2016年11月22日

リタ・ポーレ「1週間でごっそり捨てる技術」

「捨てる」本をこれまで何冊読んだだろうか?
もしこれらの本を買っていたとしたらそれだけで本棚にかなりの冊数が並ぶに違いない。
でも私はライブラリーから借りているので大丈夫。モノは増えない。

これまでは日本人の主婦やミニマリストたちの「捨てる」本だったが、今回はドイツ人出インテリア・デザイナーが書いたもの。
日本と外国では「捨てる」技術の差があるのかどうか?
ドイツの家なら不要なモノはあまりないような気がするし、家の中はきちんと整理整頓され清潔だと思うのだけど、どうやらそうでもないらしい。
マテリアル・ワールドはそれこそワールドワイド。
どこの国も同じみた。

「捨てる」ためにはまず「捨てる決意」が必要だが、それだけでは捨てられないんですね。
やはりそこには捨てるための技術が必要のようだ。
・何かを家に持ち込んだら、何かを捨てる。
・毎日、何かを捨てる。
・何かを買おうとうするときには、これが本当に必要かどうか考える。
・自分とパートナーのテリトリーを明確に分けておく。(自分のモノは捨てても、ひとのモノは捨ててはいけないとあるが、うーん、でもね、ひとのモノってすごーく邪魔なんですよね。「これ本当に要るのかしらん?というものだらけで目につくんですよね。

著者はモノだけを捨てよというのではない。
「ひと」をも捨てようと提案するのだ。
たしかに、疎遠になった友人っている。そんな人にも年賀状は出したりとかするけど、そういう関係をばっさり切り捨てようと言うのだ。
これはある意味正しいと思う。
もうアドレス帳から名前や住所を消していい人って、案外たくさんいるよね。
きっと向こうだって同じようにおもっているはず。

こういう本を何冊も読んだおかげで、今年の私たち夫婦はドンドンとモノを減らすことができている。
洋書の建築やインテリア雑誌は買った時はすごく高くても、古本屋に持って行ってもたいした額にはならない。けれど一冊一冊とばらばらに友人に持って帰ってもらうのではいつまでたってもなくならない。
それで、ある建築関係の事務所に数十冊のそれらの本をすべてプレゼントしたのだ。
その事務所にとってはお洒落な「飾り」となったし、スタッフが時間のある時にパラパラと見れば、お勉強にもなる。

結婚したばかりの若い知人に、お鍋を貰ってほしいと言ったら、とても喜んでくれたので、柳宗理デザインのパスタ鍋と、amwayのステンレス5層の大鍋と小鍋を差し上げた。
台所の鍋ラックにスペースができて、他の鍋がずいぶん取り出しやすくなってうれしい。
圧力鍋も二つあって、どちらか片方処分したいのだが、一つは玄米専用、一つは豆や煮込み用と用途が分かれているので、処分はむつかしいかも。。

それから衣類も春からこの秋の衣替えで、衣装箱4つを処分した。もちろん衣装箱に入っていた4箱分の服も処分。
同じようなパンツを何本も持つ必要はないと割り切ったし、一年に一度くらいしか着ないものも捨てた。下着もそう何組もいらないので、最小限を残して捨てた。
夫もどんどん捨ててくれたので、ワードローブはかなり減って大満足。
あとは着物だが、これも数年の内には5枚と帯5本を残してて、友人にもらってもらうつもりでいる。

問題は食器だ。骨董の食器がかなりある。
捨てるには高価すぎる。かといって骨董屋に持ち込むのも面倒くさいしなぁ。欲しくて使ってくれる友人に差し上げたいと考えている。
絵画もあるなぁ。この行き先が一番悩ましい。

この本の訳者である畔上司氏もこれを読んでCDとか捨てたと、あとがきに書いてあった。
そうするとスペースがきれいになったばかりでなく、「私自身の心からも『お荷物』が減ったのだ」そうだ。
リタ・ポーレ三はインテリア・デザイナーとして外部空間(建物や部屋など)だけでなく、内部空間(精神世界)の両方を専門としている人だそうで、モノを減らすことが、「気」を良くし、その場のエネルギーを強めると書いている。
まだ完全にそれを実感できているわけではないけれど、気分は悪くないし、なんだかモノが少なくって部屋にスペースができるのは、爽やかな感じがする。

オランダのアーユルヴェーダ大学で研修をした知人が面白いことを言っていた。
アーユルヴェーダーにおいては体質をヴァータ、ピッタ、カファに三分別されるが、モノを貯め込む傾向の人は太りやすく、その体質を矯正するためには、モノを捨てさせることがあるそうだ。

うーん、まだまだ捨てるぞぉ!
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月05日

李龍徳「死にたくなったら電話して」

2年前の文藝賞受賞作品。
ある友人から「これ、どう思うかちょっと読んでみて」と言われ読んだのだが、反対に「あなたはどう思ったの?」と問いたい。
文藝賞の選考委員が山田詠美、藤沢周、星野智幸だから受賞したのでは?もしもっと健全な作家(?)が選考委員だったらと、ふと感じだ。(保坂和志も委員の一人ですが)。

暗いです、怖いというより気味悪いです。そういうものが苦手な人は読まないほうがいい。
なにしろ拷問など世界の残虐史がたくさん出てくる。
主人公たちの厭世感がなんとも重い。
「気分」に引っ張られる人は、読後とうぶん抜け出せないかもしれない。

それでも圧倒されるものがここにはあって、人間の暗部を切り取るのが文学だとしたら、これはまごうことなき文学ではないだろうか。
「うー、ウー」と呻吟しながら完読したけどやはり、毒にはあたりましたね。

浪人生の徳山は十三のキャバクで初実と出会う。
初美は徳山に熱心にアプローチ、二人は付き合うようになるが、初美が語る残虐な話とともに彼は初美との異常なセックスにのめり込んでいく。
あまり筋は書かない方が良いと思う。
筋よりも私が知りないのは初美の意図だ。
破滅へと人を誘う吸引力の強さが恐ろしいが、それはなぜなのか?
徳山の物語としてよりも初美の側からの物語を知りたくなる。
どんな生育環境で育ったのか?いつからそうなったのか?いったいどうしたいのか?

こんな小説を書いたら、この作者は今度いったい何を書くのか?
そのことに興味を覚えます。
毒にあてられながらも、次を是非読みたいです。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

ロジャー・イーガーチ「失われた夜の歴史」

昼は明るく、生に満ち、善き世界。
一方夜は暗く、死の匂いがし、悪がはびこる。
不夜城のような現代の夜でも、夜はなにやら恐ろしい。
ましてや中世以後から産業改革前の「夜が暗闇だった時代」のヨーロッパやアメリカでは、夜は悪魔が跋扈する底深いものだった。
この本はそんな夜の歴史を、「文学、社会、生活、心理、思想、魔術」などから考察した貴重な力作である。

もうこれ、ものすごく面白かった!
他の本と並行して読みながら4日かかって読み終わったけれど、500ページを退屈することがまったくなかった。
どうしてこれまでこのような本が書かれなかったのかそのほうが不思議なくらい。

16世紀から18世紀のヨーロッパでは今以上に夜の恐怖は大きかった。
略奪、暴行、そしてなによりも恐ろしいのは火事だった。
それらに加えて、悪魔精霊魔女たちが忍び寄る。

ときには昼の世界と夜の世界が逆転した。
力のないものが強くなり、貧しいものが富めるものを超え、縛り付けられていたものは解き放たれた。
奉公人や奴隷は夜だけは自由を得たし、ヨーロッパのギルド都市では、夜は働いていはいけないという法律があったという。

酒場や社交や性行為などの夜の慰めももちろんあった。
当時から「良い眠り」への欲求があったそうで、裕福なものは寝るときに使用人に本を読ませたりベッドを揺らせたり、いろいろ眠るための儀式があったのがおかしい。
おかしいのは、中世には眠りというのは「消化」と呼ばれるプロセスによって腹部で生じるという説を信奉していた。眠りは脳ではなくお腹だと思っていたのだ。
「食物が胃で消化されると、ガスが頭へ上昇し、そこで冷たい脳によって凍り、五感の導管や道を塞ぎ、その結果眠気を催す」と考えられていた。
笑っちゃうけど、私たちが今信じていることが数百年先にはこうして噴飯ものになることってあるかもしれない。

ないしろ500ページもの本。紹介したい個所がたくさんありすぎて困る。
かなりの研究成果としての本だけど、重々しくアカデミックではなく読めるので、読んでみてほしい。
夜の深みにはまるかもしれない。

posted by 北杜の星 at 08:00| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

ロージャー・パルバース「星砂物語」

ロジャー・パルバースは1944年生まれ。
ハーバード大学で修士号を取得後、ポーランドやフランスに留学。1967年以来ほぽ半世紀を日本で過ごしている。
大島渚監督「戦場のメリークリスマス」において助監督をつとめ、以後は作家、劇作家、演出家として活躍している。

「星砂物語」というタイトルはなにやらロマンティックな恋物語のようだが、全然違う。
パルバースが日本語で書いたこの小説には、平和への祈念が込められている。
時は1945年、日本の敗戦色が濃い4月。
舞台は沖縄八重山諸島の小島、鳩間島。
ほんとうに小さなこの島は昔、カツオ漁でにぎわい鰹節工場があったそうだ。
この島に住む16歳の少女、洋海の書いた数日間の日記がこの小説の核となっている。

16歳の洋海は日本人の父と日系二世の母との間に生まれたアメリカ育ち。兄が一人いる。
日米開戦間近に洋海は父とともに日本に帰還したが、母と兄はアメリカにとどまる決意をした。
父は長崎に行き、洋海は鳩間島で空き家になった家に一人住むことになった。
島の北の岬には洞窟があった。
ある日洋海は海辺でいつものように牛乳瓶に星砂を詰めていたら、一人の若いアメリカ兵を見た。
そしてそのアメリカ兵を日本兵が助けているのに気づいた。
そこには洞窟があり、洞窟の中にはもう一つの洞窟があって、どうやら日本兵はそこに潜伏していたようだ。
日本兵は脱走兵だった。ボブというアメリカ兵も隣の西表島から泳いで鳩間島に着いた脱走兵だった。
洋海は岩淵さんという名の日本兵とボブに食糧や薬を運びこむようになった。。

日記は1945年4月2日から数日間詳細に続いていたが、8日にぷっつりと途絶えていた。
それから何十年も経った2011年、卒論にあの頃の沖縄について書こうとする女子大生が、洋海の日記を手に取り、その日記に疑問を持った。
そこから意外な展開があるのだが、最後の最後にまた驚くべき事実が明かされる。

戦中に「トイレ」という言葉は使わないだろとか、他にも「スムーズ」などという単語が出てくるのには少々違和感を覚えるし、鳩間島の地元老姉妹の言葉が東京の山の手言葉なのにも首をかしげてしまうが、作者がこの小説で伝えたいことは理解できる。
鳩間島のことを知らなかった私には興味深い点がたくさんあって、読んで良かったと思える一冊でした。故井上ひさしも推薦しています。
posted by 北杜の星 at 07:12| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月03日

ロジャー・パルバース/四方田犬彦「こんにちは、ユダヤ仁です」

今年最初のブログを何で始めようかと少々迷った。
年末年始に数冊の本を読んだのだが、これぞ新年にぴったり!というのはなかった。
なので、一番面白かったのを選んでみた。

対談集である。
パルバー氏は1944年NY生まれ。ロシアとポーランド系ユダヤ人。
ベトナム戦争に反対しアメリカを離れ、ワルシャワ、パリ、オーストラリア、日本と移り住み、まさに「流浪の民」そのものの文学者、劇作家、演出家。
一方四万田犬彦はイスラエル滞在経験を持つ。
この二人がユダヤ人とはなにか、ユダヤ文学とはなにを指すのか、日本とイスラエルの共通項などについて語り合う。
タイトルは「こんにちは、ユダヤ人」という軟らかいものだが、二人の高等ユーモアは随所にあるもののこれはかなりディープな対談だ。
歴史的文化的なパルバー氏の話がとにかく興味深く、知的好奇心を満足させられる。

欧米人に比べて日本人はユダヤ人のことをほとんど知らない。
知らないにもかかわらずイメージは持っている。
そのイメージはどこから来たのか?

ロシアのユダヤ人居住区からどのようにして彼らがヨーロッパ各地に散らばったかの歴史がこの本により理解できた。
いろいろ書きたいことはあるのだが、書いているとキリなく長くなるのでとにかく読んでもらいたいのだが、ユダヤ人の定義をちょっと述べると、おじいさんかおばあさんのどちらか、つまり四分の一がユダヤ人ならユダヤ人と認定される。
またユダヤ人と結婚しユダヤ教に改宗すればユダヤ人になれる。アジア人のユダヤ人もいれば黒人のユダヤ人もいるのだ。
これは日本人になるよりも簡単に私には思える。(ほとんどのヨーロッパの国ではその国に住んで税金を払えば国民と認められる。)
ユダヤ文学についてもヘブライ語で書かれていればユダヤ文学。ユダヤ人が書くことが絶対条件ではない。
これは日本文学についても同じではないだろうか。
どこの国の作家であっても日本語で書かれていればそれは日本文学。
反対のケースは、カズオ・イシグロは英文学なのである。

えー、そうなの?と思ったのは、イスラエルという国について。
パルバー氏もイスラエルのことはよく知らないらしくイスラエルに関してのことは四万田に訊ねているのがおかしいが、日本との類似点や相違点の考察が興味深い。
イスラエルには憲法がないそうだ。
これには四万田は、憲法がある日本でも憲法解釈を変えて政治をしようとするのだから、憲法があっても同じだと言っている。

私などどうしてもイスラエル批判のパレスチナ贔屓になってしまうのだけれど、イスラエルのガザやシナイ半島やゴランへの侵攻はやはり国際法に違反している;と思う。
この点ではユダヤ人であってもパルバー氏のイスラエル批判は真っ当ではないだろうか。
こういうシオニズムに反対するユダヤ人もいるのだと安心するし、いわゆるアメリカのユダヤ人、現在世界で大きな権力を持つユダヤ人(これもステレオタイプのユダヤ人像なのだそうだが)だけでなく、リベラルなユダヤ人もいるのだとわかる。

この本で初めて知ったことはたくさんあるが、ホロコーストの意味もここで初めて知った。
ナチスの強制収容所の大虐殺をホロコーストと呼ぶが、ホロコーストとはギリシャ語で「丸焼き」という意味だそうだ。
意味を知ればなおのこと残酷に感じる。

posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月29日

りぼんぷろじぇくと「新・戦争のつくりかた」

私の友人が読むようにメールで奨めてくれたこの本は、10年前に発刊されたものを今回、「新」として再発刊したもので、なにが「新」なのかというと法律の記述があること。
10年間に法律がいかに変わったか、また加わったかがこれを見るとよくわかる。
特定秘密保護法や集団的自衛権がこの国の将来にいかに作用するか、戦争の足音が間近に迫っていることが危惧され、いま言わなければ!の強い気持ちがこの本の再刊となったのだと思う。
「りぼんぷろじぇくと」とは特定の政治団体や宗教組織ではなく、個人のゆるい結びつきで世の中を考えようとする集まりで、発行元のカタログハウスは通販会社である。
カタログハウスはこれまでもチェルノブイリ以降ずっと原発問題について発信している。
もちろん福島原発の事故もきちんと取り上げている会社で、私は扱う商品の品質とともに大きな信頼を寄せている。
(つい1っ花月前もコーヒーメーカーが壊れてしまい、カタログハウスで購入した、壊れたものは10年前にやはりここのをプレゼントされたものだった。)

この本は絵本である。
といっても幼児向けではなく、中高校生から大人のためのものだ。
どのように戦争が起きるのか。
戦争を起こすために、誰が何をするのか。
それに対して私たちはどうすればよいのか。
こうしたことがとてもわかりやすく丁寧に書かれている。
下部には日本文が英訳されて載っているので、英語の勉強にもなるだろう。

つい一昨日のことだ。
私が夫と車で走っているとすぐ前を宣伝カーが録音されたテープを流しながらゆっくり走っていた。
「尖閣諸島、竹島の領土を中国や韓国から守り、日本の国民を幸せにする私たち・・」と言っていた。
選挙が近いためなのだろうが、どうせ泡沫候補が所属する政治団体とはいえ、こうした扇動は怖いなと思う。
このアジテーションががなりたてる声ではなく、ソフトな女性の声というのがなおさら怖い。
(わかりやすいことに対してよりも、オブラートに包んだことの方がより危険だから)。
このように緩やかに中国や韓国に対する憎しみを植え付けようとするのは、ヘイトスピーチよりタチが悪い。

私はかねてより、国が「愛国心」を言い立てるようになったら要注意だと思っている。
最近「愛国心」とか「道徳」とかよく聞きますよね。
2020年には東京オリンピックが開催されるが、あれも愛国の求心力とされるのじゃないかと思っている。
ちょうど1936年のベルリン・オリンピックのように。

足音が近づいてきたと書いたが、じつはもう片足を突っ込んでいるのではないか。
気がつくとどっぷりと全身が浸りきっていることがないように、どうかこの本を一度読んでほしい。
世界を良くするのも私たち。私たちの平和への願いの結集のはずだ。
この本を奨めてくれた友人も私も、子どももいなければ孫もいない。あと20年もすれば私たちはこの世からいなくなる。
それでもこの国が憲法9条を守って、美しく続くこと願う。
posted by 北杜の星 at 08:32| 山梨 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

連城三紀彦「小さな異邦人」

ある新聞の書評にこの本が紹介されていて、それに「最後の贈り物」とあるのを見て、「えっ、連城三紀彦って亡くなったの?」と驚いた。
そのことをまったく知らなかったからだ。
まだ60代半ばだったのに。
といっても、私は彼の作品を初期の2.3作しか読んでいないのでとても彼のファンとは言えないのだが、同世代の作家がいなくなるのはさみしい限りだ。

これを読んで意外だったのは彼の小説がわりとドライだったことだ。
「戻り川心中」や「恋文」はもっとリリカルな印象だったのだけど、私の記憶違いか。
ここには8つの短篇が収められているがどれも結末のちょっと突き放される感じが面白かった。
小説の乾き具合が心地よいのだ。
ミステリー、恋愛、不思議な感覚の物語・・
バラエティに富む小説集だ。
そこにはどこか怖さもあって、人間の言葉にならない心の動きが描かれている。

表題の「小さな異邦人」は意表を突かれるストーリー。
8人の子どもを抱える母子家庭に、一本の電話がかかって来た。
「子どもを預かっている。3千万円用意しろ。警察には言うな」と。
しかし家には8人全員の子どもが揃っていた。誰一人欠けていなかった。
それにこの家は貧乏で、身代金などどだい無理。
いたずら電話だと思ったのだが・・
ラストを読めばタイトルの「小さな異邦人」の意味がわかる。

私がハラハラドキドキしたのが「無人駅」だった。
六日町の駅に降り立った水商売風の女がタクシーを拾うところから始まるこの小説は、殺人で指名手配されている彼女の男が、時効直前という設定。
しかしここでも二転三転して思いもかけない結末に。。
また「風の誤算」の噂や風評の怖さがよく描かれている。

さすが、キャリアのある作家だったんですね。
物語の展開の巧みさと文章の確かさは、安定感いっぱい。
このような作家がいなくなったのはさみしいですね。
これまでもっと読んでいればよかったと悔やんでいます。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月04日

伊吹有喜「ミッドナイトバス」

この作者の本は「四十九日のレシピ」を読んだことがあるだけ。
あれにくらべるとこれはかなりの長編だ。
でもどうだろ?三分のニに縮められる小説だと思う。中だるみで退屈なところがあった。
脇役の登場人物たちも未消化で終わっているような・・

利一は新潟の美越(架空の町)に住む高速深夜バスの運転手。
バブルの最盛期に東京で仕事をしていたが会社が潰れ故郷の町に家族とともに帰って、運転手となった。
妻の美雪、長男怜司、長女彩菜たちは利一の母親と同居となったが、実雪と姑の折り合いがひどく悪く、実雪は子どもたちを置いて家を出ていった。
あれから16年。利一の運転する深夜バスに美雪が乗って来た・・

今は新しい家庭を持ち、幼い息子がいる美雪。
東京で利一を待つ定食屋「居古井」をしている志穂。
ウェブコミックのキャラクターの格好をしながら、何かを興そうとしている彩菜。
父と同じように仕事を辞めて故郷に帰って来た怜司。
元大学教授の老いた美雪の父親。
壊れた家族の16年を、埋めることはできるのか?

私は両親のいる普通の家庭で育ったし、離婚は一度経験しているが子どもはいなかったので、利一一家それぞれの気持ちは想像するだけだ。
でもきっと、「あの時気づけばよかった」「あの言葉を言えばよかった」と、残した想いが後悔を生むというのは、なんとなくわかる気がする。
大人でさえそうなのだから、訳も分からず置き去られた子どもは、原因は自分なのではないかと自分を責めるかもしれない。
自分の気持ちをきちんと言語化できないからなおさらのこと。
親にも言えず、感情が内に積もってゆく。憎しみだったり恋しさだったり、それは兄妹であっても別々の感情だ。

この小説の中で好きだったのは怜司。繊細で怜悧でしかも公平な目で周りの人たちを見ている。
嫌いだったのは元妻の美雪だ。なんなんだこの女は!という「ズルイ」部分がたくさんあった。弱さを利用しているというか、こういう女を描くのは男性作家なんだよね。
美雪の図々しいまでのいたいけなさは、どうも私の趣味ではない。これは男が創る女像だと思う。

ミッドナイトバスに乗ったことはないけれど、女性専用車とか一列ずつの座席があるんですね。
深夜に出発して早朝目的地に着くというのは、一日を有効利用できていいかもしれない。
もっともシニアには体力的にキツイけれど。
昨年だったか一昨年だったか、新潟市に二泊で遊びに行った。整然とした清潔な気持ちのいい街だった。
この本に出てくる万代橋や信濃川やバスターミナルなど位置がわかるので、読んでいて楽しかった。
だけど「たれかつ丼」は知らなかった。新潟ではかつ丼は卵でとじる煮かつでもなく、信州あたりのソースかつ丼でもなく、「たれかつ丼」が主流だそうだ。
美味しそう。今度行ったらぜひ信濃川を渡った古町で食べてみたい。
それともう一つうれしかったのが、ブルースのロバート・ジョンソンの歌が出てきたこと。それも私が一番好きな「Come on in my kitchen」だった。
雨にそぼ濡れたうらぶれた誰かが立っていたら、思わず「Come on in my kitchen」と言って、熱いコーヒーでも出してあげたくなるけど、そんな歌で、これがなんともいい歌なんです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

ローラ・フリン「統合失調症の母と生きて」

著者は1966年、サンフランシスコ生まれのライター。
これは彼女が小学生の時に統合失調症を発症した母との暮らしの記録である。

昨年夏にビルから飛び降りて自死した歌手の藤圭子の娘宇多田ヒカルは、母の死についてコメントを出した。
それには「母が長い間精神の病に苦しめられていた」とあった。
しだいに症状はひどくなり、人間不信に陥り、現実と妄想の区別がつかず、自身の感情や行動のコントロールを失っていったと。
おそらく藤圭子は統合失調症だったのだと思う。

統合失調症は以前は精神分裂症と呼ばれていた。
親の育て方が悪かったなどと身内が非難されることもあったが、現在では脳のドーパミンによる病気と考えられている。
遺伝性ではないが、病気に罹りやすい脆弱体質が受け継がれ、それに強いストレスを受けると発症の原因となることがあるそうだ。
私の知人は高校生の時に残酷ないじめにあって病気になっているが、発症年齢は10代や20代が多いという。

ローラが小学生のとき、母の強い怒りと憎しみが父に向けられ、父を「悪魔の手先」とののしるようになった。
郵便物や新聞は何一つ捨てられず、家はゴミの山。
世の中は悪意に満ちていると、いつもなにかと戦っていた。
体が動かせなくなり、リヴィングの椅子に一日中座っていた。
やがて父は母と離婚、家を出て行った。

長女のサラと二女であるローラ、そして妹のエイミーの三人が母とともに残された。
だんだんひどくなる、娘のすべてを支配しようとする母の言動。唯一の救いは週末の父と過ごす時間だった。
暴力に耐えられなくなり、サラは父の元へ逃げ去った。

精神の病に対して「狂っている」という言葉は的外れではないかもしれないが、それにしても母のサリーの言動の凄まじさには驚く。
悪魔が乗り移ったとしか思えない。
週末を父と過ごした後には、母の微に入り細に入る質問が待っているのだが、娘たちはみな、学習をして、何を話すべきか話さないでいるべきかをわきまえて答えている。それでもときどき地雷を踏んでしまうことがあって、よんでいるこちらまでがビクッとしてしまう。
かと思えば、母の反応は意外に穏やかなことがあり拍子抜けする場合もある。
ここあたりの規則性がないのが困りものだ。

これが親でないならば、子供でないならば・・
捨てることができない存在だからこその悲しみと苦しみ。
ましてや幼い子供にとって母親は愛されたり、愛したいもとtも身近な人間なのだから。

それにしても病気というのは不思議だ。
いつもいつも母は同じ状態ではなく、必要とあらばまったく「正常」にふるまえるのだ。
父は2度ほど親権を争い、2度目でようやく勝ち取るのだが、裁判の関係者が家に来た時には、母は普通の応対ができているし、その前にはしっかり家を整理整頓している。
このため最初の親権争いに父は負けてしまった。
また、母の態度は三人の娘それぞれによって異なり、末娘のエイミーに対してはかなりの会話が成立していたようだ。
これはおそらくエイミーが「赤ちゃん」で、自分の支配下に置けたからなのかもしれない。

藤圭子も治療や投薬は一度も受けなかったという。
ローラの母も病院に行くことはなかった。
こうした患者が世の中にはたくさんいて、統合失調症患者の総数は予想以上に多い。
100人に1人か2人というから、誰でも罹りうる病気である。
この本は患者と一緒に住む娘の立場から書かれたもので、患者本人の弁はない。
きっと患者本人だって、苦しみ悩み、つらい思いをしているのではないかと想像するとやりきれない。

posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

領家高子「なつ」

「樋口一葉 奇跡の日々」。
本郷丸山福山町の「水の上の家」に移り住んだ樋口一葉の日記を基に書かれたこの長編小説は、かなり読み応えのある一冊だった。
なつ、夏、夏子、奈津などと呼ばれた一葉が小説家としての「奇跡の日々」を迎える「水の上の家」は、貧困のなか24歳で夭折した彼女の終の棲家でもあった。

長兄が亡くなり父が逝ったのち17歳で戸主となり、母と妹を背負うことになって、その後の人生を貧困と借金のなかで過ごすことを余儀なくされた一葉だが、文学的には若いころより発表の場を持て、藤村、鴎外、露伴たちからもその才能を認められていた。
それだけでなく一葉は女性としてなかなか男運がよかった。
小説の師である緑雨とは結局はお互いの経済事情のため結ばれることはなかったが、たえず心に掛けてもらっていたし(一葉の死後でさえ緑雨は一葉の家族を心配した)、馬場孤蝶とのあいだにはほのかな恋の気配が感じられる。
写真を見てもわかるように一葉は美しい人だ。
(もっとも一葉の写真は修整されていて、半襟などの模様は塗りつぶされていかにも地味な印象になっている。これは一葉の死後、妹の邦子が清貧、勤勉、親孝行という一葉のイメージを守るためだったという。)

緻密な資料と領家高子のフィクションの織り重なりが素晴らしく、明治の時代の空気が濃く漂う文章はうっとりする。
「向島3部作」が好きでその後も領家作品を読んでいたのだが、異端の哲学者九鬼周造を扱った「夏のピューマ」の怪作ぶりに少し彼女から離れていたのだ。
でもこれは読んで本当によかった。
そういえば彼女にはこれまでも「八年後のたけくらべ」「一葉舟」などの作品があり、この「なつ」は一葉ものの集大成と言えるかもしれない。
私はとりたてての一葉ファンではないのだが(明治大正の閨秀作家をほとんど読んでこなかった)、これを読んで俄然興味を覚えた。

この本で領家高子はおもしろくも大胆な仮説を立てている。
「たけくらべ」の信如は島崎藤村がモデルであると。
もちろん美登利は一葉自身。
そのほかの登場人物にもそれぞれのモデルを当てはめている。
私は彼らを知らないのだが、知っている人が読めば「なるほど」と頷いたり、「まさか」と驚いたりするのではなかろうか。

それにしても当時の貧しさに胸塞がれる。
友人同士の金の貸し借りは日常茶飯で、当時の人と人との関係の温かさが覗える。
貧しくても貧しいなりにどうにかなった時代でもあったのだ。
それでもどうにもならなくて一葉は結核で死んでしまったのだけれど。
posted by 北杜の星 at 07:08| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

リービ英雄「日本語を書く部屋」

「日本語を母国語としない日本語の作家リービ英雄の、体験的日本語・日本文学論と〈越境〉をめぐる鮮烈なエッセイ」。

ときどきリービ英雄を無性に読みたくなる。
私自身は日本語以外のどこの言語もきちんと習得していないので、彼の持つ言葉の体験を持っていない。
それでも小学生の頃から英会話を習わされ(当時そういう子供はほとんどいなかった)、イギリスに住んでいたあいだじゅうずっと英語と格闘せざるをえなかった。
けれどイギリスでは、言葉とは何かということに直面しながら暮らしている人間は私だけではなかった。
さまざまな国からやってきた移民たちは、母国語とこれから母語となるべき言語のあいだで苦しみながらも慣れていっていた。
それは単に英語が話せるようになるということだけではなくて、彼らの中で何かを得、何かを失うことでもあったと思う。

誰かが書いていたが「どの言語も翻訳可能ということは、たぶん言語のルーツは一つなのだ」と。
もともとは一つだった言語が人間の移動によって枝分かれして、その土地の風土や歴史が異なるのに沿って、言葉も異なるようになった。
そしていま、ある言語から別の言語に強い関心を持ちつとき、気持ちのどこかで〈越境〉という意識が生まれるのかもしれない。

リービ英雄はペンネームではない。純粋白人アメリカ人である。
外交官だった父の赴任先の台湾で生まれ、英雄という名をつけれれ、12歳まで台湾や香港で育った。
そして10代の頃日本に滞在して以来、日本とアメリカを往還していたのだが、「ニューヨークからは短篇小説も長篇小説も現代詩も生まれる。俳句も生まれるかもしれない。しかし、短歌だけは生まれない。」と、日本に移り住んだ。「大和ことば」と「日本語文脈」のなかで暮らしたいという想いが強くなったからだ。
これだけなら日本文学者として、よくあることだ。
しかし彼は世界初の万葉集の完全英訳をしただけでは足らなかった。日本語で小説を書いたのだ。
これはまさしく〈越境〉だった。
ある意味で、還る場所のない〈越境〉だった。

この本には〈越境者〉たちのことがたくさん書かれている。
ドイツ在住でドイツ語で小説を書く多和田葉子、アラスカに長く住み「三匹の蟹」を書いた大庭みな子、在日として生まれ韓国人としてのアイデンティティを求めつつ叶わないで早逝した李良枝、日本人として大リーグで活躍した野茂英雄、被差別部落に生まれ「路地」を書き続けた中上健次。
彼らはなにを〈越境〉し、どこへ向かおうとしたのか。

自分が生きるうえで「言語」を選びとる。
それはとりもなおさず、自分の生きる場所を選ぶことでもある。
須賀敦子という人もそうだった。日本語だけで生きるのではなく、自分の「言語」を探して、最初はフランスに、でもフランス語ではないと気付き、イタリアへ。
そこで彼女は彼女の「言語」を見つけ出せた。
私が須賀敦子や多和田葉子やリービ英雄に惹かれるのは、表現者としての「言語」を選ぶことで能動的に生きることを選んだ人たちだからだ。
それは究極の人生の選択ではないだろうか。

現在リービ英雄は年に数回中国を訪れる。
経済発展の中国や歴史に興味があるのではない。
中国で見、聞き、触れたすべてを、「日本語を書く部屋」に戻って、日本語で表現するためである。
彼の「中国もの」もとても興味ふかくて、私は大好きだ。
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2012年08月04日

リービ英雄「大陸へ」

これまでリービ英雄のエッセイを読んできた私だが、これほど政治的、社会的な切り口のものを読んだことがない。
これはエッセイというよりはノンフィクションだ。
「大陸へ」には二つの大陸の被差別民が取り上げられている。
一つはアメリカの黒人、一つは中国の農民だ。

バラック・フセイン・オバマが大統領になって以降、マイノリティである黒人への差別がなくなったかというとそうではない。
バラック・オバマはあらゆる国際的国内的な問題に加え、たえず黒人である自分への差別を考慮しながら大統領の仕事をしなくてはならない。
アメリカの人々は彼が大統領に選出されてホワイトハウスに入るとき、ミッシェル夫人や子どももホワイトハウスの住人になることに戸惑いを見せたという。
つまり黒人家族がホワイトハウスに入るということに初めて直面したかのように、驚き戸惑ったのである。

バラック・オバマ大統領は白人の母を持つが、ミッシェル夫人は生粋のブラックだ。
すでに80年代のブリンストン大学の寮に彼女が入ったとき、白人のルームメイトの母親は大学に苦情の手紙を出した。
ミッシェル夫人がホワイトハウス入りする直前になって、その母娘から謝罪の手紙が届いたというのだが。。
現在ですら、黒人が高級住宅街の家に入ろうとすると、それが自分の家であっても、不法侵入で通報され逮捕されることがある。
最近のニュースで、南部アメリカの教会が黒人カップルの結婚式を拒否したと聞き、唖然としたばかりだ。

アメリカ文学をあまり読むほうではなかったが、マッカラーズ、ボールドウィン、フォークナーの小説を読んで、公民権運動以前の黒人差別の凄まじさは知っていたつもりだが、それは現在にいたるまで続いている。ある意味ではより陰険になって。
リービ英雄が相乗りタクシーに乗ったときの模様が興味深かった。
黒人運転手と黒人ビジネスマンがすでに会話を交わしていたのだが、その会話の内容がどうにも気になってリービが口を挟んだ。しかしそれは非常に稀有な常識に反することだったようで、「一人種間の『プライベート』な会話に異人種の白人が口を挟むことは、ワシントンではまず起こらない」のだそうだ。

アメリカでは黒人はマイノリティに属する。
けれど中国の「農民」はマジョリティだ。どうして差別されるのか。
革命後そして文化大革命で農民の地位は高かった。
でもこれはつまり江戸時代の「士農工商」のシステムと同じで、一番大変な労働でしかも貧しい層にプライドというご褒美を鼻の先にぶら下げただけだ。

リービ英雄は河南省を見て歩く。
黄河の南の河南省は日本の九州くらいの土地に1億人前後の農民が暮らしている過密な農村地帯だ。
過密な農村というのがどんなものか想像しにくいのだが、彼らは過密ゆえに昔も今もとても貧しい。
経済大国中国のなかで、忘れ去られた省である。

現在だけが忘れ去られているのではない。
日本が中国侵攻をしているときに、北を制圧した日本軍が南を占領しようとするのを阻止するために、蒋介石は黄河の花園口という場所の堤防を破壊した。
数時間のうちに、84万人の農民が溺死したという。
この「花園口」のことは世界史に埋もれてしまった。死者がみんな農民だったからだとリービ英雄は書く。

両親の日本人の親友の名前をとって英雄と名付けられた白人のリービ英雄は、外交官の父に伴い少年時代を台湾と香港で過ごし、アメリカに戻り、青年時代からは日本で日本文学者(世界で最初に万葉集の完全英訳をしている)として、また日本語で書く作家として、これまで生きてきた。
最近では中国に旅することが増えているが、中国で見聞したことを日本語で考察し日本語で書き表すというスタイルをとっている。
アメリカに居ても、英語を日本語に置き換えることもあるようだ。
そういう彼だからこそ、二つの大陸を俯瞰してみることができるのかもしれない。
いつもは冷静な彼の筆が、今回は少し熱い。素晴らしいノンフィクションだった。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

ル・クレジオ「飢えのリトルネロ」

1930から1940年代前半のパリで青春期を送ったエテル。
裕福な一家が破産するのと時を同じくして、フランスに戦争の足音が近づいてきた。
ファシズムはやがてフランスの人々を「餓え」に押しやってゆく。

エピローグとプロローグを書いているのは、エテルの息子という設定だが、この「序」と「終」が興味深かった。
この部分だけはル・クレジオの母と彼自身の実際の体験のようで、幼い彼が母から聞いた話や戦後の「餓え」について書かれている。
私は知らなかったが、フランスもずいぶんと餓えていたのだ。
アメリカ軍のジープから投げられるチューインガムやチョコレートを拾う子どもたち、栄養のために摂る肝油、名前こそなにやら優雅だがカーネーション・ミルクと呼ばれたダマだらけの脱脂粉乳を飲んだ話など、まるで敗戦直後の日本のようだった。

パリのたくさんの通りの名前が出てきて、当時のあの街の様子が伝わってくる。
親友にも恵まれ、何不自由なく暮らしていたエテル。
祖父、伯父、父が死に、エテルは何百キロもの逃避行をしなければならなくなる。
そしてそこには「餓え」があった。
戦士だけが戦争をするのではない。市民も戦争が起これば苦渋の暮らしをするしかなくなるのだ。
ましてや自分で人生を選択できない年齢のエテルには、理不尽なことばかりが目の前にある。

リトルネロとはイタリア語の音楽用語で、「反復回帰する主題」のことだそうだ。
反復回帰する音楽、ラヴェルの「ボレロ」と、この作品の家族の悲劇と時代の悲劇が連動し交響する・・というのがル・クレジオの主題だ。
「ボレロ」は予兆だったのだ。あの「ボレロ」の繰り返されるリズムが意味するものは、近づくファシズムの足音だった。

プロローグにル・クレジオはこう書いている。
「ぼくの母は「ボレロ」の初演の話をしてくれたとき、彼女の感動、耳にした叫び、喝采と口笛のやじ、どよめきを語った。同じホールのどこかには、母が一度も会ったことのない青年、クロード・レヴィ・ストロースがいた。」

「餓えのリトルネロ」のラストがエテルにとって幸せなものかどうか、私にはわからないが、エテルの「餓え」の時代が終わるように、ある時代も終わるのだと思った。
posted by 北杜の星 at 07:42| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

RikaTen編集部編「大災害の理科知識Q&A250」

RikaTanは新潮社から「大きな志で、共同的な進め方で『理科好き』の大人と子どもを増やそう」という趣旨で、毎月発刊されている理科探検ムック本である。
編集長は左巻健男(法政大学生命科学部環境応用科学科教授)だが、全国170名の理科に詳しい企画員によって作られている。
岩波の「科学」のような専門的な詳しさはないが、興味を持って楽しく理科を知ることのできる本だ。
今回は永久保存版「大災害の理科知識Q&A250」というもの。

地震、津波、原発、放射能、停電、災害対策について書いてある。
特に原発、放射能に多くのページが割かれている。
テレビで説明していたけどよくわからない、報道で伝わってこないことを知りたい、今さら人に訊けない、知れば知るほど疑問が出てくる・・
こんな人っていると思う。
かくいう私も、なんとなくわかってはいるのだけど、さて誰かに説明しようとすると理路整然とは話せないということが多い。
これを読むと、そんな基礎知識がポイント的に身につくので心強い。
知って安心するというわけでは必ずしもないのが悲しい現実だが、でも知ることは初めの一歩だ。
正確に知ること。事実から目をそむけてはいけない。

なぜ日本の原発は海沿いにあるのか?
暫定規制値は基準値とどうちがうのか?
野菜の種類によって放射量が違うのはなぜか?
X線検査の放射能との比較がいかに無意味か?
20キロ、30キロ圏内なら本当に安全なのか?
現在、義務教育では原発についてどのような教育がされているのか?
「耐震」「制震」「免震」の違いとは?
体温を確保するための方法は?

250もの質問に250の答え。
友人達と話し合うときに、もしこういう理科的知識をもっていたならば、会話がより充実するのではないだろうか。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月24日

ルース・スウォーツ・コーワン「お母さんは忙しくなるばかり」

著者はペンシルベニア大学教授。科学技術の社会史を専門としている。
この本は、家事労働とテクノロジーの相関について書いてあるもので、事例のほとんどはアメリカだが、日本であってもその他の国であっても充分通じるものである。
「お母さんは忙しくなるばかり」というタイトルから受ける印象よりは、ずっとアカデミックな内容となっている。出版元も法政大学出版だ。

産業革命が起こり、世の中は工業化された。
農業、牧畜、林業などで家にいながら働いていた男性達は、外に出て仕事をするようになった。
家に居るときには、家事のかなりの部分を妻とともに担っていたが、男が家に居なくなると、ほとんどすべての家事が妻だけの役割に移行した。そして主婦という立場の女性が生まれた。
それでは大変だろうと、20世紀になって電化製品が出回るようになった。電気掃除機、洗濯機、冷蔵庫・・
それらの道具は、主婦の仕事を軽減するものだった。
が果たして、実際はどうなのか?主婦は本当にラクになったのか?

確かに手で洗う手間は省かれたし、床に這いつくばり拭くことはなくなったかもしれない。
しかし暮らしが文化的になるに従い、家の仕事は増えているのだ。
食が多様性を持つと、買い物の手間はかかり、料理は複雑になる。
日本の「衣」を考えてみてもそれはわかる。
昔は着物をほどいて洗い、板に張り伸子を掛け、また縫い直した。確かにそれは大変な作業だった。
けれど今ほど豊かではない時代に、人はそれほど多数の着物を持っていたわけではない。またそうした作業は季節ごと、つまり年に何度かですんでいた。
今、私たちが所有する服といったら、膨大な数量である。昔と較べると、清潔度が増しているので、大家族なら一日に何回も洗濯機を回さなくてはならない。
洗って干して、取り入れて畳んでアイロンをかける・・それが毎日毎日続くのである。

それに以前なら家内労働は、ちょっとした家庭ならお手伝いさんが居た。
家電が発達すると、世の中かからお手伝いさんが消えてしまった。
保育園や幼稚園ができると、子守も消えてしまった。
病院が完備したら、家政婦さんなども雇わなくなった。
だけど、すべてのことを機械や施設がしてくれるわけではない。人手でなくてはできないことがたくさん残っている。その残った部分がすべてお母さんの役割になるのである。

しかしそれはお母さんだけではないと思う。お父さんだってますます忙しくなっているのではないだろうか。
20年か30年くらいまでの男性会社員はある意味気楽だった。
会社に着けば、OLがお茶を淹れてくれ、汚い字で企画書や見積書を書いても、ちゃんと清書してもらえた。けれど今ではワードやエクセルを使って自分で作成しなくてはならない。
新幹線ができ飛行機代が安くなれば、泊りがけの出張は早朝深夜発着の日帰り出張となってしまった。

なんなんでしょうね。
文化度が高くなりテクノロジーが発達すればするほど、時間に追い立てられるようになるなんて・・
そして体も心も病んでいくなんて・・

このきめ細かな技術社会史の本を読んでいると、家事労働だけではなく、テクノロジーと社会全体のシステムについて、つくづく考えさせられた。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月25日

リービ英雄「我的日本語」

これまでリービ英雄を読んできた人、あるいは言語に関心を持つ人には、この本はとても知的好奇心を満足させてくれる一冊だ。
周辺言語である日本語で書く、それも小説を書くことを望んでそれを成し遂げた彼の、自伝的日本語論。
本当に面白かった。

彼の日本語は1967年、新宿から始まったという。
(リービ英雄のことを知らない人のために補足すると、彼は白人アメリカ人である。HIDEOという名前は外交官の父が尊敬していた日本人からとって名づけたもの)。
横浜でもなく六本木でもなく、根津や谷中でもなく、新宿だったことが、彼にとっては意味があった。
ブリンストン大学の学生時代、時間と経済が許す限り、新宿に借りた3畳一間のアパートに通った。
そうして習得した日本語を使って、しだいに彼は「小説」を書きたくなっていった。

しかし壁は厚かった。
当時彼は「ガイジン」だったのだ。
「ガイジン」がなぜ日本語で小説を書かなくてはならないのか?
彼に求められたのは、サイデンステッカーになることであり、ドナルド・キーンになることだった。
道が開けずにいた頃、彼は万葉集の全英訳をする。
そのことが日本語で書くということを、より深く自覚させるようになる。

彼は同じような経験を持つ作家の李良枝と多和田葉子について書いている。李も多和田も大好きな私にはワクワクする記述だ。
李良枝は在日として、自分のアイデンティティを探し苦しんだ人だ。
韓国の伝統芸術を学び、韓国に住み、それでも自分が韓国人になれないこと。
そしてなによりもどの言語が母国語なのかわからないことに苦悩し、まるで自死のように逝ってしまった。
一方、多和田葉子はそんな社会的アイデンティティとは無縁だ。
純粋に自分を表現できる手段としての言語を模索し、日本語とドイツ語にそれを見出した。両方の言葉で書いて、どちらも成功している。
まったく違う二人・・
しかしこの二人を自分と重ねて考えるとき、リービ英雄は「言語」とはなにか、「母語」とはなにかを思わずにはいられない。

後半にはこれまでの彼の作品についてが書かれている。
1993年以来50回中国を訪れている彼は、今、中国で見聞し感じたことを日本語で書いている。
(彼は父親の赴任先の台湾で幼児期を過ごし、中国本土から逃れてきた人たちの北京語を聞いて育った)。
アメリカ、日本、中国・・リービ英雄にとって、これからも続く「言語」の旅である。
posted by 北杜の星 at 08:19| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月24日

ロドリゴ・レイローサ「その時は殺され・・」

青山南訳ケルアックの「オン・ザ・ロード」を読んだら、同時代のポール・ボウルズも読みたくなって検索していたら、タンジールでワークショップを開いていたボウルズのもとにグアテマラからやって来たロドリゴ・レイローサのことを知った。
二十代前半のレイローサの才能を見出し、彼の小説の英訳をボウルスが手がけたり、反対にボウルズの作品をレイローサがスペイン語訳したりと、二人の関係は親密だったようだ。
(ほとんどボウルズの晩年の話だが)。

「その時は殺され・・」は、まごうことなきラテン・アメリカ文学だった。
このブログで何度か書いたが、私はいつもラテン・アメリカの混沌の折り重なりにある種の恐怖を感じている。
昨日まで確かにここにあってみんなでそれを見ていたものが、翌日には影も形もなくなって、一緒に見ていた人たちから「そんなもの知らないよ」と言われてしまう・・
混沌の重なりこそが、ラテン・アメリカの「幻想」のような気がする。
だからボルヘスやマルケスのあの「幻想」というものは、私たち日本人が持つ「幻想」とは違って、彼らラテン・アメリカ人にとっては「現実」そのものなのではないか、と。
この作品にもそういう怖さがある。

エルネストは軍を辞め大学に入学する。
そこにはエミリアという女子大生がいて、彼は彼女に好意を持つ。
エルネストとエミリアは一緒に旅に出る。
旅の途中で、老イギリス人夫婦のルシアンとニナと出会う。

彼らが旅で目にしたこと。
彼らを取り巻く不穏な空気。

「ルシアン、それは罠だよ」「エミリア、そこにとどまっては駄目!」と叫びそうになる。
この本の怖さは、簡潔というより省略された文章の中で、ひとがあまりにも簡単に殺されてしまうことだ。
瞬きする間もなく、人生が途切れてしまう。
殺される人間には恐怖を感じる時間さえない。
いかに政治的に混乱しているとはいえ、この殺され方の唐突さに驚いてしまう。

静かなのに強烈な小説。
ボウルズが惹き付けられた作家だけのことはある。
これ、いつまでも心に残りそうな作品だった。
posted by 北杜の星 at 08:18| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

日本の名随筆 渡邉文雄編「蕎麦」

そろそろ新蕎麦の季節。
そろそろと書いたが、蕎麦屋によってはすでに「新そば」の貼り紙がある店もある。
山梨のこの近所の蕎麦畑の蕎麦の花は白くなってはいるが、刈り取りはもう少し先か。

蕎麦が好きだ。
おそらく食べ物の中でもっとも好きなんじゃないかというくらい好きだ。
一口食べたときの、あの、清冽さは他に例えようがない。
(それは「酒」だと酒飲みは言うけれど)。
幸いなことにここらあたりにはうまい蕎麦屋が多い。
蕎麦名人として名高い高橋さんの「翁」は歩いても行ける距離だ。
(その高橋さんは今は広島に移り住み蕎麦道場をつくって、そこで指導を受けた人たちが、うどん文化だった広島にうまい蕎麦屋を続々とオープンさせている)。

歩いては行けないが、清里には「草五庵」というお気に入りの蕎麦屋もある。
そこのご主人は以前国立で「大平」を開いていた人。
昼の1500円の蕎麦コースは、旨い上にお得感も大きくファンが多い。
蕎麦味噌団子、蕎麦掻き、うどんや粟などが季節によって、ゴボウとじゃがいものそば粉揚げ、そして蕎麦。
最後の蕎麦はご主人の気分で、ぶっかけになったり、おろしになったり、とろろになったり・・
じつは昨日行ってきたんです。昨日はとろろでした。柚子がちょっと効かせてあってオツでした。

蕎麦は奥が深いと言われるが、作り手でない私にはよくわからない。
ただ蕎麦を食べるためには、山奥や辺鄙さをも厭わずに、というか、そういう場所をことさらにありがたがって行ってしまうようなところがある。
場所がわからず携帯電話をかけようにも圏外だったりするのだ。
あれはどういう心理なのだろうか。カレーライスではそこまでの熱意はもてないような気がするのだが。
でもまぁ最近は、どこで食べてもそこそこの蕎麦が食べられるようになったのはありがたい。
好みの差はあれ、評判の蕎麦屋に行って、食べられないほど不味いということはなくなった。
ちなみに私が一番好きな蕎麦は、駒ヶ根の「丸富」の蕎麦と蕎麦掻き。
蕎麦切りも好きだが、蕎麦掻きもめっぽう好きで、献立表にあると必ず注文する。
「丸富」の蕎麦掻きは絶品だ。
飯田にあったころからの贔屓の店だ。

この随筆集、エッセイではなくやはり随筆と呼びたい。
池波正太郎、戸板康二、丸木俊、開高健、今東光、荒畑寒村、宇野信夫・・
物故した人たちがほとんどどの随筆集だが、蕎麦について書かれてあるのもそそられるが、彼らの文章が素晴らしい。
ほんの短い間に、こんなにも日本語って変わってしまったのかと、憮然暗澹としてしまう。
格があり、品があり、下世話でないユーモアがあり、書いた人がそのまま表れている文章だ。
ただどの人も実際に会うとおっかなそうで、敬して遠ざかりたい人ばかりだが。
こういう文章を読むと、私の世代でギリギリ良かったなと思う。
あと20年歳を取っていたら、町田康や古川日出男は読めなかったかもしれないし、あと20年若かったらこの随筆集の日本語が醸し出す雰囲気を汲みとれなかっただろう。

彼らは文章だけではなく知識量もハンパじゃない人たちが多かった。
開高健などは薀蓄の極みのような人だが、この中でも「初物を食べると75日寿命が延びる」の諺のお由来を書いている。
あれは、蕎麦のことらしい。
昔死罪になった罪人が、最後に腹いっぱいの新そばを食べて死にたいと言ったのを、粋なおはからいで、さっそく蕎麦の種を蒔いた。
そして75日目に実が生り、その間の75日生き延びたところからきているそうだ。

posted by 北杜の星 at 07:24| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

リービ英雄「延安」

多和田葉子「ボルドーの義兄」を読んだら、リービ英雄を読みたくなった。
私のなかでこの二人は、どうもセットになっているところがあって、それは作風ではなく、言語に関する類似性を感じるからだ。

リービ英雄の前世は、日本人または中国人ではなかっただろうか、と思うときがある。
生粋の白人アメリカ人として生まれながら、父親から英雄と名付けられ、こうも東洋に惹き寄せられて、いまでは母語すらあやしくなったと本人が述べているほどなのだ。
どこか彼の血の中で、日本や中国が蠢いているのではないだろうか。

リービ英雄は旅をする。
その旅はこのところ中国に向かうことが多い。
そして今回は「延安」。
中国に関して知識もなく、あまり興味もない私には、延安がどこにあるのかも知らなかった。
そもそも北京と上海と大連、それと敦煌くらいしか場所がわからないというテイタラク。

彼が禿山と洞窟の土地で目にしたのは、とてつもないスケールの風景だった。
この島国では目にすることのできない風景。どこまでも黄土が続く風景。
日本にない風景を日本語でどう表せばいいのか。
「日本文学の五十五歳に、日本語でどう書けばいいのかわからない風景が目にみなぎった」のだ。

目にするもの、出会う人々、起こることのすべてを彼は書く。
できるだけ心情を排して。
しかし心情は行間にこぼれ落ちる。

不思議なのは、不快なことがたくさんあるのに、それでも彼は嫌がっていないことだ。
「老外」(ガイジン)と子供たちから石を投げられても、厳しい目で睨まれても、彼はどこかそれらを当然と受け止めている。
(ある村で子供たちが集まり、その中の一人が彼の腕をそっと撫でる。まるで犬か猫を触るみたいに。だからといって親近感を持ってくれるわけではない)。

共産主義がなくなっても、毛沢東は依然として神格化されている。
以前は「革命の父」だったが今では「建国の父」として。
この「延安」はこれまでの彼の「中国もの」の中ではノン・フィクション風の印象がある。
「サヨク」のジャーナリスト、エドガー・スノーの文を引用して、昔の中国と現在の中国を見つめているのも興味深い。

リービ英雄は中国を舞台にした小説は書こうとしない。材料はこれまでの旅行でいっぱい集まっているだろうに。
中国大陸は、「どんな文学者にとってもすぐれてノンフィクション的な領域なのである。ディテールはきわめて現実的で、人も現実的なのだ」とあとがきで書いているのを読むと、こういうかたちでないと中国は表せないのだと、納得する。

それにしても、どうしてリービ英雄にとって中国なのか。
風景か、人か。
彼が日本にやってきたときにはすでに失われていたものが、今の中国にはあるのか。
前世の記憶へのノスタルジー?
理由は私にはわからないが、彼の静かな文章を読むのが大好きだ。
posted by 北杜の星 at 08:38| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

リービ英雄「仮の水」

越境の人・・リービ英雄はこう呼ばれるが、確かに彼は越境の人である。
日本では外人(欧米外人)として初めて日本語で小説を書く。
万葉集の初の全英訳をした日本文学者でもある。
リービ英雄は筆名ではない。
親日派のユダヤ系アメリカ人の父が名付けた本名である。
太平洋戦争終結直後としては、珍しいことかもしれない。
台湾で幼年期を過ごし、アメリカで教育を受け、日本で日本語作家となった。
その彼は最近中国へ頻繁に旅をする。
「我的中国」というすぐれたエッセイを書いている。
この「仮の水」は、「かれ」という主人公が中国を旅する、その間の物語である。

「現代中国の真の姿を描き出した」と帯文にあるが、私にはそのことよりもリービ英雄の文章にひきつけられた。
あるもの、見たもの、起こったことすべてをそのまま、明晰な言葉で表している。
そういう意味では非常に即物的。
感情の吐露が書き連ねてあるわけではない。
それなのに、行間からは「かれ」の戸惑いやいらだち、「かれ」が言うところの「恥のようなもの」が、確かに伝わってくる。

旅をして「見る」立場であるはずが、「老外」(ガイジン)と指差され「見られる」立場となっている。
それは日本で「ガイジン」と囁かれてきたのと同じ立場でもある。
越境者の「かれ」がそこにいる。

私がちょっと感じたのは、定住者として日本はもうすでに彼にとって新鮮な国ではなくなっていて、中国にそれを感じているのだろうなということ。
日本語作家となるくらい日本語に長けている彼は、母語の英語ではなく日本語で思考するほど,日本と日本語がが自分の皮膚のようになっている。
中国に行って、自分の意思をはっきり表せない中国語を使うことを、もどかしさとともにどこか楽しんでいるような気がする。

それにしても中国人の強靭さはすごい。
あのメンタリティにはかなわない。
それと、恐るべき拝金主義。
それをストレートにぶつけてくる。
「我的中国」にもあったが、彼らは初対面の人に対してもごく普通に「収入はいくらあるか?」ときいてくるのだ。
それがその人への評価基準のようだ。
婉曲な言い方など決してしない。
わかりやすいといえばわかりやすいが、あんまりと言えばあんまりな・・

今期の群像新人賞の評論部門の受賞は、永岡杜人氏の「言葉についての小説 リービ英雄論」だった。
群像6月号を旅行のお供に持っていったのだが、ベッドサイドのライトが暗すぎて全然読めずに、結局帰国する時に捨ててきてしまった。
この本のことについても書かれていたのに残念だった。

posted by 北杜の星 at 08:21| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする