2012年01月20日

綿矢りさ「かわいそうだね?」

起きたら一面真っ白!
この冬初めての本格的な雪です。
雨も雪もちっとも降らなくて、地面や木々がカサカサだったし、私のお肌もカサカサ。
ハッチ君に触れると静電気がびりっときて、二人でびっくりの日が続いていたのです。
20センチの雪にハッチ君興奮気味で、外に出たり内に入ったり。
だけど降ればどか雪となるんですね。
我が家の坂道を生協のお兄さんの車、登ってこれるか心配です。
さて、今日は綿矢りさです。


芥川賞受賞作の「蹴りたい背中」を含めて、長い間私にとって綿矢りさの小説は退屈で、どこがいいのかわからなかった。
それが少しずつぼんやりとわかるようになったのは、ここのところの2.3作からだ。
寡作の人で、丁寧に丁寧に書いているのが伝わってくる。
小さなことがらの積み重ね、表出しない細やかな感情。
そうか、綿矢りさってこういう作家なのかと、遅まきながら理解できた。

この「かわいそうだね?」は表題の「かわいそうだね?」と「亜美ちゃんは美人」の2作が収められている。
どちらも女性を描いていて、その心理が「わかる、わかる」なのだ。
今まででもっとも好きな綿矢作品となった。

「かわいそうだね?」は、元カノを同居させることになった彼に戸惑う樹里恵(このスゴイ名前の説明は作中にある)。
仕事もない、金もない、住むところもない元カノのアキヨさんを見捨てて置けないと彼は言う。恋愛感情ではないと。
これを受け入れてもらえなければ別れるしかないとまで言う。
当然樹里恵は悩む。
受け入れられ宇者ではないけれど、受け入れなければ、自分がいかにも狭量な人間みたいでいやだし。
割り切れない思いで過ごす樹里恵だが、ある日とうとう爆発する。

この爆発の仕方が、スキッとすることったら。
それまで矯めに矯めた感情がほとばしる。そのほとばしり方が爆笑ものでなんとも愉快。
でも樹里恵とアキさん、最初からこの勝負はついていた。
だって英語で言うでしょう。
Pity is akin to love.
夏目漱石はこれを「かわいそうったぁ、惚れたってことよ」と訳したものだが、世の中「かわいそう」には勝てないやね。

もう一つの「亜美ちゃんは美人」。これがまた良かった。
とても巧みな小説だ。
美人の亜美ちゃんを友人に持つという役割をずっと果たしてきたさかきちゃんの微妙な心理が見事に表現されている。
完成度としたらこちらの作品のほうが高いかもしれない。
登場人物の出入りも実に妙味があって、面白い。

鈍い私もやっと綿矢りさのよさがわかり好きになれて良かった。
お気に入りの作家が増えました。
posted by 北杜の星 at 08:25| 山梨 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月19日

渡辺京二・津田塾大学三砂ちづるゼミ「女子学生、渡辺京二に会いに行く」

私は知らなかったのだが、渡辺京二氏は思想家であり歴史学者でもある人。
三砂ちづるは津田塾大学国際関係学科教授で、国際疫学の専門家。エッセイや小説も書いていて、私は彼女の小説が好きでこのブログでも紹介したことがある。
彼女の小説に流れるものは、社会学的なフェミニストからすると反論があるだろうが、私は勝手に「原始フェミニズム」と名付けていて、本来女性が持っている不思議な力、それは私たちが文明の進化と共に失ったものだが、取り戻そうということだと思う。

自分の体に向き合って、体に耳をすませて、得られること。
それを私たちは忘れている。健康を数値で判断していてばかりでは、わからないことだ。
そういうことを大切にする三砂ちづるのゼミの生徒たちが、なぜ渡辺京二氏に会いに行ったのか?
会って、何を聞きたかったのか?

ゼミの生徒、元ゼミで現在は大学院生たちが、それぞれの卒論を持って渡辺氏と語り合っている。
この生きにくい世のなかをどう生きればいいのかを問うている。
自分が社会とどう繋がればよいのかを真剣に考えている彼女たちに、渡辺氏は「こうしなさい」と言っているわけではない。
話を聞き、自分の体験を話し、優しく彼女たちを受け止めている。
80歳をすぎた彼の体験談のすべてが現在の彼女たちに当てはまる問題ではないものの、彼の語り口にはどこか人を安心させ納得させる懐の深さがある。
彼の力を抜いた姿勢は、決して彼女たちをいなしているのではなくて、見守っていると言う感じ。
それがわかるから女子学生たちもその懐へ飛び込めるのだろう。

なんてこの女子学生たちは真面目なんだろう。
私が彼女の年齢の頃、こんなにも真摯に自分や社会を見ていただろうか。
しかし渡辺氏は社会的なことからスタートするのではなく、あくまでも「個」として自分を見据えようと言っている。
例えば就職できないからと言ってそれを「自分は社会に無用な人間だ」などと考える必要はない。ただ就職口が見つからなかっただけなのだと。
人間なんて「社会」のためになんか生きていない。
家族や好きな人たちのために生きているのだ。
そのために大切なのは、「無名に埋没すること」。

渡辺氏の「無名に埋没せよ」の言葉は、最後にドーンと胸に響いた。
そうすることで初めて自分が見えるし、社会も政治も見えてくる。
この本はこれから社会に出ようとする人たちに、なんらかの道標になってくれるかもしれない。
渡辺氏と三砂ちづるのやりとりにも、考えさせられるところがたくさんあった。

posted by 北杜の星 at 08:27| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月23日

若桑みどり「クワトロ・ラガッツィ」

これはこの夏の私の「課題図書」。
「課題図書」というとなんだか小学生や中学生の宿題みたいだが、私も昔を思い出して夏には普段読まないジャンルの本、それも読み応えのあるものを一冊読むようにしている。
たいていの年は自然科学系なのだが、今年は早い段階からコレに決めていた。
若桑みどりは美術史家・美術評論家。惜しいことに数年前に亡くなった。
彼女の歯に衣着せぬ、すっぱりとした絵画の説明が大好きだった。
フェミニズムとジェンダーの人でもあり、ルネサンス絵画の女性像を分析する視線はとてもユニークで、「こんな絵画の見方があるんだ」と新鮮だった。
1960年代前半に、船でローマに留学。最初はカラヴァッジョの研究を目的としたが、ミケランジェロを目のあたりにし、その完璧なまでの偉大さに打たれ、以後イタリア美術と格闘した人だ。
その若桑みどりが「クワトロ・ラガッツィ」を書いた。
クワトロ・ラガッツィとは4人の少年というイタリア語。この4人の少年は「天正遣欧少年使節団」とことである。

本当に面白かった!
学校の教科書にほんのちょっとしか記述されていない「天正少年使節団」に、これほどのとりまく世界が存在していたなんて。
当時の日本が世界とあれほどまで密に繋がっていたのも知らなかった。
日本には残っていない資料が、ヨーロッパにはたくさんあって、その資料を駆使してのこの本、「課題図書」がこんなに面白くっていいの?というくらい夢中になった。


大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の3人の名代としてローマに遣わされた4人の少年たち。
マンショ、ミゲル、ジュリアン。マルティノ。
彼らはいくつかの目的から遣わされた。
一つには、日本での宣教をスペインやポルトガルやローマから経済的に援助してもらうこと。
一つには、少年たちにいかにヨーロッパのキリスト教世界がいかに優れて発達しているかを見聞させ、帰国の暁には、彼らに布教をさせること。
そして日本との貿易を拡大すること、などであった。

命がけの航海時代、無事に4人はローマに到着し、教皇と接見することとなった。
しかし、教皇と会えるのは3人だけ。それは旧約聖書にあるように「東方」より来たりし者は3人であらねばならなかったからである。
そしてジュリアンが外された。

活版印刷機や楽器をお土産に、4人はまたも危険な旅の末帰国。出発から8年の月日が過ぎていた。
この8年の間に、日本の情勢は大きく変化していた。これが「クワトロ・ラガッツィ」の悲劇だった。
秀吉はキリスト教を禁止したが、それは大名に対してであって、庶民の信仰はお目こぼしだった。しかし徳川幕府は、庶民に対しても激しい弾圧を加えた。
あれほど密で近しかった日本とヨーロッパは遮断されてしまった。

マンショは日本に帰り司祭にまでなるが、病死。
ミゲルは棄教。
マルティノはマカオに渡り、その地で客死。
ローマ教皇に接見できなかったジュリアンは、穴釣りの拷問を受け殉教した。

これを読んで考えたのは、もしキリスト教を受け入れて、鎖国をしないでいたら、今の日本はどうなっていただろうか、ということ。
どんなに考えても詮無いことだが、考えずにはいられない・・そんな重いテーマが横たわる本だったのだ。
今年の夏にこの本を読めたことに感謝。
これを書いてくれた若桑みどり氏に感謝。つくづく惜しい人を失ったものです。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月21日

綿矢りさ「勝手にふるえてろ」

ヨシカはある会社の経理部に勤める26歳の女性。
処女である。
彼女は同じ会社の男性から、付き合ってくれと言われている。
しかし彼女には中学生のときから想いを寄せている「イチ」という男性がいる。
イチとはほとんど話をしたことはない、つまり片想い。
イチと二の間で揺れるヨシカ。
それは夢と現実のせめぎ合いでもある。

綿矢りさは史上最年少で芥川賞を受賞した。もう9年前になる。
大学生だったこともあるのか、作品数は多くない。
受賞以前の「インストール」、受賞作の「蹴りたい背中」そして受賞後の「夢を与える」。
正直なところ、どの作品も私には退屈だった。
他愛もないことがらが、グダグダと書かれているという印象で、苛つくこともあったくらい。

この「勝手にふるえてろ」も読み始めは同じように感じた。
でも読み進むうちに「いや、待てよ」という気にだんだんなってきた。
ヨシカは26歳にしてはあまりに未成熟。その幼さが無邪気さ丸出しの文章で描かれている。
これはひょっとして完璧に意図されたものではないのだろうか?
もしそうだとしたら、これってスゴイ小説かもしれない。
それともこれが、綿矢りさという作家の「天然」なのか?
どっちにしてもあなどれないと、思わせるものがこの「勝手にふるえてろ」にはある。

ヨシカの中で十数年間純粋培養されたイチへの恋心。
二に対する客観性。
この対比がとてもおもしろかった。
贋妊娠の顛末にはリアリティがなくて、あんまり感情移入はできなかったけれど、ラストへのもって行きかたは悪くない。(賛否分かれるところだろうが)。

4作目でようやく、私、綿矢りさをつかまえたような気がする。
もしかしたら、これまで退屈だと読み飛ばした中に、見落としていたものがあるのかもしれない。
だってそうじゃなかったら、芥川賞の受賞はありえないよね。
やはり選者の先生方は、見る目があるのかしら?
posted by 北杜の星 at 08:21| 山梨 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月15日

渡辺一正「再起する脳」

著者は48歳のとき、脳梗塞を発症した。
まだ働き盛り、上の子供は高校生、下は小学生だった。
東京三菱銀行に勤務するサラリーマンとして、幾度目かの海外赴任を目前にしていた。
赴任の前に持病の痔を治そうと、新宿厚生年金病院に手術入院し、退院したその午後自宅で仮眠から目覚めたら、右半身が動かせなかった。
助けを呼ぼうとするも、声にならない。
また厚生年金病院に舞い戻り、そこから彼の長い闘病・リハビリが始まることとなった。

脳梗塞は発症後半年を過ぎると、リハビリをしてもそれ以上は回復しないと言われてきた。
しかし、渡辺氏はあきらめなかった。
脳と題名のつく本を片っ端から読み、たんに物理的な体の動きだけではなく、脳と体の連帯する動きとはどういうものかを徹底的に調べた。
そして脳の働きに沿うようなリハビリをしたのだった。
足は装具の補助を受けて早くに動かせるようになったが、右手はびくとも動かなかった。けれど彼は腕や手首や指が固着しないようにたえず自分の健側の手でマッサージをしたり、伸ばしたり曲げたりの努力をおこたらなかった。
すると、発症3年後のある日の電車の中で、右手の親指が少しだけだが、確かにはっきりと動いたのである!
もう一度、二度、動かしてみると、動く。
その日からの彼はあらたな希望に包まれ、リハビリにいっそう励む。
そして、かなりの日常的な行動ができるようになったのである。
以前とは較べようがないが、仕事にも復帰した。

不断の努力、というけれど、渡辺氏のこの本を読むと、その言葉の重みを感じる。
と同時に、あきらめないこと、絶対に治ると信じること、の大切さを思う。
そうは言っても、病を得ての3年間である。時には心が挫けることもあっただろう。
ただ彼が脳梗塞を発症した47歳という年齢が、彼を頑張らせた要因かもしれない。

私の父も五十歳代で脳出血の発作を起こした。
一生懸命、母と二人三脚で闘病した。
かなり元気になった矢先、旅行先の北海道で二度目の発作を起こし、室蘭の病院に一ヶ月間入院することとなった。
極寒の室蘭に、母は独りでホテル住まいをし毎日父を見舞った。
退院して自宅に戻ってからの父は、以前の父とはある点で、まったく違った人間になっていた。
つまり、あきらめたというか、人生を投げてしまったのだ。少なくとも私にはそう映った。
その時の父は70歳を過ぎていた。
もうひと頑張りしようという気力はすでになかったのだろう。

まだまだ脳のことは解明されていない部分が多い。
だからこそ、渡辺氏のようにポジティヴに病気と取り組んで、複雑な脳の機能を信じてリハビリを続けることが大事なのだと思う。
脳血管系の病気は、QOLが下がり、苦しいことが多い。
でも一つ一つ、少しずつでも前進できるなら、それは大きな喜びでもある。
そういう意味でこの本は、脳梗塞を患う人にとって、福音となるに違いない。

渡辺氏もこの中で書いているが、病気になると本人もつらいが、家族もつらい。
闘病は夫婦でするもの・・奥様の尽力に感謝をと、二人で過ごしたNYを再訪したいと願っておられるとのこと、近くの実現を心より願っています。
posted by 北杜の星 at 07:29| 山梨 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

若林ひとみ「クリスマスの文化史」

今夜はクリスマス・イヴ。明日はクリスマス。
都会では美しいイルミネーションが恒例となった。
最近では11月になるともうクリスマスの飾り付けがはじまり、それはあんまり早すぎやしない?と、何かに追い立てられる気分になってしまうほどだ。

この本の著者の若林ひとみ氏は、ドイツ留学中にヨーロッパのクリスマスを体験し、以後クリスマスに魅せられクリスマス研究家となったひと。
各国のクリスマス事情や歴史を調べ、アンティークのクリスマス・グッズ収集家としても名を馳せている。
この「クリスマスの文化史」はそんな彼女らしく、ドイツのクリスマスを中心に書かれたもの。
項目には、「クリスマスの起源」「クリスマスツリー」「イエス・キリスト生誕シーン」「サンタクロース」「クリスマス・ソング」「クリスマス市」「クリスマスカード」そして「クリスマス料理」に分かれている。

クリスマス・ツリーがドイツからはじまったというのは、ごもっともだと思う。
ドイツの森のもみの木やドイツトウヒを伐って部屋に飾るというのは理解できること。
だからそんな木のない南ヨーロッパでは、クリスマスツリーの習慣はない。

私たちが日本で「クリスマス」と考えるものは、アメリカ経由で輸入されたので、アメリカ式となっているが、国によって全然違うものなのである。
ヨーロッパの冬は暗く長い。
家や町のクリスマス飾りは、陰鬱な冬を優しく暖めてくれるものだ。

飾りと言えば、イタリアなどカトリックの国では「プレゼビオ」という生誕シーンを各家庭に飾る。
馬小屋があったり、羊飼いがいたり、東方三博士が馬に乗っていたり、まぁドール・ハウスのようなものだ。
聖フランチェスコが字の読めない人たちのために始めたといわれている。
この時期ローマのナボナ広場には、プレゼビオ売りの店がたくさん出る。
私もアンティークのプレゼビオが欲しいと思うのだけど、この季節にイタリア旅行をしないので、手に入れることができないのが残念だ。
(でももしプレゼビオを我が家に飾っても、ハッチ君が猫パンチですべてなぎ倒してしまいそうだけど)。

私はカトリックの幼稚園に通っていた。
当時カトリック教会では、イエスと呼ばずイエズスとキリストのことを呼んでいた。
3歳くらいの子供にイエズスという発音は難しく、園児たちはみんな「イエッチたま(様)」「イエッチたま」と叫びまくっていた。
先生たち、困っていたんだろうな。大昔のことだけどごめんなさい。
でもそのときの経験からか、私にとってのクリスマスは、「イエッチたま」のお誕生日というものになったのである。

この本を読むまでは、ドイツではみんなシュトレンを食べているのかと思っていた。でもあれはドイツでもほんの一地方のものらしい。
私はシュトレンが好きで、コーヒーと一緒に食べると、ふくふくと幸せになる。
イタリアでは、北から南までどこでもパネトーネだ。
クリスマス近くになると、友人たちの家に行くときの手土産はみんなパネトーネ。
だから一家に何個ものパネトーネの箱が積んである。
パネトーネというのは、パンの親分という意味で、ケーキというよりドライフルーツの入ったパンみたいなもの。
夫は12月の初めにパネトーネを宅配で注文し、すでに食べ始め、もう半分ほどになってしまった。
クリスマスまでもたないよ。
私はあれは少々苦手。だってパサパサなんだもの。

私にとってのクリスマスのお菓子は、イギリスの下宿のおばさんが作ってくれたクリスマス・プディングだ。
何ヶ月も前からフルーツをお酒に漬け込んで、粉や玉子と多種類のスパイスを混ぜ合わせ蒸すという手間のかかるもの。
あたたかいクリスマス・プディングにたっぷりのホイップド・クリームをかけて食べるのは、本当に美味しかった。
イギリス人のなかには、あれは嫌いという人が結構多いが、私は大好きで、珍しがられたものだった。
イギリスを離れるときにおばさんが、私のために大きな大きなクリスマス・プディングを作って持たせてくれた。
ずっしりと重かった。
私が好きなほどには私の家族は好きでなく、大きなプディングはほとんどが私の胃袋におさまった。
春くらいまで残っていたような記憶がある。

誰にでもそれぞれのクリスマスの思い出があるに違いない。
どうぞみなさま、Merry Christmas!
世界が平和でありますように・・
posted by 北杜の星 at 07:39| 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月27日

若合春侑「蜉蝣」

若合春侑(わかい すう)は、もう何年も前「脳病院へまゐります」を読んだきり。
ものすごい筆力と物語の強烈さの毒に当てられた感じで、そのあとが続かなかった。
でもいつもどこかで気になっていたような・・
先日ライブラリーに行ったら、この「蜉蝣」という字と、若合春侑という字が、私の目を射た。
こういうのが縁というもの、そしてこういうふうに選んでみて、間違ったことがあまりないのが不思議のだが、今回も当たりでした。

「蜉蝣」はすべて旧字で書かれている。
それが昭和初期の雰囲気をよく表している。
乱暴な括りかたをすると、この小説は「SMもの」「心中もの」という、いささか物騒な題材を扱っている。
これ好きですと言うと、「ハッチさんの趣味ってそうなの?」と勘ぐられそうだけど、決してそのようなことはありませんので。
だけどこの作品は悪くなかった。

SM描写が強ければ強いほど、人間の悲しさが浮き立ってくる。
ゆきあたりばったりで生きてきた主人公の帰依の愚かさ・・
そしてSMのむなしさ。
愛情の示し方はそれぞれかもしれないが、やはり行過ぎたSMの先には破滅しかない。
また肉体があっても純愛はできるのも、悲しい。

表紙には、「責め絵」画家の伊藤晴雨という実在のひとの美人画が載っている。
これが「責め絵」かどうかは私には判じかねるが、これから帰依を想像してしまう。

こうしたいろんな「責め」が「いろは」歌留多として書かれているけれど、「い」は石、「ろ」は蝋燭、「は」は針・・
怖いなぁ。痛そうだなぁ。
「に」以降を想像してみたのだが、私のイメージが貧困なせいか、なんにも思いつかなかった。
でも、「に」は煮え湯、「ほ」は鉄板の上であぶることを意味する言葉が書かれてあった。
ほんと、いろいろあるんですね。
どうして人は人を心地よくすることではなく、苦痛を与えることをこんなにも考えつくのだろう。
これほど暗い情熱を持つ目的が、快楽のためだなんて、本当に理解不能だ。

こういう、性から人間の根源を描こうとするこの作家は、やはりどこか気になる存在です。
posted by 北杜の星 at 08:08| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

和田昌親「逆さまの地球儀」

著者は日経新聞者のサンパウロ特派員として南米に赴任。
以後欧州編集総局長、日経アメリカ社社長などを歴任した。
つまり世界を知っている人である。
それも日本から世界を見るだけでなく、世界各地に立ち地球規模で世界をとらえている人のようだ。

タイトルの「逆さまの地球儀」というのは、ラテン・アメリカを中心にしたら地球はどう見えるかを書いたもので、自国の立場、他国の立場の視点が、ちょっと変化しますよという本である。
昔田中角栄が首相のころブラジルを訪れ、ブラジルのことを「地球の裏側」と呼び、ブラジル日系人たちの不興をかったというが、それは自分中心に物事を考えているゆえに出た言葉だろう。
地球に表や裏はない。
それと同じことが日本でも言えて、以前は「表日本」「裏日本」と言っていた。
今では「太平洋側」「日本海側」と呼ぶようになったが、長い間「裏」と言われてきた土地の人びとは、いやだったろう。

この本には中南米についての雑学が詰まっている。
本を読んでも、ラテン・アメリカ文学は、ボルヘスとマルケスくらい。
それも幻想小説や、複雑な人間相関が苦手な私には、すごく手こずる。
・・つまり私、何にも知らないのだ、中南米のことは。
いろんな映画によって不安定な政権のことを少し垣間見ただけ。

中南米の国々の反米感情は強いものがあるみたいだ。
親米国もあるにはあるが、左翼的な国が多い。
そして基本的には彼らはアメリカ合衆国を信用していない。
それは過去ずっとCIAが工作して政権を覆そうとしたことを知っているからだ。

お膝元のキューバの革命に対しても、合衆国のしてきたことは、なんだか大人気ない。
大国の鷹揚さがないのだ。
いまだに厳しい経済封鎖を続けている。
よっぽど、沽券を傷つけられたのだろう。

その合衆国でラテン・アメリカ人はマイノリティではなくなりつつある。
何十年かすると黒人の人口を超えて、彼らのなかから大統領が出るかもしれない。
ヒスパニックと称されてきた彼らは、現在「ラティーナ」と呼ばれている。
ラテン人というスペイン語は、ヒスパニックのように蔑視的には感じられない。

日本も、日本に滞在しているブラジル日系の人たちをもっと大切にするほうがいい。
日系だけではなくて、他国の人や難民を受け入れて、大きな視野にたって地球を見据え、これからの世界に順応できる国になることが必要だと思う。
どうしてこの国はこんなにも排他的なのだろうか。
それで損することはあっても、得することは何にもないのに。
こういう排他性が、日本の学校で起こっている「いじめ」にも通じているのだ。
大人がそんなのだから、子供が親と違うようには育たないでしょ。

ラテン・アメリカか・・行きたいなぁ。
でもあまりにも遠いよなぁ。
posted by 北杜の星 at 07:44| 曇り| Comment(0) | TrackBack(1) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月27日

和田努編著「日本の医療を変える」

著者はNHKに入社後、プロデューサー、ディレクターとして活躍。現在はフリーのジャーナリストとして医療や福祉の分野をメインに著作をしている。

日本の医療崩壊が懸念されてもう久しい。
社会というものは、年々進歩し向上するものと考えていた私には、昨今の社会のいたるところで見られる後退には、「どうしてこんなことに!?」と唖然とするばかり。
しかし永遠に発展し続ける社会というのが、そもそも幻影に過ぎなかったのかもしれない。
ただ、人間は病む。老いる。それは厳しくつらいことだ。
自分がそろそろそういうことが身近になってきている年齢だけに、他人事とは思えない。
もしそうなったら、私はシステマティックな医療は望まないが、せめて優しく接してもらいたいものだと願う。
あの鳥取の「野の花診療所」の徳永進先生のように、ジタバタするであろう私に「死ぬだけなんだよ」と言ってもらいたい。

この本は対談形式で成り立っている。
対談の相手はほとんどが現役もしくは元医師。
なかに日本看護協会会長の久常節子氏が看護師の立場から、また作家の三木卓氏が患者の立場から対談している。

聖路加病院の日野原重明先生もいるのだが、これを読むとやっぱり日野原先生はすごい人だ。
先見の明、実行力、経営手腕・・どれをとってもやはりただものではない。
聖路加病院の前に、高級老人マンションが入っている聖路加タワーがあるが、この建物を、定期借地権法が施行されて最初の物件として売却。
その地代を得ることで、病院の赤字を補填しているという。
また日本の法律は変えるのに20年、30年かかる。遅々として進まない。だから時として法律を無視してでも患者のためになると思われることは実行すると話されていることなど、「うーん、すごい」と唸ってしまう。
もちろん定期借地権に関しては適切なアドバイスをしたブレーンがいたのだろうが、その決断力はたいしたものだし、法律を破ってまでも実行するという、プライオリティが何かを重要視し、その責任は取るというスタンスも感嘆に値する。
日野原先生には120歳くらいまで長生きしていただいて、日本の医療を変えてもらいたい。

日本の医療問題は山積している。
まず都会と地方の医師の数の隔たりが大きい。
でも実際には、都会にだって研修医が多く、すぐに役に立つ医師が多いわけではないのだけれど。
病院の勤務医は超ハードなシフトで働いている。
医師の中でも、産科医、小児科医、麻酔科医はなりてがない。
これは患者側からの訴訟が多いのが原因だ。
また看護師も長続きしない。これも仕事がハードなため。
特に最近では、入院期間が短く設定されるようになり、病院には重症患者ばかりとなり、ひとときも気が抜けない。
人間、誰でも緊張感はそうは長く持続できないものだ。当然医療ミスが起こりやすくなる。

ため息をつきたくなることばかり。
心優しい医療というのは、ゆとりがなくては不可能ではないだろうか。
そのゆとりがなくなっているのだから、これはまったく行政の問題だと思う。
なんでも政治が悪いというのは嫌いだけど、でもこのことに関しては、政治が悪い、と私は言いたい。
そういう意味では、医師などの医療関係者だけではなく、政治家や厚生労働省の役人にもインタビューしてもらいたいものだ。
posted by 北杜の星 at 08:10| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

渡辺政隆「一粒の柿の種」

日本の大卒者の7割は文系だとこの本にある。
文系を選ぶ理由には、数学や理科が苦手だからということが多い。
なぜなら、こういう人たちは数学や理科は難しいと思い込んでいるからだ。
この7割の人たちが、もし理科(サイエンス)の楽しさを知ったなら、人生はより豊になるのではないかと、著者の渡辺氏は考える。
そしてサイエンス・ライターとしてこの本を書いた。

理系といっても、私の夫のような工学系も含めてなので、純粋サイエンス系となると、もっと少ないと思われる。
ということは、まぁ理系の人間は世の中の人口の2割弱しかいない。
みんなが私のような理系音痴ではないにしても、これではもったいない。
理系音痴の私でさえも、50歳近くになってあることがきっかけで自然科学が好きになり、日進月歩の分子生物学を学ぶために早稲田大学のエクステンション・カレッジに通ったくらいだ。
要は、「科学は面白いもの」と思わせることが重要なのではないだろうか。
せめてせめて、学校の理科の授業がもっと楽しかったら、と残念がる人多いと思う。
(今年から理系専門の公立高校が設立されたのは喜ばしい)

サイエンスというと日常とかけ離れている学問のように考えてしまうが、ダーウィンにしてもニュートンにしても、えんどう豆やりんごから始まったのだ。
生活のなかで「これは一体なんなんだろう、何故なんだろう」の疑問から展開されるものなのだと思う。
ただサイエンスを私のようなレベルの人間にまで浸透させるには、研究者ではなく、やさしい言葉で説明してくれるガイドが必要となる。
例えばTVや雑誌で見かけない日はないくらい売れっ子の脳科学のK・M氏。
彼はすでに研究者とはいえないだろう。あんなにメディアに登場していれば物理的に研究をしている時間などないはずだから。
しかし彼の存在理由はおおいにある。彼は脳科学の広報担当なのである。
彼が自身のK理論を含め脳のことを話してくれることで、脳に興味を持つ人が増えて脳科学の裾野が広がるとしたら、それは素晴らしいことではないか。

この本は、サイエンスのコミュニケーションのパイオニアとしての著者が、ダーウィンからの古今東西の研究者たちのエピソードを教えてくれるものだが、思わず笑っちゃう話もあって、本当におもしろいものだ。
どうしてこんな話が学校の授業でできないものか・・

タイトルの柿の種のことなのだが、
どうして標高の高い土地に甘柿を植えても、数年経ったら渋柿に変わるのか。
気温ではないようなのだ。気温がより低い土地でも標高が低ければ甘いままの柿が生る。日照とも関係がないみたい。
柿は気圧を感知することができるのかしらん、と思ってしまうほどなのだ。
どうも分かれ目は標高700〜750メートルくらいな気がするのだが。
私たちの山梨県の家は標高850メートル。ご近所にたくさんある柿の木はぜんぶ渋柿。
渋は渋で干し柿にできるのだけれど、最近の農家の人はあまり干し柿など作らないのか、実を採ろうとしない。
あれが甘柿ならなぁ、とうらみっぽい眼で私たちは眺めている。
この謎、どなたか教えてください。

posted by 北杜の星 at 08:14| 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月29日

渡辺球「象の棲む街」

近未来の荒廃した社会に生きる若者たちが主人公になっている連作短編集。
初読みの作家さんだった。
近未来といってもSF的ではなくて、なんというか暗く重い終末観漂う雰囲気である。
映画にするといいだろうなと思いながら読んだのだ。
暴力はあるし、食べ物さえないほどのみじめな場面がたくさんあるのだけど、全体に統一感があって、それにどっぷり浸って読み終えた。

この本の怖さ、おぞましさが、リアリティを持つのが、なおのことコワイ。
近い将来、日本や東京がこうなってしまうかもしれない・・あながち架空のことではないような気がして。
そこらへんのつくり方、この渡辺球という人、上手ですね。

暗澹たる彼らの世界に「象」が象徴的に使われている。
ここでは「象」は現実の動物としてではなく、遠い昔に居た生き物としてみんなの心の中にいるのだ。
だれも実際に「象」をみたことはない。うわさで「象」がいるらしいと聞くだけだ。
「象」が居た時代、世界はもっと明るく平和で人々は優しかったにちがいない・・そんな遠い光のような存在が「象」なのだ。
「象」のもってきかたも、私は面白いなと感じながら読んだ。

荒っぽいところや、終わり方が「えっ!」というところなど、好き嫌いはあるだろうけれど、私は単純に楽しめた。
この渡辺球の「像の棲む街」は第15回日本ファンタジーノベル優秀賞を受賞している。
ファンタジーといってもあまやかなファンタジーではありません。
posted by 北杜の星 at 08:24| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

綿矢りさ「夢を与える」

「夕子は虹から生れ落ちたかのような、現実離れして可愛らしい完璧な赤ん坊だった」

四分の一フランス人の血の入った阿部夕子は、5歳の時にモデルに、中学生の時にタレントとなる。
「夢を与える」仕事と、母からも事務所からも言われる。
しかし夕子には、この意味がわからない。
「たとえば農業をやるつもりの人が『私は米を与える仕事がしたいです』って言う?」
「まぁ聞いた事はないわね」
「でしょ。そう、『与える』って言葉が決定的におかしいんだと思う。
お米は無理で夢だけが堂々と『与える』なんて高びしゃな言い方が許されているなんて、どこかおかしい」

あることからタレントとして大ブレークした夕子は、超多忙な生活を送るようになる。
しかしボーイフレンドとのホテルでの密会の映像がネットで流出し、彼女は危機に陥る。

「夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。
だから夢を与える側は、夢を見てはいけない。
恋をして夢を見た私は、初めて自分の人生をむさぼり、テレビの向こう側の人たちと十二年間繋ぎ続けてきた信頼の手を離してしまった。
一度離したたその手は、もう二度と戻ってはこないだろう」
「夢を与える」ことがどういうことかわかった時に、夕子は夢に敗れた。
しかしそもそも、その夢は本当に夕子が望んだものだったのか。

史上最年少で芥川賞を受賞した綿矢りさの最新長編小説である。
学業を終えて、創作活動に本腰を入れた最初の作品でもある。(芥川賞受賞後第一作?)
面白くないことはなかったが、筋運びがあまりに定石通り。
ステージママの母親、タレント活動に反対し夫婦仲が壊れる父親、事務所の社長、マネージャー・・
登場人物がみんな類型的過ぎて、読む前から「こうなるんだろうな」とミエミエ。
ミステリーじゃないのだから、ストーリーがわかってもそれは構わないのだけれど、こうまでパターン化されていると少々退屈だ。
夕子の両親の問題がもっと深められていれば、よかったのだけれど。

こんな筋立てで少女劇画になっていないのは、立派だと、そこは誉めてあげよう。
でも「虚しい」というには、夕子ちゃんは若すぎて、
「痛々しい」というには、あまりにオバカで、
「やり切れない」ほどの切実さも、私には感じられなかった。
困ったなぁ。やはり少々退屈という言葉がぴったりなのかな。
そういえば、「蹴りたい背中」も私には退屈だったんだっけ。
posted by 北杜の星 at 08:46| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月01日

鷲田清一「『待つ』ということ」

この本は「待つ」ということをあらゆる方向から古今東西の文学作品を引用しながら考察したものである。
著者が臨床哲学を専攻する人らしく、中にはかなり哲学的なものもある。
前書きに「待たなくてよい社会になった」「待つことができない社会になった」とあるが本当だ。

「待ち遠しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、待ちぼうけ、待ちこがれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして・・」と待つ状況の多さにあらためて驚く。
待つことをテーマにした小説、演劇、映画のナント多いことか。
この作品の中にも出てくるベケットの「ゴドーを待ちながら」なんて、その典型。ああなると何を待つのか、何のために待つのかではなく、待つために待っている感じである。
待つことがロマンティックで絵になった時代は終わったのか。

私など性格からか、待つことが好きではない。好きではないから相手も好きではないだろうと、待ち合わせにはなるべく遅れないようにする。そして待たされてイライラしてしまうのだから、相手に罪はない。
源氏物語が嫌いだ、というと、まぁあの不朽の名作が好きでないなんて、教養のないこと、と言われそうだが、もちろん古典に素養のないこともあるのだが、男が来るのをひたすら待つというのがなんとも耐え難い。そんな小説読みたくないよ、というのが正直な気持ちなのだ。

けれど本当に一分間が待てない社会になってしまった。
ダイヤルアップ接続がADSLになって、何て速いんだろうとうれしかったのも束の間、ヒカリはもっと速い。
カップラーメンの3分間について、ラジオが言っているのを聞いたのだが、3分は長すぎるから1分待てばできる商品を作ったそうだ。それは成功したのだけれど、沸騰した湯が1分後ではまだ熱過ぎて、カップが持てなかったり、火傷をしたりするので、結局その商品はボツとなったらしい。
物理的にも待つことの必然はあるのだ。
ましてや精神において、待つことはきっと何かの意味を持つに違いない。待たずにただ点から点に走っていくのでは、観察は生まれないし、思考も生まれない。
イライラ、セカセカの私はこの本を読んで、自分の精神性の浅さの元凶がなんなのか、すこし認識できた気がする。
posted by 北杜の星 at 10:11| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | ワ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする