2017年08月03日

旭屋出版MOOK「珈琲女子」

ナントカ女子という言い方が流行っていますが、珈琲の世界にも女性が次々進出しているようです。
女性バリスタが多くなっているし、彼女たちがお店を持つことも増えている。
一時珈琲店がシアトル系カフェに押されて経営困難になっていたが、最近は新たな珈琲専門店をよく見かけるようになった。
街を歩いていてそうした店でホッと一息できるのはうれしい。
考えてみれば、珈琲の仕事は女性にぴったりだと思う。
重いモノを持つ必要はないし(パティシェとかパン屋というのはけっこう大変)、ローコストでもセンスある店を持つのは女性に向いているような気がする。

我が家は朝食はミルクティだが、一仕事終えたときに楽しむのはやはりコーヒーだ。
午前の10時半ごろの習慣となっている。
本当は午後や夕食の後でも飲みたいのだが、歳をとるとカフェインの影響で夜が眠れなくなる。
いろいろカフェインレスのコーヒーを試してはみるのだが、味に大満足というわけにはいかないし、カフェインレスとうたっていても残っている場合も多いみたいでやはり眠れない。
この本に「インノセントコーヒー」というある女性が開発したカフェインレスが紹介されているが、99.9%のカフェインが除去されているそうで、是非、これを試してみたい。
日本の店にはカフェインレス・コーヒーを置いていないところがまだまだ多いが、眠れない人や妊婦さんなどが安心して飲めるコーヒーを置いて欲しいものだ。

この本には「好みの味を見つける」「好みの淹れ方を見つける」「ペアリングを楽しむ」「コーヒーカクテルを楽しむ」の項に分かれている。
そのどれもに女性が活躍。
好みで言えば、私は酸味のあるのはダメで、苦みの方がいい。
これは焙煎の問題のようで、焙煎が浅いと酸味が強くなるし、焙煎が深いと苦みが多くなるようだ。
昨年、今年と私たち夫婦は友人とともに、コーヒー教室に参加した。
本業はカメラマンという松本祥孝さんという人に、美味しいコーヒーの淹れ方を教えてもらった。
豆の選び方、焙煎のしかた、そしてハンドドリップの淹れ方。

豆はブラジルを基準とするとブレンドしやすいそうだ。
焙煎は強めが私の好み。
そして淹れ方。例えば5人分を淹れる時には、5人分の豆に4人分のお湯で抽出し、後に1人分の湯を加える。
これは決して「薄める」のではなく、最後の雑味やあ澱を出さないためとか。
これを教えてもらって以来、夫はその通りに淹れるようになったが、確かに美味しいですね。

コーヒーもだが、シアトル系カフェのおかげで、日本にエスプレッソが定着した。女性バリスタが続々誕生してもきた。
本場はもちろんイタリア。
でもそのイタリアでも北と南では微妙に味が異なる。これは湯の量の違いだ。
北は湯の量が多いし南は少ない。断然南の方が美味しい。
でもこの量は日本ではあり得ないもので、日本のイタリアン・レストランの食後のエスプレッソの量の多いこと。
イタリアから日本にやってきたレストランでも最初はイタリアの量だが、だんだんと日本向けの量になってしまうのが残念だ。
(食後にカプチーノを注文うする人がいるが、あれはイタリアでは絶対に不可。)
でもイタリアではバリスタはほんとど男性で、女性は見かけない。レジに坐っているのは女主人だけど。
でもバリスタとかバーテンダーが女性って、カッコいいよね。

我が家ではカプセルではなく粉の時代からエスプレッソ・マシーンを使っていて、今は4台目。
ものすごく進化していてカプチーノなんてとても簡単に作れるようになった。
エスプレッソ・マシーン、コーヒー・メーカー、ハンドドリップ・・3種類のコーヒーをその時々で使い分けているが、作るのは夫。
どの家に行っても、コーヒーはご主人担当ということが多いみたい。

コーヒーのお供はなんといっても焼き菓子かチョコレートたと思っているが、この本には「ペアリング」で同じことが書かれていて、「やっぱりね」と思う。
たくさんでなくて、ほんの一粒、一枚で充分。
コーヒーを飲みながら、あれこれお喋りして気分転換。

これを読むと、コーヒーが飲みたくなります。
そして珈琲女子、頑張れ!と応援したくなります。
このあたりには美味しい珈琲屋さんが多い。リゾナーレのなかには軽井沢の丸山珈琲があるし。
でも他の店で珈琲女子はあまり見かけない。
八ヶ岳、狙い目ですよ!来て下さい。そしてとびっきり美味しいコーヒーを飲ませて下さい。
posted by 北杜の星 at 07:39| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

井上荒野「赤へ」

この井上荒野の「赤へ」はあまり評判にならなかったみたいな地味な作品だが、これ、なかなかの秀作だった。
10の短編のどれにも「死」がある。
ふいに訪れる死、覚悟をしている死であっても、死はそれに直面すると平静ではいられない。
病死、事故死、自死、殺人・・
死のかたちはそれぞれ違い、死者との距離も異なる。

直接的な死が出て来ないのは最初の「虫の息」だけだ。
けれどこれにも、元左翼劇団女優の老婆の死ぬ真似がある。だから「虫の息」はこの短編集の助走的小説と言ってもいいかもしれない。

井上荒野の小説はどこか不穏な空気をいつもまとっている。
その不穏さが人々を繋げたり、離したりする。
これもそうだ。
淡々とした筆が主人公たちと周囲にある死との関係性を、客観的なものにしている。

客観的でないのが2編。これは井上荒野の私小説だが、「母のこと」はこのなかでも白眉といえるものだろう。
彼女の母ということは、作家井上光晴の妻。
光晴ほど女にモテた作家はいないと言われていて、家に帰らないこともしばしばだった。
その光晴は癌になって、「死にたくない」とあらゆる治療を受け闘病をしたが、そうした夫とは正反対の妻だったようだ。
井上荒野の母は十数年間、肺がんの治療をしていたが、他の癌も見つかった時に、「これでケリがつくわ」と言い、もう癌治療は何も受けなかったという。
その潔さは他の生活一般にも及んでいて、きっぱりとあらゆる物を整理処分した。そのなかには光晴の位牌もあって、さすがにこれはと、荒野の夫が捨てるのを止めさせたとか。
母にすれば位牌など、ただの木片にすぎなかったのだろう。

母は優しい人だったが、感傷的な人ではなかったと荒野は書く。
歳をとってもスラリと美しく、お洒落にお金を掛けているふうではなかったが、いつも綺麗にしていた。
美味しいモノが大好きで、また料理上手でもあった。
荒野の小説にはよく食べものが出てくるが、この母の料理で育った所以のことだと思う。
そんな母なのに、外食のための外出も厭うようになった。
どこにも行かず、ただ部屋で本を読んで過ごしていた。

そんな母との最期の1年間を共に暮らした荒野の想いがせつない。
一番したかったことは「母に抱きつくこと」だった。けれど母はそういうことを、うるさがる人であったし、もしそれをすると、母に死期が近づいているのを悟られるような気がしてどうしてもできなかったそうだ。
亡くなる数日前まで、弱ってはいても、変わらぬ生活をしていた母の最期の言葉が何だったのか、どうしても思い出せない。
そんな荒野を病院の医師は「だれもが、ドラマのようにはいかない。『ありがとう』なんて言って死ぬ人はいませんよ」」と慰めてくれた。

「母のこと」を読んで、なんて見事な生き方、死に方だろうと思った。
人は生きてきたようにしか死ねないものなのだ。
何事にも執着しないことの潔さが、結局は安らかな最期を導くのだろう。
こんな母を眼前にしたのだから、井上荒野は「大丈夫」という気がしている。何が大丈夫かはよくわからないのだけれど、でも大丈夫。


posted by 北杜の星 at 07:20| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

飛田和緒「郷土汁」

こんなにいろんな食材が全国流通する世のなかになってもまだ、知らない食べものがあるし、その土地に行かなければ味わえない食べものがある。
そうしたものに旅先で出会う歓びは大きいし、そのためにだけに旅する人だっている。
この本には47都道府県の特色あるその地の汁ものが紹介されていて、その数じつに102椀。
味噌汁、吸いもの、すまし汁、すり流し・・
季節を感じる汁が並ぶ。
(ちなみにお吸いものとお澄ましの違いは、懐石料理などに出る汁はお吸いもので、肴としての汁。お澄ましはご飯のときの汁。どちらも透明度が高い汁を言うそうです。)

私はスープを含め、汁ものが大好き。食事の時にはいつも汁が欲しいし、懐石のときにもっとも楽しみなのが椀ものだ。
ところが夫は汁などなくていいという人だった。お味噌汁はむしろ嫌いで、鍋ものは大嫌いだった。
でもここ数年、変化してきた。
ご飯のときに「今日は汁ものは何?」と訊くようになったし、冬には鍋もかなり喜ぶようになってきた。
体の調子が悪いときにはスープを作ってとリクエストがあったりする。
そんな彼のためにも毎日同じ汁ものではなく、目先の変わったのを時にはと思い、これを読んでみた。
美しい写真とレシピつき。
食材調達がそんなに無理ないものが選ばれているようだ。
ご馳走というのではなく、普段の汁というのがありがたい。

汁には出汁が必要。
まずその出汁からはじまる。
昆布、かつお、あごや煮干しなど。(春の終わりに福岡出身の方から、出汁用のあごを頂いて、2ヶ月間ずっとそれを使っていた。ふだんの昆布とかつお以上に濃い出汁がとれて美味しかった)。
でも出汁は魚系からだけではないんですよ。ここには出ていないが、以前マクロビを実践していた頃には、干し椎茸や大豆や干瓢なども使っていた。

それにしても、名前を初めて聞く汁の多いこと。
けの汁(青森)、まめぶ汁(岩手)、どんから汁(山形)、こしね汁(群馬、これは群馬名産のこんにゃく、しいたけ、ねぎの頭文字をとっている)、こくしょ(岐阜)、はち汁(兵庫)、つぼん汁(熊本)、、などはこれまで知らなかった。
有名だが未経験なのはなんといっても、いちご煮(青森)だ。うにが入っているなんて贅沢だなと、いつか食べてみたいと思いながらまだ食べたことがない。

汁は入れる具によって季節感があるのがいい。旬の筍とわかめの若竹汁などはその典型だ。鮭の粕汁は冬ですよね。、夏には冷や汁をご飯にかけるのも食がするむ。
汁をご飯にかけるのは行儀が悪そうだが、ぼっかけ汁なんて本当に美味しい。
そういう時はお漬け物があれば十分。一気に食べてふぅっと息をつく。

具がほとんど同じでも、牛肉か豚肉かで、味噌味にするか醤油味にするかがあるのが、芋煮汁だ。
私の好みは牛肉の醤油仕立ての方だが、どちらも寒くなりかけの季節に大鍋いっぱい作ってみんなで楽しむものなのだろう。
旅行好きだった義父は生前よく「冬の北陸のたら汁は本当に旨かった、あれがもう一回食べたい」と言っていたが、あれも私は未経験なのが口惜しい。

どれも作ってみたいが、あんこが甘そうな汁だけは苦手だな。地方によってはそんなお雑煮もあるようだが、あれは生れた時から慣れていないと無理じゃないかしら。
味噌を使う汁も、赤味噌、白味噌と地方色が出る。
私はどちらも大丈夫な人間で、しじみ汁は赤、里芋や牛蒡には白が好き。
私の超簡単お澄ましは、とろろ汁だ。これはこの本にも載っている。
お椀に塩昆布(すっぽんエキスで炊いた「松の葉昆布」があれば最高)とおぼろを入れて、お湯を張る。それだけ。
塩昆布がなければ梅干しを入れて、出汁醤油をまわしかける。あとは三つ葉を散らせば美しくなる。
何も汁ものがないときとか、東京のデパ地下でお弁当を買って帰ったときなどは、汁はこれに決めている。

夫が「今日は味噌汁はないの?」と訊ねるようになるまで、頑張ります!
posted by 北杜の星 at 07:27| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

ハッチの身辺雑記

ハッチがいなくなってちょうど半年。
「水を変えてやらなくっちゃ」「トイレの砂を取ってやらねば」「あ、待ってるかな?」・・
そんな思いはもうなくなりました。
徐々に彼女の不在には慣れてきましたが、でも、猫のいない暮らしのさみしさはどうしようもありません。
ずっとずっと猫と暮らしてきたのですから、しかたありません。

「ハッチのライブラリー」のこのブログをどうするか?
私の目もそろそろ限界に近づいてきています。
印字本を読む時の私の視野はほんの3文字くらいなので、読むのに時間がかかる。
そうして読んでいるとすごく疲れる。
だから点字本のほうに、読む楽しみが最近では増えてきています。
だけどこちらはこちらで、一冊を読了するのに10日から2週間もかかってしまう。
そんな頻度で読書ブログとして成り立つのか?
それに読書はブログを書くのが目的ではなく、あくまで楽しみのため。追い立てられるように読書をしたくありません。

ずいぶんと考えました。
いろいろアドバイスをしてくれる友人もいます。
それで私なりの結論として、できる範囲でやってみよう。アクセス数はすごく落ちるでしょうが、もともとページヴューは500〜700くらい。
毎日書いていた以前は1000を超えることもあったけど、写真もなくイラストもなく、文章だけの地味なこのブログを、それでもよく訪問してくださるものだと、書いている自分が驚いているくらいです。

友人たちは「これで、田舎に行ったあなたの動静がわかるのよ」と言います。
久しぶりに会った友人が「ブログでいつも会ってるみたいなものだから、昨日会ったみたいよ」などと言われると、こちらとしては「えー、それってちょとフェアじゃないみたい」という気分になります。私のことだけわからないでよ、と。
でも確かに彼女たちの言うとおり。
こんな田舎暮らしのあれこれ、きっと都会に住む人にとっては珍しいのかもしれません。
これまで山口、広島、大阪、東京と住んできたので、各地に友人がいます。もしそれらの人たちがこのブログを私の挨拶がわりと受け止めてくれているのなら、それはそれです。
またこのブログが縁でお付き合いが始まった人も3人います。彼女たち、いまでは私の大切な友人です。
(そのなかの一人はこのすぐ近くに住む人で、一昨日は自家菜園で採れた新鮮野菜をどっさり届けて下さいました)
人生はなにが縁となるかわかりませんね。

これから週に2〜3回ほどしかアップできないと思いますが、それでももしよかったら、覗きに来てください。

ブログといえば私がファンの「ばーさんがじーさんに作る食卓」といのがあります。
現在70代後半の奥さんのばーさんがご主人のじーさんとの二人暮らしの食事を作り、それをじーさんが文章と写真で紹介するもの。
(ばーさんはPCが使えなくて、グラフィックデザイナーのじーさんが替わりに書いているようです)。
このブログはこれまでも大人気で本も出版されています。
彼らは小学一年生のときの同級生。京都の郊外に住み、野菜を育て、まったく外食なしの食生活をしています。
しかもその食事は和食がほとんどなくて、エスニックやイタリアンなど、よく80近くで毎日こんなの食べられるとびっくりするくらい、ハイカラなんです。
このご夫婦の人がらがそのまま伝わってくるこのブログを楽しみにしているのですが、ここ2カ月半、更新されていません。
ばーさんが(多分)脊柱手術をうけられたのしょう。術後のリハビリを含めて再起までに2か月と書かれていたのですが、そろそろ3カ月。
本当に心配しています。
一日も早い復帰をと願っています。

そのことをある友人に話すと、「あなたのブログを読んでいる人にもきっと、あなたの目を心配している人がたくさんいると思うよ」と言ってくれました。
思わず涙ぐんでしまいました。
私が一度も会ったことのないばーさんの心配をしているように、誰かがどこかで同じように私のことをほんの一瞬でも考えてくれているかもしれない。。
なんだかすごーくありがたくて、元気になれますね!

元気をもらうためにももう少し、続けてみようと思います。
でも完全に印字本が読めなくなった時には、その時には、閉じます。

八ヶ岳は例年にないほどムシムシし、湿気が多い夏となっています。
新鮮野菜をたくさん食べて、乗り切ります。
みなさまもどうぞご自分なりの暑さしのぎで、頑張ってください!!
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

三砂ちづる「死にゆく人のかたわらで」

著者の三砂ちづるは津田塾大学教授。母子の健康をテーマとしている疫学者である。
女性独自の身体性にもっと目を向けて、その身体性を元に保健や社会のことを考えようと提案している。
その趣旨がフェミニストたちから誤解されることも多いが、社会的なフェミニズムには賛成だが、身体性という点においては彼女の論旨は正しいと私は考えている。
これまで数冊の彼女の著作うを読み、「そう、女は太古の昔から宇宙の自然とともに生きて来たんだ」とつくづく納得させられる。
男と女の身体の性差はたしかにあるのだ。
その彼女が末期癌の夫を自宅で看取った。
これはその記録である。

この本を読むと自宅で最期」というのが、それほど大変ではないと感じられる。
もちろん、下の世話やときおり起きる昏倒発作は大変だし怖かったことだろう。
でも在宅看護のためのシステムがしっかりしていれば、例えば、在宅訪問医と看護師、ケア・スタッフがしかりしていれば、可能なんじゃないかと思えてくるのだ。
それほど三砂ちづるという人は自然体で終末介護を受け止めてる楽天さがある。
そう、必要以上に思い煩わないことの大切さを彼女は教えてくれる。

夫がある日、喉の腫れに気付き病院へ行ったところ、喉頭癌がリンパに転移したステージWの末期癌で余命6か月と告知される。
夫は団塊世代、名を金蔵という。(戦後生まれとしてはクラシカルな名前で、これは祖父による命名だったとか)。
彼はあの近藤誠医師の初めのころの本の編集者だったことで、近藤医師の信奉者。癌健診を受けたことはないし、転移した末期癌に対して過度な治療をするつもりも、ましてや延命処置も受ける気はさらさらなかった。

しかし告知を受けた直後から、発作が起きて下は垂れ流しとなることが頻繁に起きた。
これは喉にある迷走神経を癌細胞が刺激するために起きるもので、最初に受けた放射線治療で癌が小さくなってからは起きなかった。
また癌が大きくなればそれはそれで、迷走神経を壊してしまうので、発作は起きなくなったとか。

夫はやがて積極的な医療を拒否。家で高カロリー輸液900ミリリットル(これは生命維持ギリギリのカロリー)をしながら、自宅で療養することを選択。
治療はしないが症状に対しては、麻薬系の痛みどめや酸素吸入などを使った。
妻のちづるも仕事を続けた。
夫は死のその日まで、らい客と話をし、ポータブルトイレで自分で排せつできた。
175センチの身長、70キロだったが、体重は40キロを切っていたらしいが、それでも本人もちづるも、その日が最期とは思っていなかった。
安らかに穏やかに、規則的な下顎呼吸の数時間後に亡くなった。

この本には実際的な末期癌の家族を看取るための金銭的なものとか、恐怖などについても書かれている。
夫は民間の医療保険や生命保険にはいっさい加入していなくて、すべてを公的な介護保険と健康保険で賄ったそう。
その金額は合計で月に約8万円だったそうだ。
これも普通の家庭でも、それほど大変でないのではないだろうか。
おおいに役立った介護ベッドやポータブルトイレも介護保険でOKだった。
酸素吸入器も素晴らし性能のものが保健で家に運び込まれた。
日本の医療には不平不満はあるものの、著者は素直にありがたいと感謝している。

この金蔵さん、私よりちょとだけ年上だけど同世代。
彼の性格描写に笑ってしまった。「これって、ホント、団塊の世代だよな」と。
「大学では緑のヘルメットなどかぶって、その世代にふさわしい大学生活をおくり、生涯、「社会派」であることをめざし、金持ちやエライ人はすべて悪い奴だと思い、特別扱いされることを嫌い・・」とあるが、そう、そのとおり、これは私たち世代そのもの。
これだけで金蔵さんに肩入れしながら読んだ。

つくづく近藤誠医師の説が正しいと思う。
何も症状のないう癌が見つかっても、それは癌もどきで、治療の必要はない。
また症状があってしかも転移している癌は、治療しないほうがQOLが保てるし、苦しまないで死ねる。
それを実践した金象さんと、彼を看取った三砂ちづるさん。
どちらにとっても悔いのない2年2カ月だったことだろう。

これを読むと、私の夫が癌の末期になったら、家で看てあげようかなという気になります。
どうしてもできないのは、物理的なことだと思う。
体重が40キロを切ったとしても、もし倒れたら抱え起こすのは、私の体力では無理だろう。
心配なのはそういうこと。それと「死」そのものへの恐怖だが、これは別の問題として自分が克服するしかないのかもしれない。
(私之場合は、あの鎌田實先生の諏訪中央v病院のホスピスで最期を迎えたいと思っていますが。。)
posted by 北杜の星 at 07:04| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

内田洋子「ミラノの太陽、シチリアの月」

「イタリアのしっぽ」を面白く読んだ夫が、内田洋子第二弾として借りたのがこの本。
彼は夜寝る前のベッドでしか本は読まないので、昼間に私が読んでみた。
いくつかの章をを読んで、「あれ、この話し、知ってる。。」。
調べてみると、もうずいぶん以前にこの本、読んだことがあった。
その時は内田洋子という人をまったく知らなかったし、特別な印象も残らなかった。
でも今回は「内田洋子を読みたい」という強い気もちで読んだから、心にずっしりときた。

冬は霧で何も見えなくなるミラノにも、太陽が輝くこともある。
明るいシチリアにも夜はある。
みんなが知るイタリアとは別の顔のイタリア。
それはイタリア在住30年以上、しかもジャーナリストの目で見るイタリアだ。
自分の情緒はできるだけ排してイタリア人を見つめる内田洋子の文章は対象に溺れることなく、イタリア人の心をすくいあげている、
この距離感というか間合いがとても好きだ。

それにしてもフットワークのいい人。
友人に呼ばれると、すぐにそこに赴く。のみならず、そこに住んでしまったりもするのだから驚く。
ミラノの街の運河の前の集合住宅に住む彼女は(現在はミラノではないようだが)、いつもリグーリア州の海辺を恋しく思っている。
「そうだろうなぁ」と思う。
厳しい寒さのミラノの冬、イタリアン・リヴィエラと呼ばれるリグーリアは冬の平均気温15度前後だ。州都ジェノヴァの西は南フランス。
陽光が輝いている。
ジェノヴァの南には美しいリアス式海岸が延びていて、ポルトフィーノや世界遺産で有名なチンクエテッレなどがある。
リゾート地もあるが、観光地化されていない漁村もまだあるのではないだろうか?

私たちはもう20年くらい前にイタリアをオートバイ旅行しようと思い立ち、日本からイタリアにバイクを船で送ったことがある。
船が着きバイクを引き取ったのがジェノヴだったので、あのあたりをツーリングした。
きれいな海岸線の風を受けて快適な旅だった。ポルトフィーノは思っていたよりもはるかに小さな港で、「これが世界的なリゾート地?」とびっくりしたが、海を臨む高台には瀟洒な邸宅が並んでいた。
ランチ時だったがレストランはどこも目が飛び出るほど高くて、次の港まで走りそこの海辺で食べたのだが、魚介のパスタが美味しかったなぁ。
あのあたりに住むのはたしかに悪くない。
ジェノヴァは大都会で買い物に便利だし、トスカーナも近い。
(でも内田さん、結局はリビエラには家を買わなかった。もっと山方面の一軒家に決めたそうだ。海は最近ではすごい混雑で、とても静かには暮らせないとか。イタリアは本当に観光客がすごくて、彼女が『考える人」に連載した「イタリアン・エキスプレス」を読むと、ヴェネツィアにはもうとてもとても行けそうもないというくらい、毎日が大混雑。通りを歩くと人の体に触れるほどらしい。観光地ではない普通の田舎にでも行かないと、ゆったりできない国になってしまった。世界遺産がもっとも多い国だから仕方ないのかもしれないけれど、ため息がでてしまう。)

この本のなかの「祝宴は田舎で」を読み、これまでの私たちのイタリア旅行を思い出した。
田舎を訪れて、そこの美味しいレストランを見つけて食事をするのが好きな私たちだが、そういうレストランは週末ともなると、誰かの「お祝いパーティ」をしていることがよくあった。
卒業祝いの若者たち、洗礼式後の食事会、金婚式みたいなカップルのお祝い・・
田舎のレストランといっても、ローマやフィレンツェから車を飛ばして食事に来る客がいるくらいの店なので、味は保証付きだ。
そんなテーブルを見ると、前菜が3皿、パスタ・リゾットなどが3皿、主宰が2皿、そしてデザート、スプマンテや赤白ワイン、食後酒がエンドレスに続く。
総カロリーは4000くらいになるのではないだろうか。男も女も区別なく平らげるその食べっぷりを見ると、こちらはシュンとなってしまうほどだ。

そんな祝宴だが、「母の日」には当たらないようにしてください。
「母の日」は普段のマンマの労をねぎらって、どこの街のレストランも満員で、旅行者はランチ難民となってしまうからだ。
レストランに入って断られ、うらめしそうに中を覗くと、マンマが真ん中で喜色満面、みんなに囲まれているのが見える。

「ジーノの家 イタリア10景」で日本エッセイスクラブ賞を受賞した内田洋子。
今度はそのエッセイを読んでみます。イタリア事情やイタリア人の心の機微がよくわかると思います。

posted by 北杜の星 at 07:15| 山梨 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

石田衣良・唯川恵・佐藤江梨子「TOROI1 トロワ」

いやはや。。なんとつまんない小説を読んじゃったのか。
ここ数年で最悪の本だった。
登場人物、ストーリー、文章、そのどれもが「なんで、こんなのが出版されるの!?」という感じ。
しかも私はこれを点字本で読んだので、感覚的に耐えられなかった。
最後の四分の一を残して、放り投げました。

「トロワ」というタイトルにはいくつかの意味がある。
「3」人の人物、34歳の作詞家の響樹。
響樹と付き合っている45歳の高級エステサロン経営者の季理子。
銀座のクラブでバイトする24歳の歌手志望の若いエリカ。
彼らの微妙な三角関係の「3」。
そしてこれがこの本の企画なのだと思うのだが、それぞれを「3」人の書き手が文章を担っている。

響樹は石田衣良、季理子は唯川恵、エリカは佐藤江梨子。
佐藤江梨子って作家いたっけ?と訝しがっていたら、彼女は女優さんなんですね。
テレビ、それもドラマをまったく見ない私は今の俳優さんたちをまったく知らない。そういえば「サトエリ」という名前はなんとなく記憶にはあるけど。
彼女、小説も書く人だったのか。

と、思ったけど、小説はこれが初めてなんじゃないかな?
エリカという主人公にちなんで、江梨子さんが抜擢されたのだろう。
でもね、なんとくか、役を引き受けたその勇断にまず驚く。
はっきり言って、ものすごくヘタ、まぁ、ヘタは承知のことかもしれないのだが、気になったのは、石田や唯川の文のなかのエリカとはキャラがまるで乖離している。
とってもつまんない若い女性としか感じられない。
こういう女性を、歌手として売り出そうと努力する必然性いが何も伝わってこないし、若いというだけで魅力のない子に嫉妬する季理子にも全然同情できない。
企画倒れもはなはだしいです。もっとも若い女性の稚拙さを表現しようとしたのなら、これでいいのかもしれないけれど。
それと唯川恵の文は悪くなかったが、石田はいつものように「軽く」「さっさっと」「あざとく」書かれていて、どうも鼻白む。
私はこういう作家の『巧みさ」が嫌い。

点字本は嵩ばるんですよね。だから早々に返却しました。
私が「トロワ」と聞いて頭に浮かべるのは、ルノー「3」という車のこと。
これはルノー・キャトル(4)の廉価版として1960年代初めの2年間だけ製造された車で、もともとキャトルが大衆車なのだけど、そのまた廉価版。
でもこれがシンプルでかわいい。
もう55年くらい前のものなのだけど、これを私のもっとも若い友人のS君が持っている。
ちゃんと整備しているので、スピードは出ないけど今も現役で動く。
この「トロワ」なら大歓迎なのだけど。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

ぐるなび・こちら秘書室編集「接待の手土産」

このシーズン、帰する際の手土産に悩むひとは多いのではないだろうか?
誰かに何かを差し上げるというのは楽しみでもあるが、これが本当に喜んでもらえるかを考えると、なかなか難しいものがある。
我が家はもうほとんど隠居状態なので、以前に較べると頂きものは少なくなったが、それでもいろんな地方の友人知人たちから素敵な美味しい名産品が贈られてくるのは本当にありがたいことである。
それに対し何を贈りかえせばいいのか・・
ここ山梨は(山梨の人、ごめんなさい)名産というものがないのだ。「ほうとう」「煮貝」くらいしか思い浮かばないが、「ほうとう」は冬のものだし、アワビの煮貝は値段のわりにはちっとも美味しくない。

気持ちがこもったものを頂くのはうれしいが、困ることだってある。
二人家族には多すぎる量や数のものは、どうすればいいのかと途方にくれる。
例えば、生菓子の類だ。豆大福も塩大服も大好きなのだが、一度に6個ももらうと困るよなぁ。
その日限定はできるならやめてもらいたいと思う。

一番うれしいのは、「故郷から届いたものだけど、ちょっとお裾分け」というもの。
全国流通が増えていても、まだまだその土地の人しか知らないものがたくさん残っている。そういうのを頂くとワクワクする。
食べ方を教えてもらったりするのも、いいコミュニケーションになる。

悲しいのは、せっかく差し上げたものを一口も食べず、使わずに、他人に横流しする人がいること。
私の親しい人にいるんですよ。そこは頂き物が多いのでわからないこともないのだけれど、頂いたものということを黙って横流しするのは、人格の問題だと思う。
贈った人の気持ちを考えると申し訳ないし、もしかしたら私がプレゼントしたものもそうやって他所に回っているのかと思ってしまう。

これから多くなるのが野菜だ。
起きると玄関に置いてある野菜。軽トラで届けてくれる人もいる。
これはもう大歓迎!つくづくありがたくうれしい。

さて、この「接待の手土産」。企業の秘書さんたちの対談つき。
彼女たちがどんな接待での手土産を選んでいるか?その気の使いようはさすが秘書さん。
相手の年齢、家族構成、嗜好、、いろんな要素を考慮し選んでいる。
接待の手土産というとものすごく高価な品を想像するが(例えば「千疋屋の何万円もするメロンとか)、そんな野暮なものではなく、「いろいろ、あなたのことを考えました」というものが多く紹介されている。

和洋菓子、佃煮、酒類、茶、工芸品・・
このごろのことだからオーガニックや無添加の食品も多くなっている。
接待の手土産というものはつまりは、その家族に持ち帰るものだから、奥様が喜ぶものが選ばれるんですね。

知人に企業のトップの方がいるが、彼が接待ゴルフをする時には、お互いに手土産のやりとりがあるらしい。
その手土産をたくさん抱えて自宅に戻るのだが、彼は一人暮らし。
ハムの詰め合わせをもらっても、社員に分け与えるしかないようだ。
お酒をもらうこともあるけど、彼は下戸。
そんなのならお互い気を使うのを止めにして、手土産はなしにしましょうということにならないもの?
その方が気楽だし、会社も無駄なお金を使わなくてすむとおもうのだけど。
手土産というのはなくならないものなんでしょうね。

安倍首相がトランプ大統領への手土産、何だったか?
それは60万円もする、ゴルフのドライバーのクラブだったとか。。

でも、誰かに何かを贈ろうと思う時には、この本、お役立ちだと思います、ご参考までにどうぞ。
posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

ハッチの週間身辺雑記

19日に関東甲信越地方は梅雨明けしましたが、もうずいぶん以前か暑いです。
でも東京と違うのは、ここはやはり高原。朝晩は長袖を着ていますし、エアコンはまだ一度も使っていません。こう書くとこの暑さ、イヤミのようですが、でもまぁ、冬の厳しさがあるので、おあいこでしょう。

先週はいろいろ出かけたりイベントがあったりしたので、今週はおとなしく過ごしました。
夫は夏風邪をひいたようで、声がハスキーになってしまったのですが、本人は「苦しくは全然ない」とのこと。
それでゴルフは2度プレイしていました。
高原リゾート地とはいえ、夏の昼間のゴルフ場はすごく暑いと思うのだけど、おじさんたち、みんな元気です。

この季節に毎年届く果物。
一つは群馬県みどり市の友人から送られてくるブルーベリー。今年のブルーベリーはひときわ大粒で、すごく甘い!
これはいつもジャムにはせずに、フレッシュなまま食べます。ジャムにするにはもったいない。
カウンターの上に洗ったブルーベリーの籠を出しておいて、そこを通るたびにつまむのが楽しい。
もう一つは沖縄からのパイン・アプル。
これはパイナップルと呼んではいけない沖縄唯一のブランド・パインだそうで、その香の強さはすごいものがあります。もちろん甘みも強いです。
こんな甘い果物をいつも食べていたら糖尿病になるのではと怖くなるくらい。
このパイン・アップルは我が家を訪れた友人知人にお裾分け。みんな「何、この甘さ」と驚いています。

美味しいものを食べた後は体を動かさないと、ネ。
ここのところ数回続けて体操教室に通っているので3、体が軽い。
この体操教室は私がお世話になっている鍼灸の先生が催されているもので、呼吸法をメインとしています。
ここでは私がこれまで経験したいろんなボディ・ワークが取り入れられているので、慣れているせいもあり心地よいです。
東洋的な動きと呼吸法が多く、現在は「棒」を使う中国健康法を習っています。
これがなかなか、難しい。
棒を持ちながら緩やかない身体を動かし呼吸をするのですが、その棒の遣い方がいくつものパターンがあって、みんなバラバラ。
誰も性格に動けていないというか、覚えていないというか、身体だけでなく頭の体操にもなっています。
私はもともと「先端恐怖症」なので、こうした「棒」を使うのは苦手。
30人以上の人が全員「棒」を振り回すと考えただけで、背中が凍りそうですが、なるべく「棒」は見ないようにしています。
この先端恐怖症は小さい頃からで、お裁縫が大嫌いなのもそのせい。
とにかく先がとんがったものは怖いんですよね。

人間にはそれぞれ恐ろしいと感じる対象が異なっていて、あるひとは高所恐怖症とか、狭いところがダメなひと、その反対に広いところがイヤというひともいます。
海老や蟹などの甲殻類がとにかく怖いという三島由紀夫のようなひとも。
よく、奥さんがコワイという男性がいますが、あれはコワイふりをしているだけだと私は思っているのですが・・
そう言えば、いま思い出しました。作家の山口瞳の奥さんは大の飛行機嫌いで、あの飛行機の中でみんなが前を向き坐っていると想像しただけで、気持ちが悪くなると言っていたとか。

この体操教室へは夫は参加しません。彼は私を送って行ってくれるだけ。帰りは友人が家まで送ってくれます。ちょうどお昼ご飯時なので、軽く一緒に我が家で食べてもらいます。
別に特別なご飯ではなく、私たちが食べている普通のご飯。
今週はキーマカレーでした。夏はカレーですよね。デザートは甘夏ゼリー。

夏になるとこのあたりは「虫」が飛び交います。昆虫は男の子なら好きでそうが、歳をとった昔の少女には「敵以外のなにものでもありません。
飛んでいるものはなんでもイヤ。しかもそれに刺されたり喰われたりするのは耐え難いです。
この数日、私と夫は体のあちこちを数か所、何かに喰われて、大きく赤く腫れています。その痒いことったらなく、キンカンの消費がすごいです。
これはきっと絨毯かあるいはソファのマットレスとクッションが怪しいと、洗濯できるものは洗濯し、干すものは干し、大変な重労働をしました。
何が原因か分からない。ハッチは天国にいったけど、これはハッチの置き土産のダニか?
結局、絨毯はいつものところにクリーニングに出すことにしました。
そこに出すといつも電話がかかって来て「煙草の火の焼け焦げがすごいですが、できるだけ修復しておきました」と。
煙草じゃないんです。暖炉の火の粉が飛んで、焼け焦げになるんです。。
そう言えば、薪がハゼ始めたらハッチは火の前から離れたものでした。

今週テレビを見ていて、すごーく懐かしかったことがありました。
外国人が日本に住む理由とかいう番組なんですが、そのなかで広島に住む外国人男性が「がんね」という江田島にある海水浴場がさびれてしまったので、その海岸を復活させようと運動しているという話。
「がんね」という言葉に「えーっ、がんね!」と反応しちゃいました。
「がんね」は昔よく泳ぎに行ったところです。宇品という港から夏だけ海水浴のために出る船があって、それに乗って泳ぎに行ったのです。
当時は「がんね」が江田島であることすらしりませんでした。
そうか、あれは江田島だったのか。。

あの頃は夏になると、ふだんは人の住まない瀬戸内海の島に船が就航して、海水浴客を運んでいました。
海の家をありました。

でもそういう島の海水浴場はすっかり人が行かなくなったんですね。
だって水着や浮輪や着替えなどの荷物をもって、バスや電車で港まで行き、そこから船に乗る・・なんて時間がかかるし大変。
車に荷物を乗せて海辺まで行けば手軽で、もし犬を飼っているなら犬だって一緒に行けます。
広島の人たちは高速道路を使えば簡単に山陰の海にも行けるようになったそうです。
だから「がんね」のような島のところには誰も行かなくなってしまった。
だけど、だからでしょうね、海はとてもきれい。
その「がんね」、テレビを見ているとすごーく行きたくなりました。

ここ八ヶ岳南麓の子どもたちは、どこの海に泳ぎに行くのでしょうか?プールはたくさんあっても海に行きたいですよね。
山梨には海がない。
新潟かな?それとも愛知か三重?もしくは伊豆?
どこに行くにしてもちょっと長いドライブです。
瀬戸内の子どもたちはそういう意味で幸せです。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

河出書房新社「ほかの誰も薦めなくても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します」

ずいぶん長いタイトルだがこれは「14歳の世渡り術シリーズ」のなかの一冊。
14歳で世渡り術を学ぶ必要があるかどうかは別として、この年代って子どもと大人の端境期。
悩み多き年頃であっても若さゆえの希望もあって、いろんなことを吸収するエネルギーに満ち溢れている年代だと思う。
自分のことを振り返れば、何をしていたのかは思い出せないが、本はたくさん読んでいた。
お小遣いはなかったけれど、あまり学校の図書館を利用した記憶はない。
友人たちと本の話をし、貸し借りしあっていたのだろう。
外国文学、とくにフランス文学を読み始めた頃だった。
当時は『外国」がまだ遠く、憧れが強く、文学を読むと同時にそうした外国の香りに惹かれていたのかもしれない。
スタンダールとかモーパッサンとかが主流だったが、コレットやシャルドンヌなどの小品も好きだったなぁ。
むしろい今になっても覚えているのはl、そうした小品のなかの文章だったりする。

偉人伝のような伝記を読む子が多かったが、私はそういう本は昔から大嫌いだった。
なんか自分とはかけ離れた感じがして、リアリティを感じなかった。
今でもそれは変わらないようで、小説とは「小さき者の説」だと信じている。

ここに並ぶのは30人が薦める30冊。
14歳の若い人たちに向けて、大作名作でなくとも「これを読んでみて」と紹介する本だ。(名作もあるけど)。
こういうのに必ずと言って登場する金原瑞人「神様のみなしご」、角田光代「幼年期の終わり」、吉田篤弘「フラニーとゾーイー」。
まぁ、不思議はない紹介だろう。
佐藤優「共産党宣言」、柳沢桂子「棘のないサボテン」、山崎ナオコーラ「肉体の悪魔」も、こういう本が彼らの人生の導きとなったのだろうと納得。
ちょっと意外だったのが上野千鶴子「聖書」とか木田元「宮本武蔵」(でも木田元は型破りの哲学者だから、小ムツカシイ哲学本よりこのワクワク感が良かったのかも)。

このなかでもっとも面白かったのが岡ノ谷一夫先生の「火の鳥」だった。
先生と書くのは、一度だけ講義を受けたことがあるからで、その講義は録音しておけばよかったと今でも思うほど素晴らしいものだった!
現在は東京大学教授で、理化学研究所のチームリーダーとして、動物言語学を通じて、脳と言葉と心のつながりを研究されている。(脳と言葉の関係だけでなく、心とのつながりと言うところが先生のスゴイところ)。
14歳の頃の先生はコンプレックスの塊だったそうだ。
それってよくわかる。私もそうだった。周りと比較して背が低い、胸が全然大きくならない、目ばっかり大きく鼻が低い、好きな教科だけしか成績が良くない・・
自意識のかたまり。そしてその自意識は空まわりするだけ。
先生もそうだったみたいだ。(こう言っちゃ失礼だけど、先生も女の子にもてるタイプではなかったと思う)。
そんな先生は従兄弟の家で手塚治の「火の鳥」と出会う。おそらくリアルタイムで「火の鳥」を読み始めたのだろう。
これまで何度か全集を購入sれているそうだ。
(でも「火の鳥」って、未完なんですよね。)
そのなかでも第4巻の「鳳凰編」を推薦されるのは、「輪廻転生を主題にしているようでありながら、じつは人生の一回性を謳ったもの」なのだそうだ。
先生は脳科学者であるが、もともとは文学部出身である。
科学と人文が先生の中ではうまく結びついていて、それが何より先生の魅力だと私は尊敬しているのだ。

これは私が実感することころなのだが、本は読んだほうがいい。
本からしか学べないことがあるし、人間にとって大切じゅな「思弁」は、本から生れるのだと思うからだ。
もっとも、「何かのためになるから読む」のではなく、純粋に本を読むのが楽しいから読むことが大切だけど。。
posted by 北杜の星 at 07:41| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする