなく、見るごとに変化したり、元にもどったり。
そして何もしようとしなかった夫が突然、大量の揚げ物をつくるようになって。。

日常が異化していく。
それが妻に何かを気付かせる。
同化する夫婦と、やっぱり「異類」である二人の人間の結婚性格。違和が大きくなればなるほど疑問も大きくなる。
。。気持ち悪さがピークになるのが、隣人の猫を山に「逃がして」やりに行く場面。
猫を逃がすのは、なにかの暗喩か?
いろんなエピソードが出てくるが、その都度少しずつ、裂け目が広がるとろこにリアリティが感じられて笑える。(本谷作品にはいつもこの「わらい」があるんですよね。)

毒が薄まったような印象を最初受けたけど、やはりこれはまぎれもない本谷有希子でした。
読みやすくなっているので、読者層が増えるのではないでしょうか?
本を読む人をとにかく多くしたい。そのためにはレベルを落とすのではなく、読みやすくする努力を作家たちはしてもいいのでは?と思います。
純文学好きだけが本好きとはかぎらないのですから。
ちなみに私はそういうジャンルがあるとすればですが「純文学」大好き人間です。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月18日

村田喜代子「焼野まで」

熊本地震の被害が時を経るごとに大きくなる。
日本には多くの断層があって、いつどこで同じことが起こっても不思議ではない。
「私でなくてよかった」ではなく、「もし私だったら」と受け止めることが大切。
そうすれば支援のしかたも違ってくると思う。
そしてこんな危険な国に原発はいらないと、声を大にしてみんなで言おう。

2011年3月11日の東日本大震災の数日後、作家の村田喜代子に子宮体がんが見つかった。
彼女は手術ではなく、四次元放射線ピンポイント治療を選択し、以来癌は消えている。
彼女はこのことを「光線」という小説に書いている。
しかし「光線」には書ききれなかったのか、今回のこの「焼野まで」で再び治療を受けた日々のことを描いているのだ。

一行目に「オンコロジー・センターのX線照射台に仰臥して・・」とあり、驚いた。
オンコロジー・センターは鹿児島にある、植松医師が開発した放射線ピンポイント治療を行う病院である。
かねてより私は癌になったらここに行こうと考えている。(山梨医大の肺がんのピンポイント照射もとても有能なので、近場なので最近はある種の癌に関しては山梨医大もいいかなと思っているが)。

でも村田喜代子は作家だ。自分の治療をしっかりと小説に仕立てていて、風景や心理描写はさすがだ。
焼野という言葉にはいろんな意味を含ませている。
福島の原発事故の放射能、自分の治療のための放射能、そして鹿児島(街の名は明記されていないし、火山も別の名前になっている)の火山。
目には見えない光線は人を脅かし、病気を治癒させる。爆発を繰り返す火の山への畏怖・・

放射線治療には「宿酔」と呼ばれる副作用があって、これは人により程度が異なる。
主人公はとてもひどい宿酔に苦しむ。
吐き気、食欲不振、疲労感・・夫が帰って一人になったウィークリー・マンションで、じっと耐えるしかない。
そのなかに、とうに亡くなった祖母や叔母が現れる。まるで幻視のように。
その他にも、やはり癌にかかっている元仕事仲間の男友達からの電話、センターで知り合った女性と街の銭湯に行く話し(鹿児島では銭湯はほとんどが温泉らしい)が織り込まれる。
そのあいだずっと降り積む火山の灰・・

うーん、放射線治療も大変なのだ。彼女のように苦しむのなら、彼女も書いているようにウィークリー・マンションは何でも自分でしなくてはならないので大変だ。
近くの病院に入院してそこからオンコロジー・センターに通う方がいい。(センターは治療のみ、年中休みなし)。
でも彼女の衰弱ぶりがどんなものかわかったが、それ以上にわかったのが、火山灰のものすごさ。
半端な積もり方ではない。よくあの降灰に耐えて住んでいるなという感じだが、住んでいる人はもう慣れっこになっているのか。

これは闘病小説ではありません。
村田喜代子らしい「こちらの世界」と「あちらの世界」の狭間が、病気というリアルさとともに描かれている。
子宮体がんに放射線治療は効果がないと治療に大反対の看護師の娘との気持ちの行き違いもとてもリアルで、母と娘の関係の難しさを考えさせられました。
posted by 北杜の星 at 08:03| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月06日

松生恒夫「朝の腸内リセットがカラダを変える」

私はかねがね「腸」が大切、と考えてきた。
このところ「腸」の機能がたんなる消化だけでなく、「免疫」にも大きく関与していることが医師や研究者から言われるようになったのは、喜ばしいことだ。
25年も前に、東城百合子さん主宰の「あなたと健康社」のびわの葉温灸の講習で、「腸」がいかに重要かを鍼灸の先生から教えてもらって以来、私の「腸」信仰はずっと続いているのだ。

この著者の松生恒夫氏は腸の専門医。
これまで30年間、「腸」を診てきたエキスパートだ。
現在は「松生クリニック」を開業、「便秘外来」を設けている。

便秘の人、それも便秘の女性は多い。
食事やストレスなど原因は様々だが、便秘は体にとても悪いので改善努力をするほうがいいと思う。
なぜなら排出できない食べもののカスの毒素が溜まるから。その毒素が善い腸内細菌を殺し、悪い細菌を増やし、免疫を下げるから。
二日に一回、三日に一回であっても定期的に排便がある場合は「便秘」とは言わないという説もあるが、絶対にそうではないと思う。
毎日食事をしているのだから、毎日排便があるのが正常である。

排便は腸の大ぜん動によって起きる。
その回数は1日に数回。
最大なのは「朝」だそうだ。
胃に食べものが入ることによって大ぜん動が連動して起きるので、朝食後1時間以内に便意が起きる。
しかも大ぜん動は10分〜30分しか続かないので、それを逃がさないようにすることが大事だという。
朝忙しいのにとりまぎれてトイレに行く機会を失わないこと。
(日本の家にはトイレが1か所だけなのが困りものですよね。外国のようにバスルームが2か所も3か所もあればいいのですが)。

でも朝食をとることで便意をもよおすよりは、朝起きて一杯の水を飲んでトイレ、という方が本当は健康な体である。
排便をしてから朝食を摂るのが、体にはいいのだと昔ながらの養生訓では言われている。
(ここらあたりが医師との違いか)。

腸には神経細胞が多いので、ストレスがかかりやすい。
現代でストレス無しの暮らしはほぼ不可能。でも毒素を溜めるとますますストレスは大きくなる。
ここにも書いてあるが「汗のデトックスはわずか3パーセント、便は75パーセント」なのだそうだ。

免疫を高めるためにも、「腸」のことをもっと考えよう!
posted by 北杜の星 at 07:13| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

村田沙耶香「消滅世界」

前作「殺人出産」は奇妙な仮想世界を描いたものだったが、この「消滅世界」もそれ以上にSFっぽい設定となっている。
「殺人出産」では10人の子どもを出産すると、殺したい人間を一人殺せるという物語だった。
これはそれほど奇想天外ではなく、今のセックスレスの風潮などを聞くと、近未来にはこういう社会もあり得るかも。。という気になって来る。

雨音は離婚した母によって育てらた。母は今ではとてもめずらしく古風な「交尾」という手段で雨音を産み、機会あるごとに好きな人と結婚しその人の子どもを産む幸せを雨音に言い聞かせた。
しかし雨音の生きる社会では夫婦の「交尾」は近親相姦の異常行為とみなされていた。
夫婦は「家族」であって、恋愛や「交尾」は家の外で行うものだった。
だから夫にも妻にも恋人がいるのが普通だった。
しかも直接的な「交尾」をする恋人同士は稀で、恋愛感情すら「ヒト」ではなくアニメやテレビのなかのキャラクターが対象のことが多かった。
雨音は結婚したが、「正常」な慣習によって人工授精を予定していた。

しかしあることが起こり、彼ら夫婦は千葉の「実験都市」に引っ越しをすることになった。
そこはもっと進んだ社会で、男性が人工子宮で出産でき、雨音の夫はその大一号となり無事出産する。。
その実験都市で生れた子どもは「子どもちゃん」として社会が育て、大人なたちは男でも女でも「おかあぁん」と呼ばれ、みんなで子どもを見守り育てるのだった。。

「正常」とはなにか?
正常な価値観、正常な習慣、正常な家族・・「正常」の概念は時とともに変化してきた。
現在の私たちだって、平安時代や江戸時代、いやほんの戦前までの「正常」とはかけ離れた価値観の中で生きている。
いまや同性婚が認められる世にまでなった。そんなのはつい20年前までは考えもしなかっただろう。
村田沙耶香は「崩壊世界」において、「正常」とは何かと向き合っている。

私たちは多かれ少なかれみんな「洗脳」されて、「正常」をインプットされている。
古い時代の洗脳者の母、今の洗脳者の雨音。どちらが正常なのか。
「お母さんは洗脳されていないの?洗脳されてない脳なんて、この世の中に存在するの?どうせなら、この世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに」。
そう、雨音は自分が生きる「実験都市」が狂っているのを知っているのかもしれない。

これ、面白かったです。
でもちょっと中だるみがあって途中、退屈だったかな?
こうした仮想世界を小説として引っ張るには、250ページは長過ぎるような気がするのだけど。。
posted by 北杜の星 at 07:06| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月15日

村木厚子・秋山訓子「女性官僚という生き方」

上級国家公務員のキャリアとして省庁で働く女性たちが語る「女性官僚という生き方」が集められている。
霞が関といえば長時間労働で有名である。
以前の大蔵省の年度末の労働の凄まじさはいつもニュースとなっていた。過労死したり自殺したりする人もいた。
しかしこれは現在もそうは変わっていない。
そんな職場で女性、しかも結婚をし子どもを産み育てる女性たちは、どのように仕事と家庭を両立させてきたのか?
若い女性官僚が増えるなか、まずは先輩格の前厚生労働事務次官だった村木厚子氏のインタビューからこの本は始まる。
聞き手は朝日新聞編集委員の秋山訓子氏だ。
(村木氏といえば、あのでっち上げも甚だしい大阪地検の誤認逮捕で有名だが、ここではその話は出て来ない。)

四大を卒業すると、女性は就職先が見つからなかった時代、村木氏は官僚になる道を選び労働省に入った。
彼女の前には、一人の女性キャリアがいただけだった。
「普通」に結婚をし子どもをもちたいと思った彼女は、「労働省」という省庁だからこそできたという。
ロールモデルとしての「労働省」だから、前例をつくれたのかもしれない。
しかし半端な仕事ぶりではない。体力気力の限界じゃないかと思われる状況の連続だ。

他にも内閣人事局、経済産業省、衆議院調査局、財務省の女性官僚たちが登場するが、少し驚くのが、防衛省や警察庁での女性キャリアだ。
男の世界の防衛省や警察庁という印象だが、このところ入省する女性はだんだん増えているらしい。
(警察庁では剣道などの武道が義務付けられているそう)。
どの省庁も仕事時間はものすごく長い。実家の近くに住み親の援助が受けられればまだなんとかなるが、そうでなければ上の子は夫に預け、自分は下の子を連れて国内外に転勤ということもある。
同じ職場の夫、もしくは別の省庁でもアレンジできる場合は、一家そろっての海外勤務が実現する。
むしろ海外での方が、長時間労働が少なくて、「家庭生活」を遅れるようである。

こうした仕事ぶりを改善しようとする動きが出始めている。女性官僚が増えたためだし、彼女たちは横の連絡情報網をお互いに持ち、さまざまなケースを話し合う場を持とうとしている。
とくに若い世代ほど、親に頼ろうとはしないそうで、保育園や託児所の利用が多い。
子どもが赤ん坊や幼稚園の方がまだラクだと彼女たちは言う。経費はかかるが預かってくれる時間が長いからだ。けれど小学生になると下校時間が早くなり、いわゆるカギっ子で過ごさなければならなくなるので、そのほうが気がかりだそうだ。
自分の給料全部を使っても、子どもを預ける場所を確保し、仕事を続けようとするその努力は、本当にすごいと思う。
モチベーションの高さが一般企業勤務とはどこか違っている気がする。
村木氏も言っているように、公務員の仕事は「国民のニーズを政策に落とす「翻訳」係」だと言う。
この本の中のかなりの数の女性たちが「世の中のためになりたい」「世の中を良くしたい」と幼いころから願って、入省している。
たしかに、モチベーションが高いはずだ。

政治家の方たちにお願いです。
国会での質疑への原稿を書くために、官僚たちは夜中明け方まで資料を見ながら仕事をする羽目になっています。
戦略的な時間というのがあるのでしょうが、なるべく夜遅い依頼はやめて、彼女たちをはやく家に帰してあげて下さい。
(彼女たちの子どもたちはみんな、そんな母親を認めて応援している。健気ですね。母の一生懸命を見ていれば自然そうなるのかもしれません。)

とにかく、私なんかとはエネルギーの絶対量が違う!
官僚にあまり良いイメージを持たない私でしたが、これを読んで良かったです。官僚を見直しました。
ただ、こういう官僚たちが勤続年数を重ねて、「官僚的」という悪い方に変化しなければいいのですが。。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

三井美奈「イスラム化するヨーロッパ」

この新書の帯には「多発するテロ、押し寄せる難民、欧米を覆う苦悩から世界の明日を読み解く」とある。
著者は読売新聞記者でブリュッセル支局員、エルサレム支局長を経て、2011年から2015年までパリ支局長を務めた。
だからヨーロッパでも特にフランスでの「イスラム」を取り上げている。

イスラム過激派による2015年にパリで起きた二つのテロは世界中を震撼させた。
フランス人にとって衝撃的だったのは、犯人たちがフランスで生まれ教育を受けた移民2世や3世の「フランス人」だったことだ。
いわゆる「ホームグロウン・テロリスト」の犯行だったからだ。
なぜ若い彼らがイスラム国やアル・カイーダの過激集団に参加するのか?
その数は欧米全体で男女合わせて2万人と言われている。少年や青年は戦闘員として、少女たちは戦闘員の花嫁として、家族を捨て育った土地を捨て、シリアなどに渡っている。
もちろん彼らを勧誘する組織が存在し、人材を募っているのだ。社会に出ても希望通りに生きられない彼らに「理想」「革命」「闘い」を熱く説き、その気にさせるのだ。

パリ郊外のサンドニ市は移民の街として知られる。
市民の36パーセントが外国生まれで、そのうち4割が旧植民地の北アフリカ出身のイスラム教徒。
そしてフランスに住む移民とその子孫は1200万人だそうだ。これはフランス総人口の2割を占める。
そのほとんどの人々は白人フランス人との社会格差経済格差に苦しんでいるといわれる。
しかしこの本の著者が書くように、フランス政府はこれまで何もしなかったわけではない。
移民2世・3世の教育改革に取り組だし、移民の雇用や住宅問題の改善プロジェクトを施行してきた。
それでも格差は大きくなる一方なのだ。

私自身は現在世界で起きているイスラム過激派の欧米に対するテロは、一言で言うならば「ルサンチマン」だと考えている。
イスラム教徒のキリスト教徒へのルサンチマン。
世界を支配しているキリスト教とキリスト教徒への怨嗟なのではないだろうか。
そう考えると、やり方には賛同はとてもできないが、心情的には理解できるものはある。

難民が続々押し寄せ、社会が恐怖を感じるようになったヨーロッパでは、あの寛容だった北ヨーロッパの国々でさえも、難民排斥運動がおこり、排斥を掲げる政党が議席を増やしている。
つい最近ではデンマークが国を挙げて難民を排除しようとして、難民の金品を没収する法律を可決したそうだ。(これにはデンマークなりの理由もあって、いわゆる生活保護受給者と同じ条件に難民をするためらしい。)
北欧は人口が少ない。その国々に難民がどっと流入すると人口比率はすぐに大きな変化をうむだろう。

2070年以降、イスラム教は世界最大の宗教となる。

これはヨーロッパの問題だから日本には関係ないとタカをくくっていてはいけない。
著者も言うように、日本は少子化が進み、労働力が減少する。現在1億2千万の人口は2060年に8700万人に、100年後には4300万人になる。
「単一民族国家」という幻想的なことは言っておられないのではないだろうか。
それに難民を受け入れないことで悪名高い日本だが、そろそろ先進国としての「義務」を果たしてもいい時期ではないかと、私は思うのだけど。
すぐに多数の難民や移民をというのではなく、徐々に日本に居住できる条件を緩やかにする必要がある。今はハードルが高すぎる。

保守のシラク大統領がイスラム女性の「ベール禁止」を法律家したときには、自由の国フランスが何故?と憤ったものだが、あの法律はイスラムのベールだけでなく、カトリック教徒の大きなロザリオをかけることやユダヤ教徒のふちなし帽子も禁止したのだそうだ。
しかし数で言うと圧倒的にイスラム女性のベールが多いし、政教完全分離のフランスらしからぬ法律ではないかと今でも疑問に感じているのだけれど。。

この問題、次世代もしくは次世紀にまで持ち越すのではないかと思うと、絶望的になります。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

村上春樹「ラオスにいったい何があるというのですか?」

村上春樹の紀行文集。
タイトルの言葉は、ラオスに行こうとする彼にあるベトナム人が投げかけた言葉。
旅をするにはれっきとした目的がある場合もあるし、漠然と目的なしの場合もある。
行った先の観光名所を巡る人もいれば、彼のように観光には興味のない人もいる。
(私もどちらかというと、美術館などの屋内で時間を取られるよりは、街のカフェやバールに坐って道行く人を眺めるのが好きなほうだ。)
何かがあって行く場合、なくても行ってみたい場合、旅ってホント、いろいろ。

村上春樹は世界のいろんなところに住んできた人。
それは作家という職業の特権でもある。どこでも、以前なら原稿用紙とペン、いまならパソコンがあれば仕事ができる。
住んだ土地の周辺を訪れる楽しみだって大きい。
奥さんと二人、そうした生活を続けて来た。
この本の紀行文は、昔行ったことのある土地を再訪するというものが多い。
現在ほど世界的に有名でなかった時代、「ノルウェイの森」を書いたあの頃・・
ボストン、ギリシャ、ローマやトスカーナ、フィンランド、ラオス、そしてどういうわけか熊本も。

えーとですね、これ、世界のハルキのエッセイとして、あまりにも深みがなさ過ぎではないでしょうか。
内容に「実」がないというか、はっきり言って、つまんない。
旅には、不安とか期待とかが入り交ざった高揚感があるはずなのだが、ここにある文章はあまりにも「平坦」で、旅のワクワク感がなさすぎる。
「熱さ」がちっとも感じられないのがつまらない一因だと思う。
まぁ、どこに行っても彼は対象に醒めている人だからなのだろうが、熱い気持ちは「走ること」に全部費やされているのかもしれない。

ローマの喧騒を避けてトスカーナを旅し、ワイナリーでお気に入りのワインを買い込む話しに出てくるワインを、ちょっと検索してみた。
なるほど、なかなか美味しそうなワインです。
ワインのつくられた年にもよるけれど、このキャンティ・クラシコはそんなにメチャ高いわけではない。
日本でも入荷可能なのでいつか注文してみよう。
この本で得たものは、このワインの名前くらい。まぁ一つでも何がが見つかってよかったと思いましょう。。
posted by 北杜の星 at 07:30| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

松家仁之・湯川豊・江國香織「新しい須賀敦子」

ミラノ、夫ペッピーノ、コルシア書店、作家、翻訳家、阪神間のブルジョワ家庭、鴎外好きの父親、大学教員、キリスト教左派・・
須賀敦子という名前を聞いて思い浮かべる断片はいくつかある。
けれどそれらすべてを繋げても、私の須賀敦子像にはなってくれない。
それはたぶん、この本を書いたり対談をしている三人にも共通していることではないだろうか。
だからこそ、すでに亡くなって15年以上経つ須賀敦子をそれぞれのかたちで再発見したり、求めようとしているのだと思う。

私にとってどうしても説明しきれない作家が二人いる。
一人はこの須賀敦子、もう一人は武田百合子。
二人の作風はまったく異なる。文学へのアプローチや文体も違う。でも二人は私の人生になくてはならない作家となっているし、いつ読み返しても「新しい須賀敦子」「新しい武田百合子」がそこにはいる。
たくさんのもの書きが彼女たちについて書いている。
それらの文章を読むとどれにも「まったく、そう」と思うのだが、私の想いが強すぎるのか、「それだけじゃないんだよね」とつい言いたくなるのだ。

編集者として、作家として、須賀敦子に魅せられた三人の想いが、はたして読者にとっての「新しい」のかどうかは別として、死後もこれほど読み通dけられる作家はそうはいない。
若い人たちも結構読んでいるという。
そういえば須賀敦子と武田百合子の共通項ある。
二人はともにエッセイしか書かなかったことだ。小説は一編も書いていない。、(須賀敦子はその準備をしていたけれど)。
それなのに随筆家エッセイストではなく、まごうことなき「作家」として扱われている。
それは、エッセイであっても「話し言葉」のように耳に届く文体であること、思い出や日常に「物語性」があることではないだろうか。
「話し言葉」に関してはこの本においても解説してある。
(残念なのは須賀敦子と親しくて、彼女の詳細な年譜を書いている松山巌が加わっていて欲しかった。。)

2014年秋、神奈川近代文学館において「須賀敦子の世界展」が開催された。
ここの三人は編集委員として、また講演者としてこの企画展に関わった人たちである。
私は行けそうもなかったので友人に「もし時間があったら行ってみて」と頼んでおいた。彼女も須賀ファンということを知ってたからだ。
彼女は行って展覧会を見ただけでなく、企画展のカタログ小冊子を買って送ってくれたのだ。
とてもとてもうれしくて、なによりのプレゼントだった。

「新しい須賀敦子」に出会いたければ、何度も何度も読み返すことだと思う。
松家仁之が書いているように、須賀敦子は再読に耐えられる文章の人だから。
彼女の思い出を掘り起こす言葉には胸の底に響く悲しさや幸福感があって、ときに私を慰め、ときに凛とさせてくれる。
posted by 北杜の星 at 07:43| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

村田沙耶香「きれいなシワの作り方」

私の友人の多くは「もう若い人の小説は読めない」と言う。
彼らが表現したいことのほとんどに興味が持てないらしい。ネット社会が当然の世代との共通項が見いだせないと。
私は文学に関してはまだ大丈夫。(アートの分野では、あのアニメ漫画のような作品についていけないのだが)。
ずっと文学を読み続けて新しい作家の登場をリアルタイムで体験できる歓びは大きい。むしろ私が青春時台に読んだ作家たちの小説を読むと、その旧さに退屈を感じてしまうことがあるくらいだ。

けれどそんな私でも、若い作家のエッセイはどうも読めない。。
これは書いてある内容が、私のとっくに過ぎ去ったことなので、いまさらどうでもいいからだと思う。だからけっして作者のせいではない。
きっと同世代の読者が読むと共感できることがたくさんあるにちがいない。

村田沙耶香は「ギンイロノウタ」などちょっと難解で独特の肌触りをもつ作品を書く作家。最近はかなり読みやすいものを書くようになっているが、それでもその肌触りは充分に残っている。
新作が出ると必ず読みたくなるのだから、かなりのファンと言っていいだろう。
このエッセイにはタイトルの「キレイナシワの作り方」に表されているような美容や服、恋愛などアラサー女性が日々感じるちょっとしたアレコレが綴られている。

「きれいなシワの作り方」といまさら言われてもねぇ。
だってコチトラ、シワもシミもお顔にいっぱい。「きれい」からは程遠い。
そんなお婆さんに片足突っ込んだおばさんが読んでも素直に「そうね。そうよね」とはいかないんです。
別に若さに嫉妬しているわけではない。羨ましい年齢はとっくに超えているもの。
ただ「あぁ、私の通って来た道ね」と思うだけ。
人生の深淵のエッセイではないのだから楽しく読めばいいだけなのに、それもできないのはなぜなのか?
でも村田さんだって多分、幼稚園児たちのお喋りの輪にははいれないでしょ。あれと同じ。

・・村田沙耶香さんはちっとも悪くないです。
これは若い作家のエッセイを読んでときどき起きること。世代の壁が越えられない私がいけないんです。
まぁ彼女だっておばさん対象に書いたものじゃないだろうし。。
どうぞ若い方は読んで、同感共感してくださいな。私は静かに退散します。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

町田康「スピンクの壺」

表紙のまっ白いプードル二匹。なんてかわいい。ぬいぐるみのようという言葉そのもの。
町田康といえば「猫」だった。なにしろたくさんの猫たちのために東京から熱海の山中に引っ越したくらい。
でも熱海に住むようになり、町田夫妻は犬も飼うようになった。
といTっても猫も犬も、彼らはペットショップで買ったわけではない。いつも気の毒な状況にある犬猫を飼う羽目になってしまう。町田康もだが夫人の敦子さん(本では美微さんとして登場)がめっぽうやさしい人だからだ。
最初はスピンク、そしてキューティが加わり、シードも一緒に暮らすことになった。
この「スピンク・シリーズ」はスピンクが作家の飼い主を「ポチ」と呼び、犬の目から飼い主の日常を描くというもの。
なにしろあの町田康が飼い主だ。スピンクにしてみれば変てこな理解不能なことだらけ。言いたいことはたくさんある。

町田康、なにをしてもうまくいかないんですね、いつものように。
それを冷ややかに傍観する美微さんはしごく真っ当な常識あふれる正常人。スピンクたちはいつも美微さんの味方だし、美微さんもスピンク達の味方。どんな場合もポチだけが孤立している。
ポチは側庭をなんとかしようと、砂利を敷いた。
けれど砂利はスピンクたちの足裏には痛かった。それで芝を張ることにしたのだが、砂利をちゃんと除かないで張ったものだから枯れてしまった。それではと庭業者に依頼して張ってもらったのだが、これもどうしたことが枯れてしまった。
スピンクたちの足は泥で真っ黒になってしまい、いつも洗う必要が生じて、美微さんのストレスに。そしてそのストレスはポチに向かう。。

と、あらゆることがこんなぐあい。
そのくせポチは反省しないし、訳のわからないことばかりを言ったりしたりする。
桜が嫌いと言いながら、河津桜を見に行ったりする。しかも葉桜になったのを見るために。
(熱海っていろんな種類の桜が植えてあるので、1月から4月まで桜が楽しめるらしく、ポチはそれが潔くなくて嫌いらしい)。
でもカワイイのは桜を見たポチは、桜はいいな、やはり桜はきれいだなと感嘆するのだ。

春、夏、秋と熱海での季節はめぐる。
それは東京暮らしでは体験できないことばかりだ。ちょっと大変だけど充実している。
仕事がもっとはかどればいいのだけど、でもまぁ、町田康はあれこれブツクサ言いながらも、ちゃんと書いているんですよね。
それにしても奥さんの美微さん、あっぱれな女性です。彼女がいるからこそ町田康ありき、なのです。
女性は立派。犬たちも犬をわきまえながら立派。
だけど女性や犬に花を持たせるポチがじつはリッパだったりして。。
私は町田康の大ファン。彼の書く小説の文体も大好き。(夫は「読めない」と敬遠するけれど)、パンク・ミュージシャンとしての彼は知らないのだが、彼のすることにはブレがないと思う。
若いときからずっと同じスタンスで暮らしている人だ。彼の含羞が好き。あの含羞こそが彼の文学をつくったのだと思う。

スピンク・シリーズ、次回も楽しみにしています!
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

松浦寿輝「黄昏客思」

帯文に「己を人生の客となし 背後に時間はたゆたう
怜悧な思索と生の官能とが 反響しあう二十編の随想」とある。

この帯文が十二分にこの本を説明いしていて、これに付け加えることが何もない。
人生のなかで人はときに「主」となり、ときに「客」となる。
主として客をもてなし、また反対に客として歓待を受ける。
相反する経験や感情が人生をつくる。

人生の黄昏にさしかかった作家であり詩人の松浦寿輝。
希望と失望、愉しさと悲しさ、陶酔と覚醒・・
これまでの時間の流れの中で、静かで寂しく、それでいて豊かに生きて来た彼らしい文章を読んでいると、こちらまで深い想いに浸ることができる。
抽象的なことだけでなく、この本には社会性のある文章も多いが、それを含めてのものごとへの諦念というものを感じる。

このところ彼の小説を読んでいない。(詩はまったく読んだことがない)
でも「あやめ 鰈 ひかがみ」や「花腐し」の初期の作品には、帯文にあるような「官能」が漂っていて好きだった。
けれど以前一度「散歩のあいまにこんなことを考えた」というエッセイを読んだことがあるのだが、小説とまったく異なるあまりの凡庸さに「?!」と戸惑い驚いた。
なんというか。。松浦でなくてもいいじゃないかという文章が並んでいたのだ。
あまりに普通すぎるというか、貴公子が平民になったような感じで、イメージが狂っちゃいました。

「黄昏客思」はとても松浦寿輝らしい随想で、読み応えあり。満足でした。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

宮下奈都「羊と鋼の森」

北海道の山奥の森で育った外村は高校2年生のときに一人の調律師に出会った。
学校の体育館のピアノを調律に来た人だった。
その人の仕事ぶりを見て、外村は自分も調律師になろうと決意。
それまで調律師という仕事があることを知らず、またピアノにもまったく縁のない彼だったが、その調律師の仕事には深い森が感じられたからだ。

東京の学校で2年間学び、その調律師の属する楽器店に就職することができた。
楽器店には他にも個性ある先輩たちがいた。調律を以来する客もさまざまだった。
一生懸命に頑張っても届かない。自分には何が足りないのか。どうすればいいのか。
悩み苦しみ、それでも時々得られる仕事のよろこび。

羊のハンマーと鋼の弦。ピアノという分け入っても分け入っても迷うばかりの森。
しかしその森は静かで清らかで、光り輝いている。

なんて豊かな小説なんだろう!
宮下奈津は大好きな作家だが、これは本当に素晴らしい。
これは善きこころのひとが書いた善き物語だと、てらいなく言いきれる。
上に「静かで清らか」と書いたが、これはある意味でとても「力強い」ものではないだろうか。
外村君の直感の鋭さや努力の積み重ねは、力強さを感じる。
彼はそれに気付いていないだけ。じつは周囲の人たちはみんな知っているのだ。

人間はとつぜんおおきくなるのではない。
ひとつひとつ階段を上って、なにかを積み重ねて、それで到達できる場所がある。
外村君にとっては、それが「森」。

たくさんのエピソードが挟まれているのだが、それら全部がとってもいい。
外村君と同じような北海道の山奥に一家で移住した宮下奈津だからこそ書けた一冊だと思う。
極寒の森、芽吹く森、緑あふれる森・・
彼女は森の美しさを知ったのでしょうね。

昨日の発表で、この作品が次回の直木賞候補とありました。
受賞には弱い部分があるかもしれないけれど、良い小説でした。
宮下奈都はいつも人生肯定で、そこが私は好きです。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

村上春樹「職業としての小説家」

村上春樹がどのようにして小説家になったか。
どのようにして書き続けて来たか。
また何のために書くのか。誰のために書くのか。
小説家としての自分を語った、とてもパーソナルなエッセイ集。

なんて誠実な人なんだろうと、これを読んだひとなら誰もが感じるのではないだろうか?
ひとつひとつ、とても丁寧な言葉を重ねて書いている。
なかには説明できないような事柄であっても、なんとか言葉にしようと試みているのは、小説家らしい作業だと思う。
村上春樹の愛読者で彼の小説がどのように生れるかに興味のある人が読んでも面白いし、小説家の日常を知りたい人にも面白い。
でもこうすれば小説家になれますよ、という本ではない。
これはあくまで村上春樹にしか書けない村上春樹の小説家としての生き方が書いてあるのだから。

小説家になる前に彼がジャズ・バーを経営していたのは有名な話だ。
世の中に折り合いがうまく付けられなくて、大学卒業後に就職などせず、好きな音楽を聞きながら暮らしたいとバーを始めた。
友人から借金をし体を使い大変だったけれど、それでも若かった彼は奥さんと楽しく暮らしていた。バーも軌道に乗っていた。
そんなある日、千駄ヶ谷の自宅からほど近い神宮球場に野球を観戦しに行った。(彼はヤクルトファンなんですね。)
その試合で、ヒルトンがヒットを打った瞬間、「自分にも小説が書けるかもしれない」と突然思った。
そして台所テーブルで書いたのが「風の歌を聴け」だった。
その本が文学賞候補となったとき、散歩をしていてやはり突然「自分は賞を獲るだろう。そしてそこそこ小説家として成功するだろう」と思ったそうだ。
こういうのを天啓というのでしょうね。
彼は現在でもそのときの感覚を鮮明に覚えているという。

しかし村上春樹は、小説を書くのは、書き続けるのは才能ではないと言う。
もちろんなんらかの才能は必要としても。
才能よりも、体力。持続するのに必要なの尾はなによりも体力なのだと。
だから彼は早く起きて走る、運動をする。書き続けるために。

何のため、誰のため、学校とは?文学賞とは?
たくさんの問いかけに対する彼の答えはどれも彼らしく意外性はないけれど、最初に書いたように、誠実さにあふれていて、つい読みふけってしまう。
私は「ノルウェイの森」くらいまでの村上作品はすべて読んでいる。
いまは長編作家としての村上春樹だが、私は彼の短編のセンスとキレのよさが好きで、今でも時々昔のものを読み返すときがある。
なぜ読まなくなったか?
それには私なりの理由があるし、たぶんその理由は、他の読まなくなった人たちと同じ理由だと思うのだが、今はそれに言及するつもりはない。
まぁ、私が若くなくなったから、、ということなのだろうけれど。

この中で村上春樹が河合隼雄との出会いについて書いている章はとても興味深かった。
彼は誰をも「先生」とは呼ばないそうだが、河合隼雄だけは「河合先生」と呼んでいた。
でも会うまでかれは河合の著作を一冊も読んだことがなかったそうで、そもそも心理学に興味がなかった。
でも彼の奥さんは河合ファンだったので(それすら彼は知らなかった)、「本は読まなくても、河合隼雄には絶対会った方がいい」と薦めたという・・
河合隼雄という人間も村上春樹という人間のどちらもこれを読むとよく理解できる気がする。

村上春樹を熱心に読まなくなって久しいけれど、私の座右の銘はいまも「羊をめぐる冒険」に出てくる一節の言葉なのです!
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2015年11月26日

水島弘史「弱火コントロールで絶対失敗しない料理」

水島氏はフランス料理店を経営し、現在はその経験を生かして科学的理論に基づく料理教室を主宰している。
その料理教室は日本で一番予約がとれない教室として名高いそうだ。
食材の切り方、火の通し方、味付け・・「料理は科学」の信念でのレシピはまず、「弱火コントロール」ということ。
そう、強火で失敗することって多いですよね。
中華料理屋さんのあの強火はけっして真似できないし、強火の遠火で魚を焼いてもまず成功しない。
あれはなぜなんでだろうと、常々私は疑問に思ってきた。
これを読んだらすべてが解決するかもしれない。。

私の通う北杜市のライブラリーでは料理の本は「技術・工学」のジャンルに分類されている。
料理がまぁ「技術」ではあるとして、「工学」と同じ括りとは、いささか大げさなと思っていたけれど、水島氏の科学的理論にはなんか理系の雰囲気があるんですね。
私はこれを夫用に借りて来た。
料理初心者の彼にとっては何の定説も先入観もなく料理に取り組むのはいいことだろうと思ったからだ。
でも、ダメでした。
まず野菜炒めをこれを見ながら作ろうとしたのだけど、彼はあの強火で「ジャーッ」という音がないのが気に入らなかった。
弱火だと音がしない。それが美味しそうではないのだそうだ。
確かに料理には音や香りも大事な要素だ。それがないのは不味そうと言う。
うーん、困ったなぁ。
出来上がりの味ではなく、音が問題とは。
(そういえば彼はバイクでも車でも、スタイルの次には「音」がいいかどうかを問題にするのだ。ドゥカッティはいいねぇとか昔のポルシェは良い音してたねとか。「いい音のする車に乗りたい」と言う彼にとって電気自動車は論外、絶対に乗りたくないそうだ)。

それでは私がと、この本のレシピでイカを作ってみた。
イカってかたくなりやすいので、水島氏のイカはどうなるかと試してみたのだ。
弱火で茹でて、弱火で炒めた。
はい、柔らかかったです。心配したような水っぽさもなく美味しくいただけました。
ついオーヴァー・ダンになってしまう焼き魚もきっと水島レシピだと成功するのだろうと思った。

でもね、でも。私が保守的、頑固なのかもしれないのだけれど、プロではなくとも家庭料理をウン十年作ってきて、私なりのつくり方が身についてしまっているためか、まったく新しい料理をつくるのなら別だけど、どうも本を見ながら作るのが面倒くさい。邪魔くさい。
「悪いけど、私の流儀でやらせて下さい」と言いたくなる。
つまり、夫と私は似た者同士ということなのか。私たちにとっては猫に小判の料理本だった。
科学ではなく情緒の方が大切だった。
でもこれから料理を覚えるという人には、かならず参考になること間違いないでしょう。この本を台所に置いて頑張ってください。

posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

宮嶋勲「最後はなぜかうまくいくイタリア人」

著者の宮嶋氏は大学卒業後の1985年から89年までローマの新聞社に勤務。現在はワインと食についての執筆活動をしている。
イタリアワイン紀行などのテレビ番組で彼を見知った人も多いのではないだろうか。
25年以上イタリア人と仕事をしてきた彼がイタリア人の「不思議」を紹介し、その「不思議」がイタリアでどう生れたか、日本人がどう付き合ってゆけばよいかを示唆してくれるのがこの本。

私は1969年に初めてイタリアを訪れて以来、イタリアには何度か行っている。その滞在日数は1年にはならないものの結構長い。
夫は8年間中部イタリアに居住し、建築の仕事をしていた。
だからイタリアはどの国よりも私たちにとって近しい国である。
それでも行くたびに、一度や二度は「!」「?」と目が点になる出来事に遭遇する。
どういうメンタリティで彼らが行動するのかがじつに不可解なのだ。
戸惑う、口惜しい、苛々する、腹が立つ・・

私の友人のM子さんは「イタリアの銀行や郵便局などの窓口で、職員がずっと私語を交わし仕事をしないというのが、耐えられない」と言う。
たしかに。。
昔ほど酷くはなくなったけれど、それでもそういうことはままある。
でもここがイタリアの不思議な点で、窓口で列を作って待っているお客さんは待たされることに怒っていないだけでなく、その会話に参加したりするんですね、大声で。一緒になってああだこうだと言い合っている。
この本に解説してあるが、それはイタリア人が「公私混同」する国民だからなのだそうだ。
そして公私混同が起きるのは、イタリアでは多くの会社がいわゆる家族経営だから、仕事とプライベートの境が曖昧だからだ。
これは他のヨーロッパ、とくにフランスやドイツなででは考えられないことだと思う。
ドイツではoffの時に仕事に関係する電話すらしてはならないと法律で決められているという。「あれはどうなった?」「あれがどこにある?」などと尋ねてはいけない。 BC
イタリアでは仕事のミーティングで結論出ない場合、「それじゃぁ後は我が家でランチしながら。。」ということになる。
そしてこれがイタリアの「不思議」の一つなのだが、そうした公私混同からすごいアイデアが生まれるのだ。
だから「いいかげん」なイタリアで、あの素晴らしいデザインや世界をリードする企業を輩出することができているのだろう。

真面目でパンクチュアルな日本人には我慢のできないことはある。
ここにもあるが、アポの時間は努力目標。厳密に守らなければいけないとは誰も思っていない。
むしろ遅れた人に時間を合わせると言う「理解」がある。例えば8時に夕食に招かれ、最後に来た人が2時間遅れたら、夕食は10時に始まる。先に来た人はそれまで延々アペリティフを飲みながら歓談している。だれもそれで文句は言わない。
自分も遅れるが、遅れた人を非難しない。
美味しい夕食が終わり、みんなが満足ということになる。

先日、辻原登の本を読んでいたら、彼ら夫婦と友人夫婦がヴェローナでオペラ「アイーダ」を観に行った時のことが書かれていた。
雨で開演時間が遅れ始まったもののまた激しい雨、中断の後で再開するもまたも雨、それからやっと始まり、終わった時には夜中の2時過ぎ。
観客たちはそれからレストランに繰り出し、ゆっくり夕食を楽しんでいたと辻原登は驚いていた。
そう、レストランはずっと待って開けているんです。イタリア人が夕食を食べないなんてありえない。アポの時間が遅れただけ。
レストランの料理人もサービスの人もそれになんの疑問も持たず、お客を待ち、食べさせる。
多分食事が終わるのは明け方だろう。イタリアってそういう国なんです。
一見、何の秩序もなさそうだけど、彼らなりの法則性があって、それがゆるやかに機能し、「最後はうまくいく」。

でもやっぱり「不思議」なのは、仕事の案件において、「なぜこのプランが駄目なのか」と問われ、「嫌いだから」という答えが成立するところ。
普通なら「なぜ駄目かを」ロジカルに説明し、相手を説得させようとするものだが、イタリア人って「それは嫌い」「それは美しくない」の一言のもと、モノゴトが決まってしまうのだ。
これをやりにくいと感じるか、面白いと思うかで、イタリアが好きか嫌いが決まるのではない意だろうか。
ちなみに私は慣れました。というかあきらめました。
だけどイタリアから日本に帰って、成田空港の高速バスに乗車する際に、白線に沿って並ぶように指示されたりするとムッとしてしまうくらいには、イタリア方式が身に着いたのかもしれません。
posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

町田康「常識の路上」

久しぶりに読み応えのある町田康のエッセイ集。
このところ猫や犬(スピンク)ものが多く、それはそれで面白いものではあるのだけれど、作家らしいニュアンスのものだって時には読みたい。
1999年から2015年までの単行本未収録エッセイを集めたもの。
旅行記、書評、作家論や音楽活動、猫や犬・・テーマはさまざまだが、どれも町田康!という文章だ。
彼の文章のパンクぶりは好き嫌いが激しいようで、私の夫は全然ダメ。最初の一行から拒絶反応を示す。
なんででしょうね。。
読み始めると彼独特の文体のリズムが心地よくなって、時々これを読まないと物足らなくなるのに、もったいない。
「常識」と町田康がタイトルにしたのには、なにか彼なりのレトリックがあるのだろうか?たっぷりとそれを味わってみようじゃないかと読み始めた。

旅行記がいい。
ニューヨーク、ベルリン、上海・・
旅が大嫌いというわりには、(仕事とはいえ)行っているんですね。
そのなかでも「東ドイツで盆踊」がじつに彼らしくて、よかった。
彼らしいというのは、彼の作品を読んできたファンならわかるだろうが、彼の驚き、彼の戸惑い、いたたまれなさの生理がなんともおかしく、見方によるとなんでそこまで感じて考えちゃうの、それって自分で自分をがんじがらめにしてるでしょと、ラクに生きられくてそうなってしまう町田康だからである。
でもこういうのこそが、作家の資質なのかもしれない。
そして私は、こんな町田康が大好きなのだ。

ある日帰宅したら留守番電話が入っていた。不明瞭でかけた人間の名前は何度聞いても「指南場所」としか聞き取れない。
「指南場所」はドイツ人で、ベルリンで日本文学に関する催しが開かれるので、日本から作家たちを招きたく、町田康にも来てもらいという用件だった。
ベルリンへの渡航費用、ホテル代、少しのユーロを貰い、旧東ドイツのベルリンに赴いた。
寒い。ベルリンはとても寒い。フランクフルト空港に降り立った彼は素敵なスーツケースにハローキティのベルトをかけている。
ホテルの部屋は狭く、シャワーのお湯はうまく下に落ちてくれない。
翌朝朝食ルームに行くと、室井光広氏と多和田葉子氏に会う。(多和田葉子は在独の作家)。
夜までなにもすることがなく街を散歩してみる。
最初の文学会について指南場所は「シッパイです」と告げた。
次の日の朗読などの会が「セイコー」と告げた。

以上のベルリンの出来事のどこにどう、町田康の「生理」が現れているのか?
ファンなら察しがつくのではないだろうか?
(それにしてもドイツでは、会の後の食事会兼反省会はあっても、他の接待は皆無なんですね。街を案内することすらしないのだ。これって日本じゃぁあり得ないことだと思う)。

坂口安吾、織田作之助、久世光彦、正岡子規、岡井隆の短歌など作家や作品論が書かれているなかで、私の大好きな梅崎春生に関する「手の甲と心の」という短い文章があり、うれしくなった。
梅崎春生もかなりの猫好きの作家だった。
今は梅崎春生や木山捷平のような戦後文学を読む人がいるのかと思うが、彼らの作品は小品であっても、いろんなことを考えさせられる深いものがたくさん詰まっている。
それは「大きい説」ではない「小さい説」を書く小説家の真実があるからだと思う。
春生も捷平も一筋縄ではいかないじいさんだったけど、その風貌はなかなかのものがあった。ああいうのを人物が顔に出るということなのだろう。
彼らのような「文士」は昭和そのもので、いまは消えてしまった。

この「常識の路上」、堪能しました。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月24日

宮本顕二・礼子「欧米に寝たきり老人はいない」

認知症に関わる医師、宮本礼子氏は2007年にスウェーデンの老人医療を見学に行き、そこで驚くべき高齢者医療を知ることになった。
それは「高齢者が食べなくなっても、点滴や軽管栄養を行わない」ということだった。
そのほうが穏やかな最期を迎えることができるという。

これはスウェーデンだけではなく、フランスの老人医療でもそうだと、ある本で読んだことがある。
「食べられなくなったら、人生終わり」。
しかし日本では80パーセントの人が延命治療を望んでいないにもかかわらず、体中に管を結ばれる。
意識がなくなっても、胃ろうをつくられて栄養を摂り込まされるのだ。

昔、年寄りは「枯れる」ものだった。それが自然だった。
枯れようとする体に点滴や管から栄養を与えるから、苦しむのだと思う。自然の摂理に反しているからだ。
じっさいに、無理に食べさせようとするために、誤嚥が起こって肺炎が起きる。
意識のない高齢患者に水分を与え過ぎるから、痰がたまり、その除去で患者を苦しめることになる。

そのような延命治療を避けるためにリヴィング・ウィルを書いて用意していても、私の友人の母上には無益無駄な治療が続けられた。医師によって黙殺されたからである。
リヴィング・ウィルは日本では法的効力を持たないのだ。

しかし延命治療がおこなわれるのは、患者の家族側の理由もあれば、医師側の理由もある。
どちらも「できるだけのことはしたい」「できるだけのことはしてもらいたい」と考える場合。
家族が高齢者の年金をアテにしているということもあるそうだ。
医師としては、点滴や軽管栄養などの医療行為をしなければ、医療点数が稼げない。
医療行為をしない患者さんには家か老人施設に戻ってもらいたいと病院側は思うが、施設の方では胃ろうをしていなければ介護の手がかかるので引き受けてくれない・・

ここには欧米豪6カ国の終末医療の実情が述べられている。
これを読んで思ったのは、もちろん医療や社会のシステムの問題もあるけれど、つまりは人生観や死生観の問題ではないだろうかということ
残念だが私たち日本人はまだまだ「人生をこう生きたい」「人生はこう終わりたい」というコンセプトを明確に持っていないのだと思う。
欧米の人間は形而上的なことを話題にすることが多いが、日本の家庭でどれだけそのようなことが話し合われているだろう。家族間で死について話すことがあるだろうか。
恒例の親や義両親に死について話すのは、なんとなく「悪い」という気持ちが先立って話せないと言う友人がいる。
しかしそういう話題は常日頃から話し合うべき事柄だと、私は思っている。

「人生は楽しむためにある」のだから、食べられなくなり意識がなくなったら、終わりにしてもいい。
少なくとも、日本の病院がしているような、点滴の管をはずさないための拘束など、してほしくないものだ。
管を嫌がって外したいと暴れるのは、あれは「枯れて死にたい」という本能ではないだろうか。

いまの日本人って、人間は死なないと誤解しているんじゃない?
宮本夫妻のような医師がこれからたくさん出てきて、真の終末医療を考えてもらいたい。
患者とその家族も、もっと賢くなりますので。

癌になったら鳥取の「野の花診療所」のホスピス、認知症になったら岡山の「きのこエスポアール病院」が理想みたいですね。
野の花ときのこ・・自然でいいです。
どちらも中国地方。私の終の棲家はあのあたりかな。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月21日

松井孝嘉「首は絶対にもんではいけない」

私の夫は過去にムチ打ち症を経験したことがあるせいか、pcワークが長くなると必ずと言っていいくらい首こりになる。
そのまま放っておくと肩こり、頭痛、眼痛が起きる。
そんな時は、タオルをレンジでチンして首の後ろを温めたり、頸椎以外のところを抑えてあげる。
三週間に一度の鍼灸治療は、この首こり解消のために行っているようだ。
私も3年前に突然、首が回らなくなって、3ヶ月くらい難儀をした。後ろをふり向けないのは不自由だったなぁ。体ごとふり向いていたが、ロボットのような動きだった。
腰も体の要だけど、首もとっても大切な部位なんですよね。
首がいかに大切か、その首を守るためにどうすればよいかが書かれているのが、この本。
ライブラリーの新刊コーナーで見つけて、すぐに借り出しました。

首の後ろの頸椎は自律神経のセンサー。つまり首は脳の一部といっても過言ではない。
自律神経は交感神経と副交感神経からなり、体のあらゆるところに作用している。
だから自律神経が乱れると、さまざまな症状が発生し、不定愁訴として苦しむことになる。
めまい、頭痛、動悸、汗、しびれ、眼精疲労、睡眠障害、食欲不振・・

その原因が「首」にあるとは知らなかった。
首は細い筋肉で、ボーリングのボールほどの重さの頭を支えているのだから、大変だ。
首の細い人、長い人、猫背の人などはなおさら負荷が大きい。
しかも首の筋肉は疲れやすいだけでなく、疲れが取れにくいという。

首の疲れを取ろうとして首をもんだり、引っ張ったり、固定させてはいけないそうだ。
(押すのもいけないのかな?私、もみはしないのだけど、押していたんです。でも絶対に脳幹から続く頸椎の周辺は怖くて押しません)
この本には首の筋肉をほぐしリラックスさせる体操が紹介されている。
そう難しいものではなく、時間もかからない。
デスクワークで下を向くときは、30分に一度のこのリラクゼーションをするといい。
椅子に深く腰をかけ、上体をまっすぐにし、両手を首の後ろで組んで、そっと首を後ろに傾け30秒キープ。そのまま頭を基に戻す。

他にも松井先生考案の555体操というのもある。
これは上記のものよりもう少し複雑で、首のまわりの筋肉すべてをゆるめる効果があるもの。
私、イラストを見ながらこの555体操を試してみました。
驚くことに、即効ありでしたね。すごーく首がラクになった。
(そのときに気をつけた方が良いのは、肩を前に倒さないこと。肩は前から大きく後ろに回しておく。)

首こり、肩こりの人が随分多い。
パソコンやスマホやゲームで下向きの時間が長いせいだ。
首こりと侮ってはいけない。
最近よく言われる「新型うつ」は自律神経うつ、頸筋性うつとも呼ばれるくらい、首と深い関係があるのだ。
首こりがウツの原因だなんて!

この本を読んだ夫はさっそく、レンジでチンしたタオルで首の後ろを温めた。
これまでもそれはしていたのだけれど、レンジに温めたものは食べものもそうだが、すぐに冷めて困っていた。
ここに紹介してある方法は、ラップに濡れタオルを包んでチンし、それを乾いた別のタオルでまた包んでから当てるというもの。
これならいつまでも温かいまま。
寝る前にすると本当にラクになったらしい。
それと仕事で使う方のPCを、下に向かなくてもいいように、位置を高くしたところ、首の凝りが全然減ったそうだ。どうしてもっと早く気付かなかったのだろうと言っている。
これで3週間に一度の鍼灸治療が一カ月に一度の頻度になれば、節約できるかも。

posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

群ようこ「衣にちにち」

明日はちょっと外出、というとき「さて、何を着て行こう」と迷ってしまう。
私が住むのは八ヶ岳。夏はいいとして冬に東京に行く時には気温差が大きいので、まるで山の熊さんになってしまう。
それに加えて、服に悩むのは年齢の問題もある。
これまで似合っていた服の色、型、素材などがまったく似合わなくなってくるのだ。
これに気付いたのはもうかなり以前で、私が50歳になったころだった。
若いころと同じ恰好だと「若作り」になってしまって気持ち悪い。かといってあまり地味な格好だとよけい婆くさい。
それで私のとった戦略は、ボトムはスリム的なパンツ、トップスはカットソー(普段はファストファッションの品だが、外出時にはブランドもの)かセーター、それに春や秋はカジュアルなブルゾンかジャケット、冬はコートというシンプルというと響きがいいが、愛想のないかわいさとは程遠いスタイル。
多分、人から見るといつも同じ恰好に見えると思う。
でもこれでいい、と決めたので、もう迷わなくなった。

群さんは作家という仕事なので居職で家にいることが多い。猫を飼っているので家で上等なものは着られないそうだ。
だからこそ、外出の時にはいろいろ悩む。
会食、インタビュー、撮影・・なんでもいいというわけにはいかない。
自分のワードローブを眺めまわして、着てゆく服を前もって決めても、天候気温などの条件が問題だ。
動きやすいもの、冷えを防止するもの・・いろいろ考えれば考えるほど、悩んでしまう。
(だけど群さん、ちゃんとTPOにあわせて、素敵な服をきているんです。マーク・ジェイコブスなんてのも着てる)。

ここにも書いてあるが、トシをとったら「好きな色ではなく、似合う色を着るべし」と。
それは私も賛成だ。
体型も悪くなるが、何にもまして悪くなるのが肌の色。若いころに着ていた「地味」な色だと年齢が際立って見えてしまう。
とくに難しいのが、ベージュやグレーだ。
彩度や明度が肌の色に合っていないと最悪なことになる。
(そういうときは、サシ色としてマフラーやスカーフを使うのも手。でも間違ってもCAのようなスカーフにはしないね)。
それと型も大切。
体型をカバーしようと考えるのはいいとしても、上も下もダボダボだと、やはりこれもお婆さんスタイルだ。
全部を「今」にするとそれはそれで痛々しく見えてしまうけど、やはりどこかには「今」はほしいもの。

群さんは和の習い事をしているので着物を着る人だ。
着物は約束事が多くて大変という人がいるが、反対に考えると、約束通りにしていればいいのだから、楽といえば楽。
ここに書いてあるように歌舞伎座で、三十代半ばの女性が、紬の着物に袋帯をふくら雀に結んでいるの見たとあるけれど、それはない、ない。
紬はどんなに高価でも普段着、もしくはお洒落着だ。正装の袋帯はありえないでしょ。
最近では結城紬に絵を描いたものを訪問着として着る人が増えてきたが、私に言わせると、あれは野暮ですね。

でも着物の着方に変化もあらわれている。
昨今の温暖化で春や秋に気温が高くなって、従来なら6月と9月にしか着なかった単衣を、4・5・10月にも着るようになっているそうだ。
たしかに5月って暑くなったもの。袷なんて着てられない。
私の知り合いに、盛夏以外はいつも着物で通していらした女性がいた。その方は一年中、単衣だった。
どうして?と尋ねると、だって袷は重いんですものと言われた。
そう、チンと座っているだけでなく、くるくると働く日常着としての着物なら、軽い単衣のほうが動きやすいはずだ。
いつも紬の単衣にこれも紬の長い前掛け・・これが彼女のスタイルだった。
寒さは温かい肌着で調整されていたようだ。私の憧れの美しい女性でした。

だけど群さんのこの本を読んで、思ったことがある。
それは、たくさん服を所有しているから「悩み」「迷う」のではないだろうかということ。
現在、若い人たちの間では「ミニマリズム」という生き方が注目されているが、そうした生き方をするのなら、モノは極力少なくできるはず。
そのほうが風通しがいいし、風通しがいいということは、精神にもいいのではないだろうか?
ウツになる人の部屋はモノであふれ、整理整頓されていないことが多いと聞くが、それって物理的にも風邪通しが悪いよね。

群さん、服を減らしましょう!
posted by 北杜の星 at 08:34| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

茂木健一郎「東京藝大物語」

茂木健一郎は5年間、東京藝大で非常勤講師を務めた。
これはそのときのできごとを、エッセイではなく小説として書いたもの。
小説といってもおそらくほとんどが実話か実話に基づいて書かれているのだと思う。教授や講師は実名で登場する。

茂木健一郎はご存知のように脳科学者である。つまり理系の人だ。
その彼が理系とはかけ離れたアート人間を相手にするのだ。彼にとっても学生にとってもお互い異分子同士。
はたして茂木のクオリア理論を学生は理解できるのか?茂木は学生をうまく指導できるのか?

これ、正直なところほとんど期待しないで読み始めたのだが、まぁ、面白いこと!
茂木の言語表現はなかなかのもので驚いた。
よく観察し、観察したことを上手にすくい取って書き表している。

四浪して油絵科に入ったジャガーは、入学したときの鼻水をチューブに入れてビーカーで持ち歩いている。
吃音傾向のあるハト沼は毎日上野公園のハトをスケッチしている。
早稲田を卒業後東京藝大に来た阿部ちゃんはさすがに他の学生とはちょっと違う雰囲気。
肉感的ないやらしさと多くの武勇伝をもつ杉ちゃん・・
まぁ、奇人変人揃いなのですよ。

しかし彼らは真剣なのだ。
アートで身を立てようと、毎日芸術を論じ、制作し、時に恋愛もし、一生懸命毎日を生きている。
とくにジャガーの猪突猛進ぶりは感動的でさえある。
カバンを持たないカバン持ちの書生として、茂木を慕うジャガーのかわいさ!

このなかでエピソードはたくさんあるのだが、大竹伸朗が講義にやってきたときの話はいかにも大竹らしくて面白い。
いつもの通り茂木はジャガーを「こいつ、油絵なんです。四浪ですけどね。」と紹介すると、大竹はギロリとジャガーを睨みつけ、「サイテーだな」と言い放ったのだ。
そして今をときめくアート界のスーパースターの登場に講義会場はどよめいたが、大竹は開口一番、「おまえら、分かっているのか!東京藝大なんて来ているようじゃ、アーティストとしてダメだ。そもそも美大になんか意味がないっ!」。
しーんと静まる会場。のっけから学生たちはみんなノックアウト。

いいなぁ、こういうの。
私が大竹伸朗を知ったのは彼の「倫敦/香港」という本を1989年に夫が買って帰ったことからだった。
そのキッチュさにすぐに大ファンになり、日本橋の小さな「ペース・ギャラリー」などの個展に足を運ぶようになった。
そうこうしているうちに彼はどんどんビッグになって、2006年には東京現代美術館で「全景」という大回顧展を開いた。
その展覧会の作品の多さに頭がクラクラした。
どんなにビッグになろうとも、けっして「体制的」にならない彼のアートは、私にとってとても心地よいものだ。
アーティストって本来は「反体制」のものだと思うのだけど、有名なり経済的に潤い権力者との接点が多くなると、アートとは異なる方向へ行く人が多くなる。
私はそれが嫌い。アーティストには前衛であってほしいし、権力におもねってほしくはない。
そういう意味で大竹伸朗は信頼できるアーティストだと信じている。
(大竹は東京藝大に落ち、武蔵野美大に入学するも、一週間で休学し北海道の牧場で働いた。ロンドンで暮らしヨーロッパのパンクのような前衛を身に付けた。
彼は絵のほかに音楽(といってもノイズ・バンド)もしている。結局武蔵野美大を卒業はしているが、それによってなにかを得たわけではない。)

軽く読めたこの本だけど、青春小説としてとても楽しい一冊だった。
東京藝大の学生の青春だけでなく、茂木健一郎の二度目の青春でもあったのではないだろうか。
posted by 北杜の星 at 08:09| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする