2017年07月06日

吉村昭「冷たい夏、熱い夏」

この本はずっと以前から読みたいと思っていて、でも立ち向かう勇気がなくて読まないでいたものだった。
地元の点字図書館を検索していたらこの本を所蔵していることがわかり、意を決して読んでみた。
4巻に分かれていたがこのところ読むスピードが上がったので、約3週間ほどで読めた。

これは私小説だ。
しかも弟の癌闘病記で、弟の発病から死までを克明に描いている記録小説だ。
その筆は緻密であるが、冷徹ともいえるほど対象を見据えていて、小説家という職業の持つ目のすごさを感じてしまう。
元来、弟は明るく活発で人気者だった。
主人公にとってはどの兄弟よりも近しい存在で、弟が癌になったことを自分のこと以上に受け止めている。
もともと彼の家系では両親、成人した兄たちはみな癌死しているという。
だから弟も発病時から自分が癌ではないかと疑っていた。

癌の中でも難しいもので、術後1年以上生存したケースは皆無と医師から言われる。
主人公は弟に癌を告知しようとはしない。あくまで隠し通すつもりでいる。
それはそれまで小説のために取材した欧米人の死生観と日本人のそれには大きな隔たりがあって、日本人には癌を知らせないで療養させるほうが精神的に良いという信念があったからだ。

でも私は「それで本当によかったのか」と思う。
おそらく(絶対に)j本人はわかっていたはずだ。
そしてそれをあくまでも隠す兄である主人公を時に恨んだのではないだろうか。
そのことを含めてすべて知りつつも、なおも癌であることを否定し続ける主人公の心理を推し量るとやりきれなくなる。

主人公は身を切られる想いで弟を見舞うが、一方では冷静に死後の葬儀のことを知人に相談し葬儀社まで出向くのだ。
そのことを知った主人公の妻は何も言いいはしなかったが、非難しているのは明らかだった。

この弟が痛みと苦しみのためにユーモアを失ってゆくのが悲しいが、ほとんど臨終に近くなってたくさんの肉親が病室に集まっているのを見て、「こんなに大勢集まっているなら、死なないわけにはいかないな」と虫の息で言うのには、唖然としてしまった。
この期に及んでスゴイ人だ。
(以前誰かから聞いたのだが、同じように臨終のお婆さんの耳元で「おばあちゃん」「しっかりして」と大声で呼ぶ子や孫の声に、おばあちゃんが閉じた目を見開いて「うるさい!と言ったとか・・不謹慎ですが私、こういう話しが好きです)。

弟に付き添う弟の妻と、病院の付き添い婦の看病ぶりは本当に心がこもっている。
とくに仕事とはいえ、付き添い婦の病院に対しての、また家族に対しての心配りは、この人のそれまでの人生の深さを感じさせるほど。
彼女を主人に一冊の本が書けはしまいかというくらいだった。

癌で亡くした肉親を持つ人にはキツイ本かもしれない。
私もこれを読みながらずっと義母のことを考えていた。もう20年以上前のことだから、まだ日本では癌の告知はされていなかった。
彼女の闘病を目の前にして、「私ならはっきり言ってほしい」と切に願ったものだ。
でも最近では無頓着過ぎる告知も多くて、やはり患者をじっくり見て告知のタイミングをはかってもらいたいものだと思う。

しんどかったけど、読んでよかったです。

posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

吉村葉子「徹底してお金を使わないフランス人から学んだ本当の贅沢」

著者は20年のフランス在住を経て日本に戻り、神楽坂の狭小一軒家から築30年のマンションに引っ越して、その暮らしぶりを写真と文章で表したのがこの本。
フランス滞在中はファッション以外の、料理、政治、経済などあらゆるジャンルの話題を日本のメディアに紹介する仕事をしていたという。
ここにはお金を使わないでも心豊かに暮らせるフランス式生き方が書かてている。
経済優先でなにもかもが消費で支えられている日本と較べて、ちょっと反省してみるのにいいかもしれない。

とってもお洒落!というのがこの本の最初の印象。
それもそのはず、写真に載っている家具や食器や小物のほとんどは、彼女がフランスから持ち帰ったもの。
だから室内はまるでフランス!
クラシカルでシック。(でもファブリック系はすごーく派手)。

フランス人は親しくなってもお金の話はしないのだとか。
株で儲けたの損したのという話は誰からも聞いたことがないというが、そういえばイタリア人もそうした話題は持ち出さないなぁ。
お金があるということも、ないということも会話の中には出て来ない。

フランスはグルメの国なのに太った人はあんまりいない。
パーティなどでは前菜、メイン、チーズ、デザートをしっかり食べて、飲み物は泡もの(シャンパン)から白・赤・食後酒とたっぷり摂ると言うのに、何故なんだ?
その秘訣がここに説明されているので、参考になるはず。
フランス人たちはお腹いっぱい食べた翌日は「食べない」のである。
朝はコーヒーだけ、昼夜はりんご1個・・
そうやって体を調整し、体重を元に戻しているのだ。
(これは私もしていることで、たくさん食べた翌日や翌々日はあまり食べない、毎日続けて美味しいものは食べないようにしている。だから数日旅行して旅館の食事が続くのは苦痛)。
これは不思議なことなのだが、フランスやイタリアでは男性も女性も同じ量を食べるんですよね。
日本だと、女性には小さなお茶碗でご飯がでてくることがよくあるが、あちらではそういうことは皆無。
女性だってしっかり食べます。
そしてみんなでテーブルを囲むときは絶対に「私、ダイエット中なの」とかは言わない。(フランス人のように後で自分で調整すればいいことだから)。

彼らの家での食事は本当にシンプル。
サラダ、ハム、ヨーグルト。でも一応はちゃんとコースになっているからおかしい。
イタリア人のように炭水化物を多量に食べないからもあるが、フランス人はほっそりしている。

この中には簡単なリエッとかガトー・ショコラの作りかたが紹介されている。
リエッとってどうもうまくいかない。脂っぽくなりすぎたり逆にパサになったり。でもリエッとは作り置きしておけば前菜にもなるしメインにもなるし、本当に便利なもの。
このレシピに添って一度作ってみよい。さいわい我が家では生活クラブの平田牧場の豚肉が手に入る。あのバラ肉塊なら成功するかも。

いろいろ役立つセンスある暮らしが提案されているのがうれしい。
でもこういう本を見ていつも疑問に感じることがある。
在フランス中、彼女たちは白人フランス人としかおつきあいがなかったのだろうか?
フランスには中東、北アフリカ、インドシナ半島などからの移民がたくさん住んでいて、生れた時からのフラン人も大勢いる。
どうしてそういう人たちの暮らしが紹介されないのか?
レストランだって伝統的なフレンチもあれば、ベトナム料理店やあモロッコ料理店だってあるはず。
ましてパリは昔からコスモポリタンの街だ。
私はそういう人たちをも含めてのフランス事情を知りたいと思うのだけど。。そういう本は売れないのかなぁ。
posted by 北杜の星 at 07:23| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

吉村昭「東京の下町」

昭和2年生まれの吉村昭。
東京、日暮里に生まれ育った彼が幼いころを過ごした町の思い出を綴るエッセイ集。

ここには丸々の昭和がある。
子どもの遊びが懐かしい。吉村昭はほぽ私の父親の世代だが、当時と私の小さな頃の子どもの遊びって、そうは違わなかったみたいだ。
それが変わったのはいつ頃からなのだろうか?
昭和40年代か50年代くらいなのだろうか?

私も夫も東京の下町には縁がなくて、山手線でいえば上野から池袋間はほとんど知らない。
あれは根岸かな?洋食の「香味屋」が好きで、そこに食事に行くくらいしか用がなかった。
とげ抜き地蔵にもまだ行く必要はなかったし。

神社の夏祭りも盛んだった。
上野公園だって人気だった。
ハレとケがはっきりしていた下町の生活。
そのなかで吉村昭は映画が大好きだった。昭和10年代からの映画を実によく観ている。
そのせいか彼の将来の希望は映画監督だったとか。
しかし結核で大手術をしてくれた執刀医は彼に、映画監督は無理、どこか田舎で鶏や豚を飼って静かに暮らしなさいいと言ったという。

吉村昭のエッセイや私小説を読んでいるとたくさんの兄たちが登場する。
長男、次兄、三兄、四兄・・いったい何人のお兄さんがいるのといつも不思議だったのだが、ナント、9男1女で育った人なんですね。
ただ一人の娘が彼のすぐ上の姉、そして末息子の間に彼がいた。
一人娘だから母からは溺愛されていた。弟は末っ子で、とても愛くるしい顔をしていたのでこれも母から愛されていた。
彼ら二人にサンドイッチになっていた昭は自分が味噌っかすだということを、よく知っていた。

ある日、彼の家から少火が出た。
兄たちは消火にあたり、姉も弟もすぐに家から逃れた。でも昭はなぜだか悲して寂しくて、喧騒の中いつまでも家の中にとどまっていた。
父の会社の番頭さんがあわてて彼を抱きかかえて外に出たというが、これが次の日に母が兄たちから糾弾されることとなった。
母は「子どもにかわいい、かわいくないが、あるものか」と言っていたが、昭はそのそばでずっと黙っていたそうだ。

家のなかの孤独。
子どもって案外、そういうことに敏感なもの。
でもそうした気持ちはずっと大人になっても消えないのも事実。
私は8歳まで一人っ子で蝶よ花よと育てられていたのが、弟が生まれ、みんなが赤ん坊の弟に気をとられるよになって寂しかった記憶がある。
学校から帰って母親にいろんなことを聞いてもらいたいのに、「あとでね」と言われ、その「後」は来なくて。。
それまでとのギャップがありすぎで、でも本が好きで、本さえ読んでいればなんでもやり過ごせた。

これは吉村昭の個人的な回想エッセイではなく、昭和史としても興味深い一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

吉田晃子・星山海麻「小さな天才の育て方、育ち方」

ユニークな育ち方をした女性と彼女を育てた親についての本。
副頽には「小・中・高に通わなくても大学に行った話」とある。
学校というものについてだけでなく、生きる上での価値観を問う本でもある。
でもこのタイトルはちょっと違うと思う。なにも親は「天才」を育てようとしたわけではないし、子だって「天才」ではない。

中学生のいじめ自殺が後を絶たない。とてもとても痛ましいことだ。
生命力に溢れるあの年代の子どもが、なぜ自ら命を絶たなければならないのか?
さぞ学校に行きたくなかったことだろう。
でも「行きたくない」とは言いだせなかったのだ。学校へは行くものと周りも自分も考えていて、学校に行けない自分を責めていたと思う。
そもそも親に自分がいじめを受けていると伝えていたのだろうか?
もしも親が「イヤなら学校になんか行かなくてもいいんだよ」と思いながら子どもを育てていれば、子どもたちは逃げ場所を見つけることができたかもしれない。
本来なら自分を絶対的に守ってくれるはずの親に、本当の気持ちを言えない子の寄る辺なさを思うと切なくなる。

海琳さんは6歳で小学校入学、その3日後には登校をしなくなった。
学校には自分にとってわけのわからない理不尽なイヤなことが多かったからだ。
彼女が幸運だったのは、そんな彼女を理解してくれる母親がいたことだ。
「人間はハッピーになるために生れてきた」と信じる母は、子どもを導こうとしたり、教えようとしたりは絶対にしたくなかったし、子どもがイヤなことを押しつけようとはしたくなかった。
たとえそれが小・中学校の義務教育であっても。
(義務教育だからこそ、行かなくても卒業証書はくれるんだよね。)

けれど海琳さんはまったく学校に通わなかったわけではない。
デモクラティックスクール(サドベリースクール)に通っていた。
スクールと呼ばれてはいるが、そこには何もない。坐る場所も自由。したいことは自分で決めて好きなように過ごす。誰も教えないし結果を求められることもない。
だから海琳さんは17歳で「大学に行こう」と決心するまで、99もbe動詞も知らなかったという。
その彼女は数カ月の受験勉強で大学入学した!

学校で教わらなかったといっても、彼女が何も学ばなかったわけではない。
第7章の「娘が携帯を持ったのは6歳のとき」の項にあるように、海琳さんの学びは日常のなかにあったし、その方法がなんとも素晴らしい。
6歳なのでひらがなだけのメールを母親とやり取りしていたのだが、ある日学校の16歳の友達から漢字交じりのメールが届いた。
「なんて書いてあるんだろう」、当然彼女には読めない。
ここからがスゴイんです!
「でも『なんて読むの?教えて』と言われていないので、娘の次の言葉を待ちました」。
すると海琳さんは漢和辞典を出して来て母親に辞書の引き方を教えてと言って、一文字一文字の漢字を自分で調べ始めた。
そして返信メールを書くにあたって今度は、国語辞典を引き始め漢字で書き送ったのだった。

親がスゴイ、子もスゴイ。子もスゴイが親もスゴイ。
世の中の母親の口癖の一つに「早くしなさい」というのがある。短気な私なんか子どもがいたら毎日何度も言っていたと思う。
だけkど海琳さんのお母さんは、待てるんですね。
教えたり、自分でしちゃう方がよほど手っ取り早いのに、彼女はじっと待てる。待って見守れる。
これはできないことだと思う。
「親」という字は、「立木のそばで見ている」と書くのだけど、これこそが親なのだ。
もっとも海琳さんの母は世間一般の概念とは違うんだけれど、というかそもそも固定概念など持ち合わせていない人だ。

まだまだ高学歴を良しとする社会に、こうした子育てがあると知ることは、選択肢が増えることではないだろうか?
「みんなが行くから」「みんながするから」と「みんな一緒」はある意味ラクだもしれない。
子どもがそれで満足していればいいがイヤがった時に「本当にそうだろうか?ハッピーなのだろうかの疑念を一度は持ってもいいと思う。
「学校に行かないと学力が不足するのでは」とか「好きなことだけしているとワガママな人間になるのでは」と不安に思う親が多いだろうが、まずその考えをちょっと振り返ってみること。

私のちょっとした知人の娘一家はアメリカのアイダホに住んでいるが、子どもたち3人は誰も学校に行っていない。
道で見つけた植物は植物図鑑で調べるし、カエルの解剖も本やネットを見ながら自分たちでする。
一人一畝をもらって野菜を作っていて、自分で収穫し自分で料理をして食べる。
また、これはアイダホならではなのだろうが、一人一頭の馬を育てて乗り回している。
まぁ日本の教育現場からするとまったく別世界だが、でも彼女たちはこういう子どもの育て方をしたいという気持ちが強かったからこうしているのだと思う。
これも押しつけと言えば言えるかもしれないが、固定観念にがんじがらめになった育て方よりはいいんじゃなないかな?


日本にはデモクラティックスクールだけではなく、シュタイナー学校などもある。
選べることは案外、あるんです。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

八ヶ岳デイズVOL12

信州には大人のための情報誌「kura」という雑誌がある。
十数年前からの月刊誌で、写真、文、装丁などとても美しく、本屋でつい手にとってみたくなる本だ。
毎号同じような内容といえばそうなのだが、これだけ長い間発刊し続けているのだから、ファンが多いのだろう。
kuraを見るたびにいつも、八ヶ岳にもこういう情報誌があればいいのにと思っていた。
そう思う人が多いかったのか、「八ヶ岳テデイズ」ができ、12号にもなっている。
まぁ、正直にいえばkuraには負けてる。
でも私の住む八ヶ岳の情報誌なんだもの、応援はしたい。
それで今回、このムック本を紹介することにします。

vol12の特集は、「野辺山から麓の町までハイキングいしょう」。
野辺山にはJR小海線が走っていて、この駅は日本でもっとも教皇の高い駅として知られている。
八ヶ岳は標高3千メートル級の山々がそびえる連峰なので、本格登山もできればトレッキングもできる。
けれど今回はもっと緩いハイキング。
ゆっくり歩くから出会えるものもある。
お年寄りや小さな子ども、障害のあるひとでも楽しめるように、リフトやカートを利用してのハイキングコースだってある。
標高1900メートルの清里テラスで飲む珈琲。
やまびこが聞こえる場所。
美仏に会う道
歩くのに疲れたら天然温泉もある。

この本を見ていたら、「なんて私は素敵なところに住んでいるんだろう!」とうれしくなってくるし、誰彼となく自慢したくなってくる。
東京や横浜などの都会からの移住希望率が高いところだけあって、本当に素晴らしいところ。
山、森、空、水、星・・どれもどれも美しい。
大昔、縄文の時代からここはそういう土地だったのだ。

自然以外にも、ちょっと行ってみたい食事処も載っている。
先週そのなかの一店を訪れようと探してみたのだけれど、どうしても見つからず、あえなく近くにあるいうもの店で食べたのだけど、最近はどんどん新しいお店が出来ているようだ。
東京の外苑前にあった7年連続ミシュラン★★★の和食屋もこちらに移転してくるそうだ。
海がないので魚だけはないが、豚肉、鶏肉や卵は地産で有名なものがあるし、山梨は野菜と果物王国だ。
山菜やキノコ、それにジビエだってOK。料ずるに不足ない材料が揃っている。

こういう本を読んで初めて知る郷土史があるんですね。
たぶん小学生などなら、地元の歴史を学校で習ったり、野外学習でいろいろ学ぶのだろうけれど、移住組の大人の私たちにとってはなかなか知ることのできない情報を手に入れられるのがうれしい。
北杜市には将軍に献上する馬の飼育をしていたところがあったそうだ。北杜市の東の高根という町や北杜市の隣の韮崎市にあったという。
今でも北杜市の小淵沢は馬術クラブがあって、近くの武田信玄の棒道は舗装していない自然の道なので、週末には馬に乗って歩く人をよく見る。
その姿を目にすると、ヨーロッパの田舎に居るような気分になる。

八ヶ岳ではなく南アルプスの麓には、やはり献上米を作っていた地域があって、ここの米は収穫量が少ないものの、美味しいことで知られている。
南アルプスの伏流水で作る米は、農薬を極力少なくして栽培できるし、まったく無農薬でつくっている人も多い。
名水の地としても、ここ北杜市は有名なのですよ。

私はここで生れ育ったわけではないし、おそらく終の棲家にもならないと思っているのだけれど、現在住んでいる土地を愛したい気持ちは大きい。
そのガイドをしてくれる「八ヶ岳デイズ」、頑張れ!とエールを送ります。
posted by 北杜の星 at 07:34| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

吉本ばなな「キッチン」

点字で読んだ本。
印字ではもう30年以上になるかな?
村上春樹とは違う意味で「新しいものを書く若い人が出てきた」と思った。

その後でイタリアに行くたびに、「Banana」「Banana」La cuccina」とかイタリア人から言われることが多く、最初はいったい何のことを言っているのかと訝しかったものの、「あー、あの本のことね」と少々驚いた。
イタリアで彼女の本がいちはやく翻訳されて人気になっていたのだった。

吉本ばななは好きな作家だ。
彼女の書くこと、これは伝えたいと思って書くことに共感ができるから。
それに彼女の本の読後感はとても読者を幸せにしてくれるものがある。
浅い、薄っぺらと悪口を言う向きもあるけれど、でも、そもそも彼女は重厚なものを書こうとしてなんかいない。

だけど彼女の文体文章はどうも私と相性が悪い。
はっきり言って、下手な文章だと思う。
目でなく指で点字を追っていると、これまで以上にそう感じてしまう。
ぐだぐだしているんですよね。
私の好みは、余分なものを削ぎ落した簡潔な文章なので、ちょっと読むのがつらかった。
(簡潔で鳴く饒舌であっても、町田康のように大好きな作家はいるのだけど。饒舌さが個性となっているような作家のものはイヤじゃないんです)。

それでも、やはり吉本ばななの感性に誘われて読む。
両親を亡くしたあと祖母と暮らしていたのが、その祖母も亡くして、祖母のちょっとした知り合いだった雄一とその母(実は父)の家で一緒に暮らすことになったみかげ。
孤独なみかげと同じようにどこか孤独な母と息子。
彼らと暮らすことでみかげは喪失感を癒すことができるのか。
喪失と再生が緩やかに美しく描かれている。
陽の光、風のそよぎ、公園の緑はみかげの日常にある。それを感じながら生きるみかげ。

たぶん街でみかげに出会ったとしても、彼女がそんな悲しみを抱えた若い女性だとはおもわないだろう。
でも街行く一人一人の人たちはみんな、なにがしかの悲しみと共に歩いているのかもしれない。
確かにあ今持っているものが、明日には消えて行くかもしれない不安も持ちながら。
みかげが特別な存在ではなく、すぐそこにいる人として思えてくる。
「キッチン」は連作短編集なので、これからまだまだたくさんのことが起きるのだが・・

作家のデビュー作品には作家のすべてが押し込まれているとは、よく言われること。
「キッチン」を再読してみて、それが本当だと私も思う。というか、全然彼女、変わっていない。
そのことに安堵。
(でもどうしても文章はダメですが、、)
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

山田仁史「いかもの喰い」

「いかもの」とは普通、人が食べないものをわざと、または好んで食べること、または食べる人」を指す。
つまりは悪食のこと。
世間では「ゲテモノ」「ゲテモノ喰い」というものもある。
いかものとゲテモノはどう違うのか。

ゲテモノとは上手に対する下手という意味で、昆虫食などがそうのようだ。
昔のバンカラ学生が「闇鍋」と称して、そうしたゲテモノを入れて驚かせたと聞くが、この本に書かれている「いかもの喰い」はそういう遊びではない。
著者は宗教民俗学者。
人類のタブーともいえる宗教儀礼的、または薬効のための食文化を考察している。

人類三大いかもの喰いとは、「犬喰い」「土喰い」そして「人喰い」だそうだ。
中国人は机以外の四足なら何でも食べると言われるので、犬を食べたのかもしれない。しかし犬喰いは中国だけではなく、ヨーロッパにも日本にもあった。
興味深かったのは、「食べられる犬と飼われる犬」の境界だ。
そこに必ずしも法則性があるわけではない。
「崇敬ゆえに食べられたり、穢れいるといって避けられたり、数が減ったら大事にされたり」・・
また為政者の「おふれ」によっても犬の扱いは時々で異なった。
(私が思うに、名前をつけたら食べられないんじゃないかな)。

妊娠した女性が土を食べたくなるというのは聞いたことがあるが、土喰いはじつは地球上のかなりの地域にあて、南米や東南アジアなどに広がっている。
ジャワには粘土製焼き菓子があるという。土をそのまま食べるのではなく、加工料理してまで食べるとは知らなかった。
嗜好品としての土、薬効としての土などの土喰いは、でも、禁忌とは思えない。

しかし「人喰い」はタブー中のタブーと考えられている。
確かに人喰い文化を持つ種族が東南アジアにいることは有名だが、彼らが日常の蛋白源として人を食べていたわけではない。
人身御供のような宗教儀礼が目的のことが多かったし、食べるのは肝臓、心臓、脳髄など部位が限られていたそうだ。

この本、想像以上に面白かったです。
「宗教民俗学」という分野は知らなかったので、こうしたアプローチから宗教、民族、食文化を俯瞰する本は楽しかった。
個人的には、犬は食べられるかもしれない。でも猫はダメだなぁ。
土は平気のような気がする。
ヒトと蛇は絶対に食べたくない。。と今は思っているけれど、不時着した飛行機の乗客が人肉を食べた事実もあるのだから、「絶対」ということは言わないでおこう。
posted by 北杜の星 at 07:31| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

よしもとばなな「毎日っていいな」

誰にでもある日常。
その日常のあるがままを慈しみ感謝できる人は幸せだ。
何ごともない人生はない。ましてや数十年を生きた人間にとってはなおさらのこと。
それでも自分の日常にマイナス感情を持たずに暮らす人、それがよしもとばななだと思う。
だから彼女の小説やエッセイの読者は、彼女から安らぎや慰めを得られるのだ。

このなかにはいくつもの別れが書かれている。
仲良くしていた近所の友人が、夫の転勤で離れ住むことになる。
遠くの友人への最期のお見舞い。
そして父母の死。。

過去が折り重なってゆく。年齢を減れば減るほどその重なりは増す。
「昔とは父母のいませし頃を云い」という川柳があるが、親を亡くすと、つくづくその想いが強くなる。
けれどそれはつらいことだけではなく、楽しかった「昔」でもあるのだ。自分が絶対的に守られる安心感に包まれていた幼い頃。
そうした「昔」を懐かしむことで、毎日が豊かになってくれる。

それにしてもよしもとさん、立ってごはんを食べるほど、五分きざみでスケジュールが押しているほど忙しいにもかかわらず、いろんなところに行っている。
もちろんそのなかには仕事もあるのだろうけれど、けっこうプライベートな旅行もある。
なかでもおかしかったのは、お姉さんと一緒に行ったある温泉宿のこと。
この宿は知人に紹介されたのだが、フツー、こんな宿を人に教えるかというヒドイもの。
出されたご飯は黄色だった。米が古かったからだ。(黄色くなる米ってどれくらい古いの?)
風呂場はヌルヌル。これは温泉成分でヌルヌルしてたんじゃなくて、あきらかに掃除がしていなかった。。
布団は埃っぽく、喘息が出そうだった。。
でもさすが、よしもとさん。
こんな宿のこんなことが、結局は思い出になるのだと善意に解釈している。

そう、旅ってそういうものなんですよね。
ヒドイこと困ったことが起きて、その時はどうしようと思うのだけれど、終わってしまうと、うまくいったことよりも、うまくいかなかったことの方が印象に残っているもの。
だから旅はあまり計画しすぎない方がいいし、偶然が多い方がいい。
それにはあまりに高級な旅行はしないことだと思う。
至れりつくせりの旅は偶然が絡むことが少なくなって面白くない。快適かもしれないが思い出が少なくなる。
よしもとさんは流行作家なのだから経済的には恵まれていると思われるが、こんな旅行をしているのだから、素敵なひとだ。

ところで、先週我が家に筍を届けれくれた若い友人は、この春の大学卒業旅行を二度したそうで、その一つはナント、プレミアム・エコノミーのシートだったとか。
大学生のブンザイでそんなこと許されるのか!?と私はまるで佐藤愛子のように憤った。
その席のチケットしか残ってなかったというのだけどね。
一度目は友人と一緒のイタリアツアー、帰国して4日したらすぐに二度目のフランス・スペインへの独り旅。
まぁ社会人になったらそんな時間は取れなくなるから、今のうちと考えたのかもしれないけれど。

このエッセイは毎日新聞の「日曜くらぶ」で連載されたもの。(だからこのタイトル?」
「あとがき」にもあるように、日曜日の朝には、悲しいことや重いことは読みたくないだろうと、なるべく楽しい話を集めてみたそうだ。
だから、いろんな人たちとの別れも、その思い出は暗くはなくて救われる。
彼女がイタリアで「banana」「 banana」と人気なのが理解できる。
元気になりたいときには、よしもとさんを読もう!
posted by 北杜の星 at 07:17| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

山下澄人「シンセイカイ」

第156回芥川総受賞作品。
前回の受賞作である村田沙耶香の「コンビニ人間」はまだライブラリーの予約多数だというのに、これはすんなり借りられた。
人気がないのか?
でも私はこれまで2冊しか読んでいないものの、山下澄人の作風の前衛さはいかにも芥川賞向きだと思ってきた。
今村夏子の「あひる」にあげたいと、心情的には望んだが、まぁこれで妥当だった。

山下澄人が倉本聡の富良野塾の第二期生だったことはよく知られているが、この「シンセカイ」は入塾の最初の1年間を描いたもの。
ここには富良野塾の名前は明記されていないが、読んだ人ならすぐにそうとわかるだろう。
第一期生たちとの十数人での共同生活は密室の群像劇のようだ。
事実、町の人たちはここを「収容所」と呼んでいる。

俳優や脚本家志望の若い男女たち。
授業料は必要ないが、自分の食い扶持は自分で稼ぐため、近隣農家の農作業に出かけていく。
しかしどうやら、メインの仕事はログハウスの建設みたいである。
塾に受かった者たちはみな、トラックの運転ができたり、工務店の息子だったり、体が大きかったあり。。

一日食費300円での重労働に、スミトは栄養不良で倒れ、持病のぜんそく発作も出る。
ここの誰もが【先生】に対しては、ある感情を持っているが、当然それを言葉に出すことはできない。
みんな【先生】の「アイツは向いていない」のジャッジメントをなによりも怖れている。
そんななか、無口で無愛想なスミトはなぜか【先生】から「おもしろいヤツ」と認められているのだが。。

私はなによりもこういう集団生活が大嫌いなので、読んでいてだんだんと息苦しくなる。
【先生】の存在が、お山の大将というか、裸の王様のようでハズカシイ。
こんなところで君臨して、神様のようになる人間が、ハズカシイ。
そういう人間に従属するのもハズカシイ。
しかし文学がそのハズカシサを書くものだとしたら、これは成功しているのだろう。

2年間を【谷】で過ごした第一期生が卒業して出て行き、スミトらが第三期生を迎える立場となるところで、この小説は終わる。
みんなもう1年を、頑張るのかなぁ。
俳優や脚本家というのはそれほどの目標なのか?
【先生】はその目標に向かって、共に歩いてくれているのだと、信じるしかない。
そう信じれる人だけが【谷】に残れるのだろうけれど。。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月23日

やまぎん情報開発研究所「庄内のレストラン」

なんか、この本、熱い空気を感じる。
その熱がどこから発生するか、これを読むとわかるのだが、それはみんなの庄内への郷土愛の強さなのだ。
庄内地方は山形県の日本海側に位置し、狭いエリアに海、里、川、山がある。
自然に恵まれ、清涼な空気と水がはぐくんだ地産の食べものの宝庫だそうだ。
その庄内に奥田シェフのイタリアン・レストラン「アル・ケッチャーノ」があることは有名。
この本をはその奥田シェフご推薦の庄内の食事処がたくさん紹介されている。
といっても、豪華なレストランばかりではなく、普通の町の食堂のようなところだっていくつもjある。
(第一、「アル・ケッチャーノ」だって外観はちっとも高級ではない。国道沿いの「ちょっとハンバーグが美味しい店」風な店にしか見えない)。

私は庄内へはたった一度行っただけ。
それも山形への旅行が目的ではなくて、新潟まで来たからそのついでに足を延ばして鶴岡へでも行って、古い町を見学し「アル・ケッチャーノ」でランチをしようということだった。
鶴岡を見て食事をし、すぐにまた新潟に戻った。
でも「あぁ、いいところだな。豊かそうなところだな」という印象があった。

その豊かさのおおもとが、これを読むと理解できるんですね。
こういう豊かさを持つ人々は「強い」と思う。
基本がしっかりしているなかでの暮らしがあるからだ。そしてしっかりしたものの上だからこそできた文化と歴史に知性が感じられる。

どの店も行きたくなるが、どちらかというと洋食系ではなく普通の和食屋さんがいい。
庄内の野菜を使ってのおかずなど本当に美味しそうだ。
このなかに「平田牧場」の「とんや」という店があるのを見て、「あ、平牧って山形だっけ?!」と気がついた。
平牧の豚肉は「平牧金華豚」「平牧三元豚」で有名なブランド豚肉だ。六本木のミッドタウンにもとんかつのお店があって大人気だし、都内のレストランでも「平牧の豚肉です」と恭しくメニューに載っている。
たしかに平牧の豚肉はとっても美味しい。脂があっさりしているのでさっぱり食べられるのだ。。
我が家はいつもこの平牧の豚肉を食べているのが自慢だ。ハッチ君もミンチが大好き。
この平牧の豚肉、じつは「生活クラブ生協」で注文して届くもので、これがあるから生活クラブはやめられない、とまで思うくらいの品質なのである。
生活クラブの役員さんが平牧での豚の飼育について話してくれたことがあるが、なるほど、こんなふうに育てられた豚なら旨いはずだよなと感心した。
それと豚からの排泄物はちゃんと地産の米や野菜に還元されるようなシステムになっているのだとか。
つまり、庄内のなかでうまく循環しているのだ。

本の後ろには庄内のレストランを支える生産者が紹介されている。
この人たちとレストランが固いきずなで結ばれているからこそ、美味しい食べものを提供できるのだ。
づくづく庄内という土地の底力を感じる。
今度は是非、庄内を目的地として訪れてみたいものだ。
posted by 北杜の星 at 07:48| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

吉田修一「犯罪小説集」

「悪人」は吉田修一にとっては金字塔のような作品だった。
作家が人間の底に巣くう「悪」に心動かされるのには、なるほどなと納得できるものがある。
吉田週一は「悪人」の少し前あたりくらいから、そうした小説に手を染め始めていたようだ。
最近では辻原登も同じで、犯罪に関する作品が多くなっているようだが。

それはそれで書くテーマとしては理解できる。
だけどこのところの吉田修一は、ちょっとマンネリではないだろうか。
「悪人」があまりに売れて、編集者もこの路線を継続して行きたいと考えているのかもしれない。
でも、この「犯罪小説集」はいただけない。
なんというか、新聞の三面記事をちょこっと脚色しましたという感じなのだ。

失踪した女の子と、縁日で偽ブランドのバッグを売る外国人母息子。
元同級生のスナックのママの、痴情のもつれからの殺人。
名家の男がギャンブルにはまって。
故郷の田舎に戻ったものの、閉鎖的な土地の住人とうまくいかなくなって、とうとう壊れていって、数人の村人を殺してしまう。
元プロ野球選手が落ちぶれて、借金を重ねる。

・・という5篇の短編なのだが、これをう読んだだけで「なんだかなぁ」と思いませんか?
私も、もっと思うべきだったんですよね。そうすればこんなつまんない小説を読まなくてすんだのに。
読む間からストーリーがわかっていて、しかもすごく雑に書き上げたという印象しか持てない小説集だった。

私はけっして吉田修一が嫌いではないのです。
初期の「最後の息子」や「パーク・ライフ」「春、バーニ^ズで」などは、本当に好きだった。
軽くてセンスがあって、それでいてどこかハッとするような切り口で人生を見せてくれた。
あのセンスはどこにいってしまったんだろう?
どこか面白悲しいあのユーモアも、今は全然ない。

作家にとって、ベストセラーというものはある意味、怖いものですね。
「悪人」があんなに売れなければ、もっと違う吉田修一ができたのかもしれない。。
(「悪人」はスゴイ小説だと認めますけど)。

残念です。こんな吉田修一なんて読みたくないよ!
posted by 北杜の星 at 08:20| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

山崎宏「老健が、親の認知祖父からあなたを救う!」

老健とは介護老人健康施設のこと。
養護老人ホームや特別養護老人ホームなどと並ぶ、高齢者のための入所介護施設である。
けれど特養などは知られているが、老健はあまり知られていないのではないだろうか。
知っている人でも「老健は3カ月までしか、居られないんでしょ」と言う人が多い。
老健を中間施設と考えているからだ。
病院から在宅まで、または病院から特養までの、止まり木みたいな短期入所施設だと。

でもそれは誤解のようだ。
たしかに回転をよくして利益をあげるために、3カ月を上限とする老健もあることはあるが、しっかり最期の看取りまで面倒をみてくれる老健だtって多いのだ。
そういう施設にはちゃんと厚生労働省がそれなりの処遇をしてくれているらしい。

親または配偶者が認知症などで介護が必要となった場合、取るべき方方法の選択肢はいくつかある。
有料老人ホーム、グループホーム、特養・・
この著者はそんなとき「老健」を提案する。
特養は安いがそれゆえに待ちが数百人、5年も6年も待たなければならないし、ケアが残念ながらそうすぐれているわけではない。
有料は普通のサラリーマンでは料金が高い。入居一時金が何千万円もしたり一カ月30万円するところもある。
老健なら、待ちは早ければ2週間、遅くても30日くらい。費用だって約15万円前後だ。これなら普通のサラリーマンや寡婦の年金で充分まかなえる。
しかも老健ではリハビリだってしっかりしてくれるのだ。

私は老健という施設にとても感謝し、好印象を持っている。
夫の父は90歳のとき、腰の圧迫骨折で入院した。それまでは病院近くの新宿区でちゃんと自分のことは自分ででき、経済管理もしながらリッパに暮らしていた。友人と会い美味しいものを食べ、生活を楽しんでいた。
それが入院のたった2週間で、肉体も精神も崩壊してしまったのだ。あっという間のできごとだった。
その時私たち夫婦はすでに八ヶ岳暮らしだったので、義父の住民票を山梨に移し、ケア・マネージャーに相談しながら行く末をいろいろ考えた。
ひとまずは、甲府の温泉病院に骨折のリハビリ治療ということで入院させた。
その間に老健の申し込みをすることに。そしてその先は特養ということで、ケアマネさんに予約を入れてもらうなどお世話になった。
温泉病院の入院期限は3カ月。その間に老健に入れるものかと心配したが、さいわいにも間に合って、我が家から車で40分くらいのところにある老健に入所できた。

病院では車椅子やベッドに拘束されて食欲がなく、表情も消えていた義父が、老健で見る見る元気になっていった。
車椅子を自分で動かすことができるようになったばかりでなく、車椅子からトイレの座面に自力で坐れるようになったのだ。
動くようになったからか、ご飯を食べるようになって、なによりも顔が明るくなった。
週に一度行くたびに、なにか心身に良い進展があるのを見つけるのが楽しみだった。
夏はアイスクリーム、涼しくなってからはコーヒーをうれしがった。
嫁である私のことも息子のことも認識はできていなかったけれど、よく会いに来てくれる人だとはわかるのか、行くといつもとても喜んでくれた。
老健のスタッフのケアのきめ細やかさと優しい対応は、義父にとっても安心できるものだっと思うし、家族にとっても大きな慰めとなった。

在宅介護は貴いものだとは思うけれど、はたして本人にとってそれほどいいかどうか、わからないところがある。
家族が仕事で出かけた後に、独りで寝かされるばかりの状態では、刺激が無さ過ぎるのではないだろうか。
私の知る限り老健では、スタッフたちが常に義父に声を掛けてくれたし、リハビリもできた。
体の機能が高まれば精神もよくなる。義父を見るたびに「ここで良かった」と思ったものだ。

結局、義父の老健滞在は1年に満たなかった。心臓発作で救急搬送されたからだ。
でももし老健で最期を迎えたとしたら、ちゃんと看取ってもらったと思う。
「次の行き先(特養など)が決まってさえいれば、いつまで居てもいいんですよ」とその老健では言っていた。

だから著者の老健への薦めは、私は大賛成!
全国の老健はざっと4千軒。総定員は35万人んだそうだ。
でもみんなが老健に入所希望したら、いまの特養のような凄まじいウェイティングとなるんじゃないのかと、私は心配なんですけど。。
posted by 北杜の星 at 08:03| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

山下澄人「壁抜けの谷」

「ぼくはその男に話さなかったことがある。事務所も実は見つけられなかったのだ。それも移転や、他の何かに変わっていたというのではなく、たしかそこが事務所だったと記憶していた場所は、山、だった。小さな丘とでもいうような山ではあったけれど、ぞれでも昨日今日できたものとは思えず、ぼくは山の前でしばらくいて、しばらくどころかかなりいたはずだ。」

この小説がどんな小説かは、上に記した本文に集約されていると思う。
まるでラテン・アメリカ文学を読んでいるような気持ちだった。
記憶が薄れているのか、それともその事実が本当にあったことなのか?それともじつはなかったことなのか?
読めば読むほど曖昧さの渦に巻き込まれてしまう。

「ぼく」と「わたし」が交叉しながら、時間と場所を行きつ戻りつ、何度も何度も同じエピソードが繰り返される。
ぼくとわたしの周辺の友人、知人、犬、猫たちが、グルグルグルグル歩きまわる。
明確なものはなにもない。

ぼくの親友の長谷川が突然死んだ。
小学校の帰り路で声を掛けられて以来の親しい友人だったのに、亡くなった後で、彼の職業も妻子の有無も知らないことに気づいた。
いろんなことを一緒にし、話し合ったはずなのに、その記憶が定かではない。
長谷川が死んでからわかること、わからなかったこと。。

わたしの母は誰とでも寝る。わたしは誰の子か?そしてわたしが産むのは誰の子を産んだのか?

からまった糸はほぐれてくれない。むしろますますからまるばかり。
ポキポキ短い文章は情緒を排して書かれているのだが、底に流れるのはどこか優しくて愛おしくて悲しい感情。
山下澄人は目下、私のもっとも気になる作家だ。
これまで2冊くらいしか読んではいないのだけれど、彼の小説を一言で言うならば「手垢のついていない小説」だと思う。
彼が「新しい小説」を目指しているのかどうかは知らない。
けれど何か新しいものを生み出そうとしている作家、という印象を受けるのだ。
難解というのではないけれど、わかりやすいとは言えない小説。
この「壁抜けの谷」もけっしてわかりやすくはないのだが、わりとすんなり頭に入ったのは、複雑なようで案外にシンプルな人と人とのつながりが描かれているからではないだろうか。

会話の「え」「え」「は」「は」というやり取りに奇妙ンはリズムがあって、ちょっとおかしい。

山下澄人、これからも気になる作家のようです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日

山口創「人は皮膚から癒される」

ここ1年半ほど、皮膚の調子がよくない。
もともと幼いころから夏には太陽湿疹、冬には寒冷ジンマシンが出て、だから暑いのも寒いのもダメ。
食べものアレルギーにもすぐ反応したけれど、これはだんだんおさまって、大好きな筍を食べても以前のようなぶつぶつは顔に出なくなったのはうれしい。
昨年は自家感作性皮膚炎、今年はジンマシン・・今も下着の縫い目が当たるところには湿疹が出たり引っ込んだりしている。乾燥もひどい。まぁ痒くないからどうってことないけど。
精神的なストレスも皮膚に表れているようだ。

「人は皮膚から癒される」。
人が人を癒す手段はいろいろある。言葉によっても大いに慰められるし、笑顔一つで心が軽くなることもある。心が細っているときに誰かが温かいスープを作ってくれたらどんなに感謝することか・・どんなことでも人は癒し癒される。
なので癒すのが皮膚であっても、それはあり得るだろうと思ったのだが、この本を読むと、皮膚は私が思った以上の癒しのパワーを持っているようだ。

病院患者が痛みに耐えている時、心が弱っている時、看護師さんがそっと触れるだけで痛みが薄らぎ心が晴れることがあるけれど、それはちゃんと化学的な証明が可能なのだ。
愛情をもって皮膚に触れると、脳からオキシトシンというホルモンが分泌されて、リラックスしたり癒されたりするのだという。
必ずしも触らなくても、傍に寄るだけでもその脳内物質はでるらしい。
皮膚と脳というか人間の感情はそのように繋がっている。

日本人はともすれば体を使ったコミュニケーションが下手だ。
西洋人は会うと握手をしたり、抱き合ったり、頬と頬をくっつけて、肌と肌を触れ合わす機会が多い。
たぶん、そうすることでお互いの距離を縮めているのだろう。
日本人の習慣にないことだが皮膚と皮膚を触れ合う行為には、人を親密にさせるところがある。
日本に対人関係で悩む人が多いのは、こういうところからきているのか?

皮膚は肌とも言うが、肌という言葉には皮膚にはないニュアンスがある。
肌が合う、合わない。ひと肌脱ぐ、職人肌、肌で感じる・・
そこには肌の精神性が読み取れる。
じっさいに、幼少時の肌のコミュニケーションが少なかったひとは、自尊感情が低いと書いてあるし、摂食障害に苦しむ人もそのようだ。
触覚は感情と直結しているということ。大切なのは「皮膚を拓く」ことだそうだ。

この本、最初は人間科学のお話しかと読んでいたらだんだんと皮膚を離れて、哲学的になってきた。
つまりは「幸福とは何か」を追求する本のようだ。
でもそれが決して押しつけがましくなくて、素直に心に響く。
著者の善き心が伝わって来て、それに癒された感じだ。

一灯の歓び・・思いがけずいい本でした。
posted by 北杜の星 at 07:32| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

山本朋文「認知症がとまった!?」

著者の山本氏は週刊朝日記者。
2014年62歳の時に東京医科歯科大学のもの忘れ外来を訪れ、浅田隆教授よりMCI(認知症初期症状)と診断された。
かねてよりもの忘れがあったものの、トシだろうと思っていたのだが、あるとき仕事上のダブルブッキングをしてしまい、こんなことはこれまでなかったと不安になって診療を受けたのだった。
以来初めは筑波大学での認知能力アップのトレーニングを受けていたのだが、お茶の水に東京医科歯科大学と連携する「オリーブクリニック」ができて、そちらに移り、さまざまな訓練を受けている。
その経緯を週刊朝日に「ボケてたまるか」という連載記事にし、それが本にもなったことで、NHKテレビの特集番組で取り上げたり、海外メディアからも取材をうけるようになった。
また講演依頼が増え、シンポジウムなどにも積極的に参加している。
そしてこの本が第二弾。やはり週刊朝日に連載されたものがまとめられている。

オリーブクリニックでは同じMCIや認知症の仲間たちとさまざまな訓練を受けている。
音楽療法、筋肉トレーニング、芸術療法・・
音痴なので苦手だった音楽だが、先生の指導のもとに古楽器の演奏ができるようになり、今ではレパートリーが10曲も!
何が効いているのかはわからないが、本山氏は山本氏筋トレを信頼しているようだ。
本山式筋トレとは現役ボディビルダーで筑波大学大学院でスポーツ医学を学んだ本山輝幸氏の発案したもの。
認知症には効果があると言われているが、相当キツイらしい。しかしそのキツサが脳に伝わるのだ。
しかし筋肉をつければいいのではない。
運動習慣のあるひとで認知症になる人だってたくさんいる。
大切なのは、筋肉が感覚神経と繋がることで、そうでなければ脳は活性化しないという。

何が効果的なのか?そもそもトレーニングがMCIの進行を止めているのか・
結論ははっきりしない。
でも、しないよりはする方がずっといい。事実改善されたのではと思われるフシもある。
もっともまだ大阪への新幹線で財布を忘れたり(それが遺失物として届けられるのだから日本は素晴らしい)、友人との約束を忘れたりはあるけれど。

MCIや認知症と診断された場合の反応は大きく3つに分けられるという。
「早期発見・早期絶望型」・・何をやっても駄目だとあきらめる。
「否認型」・・事実を受け止めようとはしない。(これは本人だけでなく家族もそうだと思う)。
「徹底抗戦型」・・効果があると思われることは何でも試してみる。
山本氏は三番目のようだ。(多分私もそうなるような気がする)。

現在日本の65歳以上の四分の一が認知症とその予備軍(MCI)と言われている。
850万人というものすごい数だ。
今やガンよりも認知症になる方がずっとずっと怖れられている。
けれどMCIや認知症になってもあきらめてはいけない。方法はあるのだ。事実イギリスでの認知症は減少しているという。

認知症が社会にもっと理解されるためにも、山本氏の活動を応援したい。
いつ自分に降りかかるかもしれない問題だもの。
こうやっていろんなトレーニングをして進行をなんとか食い止めている間に、近い将来必ず、認知症治療薬が出てくると思う。

女優の沢田亜矢子さんもMCIだと聞くが、みんな頑張れ!!
願わくば、オリーブクリニックのようなメモリー・クリニックが日本全国に開設されて、誰もがケアやトレーニングを受けられるようになればいい。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月30日

山根明弘「猫はすごい」

裏の山荘のYさんが「あなた、猫好でしょ。これは知人が書いた本なんだけど、よかったら読んで」と、朝日新書のこれを持って来て下さった。
数年前まで犬を飼っていたYさんだが「猫歴のほうが本当は長いの」とのことだ。
早速読んでみた。

空前の猫ブームだそうだ。もうすぐ猫の数が犬のそれを上回るらしい。
招き猫など独特の猫文化をもつ日本は世界でもかなりユニークな猫好きの国のようだ。そしてこの文化は今に始まったことではなく江戸の時代から続くものだと言う。
動物行動学が専門の動物学者である著者は、九州の相島という小さな島で数年間ノラ猫の行動を観察した経験を持っていて、そのときに猫の能力の高さを知り、猫の魅力にぞっこんとなったようだ。
幼いころに飼っていた小鳥を猫に食べられた過去から、猫は嫌いな動物だったにもかかわらず。

彼の観察した相島のノラ猫とペットである飼い猫の間には相似点も相違点もある。それは当然だ。
しかし飼い猫であっても猫の身体能力は見事に発揮されている。犬とは違い、野生が残っているのだと思う。
嗅覚は犬にはかなわないものの人間の10万倍だというし、視覚はご存じのように真っ暗闇でもちゃんと見える。なによりスゴイのが動体視力。そして動体視力に合わせて動ける跳躍力は1.5、メートルだし走るスピードは時速50qにもなるから、ほとんど野生そのものといっていいくらい。
そんな能力の高い猫と一緒に家で暮らしているなんて、ちょっとびっくり。
家でゴロゴロ眠っては食べている飼い猫からは想像できないかもしれないけれど、そんな飼い猫がときたま見せる昆虫や鳥などの小動物を捕獲する動きの俊敏さに驚いたことのある飼い主は多いはずだ。

能ある鷹は爪を隠すというけど、その爪もスゴイんです。木登りができるし、獲物をしっかり押さえて放さない。
猫が噛めば犬より深い傷を負うらしいが、その牙はおそろしいほど。
それと、これは長年猫を飼っていてづくづく感じて来たのだが、猫はじつに辛抱強い。じっと待てるし、要求は必ず貫徹させる。
この辛抱強さは、痛みや苦しみにも発揮されているようで、どんなに体がきつくてもへこたれない。これもじっと我慢している。
弱みを最期まで人に見せない猫の態度に、これまで幾度も教えられたような気がする。
今は20歳で年老いた我が家のハッチ君にだって、いろいろ学ぶ毎日だ。

相島では著者が研究観察していた20年前には島民500名、ノラ猫およそ200匹だった。今ではどちらの数も減っている。
島では島民と猫が共存していたそうだ。猫を飼い猫化するのではなく、ノラはノラのままの猫の暮らしをしていたという。
その共存の仕方を町や都会にも応用できないものか。殺処分は減っているとはいえたくさんの猫が毎年殺されている現実を考えるとき、著者の相島での体験が行かされれば良いと思う。
不幸な殺処分を少なくするための去勢手術も最近では改善されているようで、オスは睾丸を取るのではなくていわゆるパイプカット手術を施す方向になっているし、メスは卵巣を摘出するのではなく子宮を摘出する手術が施されるようになっているのだそうだ。
そうするとオスはオスのまま、メスはメスのままの従来の性衝動や性行為を持ちながら、子どもは生まれない。
ノラ猫はその性格や行動を変えることなく生きていけることになる。
(もっともこうした手術そのものが不必要になればいいのだけれど、それは今のところ理想論だ)。

≪朗報≫
いつも私は高齢になってからこそ、日々の慰めと尾生きがいのために犬や猫と一緒の生活をしたいものだと思っているのだけれどl、人間の方が先に死んだ場合を考えると飼うのを諦めざるをえないと思っている。
でも著者はこの本で、『ペット信託』というシステムを紹介してくれている。
これは飼い主が病気になったり亡くなったときのことを考えて、猫の養育費を第三者に委託して資金管理するもので、福岡の行政書士の服部薫さんが始めたものだ。
こういう組織や団体が日本各所にあればいいですよね。
最近のイタリア中部の地震において、動物保護団体が飼い主の家族から依頼を受けてがれきを探したところ、15日ぶりで脱水症状の猫を救出したとニュースで知ったけど、そうしてシステムがあるのは羨ましいことだ。

ノラ猫に優しい社会は人間にも優しく快適な社会だと私は信じている。
まず猫がどんな動物なのか?ということをこの本で知って飼い始めても、飼い始めてこれを読んでも、どっちにしても面白くて勉強になること間違いなし。
猫って強く、美しく、そしてメッチャかわいい生きものです!
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

山田詠美「珠玉の短編」

タイトルを見てぎょっとした。
自分の本に「珠玉」ってつけるか?
私が読んでいる時にたまたまこれを見た夫も「スゴイ題だな」と言った。
まさか、いかに奔放な山田さんでもそれはないでしょ。

はい。なかったのです。
このタイトルには深い(深くもないか)意味があったのです。
夏耳漱子という小説家は文豪の格調高さをあえて避け美文などもってのほか、エログロ小説を書いている。
ほとんどの人は眉をひそめるのだがカルト的な存在として、熱狂的なファンもいる。
そんな彼女が文芸誌に短編を載せたのだが、その目次の彼女の短編タイトルの横に、あろうことか編集者が「珠玉の短編」と添え文を付けていたのだ。
自分の小説が「珠玉」!?
驚き腹立たしい彼女は編集者をののしるが、しだいに「珠玉」に絡め捕られていき、文章文体が変化する・・
(作家にとっての「言葉」というものがどんなものか、「あとがきにかえて」を読むとよりわかりますが)。

滑稽なのだが作家という職業の苦労も垣間見れて、笑い飛ばせない気の毒さがひしひしと。。
でもやっぱり笑っちゃえるところが、山田詠美のスゴイとこ。
私のまわりで山田詠美を読まないひとってずいぶんいる。
多分彼女のあのイメージで作品を判断しているのだと思う。
だけど彼女の小説は本当に繊細で、性を描いてもそこには人間の根っこがあるため、決して薄汚くないのだ。
大好きな大好きな作家だ。

その山田詠美が第42回川端康成文学賞を受賞した。
川端賞は優れた短編に贈られる賞で、日本の文学賞のなかで私がもっとも評価している賞。(あの西村賢太がこの賞を欲しくて欲しくてしょうがないと聞く)、
その受賞作の「新鮮てるてる坊主」もこの本のなかに収録されている。

たしかに「新鮮てるてる坊主」はオチといい、物語といい心理描写といい緻密で、その緻密さがラストの怖さに繋がっているのだが、面白い短編だった。
これを受賞作にした選考委員のセンスに脱帽します。

11の短編は概して「奇妙な小説」というジャンルになるのでしょうね。
こういうのが好きな私は思う存分堪能しました。
posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月05日

吉田修一「橋を渡る」

デビュー当時の作風からはずいぶん変化した吉田修一だが、このところはずっと「悪」についての小説を発表している。
この「橋を渡る」の3章に登場する3人の主人公たちも、悪に直面している。
その悪は誰が見てもわかりきった悪もあれば、「良心」の領域とも言える悪もある。

人は自分が正しいと思いたい生きものだと思う。(私がそうだから)
また正しくないことに出会ったとしても、みないふり、知らないふりをする場合がある。
ビール会社の営業マン、都議会議員の妻、婚約中のTVディレクター。彼らは悪とどう向き合うのか、または避けるのか?

東京都議会での女性議員への「産めないのか」のセクハラやじ、血液からips細胞をつくりだす研究、香港の反政府学生デモ、マララさんのノーベル平和賞受賞・・
まだ記憶に新しいニュースがこの作品には出てくる。
そしてそれが最終の4章につながってゆく。
4章で話はそれまでの日常的な雰囲気から突然、70年後の近未来に飛ぶ。
あれらのニュースの「その後」がどうなったか?70年後に生きる人たちにそれがどう影響を与えたか?
70年前の微妙な関係性のなかでの生きかたに、光はあるのか?

「橋を渡る」というタイトルは大きな意味を持つ。
人はある決意をもって橋を渡る。もしくは渡らない。
私たちは渡ったこと、渡らなかったことを悔いるのだろうか。無理に正当化するかもしれない。
でももしその橋そのものが、いつまでそこにあるのか。もし橋が流されたとしたらどうなるのか。

最初は4章の唐突さに戸惑いながら読んでいたが、だんだんと、あぁ世の中というのはこんなふうに繋がってゆくものなんだと思った。
あのとき言わなかった言葉、しなかった行為。
もしかしたら、あのとき未来が変えられたかもしれない・・
それを考えると、なんだかむくむくと闘志がわいてきて、社会に対してちゃんと意思表示をしよう!と云う気になる。
そう思わせるのが、この作品の「希望」なのかもしれない。、
posted by 北杜の星 at 06:56| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

吉田篤弘「台所のラジオ」

12の短編をゆるやかにつなぐものがあるとすればそれは、台所のラジオ。
人生で足踏み状態の人たちの肩をそっと押してくれるこの短編集には、いつもの吉田篤弘らしいあたたかさがみちている。
台所のラジオというなんだかレトロっぽい雰囲気にぴったりの文章が、とても素敵だ。

でも、でも、私はあえて吉田さん二苦言を呈したいのです。
決して嫌いな作家さんではない。むしろ彼の小説がへこんだ心に作用して元気になったことだってある。
だけど、なんといえばいいんだろ?
私には、吉田篤弘という人はもっともっと骨の太いものが書けるのじゃないかと、ずっと思っているんです。

本職の装丁家としてのセンス、小説家としての文章・・どちらも本当に素晴らしい。
それでも、小説に関してはどこか食い足らない。吉田篤弘の力量はこんなもんじゃないでしょ、と思うからだ。
彼の小説、悪くないんですよ。全然悪くない。
だけど表層的というか、上っ面をさらりと撫ぜただけって印象があって、読後感はいいんだけど、後から思いだすと何も思いだせない。
空気感が伝わってくるだけ。
もったいないなぁ。

・・これはけっして悪口ではないのです。期待しているんです。
この「台所のラジオ」はタイトルどおりの雰囲気がどの小説にも流れていて、好きだった。

要はもうちょっと、「ガツン」が欲しいだけ。
もっともあまり「ガツン」だと吉田篤弘じゃなくなるというファンもいるでしょうけどね。

posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月10日

柳美里「ねこのおうち」

NHKの岩合さんの世界猫歩きの番組が火をつけたのか、最近はすごい猫ブーム。
猫好きな私はそれはそれで嬉しいのだが心配もある。
ブームに乗って飼い始めたはいいが、事情が変わって飼えなくなった時には、たくさんの猫たちはどうなってしまうのだろう?と危惧するからだ。
犬を捨てるひとがいるが、猫はもっと捨てやすい生きものなんですよね。だから心配。

この「ねこのおうち」にもそうした捨てられた猫たちが描かれている。
まず、ある夫婦に飼われているチンチラが家出した一時期に野良猫と交尾し生れた雑種の猫が捨てられる。まだピンクのネズミみたいな生れたて。
でもやさしいおばあさんに拾われてミーコと名付けかわいがられる。いつもおばあさんと一緒。ミーコもおばあさんもとても幸せそうだ。
しかし蜜月は続かない。おばあさんが認知症となって子どもたちがどこかへ連れて行ってしまったのだ。
ミーコは再び公園で野良猫となり、そこで6匹の子猫を産むものの、猫嫌いの人に毒まんじゅうを仕掛けられて死んでしまう。
公園に残された子猫たち・・

登校拒否の引きこもりの女子高校生。
一人暮らしの若い男性。
離婚し夜の仕事をする母と一緒の男の子。
癌で死を告知された妻と彼女に寄りそう夫。
老人ホーム。

猫はそこにいるだけで、大きな慰めとなる。何にもしなくていい。ただそこにいてくれるだけでいい。
人間だとそうはいかない。
何もしない、役に立たないと、文句の一つも言いたくなる。
猫に話す声はだれもが甘いが、配偶者にそんな声はとうてい出せない。(出すと気持ち悪い)

猫は犬とはなにかが違う。同じペットという生きものとして見ても、猫と犬は絶対違うのだ。
犬は飼い主とその家族の「役に立とう」と健気に自分で勉めているいるところがある。自分の役割を果たそうとするように。
でも猫は猫であることが存在の全部。猫でいることが役割なのだ。
猫は猫でいるだけで完結している。
あのサイズも人間が触れるのにちょうどいいし、あの毛の柔らかさ、からだのあたたかさもいい。
癒されるという言葉はあまりに多用されすぎて好きな言葉ではないから使いたくないけれど、猫は本当に癒され慰めになる生きものだ。

それにしても柳美里がこんな胸がキュンとなる小説を書くなんて意外だった。
どこかヒリヒリ痛くて、東由多加の闘病三部作は読んでいられないほど緊張したものだ。
彼女の生活がそれなりに落ち着いてきたのだろうか。
生きにくい、生きるのが下手な彼女に、それでもいろんな人たちが手を差し伸べてなんとかやれてきたのだと思うけど、そんな彼女に猫という支えができたのならよかったと思う。

最終章にあるように、老人ホームで犬や猫と一緒にお年寄りが最期の日々を過ごせるならうれしい。
殺処分になる犬や猫も少しは救われる。
現在は捨て犬や猫の支援施設では、飼いたいという申し出があっても70歳以上だと引き渡してくれないケースが多い。
でもこれまでの人生を生きものと共に過ごした人だからこそ、晩年も一緒に暮らしたいはず。
ここらあたりの改善を社会でなんとかできないものかと思うのだけど。
だからせめて老人ホームなら世話をするスタッフもいることだし、可能なんじゃないかな?
動物嫌いの人は別棟に区分けすればいいし、食堂などの共有スペースに入れないようにすればいい。
私、そんな老人ホームに入りたいです。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする