2017年09月02日

ハッチの週間身辺雑記

もう9月。
ぐっと朝晩の気温が下がりました。長袖のTシャツだけでは寒いくらい。
夕方は日が短くなるし、秋は大好きな季節だけど、歳をとるとなんだか心細くなります。
それというのも冬が長く厳しい土地に住むようになったためでしょう。
でも山が本当に美しいのはこれからなんですけどね。

それにしても日本のこのところの豪雨被害は大変です。
これは日本だけでなく、欧州や他のアジアでも起きていることで、地球の気象がおかしくなっているから。
ガイアは私たちと同じく一つの生命体。
その生命体を人間が傷つけてしまったのではないか、人間はもっと謙虚に自然や地球を畏れるべきではないかと思うこのごろです。

今週のニュースはなんといっても、友人が21年間続けたギャラリーを閉じることになったこと。
彼女は北杜市長坂町で「B」という、下部分はコンクリート打ちっぱなし、屋根は茅葺という素敵なギャラリーを経営してきたのですが、8月末で終わりにしたのです。
突然の決定でみんな驚きましたが、ここ数年の彼女の体力気力を鑑みると、限界かなという気もしています。
なにごとにも終わりがあるのなら、まだ後処理がちゃんとできるうちに決心したのは正解ではないでしょうか。
ギャラリーがなくなるのはさみしいけれど、頑張った彼女には「ご苦労さまでした」と心からねぎらいの言葉を送りたいです。
これからはいつでも一緒に遊びに行けるかな?

このギャラリーだけでなく最近はいわゆる「代替わり」が増えています。
ペンション、レストラン、ギャラリー、別荘の持ち主にも変化が見え、例えば私の住むここの別荘地には7軒が建っているのですが、今年2軒のオーナーが替わったのです。
幸い、売りに出された物件はすぐに買い手がついて、すでに新しい方が引っ越して来られました。
彼らはみな50代。今後20年以上の歳月をここで過ごそうと計画されています。
完全に別荘遣いの方も、移住希望で畑をしたいという方も、どちらもこの土地を楽しまれることでしょう。
隣人が若いというのは私たちにとっても心強いことです。

面白いのは、ここに移住したシニアの人たちには共通項があります。
それは子どもに老後を頼る気がさらさらないこと。
なかには「えー、お宅、お子さん居たんですか?」というくらい子どもの話しが出ない家もたくさん。
じっさいに私たちのように子どものいない夫婦もかなりいます。
頼らない代わりに、遺さない。
その潔さは見ていて気持ちいいですね。
まぁ、子どもが外国住まいというケースも多いので、頼ろうにも頼れないという事情もあるようですが。

この「子どもには頼らない」「子どもの世話にはならない」というのは、親は誰もが言います。
でも見ていると、それが言えるのは自分が健康でいられる間。
介護が必要になると、子どもがいる人はやっぱり子どもに頼るようになっています。
それはそれで当然のことだと思います。
子どもだって、放っておくことはできませんよね。

だけど「介護のことを考えると、女の子を産んでおけばよかった」とい私年代のある女性の言葉を聞いたときは、背中が凍りつきました。
こんなことを言うひとがまだいるんですね。
私利私欲のために子どもを産むのか!?
すくなくとも自分の親がこんな親でなくて、私は幸せでした。

涼しくなったので、下の道路から我が家に続く砂利の私道の坂を2往復しています。
この坂はかなりの傾斜で、下の人たちはほんの150メートルなのに、歩きではなく車でやって来るほど。
歩きでも、途中で一休みという人も。
その坂を速足で2往復します。ときに3往復すると息があがります。
毎春ネパールにトレッキングに行くご近所さんすら、「この坂はきつい」と言うほどです。
この坂、脚力だけでなく心肺機能も上がるんですよ。
それ以外に、ときおり体操教室に参加し、毎日室内で片足立ちで大腿筋、腹筋背筋の運動、呼吸法は実行しているけれど、坂道を歩くのはまた別のきつさがあります。

だけど体に一番良いのは、「家事」だと私は思っています。
30分歩くのなら、30分一生懸命に家事をすれば、かなりの運動量になります。
窓拭きは腕や肩を伸ばしながら使うし、脚立に乗るので脚の筋肉も鍛えられバランスも良くなります。
床をはいつくばって水拭きするのは、腰に良いです。四足動物に腰痛はないと言いますから。
体を動かせて、部屋中がきれいになる・・一石二鳥。これほどいいことはないです。

料理は好きでも掃除嫌いだった私ですが、最近は掃除も大好きになりました。
窓拭きなんてそれこそ大嫌い。年に2度くらしか拭いていませんでした。
でも嫌いなことをするのはツライ、オモシロクナイ。
だから好きなことをするのではなく、することを好きになろうと一念発起。
1週間に1度、定期的に拭くようになり、それなりの工夫も重ねるようになって、だんだんと窓拭きが上達してきたら、不思議なことに、好きになった。
我が家のガラス窓は内外を合計すると38メートルもある窓だらけ。
それが汚れていると、どこを見ても汚れていることになって不快です。
最近では「あなたはいつも掃除をしているのね」と裏のSさんが言います。
何でもそうですが、要は「する」「やってみる」ということ。そしてし続けていると、それなりのスキルが生れて面白くなるんですね。
怠け者の私が言うのだからホントです。

でも夫は、きれいになっているのが当然と思うのか、掃除の後も「きれいになったね」とは言ってくれません。
いつもきれいだと、きれいになったのが目立たないのでしょうか。
褒められればもっと頑張れるんだけど、ね。
私は彼が草刈りをしたら、大袈裟なほど「すっきりしたね」「きれいになったね」と言ってあげるんだけど。。
posted by 北杜の星 at 08:46| 山梨 ☀| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月31日

内田洋子「ジーノの家」

このところ夫が内田洋子に凝っている。続けて数冊読んで、まだ飽きないらしい。
とくにこの「ジーノの家」は良かったたらしく、内容をあれこれ私に話してくれる。
聞いているのはかったるいので、ならば私も読んでみようと読んでみた。

これ、日本エッセイストクラブ賞を受賞しているんですね。
彼女が経験した10の物語はエッセイというよりは、短編小説のようだが、じっさいにあったことだからこそのリアリティはさすがのものがある。
人間が体験することが同じであっても、それをどう受け止めるか、そしてどう表現するかはその人の感性と能力にかかっている。
これを書いた時に彼女は在イタリア歴30年以上(現在は40年弱)、イタリアという国、イタリア人という人間への観察眼が緻密なだけでなく、彼らに気持ちを添わしながら暮らしているのが心地よく伝わって来る。

ミラノを書いても、それは華やかなファッションの街ミラノではない。
ミラノには遠く南イタリアからの移住者が多いのだが、彼らの貧しさゆえの闇の世界を覗き見る文章は、ジャーナリストとしての彼女の「眼」ではあるけれど、そこにそれ以上の感情移入があるのだ。
悪の巣窟の中で生きるしかない人達へのシンパシーがそこにはある。

久しぶりにナポリに行って、駅からタクシーに乗る話しがある。「初めてで最後のコーヒー」だ。
タクシーの運転手は彼女をたんなる観光客のいいカモを乗せたと思って、遠回りをしてメーターを稼ごうとした。
しばらくしてそれに気付いた彼女は「運転手さん、そこはもう通ったから、●●をいったん通って上に登って行ってください」と言う。
ここで運転手とケンカしてもお金は戻ってこないし、気まずくなるだけ。それならナポリの街の見物をしながら目的地まで行こうと、彼女は考えたのだ。
彼女はナポリ大学に留学して数年間ナポリで暮らしたことがあるのである。
ギョッとした運転手はおそらく、そうした彼女に敬意を払ったのだろう。●●というところは自分のシマでもあったので、彼女をバールに案内しコーヒーをおごってくれた。
コーヒーを飲んだ後で彼は会計をしたが、チップには多すぎる金額を置き、釣銭を受け取らなかった。
それは「ツケ置きのコーヒー」と呼ばれるもので、もしお金がなくてでもコーヒーを飲みたい人間が来た時のコーヒー代金だったのだ。

ナポリ人はこすっからいと言われる。
確かにそうだ。私たちはナポリで泥棒にあったし、乗る前に決めたタクシー料金だって降りると上乗せで請求されたりした。
でも私はナポリが嫌いではなかった。彼らのこすっからさには陰湿なところがなくて、「多分、彼らなりのロジックがそこにはあるのだろうな」と感じられたからだ。
上乗せ料金を請求した運転手は「早く空港に着くために、一方通行の道を逆走してやったんだぜ」と得意顔で言うのだ。
そんなこと頼んでないよと言いたいのだが、「でも、まぁ、いいか」という気になるから不思議。
だって彼らの日常は厳しい。私たちは金持ちではないがはるばる日本からナポリに旅行する余裕があるのだから。
もし同じことをミラノやフィレンツェでされていたら、猛烈に抗議したと思う。
南の人間はああしてお金を稼いで、「ツケ置きコーヒー」代を稼ぐ。それはそれで良いじゃないかという気になるんですよね。
内田洋子はそういう機微がわかる人間だ。
(私もイタリア渡航歴がけっこう長いので、そういうの、ちょっとはわかる。これは私が歳をとったせいもあるのかもしれないが。

これはイタリアではなくエジプトの話しだが、元NHKアナウンサーの下重暁子さんが夫の赴任先のエジプトに住んだ時、現地運転手さんに市場に連れて行ってもらい、彼女は値切ってしなものを買おうとしたのだが、その運転手は「彼は僕より貧乏だから」と言い値だ買ったと言う。そのとき下重さんは自分がとても恥ずかしかったとか)。
値切るのが当然で、思い通りに値切って買うと「してやったり」と思ってし、言い値で買うのはバカだとか、ゲームを知らないと言われることもあるが、そうばかりではない。
いろんな場所のいろんな人間の事情が分かれば、違う行動ができることもあるのだと私は考えるが、そういうことを私はイタリアで学んだ。

内田洋子の本を読むと、本当にイタリア人がよくわかる。
本音で、衒いのない暮らしのまっとうさは、大変だけど風通しがいい。

別の章に、ある貧しいシングル・マザーが出てくる。ミラノの暴力夫からリグーリアの寒村に逃げて来た母と息子だ。
その母親が内田洋子をランチに招く。
そのランチ、そこらへんに生えているバジリコを摘んでオイルでペスト(リグーリア州だからジェノバのペストソース)を作っているのだが、松の実は高いのでピーナツが入っている。パルミジャーノも高いのでチーズなし。それをスパゲッティに合えている。ランチはそれだけ。
普通、日本人ならそんな貧しい食卓に人は招かないと思う。しかもほとんど知らない人なのだ。
貧しいことはは困ったことだが恥ずかしいことではない。そういう気概が感じられて、そのペストソースで和えたスパゲッティのバジリコのいい香がこちらまで漂ってきそうで、私も一緒に食べたくなる、

内田洋子がこの本で書くイタリアはほとんどがミラノではない。
ミラノは夏は不快で、冬は半年続き、湿気を含んだ寒さが骨にまでこたえるらしい。
ミラノの人たちは新しい展覧会やレストランやクラブやパーティで忙しい。
この春が終わったら日本に帰ろう、夏が終わったら帰ろう・・そう思いながら30年以上が過ぎたと言う。
だからなのか、彼女はミラノを離れて、リグーリアの小さな村に住んだり、修復した船に6年間住んだりもしている。
イタリアに住むのは難儀なことが多くて、と言いながら、その難儀さを自ら求めているようなところがある。

埋もれてしまう人たちの日常をすくい取る内田洋子、夫ならずとももっと読みたくなるもの書きさんです。
posted by 北杜の星 at 07:35| 山梨 ☁| Comment(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

神尾哲男「がんで余命ゼロと言われた私の死なない食事」

まずお断りするとこの本の著者の神尾氏はこの本を発行した2カ月後のこの5月にに亡くなられた。
14年間、癌と寄り添いながらの末の死だった。
「なんだ、死んじゃったんだ」と言う人がいるかもしれないが、だからと言ってこの本を否定しないでほしい。
これは癌患者にとっては読む価値の大きな一冊だと思う。
それは食事はもちろんだが、食事以外の何かも得られると考えるからだ。癌細胞は自分の細胞が変異したもの。だから闘うのではなく寄り添う、つまり共に生きるというスタンスで暮らした14年間の彼の生き方が私は貴いと思うからだ。
そういうふうに生きれたのは、やはりその食事法から得たことが彼の精神にまで作用したからに違いない。

突然の腰痛に救急搬送され、そのまま入院。
前立腺がんが脊髄と鎖骨と鼠蹊部リンパ節に転移したステージWの末期がんと判明。
余命何カ月どころか、現在生きているのが不思議と言われた。

手術、抗がん剤治療を受けたが、神尾氏はそれらに納得できなかった。
知人からマクロビオテックの食事法を聞き、実践してみた。すると体が浄化される感覚があった。
神尾氏はフランス料理のシェフ。
群馬県前橋市においてフランス料理店を経営していた。
食材や栄養の知識はあるので、自分自身でいろいろ調べながら試行錯誤を続けた。
その結果、マクロビオティックの玄米菜食だけではパワーが出ないと気付き、肉や魚を摂るようになるが、無農薬の野菜、添加物のない調味料、糖質の制限などを実践。
医師とはケンカしながら、抗がん剤などの治療を拒否しつつ暮らした。

彼が何を食べたか、食べるのを避けていたか、これを読むと「まったくその通り」と首肯できる。癌患者だけでなく、他の病の人も、あるいは未病を防ぎたい人にとっても、彼の食生活はとても参考になるはずだ。
私はこれを読んで、とくにGI値の高い食物をなるべく除去しようという気になった。
GI値とは血糖の上昇率を表す数値で、食品のGIの低いものを選んで食べるのは、糖尿病だけでなく癌にとっても有効なのだ。
癌細胞にはブドウ糖が多量にくっついている。癌検査のPETはそのブドウ糖で癌細胞を発見する装置。
ということは、癌は糖質を好むのではないかという説がこのところ高まっている。

なにがいけないって、白いご飯、うどんなどは最悪。
もちろん白砂糖は論外。
炭水化物を食べるならば、玄米や蕎麦がおすすめ。野菜や果物であっても油断はできない。人参やバナナはGI値が高いのだ。

GI値の高い食品を摂取していると、高齢になればなるほど悪影響がでる。
血糖値が高くなると、歯周病、血管系や神経系の病気に罹りやすくなる。
私自身はそれほど癌を恐れてはいない。痛みのコントロールさえしてもらえれば、癌はそれほど怖い死に方とは思っていない。
でも脳血管系の病気にはなりたくない。QOLが下がる老後はご免蒙りたい。
人間、なにかで必ず死ぬのだから、死は避けられない。
それならせめて、なりたくない病気にはなりたくないなぁ、
だからGI値、これからの食生活にしっかり考慮に入れたい。

神尾さん、残念ではあるけれど、けっして後悔はされなかったと信じています。
ご冥福をお祈りします。
posted by 北杜の星 at 07:17| 山梨 ☁| Comment(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

保坂和志「この人の閾」

「この人の閾」を20年ぶりに読んだ。これが保坂和志を読んだ最初だった。
正直「これが、よく芥川賞を受賞したな。選考委員ってすごい眼力なんだな」と思った記憶がある。
何もとくべつなことは起きない、普通の女性の暮らしのなかのほんの数時間があるだけ。
退屈といえば退屈。でも「これこそが小説!」と感嘆するものだった。
私はかねてより、小説は小さき者の説だと信じている。大説の反対である。
「この人の閾」はそういう意味で小説そのものだった。

主人公の僕はある人との面会のため小田原に赴くが、すっぽかされてしまう。
出直すにも小田原は遠く、僕は大学のサークルの1年先輩の真紀さんが同じ小田原に住んでいるのを思い出し、彼女に電話した。
真紀さんは30代後半、二人の子どもがいる専業主婦。
彼女「おいでよ、おいでよ」と家に招いてくれた。10年ぶりの真紀さんはちょっと老けて見えた。

ビールを飲み、草むしりをし(させられ)、犬のニコベエと遊び、小学校から帰宅した息子とサッカーの話しをする。
真紀さんは家事の合間に、年に百数十本の映画をDVDで見て、長編小説や哲学書を読んでいる。
彼女は書簡集や随筆は「展開がない」から読み進められないと言う。
またわかりやすいニーチェよりも「ねちねちした」ヘーゲルやハイデッガーの方がいいと言う。
つまりは、すぐに受け止められるものではなく、じっくり見たり読んだりするものが、真紀さんには必要なのだろう。
僕は真紀さんがそういうふうにインプットしたものの感想を、どこにも発表しないことを惜しむのだが、真紀さんにとってはそういうことが重要なのではないのだ。

現在の真紀さんと話しながら、大学のサークルのころの彼女や友人たちとの会話を思い出すうちに、真紀sんという一人の人間の像がだんだんとわかってkる。
それがよかった。
前に読んだ時よりずっと真紀さんを私は理解できたと思う。共感することがたくさんあった。
最後、僕は奈良の平城京跡に佇み(何もない公園みたいなところ)、真紀さんならこういうだろうなと、彼女に想いを馳せるのだが、そのラストも大好き。

保坂和志は「小説を読む時間の中でしか流れない時かある」といつも言っている。
そう、真紀さんはその時間の中に自分を存在させることを、自分のアイデンティティとしているのだ。
そこには何の示威表現はないが、充足したものが確かにある。

ごく日常的なものと知的な会話が混在する「この人の閾」を今回は点字本で読んだのだが、読み終えるのが惜しくて惜しくてたまらなかった。
読みながら何度も夫に、この中の文章を話した。
彼も保坂和志が好きだがこれは未読。ぜひ読んでもらいたい。

彼はかねてより「どんな哲学書よりも小説は哲学そのもの」と言ってはばからないが、この「この人の閾」という作品はそれを体現したものだと思う。
哲学書のように正論を押し付けるのではなく、小説は読む人間の想像力を喚起しながら、問いかける。
だから答えがあるわけではない。あるのは読んで感じて考える時間。
そんな至福の時間を「この人の閾」は与えてくれる。本当に本当に幸福な時間だった。

えーっと、ちょっと困ったな。
この本、じつはこれではなくて、「東京画」を紹介しようと思ったのです。
だって「この人の閾」についてはたくさん書かれているので。
でも書いているとなんかコーフンしてしまって、「東京画」にならなかった。
これについてもぜひとも紹介したいので、日を改めて書こうと思います。
とにかく、保坂和志は大好きな作家で、彼を好きでいる自分なら、自分で自分を愛せるような気がします。
こういう作家は他にもいて、例えば作風は全然違うけど、梨木香歩なんかもそうです。
posted by 北杜の星 at 08:18| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ハッチの週間身辺雑記

先日の夕方、思いがけなく友人夫婦がやって来ました。
なんでも奥さんのKさんが何年ぶりかでゴルフをしたので、その報告に来てくれたそうです。
そのちょっと前に私の夫がKさんに少しゴルフの指南をしたそうで、だからという律儀さ。
でもゴルフの結果を聞いて驚きました。
なんとKさん、前半は46で回ったのだとか。10年近くしてなくて練習もほとんどせずに、46!!
スゴイですよね。
夫は「Kさん、素質があるんだよ。教えることができるんだよ」とは言っていたのですが、それにしてもたいしたものです。
後半はメタメタだったみたいですけど、これで彼女がゴルフ再開のきっかけになればと思います。
だって東京と違って、ここは車でほんの10分か15分でゴルフ場があるんです。ましてや彼女たちはまだ50代。これから30年も夫婦一緒に楽しめます。
だからKさんには是非、ゴルフを薦めたいのです。
(ゴルフが嫌いという人はけっこういてその理由として、「自然破壊」とか「農薬を使うから」とかいいますが、今のゴルフ場はいろんな努力をしています。
ゴルフ場の木を伐った場合はそれをチップにして敷いたり、堆肥を作って蒔いたり、体と自然に優しいグリーン・キープを心がけています。
そうしたことが実ったのか現在では、ゴルフ場があるから自然が保たれていると言われるようになっています。
ここの近くのゴルフ場は夜間は野生動物がいっぱい出没していて、住みつく動物も多いのです。)

私は老後何が幸せかって、夫婦の仲で良いのが一番と考えています。
同じものを食べ、一緒に過ごし、何も特別なことがなくても、毎日を暮らすだけで幸せ。
もしどちらかが健康を害しても、夫婦仲が良ければお互いを思いやり、寄り添えますよね。
こんな安上がりな幸せはありません。

夫婦仲と言えば、Kさんたちがその時に話してくれたことを「いいな」と感じたのですが、彼女たちは見知らぬ80代のご夫婦と一緒にプレイしたのだそうです。
その方たちはどちらかが病後のためもあったのか、ティ・グランドからではなく、グリーン周りのほんの100数十ヤードのところからだけ、プレイされていたらしいのです。
それを聞いて、「あぁ、何歳になっても、どんな状態でも楽しみ方はそれぞれにあるんだな」と思いました。
もしティー・グランドからプレイすると同組の人やあ後続の組に迷惑をかける。だからグリーンまわりだけという気配りもおありだったのかもしれませんが。
これはゴルフだけでなく、他でも言えることです。何もパーフェクトにしなくても、その人のその時の身体や精神能力に応じて楽しめばいい。
楽しもうとする気持ちが大切なのですね。
なんだかその年配ご夫婦から素晴らしいアドバイスをもらった気がします。
Kさん曰く「とても素敵な奥様だった」とか。
私は目が悪くなってボールが追えないし、パットも難しいのでゴルフは止めましたが(もともと上手くならないのに辟易して、何も私ごときがしなくても、と思ったですが、ゴルフは好きでした。フォームを作るための練習も大好きでした。視覚障害者のための「ブラインド・ゴルフ」もあるのですが、そうまでしてプレイす気はありません)。

さて八ヶ岳の夏休みもそろそろ終わり。人出が少なくなったので友人夫婦と久しぶりにフレンチでもと予約したら、これが満席。
日を改めて予約し直して、やっと取れました。
初めて行くレストランだったので「どうかな?」と心配していたのですが、とても洗練されていて味も量もしっかりしたものでした。
この「量」というのが我が夫とその友人夫婦には重要で、外国生活を長く経験した彼らにとっては、小鳥のエサのようなのは論外なのです。
デザートトが何種類もチマチマしてるのもダメ。1種類でいいので食べ応えのあるものを要求します。
そういう意味でも満足のレストランでした。
まぁ、私の意見を言わせてもらうなら、ああまで飾り立てなくてもという気はしましたが。。
日本人って料理に関してあまりにヴィジュアルを気にしますよね。
「わぁー、キレイ!」というのが何よりの褒め言葉となっていませんか?もちろん盛り付けは大きなポイントではありますが、料理は見た目だけではない。
香りもとても大切だと思います。お皿が運ばれてくる時から「いい匂い」がして欲しい。
あまりに飾り立てると、その匂いが薄れてしまう気がします。
料理は繊細さと野性味の両方で成り立っていると私は考えます。

それに説明が長すぎ。あれでは料理が冷めてしまう。
友人も「みんながそれぞれ違うものを頼まない方がいいね」と言っていました。
欧米の人は自分の料理が運ばれてきたら、さっさと自分のを食べちゃいますが、日本人は他の人を待つこと多いので、なおさらです。
でもこうした感想は厳し過ぎるかもしれません。美味しかったですし、サービスもマニュアルではない温かさがあって、今度もまた行きたいと思いました。

その帰りに友人宅に。
そこの奥さんのMさんは3カ月前に、頸椎と脊柱の狭窄症の手術を受けました。
手術は6時間かかったそうです。1カ月の入院を経て、現在リハビリ中。
とてもとても大変な経験をしたと言っていました。でも幸いに、痛みもしびれも取れて、普通の生活に戻りつつあるようです。
日常の家事などがリハビリになるので、今は一応なんでもするようにしていると言っていました。
でも筋肉の衰えは激しくて、固定してあった首の装具を外したら、頭の重さを首が支えられなくて、頭がぐらぐらして困ったとか。
うーん、そんなになるものなんですね。
だけど頸椎と脊柱の二つ一度に受けて良かったそうです。あの苦しみを二度味わうなんて絶対イヤだと。
私も夫もMRIなどで調べれば加齢なりの異常は見つかると思いますが、症状としてはどこも悪くないので、今のところはありがたい。
だってその手術、とても耐えられそうにありません。辛抱のきかない夫は特に耐えられないでしょうね。

歳をとって健康を保つのは至難の技。それも長生きの弊害なのかもしれませんが。。
昼間は暑くても、朝晩は秋っぽい風の吹く八ヶ岳です。
posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 ☔| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

益田美樹「義肢装具士になるには」

「義肢装具士」・・義肢を作る職業の人がいるとは思っていたが、その仕事の内容のことは何もしらなかった。
なぜ私が義肢に興味を持ったかというと、つい最近、私の友人のご主人が膝から下の脚を切断したからだ。
事故ではなく糖尿病の合併症である。
友人が話してくれたことがとてもショックだった。
「病院で切断された脚、どうするか知っている?」
「ううん、どうするの?」
「病院は家族に返してくれるのよ」。
「えーっ、返してもらってどうするの?」
「病院でもらった書類を添えて、火葬場で焼いてもらうの」
「。。。」

現在そのご主人は義肢をつけてリハビリをし、家の中を歩けるまでになったそうだ。
「ぺりかん社」発刊のこの本はシリーズで、医療に関わる仕事をしたい人に向け、仕事の内容や資格取得方法などを教えてくれるもの。
ここにもそうしたことが書かれている。

義肢装具士は国家資格が必要な職業。
働く先は病院や製作所などで、他の医療関係者である医師、看護師、医学療法士などと連携しながら、患者に適合する義肢、義手の他に、車椅子利用者のためのシッティング装具や足に悩みを持つ人のための靴やソールを作ることも含まれるそうだ。
パラアスリートの才能を最大限に引き出すサポートもする。

この仕事、女性にも向いていて、女性の義肢装具士もたくさんいる。
シリコンを使用しての装具作りには器用さが必要だが、それだけではなく、患者の心理に添う神経の細やかさも大切となる。
装具には治療時に使うためのもので、治療が終われば不要になるものもあるようだが、それだって手は抜けない。
機能、見た目など考慮すべき点はたくさんある。

義肢装具士は国内だけででなく、国際協力に貢献できる。
地雷で失った脚に義肢を装着した若い人たちは、仕事に就けるようになる。
そうしたNGOにボランティアとして参加し、自分の仕事を役立てながら世界を見ることができるのは素晴らしい。

義肢義手は今では精密に進化した。
私が幼いころに町で見た傷痍軍人(知らない若い人がいるかもしれないが、戦争から傷ついて帰国した兵隊さんが白い服を着て、物乞いをしていたのだ)の人たちの「脚」。
あれは義肢なんてものではなかった。
棒が1本、白いズボンの下から出ていた。
あれは上をどうやって留めていたのだろうか?
肉に食い込んでさぞ痛かったことだろうし、歩くには不安定だったはずだ。だから松葉杖をついていた記憶があるのだが。
あの棒はとても義肢と呼べるものではなかった。

ハンディのある人が少しでも日常をラクに送れるための装具、これからも日進月歩で開発されてほしいものだ。
そしてそれを作る義肢装具士という仕事も世の中でますます必要とされることだろう。
高齢者社会、糖尿病合併症・・患者は増えるばかりなのだから。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | マ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

中村仁「大往生したけりゃ医療とかかwるな【介護編】」

著者は京都大学医学部卒の医師、現在は老人ホーム付属診療所所長。
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の前作は大ベストセラーとなっている。
老人ホームで数百人ものお年寄りの看取りをしてきて、安らかな最期がどうあるべきかをその経験から書いたこの本、どの頁もそのまま書き写したいと思うほど、私と同意見だ。
買って読んでみてくださいといしか言いようがない。

日本の高齢者は、考え違いをしていると私は感じるとこがある。
老いても元気でいるのが普通で、自分は死なないと考えているのではないかと。
生老病死という言葉があるが、人は老いるし病むし、そして死ぬもの。そうしなければ世界は循環しない。
それなのに、75歳を過ぎても頻繁に健診を受け、ちょっと血圧が高い、コレステロールが多いとなると、すぐに薬に頼る。
薬害もあるんだよと言ってもダメ。とにかく病院や医療を盲信している。
CTやMRI検査を受けたことを自慢しているのだから、もう何をやいわんである。(そうした過剰医療は全部、国民の負担なんですけどね)。

もちろん、まだ50代くらいなら健診もいいだろう。それこそ転ばぬ先の杖で病気の予防となることがある。
でも70過ぎたらそうした検査じたいが体の負担となるし、もし病気が見つかったとして、むしろい放置しておく方がいい場合だってある。
ましてや人生の幕を引く間際になって、ジタバタするなと言いたくなる。これはもう体の問題ではなく哲学の問題だ。
(入院した患者が死んだその日にも、検査予定が入っていたというのを聞いたことがあるが、それって何なのだと憤りさえ覚える)。

患者を苦しめるための検査、治療、それは必要ないのではないか?
あの日野原先生も言っていらしたが、「自分の家族の最期には、点滴はしない」と。
老いて死ぬときは、枯れて死ぬもの。枯れようとする体に水を加えるから、肺炎になり苦しむことになる。
著者は「何もしない」ことで、安らかな最期を迎えるお年寄りをたくさん看取ってきたという。

けれど現在の医師や看護師は、家で人を看とった経験がない。
人は病院で死ぬようになった。そして病院というのは医療行為をする場所だ。
50年ほど前の日本では、人が死ぬのは家でであった。その頃の死は自然で、消えるように亡くなっていった。
点滴も胃ろうもなかった。
今のような高度の医療は、重度の障害者をつくると著者は言うが、そんな医療は死を先送りにするだけではないだろうか。
苦しむ半年より、私は安らかな3カ月を選びたい。
著者は「手遅れで無治療の癌は痛まない」と書くが、高齢者の癌はそうのようだ。
老いた体に毒ガスの成分の抗がん剤を投与してどうするのか?手術で臓器を取ってどうするのか?
QOLが下がる毎日を長らえるだけ。それでも生きていたいというなら別だが、私ならご免蒙りたい。
この先生のいる老人ホームに入居したいけど、先生、私よりずっと高齢だものね。
せめてこうした本を書き続けてほしいと願うばかりだ。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

垣内美雨「嫁をやめる日」

夏葉子の夫は出張と言って家を出ながら、地元長崎のホテルで脳溢血で急死した。
なぜ夫は嘘をついたのか?夫は誰と会う予定だったのか?
夏葉子は夫とは夫婦としてこのところ、心の隔たりを感じていた。
正直、自由になった気がして、さほど夫の死を悲しむでもなかった。
さいわい、タウン誌を発行する編集会社でパートをしていて、記事も書かせてもらえるようになったところだ。
家のローンは夫の死によってなくなっている。赤い屋根のお気にいりの家である。贅沢をしなければここでこれから暮らしていける。

しかし彼女は自由にはなれなかった。
一人息子を失った義母はアポなしで家にやって来るだけでなく、合鍵をつかってしょっちゅう家に入り込む。
大きな仏壇を買って運ばせるし、夫の墓には自分の名前が赤く彫られている。
「お線香をあげさせてください」と見知らぬ人を連れてくる。
思ったことがズバリと言えぬ性格の夏葉子はだんだんがんじがらめにされて、思い悩み・・

この義母という女性、名家の出でとても上品。実家のがさつな母よりも夏葉子は慕っていた。
でも息子がいなくなって、自分たちの老い、娘(夏葉子の義姉)のひきこもりで将来をなんとか夏葉子に託したいと必死。
その行動に節度がなさすぎる。
最初は夏葉子も「いい嫁」と言われることが得意でなくはなかった。
けれど狭い地方都市。いつも他人の目がそこかしこにある。監視されている気分。

そうした時、実家の母がある法律的な方法があると示唆してくれた。
「咽族終了届」がそれだ。
夫亡きあと、夫の家族との縁を法律的に切るもの。
あまりの手続きの簡単さに夏葉子は驚くのだが、身元証明書、配偶者の死亡日時の記入、印鑑のみ。保証人も配偶者の家族の書類も不要。
もし名字を旧姓に戻したかったら、それもまた超簡単だ。

東京では考えられないほど「嫁」という立場で苦しむ女性が地方都市や田舎にはたくさんいると思う。
名家と目される家ならなおのことではないだろうか。
東京育ちの夏葉子は夫が生きていた時には疑問を持たなかったがが、夫亡き後までも縛られるのはたまらなかったのだ。
私の知人で東北の男性と結婚した人がいる。離れて暮らしているのに、何かと言うと「長男の嫁」としての役割を押しつけてきて、友人は何年か後にとうとう我慢がならなくなって離婚した。
けれど夫のことは好きだったので籍だけ抜いて、事実婚としている。
面白いのは、籍を抜いたら義両親からの「長男の嫁」としての要望や期待や締め付けは皆無となったそうである。つまりは赤の他人ということ。
「本当にうっとうしかった。夫には『何も私たちの間は変わらないから』と言ってあるし、何も二人の間は変わらないの」とホットしている。

私自身は「嫁」として何も強制されたことはない。もともと嫁とか姑とかの関係性を考えたことがない。
他人が他人に持つ礼儀や親愛があればそれでOKとずっと思ってきた。それが良かったのか舅姑で苦労したことは一度もない。義母とは一緒に食事に行ったり、歌舞伎を観に行ったり、実母より気が合った。
こういうので悩むって、不毛だもの、私はラッキーだったと感謝している。

お盆休みも終わたが、帰省客へのテレビなどのインタビューで「田舎はよかった」「楽しかった」とかの言葉を聞くたびに、その家のお嫁さんのことを思い浮かべてしまう。
義理の家族の帰省のための準備に、布団を干し、料理の買い出しをし、掃除をし、滞在中はしゃかりきに働き、帰った後は後でまた布団干し、掃除・・
「こんにちは」「さよーなら、またね」と来て帰る気楽さを支える「嫁」って、大変だ。
夫が死んだ後も縛られるなんて、ホント、あり得ないことだ。

縁がって「家族」になったのだから、その縁を大切にしたい。でもそう思える「距離感」もある程度は必要だと思う。
この「嫁をやめる日」、つくづく夏葉子の肩を持ちたくなります。
posted by 北杜の星 at 07:01| 山梨 ☀| Comment(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

原田ひ香「ラジオ・ガガ」

深夜ラジオを心の友として青春時代を送った人って多いんじゃないだろうか?
オールナイト・ニッポンのファンは私の年代に結構いた。
でもあの番組、今も健在なんですね。知らなかった。
私は深夜ラジオのリスナーではなかった。ベッドに早く入って本を読みたい私だったので、ラジオは視野には入っていなかったからだ。
それに誰かのお喋りをずっと聴くのもあまり好きではなかった。
だからレモンちゃん(落合恵子)も知らなければ、タケシも、ましてやオードリーもナインティナインも知らないできた。
(ラジオをまったく聴かないわけではなく、起きたらすぐにNHK・FMをつける。「クラシック・カフェ」を放送していて、その朝がバッハだったら一日がご機嫌で始まる)。

この「ラジオ・ガガ」には「人生で大切なことはみんな深夜ラジオが教えてくれた」というリスナーたちが主人公の短編集。
流産後、会社から帰る夫を待ちながら聴いたタケシ。以来ずっと深夜ラジオを聴き続け、今は伊集院光を聴いているケアハウス入居の老女。
娘を寝かしつけ深夜のラジオ・ドラマの脚本執筆をする主婦。
売り出し中のお笑い芸人と同級生だった夫に、テレビ局からの出演オファーが来た夫。
などなど、5篇が収録されている。

これを読むと伊集院光もナインティナインもどちらもなかなかの人物みたいだ。
彼らが深夜ラジオで話していることに共感し、時に慰められ、時に人生の方向の舵とりをしてもらう人たちっているのだろうな。
そういう「支え」となっているのを、パーソナリティの彼らは知っているのだろうか?
知っていたとしたら、どんな気分なのだろうか?
と、変なところに思いを馳せてしまった私。
なにげなく話す言葉が聴く人にとって重大なナニカになってしまうのは、ちょっとひるむところがあるけれど、とにかくその番組は一方通行ではなく、彼らが話すことがある意味、ストレートに受け止められるのは、彼らが高みからモノ申してるのではないのを、リスナーがよくわかっているからだろう。
失敗や失意のときの自分たちを正直にさらけ出していることへの好感もあるかもしれない。

それにしても原田ひ香って、いつも深夜ラジオを聴いているか?そうとしか思えない深夜ラジオの知識だ。
それとも本を書くために聴きこんだのか?
深夜ラジオが大好きな人にとってはこれ、とても面白いものだと思う。

原田ひ香は「東京ロンダリング」以降、目の付けどころの良いテーマで小説を書いている、
でも私はデビュー作の「はじまらないティータイム」が今でも一番好きだ。
説明をしすぎない物語には、小説としての完成度は低いが不思議な魅力があった。
ああいう方向に行く作家さんかと期待したのだが、完全にエンターテイメント系に行っちゃったんですね。
ちょっと残念だけど、これは私の感想であって、原田ひ香のファンは年々増えていると思う。それはそれで悪いことではないです。
この「ラジオ・ガガ」も楽しめる作品ではありました。
posted by 北杜の星 at 07:21| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

ハッチの週間身辺雑記

すっかり太ってしまったので、これから2週間かけてちょっとダイエットと思った矢先に、新しいパン屋さんを発見!
元はここはシフォンケーキと草餅の店だったはずが、いつのまにかパン屋さんに。
パンと聞くと素通りできない夫なので、入ってみました。
自家製天然酵母の焼き色の素敵なパンが並んでいます。天然酵母のパンにしてはソフトな感じ。(でもふわふわではない)。
早速、リュスティックとカンパーニュを買って帰りました。うん、美味しい!
ここ八ヶ岳の北杜しはなにしろパンの激戦区。美味しいパン屋がひしめいていて、どこもそれなりに流行っているんです。
お気に入りのパン屋がそれぞれ各家庭にあるようで、カンパーニュはあそこ、フランスパンは石釜焼きのあそこでなくcっちゃ、ライ麦パンはここ。。
グルテンフリーもなんのその。美味しいパンはやはり豊かな気持ちにさせてくれます。
私は菓子パンの類も、中にクルミやレーズンなどが入ったパンも、野菜などが練り込んであるものも好みではなくて、小麦粉やライ麦そのものを味わいたいので、プレーンなのを求めます。
パンを食べる時は、ホント、ここに住んで良かったと思います。
それにしてもなぜ、北杜市はパン屋さんがこれほど多いのでしょうか?

なんだか今週はほとんど食べる話しとなってしまいましたが、どこに行っても人がすごくて、家や友人宅で飲み食いするしかできなかったのです。
インテレクチュアルなことが何もない一週間でした。オハズカシイ。
来週は点字書きの練習をして先生にお手紙書きます。それと点字でちょっと小ムツカシイ本を読む予定。
それからやっぱり、ダイエットしなくっちゃ。このままだと、「Sさん?あのお腹が出てる人?」とを言われそうですので。
posted by 北杜の星 at 07:28| 山梨 ☁| Comment(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする