2017年07月19日

津村記久子「まぬけなこよみ」

一年は二十四節に分かれ、それがまた七十二候に分かれるというのは、俳句を詠むひとはよくご存知だろう。
暮らしの季語がそれぞれにあって、俳句には季節を表すそうした季語が不可欠。
私は俳句をしないのでそういうことに疎いから、これを見て初めて知る言葉が多かった。
(こんな年齢になって恥ずかしいことだが、世の中は知らないことばかりなんですね)。

津村記久子が編集者から季節のお題をもらって書いた七十二候72編のエッセイがこれ。
一年72編というとほとんど5日に一つという割合で、それでは忙しかっただろうと思っていたら、2年間にわたって連載されたものらしい。
お正月の初詣でからはじまって、除夜の鐘まで、彼女の日常、ちょっと非日常までが書かれている。
彼女は関西の人なので関西に関するあれこれが多い。
(つい最近読んだ町田康のなかに、津村記久子が「うどん玉が40円以上のところには住めない」と言っていたということが書いてあった。
大阪生まれの彼女にはうどんは常食であって、それが高いのは大いに困るのだそうだ。)

食べもの、行事、動植物、気候、四季の言葉そのもの・・
たくさんのことがらを一年の月日を追っている。
だけど、どうだろ、これ?
一度に全部読むのはちょっと退屈というか、中だるみがある。それは書く方のせいではなくて読む方の問題だと思う。
電車の中などで細かい時間の間に開いた頁を読むと、感じるものがあることだろう。
もともとが「脱力系」の読物だから、そのほうがいいと思う。

「骨正月」という言葉、初めて知った。
骨休みの正月?それなら15日の藪入りだけど。。と訝る気持ちだったが、骨とは鰤の骨のことだった。
お正月の鰤が1月20日頃には、骨だけが残る状態となっている・・ということらしい。
冷蔵庫のない昔、よく鰤が20日までもったものだと思うが、大事に大事に食べていたのだろう。
大きな鰤が骨だけになった姿が目に浮かぶ。

これを読んで再確認したのだが、津村記久子というひと、書く力量のある作家さんですね。
その書き方はとても丁寧。几帳面な性格が覗いている。
イヤ味でない巧みさはなかなかのもの。
かなり好きで期待する作家さんです。
posted by 北杜の星 at 07:18| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

江口恵子「普段使いの器は5つでじゅうぶん。」

著者はフード・インテリアスタイリスト。
仕事でたくさんの器と接してきた。
けれどある日ふと気がついた。毎日使う器は案外、いつも決まっている。。
お気に入りの小ぶりな皿は、朝はパン皿、昼はケーキ皿、夜は銘々皿として使いまわしている。
それならば思い切って、器を減らしてみたら?

そう、その通りです。
私を悩ませているのもそのこと。
他のいろんなモノは処分できつつあるのに、好きで集めた器は台所の棚にぎっしり。そのほとんどがけっこう高いお金を出して買った骨董なので、ケチな私はなかなか手放せない。
でもこの著者の言うとおりなのである。
普段使う皿はいつも決まっていて、お客様の時だけのご登場となるものが多い。
しかしそのお客様用だって、どうしても奥から出さなければならないというわけでもないのだ。

5つは無理としても、7つくらいにならないものか?と思うのだが、日本の家庭で食器が多くなるのには理由があって、日本では和食はもちろん、洋食や中華を自分の家で作る。
(こんなことは他の国ではありえないんですけどね)。
だから、多種多様の食器が必要となる。
丼だって、親子どんぶりの丼とラーメンどんぶりの丼は別となると、食器はいや増しに増す。
お椀にしても、普段のお味噌汁の椀と、お正月のお雑煮用の椀は違うしね。

なんとか食器を三分の一にしたい、せめて。。
と、この本を救世主のように手に取った。

たしかに、勉強になりました。
こういうふうに考えればいいのだと、その割り切りかたに感服。
でもどうしてもダメというか、イヤなこともあったかな。
それは、MUJIやIKEYAの食器がどんなにシンプルで使いまわしがきいても、あれらは使いたくないなぁということ。
骨董の肌触りに慣れてしまった私たち夫婦にとって、あれらはあまりに質感も情緒も無さ過ぎるような気がする。
お椀だってちゃんとした塗りのものを使いたい。

あの高峰秀子は歳をとっての台所仕事がラクになるようにと、食洗機に入れられない食器を手放したそうだ。
あんなに骨董が好きで自ら「ピッコロ・モンド」という骨董店を持っていたほどの目利きの人だというのに、さすがだなと思う。
その彼女のきっぱりさが、私にはないんですよね。

飯椀、汁椀、丼、大皿、スープ兼用のパスタ皿、中・小取り皿、小鉢、湯呑、グラス(これだって水、ワイン、ビール、シャンパンと種類があるのだけど)、あとはお客様時の大鉢と特大皿。
これくらいで収まるようにできればいい。
皿はみんなが同じお揃いでなくても、普段自分たちが楽しめるように別々のものでも構わない。

よーし、頑張ってみよう!
ある断捨離の本に「モノは7割を減らさないと、目に見えて減った感じはしない」とあったが、7割は最終目的として、まず半分。
問題はその処分する食器を、売るのか、だれかに差し上げるのか、それとも捨てるのか?
うーん、捨てるのは悲しい。。売るのは面倒。もらってくれる友人を探してみましょう。
posted by 北杜の星 at 07:59| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

高橋順子「夫・車谷長吉」

私はかねがね、詩人高橋順子と作家車谷長吉の夫婦としてのアンバランスさを不思議に思っていた。
順子を聖母もしくは天使とするなら、長吉は悪魔としか考えられなかったからだ。
それほど車谷長吉にはエキセントリックで、底意地の悪い悪意の塊というイメージが強い。
その性格の暗部はやりきれなくなるほどだった。
(私の友人で長吉をよく知る人がいたが、彼女は彼のことを「本当に残忍な人間、大嫌い」と言っていた。)

私小説家というものは、まぁ、誰もが暗いし、偽悪家ぶって暗い小説を書くものだが、どこかに「しかたないよな、こんなヤツでも」と許容できるし、かわいい部分も感じられるのだが、長吉にはそれがない。
だから順子という美しい小鳥が長吉という猛禽類に捉えられてしまって気の毒に。。という気持ちがあった。
事実、長吉は結婚するまで「猫をかぶっていた」と自分で書いているらしい。

車谷長吉の代表作は「赤目四十八瀧心中未遂」だろう。これは映画化もされている。
しかし彼の名を有名にしたのは朝日新聞の人生相談「悩みのるつぼ」においてではないだろうか?
これが人生相談の解答?というくらい意表をつかれる答えは、首肯できるかできないかは別として、読み物としておおいに楽しんだ。

長吉は1歳年下の順子に40代なかば、11通の絵手紙を送った。
順子が49歳のときに結婚。二人とも初婚だった。
小説家と詩人の孤独な魂が都会の片隅で結びついたという印象だが、その後20年にわたる結婚生活が穏やかだったはずはない。
順子の友人たちに対する長吉の悪意など、順子は長吉が破壊した人間関係の修復に心を砕かねばならなかったし、長吉の強迫神経症にも長い間付き合わされた。
一緒に散歩をしていても「その服は嫌いだから、着替えて下さい」と言われる。
簡単な連れ合いでは到底なかった。
それでも両者は一度も「離婚しよう」とは言いださなかったという。一度でもそれを口にしたら、すぐにそうなってしまうことを二人は知っていたのだ。

ともかく、長吉の直木賞受賞などを経て、結婚は続いた。
驚くことに、ピースボーとで2ヶ月間におよぶ南半球世界一周にも二人で出かけているのだ。
白人嫌い、飛行機嫌い、たばこが吸えること、そして2か月も独りで留守番したくない彼にはぴったりの旅だったようだ。
2か月余りの旅は四国八十八か所お遍路の旅も一緒にしている。これも長吉が留守番をしたくなかったあkらだと言うが、後にちゃんと本にしている。

長吉は慶応義塾大学卒、順子は東京大学卒といういわばエリート。
でも二人の暮らしにはそんな匂いは皆無だ。まるで地を這う暮らしに近い。それは経済的なことだけでなく生き方がそうなのである。
それはどちらも地方出身者ということが影響しているのかもしれない。
順子は千葉のひと。(大震災の津波被害で実家が半壊している)。長吉は姫路のひと。
長吉は基本的には瀬戸内海の魚しか好きではなかったらしいが、これってよくわかる。
私も魚は北のものはダメだ。ほっけもにしんも好きではない。
魚は鯛、ひらめ、おこぜ、めばる、この季節なら鱧・・
こう書きならべるとどれも高級魚となってしまったが、私の子どもの頃は鱧なんて「また鱧なのぉ?」というくらい日常的で、照り焼きとか煮つけで食卓に出された。どんなに骨切りしてあっても子どもにはやはり骨が気になった。

どんな夫婦でも同時には交通事故でもない限り死ねない。
長吉との不意の別れは、長吉が喉にビールのつまみを詰まらせての窒息死でやってきた。
いろいろ大変だったろうが、少なくとも、退屈はしない結婚生活だったと思う。
その生活を淡々と絶妙な距離感で書いた高橋順子というひとは、見事というほかないです。

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2017年07月15日

ハッチの週間身辺雑記

豪雨の地域があるというのに、ここ八ヶ岳南麓は空梅雨気味。天気予報で雨の日も、前日の予報では曇りに変わり、でもその日になれば快晴。
そんな日々が続いています。
田んぼは大丈夫かと、野菜一つつくってない私ですら心配になります。

1週間前、ある講演を聴きに行きました。
講演をしたのは、1968年生まれの小林幸一郎さんという視覚障害を持つ方です。
彼はフリー・クライミング、ボルダリングの世界チャンピオン。
目が見えなくて、岩登りができるの?そんなことがどうして可能なの?
それが知りたくて、小林さんの話を聞いてみようと思ったのです。

小林さんは16歳のときにフリークライミングを始めました。それまで運動は大嫌いだったとか。
けれど28歳とときに失明を告知されます。網膜色素変性症という遺伝子の病気でした。
失意でいっぱいになりながらも、彼はフリークライミングは諦めませんでした。
そしてイタリアやフランスでの競技において、世界チャンピオンとなったのです。
彼の競争相手は190センチの身長のスペイン人やイタリア人。小林さんの身長は157センチです。スゴイですよね。
彼の話しを聴いていると、出来ないことはないんだな。自分が自分で壁を作っているのだと、つくづく思いました。
「自分が何をしたいかがわかると、必ずそれを助けてくれる人がいる」という彼の言葉が印象的でした。
運動オンチの私もちょっとフリークライミングを試してみたくなりました。今度機会があれば、是非、と考えています。

月・火と一泊で、草津温泉に4組の夫婦で行ってきました。
8人のなかで草津に行ったことがある人は3人。でも誰も旅館に泊ったことはない。
東の草津、西の有馬と言われる超有名な温泉地だというのに。
もともとあまり温泉フリークではない私と夫は、大きな温泉街のある温泉地に興味がなかったのです。でもいろいろ調べていて、泊ってみたい宿が草津に見つかりました。
「さぁ、予約」と電話したら、2組までしか受け付けないと言われました。つまり騒がしい客はお断りという落ち着いた宿なんですね。どうりでネット予約をしようとすると、どの日も「2組」の空きと書いてあったはずです。
「静かにしてもダメですか?」と聞くと、大笑いされて「すみませんが。。」と断られました。
それで、その宿の本館というか親旅館に宿泊することに。ここは100年以上前のシブイ素敵な木造建築。でも設備は新しく快適で、食事もとても満足できるもので、みんな大満足。
初めて体験する草津のお湯も、こんなのに毎日入っていたら、どんなに美しいお肌になるだろう・・と思うほど。

これまで写真や映像でしか知らない「湯畑」は、宿から徒歩8分。そぞろ歩きの温泉街は思いのほかしっとりしていて、建ち並ぶ お土産屋や旅館など、けばけばしくなく品があって、さすが草津と感心しました。
「湯畑」は、もし教会でもあればまるでどこかヨーロッパの町の広場のよう。
温泉玉子や温泉まんじゅうなど、「これぞ温泉」というお土産を買い込みました。(群馬って、あまり名物がないんですよね。下仁田ネギとかうどんとかこんにゃくくらい)。

だけど、私、見つけたんです!
靴フェチの私の本性が出ちゃったのです。そう、靴の店。そてもスニーカーの店です。
ここに興味を持ったのは私だけでなく、Kさんという女性もでした。
メンズもレディスのスニーカーもあるのですが、他の人は眺めるだけ。私とKさんは俄然、買う気まんまん。
夫が「こfれが、いいんじゃないの」と見てくれたのは、なんとラッキーにもアウトレット品。ちょとワケありの商品で7000円引きとなっていました。
そのワケとは、ウィンドウに飾っていたため、太陽で少し色落ちしていたのです。
Kさんも素敵な品を購入。意気揚々と旅館に戻りました。

私が買ったそのスニーカーは、広島のブランドで、なんと私が数年前に広島に行ったときに、たまたま履いて行った靴がダメになりデパートで買ったのと同じだったのです。
「spingle move」というブランドです。
ここは以前はゴム長靴とかゴム手袋とかを製造していた会社で、何年か前から若いデザイナーたちを登用してスニーカーを作るようになったところです。
現在では伊勢丹三越や東急など、全国展開するようになったのです。
それにしても草津温泉にその専門店があるなんて、びっくり。
派手な色のスニーカーが欲しかったので、きれいな赤茶はうれしいです。一昨日Kさんに会ったら、彼女も買ったのを履いていてお互いニッコリ。

草津の帰りには、上田でルバーブのジャムや「ル・ヴァン」のカンパーニュ(私はル・ヴァンのパンが一番好きです)を買って、友人から教えてもらった山の中の自家製チーズ屋さんで、フレッシュの山羊のチーズやカチョカヴァッロも買って、帰宅。
これは本当に美味しいチーズでしたが、通販はしていないみたいで、あそこまで1時間半以上かけて行くしかないのか。。
曜日によって作るチーズが違うそうで、木曜日にはモッツァレッラがあるそうで、木曜日を目がけて出かけられればと考えていますが、これからの季節は、白樺湖方面はすごい混雑となりそうですよね。

14日はこちらのギャラリーで開催中の「エメラルド展」をのぞいて来ました。
このエメラルドのジュエリーは川添微さんという女性が、コロンビアの山奥に危険を顧みず自ら赴き買い付け、自分でデザインしたもので、この模様はテレビの「情熱大陸」で彼女が取り上げられたことで、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こちらのギャラリーで数年に一度、展示即売をしています。
今は結婚しバリ島に住み、二人の子どもを育てていますが、以前と変わりなく、いいえ、以前にも増して素敵な女性になって、エネルギー全開で生きています。
エメラルドはスニーカーと違って「これ、下さい」という値段ではないので、とても買えません。

でもお金があっても、エメラルドは私の石ではないような気がするのです。
緑石や赤の石には昔からまったく惹かれません。私を魅了するのはラピスラズリの深い青なのです。どいういうわけか昔からあの青が好きです。
「微ちゃん、ラピスは作ってもらえる?」と聞いたら、彼女は「私は石のコレクションは、ドラム缶3つくらい持ってるから、できますよ」とのこと。
彼女はラピスのためにスリランカに行きたいと思っているとも言っていました。
よくヨーロッパの女性で、いつもいつも同じピアスやネックレスをしている人がいますが、私も「あぁ、あのラピスの人ね」と言われるようになりたいのです。
さいわいにもラピスはエメラルドのように高価な石ではありませんが、今やとてもビッグになった彼女に、こんなお願いをしていいものかと逡巡しましたが、彼女は「ううん、リフォームのデザインとかもしてるから」とのこと。ラピスのデザインは楽しみと言ってもらえたので、ホッとしました。

きっと誰にもその人の「石」があるのだと思います。
自分に合った「石」を身につけていると、守ってもらえるような気持ちになります。その感覚は、自分と地球の太古からの何かとつながる感じなのかもしれません。

そして昨夜はチキンカレー・パーティ。
夏はカレーが食べたくなる。つい10日前に友人が来たときにもカレーだったのだけど、また作りました。
いろいろ夏野菜が出て来たので、どっさりのサラダを添えて。
カレーだとみんな気兼ねなく食べてくれるのがいいですね。

そんなこんなのハッピーな1週間でした。
posted by 北杜の星 at 07:36| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

新郷由起「絶望老人」

若い世代に較べてシニアは優雅な老後と言われてきた。
戦後日本の経済発展を支え働いてきた人たちだから、年金も貯蓄もたっぷりあって困ることはないと。
しかしこの本を読むとその世代であってもまさに「絶望老人」の道を歩いているのがわかって恐ろしくなる。
そこには社会的要因も当然あるのだが、「老いる」ことの悲惨そのものが横たわっている。
でもそれははたして「自己責任」なのか?「自己責任」を問うだけで解決できるのか?
つくづく、老いることの難しさを感じさせ暗澹たる思いになる本だが、だからこそ、読むべき本でもある。

老人を狙う詐欺が多い。
他人が騙すならまだ「あり得ること」だが、血縁にも注意が必要なのだそうだ。
強欲な子どもたちもいるし、他にも無心を迫る親族もいる。
他人なら断れもしようが、身内であればむげにはできない。
ずるずるとしているうちに、老後破綻してしまう。。

私たち夫婦には子どもがいないから、最期は老人施設でと割り切っている。
それを「不幸」と考えるひとたちもいるのはわかっているが、子どもがいるからといって「同居」というのは都会では難しい。
二世代。産世代住宅が建てられたとしても、だからといって同居がスムーズにいくとは限らない。
むしろ「子どもがいるのに」ということにもなりかねない。
その点、最初から子どもがいないければ、それだけの覚悟が生まれる。
ここにも書いてあるが、「同居は地獄」「施設は天国」との事実があるそうだ。

じっさい老人施設に入居すると長生きするらしい。
温度調整はしっかりしてあり、食事は栄養士が考えてくれ、水分も時間がくれば補給してもらえるので熱中症の心配はない。
適度なリハビリ運動はあるし、趣味のサークルだってある。時々コンサートなども行われる。
絶えず人との交流があるので孤独ではない。
だから長生き。保証人の子どもなどの方が先に亡くなることもけっこうあるらしい。

もっと高級な老人ホームだと、これはもう至れり尽くせり。
だが入居者の顔には精気がなく、会話もないという。
長生きはしても認知症の可能性が高くなる。

(私たちは老人ホームに入ると決めているが、それをある女性に話したところ彼女は「うーん、私は食べることは一生自分でしていたいな」と言った。
その言葉は私の胸にグサリときて、「そういう考えもあるし、それが「生きる」ということかもしれないなと考えさせられた。)

男性の独居は女性と較べると悲惨だ。
居場所がなくて安居酒屋に入り浸り、果てはアル中。
独居ではないが、私の友人女性は夫婦仲が良くなくて、彼女は外出好きで毎日を楽しんでいたが、夫は退職後友達もいなくて毎日朝からお酒を飲んでいた。
それが15年以上続いて結局夫はアルコール性の認知症になってしまい、施設入居後1年で亡くなった。
せめて夫婦の仲が良ければ、一緒に旅行したり食事に行ったり、そんなことをしなくても、家のなかで豊かな会話があれば、アル中なんかにならなくてすんだのではないだろうか。

老いたら、夫婦仲が良いのがなにより一番。
もしも健康を失ったとしても、夫婦間に愛情があればなんとか通り抜けられると思う。
どちらかが逝ってしまった場合は、いかに孤独に強いかが問題となると私は考えている。
依存心をできるだけ少なくし、一人でいることを楽しめる人間でありたい。
そして少しでもいいから、他人に「してあげること」があれば幸せだ。
人間は迷惑をかける存在だ。だから「してもらう」時もある。それと同じくらいの「してあげられる」時があればいいと思う。
それが大袈裟ではなく、社会と繋がることだからだ。

詐欺事件の被害に遭う老人って、寂しいのじゃないかな?
この中で取材されている老人も「電話がかかってくるのがうれしかった」「来てくれるのが楽しかった」と言っている。
一人で誰と喋ることもなく暮らしていると、話しかけてくれる人が「天使」に見えるのかもしれない。
気をつけなくっちゃね。
posted by 北杜の星 at 07:37| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

篠田節子「夜のジンファンデル」

ジンファンデルって何だ?と思っていたら、ワインのための葡萄の品種のことだそう。
これは篠田節子の短編集だが表題を除くと、全体に流れる空気は不穏でどれもホラーっぽい。
表題だけが恋愛もの。
ホラーといっても岩井志麻子のような土着的なおどろおどろしさではなく、人間の心の底に巣くう恨みなどのマイナス感情があぶり出されている。
私、ホラーが好きなんです。ミステリーはラストのつじつま合わせが「そりゃ、ないでしょ」というものがかなりあって、どうも私の性に合わない。
でもホラーにはどこか人智を超えるものに対する畏れが感じられて、いいんです。

今回のこれ、15冊目の点字本。
点字でホラーを読んだらどう感じるかの実験のつもりだったのだが、皮膚感覚って怖いです。目で読むよりもっと怖かった。
ちなみに私の点字の最終目的は町田康と笙野頼子。
町田康のあのはちゃめちゃな文章が指ではどうなるか?笙野のシュールさはどうか?
彼ら二人が難なく読めるようになったら、自信がつくと思う。それも長編がいいですね。

この本のなかでは中編の「コミュニティ」がもっとも印象的だった。
作品としての読みでもこれが一番。
この本は文庫本化されているが、その文庫本には「コミュニティ」とタイトルが変更されているらしい。

一人息子がアトピーで病院通いすることが多くなり、妻は専門職を休んだり早退することが頻繁になってリストラされてしまう。夫も業績不振で給与が減った。
そのため都心のマンションからずっと郊外の古びた賃貸公団住宅に引っ越したのだが、その団地には独特の空気が流れていた。
プライドの高いキャリアウーマンだった妻はその団地の専業主婦たちとは付き合うつもりはなかったが、以前の友人たちから見捨てられ、彼女たちと交際するようになる。
そこでは誰の子、誰の妻、誰の夫という境界がなく、まるで一つのコミューンのようだった。
心地よいのか、気味悪いのか。
迷ううちにも周囲からじわりと囲い込まれていく彼ら。。

不気味なコミュニティなのではあるが、こういうところって案外、プリミティヴな社会の結びつきがあるのかもしれないと、相互扶助の良さもあるじゃない?って感じが読むうちにしてきたりして、ここの住人がそれでいいなら、それでもいいじゃないのという気になる。
男女関係以外においては、そう悪くないかもと考える私がおかしいのか?とちょっと自分に不安になるのだけれど。。
こうしたコミューンって宗教的なものとか、一時流行ったヒッピーの集団とか、似たようなものはあったと思う。

篠田節子の文章は指がよろこびました。きちんとした私好みの硬質な文章でした。
posted by 北杜の星 at 07:38| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

磯木淳寛「小商いで自由にくらす」

「思いを優先させたものづくりを身の丈サイズでおこない、顔の見えるお客さんに商品を直接手渡し、地域の小さな経済圏を活発にしていく」。

著者の提案する「小商い」とは、上記のようなもの。
その例として挙げているのが「房総いずみ地域」。
いずみ地域というのは行政区を指すものではなく、千葉の房総半島南東部にあり、茂原、大多喜、いずみ市などとその周辺のことだそうだ。
この地域には都会からの移住者が多い。
様々な経験を経た人たちがこの地で、自分らしく自由に暮らすための「小商い」は、仕事ではあるが、商売というよりも自己表現という印象がある。

自分で作った作品を自分で売る。それは自宅であったり、自宅のそばに小屋を建てて、そこで売ったり。
商品はお菓子、Tシャツ、工芸品、手芸品・・・
女性一人で、夫婦で、友人たちと・・・
これで100%の生活を賄えるかというとちょっと心配ではあるが、少なくとも独立した暮らしが営めることは確かだろう。

この本を読んで、「これって、こことまったく同じじゃん!」と思った。
私が住むのは八ヶ岳南麓。
ここも房総のいずみ地域と同様、山梨県でもあるし長野県でもある、いわゆる「八ヶ岳」と称される地域。
ここに東京や神奈川、あるいは中京方面からの山荘族や移住者がたくさん住んでいる。
軽井沢や蓼科とはまた違う雰囲気のある高原だ。

ここには小さなギャラリーやパンやお菓子を売る店が、それこそゴマンとある。
草餅とシフォンケーキだけの農家土間の店、木工作品やステンドグラスを作って販売するギャラリー、染織の店などなど、石を投げればどれかに当たるというほどのたくさんの店がある。
先日、私たち夫婦は初めてのそうした店でブランチを食べた。
そこは自宅菜園で野菜を育て、その野菜を使って煮込みスープを供しているのだ。テイクアウトがメインだが、小屋掛けのような場所で食べることもできる。
ミネストローネとサンドイッチ、じゃがいものニョッキ、タイ風グリーンカレー、豆カレーなど、どれも安くて美味しかった。
土・日だけのオープンだという。
こんなところが本当にたくさんあるのが、ここ八ヶ岳。
新しい店の情報はすぐにみんなに知れ渡り「もう行った?なかなかだったよ」と口コミで拡がるし、人気商品はスーパーで売られるようにもなったりする。
ハードな社会の縛りから自由を求めてやって来たところなのだから、こちらの会社や組織に今さら組み込まれたくはない。だからといって時間はたっぷりあるし、身体も元気。
それなら何かをしよう、という気になるのは当然で、何かをしているともっと何か、誰かと繋がることができる。


でもこういした店を開くのも利用するのも、山荘族や移住者がほとんど。
地元のひとは行かないし、買わない。
だからそういう「小商い」が地域経済の活性化になっているとは考えがたい。
これから地元のひとたちをもっと取り込んで、一緒に「小商い」が発展していけばよりいいと思う。
それがこのあたりのこれからの課題のような気がする。

posted by 北杜の星 at 07:49| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月10日

大内裕和「奨学金が日本を滅ぼす」

このタイトルを見たとき「借りた奨学金を返せない人間はけしからん」という趣旨のものかと思い、読むのをよそうかと思った。
でもそういうものではなく安心。

「自己責任」という言葉は悪流行りしている。
もちろん「それって自己責任でしょ」ということは多いが、それって為政者の責任逃れでしょと言いたくなることの方が多いのも事実で、この奨学金を返せないというのもまさにそうした問題だと思う。
若者の貧困の構図が奨学金にあらわれているからだ。

そもそも親の世代の所得が減っているのだから学費に以前のようなお金がかけられなくなっている。
しかしこの国はまだまだ学歴社会。大学を卒業しないと良い会社には入れない。とい。良い会社には入れないとずっと貧乏が続くことになる。そういう貧困のスパイラル。
だから奨学金を借りての大学進学となる。

けれどこの奨学金というのはほとんどが有利子貸与。つまりは教育ローンと同じなのだ。
4年生い大学卒業までの学費を奨学金で賄おうとすると、約500万円を借りることになる。大学院までとなると700万円。
世の中が右肩上がりの時代なら何の問題もないが、昨今の日本社会の雇用では、昇給はない、ボーナスもないというブラックなものもある。
人生のスタート時にそれだけの負債があるなんて、ハードな人生だ。
ましてや知り合った男女が結婚しようとしたとして、二人合計で1千万の借金!
これでどうやって結婚し、子どもを持つことができるのか?

初めから借りた奨学金を踏み倒そうとするのではない。返そうと思っても返せないのだ。
ブラック会社を辞めたいと思っても、奨学金返済を考えたら辞めるに辞められないということも。
それを「自己責任」と言い放つのは、あまりに酷ではないだろうか。

大学側や自治体や企業などの、無償の(お礼奉公などがない)返却無用の奨学金が増えればいいのだけれど、それも今の世では期待できない。
お礼奉公不要と書いたが、納得できるお礼奉公ならいいとも考える。
例えば自治医大がそうだ。
自治医大は日本の地方自治体がお金を出して医師を養成する医科大学だが、卒業し医師免許取得後に数年間(7年くらいだったかな?)のお礼奉公をしなくてはならない。
離島などの僻地での医療に携わることが多いらしいが、それはそれで良い経験になることだろう。
奨学金制度においても、返却不要のものには、そうした制度があってもいいかも。(昔の師範学校もそうしたシステムだった)、
といっても、返却できなければ自衛隊に入れるといのは、止めてもらいたいけれど。

この本には抜本的な解決法が提示されているわけではない。
しようたって個人では解決できない。これは社会や政治や経済の問題で、その問題はあまりにも大き過ぎる。
私の世代はふらふらとした大学生いが多かったけれど、貧富の差がどんどん激しくなって、大変な学生は本当に大変なのだ。
大学在学中から若い人が心身ともに疲弊している社会って、なんかおかしいし、こんな国の未来は暗澹たるものに思えてくる。
posted by 北杜の星 at 07:14| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

ハッチの週間身辺雑記

北九州地方は大きな豪雨被害ですが、このブログを読んでくださっている方々はご無事でしょうか。
最近は地球全体の気象が狂っています。いつでもどこでも、そして誰もが被害にあう可能性があります。
私の住むここには大きな河川はないので洪水は起きないですが、山林なので土砂崩れはあるかもしれません。
どんな備えをすればいいのか?どこに避難すればいいのか?物資はどう調達できるのか?確認しておくことも大切ですね。

被害にあわれた方々には申し訳ないのですが、こちらは大雨は降ったものの平穏です。
一週間前の土曜日、映画を見に行きました。映画といってもロードショーではなく自主映画です。
私は目が不自由なので、はっきりと画面はわからないのですが、それでも瀬戸内のきれいな海を感じることができました。
映画は「祝福の海」というタイトル。
31歳の東条雅之監督が撮ったものです。

山口県長門市で自給自足で暮らす「百姓庵」では、農作物ばかりではなく、塩もつくっています。
命の源の海。その海水を釜で煮てつくらる塩は、人間の体液と同じ塩分濃度。ミネラルいっぱいの塩です。
「百姓庵」でく暮らしていた東条さんはやがて、原発反対運動の島として知られる祝島のことを知ります。
祝島は長い間中国電力の原発建設に反対し、島のおばあちゃんやおじいちゃんが「海をお金では売らない」と、島の自然を守ろうとしているところです。
原発ができると、そこからの廃液の流出で、海水温が7度上がるそうで、そうなれば漁業はできなくなります。
反対派もいれば推進派もいて、島は必ずしも一枚岩ではなく、お互いの反目も強いものがあるのでしょうが、最近ではIターンやUターンの若者たちが移住してきて、おばあちゃんたちと一緒に闘っています。
若い彼らは島のお年寄りからたくさんの生活上のことを教えてもらってもいます。
彼らの輝く顔を見ていると、こちらまで希望が感じられハッピーになれます。

なにより海が美しい。
岡山や広島は産業都市なので、瀬戸内海には工業地帯がならんでいます。
でも山口の祝島あたりの海は本当に自然に溢れているのですね。この海を見ると、誰でも「これを守りたい」と感じると思います。
私は塩が大好き。もう40年近く前から、世界各地の塩を試しています。それを知る友人たちは旅行に行くと、私へのお土産に塩を買って帰ってくれます。
映画の百姓庵の塩づくりを見たら、もう我慢ができずに、さっそく注文しました。
この春にできた塩2種類。
春になると海には藻が出ます。その藻と海水を一緒に煮詰めてつくる「藻塩」。
それともう一つはあのあたりの藻で有名な「アカモク」の「藻塩」。これはちょっと貴重な塩だそうで、食卓でのかけ塩として使います。
これまでも山形県で買った藻塩が美味しくて、なんであれはあんなに美味しかったのだろうかと不思議だったのですが、藻って、味が出るんですね。
昆布ほどではないけれど出汁がでる。それを煮詰めることで味が凝縮されて、さらに美味しくなるのだそうです。
そういえばフランスのゲランドでも藻入りの塩がありますね。
そして良い塩は、海だけでなく海にそそぐ川も大切。
汽水域でとれる塩は美味しいんです。山口県長門市の塩も汽水域です。
これも南フランスのカマルグの塩は汽水域の塩。
カマルグの塩は毎年、友人がプレゼントしてくれ、いつも我が家のテーブルにあります。
(ちなみに、日本の塩で塩化ナトリウムが少なくてミネラルが最も多い塩は、「粟国の塩」のようです。「雪塩」はその次くらいかな)。

映画上映に際して、東条監督が和歌山からわざわざ八ヶ岳までやって来て、挨拶をしてくれました。
そのときに彼が話したことが、私にはちょっとした衝撃でした。
彼は大学は北海道大学だったのですが、「卒業後、仕事以外に、どんなテーマを持って人生を生きようかと考えた」と言ったのです。
仕事を選択するのでさえ一大決心なのに、そしてそれすらままならないのに、彼にとっては「人生のテーマ」がそれ以上に重要だったのです。
。。若い頃、私はとてもとてもそんなことは考えていなかった。
今の若いひとはなんてすばらしいのだろうと思いました。
こういう若い人たちにこれからの地球を託せるのは、本当にうれしいことです。

私の住むここ八ヶ岳の北杜市長坂町は、日本の国蝶のオオムラサキの生息地です。
今年も我が家んテラスに飛んで来てくれています。
蝶は苦手な私でもオオムラサキが来ると「今年も来てくれてありがとう」という気持ちになります。
私の目にもオオムラサキは他の蝶とは違うのがわかります。というのは、飛び方が違うんです。
てふてふと翅をわさわさするのではなく、どう言えばいいのか、まるでコウモリのようにすーっと飛ぶのです。
オスの方がきれいなのは自然界の常ですが、あまりオスは見かけず、飛んで来るのはいつもメスの方ですが、それでもうれしい。

うれしいと言えば、今年はホタルがたくさんいます。
時期が良かったのもあるし、風がなかったことや新月だったこともあって、田んぼの用水路にたくさん飛んでいました。
友人夫婦を誘ったのですが、彼らは初めてこんなにたくさんのホタルを見たと感激していました。
田んぼにホタルが多いということは、農薬が少なくなったのかな。
日本のホタルははかなくていいですね。
イタリアでホタルを見たことがあるのですが、点滅しないでずっと点灯しているホタルで、しかもその灯りの大きなことったら、風情がなさ過ぎ。
ずっと点灯しているのでは、見るのにも飽きちゃいます。

そうそう、書きわすれるところでした。
今週は、東京から友人が遊びに来てくれました。
その日は夫がゴルフで(そのゴルフにも私の友人が参加してくれたののですが)、小淵沢駅までのお迎えは、裏の山荘のSさんが引き受けてくださいました。
小淵沢駅は新築されて駐車しにくくなっていたりと、ちょっとまごつきましたが、古い駅舎は壊すのでしょうね。本格的な夏のリゾート・シーズンには間に合えばいいですけど。
お世話になったのでSさんにも来てもらって、テラスでネパール・チキン・カレーのランチを一緒にしました。
さいわいお天気がまぁまぁだったし、山も見えたし、東京はものすごい暑かったらしいので、友人がリフレッシュしてくれたのならよかったです。

そんなこんなの、自然を大切にしなければと思った、一週間でした。

posted by 北杜の星 at 07:26| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

吉村昭「冷たい夏、熱い夏」

この本はずっと以前から読みたいと思っていて、でも立ち向かう勇気がなくて読まないでいたものだった。
地元の点字図書館を検索していたらこの本を所蔵していることがわかり、意を決して読んでみた。
4巻に分かれていたがこのところ読むスピードが上がったので、約3週間ほどで読めた。

これは私小説だ。
しかも弟の癌闘病記で、弟の発病から死までを克明に描いている記録小説だ。
その筆は緻密であるが、冷徹ともいえるほど対象を見据えていて、小説家という職業の持つ目のすごさを感じてしまう。
元来、弟は明るく活発で人気者だった。
主人公にとってはどの兄弟よりも近しい存在で、弟が癌になったことを自分のこと以上に受け止めている。
もともと彼の家系では両親、成人した兄たちはみな癌死しているという。
だから弟も発病時から自分が癌ではないかと疑っていた。

癌の中でも難しいもので、術後1年以上生存したケースは皆無と医師から言われる。
主人公は弟に癌を告知しようとはしない。あくまで隠し通すつもりでいる。
それはそれまで小説のために取材した欧米人の死生観と日本人のそれには大きな隔たりがあって、日本人には癌を知らせないで療養させるほうが精神的に良いという信念があったからだ。

でも私は「それで本当によかったのか」と思う。
おそらく(絶対に)j本人はわかっていたはずだ。
そしてそれをあくまでも隠す兄である主人公を時に恨んだのではないだろうか。
そのことを含めてすべて知りつつも、なおも癌であることを否定し続ける主人公の心理を推し量るとやりきれなくなる。

主人公は身を切られる想いで弟を見舞うが、一方では冷静に死後の葬儀のことを知人に相談し葬儀社まで出向くのだ。
そのことを知った主人公の妻は何も言いいはしなかったが、非難しているのは明らかだった。

この弟が痛みと苦しみのためにユーモアを失ってゆくのが悲しいが、ほとんど臨終に近くなってたくさんの肉親が病室に集まっているのを見て、「こんなに大勢集まっているなら、死なないわけにはいかないな」と虫の息で言うのには、唖然としてしまった。
この期に及んでスゴイ人だ。
(以前誰かから聞いたのだが、同じように臨終のお婆さんの耳元で「おばあちゃん」「しっかりして」と大声で呼ぶ子や孫の声に、おばあちゃんが閉じた目を見開いて「うるさい!と言ったとか・・不謹慎ですが私、こういう話しが好きです)。

弟に付き添う弟の妻と、病院の付き添い婦の看病ぶりは本当に心がこもっている。
とくに仕事とはいえ、付き添い婦の病院に対しての、また家族に対しての心配りは、この人のそれまでの人生の深さを感じさせるほど。
彼女を主人に一冊の本が書けはしまいかというくらいだった。

癌で亡くした肉親を持つ人にはキツイ本かもしれない。
私もこれを読みながらずっと義母のことを考えていた。もう20年以上前のことだから、まだ日本では癌の告知はされていなかった。
彼女の闘病を目の前にして、「私ならはっきり言ってほしい」と切に願ったものだ。
でも最近では無頓着過ぎる告知も多くて、やはり患者をじっくり見て告知のタイミングをはかってもらいたいものだと思う。

しんどかったけど、読んでよかったです。

posted by 北杜の星 at 07:22| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする