2017年06月26日

高橋三千綱「さすらいの皇帝ペンギン」

初期の高橋三千綱は読んでいたのだが、20年くらいすっかりご無沙汰だった。
最近「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」という私小説を読み、彼の無頼ぶりに驚きつつも好感を持った。
今どきの作家はちんまりとまとまって、その生き方がサラリーマン的ななか、こんんな昭和な作家がまだ生き残っていることに感激。
この「さすらいの皇帝ペンギン」を読んでみることに。

あるテレビ局設立30周年記念番組を制作するにあたって、南極取材のリポーターとして抜擢された作家の楠三十郎(まんま、作者です)。
彼が仕事を引き受け南極に行って帰るまでを描くこれまた私小説だ。
南半球の夏とはいえ南極取材が大変でないはずはない。
出発までの紆余曲折、空港で、また中継地のチリに着いてからもゴタゴタは続く。
でもこれ、高橋の、いや三十郎のワガママとは思えない。誰だって怒るでしょという感じで、テレビ局の傲慢さが顕わになっている。

まずこの仕事、番組プロデューサーは三十郎に白羽の矢を立てたというが、その経緯にはウラがあった。
どうやら最初はあの冒険小説家(どう見ても椎名誠です)に依頼したが、断られた。
その時のギャラは500万円だったと後で判明するが、三十郎に提示されたのは200万円。
300万円はどこに消えたのか?
彼が後続でサンチャゴ空港に到着しても、約束の迎えはない。泊るホテルすら聞かされてない。
しかし三十郎がもっとも怒ったのは、南極への装備品のなかの毛糸の手袋だった。
他のクルーはみな登山用のしっかりした手袋を用意しているのに、自分に渡されたのが毛糸の手袋。しかもその手袋には280円の値札が。
これは凍傷にかかれと言っているも同然。
キレた三十郎は、もう止めたと違うホテルに移る。

平謝りのスタッフに条件の改善を確約させて、引き受け得ることにあいなったのだが、それからも彼らとの間には不穏な空気が流れる。
南極への経由地であるブンタアレナスの町で、三十郎は偶然会った少女から、一つの鳥籠を渡された。
その鳥籠の中には皇帝ペンギンの鄙が入っていた。
少女はこの皇帝ペンギンの鄙を南極に帰してほしいと願っているようだった。
新たなミッションを引き受けた三十郎は、カナダ人パイロットら計6人で南極へと向かう。。

というのがストーリーだが全編にあるのは、南極の自然ではなく、人間関係だ。
この人間関係で三十郎はつくづく孤独を感じ、皇帝ペンギンの鄙に「コドク」と名付ける。
しかしそうした日本のテレビクルーとの人間関係に風穴を開けるのが、各国の南極にある基地だ。
そこで皇帝ペンギンの鄙の育て方を教わったり、餌を作ってもらったりもしたが、基地には日本の基地を含めて酒があった、
そこでしこたまバーボンやモルトウィスキーをあおる三十郎。
おい、おい、肝硬変は?糖尿病は?と心配していますが、言って聞くような人ではない。
まぁあ、これだけのエネルギーがあるなら大丈夫でしょ。

南極リポーターとしての仕事がどうだったかがあまり書かれていないが、それは多分テレビで放映されたんでしょう。
この本を読んだあとで番組を見る方が面白いと思うけど、テレビ取材の裏側がいろいろわかる本だった。
そういえばカムチャッカで熊に襲われた亡くなったあの写真家の星野道夫さんは、日本のテレビ局の取材班とともにその地にいたのだが、彼らと同じテントにいるのがイヤで、自分だけのテントを張り、そこを襲われたのだと聞く。
一緒に居るのがイヤという理由には、三十郎と同じものがあったのだろうか?
これを読む限りテレビ人間の不誠実さに唖然としてしまうのだが。。
posted by 北杜の星 at 08:08| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

ハッチの週間身辺雑記

先々週・先週と過食続きで、私も夫も胃腸の具合が悪い一週間でした。
もともと腸が弱い夫は私より症状が重く、痩せていてもエネルギーいっぱいの彼なのですが、体調が崩れると心配になります。
痩せがますます痩せるようで心配なのです。

私たち夫婦はよほどのことがない限り、腹痛でも風邪でも病院にはかかりません。
五木寛之も言っていますが「自分の体は自分でメンテナンスするべき」だと考えているからです。
病気を治すのは薬や注射ではなく、自己免疫による自然治癒だからです。
消化の良い食べもの(といってもおかゆや雑炊、あれは案外噛まないんです。だから普通の白米をよくよく噛んで食べる方がいいような気がします)。
あとはまったく油脂を使わない人参やキャベツのポタージュ。
少し良くなったら半熟玉子とか鶏の蒸したものなどを、これまたよく噛んでという段階を踏んで、ようやく普通に戻りました。

その間、外からも手当をします。
それは枇杷の葉温灸。
枇杷の葉を当てて、棒もぐさをツボに押し付けるのですが、これが本当に心地よいんです。
「癒す」という言葉がありますが、枇杷の葉温灸はまさしく体も心も癒してくれます。
問題は枇杷の木です。ここ八ヶ岳南麓は寒冷地なのでなかなか枇杷の木が育ちません。これまで何本か植えたのですがなかなか越冬しない。
でも数年前に植えた木はなんとか成長を続けてくれて、今では温灸に使う葉っぱがとれるようになっていてありがたい。
もっとも毎日毎日使えるほどにはまだなっていませんが。

この温灸でかなり回復。
回復すると夫は「ステーキが食べたい」と言いだしました。普段から「何が食べたい?」と訊ねると「ステーキ」というほどの肉人間。
ステーキが食べたいというようになれば元気を取り戻した証拠かと、一昨日昨日とステーキを彼だけに作りましたが、お腹の具合はどうなのか?
私はまだ鶏肉くらいに押さえていますが。
こんな年齢になっての過食はいけませんね。しかも続くのが良くない。
過食は内臓だけでなく、筋肉や骨や関節にも悪影響を与えますから、気をつけなければとあらためて自戒しました。

そんな折ですが、この季節だけの美味しい練りもののパンフレットが届いたので、友人たちにほんの気持ちを贈ろうと、注文しました。
これがみんなに大好評!
これは尾道にある蒲鉾さつま揚げのお店で、100年間製造法が変わっていません。
練りものって添加物が多いんですよね。
でもここのは着色料や保存料などの添加物なし。
添加物の味に慣れている人には物足らないほどあっさりしていますが、本当にイヤな味がしないストレートな美味しさなのです。
そのお店が夏季限定で、焼き蒲鉾と鱧皮蒲鉾を作っているのです。
鱧皮蒲鉾は関東の方には馴染みがないだけに、「初めて食べたけど、すごーく美味しい」と感激のあまり2度も電話をくれた友人がいるほどでした。
喜んでもらえて良かったです。
ここはスゴイ商売をしている店で、一昨年だったか昨年だったかの春のこと。
注文をしようとお店のHPを見ると、魚の不漁のため当分製造を中止しますと書かれていたのです。
瀬戸内の魚を材料としていて、それが不漁だったのです。
でも他の魚場からの魚を使うことは潔しとしなかった。
前からファンだったのが、ますます信頼度が大きくなって、時々取り寄せています。さつま揚げもお勧めです。
こんんな商売を続けている店があるなんて、捨てたもんじゃありませんね。

雨が降らなかったので、田んぼも畑もカラッカラ。
ようやく水曜日はまとまった雨となり、毎日有線で流れていた「節水のお願い」の放送がなくなりました。
八ヶ岳は南アルプス側と違って、昔から水が少ない土地なのだそう。
来週は雨続きのようなので梅雨らしくなることでしょう。
地元の無農薬農家の人参はこれまでの水不足で、あまりジューシーではなく、我が家の毎朝の人参ジュースには不向きのようで残念。
そろそろいろんな地元野菜が採れる時期で、つい先日はある友人からたくさんの玉ねぎを頂きました。
彼女のつくる玉ねぎはとても見事で、一年分とは言いませんが、冬の前まで使う分を気前よく下さるのです。
また青森ニンニクを植えたのがこれまた「お見事」と言うほど大きくなったのが数個、オマケについていていました。
こちらではジャガイモより玉ねぎの方が早いみたいです、
土モノ野菜は土づくりからが大切で、農薬だけでなく除草剤を使わないとか、化学肥料は使わないとか大変なようですが、それだけ美味しく体に害のないものが育ちます。
何の苦労もなくそれを頂くのはありがたいような申し訳ないような。。でもやっぱりすごくうれしいです。

ニンニクと言えば思い出す笑い話があります。
ニンニクの種はジャガイモと同じように、一かけらを植えますが、中国産のニンニクの種を植えて日本で育ったものは、中国産なのか日本産なのか?
こういうのを決める基準があるとは思うのですが、どうなんでしょうか?

あれやこれやの沈滞気味の一週間でした。
posted by 北杜の星 at 08:05| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

内田洋子「イタリアのしっぽ」

イタリア、ミラノに住んだ日本人女性といえば須賀敦子。
彼女の大ファンの私は、今でも彼女の死を悲しんでいる。まだあと10年は書いて欲しかったと口惜しさは薄れることがない。
そんな須賀敦子に操を立てたわけではないが、これまで内田洋子の著作を読まずにいた。
内田洋子は30年イタリアのミラノに住むジャーナリストで、彼女のエッセイは日本エッセイストクラブ賞を受賞したことがあるほどで、これまでもちろんその名は知っていたが、なんとなく読みそびれていたのだ。
それがつい数日前のこと、夫が読んでいる途中のアイルランド作家の小説があまりに陰惨で、「なんか、明るいモノを読みたい」と言う。
彼にとって明るい読物といえば、やっぱりイタリアでしょ、と内田洋子はどぉ?と勧めてみた。
近所のライブラリーには3冊彼女の本があって、それら全部を借り受けて来た。
この「イタリアのしっぽ」はそのうちの一冊。私が先に読んじゃいました。
「しっぽ」とタイトルにあるようにこの本には、イタリア人と動物との関わり、そしてその動物と一緒のイタリア人と著者との関わりが書かれている。
なかにはしっぽのないタコも出てくる。

ちょっと田舎に行くと、と言っても都会からほんの数十分も離れたところでも、じつに様々な動物をイタリア人は飼っている。
犬や猫は当然のこと。(私たちの友人の多くは、犬には名前をつけているが、猫には名前がない場合が多い。あれはどういう理由からなのか?)
ある友人宅には馬が2頭いて、馬丁が世話をしていたし、別にチーズをつくるわけでもないのに山羊を飼っている友人もいた。
ペットというには大型の生きものでも彼らは普通に飼っているようだ。
そんな生活だから長い間のイタリア生活において、たくさんの生きものを介した物語に出会ったのだろう。

ミラノの名門の家の出の女性は獣医になったことで家から断絶され、たまたま飼い始めた著者の犬の主治医となってくれたのだが、どこか人とはうまく付き合えない彼女はやがて離婚してしまった。
別の友人女性に留守の間の犬の世話を頼んだのだが、インテリア評論家として有名な彼女の先端ファッションには似合わぬ素朴な食卓に招待され、やってきた娘たちや孫はしかし、食事が終わるとそそくさと帰って行った。その理由が強烈な猫アレルギーだった。娘たちと孫のくしゃみを寂しそうに聞くその女性。。
(おもしろいのは、孫も猫も同じように床にはいつくばって皿の料理を食べること。欧米では、はいはいをする赤ん坊って、考えてみれば不潔ですよね。外を歩いた靴そのままの床をはいはいするのだもの。)

他にもたくさんの動物とイタリ人との関わりがあるのだが、私が面白いと思ったのは、イタリア事情である。
それはミラノの天候だったり、過疎になった集落だったりするのだが、「えー、そうなの」と初めて知ったことがけっこうあった。
私はイタリアに長期滞在したことはないが、それでも1カ月とか一カ月半とかを過ごしてきた。けれどミラノには行ったことがないんですよね。
ロンバルディア州には行ったのだが州都であるミラノは一度も足を踏み入れたことがないのだ。トリノとミラノはなぜか縁がない。
だからミラノの天候は、須賀敦子の「ミラノ霧の風景」にあるように、冬の霧くらいしか想像できなかったのだが、いやはや、大変な天候の土地みたい。
9月になると秋雨が長く、10月に少し止むとすぐに冷たい風。そして冬になると霧が空を暗くし、みぞれや雪に変わる。朝などは零下となるそうだ。
この寒さが半年続いた後、瞬時の春には視界が曇るほどの花粉が舞う。
「花粉は集まり玉となって路上を転がり、浮いて飛び、屋内にまで入り込んでくる。連れ出された犬たちの鼻は、花粉まみれで真っ白だ。」というから凄まじい。
アレルギーでない人でも、くしゃみや咳が続くと言う。
夏になるとすごい湿気。背後にアルプスを背負っているので風が通り抜けないので、その湿気と熱気はどこへも行き場がないのだとか。

それには慣れたとは思うが、著者はミラノを離れ、海の傍に引っ越そうと家を探したが、海の傍は観光客が騒がしいと言われ、山の中の一軒家を買い移り住んだ。
最初は携帯電話の電波も届かなかったが、近くの過疎の集落を外国資本が買ったため、便利になったそう。
住む人がいなくなった丘の上の村全部を、そうした外国資本の会社が買って、家屋や道や設備を修復し、イギリス人やドイツ人に売りだすためだ。
そういう需要はあって、どちらにとっても悪い話ではない。
日本でも過疎や空き家が問題になるが、日本の場合はイタリアほど凝縮した集落ではなく、田舎では家が点在しているので難しいかもしれない。
丘全部を買い取ってきれいに修復すれば、それはそれで景観が保たれる。
しかも新しくピカピカの新建材の建物を建てるのではなく、昔のような石やテラコッタをそのまま使っての修復なのがいい。
イタリアのそうした村はどんなに小さくても、大きな町とほぼ同じ機能を持っていて、広場があって、協会があり、役場のような人があるまれると建物があり、もしかしたらbarもあるかもしれない。
外国人が住むだけでなく、近隣の大都市の住人の別荘地としても利用できる。私たちが車で走っていても、ローマ近郊にもそういう小さな丘の上の集落をたくさん見かけるようになった。
そういうところにはアーティストとかも多くて、文化的にも新しさと旧さがうまく共存する新しい暮らしが生れているようだ。

これから内田洋子さんの本を少しずつ読んでみよう!
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

吉村昭「東京の下町」

昭和2年生まれの吉村昭。
東京、日暮里に生まれ育った彼が幼いころを過ごした町の思い出を綴るエッセイ集。

ここには丸々の昭和がある。
子どもの遊びが懐かしい。吉村昭はほぽ私の父親の世代だが、当時と私の小さな頃の子どもの遊びって、そうは違わなかったみたいだ。
それが変わったのはいつ頃からなのだろうか?
昭和40年代か50年代くらいなのだろうか?

私も夫も東京の下町には縁がなくて、山手線でいえば上野から池袋間はほとんど知らない。
あれは根岸かな?洋食の「香味屋」が好きで、そこに食事に行くくらいしか用がなかった。
とげ抜き地蔵にもまだ行く必要はなかったし。

神社の夏祭りも盛んだった。
上野公園だって人気だった。
ハレとケがはっきりしていた下町の生活。
そのなかで吉村昭は映画が大好きだった。昭和10年代からの映画を実によく観ている。
そのせいか彼の将来の希望は映画監督だったとか。
しかし結核で大手術をしてくれた執刀医は彼に、映画監督は無理、どこか田舎で鶏や豚を飼って静かに暮らしなさいいと言ったという。

吉村昭のエッセイや私小説を読んでいるとたくさんの兄たちが登場する。
長男、次兄、三兄、四兄・・いったい何人のお兄さんがいるのといつも不思議だったのだが、ナント、9男1女で育った人なんですね。
ただ一人の娘が彼のすぐ上の姉、そして末息子の間に彼がいた。
一人娘だから母からは溺愛されていた。弟は末っ子で、とても愛くるしい顔をしていたのでこれも母から愛されていた。
彼ら二人にサンドイッチになっていた昭は自分が味噌っかすだということを、よく知っていた。

ある日、彼の家から少火が出た。
兄たちは消火にあたり、姉も弟もすぐに家から逃れた。でも昭はなぜだか悲して寂しくて、喧騒の中いつまでも家の中にとどまっていた。
父の会社の番頭さんがあわてて彼を抱きかかえて外に出たというが、これが次の日に母が兄たちから糾弾されることとなった。
母は「子どもにかわいい、かわいくないが、あるものか」と言っていたが、昭はそのそばでずっと黙っていたそうだ。

家のなかの孤独。
子どもって案外、そういうことに敏感なもの。
でもそうした気持ちはずっと大人になっても消えないのも事実。
私は8歳まで一人っ子で蝶よ花よと育てられていたのが、弟が生まれ、みんなが赤ん坊の弟に気をとられるよになって寂しかった記憶がある。
学校から帰って母親にいろんなことを聞いてもらいたいのに、「あとでね」と言われ、その「後」は来なくて。。
それまでとのギャップがありすぎで、でも本が好きで、本さえ読んでいればなんでもやり過ごせた。

これは吉村昭の個人的な回想エッセイではなく、昭和史としても興味深い一冊でした。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

町田康「関東戎夷焼煮袋」

関東戎夷とは、関東は歴史文化がない蛮国ということ。
大阪生れの大阪育ち、と言っても関東に暮らして40年になる町田康。(現在は熱海に居を移している)
自分は上方人間としてのアイデンティティを失ったのでないか?と自問自答してみると、はたしてそうであるような。。
それはいけないと、関西人の矜持を取り戻すべく、まずは関西のソウル・フードから試みることにした。

関西のソウル・フードとして思い浮かべるのは、「うこん「ホルモン」「お好み焼き」「イカ焼き」「土手焼き」・・これが町田康の選んだ食べもの4品。
これらを自ら拵えよう。
でもあの町田康のことだから、すんなり作れるわけがない。話題はあっちに飛びこっちに戻り、材料を仕入れるときからゴタゴタ続き。いざ作ろうとするとまたもや問題山積なのだが、これらの問題、ぜーんぶ町田康本人が呼び起こす。
彼のファンならそのあれやこれやが楽しいのだが、ファンでない読者は「この作家はほんまに、アホンダラや」と信じ込むに違いない。
ちなみに大ファンの私にはとっても楽しい本でした。

関東に来てうどんを食した関西人の驚きたるや、これはもう誰もが経験することだし、さんざんこれまで書かれつくされているほどだけど、やっぱりあの汁の真っ黒さは受け入れがたいものがあるようだ。
私は広島にも大阪にも住んで、出汁の旨さを知っているのだが、広島の出汁と大阪の出汁は汁の色はどちらも薄いが、微妙に違うんですね。
大阪の方が出汁の味が濃くて上品。広島はいりこ(煮干し)を使うことが多いからかな?
先日、大阪出身で甲府に住む知人に京都のにしん蕎麦をプレゼントしたら、彼女は「うわあーっ、関西!」と一口食べて思わず叫んだそうだ。
懐かしかったみたいで、その懐かしさ、わかりますねぇ。

でも、人間は町田康を含めて、あんなに驚愕しイヤだったものでも、悲しいかな、慣れるんですよね。
その慣れこそが怖い。
町田康のつくった「うどん」がどうなったかは、読んでのお楽しみ。「お

この本のなかに町田康は「豚肉」についても書いているが、これって西の人間ならわかるのだけど、西で肉といえば「牛肉」のこと。でも関東では「豚」なのだ。
彼が東京に住み始めての第一印象は「とんかつの店が多い」ということだったそうだ。
私は広島や大阪での肉うどんの肉が牛肉なのに慣れていたので、関東で豚肉が入っていたのには、なんか貧乏くさい感じがしたものだ。
小さな頃のカツサンドのカツも薄い牛肉だった。
あの牛肉と豚肉の境はどのあたりなのだろうか?
近江は近江牛の産地だから牛肉かも。名古屋はどっちかな?

「イカ焼き」と関東で言うのは、お祭りの屋台などで売っている鉄板の上で丸のイカを焼き串に刺したものをいうが、関西ではちょっと違う。
コナモンではあるがタコ焼きとも違っていて、お好み焼きの具がイカという感じ。
でも私は大阪で一度も食べたことがない。町田康の文章を読むと、家で簡単に作れそうだ。

「お好み焼き」は確かに大阪も有名だが広島のソウル・フードでもあって、私は断然広島派だ。
これはもう私のお好み焼きの原風景なので誰が何と言っても変えられない。
それは大阪人も同じで譲らない。
大阪人と広島人が一致団結するとしたら、「東京のもんじゃは人間の食べるものではない」ということだろう。

「ホルモン」も「土手焼き」も経験がないので、これを読んでも「そうよ、そうよ」とうなずけなかったのが残念。
だけどなんで「イカ焼き」があって「タコ焼き」がないんでしょうね。

関東戎夷なんて言っても、40年も住めば「住めば都」です。
そのことを認めなければいけない町田康。。さらに忸怩たるものがあるでしょうが。。
ちなみに私は蕎麦好きなので、蕎麦の旨さはやはり東京。それだけで「うどん」汁の黒さは無視できるようになりました。(あれは汁であって、出汁ではありません!)。
posted by 北杜の星 at 06:57| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

齋藤勝裕「毒と薬の不思議な関係」

「毒と薬は紙一重」「毒と薬は匙加減」・・など昔の人は毒と薬が表裏一体なことをよく知っていた。
最近では病院で処方される薬を服用し、その副作用に悩む人もいる。そうした人は薬を盲信しているのではないか?
薬には毒という裏の顔があることをちょっと考えてみようというのが、この本。

薬用となる動植物や鉱物は多い。それらは用法を誤ると危険なものだってある。
植物で有名なのはトリカブト。
毒性が強いが、心臓の薬として漢方では古くから使われてきた。
以前通っていた蓼科の家の庭にはトリカブトの紫の花がよく咲いていた。きれいなのだが、切り花で室内に飾るには抵抗感があった。
この本に書かれているのは、薬としてよりも毒としての方が多いのだが、これは「このような毒に気をつけなさい」ということなのだろう。
読みやすく書かれているが、内容は専門的である。
この本が私にとって読みやすい点はもう一つ、大きな活字が使われていること。これはシニアには助かりますね。

毒にはいろいろある。
食べる、触る、吸いこむ、刺される・・
消化器や呼吸器、神経系に作用したりと、毒の及ぶ体の部位も様々だ。

食べものの毒といって私がまず思い浮かべるのは、ふぐの毒だ。
私が子ども時代を過ごして広島では、毎年冬になるとどこかから「ふぐにやられた人がいる」という噂が絶えなかった。
おそらく自分でふぐを捌いた、毒と知りつつ過信して食べてしまったからだろう。
ふぐの毒に中ると、死の直前までずっと意識ははっきりしているのだそう。(それってコワイです)。
魚介の毒では最近アニキサスが問題となっているが、厳密にいえばこれは魚そのものではなくて、魚に寄生する線虫である。
動物にも毒を持つものは多い。カモノハシにはオスだけに毒があり、その毒は犬などの小動物は殺すが、人間には十分でないとか。
もちろん爬虫類には毒ヘビも有名。

他に、カビや菌、ウィルスなど地球上には毒が溢れている。
しかし明らかな毒には気をつけられるが、酒(アルコール)はどうか?
酒は百薬の長と言われ、適量なら体に良いとされてきたが、このところの研究では少量であっても酒は毒という説もあるようだ。じっさいに酒をたくさん飲む人はどこか体を壊す人が多いような気がする、
まぁ、嗜好品と呼ばれる食物は多かれ少なかれ毒なのだと思う方がいいのではないだろうか。

覚醒剤は反社会的な毒物と認定されているが、麻薬には毒と薬の両面があって、癌などの週末ケアに、痛みを除去するために使われるようななった。
これこそ「毒と薬は匙加減」の典型だろう。
自然界の毒は怖いけれどそれ以上に怖いのは「人間のつくった毒」である。
化学兵器、農薬、化学汚染・・これらは解毒が難しいものが多い。水俣病はそのなかでも悲惨な歴史を持ち、その解決に何十年もかかっている。

読めば読むほど、無事に生きて行くのはむつかしいものだなと心配になってくるが、知識を持っていれば回避できることもある。
役立つと同時に、とても興味深い本でした。

posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

ハッチの週間身辺雑記

梅雨はどこ?どうなったの?というくらい、ここ八ヶ岳は爽やかな晴天続き。
畑は水不足でカラカラだとか。
雨ってたくさん降ってもイヤだけど、降らなくても困る。おてんとう様のご機嫌に任せるしかないのですね。

この1週間はけっこう盛りだくさんでした。
一週間前の土曜日には、自家製ハムソーセージの工房のご主人の全快パーティが催され、招待されて参加しました。
彼は一昨年の暮れにバイク事故に遭い(カーブを曲がったところに鹿がいたための不可避の事故でした)、肩の損傷がひどく、入院手術リハビリとずっとお店を休んでいらしたのです。
今は肩を休め休め、美味しいハムを作れるようになりました。
リゾート地のここは夏にはどこのお店も超多忙になります。その前にひとときの休暇ということで一週間のお休みを取り、その間の「感謝パーティ」ということで、ハムやソーセージはもちろん、ピザや前菜など盛りだくさん、集まった人たちって50人以上だったのかな?
みんなお腹いっぱい、隣に座った方々とお話ししたりして、楽しく過ごしました。
なにより印象的だったのが、ビールでした。
ふだんビールをあまり飲まない私なのですが、そのビールには日本のビールのような雑味のある苦味がなくて、じつにスッキリ、しかもコクもあるのです。
聞いてみるとドイツのビールで、瓶のものもあるのだけれど、今回は樽で取り寄せたとか。
ビールって美味しいものだと初認識しました。

次の日は、私の憧れの君S氏が、見事なさくらんぼを届けに来てくださいました。
S氏がいらっしゃる時は遠くからポルシェ・ターボの轟音がだんだん近づくので、「あ、Sさんだ!」とわかるのです。
大好きな方なので、さくらんぼ無しでも大歓迎なのですが。。
びっしり箱詰めされたさくらんぼは、我が家ではとうてい買えない高級品。
大粒で真っ赤で、さくらんぼって本当に愛らしい果物なんですね。味が濃いので10粒も食べると満足できます。
毎年、ありがとうございます。

月曜日のお昼前、夫が突然「松本へ行こう」と言いだしたのはうれしいサプライズ。
夫は松本の街が目的ではなく、知人から教えてもらった道をドライブしたかったようです。
いつもは小淵沢インターから高速で松本インターで下りるのですが、その道は塩尻で下り、そこから東側の県道を松本のあがたの森公園前に行く、というもの。
教えられたように左に塩尻平野(盆地?)、まるでヨーロッパの田舎道を走っているような心地よさ。
すっかり気に入り、今度から松本に行くにはこの道だね、ということに。
松本インターを降りると、どうかすると街中まで渋滞していることが多く、しかもあまり美しくない道なんですよね。
松本でランチどころを探したのだけど、鰻屋も蕎麦屋も洋食屋もお休み。ランチ難民になりそうだったので見かけた中華屋さんに入って、あんかけ焼きそばを二人で食べ、せめて美味しいコーヒーをと、コーヒー屋さんで一休み。
帰りも同じ道、夫が来るときに見つけた看板のお豆腐屋さんに寄って、湯葉やおぼろ豆腐や油揚げを購入。甘党の夫は豆乳ドーナッツもゲット。
美味しくてリーズナブルな値段で、今度もここに寄るために、車にクーラーボックスを忘れないようにしなくっちゃ。

火曜日は2週間抜けていた視覚障害者のiphone教習で、先生が甲府から来て下さいました。(先生は出張でお忙しかったのです)。
voice overの機能を使うのですが、私はまだ少し狭い範囲が見えるので、つい「字」に頼ってしまいがち。
voice overとsiriの両方を使い分けながら、やっていこうと思っています。(液晶の字が小さくて見づらいときにも老眼鏡を取りに行くかわりにvoice overで読みあげてもらうと
便利です)。

水曜日は久しぶりに体操教室へ。
Mさんという友人が参加するときには送ってもらえるので、私も行きます。夫が行く気がないのです。
最近この体操教室は「棒」を使っての動きがあって、これが複雑極まりなく、きちんと動いている人がほとんどいないくらい。みんな別々のことをしている感じで、頭の体操にもなっていますが、私は目が悪いので先生の動きが見えないのですが、でも目が悪いだけではなくて頭も悪いのだとつくづく思い知らされます。
Mさん夫妻にはそのときには我が家でささやかなランチを一緒にしてもらいますが、いろんなお話しができるのがとっても楽しい。
気持ちの良い方たちで、このところ親しく食事に行ったり旅行に行ったりおつきあいしてもらっています。

その夜は夜で、別の友人宅でパーティがあり、ご主人特製のドライカレーを頂きました。
このドライカレー、お金が取れるほど絶品なのです!
年に2度くらいあるこのドライカレー・パーティを私たちは楽しみにしていて、これもお腹の皮がパンパンになるほど食べちゃいました。
カレーだけでなく前菜もすごくて、カレーに専念できないくらいたくさんのお皿が並びます。
お食事に招かれるのってすごくうれしいことで、お野菜の切りかた一つでも私とは違ったりして、それがまた新鮮。
いろいろ勉強になります。
食べ過ぎたので木曜日は茹でたお野菜だけで、身体を整えました。

こうして書くと、ずいぶん享楽的に暮らしているなぁと思います。じっさい楽しい毎日です。
お金がなくても健康であればシニア・ライフはそれなりに楽しめるというモデルケースが私たち夫婦かもしれません。
でもこの年齢になると健康自慢はしないほうがいい。いつなん時、何が起こるかわからない。。
人生って、不意をつかれるものですから。

そんなこんなの一週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

水月昭道「お寺さん崩壊」

寺が潰れるという話は最近ときおり聞く。
不思議ではない。むしろ「そうだろうなぁ」と思う。
過疎化で檀家が少なくなった、自由な葬送が増えて寺で葬儀を執り行わなくなった、信仰心が薄れたなど理由はさまざま。
でも私が考えるに、寺に魅力がなくなったことが大きな原因ではないか。
それに魅力ある僧侶だっていない。
いろんなイベントを考えついたり、テレビに出たり、本を出版したりする僧侶はいて、いっときは話題になるがやがて消えてゆく人も多い。
だけど、そういうのと「尊敬できる」のは別の話だ。
つまりは、尊敬できる「お寺さん」がないということ。やはり聖職者には尊敬できる部分が見えないと信頼できない。
少なくとも、「あの寺に行って、あのお坊さんの法話を聴いてみたい」という気にさせる魅力がないということ。

この本にはいかに寺の内情が大変かが詳しく述べられている。
寺の経営基盤となる収入は、葬儀や法事などでぇの「お布施」。それと年会費だそうだ。
ちなみに著者が住職を務める寺は檀家約150軒。そこから上がる収入は、お布施が450万円、年会費が150万円の計600万円。
寺によっては他にエキストラで駐車場代とか副業兼業からの収入もあるらしいが。

600万円あれがまぁまぁじゃないか、プアではないじゃないかと思われるかもしれないが、著者に言わせるといろいろな経費を差し引くと、給料として得られる金額は年200万円にしかならないとか。
著者には「高学歴ワーキングプア」という著書があるのだが、これでは院卒の本人そのものの話としか言いようがない。

大変だなあごは思っても、心底から同情でけいない気持ちも私にはある。
こういう経済状態だと寺を継ぐ子がいないとも書かれているが、そもそもなぜ寺が世襲制なのかが納得できない。
九州にある寺が潰れる際に、土地は元住職の所有、本堂は宗教法人所有となっていて、その処遇があれこれあったと書かれていたが、なぜ寺の土地が住職個人の所有地なのかもわらかない。
宗教法人の税制は、宗教的部分の収入にだけ適用されると言うが、その収入となる「お布施」があまりにも不透明だと感じるのは、私だけではないだろう。
みんなが寺離れした原因はその不透明さにあるはずだ。

乱暴な言い方になるかもしれないが、どんなものであっても未来永劫変化ナシということはあり得ない。それこそ諸行無常なのである。
崩壊するものなら崩壊してみればいい。そこから新しい寺、または僧侶のありかたが見つかるかもしれない。
潰れるのには潰れる理由があるし、存続できるならそれはそれを必要とする人間がいるからだろう。

この本では最後の方に、仏教に関する話が出てくるが、それもなんだか「これまで経済的なことだけ言いたててきたので、ここらでちょっど仏教の話でもするか」というつけ足しのように感じてしまうのは、うがち過ぎだろうか。
私が寺に魅力を感じないのは、寺のケアする範囲がせいぜい檀家までということだ。
もっと大きな範囲でモノゴトが考えられないものか。ワーキングプア、子どもの貧困が今の日本にはあって、そういうことに対する社会的なアプローチがお寺さんには少ないのではないか?
そういう点はキリスト教の活動を見習ってみればいいと思う。
狭い地域社会、それも檀家だけに目が向いていては、今の世のなかで信頼はえられないと思うのだけど。。

でも少ない年収にもかかわらず、著者は仏教に身を投じ続けると断言していることには、心強さを覚えます。
こういう「お寺さん」にこそ期待したいものです。
いっときの人気取りではなく、「尊敬するお坊さん」と慕われるようになってほしい。それこそが寺を崩壊させない道だと思います。
posted by 北杜の星 at 08:09| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月14日

古井由吉「ゆらく玉の緒」

2年ほど前に読んだ「鐘の渡り」の続編のような小説集。
80歳になんなんとする作家がこれまで生きてきたなかで起きたさまざまなできごを思い浮かべる短編が並んでいる。
記憶はあちこちと飛び、時系列なく交叉する。
記憶というものはそういうものなのかもしれない。きっちりはっきりと自分のなかにあるのではなく、浮かんでは消えるうちにはだんだんとおぼろにもなってゆく。

これは古井由吉の小説によく出てくる話だが、ここにも戦災で焼けた家が書かれている。
家族の住処だけでなく、岐阜の父方の実家も焼かれた。その焼ける家を見たことが当時幼かった主人公の原風景となっている。
付き合いのあった知人たちも物故してしまった。
病弱で何度も手術を受け入退院を繰り返した主人公はまだ生きている。
そうした不条理ともいえる想いが、3・11の記憶とともに彼にはあるのだろうか。

内向の世代は私にとってもっとも身近な作家たちだ。
それまでの戦後派にも第三の新人にもぴったりとこなかった私に、日本文学のおもしろさを教えてくれたのが内向の世代だった。
坂上弘、高井有一、阿部昭(彼の短編が大好き!)、小川国夫、黒井千次、山川方夫はこのカテゴラリーに入るのかどうか・・
山川は早逝し、阿部昭もずいぶん前に死んでしまった。高井有一は昨年だったか。
どんどんこの世代が消えて行くなかで古井由宇吉は病気がちながらまだ書いてくれている。
いまや日本純文学の大御所である。

このところの彼はこうした老いた人間の記憶にまつわる作品が多くなっているが、もう少し前までの彼が描く男と女には、なんとも言えないエロティシズムが漂っていて、現実とも幻とも判じかねる境界のあいまいさが本当に素晴らしかった。
文学のエロティシズムとは何か?を彼ほど見せつけてくれた人はいないと思う。
私が友人に「内向の世代作家が好き」というと、「なんで?あんな退屈な本」とばっさり斬り捨てた人がいたが、社会性はないかもしれないが、個として生きる人間の孤独を彼らはその作品のなかで表現している。
私は小説とは「個」を書くものだと思っている。そこに社会性があってもかまわないが、それを書く必然hはあくまでも個人的なことと結びついているはずだ。
内向の世代を毎日読むのは疲れるけれど、居ずまいを正すためにも時には読みたい。

この中で彼の親が美濃の人だったと思いだされるのが、「味噌粥」。
風邪でもなく腹をこわしたのでもないときに、久しぶりに味噌粥を食べたはなし。
その味噌はやはり赤味噌だ。
貧しい食事であったろうその味噌粥に彼のノスタルジーを感じる。
各家庭に味噌の匂いがあると彼は書いているが、たしかに味噌は地方色がある調味料だ。
関西では白味噌、中京では八丁味噌などの赤味噌、信州では淡い色の米麹味噌(我が家はそのなかでも甘目のものを常食してます)、東北はどんなのか知らないが特色があると古井は書いている。
味噌煮込みうどんは赤味噌でなくっちゃね。

だけどあの味噌煮込みうどんのうどんってなんであんなに固いの?まるで茹で不足としか思えない。茹で不足だからあんなに芯が残っているのではないかと思うくらい。
名古屋の人はあの味噌煮込みうどんをおかずにご飯を食べるんです。
まぁ、たこ焼きやお好み焼きとご飯よりいいのかな?
中京では味噌煮込みうどんより、キシメンです。
posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

吉田晃子・星山海麻「小さな天才の育て方、育ち方」

ユニークな育ち方をした女性と彼女を育てた親についての本。
副頽には「小・中・高に通わなくても大学に行った話」とある。
学校というものについてだけでなく、生きる上での価値観を問う本でもある。
でもこのタイトルはちょっと違うと思う。なにも親は「天才」を育てようとしたわけではないし、子だって「天才」ではない。

中学生のいじめ自殺が後を絶たない。とてもとても痛ましいことだ。
生命力に溢れるあの年代の子どもが、なぜ自ら命を絶たなければならないのか?
さぞ学校に行きたくなかったことだろう。
でも「行きたくない」とは言いだせなかったのだ。学校へは行くものと周りも自分も考えていて、学校に行けない自分を責めていたと思う。
そもそも親に自分がいじめを受けていると伝えていたのだろうか?
もしも親が「イヤなら学校になんか行かなくてもいいんだよ」と思いながら子どもを育てていれば、子どもたちは逃げ場所を見つけることができたかもしれない。
本来なら自分を絶対的に守ってくれるはずの親に、本当の気持ちを言えない子の寄る辺なさを思うと切なくなる。

海琳さんは6歳で小学校入学、その3日後には登校をしなくなった。
学校には自分にとってわけのわからない理不尽なイヤなことが多かったからだ。
彼女が幸運だったのは、そんな彼女を理解してくれる母親がいたことだ。
「人間はハッピーになるために生れてきた」と信じる母は、子どもを導こうとしたり、教えようとしたりは絶対にしたくなかったし、子どもがイヤなことを押しつけようとはしたくなかった。
たとえそれが小・中学校の義務教育であっても。
(義務教育だからこそ、行かなくても卒業証書はくれるんだよね。)

けれど海琳さんはまったく学校に通わなかったわけではない。
デモクラティックスクール(サドベリースクール)に通っていた。
スクールと呼ばれてはいるが、そこには何もない。坐る場所も自由。したいことは自分で決めて好きなように過ごす。誰も教えないし結果を求められることもない。
だから海琳さんは17歳で「大学に行こう」と決心するまで、99もbe動詞も知らなかったという。
その彼女は数カ月の受験勉強で大学入学した!

学校で教わらなかったといっても、彼女が何も学ばなかったわけではない。
第7章の「娘が携帯を持ったのは6歳のとき」の項にあるように、海琳さんの学びは日常のなかにあったし、その方法がなんとも素晴らしい。
6歳なのでひらがなだけのメールを母親とやり取りしていたのだが、ある日学校の16歳の友達から漢字交じりのメールが届いた。
「なんて書いてあるんだろう」、当然彼女には読めない。
ここからがスゴイんです!
「でも『なんて読むの?教えて』と言われていないので、娘の次の言葉を待ちました」。
すると海琳さんは漢和辞典を出して来て母親に辞書の引き方を教えてと言って、一文字一文字の漢字を自分で調べ始めた。
そして返信メールを書くにあたって今度は、国語辞典を引き始め漢字で書き送ったのだった。

親がスゴイ、子もスゴイ。子もスゴイが親もスゴイ。
世の中の母親の口癖の一つに「早くしなさい」というのがある。短気な私なんか子どもがいたら毎日何度も言っていたと思う。
だけkど海琳さんのお母さんは、待てるんですね。
教えたり、自分でしちゃう方がよほど手っ取り早いのに、彼女はじっと待てる。待って見守れる。
これはできないことだと思う。
「親」という字は、「立木のそばで見ている」と書くのだけど、これこそが親なのだ。
もっとも海琳さんの母は世間一般の概念とは違うんだけれど、というかそもそも固定概念など持ち合わせていない人だ。

まだまだ高学歴を良しとする社会に、こうした子育てがあると知ることは、選択肢が増えることではないだろうか?
「みんなが行くから」「みんながするから」と「みんな一緒」はある意味ラクだもしれない。
子どもがそれで満足していればいいがイヤがった時に「本当にそうだろうか?ハッピーなのだろうかの疑念を一度は持ってもいいと思う。
「学校に行かないと学力が不足するのでは」とか「好きなことだけしているとワガママな人間になるのでは」と不安に思う親が多いだろうが、まずその考えをちょっと振り返ってみること。

私のちょっとした知人の娘一家はアメリカのアイダホに住んでいるが、子どもたち3人は誰も学校に行っていない。
道で見つけた植物は植物図鑑で調べるし、カエルの解剖も本やネットを見ながら自分たちでする。
一人一畝をもらって野菜を作っていて、自分で収穫し自分で料理をして食べる。
また、これはアイダホならではなのだろうが、一人一頭の馬を育てて乗り回している。
まぁ日本の教育現場からするとまったく別世界だが、でも彼女たちはこういう子どもの育て方をしたいという気持ちが強かったからこうしているのだと思う。
これも押しつけと言えば言えるかもしれないが、固定観念にがんじがらめになった育て方よりはいいんじゃなないかな?


日本にはデモクラティックスクールだけではなく、シュタイナー学校などもある。
選べることは案外、あるんです。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする