2017年12月04日

d design travel 「YAMANASHI」

日本の旅行ガイドブックのあまりのヒドさにつおて、以前から物申したいことがたっくさんある私。
先月台湾に行ったときにも、その類の雑誌には我慢がならなかった。もちろんガイドブックなので地図は載っているし、情報は満載だし、一応の役には立つ。
しかしその表紙や中ページのレイアウトのセンスの悪さと低俗さ!
手に持ち、脇に抱えて歩く気にはなれないシロモノだ。
(最近のガイドブックでは地図を自分のiphoneに写して使えるんですね。あれは本を持たなくてすむので便利)。

そんな私が素晴らしい観光本に出会ったのだ。
見つけて購入したのは夫。
これは発行が、d design travel というところだけあってデザインに特化したガイドブック。
名所旧跡案内がないわけではないけれど、それよりもデザイン性の高い建築物などが紹介されている。
店やレストランも味だけでなくて、デザインの良い空間で居心地の良いさを追及している店が多い。

そう、こんなガイドブックが欲しかったんっです。
しかも装丁が美しい。これなら手に持って歩いてもイヤじゃない。
ただ、こうしたお店のオーナーってちょっと偏屈なところが無きにしも非ずで、店の場所や連絡先いが明記されていたいところがある。
どうしても行きたければ人に訊ねたり、自力で調べれば辿りつけるのだけど、要はそれだけの情熱がある人だけに来てもらいたいということか。
あまり人気で行列のできる店などにはなりたくないというポリシーが見てとれる。
この「YAMANASHI」にもそんな蕎麦屋などが載っている。

「うまいもの」紹介だって当然ある。
山梨の食といえばワイン、そのワイン・ツーリズについて詳しく書かれている。
最近では女性一人が頑張っているワイナリーだってできている。フランスでワイン醸造を学び帰国して山梨県にワイナリーを持った人たちだ。
ぶどうをの木を苗から育てるので、ぶどうの実の収穫までに何年かかかるし、それ以前の土壌改善を入れるともっとかかるだろう。
それから醸造、熟成させるのだから、さらに数年。
生産量が少ないので、行く先が決まっていてなかなか手に入らない。値段は安くはない。上等なフランス産にも負けないくらいの値段がついている。
こういうワイナリー、下戸の私でもつい応援したくなる。私の家から車で10分足らずのことろにもそんなワイナリーがあるのだ。

他には山梨の工芸品として名高いのが「印傳」だ。
印傳とは鹿皮を加工したもので、最近ではデザインのすぐれた品が多くなったせか若者にも人気がでている。
あのティファニーでも扱っているとか。
それと山梨では昔から水晶をが採れるので、印鑑や宝飾品も知られている。
こういう本を読むと、住んでいながら知らないことの多さに恥ずかしくなる。山梨、いいところなんですね。

このd design travelのシリーズは日本全国各都道府県版があるようだ。(まだ全県は出ていないみたいだけど)。
私の大好きな奈良や岐阜など是非バックナンバーを取り寄せたい。
外国人がたくさん訪れる京都などの本には、英語文が併記されているので外国からの人にもいいだろう。
あまり発行部数は多くなさそうなので、売り切れにならない前に早目に注文しなくては。

とにかく、こういうガイドブックを待っていたんです!
posted by 北杜の星 at 07:58| 山梨 ☀| Comment(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月02日

ハッチの週間身辺雑記

眼のなかがゴロゴロするので眼科で診てもらったら、「瞼裂班炎」と言われました。
これは悪性のものではなく、多くの成人にみられるもので、茶目と白目の間にぷっくりとした膨らみができ、それが瞬きするたびにこすれてゴロゴロ感になるそう。
でもちょっと炎症を起こしているので抗炎目薬を処方されました。
膨らみで涙が目に行きわたらなくなり、ドライアイになることもあるらしいです。
ひどくはないので充血するまでにはいたっていません。
ただ治りはしないらしい。
薬が嫌いなので、炎症が収まったら目薬はやめるつもりでいます。
この瞼裂班の原因は紫外線、加齢(最近はなんでもコレです)、ストレスなどだそうです。

今週の大イベントはなんといっても毎年恒例の友人宅での「ボージョレー・ヌーヴォーの会」です。
いつもは解禁日に開催されるのですが、今年は奥さんのK子さんが膝を痛めて歩くこともままならない時があったので、延期になったのです。
ワイン好きのご主人が「是非、パーティはしたい」と望まれたのでしょう。
いつもに増してK子さんをサポートする彼のホストぶりに、みんな感嘆しました。

K子さんが「知らない間に頼んでいた」というワインは7本。白や赤が用意されていました。
でも「飲むのが大好き」と言う人間が3人、「控えている」という人が3人、残り3人はほとんど下戸という9人では、とてもとても7本は空きません。
最初の白の美味しかったこと!
軽くフルーティでスーッと咽喉に入っていきました。これは大好評でみんな「いいねぇ、これ」と大絶賛。
ヌーヴォーならではの味でした。

味といえばK子さんはお料理上手。いつもなにかしら新しいメニューが登場すので楽しみにしているのです。
私が作らない「創作料理」が並びます。
胡麻油風味の鮪のディップや、カレー味のカリフラワーのディップ、蓮根とパンを揚げたのを大量のニンニクで和えたもの、マーマレードをいれた野菜サラダ・・
新鮮な品々は「おもしろい味だね」とか「どうやって作るの?」とかテー物の話題にもなります。
オーソドックスなアレンジなし(ということは、芸無し)の私の料理とは違う面白さがあります。
こういうふうに他所のお家にお呼ばれすると、楽しいですね。
野菜の切りかた一つとっても自分のやり方と違うので、勉強になります。

12時になって、歳をとったシンデレラのように散会となりましたが、結局、飲んだワインはたった3本?4本?
そんなものでした。みんな飲めなくなりました。
私も夫もほとんどワインは飲まず、ガス入りのミネラル・ウォーター。
3本しかストックがないと言われ、「言ってくれれば家から持って来たのに」と思いましたが、3本を大切に飲んだのでOKでした。

飲み物と言えば、我が家での集まりの時には原則として自分の飲み物は持参となっています。
お酒は嗜好品。それぞれ好みが違います。
ギョーザの時にもビールではなく白ワインが良いという人、イタリア料理であってもビール党、最初はとにかくシャンパンが欲しい・・みんな飲みたいものがある。
それをすべてそろえるのは、下戸の我が家では大変。だからガス入り、ガス無しのミネラル・・ウォーターは用意しますが、後はご勝手にということにしているのです。
すると、もう十数年前のことですが、コカ・コーラ、それもジャイアント・ボトルを持って来たヤツがいました!
「こんな身体に悪いもの、まだ飲んでるの?」
「お子ちゃまねぇ」
などと非難ゴーゴー。
でもでも、パーティが終わってみると、そのジャイアント・ボトルは空っぽになっていたのです。。
「たまに飲むと美味しいわね」
「懐かしかったなぁ」・・

家に人がたくさん集まると本当に楽しい。
それは外のレストランや旅館やホテルでは味わえない、気取りのない世界です。
さて、今度のイベントは、我が家でのクリスマス・パーティとなりました。今年は少し早目にしようと思っています。
メニューはまだ決まっていませんが、糖質ダイエットをしてい人のために、例年とはちょっと異なるものを考えています。
作るより、このメニューの組み立てを決めるのが楽しいんです。
「Kさんは牡蠣がダメだったよな」とか「N子さんはクリーム系よりトマト系のパスタが好きだったけど」とか、みんなの好き嫌いを頭に浮かべながら考えるのが好きです。
外野もだけど内野(我が夫)の要望も忘れてはいけませんね。

「今年は何を作ろうか?」と毎年考えて作っていまけど、こうした恒例行事には毎年同じ料理でいいとは思っているのです、
感謝祭のターキーのように、その行事の定番料理ってありますよね。
こういうパーティが体力的に大変になったら、私はもう「この時にはこれ」と定番で作ろうと決めています。
あと2年くらいかな?
フランスのミッテラン元大統領は公式晩餐会であっても、皿数が多いのを嫌って、前菜一皿、メイン一皿、デザートだけでもてなしたそうです。
アミューズや口直しなどの無いシンプルな献立。もちろん食材やワインは相手国の格によって厳選されたものでしょうけど。
私もゆくゆくはミッテランン方式にするつもりでいます。

元気でこの12月が過ごせますように!!

posted by 北杜の星 at 07:55| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

小泉武夫「食でたどるニッポンの記憶う」

小泉武夫といえば東京農大の発酵学、醸造学の第一人者として有名。
私もこれまで小泉先生の著作は数冊読んでいる。
友人の娘は東京農大の醸造科を卒業して、誰もが知る小田原の蒲鉾会社に就職している。
発酵食品が体に良いというのが世間に知れ渡ったのには、小泉氏の薫陶のおかげもあるのかもしれない。

「食でたどるニッポンの記憶」というタイトルだが学術的なものではなく、氏のいわば自伝みたいなもの。
日本の食は戦後、とくに昭和40年ごろからずいぶん変わったが、それ以前、それ以降、日本人がどのようなものを食べていたか、自分の幼少時の記憶をひも解いて書いている。
福島の400年続く酒造家の長男として生まれた小泉氏は1943年生れ。私の数歳年上だ。
これを読んでかなり食の記憶が違うと思ったのは、年齢の差ではなくて地方の違いだと思った。
私の両親は山口と広島出身。つまりは西の出である。
東北の福島で小泉氏が食べていたという塩ホッケ、身欠きにしん、棒タラなどは我が家で食卓にのぼることはまずなかった。母の育った福山は鯛で知られるところで、母は「ニシンなんて豚の餌よ」と不遜にものたもうていた。

でも小泉氏は周囲の友人たちよりずっとずっと裕福な家だったので、他の家庭では食べられないものも食べていたようだ。
その一つに発売されて間もない魚肉ソーセージがあった。あれって、当時は高価なものだったみたい。
それを毎日お弁当に1本持って行っていたようで、友人たちに一口ずつかじらせてあげたらしい。

土地は異なるが、やはりリンクする食べものもあり。それがクジラだ。
クジラはご馳走で、クジラがおかずの時は小躍りしたと言う。
そう、クジラはよく食べた。給食にも出た。
ちょっと臭みがあるのでカレー粉をまぶして竜田揚げにしたりした。
私は「おばいけ」のからし酢味噌が結構好きだったが、「おばいけ」ってどの部分だったのだろう?わりと脂っぽかったけど。
真っ赤なクジラのベーコンもあって、あれはあんまり好きじゃなかった。
大阪に住んだときにおでんの「たこ梅」に時折行っていたが、「さえずり」や「コロ」が美味しかったなぁ。今でもあるのかしら?

小泉氏の幼い頃ってワイルドだったんですね。あの頃の子どもはみんな野山をかけ回っていたものね。
スズメ、赤カエル、野うさぎ、ふな、カラスも食べたことがあるそうだ。
肉は肉屋ではなく山で調達したとか。鹿やイノシシなどたくさん獲れたことだろう。
日本人は家畜は食べなかったが、獣肉を食べないわけではなかった。山の動物は食べていたのだ。
家で飼うもので食べたのはニワトリ。
ハレの日にはニワトリを潰しみんなで鍋を囲んだりした。

私は街育ちなので自分の家でニワトリを潰すというのは経験したことはないけれど、卵が貴重だったのはよく覚えている。
病気の人のお見舞いに箱に入れた卵を持って行っていた。
その卵は卵屋で買ったが、一つ一つに卵を電球にかざして中身を調べていた。
それでも時々、卵を割ると、羽がついているヒナが出てくることもあった。
あの頃は全部が有精卵だったんですよね。
(今でも松本の裏通りに卵だけ売っている卵屋さんがある!)

これは食とは関係ないが、小泉氏は大学入学当時の東京農大の醸造科について書いているが、これがスゴイ。
醸造科の学生は44人だったが、誰もが老舗の酒造家、酢屋、醤油屋、味噌屋の息子で、とてつもないお坊っちゃま。
じいやとばあやがついて地方から来ている者もいたそうだ。
彼らの実家の総資産は一つの町の予算を超えていたとか。

食が多様化し、米の文化から小麦の文化に移行して時がたつが、現在はグルテン・フリーが世間で言われるようになった。
これからもきっと、食の変化は止まらないだろう。
それが幸せなことかどうかは、わからないけれど。
posted by 北杜の星 at 07:47| 山梨 ☁| Comment(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

八ヶ岳デイズ(13)「パンがある生活」

「八ヶ岳デイズ」はここ八ヶ岳周辺の地域情報誌。信州の「kura」の向こうを張って編集されていて、これまでは「うーん、kuraには負けるよな」と思っていたけれど、いえいえ、このところなかかの健闘ぶり。レイアウトも美しくなっている。
今回の特集は「作って、買って、食べて幸せ パンのある生活」というもの。パン大好き夫が見逃すはずがない。

最近は小麦除去とか騒がれて、パンやうどんが敬遠される。糖質ダイエットも加わって「炭水化物:」が敵視されている。
でも、パンを焼くあの香りには思わず引き込まれてしまう。
ここ八ヶ岳南麓はパンの激戦区として名高い。そのほとんどが都会からやって来て開店したものだ。
今でもたくさんのパン屋さんがあるというのに、続々開店しているので、どこの何を買うべきか迷ってしまうほどだ。
フランスパンなら「I」、カンパーニュなら「P」、ライ麦パンなら・・と種類によって決めているもの、つい最近この6月にオープンしたばかりの店を見つけてしまったので、悩みが増えた。

日本にパンが根付いたのは、戦後の給食が始まりだ。あのコッペパン、不味かったよなぁ。ほとんど残していた。
画期的だったのが、もう50年前の青山の「ドンク」のバケットだった。
それまでも神戸にドイツパンの「フロインドリーブ」などはあったものの、本格的な欧州パンはドンクlから拡がった。
それから同じ青山に「アンデルセン」ができ、今では当たり前となった「トレイとトング」のセルフ買いの店として知られるようになった。
白いふわふわのパンではない、パリパリの皮のフランスパンはお洒落だったものだ。

でも我が家にとって画期的だったのが、ピエール・ブッシュさん系列のカンパーニュであった。
天然酵母と国内産小麦粉でしっかり焼くあのカンパーニュは、食べてしみじみと身体に浸透する美味しさだった。
富ヶ谷の「ル・ヴァン」、八王子の」「木のひげ」、わざわざ週末に出かけるときに買いに行ったり、宅配で送ってもらったりしていた。
あれから30年が経つ。今ではブッシュさんの弟子の弟子たちの世代となっている。
ここ八ヶ岳にもそのブッシュさん系列のパン屋さんが多くて、私も夫もとてもうれしい。
このパンは食事パンとして最高なのだ。
日本のパンは焼きが甘いのが多いが、ブッシュさん系はしっかり焼成してあるので、消化にもいいし、日本のような多湿な気候でもカビが生えにくい。

天然酵母もそれぞれに工夫が凝らしてあって、ちょっと酸味が強いもの、なんとなく甘酒のような香のするものなどいろいろだ。
この本を見て、隣町に一軒見つけた夫は、早速車を飛ばして行っていた。
もっちりどっしりしたパンは噛むと美味しい。(でも私の好みはモチモチではなくパサパサで、穴がたくさん開いている軽いものですけどね)、

最近うれしいのが、早朝からオープンしているパン屋さんが多くなったこと。
朝7時半に開けて、朝食も食べさせる店もあって、お天気の良いときには朝のドライブがてら高原の道を走るのも悪くない。
やっぱり朝はパンとコーヒーかミルクティに限る。その二つが美味しければ他には新鮮な絞りたてのジュースがあれば充分すぎるほど。
何軒かそうしたお店をこの本で見つけたので、行ってみたいと思います。
地元情報誌、役立ちます。時には買おう。
posted by 北杜の星 at 07:52| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

青山七恵「踊る星座」

「お仕事小説」といえば何と言っても津村記久子。
仕事をしながら生きる現代女性にとって「わかる、わかる」の主人公が登場する彼女の小説が私は好きで、普通のOL.専門職であってもすご腕のキャリア・ウーなどではない働く女性の悲喜こもごもを読んでいると、溜息をつきつつも思わず笑ってしまう。
そんな「お仕事小説」をあの青山七恵が書いたんです。
しかも帯には「笑劇的な最新小説集」とある。くすりとしたユーモアどころではないようだ。

読んだ感想は「えーっ、青山さんってこんなのも書ける人だったんだ」ということ。
芥川賞受賞の「ひとり日和」のような細やかな描写による日常ではなく、破天荒というか奇想天外なできごとが連続するので、かなりびっくりした。
彼女もいつまっでも「ひとり日和」路線を続けるわけにはいかないと考えたのか、「快楽」というそれまでとはまったく違う傾向の本を出したが、残念ながらあれは彼女の年齢からして時期尚早の空まわりだった気がする。
作風を変えるというのは作家にとっては勇気がいることだし、でもそれをしなければマンネリで飽きられてしまうし、むつかしいものだ。
(その点、私小説家はいい。西村賢太など同じことに安心するところがある。)

主人公の「わたし」はダンス用品の会社に勤める営業ウーマン。
仕事柄顧客はダンス教室など、踊りに関わる人たちだ。
でも出会う人たち、起きる事柄が、まったく虚構。こんなこと絶対に言わないでしょ、起きないでしょということばかり。
これじゃぁ、疲れる。おまけに家族がまたやっかいなのだ。
「わたし」の苛立ち、やるせなさ・・

だけどなんだろう、これ?
ちっともイヤじゃないのだ。
ここにはやはり仕事をするよろこびがあるし、困った人へのちょっとした理解もある。
日常そのものなのに、読んでえいるうちにどこか遠い遠いところに運ばれていくような気もちになるのが不思議だ。

読んでいるうちに次第にこの連作短編集は良くなって、会社の社長の誕生日パーティで、社長ではなくその奥さんの話を延々帰化される羽目になり、逃げ場のない「わたし」のやり切れなさに同情し打つも、外にでたあ時にどこからともなく香ってくるジャズミンに宇宙的な想いを馳せる「ジャズミン」という章が好きだった。
細やかな日常と虚構を入り混ぜながら、うまく処理してあり、この青山七恵、楽しみました。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

ハッチの週間身辺雑記

今季、初めて気温が零下になりました。いよいよ冬の到来です。
標高の高いところでは雪が舞ったそう。

ずっとお願いしていた庭の木の剪定に、やっと来てもらえ、これで今年の家に関する予定が終わりました。
10月の約束だったのが雨続きのために作業ができず、造園屋さんがオセオセになっていたのでしょう。
寒くなると悪いなぁと思っていたけど御、幸いなことにその日はポカポカ陽気。
伸びすぎてせっかくの景観を邪魔するようになった木を低く揃えてもらい、すももを移植してもらい、駐車場に砂利を入れてもらいました。
このすもも、春に可憐な花をつけるのですが、斜面の下に植えたので花を楽しむチャンスが少なかったもの。移植がうまくいくかどうか心配だけど、今度はすぐ見えるところなので楽しめるでしょう。
庭というのはどんなに計画しても、想像と異なるものになってしまうことが多いみたいですね。
想像したよりも大きく育ちすぎたり、木どうしの折り合いが悪かったり、もちろん枯れてしまうこともあります。
実がつかなくて「伐っちゃうぞ」と脅していたら、生命の危機を感じたの寡次のシーズンからはしっかり実をつけるようになったりとかあって、植物はなだめすかすのも大切だけど、脅すのも時には必要なのかもしれませんが、とにかく庭はこちらの望むとおりにはなってくれません。
その点、さすがポール・スミザーさんの設計する庭というのは、その土地の生態系に合わせた自然の庭なので、まぁ、悪く言えば「雑草がはびこっている庭」にしか見えない印象をも乙人もいますが、わざとらしくない素敵な庭だと私は思っています。
よく行くパン屋さんが最近、スミザーさんに設計し植えてもらったので、駐車場前のその庭がこれからどう育って行くかとても楽しみにしるところです。

我が家にはバラが何本か植えてあります。バラは咲くと本当に美しくうっとりするのですが、本音を言えば、私はここの庭にはバラなどは植えたくないのです。
もっと自然な庭の方が好きだから。
でも庭のことは完全に夫の領域。彼に任せているのだから、任せたからには任せることにしています。
木にしても植え込みにしても、いわゆる庭木よりも、自然のガマズミとかダンコウバイがいいなぁと思っていて、これらは私のリクエストで植えてもらっています。
なんでも素朴なものが好きなので、華々しく豪華なのはどうも性に合いません。まぁ、貧乏性なんでしょうね。

これが届くといよいよ冬と感じるのが、近所の農家の方が持って来て下さる白菜、大根、ネギなどです。
たくさんあるので、白菜は新聞に包みガレージ保管。大根とネギは地面に活けておき、どちらも春前まで食べる大切な冬の食卓の野菜たち。
夫はこの大根をおろして入れる「みぞれ湯豆腐」が大好物。といっても簡単なもので、普通の湯豆腐におろし大根を加えるだけ。豆腐を食べた後の汁にちょっと出汁醤油を落とすと、とても美味しいお吸い物になるので、とても助かります。
今年はこれらの野菜に加えて初めて人参があったので、「あら、人参も作っていたんですか?」と聞くと、人参はいつも出来が良くなくて、ウサギのエサくらいにしかならないのだけど、今年は10年ぶりにうまくいったのだか。
我が家は毎朝、人参ジュースを作るので、ウサギ用でもいいんだけど。。

この農家の方は10年前までは勤め人で、農業は週末に親を手伝うだけだったそう。
だから近所の農家のおばさんたちは「Fさんは下手だで」と陰口を言っているのです。
それは彼もよく知っていて、「下手だと言われても、作らんわけにはいかんし、作っていると年々うまくいくようになる」と、今回は人参がそれなのでしょう。
彼の奥さんの手作りこんにゃくの出来もだんだん良くなって、先日頂いたこんにゃくはこれまで最高でした。
これは茹でるのに15分くらいかかりますが、コリコリシコシコして本当に美味しいので。大切に食べています。
本当にありがたいですが、我が家では何も作っていないので、買ったものでしかお返しができないのが心苦しいです。

それともう一つ、恒例のイベント、長野県松川町への林檎の買い出し。
この林檎園は昨年から作り手が変わって、昨年はどうもイマイチの味だったので、大丈夫かと思っていたのですが、先週偵察に行ってくれた友人が「まぁまぁ、少なくとも他のところの林檎より数段美味しい」と太鼓判を押してくれたので、三組の夫婦でいつもどおり出かけました。
私の感想としては、ちょっと皮が固いかな?
収穫近くなっての台風で、実がずいぶん傷ついてしまったそうで、いわゆる「ハネ」が多くなったと残念がていました。
落ちてしまった実はジュースなどの加工用として売るしかなく、ちょっと傷ついたものが「ハネ」となるそうです。
この傷は台風の強風でそばの枝にぶつかって実を引っかいたり、破ったりしてできるのだと言っていました。
傷から悪くなるので、春まではもたないけれど、2か月くらいなら何の問題もないと言うので、自宅用に20キロほどの「ハネ」を購入しました。
20キロというと、大きい小さいはあるけど約70個くらい。
でもこんなにあっても、我が家では来年の1月半ばまでの分で足らないくらい。それ以降は自然食品店の林檎に頼ります。

林檎園から出たらちょうと12時。ランチ時です。
評判の蕎麦屋さんへ行くことに。
この蕎麦屋さんは「こだわり」ではあるけれど、店主が変に凝る蕎麦屋ではなく(蕎麦屋ってこういう店主が多いんですよね)、町の普通の蕎麦屋さんといった風情。
10年くらい前に一度行って、私はそのなんでもない普通の佇まいと味が気にいっていたのです。
週日なので混んではいないだろうと考えたのがアサハカでした。蕎麦好きの情報網ってすごいんですね。
京都からとか遠方からの客で長蛇の列。なんと1時間近くも待ちました。
他にランチのあてがあるわけではなし、気持ちはすっかり「蕎麦」になっているので待つしかない。
でも待ったかいは十二分にありました。
店の名が「にっぱち庵」というので、蕎麦は二八なんでしょう。だけど蕎麦って必ずしも十割が美味しとは限らない。
それをここの蕎麦は証明していました。
みんんな大満足。(1時間も待って不味かったら、怒りますよね)。誘った私は胸をなでおろしました。

・・と、今週は恒例行事が無事終わり、ひとまず安心。冬準備が整いました。
流行の先端をいってすでにインフルエンザにかかった私たち夫婦(二人とも生れて初めてのインフルでした)、もう風邪はひかなくてすむか?
posted by 北杜の星 at 07:53| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

岡本綺堂ほか「山の怪談」

民族学者、作家、登山家、山用j品店店主・・
山に深くかかわった人たちが見聞した「山の怪談」が並ぶ。

山にはもののけがたくさん棲むような気がする。
海の怪談話しというと、海坊主くらしか思い浮かばないけれど。
山のもののけは、人なのか動物なのか?暗闇の森や林の怖さは誰もが経験したことがあるものだろう。
よく知った道でも迷うことがあるというが、それも「山の怪談」の一つかもしれない。

けれど柳田國男の書いているのを読むと、山にはそんなことはごく当たり前に起きることで、何の不思議もないようだ。
都会からの若者たちが山深く入り、山住みの老人の前で「山の怪談」話をワイワイしていた。老人は何も口挟まず聞いていた。
夜更けて眠る頃になり、彼らは不思議な物音や気配に気付き、騒然となった。
それを見た老人は、「山にいればこんなことは普通に起きることにすぎない。静かに寝ろ」と言い放ったそうだ。

畏れを知ること。
人間界を超えるものの存在に敬意を払うこと。
それを知るためには山は格好のお手本だと思う。

明らかに山の遭難者が出て来るのでは?という怪談もある。
山でテントを張って寝ていたら、遠くからひたひたと足音が近づいてくる。そしてその足音はテントの前でぴたりと止まる。
出て見るとそこには誰もいない。
訝りながら寝ているとまた同じことが。
何度も繰り返し、とうとう面倒になって眠るのだが、あれはきっと遭難者が何かを伝えたくてやって来たのだろう。
こんな現れ方はそう怖くない。ちゃんと接してあげれば落ち着いてくれるような気がする。

どうしようもなく怖いのが「行ってはいけない山」があることだ。
そこに行くと、何かに憑かれてしまう。命まで落としかねないことになる。
そういうのに敏感な人っているんですよね。
私には霊感はないが、知人にそういう人が居て、頭が痛くなったり吐きしたりするそうだ。
霊感はないけれど、「ここは『気』が良くないなぁという直感はけっこう働く方で、私はその自分の直感で場所を選んだり人を選んだりしているところがある。

登山家作家として有名なのが深田久弥。
彼もたくさんのことをここに書いているが、あれほど山に登っていたのだから「山の怪談」話には慣れている。
彼はここ山梨県の茅が岳で登山中に亡くなった。といっても遭難ではなく脳卒中を起こしたのだ。
この茅が岳は東京方面kら中央道で甲府を抜けると、すぐ見えてくる。
知らないひとはこれを八ヶ岳と勘違いするので、「ニセ八」と失礼な名で呼ばれている。
標高は八ヶ岳に較べると千メートルくらい低いが、それでも十分雄大な姿をしていて私は好きだ。

ちょっと昔の書き手の文章が多かったのだが、落ち着いて品があって、どれも素敵な文章でした。
posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

三浦しをん「白蛇島」

サトシは高校3年生。故郷の拝島を離れ都会で寮生活をしている。
彼は夏休み、13年に一度の島の大祭のために帰省した。
港に迎えにきてくれたのは光市だ。
拝島は古い風習が残る閉鎖的な島。そこでは長男だけが島に残り、次男以下は島を出なくてはならない。
そして長男同士は「持念兄弟」として、お互いに持念石を身に就け、生涯を深く強く結ばれているのだが、サトシと光市もその持念兄弟なのである。

島には不穏な空気が漂っている。島の守り神の白蛇、氏神神社の長男と次男、「アレ」の出現、海に浮かぶ「黒いアタマ」、洞窟・・
おどろおどろしく、禍々しい島とそこに住む各集落の人々。
昔から変わらないものと、変わろうとするもの・・

こういう小説は何が起きても、まぁ着地点はわかっている。
でもこれ、ほとんど何も起きないんですね。
私はこれを計4巻(1巻、約150ページほど)の点字本で読んだのだけど、最初の巻の半分くらいまで、ひたすら島の説明。
ホント、何にも起きない。
やっと人物配置がはっきりしてきても、これというほどのことは起きない。
だけどなんだろ?ついつい、最後まで読んでしまったのだ。
面白くないと言えばちっとも面白くないんだけど、書いてる本人は楽しんでいるのかもという気がところどころに感じられて、それに引っ張られたみたい。
ストーリー性はないけど、ディテールがよくわかるし、部分部分に新鮮さがある。
その新鮮さはやはりサトシと光市という「少年」が主人公だからだろう。つまりこれは、少年冒険小説として読むものなのだ。

この拝島、印象としては瀬戸内海のどこかの小島。それも広島県や愛媛県ではなくて、岡山県のような。。
(これって、私が岩井志麻子に毒されているからかな?)
日本海の離島という雰囲気ではない。
サトシと光市の他に主人公がいるとすれば、それは軽トラックだ。
光市がサトシを港まで迎えに来るのも軽トラックだし、島中を走り回るのも軽トラック。
スリリングな2台の軽トラックのチェイスまであってサービス満点だ。
「あとがき」を読んで理由がわかった。
この「白蛇島」は三浦しをんにとって「白い軽トラック三部作」の最後の作品らしい。といっても3つの物語りに繋がりはない。
とにかく彼女は軽トラックが大好きなのだとか。
道路交通法違反hの軽トラックの荷台に、ここではいろんな人を乗せているけど、島だもの、やかましいことを言う人がいるわけでhない。

都会に住んでいた頃は軽トラックを見ることはあまりなかった。
でも田舎では軽トラはごくごく日常的な車で、ほぼ各家庭に1台はある。
農家にしてもちょっとした商店にしても、軽トラがなくてはどうしようもないことが多い。
都会からの移住組でも外仕事したり、ゴミ出しのために軽トラを買うひとは多い。
三浦しをんは「白い軽トラック」と言うが、最近は女子の軽トラ乗りをターゲットに、ピンクやブルーの色付きもあるみたいだけど、軽トラックはやはり白。
時々一緒にランチする友人が軽トラックに私を乗せに来てくれるけど、困るのはバッグ一つ置くところがないこと。
女子用の軽トラックはそこらへんが改善されているのだろうか?
だけどああした車というよりも、トンカチやチェーンソーと同じくツールとして使うものの設備があんまり充実するのも、ちょっと違う感じがする。
軽トラックは実用一辺倒でいいと思います。
うーん、この本、軽トラックの魅力で読んだのかも。
posted by 北杜の星 at 07:56| 山梨 ☁| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

上田淳子「フランス人の好きな三種の軽い煮込み」

フランス料理の用語はたくさんあって、同じような行為でも言葉が違う。
例えばソテーとポワロがどう違うかなんて、私には説明できない。
でもソテーとは、肉や魚などの食材を鍋やフライパンで焼きつけることだと思っていた。
だけど、それ、間違いいみたい。
この本の著者は長くフランス料理に携わってきた人だが、ソテーとは「焼きつけて、軽く煮込む料理」のことなのだそうだ。
えーっ、そうなの?!

この本に載っている料理のなんと美味しそうなこと。
フランス料理といってもデコラティヴなものではない。実質的などちらかといえばアースカラーの料理ばかり。
でも普通のフランj人がいつも星つきレストランで食事をしているわけがない。それでなくても共働き家庭の多いフランス、いつもはもっと簡単な食事をしているにちがいない。
ここにはそういう普段のフランス家庭の料理が紹介されている。
仕事から夕方帰ってパパッと作れ、毎日でも食べたい料理。私、そういうのがフランス料理に限らず好きです。

この本、我が家にとってはすごく画期的だったのだ。
というのは、この本をちらりと横目で見た夫が俄然、作ってみようと思ったみたいで、「豚肩ロース塊肉ある?」と聞いてきた。
「ないよ、そんんなの」
「じゃぁ、肩ローススライスは?」
「それも、ない」
「鶏ももと玉ねぎは?」
それなら、あるよ。ニンニクも白ワインもある」。

夫がやる気マンマンでその日のうちに作ったのが、鶏と玉ねぎの軽い煮込み。
これ、滅茶苦茶美味しかったんですよ。
すっかり気を良くした彼は、すぐに白いんげん豆とソーセージの煮込みに挑戦。これは想像通りの味だったがこれも合格。
彼曰く「やっと、作りたいと思う料理が見つかった」と。
なんだ、長く住んだイタリアの料理ではなく、フランス料理なの?

レシピはどれもほとんど同じ。
水の量が多いと「スープ」に、牛乳や生クリームを入れると「フリカッセ」になる。
まず肉や魚を焼きつけて、一度取り出し、鍋の油をさっと拭き取ったら、香味野菜を加えて炒め、そこに水とワインを入れて、ほんの10分ほど煮込む。
これだけ。
材料の下ごしらえから出来上がりまで約30分。
まぁ、夫でも作れるレシピで、その上美味とくれば言うことなし。

この本最初はライブラリーで借りたのだけど、夫が「是非買って家に置いておきたい」とのことで、早速amazonで注文した。
私が見ようと思ったけれど、これは彼に任せた方がいいみたいですね。
これからいろいろと試すつもりでいるみたい。あとは料理はバリエーションということが理解できれば、いろいろな材料を楽しめるはず。
寒くなる季節にぴったりの「ソテー」、、うれしい。

posted by 北杜の星 at 07:19| 山梨 ☀| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

ハッチの週間身辺雑記

八ヶ岳南麓は現在、秋まっさかり。木々の葉ぽが美しいです。
我が家の庭の山もみじも赤の部分と緑の部分が入り混じり(日当たりのよいところが先に赤くなる)、それが徐々に全体に赤が多くなってきています。
桜の葉は色を変えて落ちつつあって、あと1週間で落ちきるでしょう。
落葉の問題は北側にある数本の水ナラ。
これは夫が掃いても掃いてもキリがなく、まぁ、12月半ばまでは仕方ないでしょう。

今週初めから鳥のエサ箱にひまわりの種を入れてやるようになりました。
最初はおっかなびkっくり、「これ、食べてもいいのかな?」という具合に見てましたが、勇気のあるヤツが思い切ってついばんだら、それからは後から後から・・
これは小鳥にもうれしいでしょうが、私たちにとっても朝食の時に窓の外を見る楽しみをくれるものです。
今のところはコゲラしか来なくて、シジュウカラはまだのようっです。
ただいいことばかりではなくて、駐車場に置いてある車のミラーやガラスの光に反応するのか、ヒヨドリが糞を落とし、それがこびりついてなかなか落ちない。
先日、夫が3千キロに一度のオイル交換に行った際に、車の掃除をしてもらって、やっときれいになりました。
(ヒヨドリは大きくて、あまり綺麗な色もしてなくて、エサ場で他の小鳥を脅すので、あんまり好きじゃない鳥です)。

最近困っていること。
それは歳をとるごとにカフェインの弱くなってきたこと。
これまでは午後3時以降を気をつけると大丈夫だったのが、今ではどうかすると午後一でもうダメ。
ランチが遅く食後のコーヒーが2時ごろになると、その夜はてきめんに眠れなくなるのです。
自宅ではドリップもエスプレッソもどちらもカフェインレスを常備しているので問題はないのですが、カフェやレストラン、友人宅に行くと困ります。
カフェインレスが健康にとっても良いと、都会のレストランなどではかなり置くようになっていると言いますが、まだまだ、アメリカなどのようにはいかないみたい。
たとえカフェインレスであっても、完全にカフェインを除去していないものも多くあるようです。
梨木香歩さんもお昼を過ぎるともうカフェインは摂らないとエッセイに書いていましたが、そういう人、多いのかもしれませんね。
周囲の友人たちに聞いても、かなりの人が「夕方からは飲まない」と言っていますから。
いろいろ鈍くなるなるのに、どうしてこういうことには敏感になるのでしょうか?

友人夫婦と久しぶりに「肉:」を食べに行こうと約束していたのですが、来たのは夫の方だけ。
聞いてみると奥さんは膝がとても痛くて、歩きたくないとのこと。
1カ月前くらいから「車の乗り降りの時に、膝が痛むの」と聞いていたのすが、そんなにひどくなっているとは思っても観なくてびっくり。
彼女はかなり我慢強い女性で、日常生活において「痛い」とか「辛い」とか言わない人です。
その間所が「とても痛い」と言うのだから相当なのだと思います。
整形外科で注射を何本か打ってもらったけど、効果がないそう。違う病院に行ってみると言っています。
こうした整形外関係の膝や腰、股関節、脊柱狭窄などの疾患は他人事ではありません。
今のところ私たち夫婦には、こうした痛みはなくて住んでいますが、それがこの先もずっと続くとは絶対に思えません。
こうした故障はいわば経年疲労、歳をとると誰にも起こりうることです。
彼女は「夫に思いやりがない」と嘆いていますが、そんなことはなく、経験のない人はその痛みがわからなくて、どうしてあげていいのか困っているのだと思います。、
とにかく一日の緒早く治ればいいです、少なくとも痛みが軽減するといいです。
(ちなみにそのランチ、山形産牛赤身肉のステーキが目的だったのですが、それは無くてローストビーフでした。残念ならがソースがイマイチだた。ローストビーフならソースなしのホース・ラディッシュが添えてあるか、ソース付きならグレービー・ソースの方が良かった。あのソースはウスターソースが入っていたみたい。)

悲しい知らせもありました。
友人のYちゃんの飼っている猫のしんちゃんが死んでしまったのです。
長い間音沙汰なしのYちゃんを心配して電話してみたら、「しんちゃんが危篤状態」と言うではありませんか。
でも電話口でしんちゃんの鳴き声が力強かったし、その後「持ち直した」と言うので、安心していました。
Yちゃんっは昨年、他の2匹の猫を相次いで失っていて、しんちゃんは家に残る唯匹の猫。
元気になって良かったと思っていた矢先い、やっぱりダメだったと。。
これで彼女の家には猫が誰もいなくなってしまいました。

Yちゃんは35年くらい前までは、猫を飼ったことがありませんでした。
彼女にとっての最初の猫は、私の夫が飼っていたビリーでした。
私と夫が一緒に暮らすようになって困ったの尾は、夫にはビリーが私にも猫がいたこと。
しかもその猫同志の折り合いがすこぶる悪い。それで夫はYちゃんにビリーを託したのです。
優しいYちゃんは猫未経験でしたが、身体の弱いビリーの世話を熱心にしてくれていました。
ビリーが死んでからも、縁あって頼まれた猫たちを3匹も一緒に、そう広くない公団住宅で飼ってきました。
それが昨年、ごんちゃん、そのごんちゃんを追うようにふうちゃbんが逝ってしまい、Yちゃんはとても気落ちしていたのでした。
けれどしんちゃんの最期は幸せだったと私は思います。
だってYちゃんは弱ったしんちゃんのそばにずっといてあげられたからです。
今頃は空の上で、ふうちゃん、ごんちゃん、しんちゃんは一緒に遊んだり眠ったりしていることでしょう。
彼らはこれからもずっとYちゃんを見守ってくれると思います。
猫を失うのは本当につらいことだけど、彼らのくれた思い出はたくさんあります。思い出すのはつらくても、やはりその思い出は無いよりはある方が断然素敵です。

富士山はもちろん南アルプス、北岳や駒ケ岳の山頂はもう真っ白。最低気温はまだ零下にはならないものの、日一日と冷えこんでいます。
寒さを厭いがちだけど、青い空やきれいな山々、風景が美しくなるのはじつはこれからの季節。
せいぜい楽しみたいと思っています。


posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする